137. マリア様がみてる ネタバレ書評スペシャル (2005/10/30)


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今回は、「マリア様がみてる」という作品を既に鑑賞した人を対象に、私が好き勝手に思う存分に書評しまくる。まだ鑑賞したことのない人のために作品を解説したり、ネタバレがどうのと避けて話をしたりなんていった配慮は一切しない。もし「マリア様がみてる」について知りたいという人がいたら、インターネットでいくらでも紹介記事が見つかるだろうし、私自身が解説した文章も以下にあるので、それらを参照していただきたい。

マリア様がみてる(アニメ)
http://manuke.com/review/view.php?f_revid=1121

マリア様がみてる(小説)
http://manuke.com/review/view.php?f_revid=1131

■マリア様がみてる

シリーズ一冊目。ただし一番最初に書かれた作品ではない。作者は最初に書いた「銀杏の中の桜」から半年余り遡った時点から改めてシリーズをスタートさせたのだそうだ。

この作品では、主人公である福沢祐巳が、先輩の小笠原祥子さまと姉妹(スール)の関係を結ぶにいたるまでに展開を描いている。本作で一番重要なテーマは、たとえ好かれているにせよ、気持ちとは違う理由を持ち出して関係を結ぼうとするのは良くないということだろう。そのような関係が本作におそらく三つ出てくる。一つは、小笠原祥子と福沢祐巳。もう一つは、柏木優と小笠原祥子。そして最後に福沢祐巳と小笠原祥子である。

最初の小笠原祥子と福沢祐巳の関係は、祥子が最初に祐巳と出会って祐巳のタイをなおした、つまり少しだが好意を示したのにも関わらず、祥子は自分の危機を乗り越えるため偶然という理由を持ち出して、祐巳にスールの関係を持ちかけたことだ。祐巳は本当は祥子のことが大好きなのにも関わらず、ファンなりのプライドだとかなんとか自分の気持ちを精一杯整理しながら、祥子の申し出を拒否する。そして祥子が大好きなのに正反対の行動をとらなければならないことを悲しむ。

次の柏木優と小笠原祥子の関係は、祥子がまず優を好きになったのだが、家同士が二人を婚約させたことで、優が家の事情を理由に祥子と懇意になろうとすることに対して、祥子がそれを恨みに思う関係だ。

そして最後がちょっと分かりにくいが、祥子の危機を救うためという理由を得た祐巳が、祥子の気持ちがどうのというのを持ち出さずに、逆に祥子にスールの関係を申し込む関係である。その祐巳の申し出に対して祥子は笑顔で拒絶する。

これら三つの不純な動機による関係がどれも不成立に終わり、おそらく祐巳と祥子が互いの事情について理解したあとで、祥子があらためて祐巳にスールの関係を純粋な気持ちで申し込む。祐巳がそれを受け入れて、本作は終わる。

とてもよく出来た話だと思う。主張もしっかりしている。ただ、現実に自分のことを考えると、なかなか難しいことだと思う。だって、好きな相手に純粋な想いをぶつけることは難しいだろう。なにか別の理由をつけて、その人と一緒にいたい理由を示すほうが楽だ。あえて言葉にしなくても、また言葉が気持ちとは正反対であっても、気持ちさえ伝わればいい。むしろそのほうが美しいのではないか。おそらく世間の常識からすればそんなとこだろう。

薔薇さまたちの中にあって、カメラちゃんこと武嶋蔦子の存在は活き活きしている。祥子さまに写真展示の許可を得るために祐巳をけしかける手並みはゾクゾクする。リリアン女学院という特殊な世界を描くのに一役買っている。

刊行されている全巻を読み終わったあとで改めて本作について考えると、本作で祥子は随分積極的に祐巳にアプローチしていると思う。あの祥子がここまで祐巳を落とそうと口説いていることについて考えるとまた別の味わいがある。このときの祥子もまた、自分には祐巳を口説く理由があるのだからと、自分の気持ちを真剣に相手に伝える必要がない分、奔放に行動していたのだなあと思う。「白き花びら」に出てくる聖のモノローグで、「退路はなかった」という台詞があるが、自分の気持ち以外に理由がないゆえに退路がないわけで、このときの祥子は退路を用意してのアプローチだからこそ奔放になれたのだろう。それもまた魅力的なように思う。

■黄薔薇革命

要は由乃と令が一度破局したあとで復縁する話。この二人の仲が悪くなるケースはのちにもう一度出てくる。この二人の関係がある意味本シリーズで一番難しいと思う。

由乃は話の最後に、令と肩を並べて歩きたかった、と言っている。そのためには、自分を守ろうとする令を抑えなければならない。しかし令の世話焼きは拒否したぐらいでは止まらない。だからロザリオを返し、自分の拒絶をはっきり知らせたと。まあ普通に説明すればこんなところだろう。

由乃と令は年が一つ離れている。由乃は令のことを「令ちゃん」と呼ぶ。ってことは、やっぱり由乃は令と対等のつもりなのだろう。だったら何故二人は姉妹(スール)の関係にあるのだろうか。令が由乃の入学式の日に渡したロザリオを、由乃は何のためらいもなく受け取っている。スールの関係とは、仕組みからすれば師弟関係だが、感情的には婚姻関係でもある、というズレからくる私の考えすぎなのだろうか。

この話では終始由乃が主導権を握っている。ロザリオを返したり、祐巳を病室に招いて令に伝言を伝えたり、最後はまたロザリオを令に要求する。作品中に、由乃は内弁慶なのだと、祐巳が感想を持つ記述がある。わがままで子供っぽいから好き勝手やるとでも言っているかのようだが、令よりも大人なんじゃないだろうか。令は自分が由乃に嫌われたと本気で思っているが、由乃はロザリオを突き返しても令に嫌われるとは思っていなかった。で、二週間のあいだ二人は顔をあわせず、再会したときにどうなったか。令は自分だけでは由乃の気持ちを知ることが出来なかった。由乃の口から言われて初めて気づいた。のちのち由乃が令のデートに嫉妬する話が出てくるが、そのときも結局一人で吹っ切れちゃったし。

私にとってこの話の一番の目玉は、男っぽい顔立ちのミスター・リリアンこと令が、実は少女趣味の持ち主で繊細な心を持っているころだろう。いきなり序盤でロザリオを由乃から突っ返されて、校庭をフラフラさまよいながらうわごとを繰り返し、祐巳に古い温室に連れて行かれてからも「死にそう」とつぶやく。弱みって本当に美しい。

この作品には一応盛り上がるところが用意されている。由乃の手術と令の剣道の試合。作者があまり盛り上げようという意図を持っていないせいか(定型を利用したといった感じ)、普通に考えれば山場のはずなのにちょっと盛り上がりに欠けているように思う。多分作者も書きながら冷めてたんだろうなと勝手に想像する。だって重要なのは二週間互いに会わずにいたことだし、ほぼ成功する手術によって由乃が健常になることなのだから。

