138. 100kmの彼方に別れた友人 (2005/11/4)


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「ハチミツとクローバー」というマンガ作品で、就職活動などで自分を見失い、自転車で「自分探し」の旅をする青年が出てくる。私はさすがにそんなことはやったことないが、自転車で遠距離を走破してみたいと思ったことがあり、学生時代に実際にやってみたことがある。中学時代の友人と二人で、東京の小金井から茨城の筑波までを一晩で走ったのだ。

*

たった一泊二日の出来事なので、大した事件も起きなかった。既に以前同じ道を走ったことのある友人Kが先導した。当日は朝早く起きて出発した。

何故筑波なのかというと、彼の大学が筑波にあって、彼は当時筑波に家を借りて住んでいたからだ。彼には年の離れた姉が二人いて、二人とも筑波大学に入っていた。彼はどうやら筑波大学に入れるほどの学力は無かったようだが、新設の小さな私立大学を選んでわざわざ筑波に行ったのは、姉の影響が大きいと考えざるをえない。たとえ事実は違っても誰もがそう思うだろう。

大きな道路を選んで通っていった。ほとんどの行程で信号待ちが鬱陶しかった。さすがに首都圏だけあって、なかなかマンガみたいにはいかないものだ。食事だってファミレスだし、喉が渇いたら缶ジュースを飲む。せいぜい半日なのでお金は十分にある。食費を削ったり寝床の心配をしたりすることもない。

彼から自転車のこぎ方を教わった。彼が言うには、自転車をこぐのは「硬い」運動なのだそうだ。ペダルをこぐのに、ギアは重めにするので、足を回すというよりは力を使ってピストン運動するという感じだ。それも二通りあって、かかとを使うこぎかたと、足の先っぽを使ってこぐやり方があって、それを交互にやっていくとそれほど疲労せずに済むらしい。

途中危ない道があって、車道を恐る恐る走ったりした。いま漠然と思うのは、あれは学生だから走れたのであって、今だってそりゃ走ろうと思えば走れるのだろうが、今はわざわざ危ないところを走ろうとは思わないだろう。というかそんなことを言ってしまえば今なら自転車で遠くに行こうとすら思わないだろう。

Kは中学で同じクラスだったころクラスで一番のムードメーカーで、クラスみんなからいじられ、先生からも気に入られていた。読書家で色んな本を読んでいてしかも読むのが早かった。国語の成績はかなり良かったが、他の教科はそれほどでもなく、私がわざわざ家の近所にあるからとグレードを落として進学した都立よりちょうど一つ下の都立高に進学した。

彼は私の知り合いの中で一番ファンタジー系に染まっていた人だった。アニメオタクではなかったが、ロードス島戦記などのファンタジーものに深く傾倒し、仲間内でテーブルトークRPGを始めたときに一番中心にいた。しかし高校も半ばになるとすっぱりとそれ系から足を洗い、大学ではついにサークルや合コンに明け暮れるようになったという。その変化があまりに急で、彼自身かつてのファンタジー系が好きだった彼自身を否定し、当時一緒に遊んでいた私にも否定の矛先が向いた。その頃の私もやはりテーブルトークRPGはやめていたが、ただ熱が冷めたからやめただけで、否定する気になれなかった。何故彼が急に「軽いもの」に魅かれ、彼の言葉で言うところの「更生」したのか、私はなんとなく察してはいたがあまり考えたくなかった。

100km以上の道のりを走り続けた先に、彼の住むアパートがあった。学生の一人暮らしのアパートなのだから知れている。確か夏だっただろうか。アパートに面した駐車場に生えた草から蒸した匂いがした。玄関を開けるとすぐにユニットバスのドアがあり、その先に六畳間が二つあった覚えがある。片方が居間で片方が寝室だった。そこが、彼の「更生」した棲家だった。

まずトイレに行きたいと私は彼に言った。ところがその時点で気づいたのだが、なんと彼の家の水道は止められていた。彼は私にふざけて悪びれず口だけで謝った。私はとても腹が立った。仕方なくどうするのか待つと、なんと近くにある大学の水道から水を汲んで持ってくるという。彼の通う新設大学はかなり近くにあり、歩いてすぐのところだった。その新設大学はコンクリート打ちっぱなしのやたら小奇麗な、まるで高校のような大きさの佇まいだった。夏休みで人のいない構内に恐る恐る侵入した私たちは、彼の家から持ってきたバケツに水を入れ、またおっちらおっちらと家に戻った。そのあいだ、彼の学生生活についての話を聞いた。

彼はバドミントンのサークルに入っているという。サークルだから遊びだ。私の仲間内でも、大学受験前の一時期、みんなで定期的に集まって公民館でバドミントンをしていた頃があった。遊びのはずがハマってしまい、ついにはそれぞれカーボンのラケットに羽根まで買い揃えて本気になっていた。その頃の楽しい思い出があったからか、それとも単にまたバドミントンをやりたくなったのか。私たちは男だけでやっていたが、彼が入った(立ち上げた?なにせ新設校なので)サークルには男女いて仲良く遊んだらしい。

