125. IT戦記2 (2002/6/28)


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前回は、ごたごたしていたけど色々あって楽しかったね、という話だったのだが、今回はまったく正反対の話である。

今回もまた私一人で乗り込んで行ったのだが、開発は混成部隊ではなく契約先企業の正社員たちだけで行われていた。一応、データベース関連のサポートをおこなう会社が短期間だけやってきたが、基本的にフルタイムで常駐して働く外注は私一人だけだった。

■前日

派遣業界では、面接をしてはならないだとか、派遣者の履歴書を顧客に公開してはならないだとか、法律でちゃんと決まっている。しかし、実際には「打ち合わせ」と称して面接をおこなう。それから、今回の私のときも、業務経歴書は当然の資料として顧客に示されるのだが、その業務経歴書に記載されていてはならない氏名と学歴が「うっかり」載っていたとかいないとか。

ともかく、今回は「打ち合わせ」で大したことなくスムーズに決まった。あからさまにおかしい人でなければ大体問題ないらしい。私は一度、「打ち合わせ」で契約がまとまらなかったことがある。小さいけど活力のある会社で、社長と開発部長みずからが「打ち合わせ」をしたのだが、なにか気に入らないことがあったのか、あるいは金銭面で折り合わなかったか、急に人がいらなくなったか、理由は定かではない。

派遣業界というのは、建前上は、最適な人材を送り込むことになっている。しかし、常に最適な人材が動員できるはずはない。特に、稼働率が高くなると、手のあいた者から次の仕事に放り込むことになる。また、家から職場への通勤時間も、仕事に最適かどうかということよりも優先されるようだが、それですらも手があいてるかどうかによって無視される。今回も、通勤時間が最悪で二時間近く掛かるのだが、希望するならウィークリーマンションみたいなところを借りると言われたので、それは面倒だからと家から通う方を選択した。

「打ち合わせ」で私は、お客さんの代表者、つまり今回の仕事のリーダー Kさんと少し話をした。仕事がらみの話である。この業界は、技術力よりもなによりも優先されることがある。それは、コミュニケーション能力である。人とうまく会話できない人間が意外に多いのだ。そういう人とだけは契約したくない、というのは分かる話である。会話さえできれば、最低限仕事ができる。なんだかとても情けない話だが、そういうものである。

リーダーの Kさんはとても論理的な人だった。ここまで論理的な人はこれまで見たことがない。外見は浪人生か院生風で、話ぶりに知性を感じる。私も、この人に合わせて論理的に会話した。

■当日

次の日から仕事だ。といっても最初のうちは事務手続きや顔合わせ、職場のルール説明やマシンのセッティングなんかで終わる。

その日の昼食を、プロジェクトメンバーと一緒にとった。

昼食の場での、ほとんどの会話は、リーダーの Kさんと私とのあいだで行われた。私が話を他の人に振ると、その人は説明してくれるのだが、自発的に何か話が出ることはほとんどなかった。私は、初日は大切だろうと、ややテンションを高めにしてコミュニケーションを試みたのだが、空振り気味だった。

■メンバー

メンバーをざっと紹介する。

▼リーダー Kさん

プロジェクトリーダーが先の Kさんである。アーキテクト(設計責任者)を名乗っていて、横文字の好きな人である。外見は浪人生か院生風と言ったが、森下裕美「ここだけのふたり」に出てくるいじめられっこの「ぼくちゃん」が細長く大きくなったようなイメージがある。非常に理知的で、仕事のできる人だが、あとで詳しく説明するがワンマンな人である。

▼開発まとめ役 Iさん

私が主に指示を受けることになったのは Iさんだった。三十代前半か後半の、バカボンのパパをマジメにしたような外見を持った、小柄なおじさん風の人だった。声が小さくて、ゆったりとしゃべり、言葉の端々に軽い笑いを含める人だった。コーディング部隊のまとめ役らしい。落ち着いているところはいいのだが、頼りない。実質的に逐一 Kさんから指示を受けて行動していた。

▼対外まとめ役 Xさん

もう一人のまとめ役が、Xさんだった。風貌はわりと若いが年齢は多分おじさん。欧州製のあのヒザで座る椅子を私物として持ち込んでいた。技術関係の本を机に並べていて、新しいモノ好き。プロジェクトの対外的なまとめ役をしていたので、開発部隊とは距離を置いていた。プロジェクトをまとめるには、プロジェクトの内側と外側の両方に目を向ける必要があるのだが、片方に目を向けるともう片方に目が向かなくなるので、分担してやるのが良いとされる。たまに饒舌になるが、普段は開発に何も口をださない。

この Xさんは、昼休みに仲間うちで Age of Kings というゲームをやっていた。私は興味があったので、業務二日目か三日目ぐらいに後ろで彼のプレイを覗いた。彼が後ろにいた私に振り向いたときに、私は彼に話しかけた。Age of Kings ですよね、とか、誰とやっているんですか、みたいな簡単な質問を二三してみた。ところが彼は本当に気のない返事しか返してこない。これをとっかかりとしてコミュニケーションを円滑にしようという意図が微塵も感じられない。私はあきれて、仲間に入れてくれという言葉を飲み込むことにした。

