136. 同性に惚れた昔話 (2005/10/9)


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今野緒雪「マリア様がみてる」にハマっている。コバルト文庫だ。アニメ版を見て感動して原作を読んでみた。いわゆるライトノベルに分類されるところなのだろうが、所々描写が足りないと思うところはあるものの、必要十分なだけの簡潔な文章によってつむがれる物語に、幾度ため息をもらしたことか。

この作品はいわゆる百合モノ、つまりレズっぽい好意の描かれるミッション系女子高の日常と非日常の世界だ。この作品について書きたいことはいくらでもあるのだが、今回は思いつきで私が同性に惚れたときのことを書いてみたいと思う。リリアン女学院は武蔵野の面影が残る某所にあるという設定になっているが、そういえば私が通った中学校も(高校も)武蔵野にあり、公立で共学だがかつては上品な感じで知られていたという。

と、いざ勇んで書き出そうと思ったが、今回はちょっと骨が折れそうだ。

E君という。中学一年の頃に同じクラスになった。出会ったときのことは覚えていない。ただ、実は小学生の頃から彼は私を知っていたらしい。というのは、私は小学校六年生の二学期にこっちに転校してきて、彼のいるクラブ活動に参加したからだ。何故かハンドボール部だった。私は転校してきたばかりで周りの人は全員見知らぬ状態からだったが、彼からしたら途中で入ってきた私一人を覚えていた、というただそれだけの話である。

私はコンピュータが大好きだった。小学生の頃に、「ゲームセンター嵐」という漫画で有名だったすがやみつるという人の描いたパソコン入門本を読んでハマり、小学生の頃にファミコンにパソコンっぽい機能をつける周辺機器いわゆるファミリーベーシックというものを買ってもらい、中学に入る時には富士通のFM77AV20EXというパソコンを買ってもらい、それをいじって遊んでいた。そんな話をクラスでしていたのか、その話に乗ってきたのがE君だった。

E君の特徴はなんだろう。背は中くらいか低め。やや痩せていたかもしれないが、身体的な特徴はそれほどなかった気がする。顔は、強いて言えば目がパッチリしていただろうか。髪型は、どちらかというと「勉強できます」みたいな感じだったけど、おかっぱではなく4:6ぐらいだったような、サラサラしていたが取り立てて言うべきものでもなかった。

彼は私に話しかけるときには随分と距離を詰めてきた。それにドキリとしたのかもしれない。今でもぼんやりと思い出せるほどなのだが、彼が随分顔を近づけてきて私にパソコンのことを聞いてくると、私は自分の息の心配をして一歩退く。すると少ししてまた彼が踏み込んでくる。とまあそんな感じだ。

知らないうちに私は彼のことが好きになっていた。とはいっても、私は当時も今もホモではない。当時の私はこう考えていた。彼にはカリスマがあるのだと。人をひきつける何かがあるのだと。現に彼はのちに生徒会長になった。私の同級生にもそれとなくE君についての話を振ってみた。私が彼に好意を持つように、みんなも彼に好意を持っているに違いないと思ったからだ。一部それっぽい雰囲気を感じはしたが、誰かからハッキリと答えを得ることは出来なかった。そりゃ私の知り合いの多くは男で、男が男に好意を持つなんてのは思っても言わないものだろう。

私の症状はかなり明らかだった。なにせ、彼の家の前を通るだけでも特別な感情を抱いた。彼の家の明かりを見るためだけに、目的地までのいくつかのルートがあるときは彼の家の前のルートを選んだ。いまでも思い出す。市街地の中にある畑のそのまた中に立つアパートの一室。こうして改めて書いてみると結構ヤバかったのかもしれない。彼の姿を見るとなんとなく嬉しかった。彼の特徴ある字を見るだけでも嬉しかった。

E君には親友がいた。特に親しかったのは多分K君だろう。K君はE君の家の割と近くに住んでいた。地主なのか、結構大きな家に住んでいた。髪がわずかに茶色がかっていて、多分脱色はしていないが色素が薄そうな感じで、身体的な線はE君と似ていたように思う。この二人は特にベタベタと仲良くしていたわけではなかったが、私から見るととても仲が良さそうで、この二人の間に割って入るのは確実に無理だろうなと当時の私は思っていた。まあ私は私で、E君の中である種の位置があるのでまあいいやとでも思っていたのかもしれない。

すごくどうでもいい話なのだが、私はK君と二人で本屋に行ったときのことを何故か今でも覚えている。当時の私はゲームブックが好きで、それを見にいった。E君も好きなゲームブックがあって、あれなんだったっけ、ドルアーガの塔?スーパーブラックオニキス?とにかくある日本人作家の書いたやつが特にお気に入りだったのだそうだ。K君は多分あんまりゲームブックには興味がなかったような気がするのだが、親友の興味に合わせてちょっと見てみようとでも思ったのかもしれない。何故私がK君と一緒に買い物に行ったのかは覚えていない。ただ、二冊で一組で遊べる作品を見つけて、それが当時千円ぐらいと値段が高めで、共同で買ってやってみようと私が言ったら、K君はつれなく「それだったら一人で買う」と言ったのを、私は今でも根に持ってしつこく覚えている。

