148. 音楽製作 (2007/1/8)


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YAMAHAのMO8が欲しい。88鍵盤でタッチがそれなりに良く、内蔵の音源モジュールも同社のMOTIF ESとほぼ同クラスのものを搭載しているらしい。楽器店で触ってみてひさしぶりにキーボードに物欲をそそられた。その楽器店には昔欲しかったスタインバーガーのギターも置いてあった。モト冬樹が愛用している弁当箱みたいなギターだ。にわか音楽好きなので形だけで判断しているのだけど。

音楽を演奏したり作ったりするなんていうと、やったことのない人からすれば何か特殊な技能のように思うかもしれないが、実際やってみるとそうでもない。私はもう今は音楽の演奏や製作をやっていないが、かつては結構ハマって色々やっていたのだ。今回はそのときのことについて書くことにする。

■ファミリーベーシック

私が最初に音楽の演奏・製作に触れたきっかけは、任天堂のファミリーコンピュータというご存知日本のテレビゲーム機の草分けに、ファミリーベーシックという作ることを目的とした製品が出たことだった。この製品は主にBASIC言語でゲームを作るためのもので、私の目的も本当はそちらにあったのだが、他に機能として音楽を作ることができた。簡単なシーケンサのようなものに音名を入力して再生すると、音名をカーソルがなぞっていき、オルゴールのように音が出る。三つまで和音を出すことができた。ただし、音の長さまでは指定することができず、曲の長さも一画面分までしか作れなかった。私は音楽の教科書なんかを見ながら短いメロディを入力したり、当時雑誌に載っていた譜面を入れて演奏させてみたりした。大したことはやっていないのだが、一見なんでもないような譜面が豊かな音楽を奏でることを不思議に思い、音楽の構造というものに強い興味を覚えていくきっかけとなった。

■FM77AV20EX

次に手に入れたのはパソコンだった。中学に入って親が買ってくれた。今度のはFM音源というものがついていて、ファミリーベーシックのようなファミコン風のPSG音源三声にFM音源三声が加わり、表現力がだいぶ上がった。

▽音階

いきなり難しい単語が出てきたので説明したいところだが、実は私もよく分かっていない。音源というのは音を発生させるための装置のようなものだ。音というのは鼓膜の振動として脳に伝わり我々が理解できるようになる。鼓膜を振動させるのはスピーカーやヘッドフォンなどの装置で、これらの装置を動かすのが音源だ。振動は波なので、波形を作ってやる必要がある。たとえば時報によく使われる音は、440Hzの正弦波だ。正弦波というのは高校の数学で習う三角関数で、一秒間に440回上下にうねる波のこと。一番基本的な音だと言える。

時報の最後の音(ピッピッピッポーのポーの音)はちょうど一オクターブ高くなっているのだが、この音は周波数が880Hzつまり倍になっている。一オクターブというのは周波数が倍倍になるごとに設定されている。なぜ倍倍ごとにオクターブと言うかというと、オクターブずれた音を同時に鳴らすとよく響くからだ。波を重ね合わせてみると割といい形になる。このシンプルさが耳に心地よい。

ついでに言うと、なぜ一オクターブの音をドレミファソラシに分解するのかというと、大体その区切りが二の倍数とか三の倍数とかになって区切りがいいからだ。しかし厳密に言うと微妙に違いがある。ドレミファソラシで七音あるが、半音を入れると12音になる。12音を均等に区切って作った音階を平均律と呼ぶ。きっちり区切ってしまうと倍数が微妙にずれてしまう。だからクラシック音楽家の中には倍数をあわせて純正律を使う人もいる。このあたりの詳しいことはWikipediaあたりでも調べてみると良い。

平均律 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%9D%87%E5%BE%8B

なぜ7とか12に分けるのかというと、たまたまそういう風に区切ると音と音との間に倍数の関係が成り立ちやすいからというそれだけの理由に過ぎない。

ついでに言うと、民族音楽には五音階が使われていることが多い。沖縄音楽に使われるたとえば有名な島唄なんかのメロディにある独特の調子はこの五音階の一種である。英語で言うとペンタトニックだ。これは12音の中から互いに響きやすい特定の五つを選ぶことで、どんな組み合わせで音を出してもちゃんと響くようにすることが出来る。つまり、でたらめに演奏してもそれなりに聞こえるようになる。シンプルなアドリブ演奏にはうってつけだ。ちょっと毒を吐くと、頭の弱いギタリストや、素人のブルースハープ演奏でも、それなりに聞かせることが出来る。

かように音楽は数学的に出来ているため、音楽の才能と数学の才能には共通点が見られるとも言われる。そう説明されると、数学が好きだった私が音楽に惹かれた理由が分かった気になってすっきりするが、実のところこの説には私も半信半疑である。バッハの頃のような音楽には言えたかもしれないが、ロマン派や印象派がどうの、ポップやロックがどうのといったことには関係があるとは思えない。ただ、思い起こしてみると私の高校の頃にピアノがすごく上手な男がいたのだが、彼も数学が出来た。

▽コンピュータによる発声

さて話がだいぶそれたので、コンピュータがどのように音を出すのかということについて説明したいと思う。要は音の波を作れればいい。ただしここで問題が出てくる。正弦波(三角関数sinのこと)ならアナログ回路で簡単に作ることが出来るが、時報の音で音楽を作れと言われても厳しい。

