151. 高校時代の取りこぼし (2007/4/7)


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前に高校時代について書いたときは、色々思い出すままに書いたので結構色々なエピソードを取りこぼしていた。そこで今回は思い出す限りいくつかの微妙な話を書きたい。

■渡せなかったテープ

合唱祭の準備期間のとき、練習をさぼって下校しようとした私とその他一名が、玄関先で二人の女性に呼び止められ、練習に参加しようよと言われたことがあった。書いていてムズ痒くなるワンシーンである。私は既に外履に履き替えて玄関を出たところだったので「明日は必ず出るよ」と言って逃げようとしたが、彼女らは食いついてきた。

私は心の中でひどくニヤけていたが外面は冷めていた。彼女らからみたらそっけなかったかもしれない。いやそれともニヤけが自分でも気づかないうちに表に出ていた可能性もある。二人の女性のうちの一人は、当時私が好きだった人だった。にしても彼女はここまで熱中キャラじゃなかったはずなのにどうしたのだろうとも思った。

でもって記録を漁ってみたらそのときこんなことを二人の女性から言われたらしい。
「嫌われ者になっちゃうよ」
「みんなが歌える中で、歌えないと恥ずかしいよ」
「去年はしっかりやっていたじゃない」

彼女は合唱祭でピアノの伴奏をやる役割だった。音楽室を借りてクラス練習中のあるとき、たまたま彼女がピアノの前でボーッと一人で座っていた。私は彼女のもとに駆け寄り、ちょこっとコミュニケーションをしたという非常にたわいもない話を以前書いた。

すっかり忘れていたが私はそのあとそのことをきっかけにして彼女にもっと接近しようと、彼女が私のリクエストで弾いてくれた合唱祭の課題曲をパソコンに打ち込んでテープに録音して渡せないものかと考えた。テープはあっという間に完成した。それをカバンに入れて私は学校に行った。しかし結局ダメだった。渡そうかどうか迷っているうちにどんどん気持ちが破滅的になっていった。最初は何も考えず気楽にホイと渡して丸め込んで終わりにしようと思っていたのだが、それさえ出来なかった。

ミッションは昼休みまで持ち越され、私は親しい友人たちと弁当を食べ、私たちの近くの席で彼女らも会食をしていた。その中に入っていってテープを渡すなんてことは当然できない。彼女らの輪の中には、私とそれなりに距離の近い比較的なんとかなりそうな女性もいたが、テープなんていう得体の知れないものを渡してなんとかその場を波立たせないことなんてとても出来ない。愛の告白なんて入ってるんじゃないかと思われても仕方のない代物だ。

私は上の空で友人と会話しながら彼女らのグループの様子を伺っていたが、そのうち彼女らの会話の中に私の名前が出てきて、彼女の名前も出てきて、妙な空気になりそうな思いがしたのですっぱり諦めることにした。

■修学旅行で一緒に行動した女性グループ

修学旅行では男同士と女同士でグループを組んだあとそれをランダムでマッチングするという方式で班が決まった。そのとき私のいた男グループは地味めの女グループと組み合った。正直ちょっとガッカリした。向こうも多分そう思っただろうが。

でも彼女らは落ち着いていてニコニコしていたし、自由行動で行く場所を決めるときもなんら不満はなかったし、実際に現地に行ったときも仲良く行動していたと思う。私はいつもの調子で班全体に向かってくだらない話を途切れなくしていた。一応主に話しかけているのは男グループのほうなのだが、男グループだけにしか分からない会話は避けたし、時々話を振るように女グループの彼女らに向き直ったりもした。

途中でクラス全体でバス移動をしたときがあった。男と女とでバスが前後にハッキリ分かれた。遅れて乗り込んだ私は真ん中で女性の席にはみ出す形になった。隣はちょうど班の女性の一人だった。私が申し訳なさそうに座っていると、「ゴミ君だからいいや」と彼女は言った。当時は深く考えなかったがこれもある種の好意と考えていいだろう。その後、彼女は隣の友達と絵しりとりを始めた。私も誘ってくれた。私はバスに少し酔っていたので遠慮した。あのときはほかに面倒くさいという感情もあったが、いま思えば多少バス酔いでちょっと気持ち悪くて面倒でも一緒に絵しりとりをやればよかった。そのあと私は昼寝をしたのだが、あとで隣の女性から「いびきをかいていた」と言われた。

また別の日、自由行動で時間が余ったので、最後の集合場所の近場で適当に班で行き先を決めて出歩いた。そこにちょうどボートがあった。私は男連中と相談してから「ボート乗っていい?」と女グループの人に相談した。ここではっきり男女が分かれているところが微妙だったがそれは些事としよう。彼女らは快く承諾した。じゃあ彼女らも乗るのかな、どういう風に人を分けようか、漕ぎ手は男のほうがいいだろうな、とまで考えていたのだが、彼女らは自分たちは遠慮すると言って乗らなかった。

