135. Iさん (2005/9/15)


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彼女はとても積極的な人だった。今回は職場で出会った一人の女性の話をしようと思う。

■キックオフ

私が彼女の存在を初めて認めたのは、プロジェクト(期間が決まった仕事のこと)のキックオフのときだった。それ以前は、協力会社の製造要員の中に、ちょっと派手めの人がいるな、と思ったぐらいだった。キックオフとはつまりプロジェクトの最初の景気付けに飲みにいくことで、プロジェクトのメンバーの中から日を決めて行ける人だけ行った。プロパー(正社員)だけでなくパートナー(協力会社の人)も全員で飲みに行った。一次会が終わり、二次会に来たのは、ほぼプロパーだけだった。しかし例外的に彼女は一人だけプロパーに混じり、仕事の話に絡んでくるのだった。

このときのプロジェクトマネージャーはTさんという、ちょっと理想主義的な考え方を持ちつつも気さくな人で、このときもシステムエンジニアとはこうあるべきだというようなことをネタに、プロジェクトをどう進めていくかという話で盛り上がっていた。Iさんもその流れに感化されて付いていこうとしていたので、いじられる対象となった。こんなときどうする?みたいなケーススタディを一番に振られ、半分知ったかぶりをして強気の笑顔を浮かべつつも、ちょっと不安げに答えていた。私はそんな彼女を見て彼女のことが気に入った。

しかし、この飲み会のことはその後一ヶ月ほど忘れることになる。

■製造チーム

プロジェクトは設計チームと製造チームに分かれていた。私は中途で入社してすぐだったので今回のシステムの仕様が分からず、製造の経験が長いこともあって製造チームにまわされた。パートナーは全員製造チームに入り、私たちプロパーは彼らの作業を管理しつつ一緒に製造することになっていた。

製造チームは全員で20名以上いた。普通なら何チームかに分けてやるのだが、製造チームのリーダーであるYさんは最初すべて一人で管理する気でいた。私はこの会社に来て間もなかったのだが、このやり方に異を唱えた結果、私の不満を和らげるためか、私だけ自分のチームを持つことになった。ちなみに後日またこのプロジェクトのバージョンアップの製造も似たような規模でやったのだが、このときは全体を数チームに分けてやったので、私の意見は大勢において正しかったと言えるだろう。

というどうでもいい話をしたのはYさんの性格を説明するためのあくまで前置きだ。Yさんは他にも役得とばかりに強権を振るい、自分が面接で採った人員の中から、かわいいどころの人を自分の向かいの席に配置したのだという。このことは本人から自信たっぷりに聞いたので間違いない。そしてさすがに自分だけでは悪いと思ったのか、私の正面にもOさんという女性を配置したが、真意は不明だ。私はその状況が嫌だったので、もっともな理由をつけてOさんの席を斜め前に移してもらった。

■喫煙所

ということがありつつも、同じチームということで私は最初彼女に接近した。彼女はタバコを吸いに時々喫煙所に出かける。そこを後ろから追いかけて、一緒していいか聞き、会話をする。ちょっと露骨ではあったが、私はOさんだけと接触を図ったわけではない。はっきりとあとをついていったのは三回もなくて、あとは偶然の一致に任せた。私は奇妙な平等主義を持っていて、同じチーム内の人にはなるべく等しい時間を割いてコミュニケーションを図った。彼女のほかにチームは男三人、寡黙で年上の人、おっさんのような外見だが実は同年代の人、そして「ナイフのように触れたら切れそう」と裏でネタにされていた口数の少ないリーゼントの若い人がいた。彼らは彼らで書いてもいいのだが、今回のテーマとは外れるので割愛することにする。

さて喫煙所では、二人きりということもあったが、他の人が既にいたり新たにやってきたりして話に加わるのが常である。こうして集まると、かつての仕事の話とか、どこに住んでるとか、いわゆる世間話になるわけだ。私が知る限りほとんど色恋の話は出なかったが、Oさんと私に加え、協力会社の目の細いニヤケ顔の人の三人で話していたときは、なぜか結婚の話になったときにその彼がOさんに向かって冗談で「ここで結婚相手探しちゃえば」とニヤケ顔で言っていたのが印象に残っている。そのぐらいだ。

私はコミュニケーションを重視するほうである。喫煙所はその最適な場だ。プロパーとパートナーとの壁が低くなる場所である。かつての仕事の話をするときは、管理する側とされる側の関係はない。互いの持っている経験談を交換する良い機会である。現在の仕事の不満も割合簡単に言ってくれる。公式に改善案を出すルートも用意していたが、喫煙所という非公式なルートこそ本音が聞きだせる場所なのだという考えが私にはあった。