序盤、祐巳が腹の虫を鳴らせて大爆笑を誘うシーンがある。そのあと、祥子が祐巳に両手を前に出すよう言う。言われた祐巳は、ムチで手を叩かれておしおきされる西洋の子供を想像する。しかし祥子は飴玉を祐巳の手に乗せてやさしく声を掛けただけだった。このシーンはアニメにもあったが、ムチの想像は小説にしかなく、なかなか面白いところである。

アニメになかったシーンとして、令の剣道の試合当日、祥子が祐巳にサンドイッチをおごるシーンがある。ちょっとうろ覚えなので、蔦子さんか誰かが買ってきたものを祥子が買い上げたのかも。翌年の剣道の試合も確かサンドイッチが出てくるので混同してる可能性がある。妹はだまっておごられとけ、みたいなことを祥子が言う。

祥子が祐巳に自分のことを「おねえさま」と呼ばせようとする描写がかわいい。最初のほうで祐巳を厳しく躾けると言っているのに、周りからは妹が出来て嬉しがっていることを見抜かれていたりと、祥子さんのこういうかわいい描写に人物の奥行きが感じられてとても魅力的だ。

ところで、黄薔薇の長女である江利子さまもちょいちょい出てくる。すごくつっけんどんな態度で、誰かに叩かれたかのように頬を赤くして手を添えていたりと、この描写が私を江利子嫌いにしたのかもしれない。あぁ、なんでもできるからつまらない、というところかも。それら全てか。江利子って読者の中にファンがいるんだろうか。自分が嫌いだとそういう余計な心配までしてしまう。よく考えるといい感じの性格していると思うんだけど、なんとなく描写の仕方が失敗しているように思う。

■いばらの森

ご存知、聖の百合描写のある、本シリーズで恐らく最も有名なエピソードである「白き花びら」を含んだ巻。

前半の「いばらの森」は、ミステリー仕立ての話で、それ以外はこれといった展開がない。前巻で手術を乗り越えてすっかりキャラを変えた由乃の行動力が光る(もともと内弁慶だったそうだが)。

後半の「白き花びら」は、聖の基本的な性格の説明から入り、栞に傾倒し破滅へと向かっていくが、周りの人の世話があって立ち直っていく話。耽美がこの作品の魅力だが、学園長の言葉、周りには素晴らしいものが満ち溢れているのだから、が本作いや本シリーズのテーマだろう。

なにげに名無しの聖の姉がかっこいい。本気で顔だけで妹に選んだと思った?と言うあたりが一番かっこいい。

■ロサ・カニーナ

今度は白薔薇姉妹の話か。聖と志摩子の関係が、普通に考えれば一番難解だ。しかし、読み解くための描写が色々あって、なんとなくつかめてくる。

まず、聖は志摩子に自分から手を貸さない。そしてなにかというと、志摩子は自分の意志で動く人間だから、と言う。志摩子は、もし自分が聖から誘われなければ、人とあまり交わらなかっただろうと言っている。つまり志摩子は自分の意志で動かない人間だと自白している。もう早くも一見矛盾が出てきている(矛盾なく説明できるのだが敢えて矛盾としておく)。

聖は人気キャラだけあって描写が豊富だ。元はニヒル(虚無主義。改めて国語辞典をいくつか調べて一冊にしか載っていなかったので一応説明しておく。)な性格をしていた。ところが、周りの人々に助けられて、抱きつき魔…じゃなくて、周りと仲良くするようになった。聖は志摩子を自分と似ていると思っている。だから、聖も志摩子を助けるべきところではないだろうか。ところが聖は、志摩子は助けないのに、傷ついたゴロンタは助けた。一方で志摩子は、エサをあげる聖を見て、それはゴロンタのためにならないと言う。

以上から導き出されるのは、二人とも不完全な部分を持つ似たもの同士で、矛盾した心を胸に抱えている。聖も志摩子も、自分の意志は自分で決めるべきだと思って常々それを実践したいと思っているが、時々不安になって助けが必要なのに助けを求めることが出来なかったり、誰かを黙って助けたりしてしまう。こんなところではないだろうか。

だから、志摩子は最初、弱気になって、聖のあとを継ぐために選挙に出ようと考えそうになって悩んでいたが、最終的には自分の意志をはっきり持って出馬を選択する。聖は黙ってそれを見ている。聖は聖で、自分が志摩子を助けたいという意志を持って助けることも出来たのだろうが、相手が自分の分身である志摩子だからこそ志摩子に感情移入し、助けるという行為よりも志摩子の自律を願った。それはどちらかというと志摩子のためというより聖自身のためのように思える。

私は聖をトラウマ型の人格と見ている。「いばらの森」「白き花びら」で描写されるかつての聖は、周りの人たちのおかげで助けられた。こういう大きな失敗経験を持っている人というのは、同じ失敗をしそうな他人に自分のかつての弱みを投影して、憎憎しく思うか(このケースが一番多い)、そうでなければ逆に○○さんは(自分は)そんな失敗はするはずないと言いきかせる。

だから、聖が志摩子のことを自分の意志で動く人間だと言うシーンは、なんだか私には痛々しく感じられる。聖が静からもらったチョコボンボンを志摩子にあげようとしたことも、聖だって本当は心の深いところでチクチクと気になっているはずなのであるが、あえて分からないフリをして自分を変えようとしている。そもそも聖が祐巳に抱きついているのだって、一人の後輩にのめり込んだ自分の過去を否定しようという作業に他ならないことは、多くの人が気づいていることだろう。

聖が本シリーズで人気あるのも、かっこいいレズキャラだからというだけの理由ではなく、登場人物中一番弱みが強烈なキャラクターだからということだと思う。

さて、すっかり忘れ去られたロサ・カニーナこと蟹名静さまだが、この人もまた難しい性格をしていて、分析のし甲斐がある。深い分析はファースト・デート・トライアングルのところでやるとして、この作品では単に聖の瞳に自分を映したいだけということでいいのだろうか。

影の薄い人っていうのはいるものだ。私も最近、人に覚えてもらえてなかった悲しみを感じた。職場で自分の古い名刺を配りまくっていた女性がいて、私も彼女の名刺をもらって周りの会話に加わっていたのだが、後日エレベーターで一緒になったときに話しかけてがっかりした。あ、私の存在そのものを覚えてもらえてなかったというのではなく、私が彼女と同じフロアで仕事をしていたのに違うフロアにいると思われていたのだった。おっとそんなことはどうでもいい。

静が歌姫という設定が非常にいい。この設定は小説ではなくアニメで活かされた。小説からはどうがんばっても歌声は出てこない。

祐巳が静と初めて会うとき(本当はもっと前から会っているとのことだけど)、祐巳は最初静と知らずに会話し、あとで由乃から「裏切り者!」といわれるところがある。黄薔薇革命までの大人しい由乃が徐々に地を出すようになっていくのだが、いきなりのこの台詞がかっこいい。ロサ・カニーナが本当は地味な薔薇なのに、祐巳には黒薔薇と言われてニコリと肯定する静もちょっとけなげ。

自分を認識してもらうためにわざと聖の妹の志摩子に立ちはだかるという行動がまず悲壮だ。嫌われてもいい、無視よりマシだと。でもそれはひねくれた行為なのではなく、純粋に目的を達成するために選んだことだった。だからこそ、選挙後に静は聖を呼び出して、告白をする。とてもかっこいい。私もこういう人になりたい、と負け犬根性で言う。そう、彼女は明らかに負け犬で、負け犬として美しい。