■文化祭の劇

私の二年次のクラスは文化祭で微妙な劇をやった。私は音響係をやった。劇は二日に渡って上演された。その一日目、音響がズレたらしい。二日目の朝の練習中、私は学級委員の女性にひどく怒られた。彼女はとても冷徹に私に文句を言ってきた。彼女は仕切り屋だしブラスバンド部の部長でもあったのでそれはある種理解できた。しかし私にも言い分はあった。トランシーバーが不調でうまく連携が取れなかったのである。私がそんな言い訳を言って、今日はトランシーバーが大丈夫そうだから出来るよと言うと、最後に彼女は「かならず出来るね?」と念入りに問うてきた。私は「多分ね」と返した。クラスの女性からここまで強烈な敵意を感じたのは中学のとき以来だった。

ということもあったウザいキャラの持ち主だったが、取り立てて美人でもないおさげの彼女を私はそんなに嫌いでもなかった。

■フォークダンスの道化

私の学校では文化祭のあと後夜祭が開かれ、輪になって男女で手をとってフォークダンスを踊る。

フォークダンスが始まる前、日が暮れた暗がりの校庭で、音楽が鳴り始めるまでの間、時間を持て余した奇妙な時間帯があった。いつ始まるのか分からず、クラスメイトたちはめいめいに親しい二三人と固まってなにやら雑談をしている。私も自分の友人たちと言葉少なにポツリポツリとなにごとか話していたが、そのうち微妙な緊張感に耐え切れなくなって、私の道化の血が騒ぎ出した。

私は一人で女性グループのいくつかに近寄り、手をわきわきさせながらニヤけてさあ踊ろうみたいなことを言って周ったのだ。ところがみんなほとんどノーリアクションだった。愛想笑いもなかった覚えがある。キャラを間違えたかと思ったが、自分では大して気にしなかった。男の友人の一人から「本当に不気味」と突っ込まれた。学級委員キャラの女性だけ私やその周りの男に話しかけてきてくれた。

フォークダンスが始まってから、しばらく夢中になっていると、私の好きな女性が輪に周ってきた。次だ次だ、とドキドキしながら待っていると、私の隣にいた私の友人が突如私のメガネを奪った。私は彼からメガネを奪い返そうとしたが、それをやると彼女と踊れなくなってしまう。仕方なく私はそのまま彼女と踊った。友人はそのあとすぐにメガネを返してきた。いまでもその友人の意図は分からない。

その後私がすぐに考えたのは、その友人は私にメガネをとった顔を彼女にアピールさせてやろうという狙いがあったのではないかということだった。その友人はそんな配慮をしてくれるようなキャラではないので多分違うだろう。だとしても正直迷惑なことをしてくれたと思った。なにせせっかく彼女の姿を間近に見られるチャンスをふいにした。一番有力なのは単なる気まぐれ説だがそれもどうなのだろう。

ところでそんなアホな私たちを見て彼女はどう思ったのだろうか。何か自分はアプローチされてると思っただろうか。告白でもしてくるんじゃないかと身構えただろうか。そういえばその友人と彼女はその年(二年次)の文化祭実行委員をやっていて時々行動をともにしていた。その友人が単にメガネを掛けたくなったのか、私と彼女を踊らせないように手を打ったのか、ふざけてるところを彼女に見せたかったのか。微妙すぎて真実は分からない。

■部の同学年の女性のあれこれ

私のいた部の同学年の女性は一人だけだった。この女性は私たち男グループに対してわりと淡白だった。精神的に成熟した感じだった。男の一人が何かの委員会(図書委員?)で一緒だったせいかそれなりに親しかったようだが、その会話を聞いていてもローテンションで淡々としていたのが印象に残っている。

その彼女が自分のクラスのある男について世間話程度に私たちに語って聞かせた。彼女の台詞に固有名詞が入るのでここは便宜的に彼女の名前を長澤まさみとし、男の名前を滝沢秀明としよう。彼女はこう言った。

「滝沢君って、私の名前を書く時は『長さわ(長だけ漢字)』って書くのよ。おかしいでしょ」

括弧入りの部分を彼女がどう説明したのか覚えていないのでイメージのまま書いた。私は妙にこの滝沢(仮名)という男に嫉妬を感じた。冗談か本気か東大を狙っているという噂の人だった。

彼女はコーラス部なるものを自分の知り合いと立ち上げて部長におさまっていた。三人ぐらいで細々とやっていたが、あるとき演劇部の人たちが発声の練習にいいからという理由で大量加入したらしい。

私のいた部はハイキングに行く部だったので、夏休みは山へキャンプに出かけた。駅から先生のマイカーであるバンに分乗して現地に向かった。バンといっても2ボックスカーのほうなので車内は狭い。適当に乗り込んでいくと私の隣に彼女が座った。体が密着した。私は黙って前を向いていたが、神経は絶えず彼女との接触面にいっていた。彼女も無言だったが、そこに意味を見つけるのは多少無理があろう。