■労働時間

だがなんと私が喫煙所で聞き出した本音がもとで、協力会社が一つ出入り禁止になってしまったこともあった。派遣契約で来てもらっていた彼らは、私たちが彼らの営業に伝えていたキツい労働時間について、聞かされていなかったというのだ。そのことが原因で、こんなに働かされるなんて聞いてないよと、彼らの士気が下がりまくっていた。従って彼らは悪くないのだが、その会社は信用できないということになったのだろう。

私たちが彼らとそして自分たちにも課していた労働時間というのは、世間一般にキツいと言われる待遇よりは大分マシなものだったが、それでも月に60時間程度の残業をしてほしいというものだった。土日は休めるし終電まで働けというわけでもないのだが、どんなに作業が進んでも遅れても毎日毎日21時半まで固定でやるというものだった。後日私のチームのリーゼントさんに別のプロジェクトで再会したときは、そのプロジェクトでは土日なく働かされていたそうだったが、この当時の残業時間固定のほうがストレスフルだったと語っていた。

ちなみに、チームリーダーYさんが自分の向かいに置いた女性は、徐々に顔が険しくなっていき、しまいには生気が抜けたようにおとなしくなっていった。外見に似合わず割と性格の強い人で、私が喫煙所で会話していたときは、同じ会社の同僚たちと居る中で、不平不満を率先して言っていた。彼女は結婚して間もなかったそうで、ちょうど女の子を卒業しつつある感じがした。後日その話を同僚にしたところ、「私が彼女の女の子を呼び戻してあげよう」と冗談を言っていて笑った。

■Iさん再び

製造が始まって一ヶ月ほどたったあるとき、ふとしたことでIさんが私たちのチームと時々関わりを持つ状況が起きてきた。ここでようやくIさんが本格的に絡んでくる。言い忘れたが製造チームは人数が多かった都合もあって、部屋が二つに分かれていた。私たちとIさんとは部屋が別だった。Iさんとは今後似たような箇所をやるだろうということもあって、私は急に自分がキックオフでいだいたIさんへの好感を思い出し、彼女に対して自分の隣の席に来るよう言った。座席を決めるのはチームリーダーの権限だということで、私が何度も彼女を誘っても彼女は「それはYさんに言ってください」と繰り返した。そこでYさんに言うと、それもそうだということで、あっさりと彼女が私の隣の席に移ってきた。

彼女は仕事が出来た。外見はギャル風なのにだ。彼女の向かいに座っていた人が後日、彼女はまるで水商売の女性のようだったと証言している。こういう女性は大抵非論理的で、とてもプログラミングなどというものに向いているはずがないのだが、不思議なことに彼女にはプログラミングの腕があった。私はそのことに多少の感動を覚えたので、お世辞でもなんでもなく彼女を声に出して褒め称えた。そのことがどう作用したのか定かではないが、彼女のほうから私を一服に誘ってくれるようになった。

一方Oさんのほうは、親密になろうと私が多少の好意を投げてもIさんほどには返ってこなかったので、あえて私のほうから近づくことはしなくなった。喫煙所で偶然会ったときだけ話すことにした。私はIさんのことにばかり気が行っていたので、Oさんのほうはあまり省みなくなった。Oさんの隣には歳の近いリーゼントさんを配しているのだからいいだろうという意味不明な配慮をした思いもあった。そのあと時間を置いて、Oさんが一週間ほど無断欠勤をしたり、ちょっと派手な格好をしてきてYさんから冗談で突っ込まれて本気で否定していたりしたが、私のせいだと考えるのはさすがに傲慢だろう。

■Iさんへの好意

Iさんの魅力は、そのギャル風の外見と、至近距離から香ってくる強い香水の匂い以上に、彼女の押しの強い性格と奔放で明るい会話だった。私は大体一日一回から二回ほど、彼女と二人きり、あるいは他の人もまじえて、たわいのない会話をした。正直私は彼女のことが既に好きだった。本当は、たまに一人で静かに一服したい時を除けば、常に彼女と喫煙所で会話することを望んだ。ただし、二人きりでなくてもよかったし、というより二人きりで話題が途切れるよりも誰か他の人がいてくれたほうが良かったと思っていた。

私は彼女にたびたび好意を投げた。もっと親しくなれることを願っていた。しかし、この関係がもっと親密になることはなかった。私が投げた好意はたびたびかわされた。少なくとも私にはそう思えた。それでも彼女は変わらず私を一服に誘った。私は彼女のプライベートのことを聞き出そうと話題を振ったりもしてみたが、なかなか答えてくれず、刹那的ないじりあいに置き換わることが多かった。彼女は人をいじったりいじられたりするのが好きで、些細なことをネタにどうでもいいことでケラケラ笑った。

■二回の告白?

