141. 涼宮ハルヒの憂鬱 適当なネタバレ分析 (2006/7/20)


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今回は、最近鑑賞した小説・アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズについて、ネタバレありありで色々考えたことについて書きたい。この作品についての解説はここでは省くので、この作品について知りたい人はインターネットなどで検索してみるか、別の場所に私が書いた以下の文章を読んでいただきたい。

涼宮ハルヒの憂鬱 憤慨までとアニメ版
http://manuke.com/review/view.php?f_revid=1197

■長門有希の感情

長門有希がどういう風に考えているのかということについて、作品では主人公を含めた何人かの登場人物によって語られているが、それらは非常にまちまちなので本当のところどうなっているのかよく分からない。そもそも、人の意志なんて真実というものがあるのかすら分からず、観測主体によって見え方が異なるだけでなくその本質すら存在が危ぶまれるという、そんな作者の量子論的な考え方を描く対象となっているのが長門有希なのだ。他の登場人物を対象としても良かったと思うのだが、作者は長門有希を選んだことで読者に分かりやすい形で語っている。

以上のことを一番分かりやすく描写しているのが、朝比奈みくるが長門有希の感情を想像している部分である。朝比奈みくるは長門有希と一緒にいると不安になると言い、そしてそれは長門有希も自分に対して同様のことを思っているだろうと言っている。そんな朝比奈みくるの告白を主人公が聞き、冷静に受け止めている。主人公は主人公で別の想像を長門有希にしているのだ。

人間の意志なんて本当にどうなっているのかよく分からない。自分の意志がどうかすら分からないのが人間である。

さて、長門有希本人がどう考えているのかというと、それは「編集長★一直線!」で長門有希の書いた謎の作品群から強引に読み取れる。長門有希が書いたとされる「無題2」という文章の中に、自分は見るだけの存在だという表現が出てくる。この文章自体非常に意味不明だが、長門有希は見るという行為でしか自意識を持っていないのだと少なくとも自分では思っている。

ところが長門有希が自分の意志を持っているかのように振舞っている箇所が少なくとも二つある。一つは、一作目「涼宮ハルヒの憂鬱」の最後で主人公がハルヒの作り出した空間に移されたときに、パソコンを通じて主人公に対して「わたしという個体もあなたには戻ってきて欲しいと感じている」「また図書館に」と言っているところだ。ただしこの場面では、主人公に世界を守らせるために必要な操作を行っているだけと言うことも出来る。

二つ目は、「涼宮ハルヒの消失」で世界とそして自分をも変えてしまった長門有希が、主人公に対してぶつける好意の数々だ。これを長門有希は自分でバグだと言っている。ノイズがたまってきてバグを引き起こしてしまったと。この設定を読むと、もう疑いようもなく長門有希には感情があるのだと思ってしまう。しかし本当にそうだろうか。

意志と結果は密接に結びついている。だから、誰かのために何かをしたという結果により、意志が発生すると言える。また、結果というのは次の結果をもたらしやすくなる。という論理により、主人公キョンの頼みを聞いているうちに長門有希は意志を持ったという結論に導くことが出来るのではないかと私は思う。が、作者による説明がなにもないので今のところよく分からない。

作者のことだから、きっと何か読者にそれとなく語ってくれるに違いないと思う。それに、あまり現実的なことを考えてもしょうがない。エンターテイメントを優先していくらでも書きようがある。

■涼宮ハルヒにとっての朝比奈みくる

涼宮ハルヒの主人公への恋愛感情はかなり微妙な描かれ方をしており、そのあたりが私にとっては非常に好ましく思っている。現実の恋愛感情はこんなものではないかと思う。作者は読者に十分なほのめかしを行っているので、それをここではあえて一々取り上げたりはしない。そこでまず私は、朝比奈みくるのありようを引き合いに出して、作者がそれほど明確には描いていない点について説明したいと思う。

涼宮ハルヒがなぜ朝比奈みくるを連れてきたかというと、そりゃ未来人だからだろうということになるが、なぜ朝比奈みくるのようなキャラを持った未来人を連れてきたのかというのがここでは重要となる。どんな未来人でも良かったのではなく、涼宮ハルヒにとって朝比奈みくるのキャラはいくつかの点で必然だったからだ。それは、

そもそもSOS団なるものが、主人公キョンと自分とをつなぎとめる手段として作り出されたと考えるべきだろう。さすがにそれだけが目的というわけではないだろうが、結果的にSOS団の設立によって主人公キョンが毎日放課後に部室を訪れるようになり、一緒にいる必然が生まれた。そして、こんな不可解なグループに主人公キョンを引き止めるために、朝比奈みくるのような人物が必要だったと考えるべきではないだろうか。