そうそう、祐巳が祥子の手助けをしたいと思うのに手伝うことがなくて落ち込み、そこへ蓉子さまがやってきて世話を焼いて祐巳が理解するというエピソードもさりげなくていい。

ところで、小説にはロサ・カニーナの親衛隊の描写があったが、アニメには一切なかった。どうでもいいか。

■長き夜の

ロサ・カニーナに収録されている短編だが、ぜんぜん違う話なので独立させる。

この作品の一番のポイントは、祥子の家が大金持ちですごいお嬢様だということ、かといって庶民的なものは嫌いではなくどちらかというと好きなのだという、ファースト・デート・トライアングルの前振りにもなっている。あと、祐巳の弟である祐麒が、ホモの柏木優に好かれているという新事実の紹介だろうか。アニメではこの描写がバッサリカットされているのだが大丈夫だろうか。

序盤、聖が祐巳をだましたかのように振舞って祐巳を慌てさせる描写がいい。新年会に行くと見せかけて拉致って二人きりになってあれやこれやという想像をする。

■ウァレンティーヌスの贈り物

長いので一つ一つ語っていく。

まず、バレンタインの催しの準備中に祐巳が空回りし、祥子の誤解と相まって祥子が爆発する。祥子が祐巳を問い詰めるという構図であり、問い詰められた祐巳が何も言えなくて泣き出してしまうのだが、そもそも問い詰めた側である祥子が祐巳に嫌われたと思っていたのであり、泣きたいのはむしろ祥子のほうである。と考えると、祥子は問い詰めるのではなく普通に祐巳に訊けばよかったのだと思うのだが、そこが祥子の欠点なのだろう。バレンタイン当日まで待てば済んだ話だったし。

祐巳は祥子のことを考えて色々と秘密にしていたり気を配ったりしたことが裏目に出た。ここでのテーマは、言わなきゃ相手に伝わらないってこと。直球で口にしてみると、ああこの作品はよくできた人間関係の教材なんじゃないかと思えてくる。聖が言うところの「ごんぎつね」状態というのはすごくよく分かる。ただ、僭越ながらこの部分、ちょっと筆力が足りていなくて読者の想像力に寄るところがあるのではないかと思った。

祐巳がカード探しに奔走している場面だが、祐巳のあとをつける生徒たちから逃げるために、小説では祐巳がワイルドに校庭から窓を通って校内のトイレに逃げ、たまたま出会った知り合いに驚かれ、アリバイ作りのためにその知り合いに窓を閉めるのを頼んで再び校庭に戻るという荒業が描かれる。のちの短編でも、たまたまこのときトイレの中にいた人物がこのシーンを回想している。多分アニメでは回想作品でここの描写をするつもりなのだろう。

さて志摩子がケーキを作って聖に渡そうとするシーンがある。実際には、志摩子がケーキをとりあえず隠しておこうと薔薇の館の一階の物置に置いてきたところを祐巳に目撃され、祐巳は志摩子がカードを隠したものと考えて聖に目配せをし、その結果聖は志摩子のケーキを発見してしまい、なおかつそのケーキを祐巳からのものと勘違いしてしまう。あとでその事実を知った志摩子が赤くなってうつむく。このシーンは単なるムードで書かれたものかと思って最初は深く考えなかったのだけど、白薔薇姉妹の関係を考えるにはかなり大きなエピソードではないだろうか。それとも私の考えすぎだろうか。この点については後述する。

黄薔薇のカード隠しは、令が由乃のために由乃の愛読書である江戸の物価の本にカードを挟んでおいたことが裏目に出て、由乃は本当の令をよく知っているので女の子っぽい本を探してしまい、逆に令の表面の性格だけを知っている一般生徒に発見されてしまう。

白薔薇のカード隠しは、掲示板に無造作に白いカードを貼り付けたのを、たまたま蟹名静が見つける。志摩子の性格描写として、見つけて欲しいという想いが語られる。

で、その後、祐巳が口から出まかせで言った「びっくりチョコレート」という言葉から(章題の意味がようやく分かる)、半日デートである「ファースト・デート・トライアングル」に進む。

デートで一番重要なのは、やはり最後に喫茶店で祥子と祐巳と由乃と三奈子さまと蔦子さんという不思議な五人の取り合わせで、贅沢な時間を過ごすという描写だろう。アニメの1クール目の最後の場面だ。私は三奈子さまが結構好きで、バレバレの変装で怪しい行動をとるところとか、リリアンかわら版をがんばって作ったり、バレンタインのイベントを企画したり、のちのエピソードで行き過ぎて江利子についての創作話を書いたりと、なにかと重要キャラである。どちらかというと悪役といってもいいのだが、楽しませてくれる。三年生になってから影が薄いのが残念でならない。真美という優秀な妹を持っているところもポイントが高い。この姉妹についてのエピソードもあっていいんじゃないだろうか。いっそ自分で妄想してくれようか。

デートは祐巳の視点だが、祥子のほうが主役だ。ハンバーガーショップやジーンズショップでのボケには笑わせてもらった。あと、実は祐巳のことをうらやましく思っているという描写がいい。

ところでデートはJRのK駅から始まっているが、ファンサイトの考察どおりK駅とは吉祥寺のことだろう。私は近くに住んでいたので、電車賃を使わずに大きめの買い物をするのによく自転車で通っていた。リリアン最寄のM駅とは三鷹で間違いなさそうである。リリアンのモデルに定説はないものの、リリアン=百合ということで立地からすると白百合女子大のことであろう。私が現在住んでいる調布市にあるそうだ。ただし白百合の高校以下は九段にある。靖国神社の隣というすごい立地に固まっていて、職場が近くにあったことがあったので何度か側を通ったが、壁が高くて中の様子がほとんど分からなかった。

志摩子は静とデートするのだが、静が最後に校内で仕掛けるいたずらについての描写は小説にしかない。なぜ志摩子が、静と別れたあとで静の差し金で薔薇の館に来ていた聖と出会って泣くのか、アニメでは雰囲気だけで片付けられている。静のこのいたずらは読んでいてとてもいいなと思った。本作には魅力的な登場人物が多く、どの人物にも大なり小なり自分と重ねられるところがあるのだが、静のこの性格もなるほどなぁと思った。人のいない校内で突如連れに別れを告げて消えるというセンスの良さに少し感動した。静のこの性格は、「チャオ、ソレッラ!」で祐巳に「いたずら好き」として片付けられてしまうが、決してそれだけではない。祐巳の性格上そうとしか思えないのは当然だが。

静の人気がどの程度なのか分からないし、多分私はこのキャラはあんまり人気がないと思うのだが、静は本作では非常にユニークなキャラクターである。好意と好意で結びつかなかった聖との関係を、素直ではないが優雅な方法で結んだこと。好意と好意で結びついている人たちが大半の本作において、彼女の存在はとても重要だと思う。選挙の結果は重要ではないんだ、と言うところはちょっとキザでわざとらしかったが、それを差し引いても聖の言うように静は「魅力的な人」だと私も思う。だって、ただ聖に想いを伝えても、どうせ伝わらなかったでしょう。