私が彼女に対して踏み込んだやりとりをしたのは多分二回ある。どうやら彼女の中では、私が二回彼女に告白したことになっているらしく、そのように周りの人に言っていたらしい。私は彼女に告白した覚えは全くない。ただ、事実だけを抜き出すと、私は彼女に対して「かわいい」と言い、「なぐさめて」と言ったことだ。片方はなりゆきでそう言っただけなのと、もう片方は冗談で言って現に部屋中大爆笑だったのだ。もしこの程度のことで告白だと受け取ってくれるなら、私の微妙な好意がうまい感じで伝わったことになるので本当に嬉しいのだが、さすがにこの程度のことは告白とは言わないだろう。現に彼女にはその後も大した変化は見られなかった。

彼女に「かわいい」と言った時のシチュエーションはこうだ。二人きりのときに話題に困った私が、彼女の髪のセットとか爪のマニキュアとか化粧とかを、毎日やるのはすごいねと言ったのだ。私自身は毎朝何もせずに出かけるのに、彼女は毎朝時間をかけてセットしているんだろうなということを想像して、本当に感心していたのだ。いわゆるギャルは極論するとそれだけに注力している人種なのだから全く尊敬はしないが、私と同じような仕事もしている彼女が同じようにファッションに気を配っているのは大したことだと私は考えた。

という話は多分意味不明だろうしIさんもそのとき私が何を言っているのかよく分かっていない様子だった。そこへ同僚の親しいSさんが入ってきたので、Iさんは私が訳の分からないことを言っているということをSさんに話し始めた。もう面倒くさくなった私は、「要するにIさんはかわいい」ってことだと言った。そうして全員で笑ってごまかしたのだった。

ちなみに彼女はのちに、眉を描かずに客先に出勤したことがあったらしく、酒席の軽いネタになっていた。

一方「なぐさめて」のほうは、プロジェクトのスケジュールがきつくなってきて、リーダーのYさんが私に対してスケジュールを守れるようチームのメンバーに指示を浸透させるよう念を押してきたときのことだった。うーん、そんなこと言われてもなあ、とちょっとよわって見せたのだった。そしてふと思いついて、隣にいた彼女に「なぐさめて」と冗談の笑いを浮かべて口にしたところ、狙い以上にウケたというわけだ。

「かわいい」はともかくこの「なぐさめて」のほうは単なるギャグだったと思うのだが、これ以外に何も思いつかない。

■かわされる好意

他にも私は色々な形で好意を投げた。

まず、何度も仕事のことを褒めた。というか、Iさんは実際に仕事がよくできた。それは私以外にもリーダーのYさんらも言っていた。だが私が褒めてもあまり嬉しそうなそぶりは見せなかった。

私は彼女に興味を持っていたので、プライベートのことも訊いたが、前述のとおりかわされてほとんど訊き出せなかった。相手に興味を持っているというのは立派な好意なのだが、これをかわされたというのはもうなるべく関わりたくないと言われているに等しいのではないかと私は思う。ちょっと適当なことでも言ってくれたほうがまだいいのにだ。あるいはどうしても話せない事情でもあったのだろうか。

私は好意が高まると体を近づけるらしい。自分でも半分無意識で半分意図的でやっているのだが、並んで歩いているときに肩を寄せてくっつけたり、なぜかふざけて軽くドーンと押してしまう。これは同性相手でも同じだ。で、ついにIさんにもやってしまった。するとIさんに「ちょっとゴミさんそれセクハラ…」と言われた。無理もない。

昼食にも誘ってみたが、私の誘い方が中途半端なこともあって断られた。後日逆に誘われるが、そのときは職場にプロパーが最低一人は留守番していなければならず、私が残らなければならなくなって行けなかった。さらに後日、偶然彼女ら職場の女性たち数人が集まってどの店に行こうか悩んでいるところへ出くわし、私も混ぜてくれと言ってみたが、最初冗談風に彼女に断られる。私はこういう場面で冗談を言う彼女の神経についていけなかったので、じゃあいいやと歩き出したら、後ろから来て行こうと言い出したので一緒に行った。

私は貧乏ゆすりをする癖があるのだが、Iさんもそれが気になったようで私に注意をしてきた。それでもついやってしまうので、脚を手で押さえられたり、しまいには脚を蹴られたりした。が、これはむしろ仲が良いからだろう。

■決断

かように好意が返ってこない状態が続いていたので、じゃあもうあとは彼女が私を好きでなくても、私が彼女をどれだけ好きかという問題になるという結論にたどり着いた。私がどうしても彼女を手に入れたければ、あとは彼女が私をどう思おうと、突き進むだけである。なのでもう一度よく考えてみた。相変わらず彼女は親しげに私に話しかけてくるし、一服にも誘ってくるので、そのときの会話で見極めようとした。その結果、彼女はあまりに非論理的で会話がかみ合わず、一生のパートナーとするのは無理だと判断した。意見や考え方が違うのは仕方のないことだが、それ以前の問題なのだ。私は基本的に結婚相手になるかどうかで相手を判断している。