ちょっと余談になるが、電気信号を一定時間ごとにプラスとマイナスに振ると、四角形の波を作ることができ、これを矩形波と呼び、よくテクノ音楽に使われる。

自然界にある音というのはこんな単純な方法ではとても再現できない。コンピュータにとってそれはもう絶望的な試みと言って良いだろう。しかし先人は音に法則性を見出した。その法則を再現するために、いくつかの関数を組み合わせて音を出すことを考え出した。それが前述のPSG音源とかFM音源とか言われている方式である。詳しく説明してもしょうがないしそもそも私には説明できないので、興味のある人は下記リンクを参照してほしい。

Programmable Sound Generator - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Programmable_Sound_Generator

FM音源 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/FM%E9%9F%B3%E6%BA%90

FM音源はアメリカの大学の研究者が理論を考え出し、それを日本のヤマハが製品化したことで一気にメジャーになったらしい。ちなみに電子楽器を作る会社といえば世界的にみてYAMAHAとKORGとRolandが有名だが、これらはみんな日本の会社だそうだ。

私はFM音源をいじってみたことがあるのだが、正直まったく使いこなせなかった。そもそも原理がよく分からなかった。あらかじめ用意されている音色を元にパラメータをいじっているうちに、音がどんどんヘンになっていった。イメージとしては、たとえば y = ax + b みたいな関数を足し合わせて音を作ることを想像してほしい。もっともこんな線形関数を使うことはないが、要はこの a やら b やらをいじって自然界の音に近づけようとすることを考えると気の遠くなるような作業であることが想像できる。しかしこんな方式でもちゃんとオーボエのような特徴のある倍音を出す楽器や、金管楽器の管の鳴り、弦楽器っぽい音なんかをちゃんと出すことが出来た。また、自然界にこだわらず心地よい音を求めた結果、いわゆる電子楽器っぽい音なんかがいくつか「発明」された。

▽譜面入力

まがりなりにも色々な音色を再現できる機械が手に入ったということで、私はよく音楽の教科書に載っている楽譜を入力した。クラシックやフォークなどを入れたが、合唱曲が特に面白かった。なにせ実質三声までしか出せないので、ピアノ伴奏の曲は全然音が足りない。ちょっと和音が出てくるとそれだけで音が足りなくなる。ちなみに何声というのはよくコンピュータ音源に使われる表現で、要は同時に出せる音の数を指している。

こんな制限のある中で、ちゃんと形になったポップサウンドを作ってしまう人たちがいた。当時雑誌にゲーム音楽のプログラムが載っていた。当時は音楽もプログラムで作っていた。BASIC言語には音を出す命令が用意されており、MML(Music Macro Language)と呼ばれる記号列で音を表現する。CDEFGABがドレミファソラシで、C8ならドの八分音符、O4なら四番目のオクターブ、T150なら♪=150のテンポになる。その他、ハードウェアを直接いじって音を色づけることをやっていた人もいた。そういうプログラムが雑誌に掲載されており、読者はそれを見て一文字一文字入力していくのである。今なら雑誌にCD-ROMがついてくるので考えられない時代だ。

そんな面倒で大変な作業なので、結局私は試しに一曲入れただけで終わったのだが、入力したのは当時ゲームセンターで大ヒットしていたセガのレースゲーム・アウトランのSplash Waveという有名な曲だった。再現した人の名前は忘れたが、アーケード(ゲームセンターにおいてあるやつ)よりハードウェアの制約がきついにも関わらず、ちゃんと音楽が再現されていた。だいぶ後日になってオリジナルの音楽が入ったCDを買ってみたのだ。おかげで、私が入力しまちがえた箇所があることが分かってしまった。

▽音楽を成り立たせるものへの疑問の芽生え

さて譜面を入力していると、一つの疑問が浮かんできた。リズミカルに流れる音楽とそうでない音楽があるのはどうしてだろう。たとえば、合唱曲を入力すると、メロディとカウンターメロディが絡み合って気持ちいいのだが、普通教室で合唱していた学生時代を思い出すように何か足りなさ感じる。ポップやフォークのメロディだけ入力しても、口笛で吹くように単なるソロ楽器が鳴っているだけにしか感じられない。

私は最初それがドラムスの欠如によるものと考えた。テレビなどで流れている音楽にはドラムスが使われている。ドンツクツク、ドンツクツク、という一定のリズムがなければ音楽は流れていかないのかと思った。じゃあ、と試しにメロディに適当なドラムパターンを入れてみたが、やはり何かが足りない。まるで曲の間奏とかブレイクと呼ばれる一息置いた部分みたいな感じだ。

何が足りないのか、このときは疑問を解決できなかったので、当時の私はそんなことを気にしないでいいクラシック音楽の方面に入り込んでいった。

▽クラシック

中学二年の頃、小さい頃からバイオリンを習っているという人と知り合った。彼は「クラシック」をよく聞くと言っていた。当時の私はこの「クラシック」の意味が分からなかった。「クラシックってなに?」って聞いたら、「クラシックはクラシックだよ」という答えしか返ってこなかったのをよく覚えている。いまこの文章を読んでくれている人の中にもひょっとしたらクラシックを知らない人が…さすがにいないか。ちょうど月9(月曜夜九時からフジテレビで放映しているテレビドラマのこと)で「のだめカンタービレ」という音大生のドラマをやっている。要は古い音楽のことだからクラシックカーのようにクラシックと呼ばれる。英語だとclassical musicで、要は古典音楽ということなのだが、実のところ現代でもクラシックを作る人がいて訳が分からない。もうクラシックというジャンルがあると考えたほうが良い。オーケストラやそれより小編成のあるいはソロの楽器で奏でる音楽の総称なのだろう。バッハやベートーベンやモーツァルトなんかがその代名詞だ。