考えてみたら、静は本シリーズで唯一、主要登場人物ではないのに題に冠されている人物だ。そして設定上、かなりかわいそうなキャラである。歌姫という優れた特質を持ちながら、好きな聖にはまったく覚えてもらえていなかった。祐巳にすら覚えてもらえていなかった。極端な言い方をすると、相手にされないから、自分から仕掛けざるをえない。志摩子にも畏れられていた。静自身は何もしなくてもとても魅力的なキャラクターなのだが、静が本当に望む人たちからはなんとも思われていなかった。私の想像が入ってしまうのだが、自分を思った通りに律することのできる人間の孤独というか、本当は好きな姉にかわいがられたかったのに周りにはそう思われなかった人間の、心の奥底の悲しみというのだろうか。強いがゆえにその悲しさすら大したことのように感じられない感覚。書いていて私もだんだん悲しくなってきた。

やっと思い至ったのだが、静は影の白薔薇姉妹なんだろうなぁ。なぜこんな簡単な事実にたどり着くまでに時間が掛かったのか分からない。「ロサ・カニーナ」のときに静は志摩子に妹になったらどうかと提案していたのに。聖と志摩子との関係を考えると、そこに静が入り込む余地は十分にあった。あえて静というピースをハメないでポッカリあいたままにしておく設定が絶妙だと思う。白薔薇姉妹のつながりは「自律」であるのだから、自分の考えで留学を選んだ静こそが、自分の考えで聖や志摩子と望むままの関係を築こうとした静こそが(成否は関係なく)、白薔薇姉妹で最強の人物なのかもしれない。

黄薔薇姉妹のチョコ間違いのエピソードはアニメになっていない。

「紅いカード」は高々50ページの短編だが、アニメの一話分になっていた。祥子にあこがれる鵜沢美冬の話で、ちょうど静とは正反対に目立たないまま過ごし、最後に思い直して終わる。本作の良さの一つは、光もあれば影もあるというか、その影に読者を共感させるところだろう。静への感情移入は多くの人にとって難しい。美冬や笙子などを用意することで、世界の奥行きが出てくる。

■いとしき歳月

本作は聖と蓉子と江利子の卒業スペシャルである。いくつかの中短編に分かれている。

まず、江利子の援助交際騒動である「黄薔薇まっしぐら」だが、私はこのエピソードがシリーズ中一番嫌いだ。そもそも江利子があまり好きではなく、その江利子をフィーチャーした作品だからだろう。江利子は一番造りモノ臭さが感じられるキャラだと思う。きちんと長所と短所があり、それなりに考えてあるキャラだとは思うのだが、何かチグハグな感じがする。まず、妹の令との関係が弱い。令を由乃と取り合うという設定はいいと思う。令を妹に選んだ理由が、江利子の変わりもの好きというのは、うまいことハマっているように見える。ただ、やはり弱い。令が江利子の卒業を惜しむというシーンがまったく想像できない。

男ばかりの兄弟に年の離れた妹が出来て溺愛されるという構図は分かるのだが、私の知っている例だとその妹というのは相当やんちゃに育つので、真面目な性格になるとは考えられないように思う。もっと末っ子的な面を入れたら良かったのではないだろうか。作中で江利子は、祐巳にとってとっつきにくい性格をしているように思われているのではないか。そのとっつきにくさが、わがままから来るものだと言われれば、それはそれで納得できなくもないが、人を振り回すようなわがままではないので分かりにくい。

それはそうと、蔦子が江利子の写真を次々と取って祐巳に渡すというのが面白い。あと、築山三奈子さまが暴走したあとで反省するところもいい。

次が、薔薇さまたちへのお別れ会で聖が祐巳に隠し芸をやれとけしかける「いと忙し日々」。祐巳が安来節いわゆる宴会芸のドジョウすくいをやるのが印象的な回。祐巳ががんばりすぎて倒れるところが山場だけど、祥子や聖のフォローがそんなに大きくない。好きな人のためにやる仕事は苦ではない、というテーマが一応あるが、なんだかんだいってほのぼのした味わいのある短編といった感じだ。

そうそう、小説では由乃の手品のときにオリーブの首飾りを志摩子がピアニカで吹いていたが、アニメでは曲が変わっていた。版権の問題だろうか。

「will」は、祐巳が蓉子の「遺言」を聞き、聖に「お餞別」をする話だ。蓉子の「遺言」とは、祥子をよろしく頼むということ。蓉子が祐巳に抱きつくシーンがある。優等生の蓉子が、祐巳にだけ見せるお茶目な側面だ。いちご牛乳をホットミルクのビンに入れて飲むシーンとか。ここで重要なのは、祐巳にとっては頼りになる祥子おねえさまの、弱いところを蓉子が心配して祐巳に託しているところだ。

そんな蓉子の「遺言」を聞いたあとで、祐巳は放課後の誰もいない教室に聖を見つけ、聖からも「遺言」を聞こうとする。しかしここが蓉子と聖の違いであり、聖は「遺言」なんていらないと言う。紅薔薇と白薔薇の違いが面白い。何も言わなくても祐巳は志摩子を助けるだろうと言う。それと一番重要なのは、祐巳のおかげで聖は大学進学を決めたということを聖が祐巳に告白するところか。聖が栞に大失恋したのが二年次のクリスマスイブで、そこから聖は髪を切って気分一新したことになっているが、聖が祐巳に見せるファンキーなキャラは一体いつからのものなのか。このあと語られる、聖が志摩子を妹にするときの物語では、聖は怒ってばっかりだったのでよくわからない。祐巳と出会ってからこのキャラが開花したのか。

ともかく、聖は祐巳と出会って普通の女の子をうらやましく思うようになったと言っている。普通の女の子ならリリアンにゴロゴロしているはずなので、祐巳がなにかしら特別なのだろう。どのように特別なのか。なんとなく分かったつもりになってはいるが、じっくり考えてもはっきりした答えが出てこない。祐巳が物怖じしないで聖と接するからだろうか。生来の外見といままで自分が作り上げてしまっていたニヒルなキャラにより、いわゆる普通の女の子が自分の周りにこなかったのだが、くだけたキャラになって祐巳と接してやっと普通の女の子たちと楽しくやる方法が分かった、とこんな感じだろうか。

「いつしか年も」は、蓉子と江利子と聖の卒業式に三者三様の視点で回想をする話と、祥子が送辞を読もうとして涙ぐんで令がサポートして完遂するというほほえましいエピソード。私にとっては、蓉子のキャラが初めて掴めた話だった。いままでは姉だから祥子の面倒をよく見るのかと思っていたが、そもそも蓉子が世話好きなキャラだということが分かる。あと努力家で真面目な優等生だということ。天才肌できまぐれな江利子との対比とか。最後に、三奈子さまのしおらしい姿と、真美デビューの前振りが。