いまから考えると不思議でならないのだが、中学一年のころ私はパソコンを親に買ってもらうのと引き換えに陸上部に入り、大変な活動を嫌々ながらやっていたときに、一緒に活動していた女の子にはまったく興味を持っていなかった。彼女らのことについては以前書いた覚えがあるのでここでは省略する。

中学二年になるとE君とはクラスが分かれてしまったせいか、疎遠になってしまった。しょせんその程度の仲だったのかもしれない。いやそれもあったかもしれないが、私に親友が出来たのが大きかったのかもしれない。O君といっておくことにするが、彼とはその後も高校まで一緒になり、長い付き合いとなる。ぶっちゃけ今はほぼ切れているので、彼についてはいずれ書くことにしよう。ちなみに不思議なことに彼も中学でのちに生徒会長をやった。

ついでに高校に入ってからも、生徒会長を二年もやったR君という変人と付き合いがあった。まあ当然のことながら、現実は生徒会なんて言っても「マリア様がみてる」の山百合会みたいなものではなく、物好きな変人か先生に信頼されている人がやるような、大方の人にとってはどうでもいいものに過ぎない。

あ、でもE君が生徒会長だったときは、書記か何かに「マリみて」の祥子さんみたいな性格の強いお嬢さんっぽい風貌の人がいたなぁ。彼女とは、私が転校してきたばかりの小学校六年生の家庭科の授業で、席が隣になって色々訊きまくってウザがられた覚えがあった。いま思うと彼女は魅力的だったなぁと思うが、当時はなんでこの人はこんなに怒るの?と純粋に思いつつ、彼女に薪をくべまくってもなんとも思わなかった。

E君との仲は、その後は私が一方的に続けるだけとなった。クラスが離れてからは、彼の方から私に接近してくることはなくなった。彼にとって私とはそのくらいのものだったのだろう。別に私のほうも悲しいとか寂しいとかとは思わなかった。これは本当、心からそうだと言い切れる。じゃあ私は実際はE君のことを好きというほどのものでもなかったのかもしれない。だが、一応関係維持を続ける試みはしている。

ゲームブックの延長上に、テーブルトークRPGがもたげてくる。私はパソコンが好きで、中でもゲームを作るのが好きだった。というか最初はゲームが好きだった。コンピュータゲームに限らず、ボードゲームやカードゲームが好きだった。市販のものに飽き足らず、自分で考案したりもした。カードを並べたりサイコロを振ったりするのが好きだった。色々作ってクラスの友人に遊ばせた。作ることにも参加させた。この話は長くなりそうなのでまた別の回にまわすことにする。

テーブルトークRPGというと、コンピュータRPGの元になった、コンピュータなしでやるRPGごっこみたいな遊びである。私はテーブルトークRPGというものの存在を、「D&Dがよく分かる本」とかいう本で知って、自分たちでもやってみたいと思っていた。そこでE君も巻き込んでみた。テーブルトークRPGについては、場所確保で公民館を借りるためにサークルまででっちあげて、私の弟や友人の妹や、友人の友人の他校生まで広がって色々あったが、この話も長いのでいずれ話すことにして先に進む。

思えばE君は集まりに二回か三回ぐらいしか来てくれなかったから、多分私の誘いに仕方なく来たとまでは言わないが、あまり自分からやりたいと思って来ていたのではなかったと思う。そうはいっても、一度はGMという司会進行役までやって、自分でシナリオ作ってやっていたこともあったので、やるときはそれなりに楽しんではいたと思う。

ちなみにこのときの会話録をテープに録ってほぼ完璧にテープ起こししたものを、日本のインターネット元年と言われる1995年になんと大学内の個人ホームページに載せていたことがあって、いまから思うとかなり恥ずかしい。名前は全部匿名にしたが、参加者の許可はまったく取っていなかった。2002年頃に当時の参加者の一人W君に、ひっそりでいいから公開してもいい?と訊いたら猛烈に反対されたのを覚えている。それはいいとして、E君がGMをやった会をあえて選んだのも、そのときの会が面白かったという以外の何かがあったのかもしれない。ちなみにテープ起こしはそのあともう一回やっていて、その猛烈に反対したというW君がGMをやった時の、宇宙人がやってきてどうのという荒唐無稽なシナリオの会だった。