一応私と彼女とは二年間の知り合いだったわけだが(一年次は知らなかったので)、私は彼女と少しも親しくなれなかった。二人だけで相対して会話した記憶がほとんどない。何か話したときは彼女が他の人と話しているところへ割り込んだときだけだったような気がする。そしてそんなときも彼女が私の方にはっきりと顔を向けたことはほとんどなかった。部の活動の水質調査で彼女と行動を共にするときがあって、いくつか会話した覚えはあるのだが、何か他のことを考えているんじゃないかと思うほど会話がかみ合わなかった気がした。

彼女に年賀状を出したことがある。たかが年賀状にかなりの勇気を要した覚えがある。どんだけチキンなのかと。

■小話

▽転倒

トイレの出入り口付近は床が濡れていることがあって、あるとき私は盛大にコケた。それをある女性に思いっきり見られた。彼女は「ゴミ君、見なかった事にしてあげるよ!」と笑いながら言った。その後しばらく間をおいてから、また同じ場所で軽くコケた。つんのめったと言った方がいいかもしれない。そのときトイレの前に女子の集団がいて、「もっと盛大にこければ良かったのに」「この前ほどじゃなかった」という会話が聞こえてきた。

▽先生激怒

授業中友人とふざけていたら、その友人ともども微分積分の先生に思いっきり怒られた。「俺の授業をなめてんのか」と言われた。授業中にくっちゃべってたから怒られるのも当然だが、私が教科書を失くしていつまでも用意しなかった事も多分理由に挙げられる。なのでその先生が怒ったあとに私は教科書専門の店に行って教科書を買ってきた。結局私の教科書がどこへ行ったのか知らないが、本当にきれいさっぱり失せたのだからしょうがない。

▽自習の見張り

クイズ番組に出て校内で大顰蹙を買った日本史の若い教師がいた。彼はこの件がなくても校内での評判が悪かった。私は日本史を取らなかったし、この先生が担任のクラスともあまりかかわりがなかったので、私はこの先生とほとんど接触しなかった。

いつだったか他の先生の授業が緊急で自習となったときに、この先生が代わりにやってきた。自習の課題の説明だけして退室すればいいものを、この先生は時間中ずっと教室に居座った。あんたは何も予定がないのかと思ったが、たまたま暇だったのかもしれない。時間中ずっと私たちがちゃんとおとなしく自習しているかどうか見張っていたのだ。無断外出はさせないと彼が宣言した覚えがある。

そこへなんと水泳部の女性が果敢にも外出しようとしてこの先生に捕まった。すかさず彼女は「トイレです」と切り返すが、これだけで引き下がるわけにはいかないと思ったのか多少の問答を繰り広げた結果、その先生は仕方なく折れて外出を許した。ところが彼女は廊下を出たあとで友人と雑談でもしていたのか、それを見たその先生が急に怒り出し、彼女を15分以上も廊下で説教をした。あとで隣のクラスの人に聞いたところによると、その先生の説教の声は隣のクラスまで響いてかなり迷惑だったとのことだった。

ある情報筋によると、この先生は彼女に目を付けていたらしい。何か目をつけられるようなことをやったのか、それとも彼女にちょっかいを掛けるのが好きだったのか、本当のところはよく分からない。

■好きだから?

友人のバス待ちに付き合って教室で三人ほどで居残っていたときがあった。私を除く二人は「移動五目並べ」なる新しい遊びをやっているところだった。私は最初それを興味深く観戦していたが、どうやらそれが未完成なものだと気づいて止めた。

そのとき先の水泳部の女性ら三人も教室に居残っていて、たまたま教室には私たちと彼女らの合計六人しかいなかった。水泳部の彼女は私たちの近くの自席でなにやら勉強をしていた。残りの女性二人は教室の後ろのほうで雑談をしていた。そのうちのソフトボール部のお笑いキャラの一人が水泳部の彼女に向かって「こっちにこない?」と呼びかけた。彼女は「いい」と断った。すると呼びかけた人がこう言った。「ゴミ君が好きだから?」耳を疑った。これは冗談なのだろうか。彼女と私は黙るしかなかった。私はこのソフトボール部の女性にツッコミを入れるべきだったのか。このような事件があったことを私はすっかり忘れていて、むかし友人に送った書簡をさきほど掘り起こしていてやっと思い出した。

時系列ではこの事件はちょうど冒頭彼女にピアノを弾いてもらったときと彼女にテープを渡そうとしたときの間の出来事だった。

*

人と人との関係というものは不思議なものである。どういうときにうまくいき、またどういうときにうまくいかないのか、改めてきちんと研究してみたほうがいいのではないかと思った。団塊の世代で有名な日本の思想家・吉本隆明がその著書「共同幻想論」の中で述べている「対幻想」という概念が形だけ見ればピッタリくるのだが、この人の用語はもっとマクロな国家を語るついでみたいなところがあるように思えるし、この人の仕事は概念化するところまでで、肝心要の中身の考察についてはあまり参考になりそうもない。

ところで私は岸田秀のほうの共同幻想論の信者なのであるが、岸田秀が対幻想を独立した概念として扱っていないのは、精神分析学的に見て区別の必要がないからだろう。


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gomi@din.or.jp