「片手だけつないで」は、聖と志摩子がスールになるまでの話。はっきりいってよく分からない話だったが、「長い旅の途中で、同じ木陰を選んで…」「いずれまた離ればなれに旅立つことを…」というフレーズに強く魅かれた。まあちょっと考えれば、こんなに親しい人間同士が、卒業後も縁が切れるとは思わないのだけど。にしても、聖の素直じゃない性格とか、自分のことを「お得な姉とは言い難いけれど」とおどけて見せるところなど、私の中にもこんな聖がいるなぁと思わされる。

■チェリーブロッサム

本シリーズはこの中の表題作「チェリーブロッサム」から始まったという、ちょっと扱いの難しい作品。

多分最初に書かれたときは、志摩子という絵に描いたような美少女の謎を、主人公の乃梨子(!)が偶然見つけてしまい、そこへ瞳子がたくらんでかき回して盛り上がって終わる。祐巳はどこいった、祥子さま令さま演技しすぎ、と他の作品との違いがかなり見られる。しかしそれを考えても、一番最初に書かれたとは思えない作品である。それはこの作品が劇場型の展開だからだろう。

その劇場の舞台裏として「BGN」が書かれたのだろう。本作は、発表時からほとんど加筆しないままの「チェリーブロッサム」を、自然に補足している。瞳子という新キャラをしっかりデビューさせ、真美も前面に出すなど、新学年になってから最初のエピソードを書き支えている。瞳子を祐巳のライバルとして次の「レイニーブルー」への前振りもバッチリだ。

それはそうと、登場人物の名前のつけかたがなにげに素晴らしい。旧家っぽく、小笠原、松平、二条、島津、支倉、鳥居、藤堂、…築山とか柏木とかもそうなのだろうか。水野蓉子は編入組だから庶民?…って水野忠邦からきているのだろうか。桂さんなんていうのもいたな。

本作は志摩子と乃梨子と瞳子が中心となっていて、中でも志摩子の心の問題が一番重要なはずなのだが、この点について言えばちょっと薄っぺらになっているのは残念。ただ、作者が弁解(?)しているように、この年頃は些細な問題にくよくよ悩んでしまうものだというのは納得できる理由ではある。

■レイニーブルー

本シリーズのブレイクのきっかけになったと言う人がいるほどの表題作「レイニーブルー」を含む三篇で構成される。

「ロザリオの滴」は、志摩子が乃梨子を妹にする話。私が一番好きなシーンは、志摩子が乃梨子を初めて薔薇の館に連れて行ったときに、薔薇さまたちが乃梨子に話しかけたのに志摩子が乃梨子の代わりに喋ってしまってたしなめられるところ。聖がついに栞を薔薇の館に呼べなかったこととの対比が面白い。志摩子にも聖と似たようなところがあるのだということが描写されているように思う。それに乃梨子は栞と違って超強力な性格を持っていて、下手をすると先代薔薇さまがたよりも強いので、志摩子とうまいこと関係を結んでしまうことができた。人はみんな違うんだということがうっすらと語られているようでうまい。

さて志摩子が最後追い詰められるシーンがあるが、どの人間関係も重要なんだよ、という本シリーズのテーマめいたものが語られている。だが、前巻に引き続いて志摩子が責められているにも関わらず、志摩子にとって一番重要だと思われる課題については触れられていないように思える。本作で乃梨子が志摩子に向かって「欲張り」だと言う。「欲張り」だから欲しがらないように生きていると言うのだが、これがそうなのだろうか。「欲しがらない」=「言いたいことを言えない」であれば祥子のケースで既に描かれているしなぁ。別に重複があってもいいと思うのだが、この作者のことだからそんなことはしないはずだ。では志摩子の課題とは何なのだろうか。ずっとあとの「薔薇のミルフィーユ」でもよく分からない。宇宙人をやめることが課題なのだろうか。

「黄薔薇注意報」は表面上非常に分かりやすい作品だ。もう令やら由乃やらが自分の口で語ってくれちゃっているから。今度は逆に令が由乃からロザリオを取り上げるのかと思わせられる展開だが、やはりこの姉妹は由乃が主導権を持っていた。結局令の乳離れならぬ由乃離れの話になるのだった。にしても令はいいキャラだなぁ。剣道部を自分の領域として守ろうとするところとか、どうしても由乃のことが気になってしまうところ。私は令に特別な思い入れはないけど、読んでいて令はつくづくいいキャラだと思った。由乃もいい。

「レイニーブルー」は祐巳が祥子さまに嫌われる話。いや本当は嫌われていないのだけど、内容だけ読めば祐巳が祥子に嫌われてひたすら悲しい話。カタルシス(泣いてすっきりする系のこと)狙いのあざとい作品ではある。祐巳が大切にしていた傘がコンビニで盗難に遭い、「私の大切な物、盗らないでよ」と泣き叫ぶところが山場で、祐巳が祥子を失うのではないかということが暗示される。わざわざこのシーンをちょっとだけ切り取って冒頭に持ってきているところがうまい。なぜか築山三奈子さまが祐巳に重要なアドバイスをしている。

■パラソルをさして

いわば「レイニーブルー」の解決編。祥子一辺倒だった祐巳が、他のものにも目を向けて、心の平穏を取り戻していく。そして明かされる真実。ちょっと謎を引っ張りすぎて若干不自然に思われるところがあるのは残念。

弓子さんと多分祥子の叔母とのエピソードは非常に泣かせられる。作中にはっきりとは書かれていないが、祥子の叔母は弓子のことをユミと呼んでいたはずであり、だから祥子の妹である祐巳に心配掛けまいと余計なことを言ったのだろう。

結局言いたいことは、「いばらの森」の中の「白き花びら」と基本的に同じである。取り立てて書くことはない。

■子羊たちの休暇

祐巳が祥子の軽井沢の別荘に一週間泊まりに行く話。

金持ちの旅行は、観光に回るのではなく、普段と変わらないことを旅先でもやるのだという。金持ちっていうか欧米の習慣だろう。だからこの話は旅行記ではなく、何かを期待しすぎた祐巳が肩透かしを食らうところから始まる。

特にこれといって語ることはないが、やはり最後のシーンは息をのむ。オチも笑った。結構ダラダラした話のように思うが、ラストが決まっているので読後感が最高だ。

本作で重要なポイントと言えば、瞳子が祐巳を尊敬するようになるきっかけ(多分)が描かれていることだろう。

ほかには、祥子がこの別荘を好きな理由にキュンときたり、花寺の生徒会の面子がちょっと出てきたりといったところ。紅薔薇ファミリー以外は本当にチョイ役だ。

■真夏の一ページ

コメディとミステリー(?)の中編が一つずつ。

「略してOK大作戦(仮)」は、花寺との学園祭の事前打ち合わせを利用して、祐巳が祥子の男嫌いをなおそうとする話。祐巳が黒幕なのが笑える。実際は祐巳が弟の祐麒に相談した結果として話が進んでしまっただけ。柏木優が愉快に出てくる。祐巳のたくらみがどうなるのか、ワクワク感が心地よい。