ところがそうなってくると主人公キョンが朝比奈みくるを好きになってしまう可能性が出てきてしまう。涼宮ハルヒは自信家だが、ことここについては自信がない。その結果、ふとしたことで主人公キョンが朝比奈みくるとじゃれているところを見て、世界を作り変えようとしてしまうほど絶望(?)してしまうのが、第一作「涼宮ハルヒの憂鬱」の感動的なラストにつながる。

涼宮ハルヒが漠然と考えていたシナリオはこうだろう。SOS団の三人の女の子の中から、主人公キョンが自分と一緒にいることを望むようになる。ここまでなら自分の心と折り合いがつくのだ。主人公キョンが勝手に自分に惚れた、いや好意を持つようになった、という状況を願っていたのだと思う。しかし、第一回不思議探索ツアーのときに、涼宮ハルヒはクジで主人公キョンが自分以外の女の子とペアになってしまった。クジに関しては、「…の陰謀」で長門有希がクジを操作できていたので、涼宮ハルヒはクジについてそんなに強い意志は持っていなかったのだろう。そして、不本意ながら主人公キョンの反応を見た。その結果は、自分が望んだものとは違っていた。主人公キョンがちょっとは残念そうなそぶりを見せたら一番良かったのだろう。

■朝比奈みくると主人公キョン

朝比奈みくるは主人公キョンが好きだと思う。それはいくつかの理由に裏付けられる。

まず物語の構造的に、三人の主要女の子キャラが三人とも主人公キョンに対して好意を持っているべきというお約束のようなものからして言える。理由になっていないだろうか。

朝比奈みくる(大)が初めて主人公キョンと出会ったときに、朝比奈みくる(大)は主人公キョンに抱きついた。バレンタインデーのときに、朝比奈みくるの主人公キョンへのチョコレートは、涼宮ハルヒによって表の文字が「義理」と書かれることになったが、言い訳の手紙が添付されていた。

ただ、少し反証もある。朝比奈みくるが主人公キョンに対して、譲れない点において上級生ぶったことが一回あった。でもこれはそんなに大した反証ではないな。

■長門有希の無機質の謎

長門有希はわざと無機質に作られている。それは同じ端末である朝倉涼子の性格と比べて明らかであり、作者が語っているところでもある。なぜ長門有希は無機質に出来ているのだろうか。

私の推測では、長門有希は涼宮ハルヒの近くに置くインタフェースなので、涼宮ハルヒやその周辺にあまり大きな影響を持たせたくなかった情報統合思念体の意志によるものだろう。

だが、それだけではないのではないかという誰か忘れたが登場人物の推測が伏線のように描かれているため、今後なにか別の事実が語られるのかもしれない。

物語の進行的に、長門有希のナレーションのような語り口があったほうが便利だという理由もありそうだ。

■タイムパラドックスの描かれ方

この作品には時間移動の描写が結構出てくる。過去に行って何かをしてくることになるので、いわゆるタイムパラドックスの問題が出てくる。つまり、過去の世界に行ってめったなことをしてしまうと未来の世界が変わってしまうというやつだ。

正直私はこの問題に大した興味は無いし、これまでのSF作品が積み上げてきたこの手の理論に疎いので、大したことを語ることは出来ない。ただ言えるのは、本作は割とゆるくまとめてあるのではないかということだ。あんまり世界を変えるようなことをすると、未来がパラレルワールドつまり分岐してそれぞれの世界として成り立ってしまい、元の世界に戻れなくなる。

高速道路の立体交差を例に挙げ、上から見下ろすと一つの点でも、時間の流れからすると二つの流れが一点で加わっているだとか、おそらくこの手の作品でメジャーに語られる説明がされている。

主人公キョンが、三年前の涼宮ハルヒを訪れ、宇宙人との交信のための地上絵を描くのを手伝ったり、SOS団の命名の元となることを言ったりするが、作者のこの過去の扱い方には私としては非常に能天気なものを感じてあまり好きになれない。でも楽しんでいる人も結構いそうだから目をつむる。