*

彼はバイオリンの譜面を持っていたようで、それをパソコンに入力して演奏させていた。彼は私と同じタイプのパソコンを持っていたので、フロッピーディスクに音楽のプログラムを入れて交換できたのだ。その中で非常に印象に残っているのは、モーツァルトの交響曲第四十番の最初の部分だった。あとで分かったのだが、彼も譜面を打ち間違えており、微妙にヘンなのが面白かった。彼からバッハのバイオリン協奏曲の譜面を借りて、それを私が打ち込んだこともあった。

そのうち、創作クラシックをやってみることにした。きっかけは覚えていない。そのときの手法は、無謀なことにいきなりノートに譜面を書き付けるという方法だった。クラシックの音楽家というのは楽器に向かわず直接譜面に書くというので、そのマネをしてみたのだ。たった16小説ほどの曲を二つばかり書いてみた。偶然かどうか分からないが、それらの曲は意外なほど普通に聴けた。特に奇をてらった感じもなかった。おたまじゃくしの譜面というのは、半音記号さえ使わなければ音符を置くだけで普通の七音階に従うことになる。適当なメロディと、ちょっとだけそれに絡めた副旋律、長く伸ばしたり細かく刻んだりと、最低限の構成要素だけで作ったからだろう。奏でられた曲は私の想像を超えていた。

■FM TOWNS

次に買ってもらったのはFM TOWNSというパソコンだった。このパソコンは当時としては素晴らしい性能を持っていた。ここで関係あるのは音についてだけなので音に関係する機能だけを説明すると、前述のFM音源が6声、それにPCM音源が8声もあった。ハードディスクなしの三代目で20Fというモデルで32万ぐらいした。プリンタなどの周辺機器やソフトで合計40万ぐらいだった。いまから思うとよく親が出してくれたなと思う。

FM TOWNS - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/FM_TOWNS

▽PCM音源

PCMというのは、波形をそのまま記憶しておき再生する方式だ。CDやDVDなんかでも使われていることから分かるように、波形を電子化してそのまま時間軸に区切って記録しておいたものを再生するので、理論上どんな音でも再現できる。ただし、記憶するためのメモリが大量に必要になる。

これを音源として利用したのがPCM音源だ。たとえばピアノの音を一つだけ録音する。それを再生するときに早回しにすると音が高くなり、遅くすると低くなる。記録された音は有限の長さなので、必要によって途中で再生を止めたりループさせたりすることで再生の長さを変える。

PCM音源というのが音楽関係者以外の人々の手に渡るようになったのは、スーパーファミコンからだろう。このスーパーファミコンの初期に出たソフトに、エニックスの「アクトレイザー」という変わったゲームがあるのだが、このゲームで使われていた音楽はしっかりとオーケストラ風の音楽を再現していた。この音楽を作ったのが、ゲーム音楽の世界で有名な古代祐三という人で、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」などの音楽を作った久石譲の弟子で、ハードウェアにも詳しいからこそPCM音源を使いこなしていたのだろう。FM音源全盛の頃からY'sやソーサリアンというゲームシリーズの音楽を作ってきたことで既に有名だった。

PCM音源が得意なのは、複雑な波形をいとも簡単に再現できることだ。従来のFM音源では難しかった、打楽器のリアルな再生、ピアノのような計算で再現するのが難しい音色、さらには音声をそのまま再生することもできる。

しかし反面、大量のメモリを使ってしまう。いまでは大容量のメモリを安価で手に入れることが出来るが、当時はメモリが高かった。当時高性能だったFM-TOWNSでも波形用のメモリがたった64KBしかなかった。ちなみにCDの音質だとたった一秒間で100KB近く使ってしまう(CDはステレオなのでさらに倍使う)。だからまず音質を落とす必要があった。それでもたった数秒程度しか使えないので、さらにこれを有効利用するため、なるべく音をループさせて使わなければならなかった。たとえば0.2秒ほどの波形をループさせて音を出すのだ。だから当然音は不自然にならざるをえない。また、このような波形データは加工して使うことが困難なので、そのままの形に近い状態で使わなければならない。最近のカタログを見てると数万クラスのシンセで64MBつまり千倍ぐらいのメモリを積んでいた。

▽音楽の秘密を解き明かそうとするきっかけ

ここまで高性能な音源が手に入ったことで、大抵の曲はがんばれば再現できるようになった。たとえば、ドラムスを再現するなら三声ぐらいあればバスドラムとスネアドラムやタムタムとハイハットが再現でき、ピアノの伴奏も四声あれば基本的なコードが弾ける。残りをメロディやベースなどにうまく使えば大抵のポップスはそれなりに演奏できる。もう音数が足りないなんていう言い訳はできない。

パソコンで音楽を作る人たちは結構いて、パソコン通信(インターネット以前にあった電話線を使って大勢の人々が情報をやりとりするコミュニティ)に集まって互いの作品を発表しあっていた。当時の私は学生だったので金がなく、電話代の掛かるこの集まりに参加できなかったので、定期的に人々の作品を集めて実費で売られるCD-ROMがあり、それを入手して聴いていた。クラシック音楽はほとんどが著作権が切れているので、なかでも入力しやすいピアノ曲なんかが結構あった。私が感動したのは、バッハのブランデンブルク協奏曲を再現したもので、生演奏よりもバッハらしさを感じた。現代の歌謡曲は著作権の関係上なかなか個人で扱えるものではなかったので、ポップス風の曲はオリジナル作品がほとんどだった。作品の出来はピンからキリで、あきらかに稚拙なものからプロっぽいものまで、ありきたりな曲から前衛的な曲まで色々あった。