というわけで、このときをターニングポイントに、私はもう彼女とは楽しい時間が過ごせればそれだけでいいやということに決めた。余計なことは考えずに、適当に話をしてればいいやと思った。プロジェクトは有限なので期限がきたら終わってしまうが、それまでのあいだ楽しければいいやと考えたのだった。

■変節

だが今度は彼女のほうがおかしな挙動をしだした。

私が読んでいた週刊文春の記事に、酒井順子の負け犬の話が載っていたのだが、読みたいから貸してくれと言い出してそれを読んだ。クリスマスイブは友達何人かと何かを食べに行くという話をしていて、私もハナから誘う気などなかったが、当日ミレナリオだかルミナリエだかのイルミネーションのサイトを見ていたので、私は横から「誰かと行くんですか」と声を掛けたところ、「ゴミさんはDさんと行けば!」と声を大きくして言うのだった。Dさんとは私の席の向かいにいた同年代だがオッサン顔をした愛嬌のある人だ。喫煙所で周りに他の人がいる中で「ゴミさんは結婚できないよ!」と言い出したりして、訳が分からない。

しまいには、以前私が彼女に言った言葉を引いてきて、「なぜ私と一緒にいたいの?」と直球を放り返してきた(ん?そもそも私がこう言ったのだとしたらこれが告白一回目とやらなのか?確か彼女が別の離れた場所で仕事をすることになってそのことが残念だと私が言ったことを言っているのだと思う)。このとき、もし私が自分の相手として彼女にひたすらアプローチすることに決めていたら、彼女と一緒にいたい理由を「好きだから」と言えば告白成立だった。しかし私はこう返した。「一緒にいると楽しいからだよ」と。もうこれで決別が確定したなと思った。

なんだろう。私は彼女に何を言ってきたのかあまりよく覚えていない。多分ここに書いたこともあまり正確ではない可能性が高い。気の強い人が好き、とかも私が彼女に言ったのを覚えている。まさかこれが告白一回目扱いなのか?ともかくそれだけ私は彼女に好意を投げていた。ろくに返ってこなかったが、それは返ってこなかっただけで、届いてはいたのかもしれない。

■打ち上げ

さてついに別れの時は来た。プロジェクトの最後の打ち上げの飲み会だ。最後にちょっと会話して終わりにしようと、途中で彼女のいる席に近づき、どうでもいい会話だけして引き上げた。それが一次会で、私は普段二次会には行かないのだが、彼女がくるかもしれないというほかにプロジェクトの他のメンバーとの別れも惜しいので二次会に参加してみた。彼女は来たが、やはり二次会でも私は楽しければいいやと、彼女をちょっといじって終わりにしようとした。最後にまたあの楽しかったくだらないやりとりが出来るといいなと思ったのだが、急に彼女は怒り出して、近寄る私の頭を机に押さえ込み、逆隣の人と話し始めた。私はそのままじっとしていた。もういいやという気分だった。

そしてそのまま私は彼女と別れ、今に至るまで一度も会っていない。

■あとがき

今の私には、あのときの判断は正しかったという想いと、いやIさんの存在は私にとって必要であると同時に試練だったのだという想いとが相半ばしている。あのとき確かに私は彼女のことが好きだったので、理性ではなく本能で突き進んで手に入れ、彼女の欠点にはあとで気づいて悔やめば良かったのかもしれないのだ。あるいは私は自分に自信がなかっただけで、突き進む勇気のないことへの言い訳をしていただけなのかもしれない。

今回の話で私にとって気になることはいくつかあるが、その中でも一番気になったは、私以外に誰もIさんにアプローチしていなかったことだった。一般的にIさんは魅力的な人だと私は思っていたのだが、それはあくまで私にとってだけであって、他の人にとってはそれほど魅力的ではなかったのだろうか。それとも私のアプローチが露骨すぎて引いていたのだろうか。いやさすがに一ヶ月ぐらい間をあけていたのだからそうとはいえまい。

私は彼女に、私は気の強い人が好きだと言ったのだけど、もう一方では男ってのは一般的に結局やさしい人を好きになるもんだということも言った。気の強い女性はあまりモテないのかもしれない。だとしたら私にとってはライバルが少なくていい。が、私にとっても本当に気の強い人は魅力的なのかどうかは確信が持てない。

それから今になって思うのだが、かわいいとかかっこいいとかの外見や、明るいとかやさしいとかの性格よりも、私はあなたのことが気になっているんだという意志を示すことが何より威力が大きいのではないかと思った。私は最初にいきなりIさんを自分の隣の席に呼んだことで、彼女にバッチリ自分の好意を示していたので、それで彼女も私のほうを向いてくれていたのだと思う。


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