■涼宮ハルヒにとっての長門有希

ちょっと作品の収録順が時系列でないために混乱したが、主人公キョンが長門有希に対してプロポーズをしたかのように見える手紙を涼宮ハルヒが見て激怒してから(このシーンのために短編が作られたかに思える)、冬合宿で涼宮ハルヒが突然主人公に長門有希と何かあったのかと聞くシーンがあり、その後の謎の館で長門有希が倒れたときにうわごとのようにつぶやいた言葉を涼宮ハルヒが「キョン」と言ったかのように聞き、涼宮ハルヒが主人公キョンに対して長門有希のところに行ってやれとはっぱを掛けるシーンがある。

これらのことがあったにも関わらず、古泉の手をわずらわせる閉鎖空間が生み出されなかったのは、既に涼宮ハルヒの精神が安定しているせいだろう。主人公キョンが長門有希よりも自分に好意を持っていると思っているのだろうか。

■涼宮ハルヒの主人公キョンへの好意

多分いくつもあって挙げきれないと思うが、涼宮ハルヒはこれまでに何度も主人公キョンへの微妙な好意の表現をしている。

一番大きいのは、「…の消失」で入院した主人公キョンのそばを片時も離れず寝袋に入っていたことだろうか。団員を気遣うという名目はあったにせよ、これが一番大きいように思える。

次に大きいのは、「…の憂鬱」の最後に世界を再作成するのをやめてから主人公キョンの言葉に従うように一時的にポニーテールにしたことだろうか。その後、「…の溜息」で、主人公キョンから厳しいことを言われて落ち込んでいるときに、ひそかにポニーテールのようなものを作っていた。また、朝比奈みくるの髪をポニーテールにしようとして、主人公キョンを一瞥し取りやめていた。

閉鎖空間を作り出すきっかけとして、主人公キョンが朝比奈みくるなどと仲良くしすぎているのを目撃したあとというのが二三度あった。世界の再作成をやめたのは主人公キョンのキスによる。

バレンタインデーに主人公キョンに「チョコレート」という文字の入ったチョコをあげるというのも照れと考えられる。

よく覚えていないが、主人公の主張に何度か妥協した。

主人公キョンの勉強を見てあげようかと持ちかけた。

主人公キョンの宿題を助けるという名目でSOS団総出で彼の家に行くために夏休み最後の二週間を約一万五千回もループさせた。つまり、涼宮ハルヒにとって主人公キョンの家を訪問することが夏休みに絶対に必要なことだった。ちなみに涼宮ハルヒは訪問しただけで結局ろくに宿題を手伝わずに主人公の妹と遊んでいただけだったが、そこまでで満足したものと思われる。

ミステリー探索ツアーのときに主人公キョンと一緒になれず不機嫌だった。

男をジャガイモとしか思わず目の前で着替えを始めるほどだが、主人公キョンと喧嘩をしている最中に、着替えるから出て行けと言った。いらだたしげに不自然にバニーに着替えた。

席替えのクジで主人公キョンを自分の前の席に置いた。

主人公キョンに自分が感じてきた人生の不満を語った。人に弱みを見せるというのはよほどのことでない限りできないものだ。ところでこのときの涼宮ハルヒの言葉には私は大いに共感する。文学的だ。それと、気の強い女の子が突如見せる弱みに引き込まれる。

■主人公キョンの涼宮ハルヒへの好意

この作品シリーズはいまのところ、主人公キョンの一人称視点で語られるため、普通に読んでいるとなかなか主人公キョンの好意が読み取れない。

まず「…の憂鬱」で主人公キョンが涼宮ハルヒにキスをするシーン。むりやりキスをしたわけだから、殴られてもいいような気分だった、との独白がある。そのあと、しばらく離したくないね、と続けた。

だがそれ以降まったく何もしていない。

主人公キョンには脇役願望がある。主役を忌避しているのだ。

主人公キョンは、涼宮ハルヒが自分に好意を持っていることを少なくとも頭では知っている。それは古泉の口からも頻繁に語られる。

涼宮ハルヒがSOS団とその団員を守ろうとする意志によって主人公キョンへの好意も見せているのに対して、主人公キョンはSOS団のまったりした日常を愛しているというところまでは語っている。

第一作「…の憂鬱」と、長門有希が暴走する「…の消失」その他随所に出てくる恋愛感情的な部分を除くと、この作品は実は恋愛小説というよりは友情小説なのではないかと思えてくる。恐らく今後主人公キョンや涼宮ハルヒが愛の告白をすることはないだろう。じゃなかったら作品が成り立たなくなってしまいそうだ。所々でさりげない好意がちりばめられているからにんまりとしてしまうのだ。先に挙げた二作品に共通するのは、恋愛感情の吐露が異空間や虚構で行われていることだ。今後また別の異空間や虚構の中でこのような描写が行われる可能性は高いと見る。