もしこれだけだったら私は音楽を聴くだけで終わっていただろう。ピアノなどの楽器を習ったこともなく、大して音楽好きというわけではなかったし、なにより音楽なんて作れるはずがないと思い込んでいた。ところが一つのソフト群がそれを大きく変えた。FM-TOWNSでTaroPYONという人が作ったHEPlayという音楽再生ソフトは、音楽を再生しながら全パートの音階やボリュームをリアルタイムに表示したのだ。耳から聞こえてくる音楽が、どのように成り立っているのか、はっきりした形で目に見える。言葉にするとたったそれだけのことだが、私にとっては衝撃だった。そしてそのときから好奇心が沸いてきて、音楽の秘密を自分で解き明かしてみたいと思った。いったいどうやれば音楽は作れるのかと。

だからここでぶっちゃけると、私はそもそも何かを表現したくて音楽を始めたのではなく、音楽を再現してみたかったというそれだけの動機しかなかった。

▽実践

ここから私の試行錯誤が始まり、その成果は排泄物のごとく曲として形になっていた。

最初の曲は、思いつくままに作ったメロディがどこかで聞いたことのあるようなもので、そのメロディにドコドコとドラムを入れたりコーラスっぽいのを入れたりした。ちょっとヘンな感じはしたが、最初にしては意外とよく出来た感じがした。ところがいま聴くとベースがまったくないことに気づく。低音スッカスカでメロディの勢いだけで曲を無理やり成り立たせていた。

低音が足りないってことが頭のどこかでひっかかっていたのか、ピアノの低音部を使って補強したりしていたが、ようやく気づいたのか数曲目でベースの音色を使い出す。ちゃんと既存の曲を研究すればこんなことは起きないと思うのだが、そうすると音楽の原理を掴むことが出来ない。それでも参考にはするので自分の曲と比べてみるうちに、断片的にいくつかのことが分かってくる。

コードというものが重要だということがなんとなく分かってくる。日本語で言うと和音だが意味的にちょっと違う。コードとはそのときそのときの音の響きの基本を形作るものだ。私はそんなコードという概念を最初意図的に無視していた。何故かというと、音というのはすべてフレーズの集合体だと思っていたからで、フレーズが重なりあって和音を作ることはあっても、和音から曲が作られることはないと思っていたのだ。フレーズを重ね合わせる方法として、バロック音楽時代の対位法みたいなものを独自にやってみようということだけを考えていた。だから必然的にコード進行が単純になり、出来るだけ複雑なフレーズの重ね合わせを目指してヘンな曲が量産された。

▽音楽の授業での創作

ちょっと話は外れるが、高校の頃に選択音楽の授業というものがあり、その授業は主に合唱したり鑑賞したりするのが主な内容だったが、最後の方に音楽を自分たちで創作して演奏しようというのがあった。桜井よし子のような印象のちょっとうっとうしい音大出の女の先生が担当していた。クラスで適当に好きな人とグループを組み、授業時間を使ってめいめいに作曲し演奏のための練習をし、最後に発表会で終わる。

私は小さい頃からバイオリンをやっているという仲の良い友人などと共に、クラスのあぶれものみたいなのを吸収しつつ、八人ぐらいでなんとかやってみようということになった。どういう段取りで決まったのか詳しいことは忘れてしまったが、独学でピアノをやっていたという元生徒会長の男がメロディを作曲し、それを元に私が編曲をすることになった。メロディはいかにも適当に作ったワルツといった感じだったので、そのメロディをコンピュータに入力し、そこから他のパートを適当に重ねていった。

今回は実際に演奏できなくてはならないので、出来るだけ簡単な曲にする必要があった。楽器は、わざわざ家からバイオリンを持ってくるという友人以外は、音楽室にある楽器を適当に利用するしかない。当然弾けるものが限られてくるので、アルトリコーダーが中心になる。そうすると出せる音域というものがあるのでそれに従わなければならない。コンピュータで作曲するのと違い、今まで考えてこなかった色々な制限があることが分かった。木琴と鉄琴は音量が小さいのでリコーダーに負けてしまうということも後日分かった。練習中、ブラスバンド部の部長さんが面白がって私たちのところに来てちょっと演奏を見てくれた。

楽器にはそれぞれ音を出すにあたって制限がある。コンピュータで作り出す音に制限はないが、実在する楽器の音色を使って曲を作る場合、その楽器の制限や奏法について熟知しているとそれらしい曲になる。たとえばチェンバロの場合、長い音を出せないという欠点があるため、トリルという奏法が生み出された。これは隣接する鍵盤と交互に素早く弾くことで擬似的に長い音を出す奏法である。バイオリンは楽器の王様と言われるが、和音を出しにくいという欠点がある。弦が四本なので四つの和音までしか出せない上に、弦と弦の音の間隔が半音にして10個分もあるので、これを逆手にとってバイオリンならではの特徴的な和音のフレーズがよく使われる。ギターは弦と弦の間が半音五個(ドとファの間隔)なので和音は出しやすいが、それでも和音の構成に特徴が出来るためやはり独特の響きがある。ドラムスの場合、両手両足を使って叩かなければならないため、片方の足でキックドラム、もう片方でハイハットの開閉、片方の手でハイハットを叩き、もう片方でスネアドラムを叩くのが一般的だが、俗に言うツーバスとしてキックドラムを両足で叩いたり、手で各種シンバルやタムをアクセントに叩いたりする。こういう法則を無視して編曲すると不自然になる。また、各楽器には弾きやすいフレーズというものがあり、それを意識するとより自然になる。