彼はもともと中学の頃から女の子とも普通に仲良くしていたし、何をいまさら急に転向したかのように楽しく話すのかよく分からなかった。高校の頃だって私は知らないが文化祭とかをかなり熱心にやっていたようだ。彼の変化は露骨でそして不愉快だった。女の子と話していると生理かどうか分かるようになった、と嬉々として話す。多分それを聞いて不愉快になるのは私の側にも何かあるに違いないのだが、それ以上に彼の中に起きた何かがそうさせたのだと思う。

その後、私たち二人の自転車ルートとは別に、電車だか車だったかでやってきてWらが合流した。確か四人ぐらいいたと思うのだがあと一人は誰だか忘れた。またもう一度学校に行ったりしているうちに夜になった。彼の家ではなぜかとても暇だった。四人いたら麻雀もトランプも出来たろうし、それ以上に会話だって弾んだはずだ。それなのに記憶に残っているのは、積み上げられていた「あしたの一歩」というマンガを読んだ記憶だけだ。

トイレの不便さと、家の周りに何も遊ぶところがないことで、私はとてもイライラしていた。さて寝ようということで、彼の用意してくれた寝床に潜り込んだのだが、どうにも寝付けない。いごこちも悪い。ついに耐えられなくなり、午前三時頃に私は彼の家を出た。彼は一応一度だけ引き止めたが、私は落ち着いた声でただ「帰る」と告げた。

また100kmの道のりを自転車で帰ることを考えると気は軽くはなかったが、不思議とあまり大したこととは考えなかった。わざわざ苦労して来たのに一泊もせずに帰ることをもったいないとも思わなかった。よく考えたらちょっと観光してから帰ればよかったのだが、そんなことをこれっぽっちも考えなかった。

当時のKは、私の仲間内では特にTと仲が良かった。Tもまた「更生」したと自認していた。Kは一度はTのことを毛嫌いし、仲間内からTを外すべきだと私に言ってきたこともあったのに、不思議とその後仲良くなったらしい。Tもまたサークルや合コンの世界に魅かれていき、就職もアパレルがいいと言って本当にアパレルに就職していった。しまいにはどこでどうやって知り合ったのか、どっかの女子高生と仲良くなって結婚したとの話を聞いた。彼から披露宴の招待状が届いたが、とても行く気にはなれなかった。

私がKとTと距離を置くようになってからも、私の弟がそれからしばらく彼らの飲みの誘いに乗って付き合いを続けた。彼らが私の家に来ても、彼らは私の客ではなく弟の客ということにして、私は私で好きなことをしながら横で会話を聞くという関係が続いた。

私が彼らの何を気に食わなかったのかというと、彼らが私を否定し一段上から見下していたと思ったからだ。お前も早く「更生」しろと言わんばかりの物言いに、私は怒りといった感情ではなく、もう彼らとは関係を続けられないなという覚めた感情を抱くようになっていった。

Kは多分あれから、大学の仲間にこんな冗談を言ったに違いない。「このまえ中学んときの友達を呼んだんだけどさ、オレ水道止められててそいつにトイレの水を運ばせちゃったよ」そんな想像をしてますます私は腹を立てた。

*

私は小学生の頃を最大として、進学するにつれて友達の数が少なくなっていった。社会人の今は、プライベートで遊ぶ友達が一人もいない。私の中では答えは決まっている。付き合うにふさわしい人がいないからだと。でも本当にそうなのだろうかと時々不安になる。それに私は今は友達などという面倒臭いものはいらないとさえ思う。職場で仲のいい人と時々会話すれば足る。貴重な時間を他人のために使うなんてもったいない。そんな風にさえ思う。本を手に取ればいくらでも魅力的な人と出会えるのに、どうして現実にはこれといって魅力的な人がいないのだろう。

私ととても趣味のあう友人Wとも、ここ数年会っていない。彼の書くブログを時々見るだけだ。彼がこんなにサッカー好きとは思わなかった。そんなことはどうでもいいか。会って話してどうというわけでもない。今はそんな風にしか思えない。その割に、友達同士仲良くしている人たちを見ると、自分を省みてすごく寂しい気持ちになることがある。

人と人との関係である以上、親しくなることがあれば喧嘩別れすることもあると思う。ただ、あまりそういうことは物語として描かれないように思う。真正面から対立しあうようになって戦うだとか、一人の異性を取り合い泥沼の喧嘩になるという話はよく出てくるが、あるきっかけや変化により関係が切れるというようなテーマはあまり語られないのではないか。別れそうになっても結局元に戻る話ならいくらでもあるのだが。少年誌でそれをやってくれそうだった「ワンピース」でも、結局仲が戻りそうだしなぁ。仲間を扱っている作品である以上、完全に決別してしまう仲間も用意してほしいと思う。


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gomi@din.or.jp