「おじいさんと一緒」は、乃梨子の仏像仲間のタクヤ君の謎を真美が追う話。新聞部の真美が完全に主役だ。築山三奈子−山口真美の姉妹はなかなか楽しくて私は大好きだ。例によって三奈子さまのバレバレの変装も出てきてる。多分作者もこの二人が好きなんだろうなと勝手に想像する。

で、肝心の話だが、まず謎が明示的には明かされないまま終わってしまう。ファンサイトにFAQまであるほどだし、私も最初分からなかったくらいだ。この文章はネタバレ書評なので遠慮なく書かせてもらうが、真美が掛け合いをしていた老人こそがタクヤ君であり、この二人が見張っていた若者が甲之進だ。

巻末に黄薔薇姉妹の日記あり。前巻での黄薔薇姉妹の富士山登頂の裏話など、ちょい話が三篇、これはこれで楽しいが、特に何も進展なし。

■涼風さつさつ

祐巳たちが花寺の学園祭を手伝う話。

何と言ってもキーは可南子だ。身長179cmで、祐巳のストーカーをするほどに祐巳を美化して慕うが、祐巳にぶっちゃけられて逆ギレするというエキセントリックな人物だ。この巻では可南子は不気味な人ということで説明もなしに終わってしまう。

祐巳と可南子がパンをめぐって大騒ぎになりそうなところを、蔦子がうまいことそのパンを新聞部の真美の口に入れて収集つけるところがとても楽しい。私の中でここはシリーズを通して一番愉快なシーンだ。

そのシーンと肩を並べるぐらい楽しいのが、可南子の過干渉を牽制するために祐巳が仕組んだ結果として、図らずも柏木優がド派手に登場し、同じく現れた聖と掛け合いをするところだ。

祐麒が花寺の生徒会長だということも初めて明かされる。その他、話が色々と詰め込まれてはいるが、登場人物の深い心情描写は本作には少ない。

■レディ、GO!

いま気づいたのだが、本作の題名の中の「レディ」は、ready に lady を掛けるというベタなネーミングだ。今更気づく私もニブいのだが、こんな直球だとは思わなかった。

さて本作は、前作で可南子と険悪になった祐巳が、おせっかいで掛けまでしてしまう。本作でも可南子が消化不良で終わってしまう。なんだかなぁ。由乃に対して陸上部の逸絵が突っかかったりなんなりする小エピソードも小ぶり過ぎる。良かったのは瞳子の心配げな様子くらいか。空回り気味の由乃もほほえましい。

そんな中で地味に多く語られるのが志摩子だ。玉入れの的になっている志摩子を見て、祐巳たちは志摩子が「やらされてる」と思っているが、これは多分志摩子が自分で進んでやったことだろう。明記はされていないがほぼ間違いない。作者のうまさだろう。父親が袈裟姿で現れて恥ずかしがるところなど、実は本作の主役は志摩子なのではないかと思う。

■バラエティギフト

短編集+α。

「降臨祭の奇跡」は、正直よく分からなかった。面白くもなかった。ただ、一つ気になったのは、姉妹よりも同輩のほうがいいのかも、みたいなことが語られていたことか。

「ショコラとポートレート」は、ちょっと中途半端な感じはするが、小気味の良い話である。来年高等部に進学する笙子が、堅物の姉の制服を黙って拝借して、ウァレンティーヌスの贈り物で描かれたバレンタインのイベントに参加する。写真嫌いの笙子が、蔦子と出会い、謎を残して去っていく。その後の展開が先の巻にあるのだが、この作品ではここで終わってしまう。何がテーマなのかというと、学生生活もっと馬鹿やってもいいんじゃないの、ってことに尽きるが、それって本シリーズに必要なテーマなのだろうか。

「羊が一匹さく越えて」は、乃梨子がリリアンに入学する前後の逸話だが、この話も大して面白くなかった。一応、白いポンチョの謎解きがあるのだが、それだけだと思う。

「毒入りリンゴ」は、本シリーズで江利子さまが引き続き描かれることを予感させる予告編だろうか。本当にそれだけ。

■チャオ、ソレッラ!

イタリアへの修学旅行の話。

見所は、蟹名静の性格がちょっと書かれるところ、それに祐巳と由乃と蔦子と真美の四人組の掛け合いか。あと由乃と祐巳がロザリオを渡すことを意識するところ。聖の存在がほのめかされるところは、私にはだいぶいやらしく感じられた。

■特別でないただの一日

待望の学園祭を描いた一編。

リリアンの学園祭を、参加する側から描いている。昔を思い出した。とてもいい雰囲気の作品だ。

劇で「とりかへばや物語」をやるというのは秀逸だなと思った。この演目が挙がっているのを聞いてからは、もうこれ以外にないというぐらいこの演目が本作にハマっていて、作者の完璧な設定にいやがうえにも今後の展開の期待が高まった。が…。

しかしこれはないよなぁ。

可南子の処理が雑すぎる。理屈では分かるし、よく出来た話だと思う。ネタバレ書評なのでちょっと確認してみよう。可南子の父親が、可南子の先輩である夕子と結婚してしまった。可南子は、父親が無理やり夕子を妊娠させてバスケをやめさせたと考えている。父親は二つの意味で可南子を裏切ったと。まず母親を裏切り、そして夕子を裏切ったと。ところがそれは可南子の勘違いだった。父親と母親の関係も複雑で、その割に描写が駆け足で全然足りていない。

作者が何をやりたかったのかは分かる。可南子に祐巳をあきらめさせることだ。それにはどうしたらいいか。可南子は祐巳に幻想を見ていた。祐巳は可南子に、可南子の中の幻想の祐巳は火星に行ったのだと言う。この表現はとてもいいと思う。間違いなく本シリーズの大きなテーマの一つだ。でもこれって祐巳よりも志摩子のテーマなんじゃないだろうか。しかし、「レディ、GO!」で前振りしてしまったので、可南子と祐巳をこの線で片付けないといけない。そこで夕子を用意した。

問題はどこにあるのだろうか。脇役に重い物語を背負わせてしまったことだろうか。それとも、単にページ数の問題なのだろうか。

最後にやっと題名の理由が明かされる。いい話だとは思うのだけど、涼風さつさつみたいに最後だけちょろっと祥子さまと祐巳のやりとりを出して締めるのはイマイチ。せめてもっと途中で何度か前振りしておくべきだったと思う。

■プレミアムブック

小説は短編「Answer」だけ。いまいち。私の中では、本作は話として成立していないので、論じるのが難しい。あえて言うなら、世話を焼くというのは利己的なものだが、焼いて焼かれるのは愛し愛される関係であるということだろうか。

■インライブラリー

短編集。

「静かなる夜のまぼろし」は静さまの寂しい夜。静のことが大して好きではない人にとっては凡作に感じると思う。静に思い入れのある私にとっては、ある程度いい感じに描かれているなと思う。ただ、これだというものをはっきり取り出すことが出来ない。言えるのは、静の性格が踏み込んで描かれている。静は合理主義者だということ、それが母親の口から説明される。煙臭いのは、静が隠れて煙草を吸っていたからではない、そんな喉に悪いことを静がするはずがない、と。私はなんとなく静が合理主義者だと思っていたが、本作でそれがハッキリした。だから、聖への感情のもてあまし方が、「ロサ・カニーナ」や「ウァレンティーヌスの贈り物」のようになったのだということだ。そして静の持つ寂しさというのは、自分は合理的に選んだ道を進んでいるはずなのに、満たされないということだ。白薔薇姉妹のテーマは「自律」だと私は書いたが、合理的なだけの「自律」ではダメなのだということなのだろう。