ちなみに私たち以外のグループはというと、女性はピアノが弾ける比率が高いのでピアノ中心だったり、三人ぐらいの少人数編成で木琴や鉄琴を元気良く叩いていたり、アコースティックギターを持ち込んで途中までまともな曲をやって急に前衛的になったりと、バラエティ豊かでどれも面白かった。この授業を企画した先生も予想外の出来に大喜びで、後日放課後に再演して他の人にも聴きに来てもらおうとしたのだが、強制ではなかったため半分以上のグループが出席せず寂しいものとなった。

さらに後日談として、このときのデモテープ用に私が作った音楽ファイルは、私が勝手に富士通のとりまとめていたフリーソフトに応募して収録された。後日担当者から電話が掛かってきて、多分教育目的というイメージで売りたい富士通の狙いと合致したのか、教育目的の色が濃い別のフリーソフト集に転載させてほしいということだったのでそちらにも入った。

■JV-30と友人その1

そのうち知り合いがRolandのJV-30というシンセサイザー(キーボード)をMacintosh(パソコン)と一緒に買い、EzVisionというシーケンサソフトで音楽製作環境を整えた。JV-30が13万ぐらい、EzVisionが16万ぐらい、MacintoshがIIsiで60万ぐらいしたような気がするがあまり覚えていない。彼の親は熱帯魚で商売をしているという自営業の人で、家にやたらでかいテレビが置いてあったりする割に、住む場所は古いアパートで狭くて汚かった(失礼)。正直私は彼のこの買い物をやりすぎだと思ったが、彼は彼で小さい頃からバイオリンを習っていて音楽が好き(?)なのでまあそういうものかと納得した。

当時コンピュータで音楽をやるには最低でもこのぐらいの金が掛かった。先に挙げた三つの機器およりソフトはこれでもまだ廉価なほうで、シンセサイザーは入門機だし、EzVisionはVisionというソフトの簡易版だし、Macintoshは前モデルの半額で出た新モデルだった。とはいえ、これだけの機材が揃うと、楽器としてのシンセサイザー(キーボード)を、MacintoshからEzVisionで視覚的に操ることが出来る。譜面入力ではないが、横軸が時間、縦軸が音高で、録音ボタンを押すと画面がスクロールしていき、シンセサイザーの鍵盤から入力したとおりの音が画面に刻まれていく。配置された音はマウスで自由に編集できる。

さすがにこれだけの環境を整えるのは私には無理だった。しかし私のFM TOWNSでもシンセサイザーをつなげることは出来た。当時からMIDIというコンピュータと楽器をつなぐ規格があり、そのための拡張カードが二万円ぐらいだった。ちなみに今だと二千円以下で買える。

悩んだ私は母親に相談した。シンセサイザーは一応ちゃんとした鍵盤楽器なので、使おうと思えば誰でも使える。前に母親が小さい頃ピアノが習いたくでも習えなかったという話を聞いていたので、ピアノの練習が出来るから出資してくれないかと頼んだら、割とすんなり十万出してくれた。とはいっても、いままでまったく楽器をやってこなかった人間が今からピアノをやるために買うというのはそんなに気軽なものではない。私はお金を手に秋葉原へ向かったが、シンセサイザーを買うと決めずに、ソフトウェア開発環境と天秤に掛けて現地で考えることにした。ソフトウェア開発環境は今だとタダで配布されていたりするが、当時は数万円するのが当たり前だった。こっちを買うとなれば母親からの十万は使えないので、私が親戚からもらったおとしだまから捻出しなければならない。悩んだあげく思い切ってシンセサイザーそれも友人と同じJV-30を買った。あとで「同じもの買うことなかったのに」と友人からあきれられた。今から考えると、データ互換という面では友人と合わせるのは大正解だったが、結局MacintoshとFM TOWNSとの間でデータ互換は当時では無理だった。

長い前置きになったが、これで私はパソコンからシンセサイザーを操って音楽を作れるようになった。シンセサイザーの音は素晴らしかった。特にバイオリンの単音や合奏(音色が分けられている)、コーラス、ドラムスなどが段違いだった。エレキギターの音はショボかった。音数は音色によって若干変わるが同時最大24音まで出た。

▽メロディ軽視

普通の楽器レベルの(と言ったら言い過ぎだが)音色を自在に操れるようになった私は、さらに音楽について独自に研究を続けていった。

コンピュータ臭い機械音が排除されたため、私が作る音楽に何が足りないのかが、よりはっきりした形で分かるようになった。それでもまだまだ分からないことが沢山あった。そこで私は、メロディに頼ることをやめてみた。ちょっと考えてみれば分かるが、口笛を吹くだけで十分音楽は楽しめるので、メロディだけでも十分音楽になっているのだ。あれもこれもと色々足し合わせて音楽を見極めていくより、最低限どこまであれば音楽になるのかを研究していったほうが、音楽の原理を追求するという目的に合っている。

というわけでこの段階の私は、珍妙なメロディに少数編成のシンプルな編曲で曲をいくつも作っていった。おかげで音楽の研究は進んだが、自己満足な作品が多かったと思う。

■MTR

ここでいったんパソコンやシンセサイザーを離れて、アナログな方向での音楽製作について語る。

私の弟がギターを始めた。おおもとのきっかけは、弟の友人が古いベースギターをくれたことだ。いわゆるベースである。ギターが六本の弦を持つのに対して、ベースは四本の太い弦を持つ。こういう楽器は大きければ大きいほど出る音が低い。音の波長が長いほど音が低くなるからである。大きい楽器で高い音を出すことは出来るが、小さい楽器ではどうがんばっても低い音は出せない。ただし大きい楽器は高速で動かすことが難しいため、やはり高い音は出しにくい。