W君の家で集まって遊んでいる最中に、外からE君を呼ぶ黄色い声が掛かったことがあった。通りがかりにW君の家の前にとめてあるE君の自転車を見たクラスの(?)女の子が、わざわざ立ち止まって彼に声を掛けたのだ。特に用事もなかったのに。なんてことのない出来事なのかもしれないが、彼がモテていたか人気者だったことを多少裏付けてくれるエピソードだと思うので紹介しておいた。

彼との最後はあっけなかった。だんだん疎遠になり、連絡がとれなくなっていったので、あるとき思い立ってアポなしで彼の家に行った。理由はあったが、どうでもいい理由だった。ファミコンソフトでナムコのキングオブキングスというシミュレーションゲームを彼にずっと、多分一年以上も貸していたので、そろそろもう遊んでいないだろうと思って返してもらおうかと思ったのだった。ところが彼はそのとき不在だった。母上か誰かが出たので、訪問の理由を言ってソフトだけ返してもらった。確か一応ソフトの話はしておいた記憶があるが、よく覚えていない。ただ、それっきりだったという事実はよく覚えている。

彼がどの高校に進学したのかすら私は知らない。ただ、噂だけは聞いていて、学区内トップの都立高であるMに行ったのではないかということだった。ちなみに私は家から一番近い徒歩五分の学区内四番目くらいの都立高に行ったので、その後彼と出会うことはなかった。Mにはちょっと成績が足りなかったし。

いま思い起こすと、当時の私は割と人気者というか、クラスではしゃいだりいじられたりかきまわしたりと、人付き合いに不自由を感じたことはあまりなかった。私の人気者説や奇行についてはまた別の回で書こう。しかし、E君とのことに関しては、私が一方的に振られたのだと思う。

私は彼の結局何に惚れたのかよく分からない。彼は特別勉強が出来たというほどのものでもなかっただろうし、スポーツもあんまり(確か卓球部だったような…窺い知れよう)、惚れた当初は生徒会と関係なかったし、異性からモテモテという風にも見えなかった。身体的な魅力も感じなかった。不思議だ。だからこそ私は彼に抱いた感情を「惚れた」と確定させたわけである。

その後、高校二年になって、はっきり好きと思える異性を見つけ、以来同性に好意を持つことはなかった。

社会人になってから、同期でちょっといい感じの人に出会い、多少好意を持ちはしたが、惚れたというほどでもなかった上に、転職のとき何も告げずに私は去った。彼はシンガポールとイギリスに留学した経験を持ち、英語ペラペラで海外の会社とも普通にやりとりし、ボクシングをやっていてそこそこハンサムで、欠点は背が低いことと自分にあまり自信を持っていないことぐらい。終電がなくなって彼の家に招待されたときに、彼の作る朝食までもらってちょっと惚れそうになりはしたが、シンガポール時代に知り合ったという中華系の女性と結婚していなくても、特別な感情を抱くというほどではなかったと思う。むしろ彼が私に惚れてたかも。なーんてね。

私は多分ノーマルだと思うのだが、バイセクシャルなのではないかとたまに思うこともある。

つい最近の例で言うと、いまの職場にいる三十後半の若い部長さんがいて、あるとき私はこの人の腕をじっと見ていたようだった。あまり毛がなくて若いなぁと思っていたら、いきなりこの人が「わたし腕きれいでしょ。キャバクラのおねえちゃんにも褒められるんだ」とわけわからんことを言い出した。私はそんなにこの人の腕を凝視していたつもりはないのだから、この人が意識しすぎだと思うのだが、こんな会話が成り立つというのは怪しい。

飲み会のときに、話の面白いS先輩の近くに行って会話に加わろうとしたら、「ゴミさん近い近い」と言われてしまった。場所が狭くてちょっと距離を詰めすぎたのだろうが、その後のネタとしてこの人が「あのときはゴミさんにキスされるかと思った」と笑い話にしていた。そういうことを言うと今後ホモネタを続けてやろうかと思いたくもなる。

高校のとき、中学から親しかったO君とずっと学校で一緒に過ごしてきたので、一部でホモ疑惑があったそうな。でもそのときはクラスの女の子で何人かいいなと思うような人がいたのはハッキリしていて、ただ近づけなかっただけの話なのだ。O君のほかにも何人かと親しくしていたし、クラスの同性の半分ぐらいとは友達だと思っていた。

私はホモの人を差別する意識はまったくないつもりだが、それでも本物のおかまを実際にこの目で見ると、周りの人と一緒になって笑いのネタにしてしまった。

男子校にはマジネタが転がっているんだろうなぁ。

と、本シリーズ中、ある意味もっともヤバい話題に触れた今回だが、あまり期待どおりの内容は書けなかったと思う。本当はもっと書けるんじゃないかと思っていたのだが、書いてみたらそうでもなかった。申し訳ない。


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gomi@din.or.jp