■各勢力の利害

涼宮ハルヒをめぐる勢力の利害をまとめる。

情報統合思念体
・涼宮ハルヒの現実を作り変える能力から自律進化のヒントを得る。

未来人
・涼宮ハルヒの能力が発現した三年前よりも過去に遡れない理由を知ること。

古泉の『組織』
・涼宮ハルヒを落ち着かせること。

そこで考えてみると、情報統合思念体を除いて、涼宮ハルヒの能力がなくなれば良いと考えていることが分かる。情報統合思念体は、穏健派も急進派も涼宮ハルヒの能力が無くなったら困る。未来人の目的は微妙だが、今のところ涼宮ハルヒの能力を利用しようとしている勢力についての描写はない。

今後の展開についていの予想としては、涼宮ハルヒは徐々に力を失ってきていることになっているので、情報統合思念体の急進派が敵になる可能性が高いように思っていたが、作者は新たな勢力を登場させてきた。冬合宿で出てきた宇宙の別の勢力や、「…の陰謀」で出てきた別の未来人の勢力、それに古泉の『組織』に敵対する組織が考えられる。

■私がこの作品を好きな理由

私がこの作品を好きな理由は、ほとんど九割以上が、大方のファンと恐らく同じように、ヒロイン涼宮ハルヒのキャラクターによる。一言で表せばツンデレだ。しかし普通のツンデレと違うのは、はっきりと「好き」とか言わないことだ。この微妙な感じが私のストライクゾーンに決まった。

なぜそうなのかというと、現実の体験とリンクしているからだと思う。たとえば私たちは、ファーストフードの店員の女の子がニッコリ笑ってくれただけで、その気になればいくらでも勘違いできるのである。たとえばクラスの異性が、同僚が、何かのきまぐれでとった行為をである。それに自分だって身近な異性に対してそれなりの光線を送っているはずなのだ。そういう相手のほとんどは、自分に対して「好き」だとかの言葉は言わないだろうが、有形無形の好意らしきものならばいくらでも汲み取れる。つまり想像力さえあれば楽しめるわけだ。ちょっと悲しくはあるがそういうことなのだと思う。

あと私に限った話をすれば、以前ここにも書いたことだが、かつて中学生のころ私が席替えのクジを作ってクラス全員に引いてもらったとき、陸上部で一緒だった女の子がクジを引くなり私にヘッドロックを掛けて廊下まで引きずっていき文句を言ってきて以来ちょっと気になっていたというツンツン好み原体験があるため、涼宮ハルヒが主人公キョンのネクタイや袖や襟を引っつかんで強引に連れて行くと自動的に甘い思い出が想起されるのかもしれない。

主人公にも感情移入しやすい。常識人で突っ込み役で、自分からは大したことをしていないのに巻き込まれていくところ。知らず知らずのうちにキーマンになっていること。

学園モノ。それだけで素晴らしい。もし夢が一つかなうなら、魅力的な異性や同性の仲間たちと、充実した学生生活をもう一度送ってみたい。…また定期テストや受験勉強をするのはごめんだが。

ちょっとハルヒが万能に描かれすぎている。スポーツ万能で学力もそこそこ高い。オイラーの方程式をぱっと言い当てるところ。こういうところはたぶん受け入れられない人にとってはなにこれって思うところだと思う。こういうのがオタクにとってはキャラ萌えになるのだろう。

■おまけ

ライブアライブという短編があり、涼宮ハルヒが急遽軽音楽部のバンドのヘルプをするというエピソードなのだが、あとになって思い出したことがある。昔、私の弟の文化祭に行ったときのことだ。彼のバンドが何かやるというので音楽室に見に行った。驚いた。私は何故かその光景を冷静に受け止めていたが、理性的に考えるとこれはすごいことなのだなと漠然と考えた。いや単に弟がギターを弾きまくっていただけの話なのだが、妙に決まっていた。途中で上半身裸になって、まるでブルースリーのようなたたずまいで、80年代のギターヒーローのように技巧的なプレイをしていた。そしてまったく聞かされていなかったことに、私の大好きなDREAM THEATERというバンドの出世作Pull Me Underを、かなりぐちゃぐちゃになりながらもコピーしていた。ボーカルはいなかった。あのキーボードとベースとドラムと弟のギターはさすがに難曲ゆえにへったくそだったが、よくまあ演奏できたと思う。かなり感心した。バンドの回のときに書けばよかったのだが、当時は気持ちの整理がついていなかったのだと思う。
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gomi@din.or.jp