ベースギターだけ渡された弟は、ろくに弾き方が分からないし、地味な楽器なので弾いていてそんなに楽しくないので、そこから音楽を本格的にやろうという風にはならなかった。その後わたしがギターのめちゃめちゃうまい友人を家に呼んで弾いたのをきっかけに、弟は高校に入ってから本格的に軽音楽部に入ってバンドをやるようになった。ちなみに私もその友人とあとでちょっとだけバンドをやったのだが、そのときのことは既に書いて載せてあるのでそちらを読んでほしい。

で、だいぶ話は飛ぶが、そのうち弟も音楽が作りたくなったのか、MTRというものを買った。確かYAMAHAの製品で、4トラックで十万円ぐらいする機器である。詳しい型番は手元にないので分からない。MTRとはマルチトラックレコーダーのことで、トラックごとに別々に録音したものをあとで一緒に出来る装置である。普通の録音装置でたとえばライブを録音すると、マイクのある位置で聞こえるとおりの音がそのまま録音されるのに対して、マルチトラックレコーダーを使うと各楽器の前にそれぞれ取り付けたマイクを別々に録音することができ、あとで音量などを調整して聴くことができる。

マルチトラックレコーダー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC

さてこれを使ってどうやって音楽を作るのかというと、まずドラムスを録音し、次にそのドラムスを聴きながら同時にそれに合わせて別の楽器の演奏を別のトラックに録音していく。ドラムス、ベース、ギター、歌を重ねていくとそのうち曲が出来上がる。ビートルズの初期ぐらいは4トラックでやるこのやり方が一般的だったらしい。

この方式の素晴らしいところは、どこかのトラックを失敗してもそのトラックだけやり直すことが出来ることだ。トラック単位だけでなく、ものによっては部分部分でやりなおせる。そしてなにより一人で出来る。自分で全部の楽器を弾いて歌えば一人で完結する。

しかし欠点がいくつかあって、まずトラック数の多い機器はかなり高価だということ。4トラックで十万円というのはまだかなり安いほうだ。4トラックで済むからこそ、普通の音楽用のテープが記録用として使えた。というのは、普通のテープはステレオ(左右の音が別々に録音されている)で両面(Side AとかB)あるので、チョキンとテープをぶったぎるとそこにそのまま4トラック分が録音再生できるからだ。これだとありきたりな磁気ヘッドを組み合わせた機器で製造できる。ちなみに両面同時に使うので、テープの入れ方を逆にすると逆再生になる。

それから当たり前だが、ちゃんと実際に演奏した音しか録音できない。コンピュータからシンセサイザーを操作すると、人間ではとても演奏できないような超絶技巧フレーズを簡単に演奏させることが出来るが、MTRを使う場合は全部自分で演奏しなければならない。ドラムスを生音で録音するにはスタジオまで行かなければならない。歌を録音するには自分で歌うか誰かに歌ってもらうしかない。

なかなか面白い機器ではあったが、扱いが難しいのか弟もそんなに使い倒してはいなかった。私も何回か遊びで使わせてもらったが、ついにこれで作曲する気力が起きず、後述する友人その2の作った曲を編曲して入れてみたぐらいで終わった。彼の曲は地味にベースが難しかったので大分省略して弾いたらそれを突っ込まれた。やっぱり作った人は自分の曲が隅々まで良く分かっているのだなと思った。ギターは前半を自分が弾き、後半を弟にやってもらったのだが、ギターの腕でだいぶ完成度が違ってくるというのも痛感した。

■友人その2

大学に入った私は、クラスの自己紹介で音楽をやるという人がいたので接近し友達になった。

彼はゲーム音楽が好きな人で、特に前述の古代祐三のファンだった。実のところ私は古代祐三の代表作であるソーサリアンとかY'sとかの世代から外れているのでよく知らなかったのだが、彼が得意としていたプログレは私の大好きなDREAM THEATERと重なるところが多く、実際聞いてみてすぐにファンになった。といってもあんまり聴いてるわけじゃないけど。その友人が作る曲も、いかにもゲーム音楽という感じだった。ちなみに彼はDREAM THEATERを知らなかったので、他の友人から安く入手していたサンプル用のCDを彼にあげたところ、結構気に入ってくれたみたいだった。

彼もまたパソコンを経て当時はKORGのM1というシンセサイザーを使っていた。多分グレード的にはRolandのJV-30とさほど変わらないのだとは思うのだが、彼の曲の入ったテープを聴くとエレキギターの音(の中でディストーションの掛かったもの)がJV-30と比べて非常によく、うらやましく思った。

彼の作る音楽は完成度が高かった。どこかのゲームで使われていても不思議じゃないぐらいだった。あえて言うならオリジナリティの面で弱かった。彼のような友人を得たことで私の音楽製作も切磋琢磨されるかに思えたが、結局何回か交流しただけで終わった。私は彼の曲に何か言う言葉もなかったし、彼からも私の曲に言う言葉もなかった。私は私で彼の曲に面白みみたいなものを感じることが出来なかったし、彼は彼で多分私の曲の完成度の低さを感じていたと思う。

私が彼に言った数少ない言葉の一つが、「君の曲はモダンな感じがする」だった。クラシックがベースだった私と比べて、彼が作る曲は近代的だった。私はどうしたら彼のような近代的な曲が作れるのか色々考えてみた。

▽コードと伴奏と音楽のエッセンス

そこで分かったのは、まずコードが重要なのだということだ。

コードが曲の背骨を決める。コードとは基幹となる複数の音のことだ。基本は三つの音で構成される。ドミソとかレファラとかで、それぞれに記号が割り当てられる。ドミソならCだ。これに四番目や五番目の音が加わると、C7とかのバラエティが生まれる。意図的に中間の音を省くことで緩くしたり、わざと不協和音を入れることで緊張感を高めたりと、コードは非常に奥が深い。