「ジョアナ」は学園祭の時の瞳子の裏話。瞳子が演劇部の役を降りて、祐巳から説得を受けたときの、瞳子の感情を描いている。初読の際はあまり気にしないほど短すぎたのだが、明らかにこの作品は瞳子を祐巳の妹にする布石であろう。もし瞳子が祐巳の妹になるのだとしたら、紅薔薇姉妹の系列になるのだから、恐らく作者は祥子と祐巳の関係とどこかしら似せてくるはずである。もちろん人はそれぞれなのだから、瞳子と祐巳の関係はまた違った関係になるのかもしれない。題名の「ジョアナ」は、若草物語の四人姉妹のベスがいつも抱いている哀れな人形だとのことだそうだ。瞳子はジョアナにはなりたくないと言っている。ただ、瞳子の欠点で一番大きなのはおそらく素直に甘えられないところにあるので、時にはジョアナのようにならなくてはならないという方向にならないのだろうか。本作では祐巳のおせっかいを受け入れるところまではいいのだが、べったり依存はしたくないという瞳子の意志表示で終わっている。これが何の前振りになるのかは今後を見る必要がある。

「チョコレートコート」は、「レイニーブルー」で築山三奈子さまが祐巳に話した、卒業式で喧嘩別れしたという不幸なスールの話。いい話だと思う。重苦しい作品だが、本シリーズの陰の部分として貴重な一編だと思う。途中出来すぎた偶然が描かれるものの、全体を通じてよくあると思わせられる話で、うまく現実をすくいとってまとめたものだと思う。一言付けたさせてもらうと、視線というものには力があると思う。

「桜組伝説」は途中馬鹿らしくなって読むのをやめたので感想なし。

「図書館の本」は、最初祥子と誰かの話かと思って読んでいたが、実は誰かと祐巳の母親の話だったので混乱した。祥子と「さーこ」をだぶらせて描いているせいだ。母子は似ているんだなということか。これといって語るべき内容のない作品だ。サインなんて欲しいのか。

「インライブラリー」は祐巳たちが祥子を探す話。祥子がますますかわいく描かれている。祐巳と祥子の物語を書く上で、祥子の描写が足りなかったと思った作者が、祥子のイメージを読者に喚起していっているのではないかと思う。

■妹オーディション

由乃が発端となってスール作りの合コンをやる話。

やってくれた。由乃と祐巳が主役かと思いきや、実は蔦子と真美が主役だという素晴らしい構成になっている。この二人はいつも傍観者で、主役に時々干渉して自分たちは決してファインダーの中には入らなかったのだが、今回は意趣返しされてしまう。蔦子は被写体になりたくないという欠点があって、それを多少突っつかれた格好になる。が、まだまだ足りない。いずれ蔦子スペシャルでもやってくれるんだろうか。一方真美は、これといった欠点が描かれていないが、写真部の後輩である日出実とあっさり姉妹になってしまったので、後日譚などが語られる可能性は微妙だ。

可南子は今回で本当に祐巳と縁切れになる。次の巻からは登場人物紹介ページに出てこなくなる。なにか作者は可南子を引きずっている感じ。すっぱり「特別でないただの一日」で切ってれば良かったのに。

由乃には有馬菜々という妹候補が別件で出てくるのだが、本作では偶然出会ったというだけで終わっている。菜々がおでこ丸出しのヘアスタイルをしていて自分と似ているというので江利子が何気に満足しているのがちょっと微笑ましい。

■薔薇のミルフィーユ

短編三つ。

「黄薔薇パニック」は、令の謎のデートを由乃が追いかける話に、由乃の妹候補である菜々との約束が重なって、一緒に令を追いかける話。菜々の性格描写が中心か。菜々が冒険好きというのは、おでこを出しているところといい、江利子と多少重ねている。そう考えると、江利子−令−由乃−奈々の中で、性格的には令だけが異質な感じがする。ちょっとした思い付きで言わせてもらうと、由乃の妹には、令と同じタイプの人物を用意して、由乃に世話させるように仕向けるのが一番いいのではないだろうか。あるいは菜々を実は女の子っぽい性格だとしてもいいのだが、ここまで描写されるとそれも無いだろう。

「白薔薇の物思い」は、志摩子がちょっとした事情でちょっとしたことになっただけなのに、祐巳たちに変に心配されて可笑しくなってしまう話。白薔薇姉妹は、聖(−静)−志摩子−乃梨子となっている。乃梨子の位置づけが難しいが、静とペアにできそうだ。乃梨子の欠点は、突っ張りすぎなところだろうか。静を超える最強の白薔薇かもしれないが、自律しすぎて逆に自分の意志が見えなくなっているのではないだろうか。ロザリオ授受のときも、自分のことではなく志摩子のことにしてみせた。いつか自分の意志を示して弱みを見せなければならない時がやってくるのだろう。さて壊れた志摩子だが、作者ちょっと壊しすぎ。意図は一応分かる。志摩子の欠点は、自分の意思をあまり人に言わないことだろうか。志摩子一番のピンチは、例のマリア祭の宗教裁判よりも、乃梨子が祥子と衝突した時だと思う。あのとき志摩子は、薔薇の館の面々を選ぶか乃梨子を選ぶかという問題を祥子に(わざと)突きつけられたにも関わらず、何も言えずに逃げるしかなかった。この欠点は、「言いたいことが言えない」よりある種重い。だから今後志摩子を襲う試練というのは、志摩子の日常的な意志の発露が欠かせないものとなるだろう。って一体どんな試練だ。

「紅薔薇のため息」は、祥子と祐巳が遊園地にデートに行くのに、柏木優と祐麒がなぜか一緒についてきて、祥子が途中で倒れて柏木の世話になる話。言うまでもなく祐巳が祥子べったりなのはよくないということを言いたい話なのだろう。柏木の口からハッキリと主題が語られている。祥子には柏木が必要な時もある。となると、祐巳にも祥子さま以外の人が必要になる時もある? ということで新しい登場人物が出てくるのだろうか。でも本シリーズに新たな男はありえないだろうなあ。多くのファンを裏切ることになるから。でも普通に考えるとここで祐巳の男が出てくるべきなんじゃないかと思う。

■勝手に大予想〜黄薔薇編

もう由乃の妹は菜々に決まりだろう。ではどうやってスールになるか。由乃の魅力を最大限に引き出すには、由乃の最大の欠点であるわがままを多少は克服してもらわなければならない。そうすると、由乃が菜々のために自分の好きなものを諦めなければならない場面を用意することになるだろう。それはなにか。令べったりをやめることか。剣道をからめる可能性が高そうだ。たとえば令と菜々が対決するようなシチュエーション。ちょうど江利子と由乃が令をめぐって対立したように。由乃にとって令は大切だが、菜々を守らなければならないことに目覚めるか。

