144. 人の心を読む方法 (2006/10/11)


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最近人の心が読めるようになった。うそ。

■自己視点をやめる

人の心を読むための材料は意外に多く転がっているものだ。しかし若いときはなかなかそれに気づかない。たとえば誰かがあなたにこう言ったとする。

「おまえってほんと勝手だよな」

こう言われるとすぐさま反論したくなる。大抵の人は、自分が何か悪いことを言われると、まず自分に焦点が向く。自分を守ろうとしたり、どうせ自分はそうなんだとふさぎこんでしまう。そんなうちは人の心なんて読めない。

こういうときこそ、相手について考えるのだ。相手はなぜあなたにそんなことを言ったのか。

まずはっきりした事実から考えてみよう。相手は、あなたのことを、勝手だと思っている。思っているだけでなく、それをあえてあなたに向けて言った。思う思わないは実のところ分からないが、おおむねそう考えて良いだろう。

勝手、という言葉は色々意味があって難しいが、いくつかの可能性について考えることが出来る。二者間に勝手という言葉が使われるということは、片方が片方を振り回しているか、少なくとも片方が片方に振り回されていると思っている。さらには、振り回されても我慢していることになる。これはある種の強弱関係だ。しかし逆に、人間的に寛容な方が勝手を認めてやっているという上下関係でもある。

なんにせよ、ポロッと出た愚痴から相手の考えていることが丸分かりになることがあるのだ。それを、なにやら自分に文句を言っているな、と自己中心的な視点に凝り固まると、もう相手のことが目に入らなくなる。下手をしたら自省の罠にハマる。

■投影・快感・思い込み

もっと分かりやすい例を挙げよう。

「君の○○なところが羨ましい」

これを聞いて「そんなー。これでも色々苦労してるんだよ」と釈明するようでは人の心は読めない。ここですかさず相手に焦点を当てる。すると、おおげさだが相手の世界観がつかめる。○○が「能天気」だったら、相手は世の中について深く考えすぎているのではないかと想像できる。あるいは彼は、能天気なのがとても良いことだと認めた上で、どうしても能天気になれない問題を抱えているのかもしれない。要は、相手が自分や他人に投影してくるものを掴むのだ。

「なんでも一人で出来ないとダメだ」

そんなことを言うような人は、かつて自分がなんにも出来ない人間でそれを克服したことに自信を持っているか、経済的・家庭的・時代的な理由で一人で全部やらなければならなかったから普通の人が羨ましいだけの可能性が高い。あるいは、単に相手を見下すことで自分の優位を確認しようとしているだけだったり、相手のためになることを言っているつもりになって自己陶酔しているという線も考えられる。まあそこまで大げさに考えなくてもいいが、人がわざわざ思ったことを口にするにはそれなりの理由があり、わざわざ口にするからにはある程度以上の快感が得られるからだ。

「人間気配りが大切です」

暗に自分に気を配れと言っている。常々自分が損をしていると思っているからこういうことを言うのだろうか。世の中の多くの人々が自分勝手に生きていると思っている。世の中が自分の思い通りにならないと思っている。みんながちょっとずつ気を配れば全員が幸せになれると思っている。気を配ることや配られることを苦に思わない。自分の考えが正しいと思っている。などなど。

■アクティブソナー

相手の言葉を受けるだけでなく、切り返すとさらに良い。ただ切り返すだけでなく、相手が食いつきそうなことを考えて試しに言ってみる。相手を喜ばせるようなことを言うとその後の人間関係のためにも良いが、喜んでいるかどうかというのは意外に分かりにくい。やはり一番分かりやすいのは相手を怒らせることだろう。でなければ、執着させるようなことが良い。話が続くかどうかで判断できるからだ。なんにせよ、人の心を読むという観察行為が、相手の心に影響を与えてしまうことに注意しなければならない。

素直に相手に訊くというのもいい方法だ。当たり前すぎるけど、意外とこの方法が取られないことが多い。あなたがこれまでに友達や周りの人にどんなことを訊いただろうか。意外に大して質問していないのではないだろうか。改まって質問すると答えるほうも気後れしてしまうかもしれない。そんなときは、まず自分の考えから述べる。すると、その考えに反対であれば相手は反対してくるだろうし、賛成のときは肯定の返事ぐらいは返ってくるだろう。

■人の心を読んでどうする

人の心を読む技法について説明してきたが、これは口喧嘩にも応用できる。相手が自分に対して何か言ってきたら、素直に受け答えしていては防戦一方だ。可能な限り相手に焦点を当てるように持って行くのが良い。質問の形で言われたら、逆に質問し返す。

ただ、いくら人の心が読めても、そんな人間はつまらないだろうなと思う。ちょっとからかっていじったら本気で怒るぐらいの人のほうがかわいげがあるというものだ。真顔で問い返されたらどうだろう。だからあんまり露骨にやらずに、ポイントを絞って仕掛けてみるのが良いと思う。というか、そもそもそんな風に考えてしまう時点で、自分という人間が好きになれるのだろうか。自己中心的でいいから、人の心なんて読めなくてもいいから、いつまでもかわいい自分と付き合っていくほうが幸せなのではないだろうか。

ただ、そうさせてくれないのが大人の世界だ。そんな世の中に傷ついた先人たちが、新人たちをてぐすね引いて待っている。世の中が詰まらないのも道理だ。

さて、私はどんなことを考えているか、あなたに分かるだろうか。


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gomi@din.or.jp