コードについて理解してもらうためにパンクという音楽について説明する。パンクとは、三つのコードだけで構成される音楽だ。基本のコードと、ちょっと盛り上がるところのコードと、一番盛り上がるところのコード、この三種類だけ弾けたら、あとは適当に歌うだけでパンクを好きなように演奏できる。馬鹿音楽と言われるゆえんである(注:そう言ってるのはとりあえず私)。逆にジャズ音楽はかなり複雑なコードを使うが、複雑だから優れているというわけでもない。

コード進行という言葉がある。コードを曲の進行に合わせて変えていくことを言う。よく合唱の教科書の譜面にコードの記号が書いてある。メロディとコードさえあればその曲は演奏できる。コードはただ単純に和音を演奏するだけでもいいし、アルペジオ(分散和音)と言ってコードを構成する音を一つ一つ調子をつけて弾いてもいい。ピアノが弾けるという人は、こういう譜面を見るだけですぐ曲を演奏できる。右手でメロディを弾きながら、左手でコードを弾く。譜面がなくても、知っている曲なら頭に思い浮かべると大体コードが分かるので、ちょっと感覚的に私にはよく分からないがまるで口笛を吹くように簡単に弾けるのだと思う。口笛を吹けない人に説明するのは難しいが、口笛を吹ける人はまるで歌うときのように好きなフレーズを吹ける。

こう考えてほしい。人間は自分たちが出すことの出来る音から、音高と音の重ね合わせを思いついた。世界中にある民族音楽はこのように生まれ、最初は神に捧げるものとして発展した。その中でキリスト教を信じる人々が、偏執的なこだわりにより音階や対位法などを生み出し、神妙な響きを宗教に利用した。音楽には主旋律と副旋律と伴奏があった。時代が進むにつれ、主旋律が中心になり、副旋律は俗に言う「ハモり」として部分部分のアクセントだけで効果的に使われるようになり、伴奏は多種多様なフレーズが徐々にコードに収斂されていった。音楽の音としてのバリエーションは下がる一方だが、人間の頭にとって分かりやすいエッセンスだけが残るようになった。これが音楽の進化だと私は考えている。

私は今でもクラシック音楽が最高の音楽だと思っているが、多くの人々にとっては歌謡曲のほうが良いようである。それは、分かりやすさ、楽しみやすさがあるからだと思う。しかしそれはあくまで相対的なものであって、クラシック音楽でさえ音の可能性を制限した上で成り立っているものである。

▽音楽を流れさせるもの

では、最初の頃に抱いていた疑問に戻って、音楽を流れさせているものとは果たして何なのだろうか。

結論から言うと、パターンの繰り返しである。

短いパターンを連続で繰り返すとテンポの速い曲に感じ、長いパターンを連続で繰り返すとテンポの遅い曲に感じる。これは音の短さとはあまり関係がないように思う。

細かい話になるとそれこそ無数にあるのでここではフォローしきれないし、ぶっちゃけ私は無知なのでよく知らない。一つだけ例を挙げると、シンコペーションというテクニックがあるが、わざと拍をずらした音にアクセントが来るようにすることでスピード感が出る。ピアノでかなり速く聞こえる曲としてショパンの幻想即興曲があるが、三拍子の伴奏に四拍子のメロディを載せることであのようなスピード感が出ている。

もし自分の作った音楽が流れていないなと思ったら、単純なパターンの短いフレーズを繰り返したものを重ねれば良い。それはギターのリフやカッティングだったり、ピアノのアルペジオだったり、ドラムパターンだったり、ベースラインだったりする。逆にメロディラインはなるべくリズムから外したほうが良い。

▽過去の積み重ね

有名な音楽家のインタビュー記事を読むと、よくだれそれに影響を受けたとか、小さい頃にどんな音楽を聴いていたとかいう話が出てくる。音楽に関係なく、あらゆる学問や芸術は積み重ねで成り立っている。何もないところからポッと優れたものが出てくることはない。これは本質的な優劣の問題ではなく、我々のルーツとか感性の問題である。どんなにくだらないものでも、小さい頃になじんだものであれば素晴らしく感じたりする。

音楽にはジャンルがある。本来自由であるはずの音楽に、なぜジャンル分けというものがあるのだろう。それも多分積み重ねなのだと思う。ある一つの様式に従って曲が作られていると、その様式を前提に曲を楽しむことができる。それから、ワルツならダンス、テクノならディスコ、クラシックなら西洋史、レゲエなら貧民窟、などなど映画やテレビでのイメージを想起したりする。

■研究の終わり

以上のようなことを掴んだ気になった私は、音楽製作への熱が急に冷めていった。私の音楽研究は終わったのである。時間を掛ければある程度の曲は作れるなと思ったとき、これまで私を突き動かしていた音楽製作の情熱は消え失せてしまった。

正直なところ、だからといって自分が素晴らしい音楽を作れると心の底から信じているわけではなくて、多分作ってみるとまた色々な問題が見つかって試行錯誤の繰り返しになると思う。それはそれとして、では何のために音楽を作るのか。これまでずっと目を伏せて考えてこなかったことである。よく考えてみると、私には音楽を作って誰かに聴かせたいという欲求がそれほど無かった。というか、音楽を通じて自分がいかに優れているかをアピールすることしか考えていないことに気づいた。

それでも一応他に音楽を作る理由はある。自分が作った曲は、隅々まで知っているため、他人が作った曲より良く聴こえる。自分のために自分の音楽を作り続けるという道もあった。しかし結局面倒なのでやめてしまった。