■勝手に大予想〜白薔薇編

白薔薇が一番難しい。志摩子の欠点が、前述のとおり「自分の意思をあまり人に言わないこと」であるとすると、自分の考えを人に言わざるをえない状況に追い込まれる展開となるだろう。そこで考えられるのは、乃梨子がなにか大きな問題を抱えて、志摩子だけでは解決できそうにないことになることか。いっそ志摩子と乃梨子を喧嘩させてしまうのはどうか。でもあまりドラマチックにしてしまうと、日常的に自分の考えを喋らないことの克服にはならない。そこが難しいところだ。

家庭問題という前振りが既にあるので、次はここを描いてくる可能性が高い。となると、喧嘩の仲裁という線が一番濃そうである。親と兄を仲直りさせるために、自分の考えを持続的に伝えなければならない。

■勝手に大予想〜紅薔薇編

祥子問題は、既に述べたように祐巳になにかしらの男を用意するのが一番分かりやすいのだが、ファンを裏切ることになるのでそれはできない。いや、作者がファンを裏切っても強行してくる可能性も一応考えられるか。それとも、祐巳が妹を作って、妹に愛情を注ぐようになるとか。これはちょっと今の段階では想像するのが難しいので、それはあとで考えることにする。

瞳子問題は、瞳子自身が祐巳を好きなのは既に暗に語られているが、祐巳はというと瞳子に対して特別な感情は持っていないかのように見える。そしてこれからも祐巳の性格からして瞳子を妹にしようと思うことは無いのではないかと思う。それとも何かよほど特別なイベントが起きるのだろうか。だから私が一番考えられる線としては、瞳子が窮地に陥って祐巳を頼るのではないだろうか。しかし「ジョアナ」で語られているように、瞳子は祐巳に依存したくはない。うーむ。

ところで、瞳子が祐巳を好きになる理由はいくらでも思いつくのだが、実際にどのあたりが鍵となったのか分からない。まず一番最初が「子羊たちの休暇」であることは想像に難くない。そこから、好きという感情に近い段階までは、どうやって行ったのだろうか。正直私はちょっと強引な感じがしている。学園祭の時の演劇部の事件が決定打となったのだろうか。にしてはそんなに大した記述はなかったしなあ。

■勝手に大予想〜脇役編

蔦子と笙子は、まだ笙子が写真部に入った段階なのでこれからどうなるか分からないが、蔦子には他に適した人物が出てくるとは思えないので(なにせ一応脇役なので)、このまま笙子とスールになるのだろう。事件も期待できそうもない。独り身ですからと言う蔦子には魅力を感じたのだが、独り身ではなくなってしまうと彼女に一体どういう魅力が加わるのか。この姉妹(と勝手に決め付けている)の共通点は、被写体になりたがらないということだが、一体どういうことでこの欠点が克服されるのか。また祐巳に世話を焼かれてしまうのだろうか。

真美と日出実の関係はよく分からない。もともと仲が良くて、多分スールみたいなことをやっていたのだと思うのだが、スール同士がどういうことをやっているのかよく知らなくて、それが例の合コンで実態を知るにつれてああこれって自分たちじゃんと思い至ってスールになったのだろう。「妹オーディション」の最後の最後の記述からはそのように読み取れる。もともと、新聞部の築山三奈子−真美−日出実の関係はよく分かっていない。暴走型の三奈子と、大人びた真美、いまのところまだキャラが薄い日出実。まだまだこれからなのか、このまま浅くしか描かれないのか、作者の胸先三寸だろう。

聖が柏木とくっつくという線も一応可能性として挙げておく。祐麒にリリアンの彼女が出来るというのも面白いかも。小林くんを始めとした花寺の生徒会の面々はもう来年まで出てこないのだろうか(そもそも来年まで描かれるのだろうか)。ただ、本シリーズでの男キャラの位置づけは微妙で、それは作者自身も気を使っているそうなので、あまりストーリーに関わるほどの大きな要素とはならないだろう。

江利子は勝手にやってくれって感じ。傘張り浪人の連れ子という前振りがあるので、いずれ何か大きな話につなげるつもりなのか、ちょこちょこ書き足していくだけなのか。

■全体

濃い。人間関係が濃い。私はこんな世界にあこがれる。なぜ自分には師が、弟子がいなかったのだろう。それは私が自分勝手で孤独な人間だからだろう。先輩後輩の関係に慣れていない。以前委員会活動で後輩から「先輩」と呼ばれて嬉しいと言ってウケを取っていたぐらいだ。友人関係でも、ここまで踏み込んだ関係を築いたことはない。あ、一応あるかな?ただしはっきりとは解決しなかった。解決するには重すぎたものもあったし。それに面倒なことは嫌いだ。…なんて言っているからダメなんだな。

少女たちの世界についてこうして延々と語ってきたわけだが、これは別に少女たちでなくても、少年たちであってもそんなに変わらないと思う。まあ、少年たちがキスをしていたらもっとやばい感じがするので、少女たちを選んだのは正解かもしれない。まあ少女たちを選んだことについても、現実の女性たちからすればどうかと思うところなのかもしれないが。

本シリーズは学園モノだ。現実には存在しない特殊なお嬢様学校を舞台にしているということになっている。しかし、非現実的なのはお嬢様学校だとか特殊なスール制度とかよりも、濃厚な人間関係のほうなのではないだろうか。私はこの作品を読んで、現実に絶望しそうになった。なんて自分の周りの現実は醜いのかと。私にはとてもじゃないが、本シリーズの非現実さを笑い飛ばしたり崇めたりするだけでは収まらない。自分や周りの人間の努力次第でもっと美しい世界に住むことが出来たのではないかと思えてならない。いずれ書くと思うが、嫌なクラスメイトに挑発されて文化祭の出し物会議を抜けてきた自分が、もっとなんとかならなかったのかと後悔しきりなのだ。昔のことだけじゃなくて今のことだってそうだ。馬の合わない先輩とのぶつかり方や、後輩との当たり障りのない付き合い、上司とのいい加減な付き合いなど。まあそれはそれで、文章にまとめたら面白く思う人だっているかもしれないし、私の現実を羨む人だっているかもしれないのだが、それも寂しいことである。

これを書いている2005年10月現在、最新刊は2005年7月に刊行された「薔薇のミルフィーユ」で、大体三ヶ月ごとに刊行されるはずなのに2005年10月には何も出ないそうだ。しかし11月17日に発売予定のコバルト本誌では、本シリーズのアニメ版について何か重大な発表があるらしい。普通に考えればサードシリーズだが、ひょっとしたら作者がオリジナルで本格的にアニメ版の脚本を書いているのかもしれない。ちょうどさくらももこがちびまる子ちゃんをアニメ版だけでやっているように。あるいは単に再放送の案内だけだったりして。ともかく、ファンとしてはまず小説版の最新刊を待ちたいところである。

私は最近のファンだからまだいいのだが、「レイニーブルー」〜「パラソルをさして」の頃からのファンなんかは、なかなか本筋の物語が進まないのを読んでイライラしているんじゃないかと思う。


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