▽他人のゲームへ曲提供

ネットで知り合った人が作ったゲームに曲を提供したことがある。

そもそもの発端は、私がハードウェアスクロールやスプライトを駆使して初期のドラゴンクエスト風RPGのフィールド画面のデモを作ってそれを他の人を通じてニフティ(インターネットが広まる前にあったパソコン通信の一つ)の人たちに見てもらったことで、それを見たうちの一人が私にメールを送ってきて、その人が製作中のパズルゲームを郵送で受け取った。

そのゲームは、中身としては言っちゃ悪いけどかつてファミリーコンピュータの頃にハドソンから出たバイナリーランドというゲームにそっくりだった。多分私のデモを見て、ハードウェアスクロールはマネできなかったものの、ドットキャラクタを操作するタイプのゲームを思いついて作ったのだと思う。まだステージのデータもあまり出来ていない上に音楽もついていなかったので、確か私の方から協力しようと言った覚えがある。

そこで私はステージのデータと音楽を作り始めたのだが、彼が妙なところで自分のプログラミングを謙遜して、大して時間を掛けていないとか言い出すので、私の方もそんなに手間を掛けて彼に協力していいものかどうか考えた。そんなわけで私は曲のほうは一曲1〜2時間程度で三曲ほど作ってサクッと送った。結果はというと、彼は結局そのうちの一曲しか使わなかった。しかもそれは、私が皮肉を込めて、前述のバイナリーランドでメインテーマとして使われていたエリック・サティのジュー・トゥー・ブーという曲を頭の中で思い出しながら打ち込んだ曲だった。多分私の曲は、良く言えば奇抜すぎたのだと思う。悪く言えば完成度が低かった。彼が一生懸命作ったゲーム(多分)に、手を抜いた曲を送ったのは私が悪かったと思うが、ヘンな謙遜さえしてくれなかったら私も全力で書いただろう。

ついでに、前述した私が作ったフィールド画面のデモは、それから人を集めてRPGを作ろうと思って、その一環としてKORGのM1持ちの友人その2に曲を書いてくれと頼んで一曲だけ書いてもらったが、シンセサイザー用の曲をFM TOWNSで再現するのに予想外の手間が掛かってしまい、こういうことに手間を掛けると全体に手が回らなくなってしまうので、適度に切り上げて友人その2に聴かせたところ、ちょっとガッカリしていたように思う。続けて他の曲を書いてもらう予定だったが、それっきりになってしまった。まあ私としては自分のためというほかに彼が何かテーマに従って曲を作るきっかけにもなってくれればいいとも思っていた。当時は音楽を再生するためのドライバからPCMの音色ファイルまで作らなければならず、非常に大変だった。いまだとそのままmp3で再生するだけで良さそうなので楽でいい。

■DAW

では今、音楽製作はどうなっているのだろうか。私はもはや現役ではないので最近の事情には疎い。それでも調べて分かったことがあるので、最後にそれをまとめて終わりにしたい。

コンピュータで音楽を製作することを従来はDTMつまりデスクトップミュージックと呼んでいたが、最近ではDAWつまりデジタルオーディオワークステーションと呼んでいるらしい。

DAW - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/DAW

デスクトップミュージック - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%83%E3%82%AF

要はシンセサイザーとシーケンサとサンプラーとMTRを組み合わせたものと考えれば良い。電子楽器を制御するのに加え、マルチトラックでハードディスクに録音出来る。つまり、ざっくりシンセサイザーで曲を作ったあとで、生楽器が欲しい部分に好きなだけ演奏して追加できる。最近のパソコンの能力は素晴らしく、かつては高価な業務用システムを使うしかなかった数十トラックのレコーディングがたった一台で出来る。それもかなり高音質なデジタル録音でである。さすがにそれでもまだ本当に良い機材は十万以上するのだが、音質が過度に気になるのでなければ、そのへんのノートパソコンでも出来る。私の職場でオリジナル曲をやっているバンドで活動している人がいるのだが、彼はVictorの小さいノートパソコンにその手のソフトを入れてスタジオに持っていって使っていたらしい。

この手のソフトは普通に買うと数万円ぐらいするので、サウンドデバイスのおまけについてくるソフトから始めるのが良いと思う。私はこの手の情報にあまり詳しくはないが、ネットで調べてみて以下の製品がいいなと思って試しに買って遊んでみた。

Creative Professional E-MU 0404 Second Edition
http://jp.creative.com/products/product.asp?category=237&subcategory=239&product=10447

24bit/192khzのサウンドカードにMIDIインタフェース、それにDAWソフトが何種類かと波形編集ソフトやソフトウェアシンセサイザー、エレキギターのマルチエフェクタとして使えるソフトなどがついて、たった9,800円である。ただし DirectSoundに対応していないため、ゲームでの音が変になる可能性がある。事実私の環境ではファイナルファンタジー11で音の一部が出なかった。

いまから音楽を始める人は本当に幸せだなと思うが、それは私の勝手な思い込みだろう。確かに技術は進歩し、色々なことが楽に出来るようになったが、かえって音楽を作ることの敷居は上がっているとも言える。昔は音数が少なくてもハードウェアの制限だという理由があったのでごまかせたが、今ではそれは理由にならない。それに、鍵盤による入力や実楽器からの録音が当たり前になったことで、なんらかの楽器の技能が必須になった。まあそんな技能なんてなくても、シーケンサソフトには譜面入力やらマウスでの入力が出来るので不自由はしないが、楽器が出来る人と同じ場所で勝負するのは大変だと思う。とはいっても楽器をある程度練習するぐらいなら才能なんて要らないしそんなに努力しなくても良い。人生の楽しみだと思ってやってみると良いだろう。


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