▼開発リーダー Nさん

きれいに口ひげを生やしたこぎれいな 9年目の人。のったりくったりと小声でしゃべる人だが、話をしてみると案外通じた。技術力があり、調べ物を楽にこなしていた印象がある。

子会社の名刺を机においてある人がいたのを私が指して、ここの部署は元々子会社だったのか、と彼に聞いたら、あの人だけが子会社に籍を置いて出向してきているんです、と丁寧に答えてくれた。が、話はそこで終了してしまった。仕事でも、何かを振られると小声ながらきっちりと答えるが、自分から何か言うことがなかった。

▼開発 Nkさん

柄本明に似た 7年目の人。キャラもマイペースで、早朝来て夕方帰る変わり者。プロジェクトを実質的に一人で引っ張っていたリーダー Kさんに対して、自分の領分の中で自分が正しいと思ったときにはっきりと主張していた。

▼開発 山田男

このプロジェクトには山田さんが三人いた。そのうち、森下裕美「少年アシベ」の主人公アシベをそのまま大人にしたような外見を持つ 4年目くらいの人。仕事とは関係ないところですすんで私に話しかけてきた唯一の人。

私と年齢が近いことは向こうも想像していただろうが、会って親しくなる前にいきなりタメ口で話してきたときには驚いた。名前はさすがにさん付けだった。私は困って、丁寧語とタメ口を適当に混ぜながら彼と会話した。気を使いすぎだろうかと思ったが、のちにそうでもないことが分かった。彼は私の前で確か二回、自分は外注管理もやってきた、ということを言った。明らかに私が外注であることを念頭に置いた言葉だった。一回なら単なる業務経歴の話だと思うところだが、二回目は明らかに話のもっていきかたが不自然だった。

▼開発 山田女

一年目の女性。帰国子女らしい。おかっぱとキノコ頭の中間ぐらいの髪形だが色は茶色で、ぽっちゃりとした体格。声の大きさは普通やや小さめだが早口気味。他の部署から一時的にやってきたらしく、本来はカスタマーエンジニアに近いことをやる部署にいるらしい。そのせいか、それとも元来控えめなのか、プロジェクトでは自分の意見を言わなかった。目がパッチリしていて、じっとみるとそれなりにかわいい。

▼営業 山田営業

黒鉄ヒロシに似た営業。営業なので開発にはあまり関わらないが、お客さんの意見を言いにきたりする。さすがに営業だけあって、向こうから私に話しかけてくるし、なんでもない話をするのがうまい。私との利害関係もなく、話していて一番気持ちがいい人だった。

■設計前

私が来たときはまだ席とマシンが用意されていなかったので、サーバを置く場所で旧版をいじったり本を読んだりしていた。

そのうち席が用意された。みなと同じ場所だったが、席が離れていた。普通、同じプロジェクトの人同士は、机が近くになるよう引っ越しをするものなのだが、山田女さんは急に入ってきたせいか、島向かいの机だった。私は、さらに向こうの別の島だった。

マシンの設定は、正社員の中でもっとも下っぱの山田女さんがほとんどやってくれた。

マシンを割り当てられたあとで、まあ他意はないのだが、パスワードを設定しておいた。すると後日 Kさんが、なにかあったときのために、パスワードを設定するのなら誰かにも伝えておいてくれ、と言われた。分からなくはないが、萎える話である。ちなみに、契約上はここの会社が私の会社にマシンを貸与することになっていたのだから、ますます不可解な話だが、業務上は理解できないことではない。

メールアドレスの申請時も、申請書を正社員が代理申請という形になったのだが、パスワードをそのまま書いた紙を山田女さんに手渡すことには私も彼女もやや戸惑った。自社との連絡にも使ってくれということなのだが、実質上はともかくとして表面的に問題がある。手続きが整備されていないのだろうか。

■機能設計

リーダーの Kさんは、前述したように自らをアーキテクト(設計責任者)だと名乗っていて、基本設計だけでなく詳細設計にも深く突っ込んでくる。特に設計の間はずっと、極端なときは開発要員一人一人と打ち合わせの場を持って設計を詰めていった。私に言わせれば、それこそ手取り足取りといったところだろうか。

この Kさんというのは、いわゆる教育欲の強い人だった。教育欲という言葉は、「声に出して読みたい日本語」という本で有名な斎藤孝の言葉からとったのだが、世の中には確かに教育欲を持った人がいる。いわゆる「教えたがり」である。Kさんはたびたび私に「レクチャーしようか」と聞いてきた。しかし、知っていることの方が多かったので大体「大丈夫です」と答えた。

普通、全体設計・基本設計は一人か二人でやる。そのあと、機能設計だとか詳細設計だとか言われる部分は、それぞれの機能ごとに分けて、何人かでやる。機能ごとの細かいことは、一人や二人でカバーすることは不可能だからである。

ある日、ようやく私に設計の指示が来た。Kさんと、開発のまとめ役 Iさん、それに山田女さんと私で打ち合わせという形になった。私と山田女さんは、ちょうど隣接する機能を担当することになったらしいので、一緒に説明を受けた。

そのときの指示は非常に適切なものだった。どういう機能を作ればいいのかまとめてくれ、という内容だった。一週間以内、という期限もついた。私は最初、本当に一週間、実質四日でやるのか、と身震いした。というのは、私は Kさんの指示を誤解していて、機能設計書を書けと言っているように思ったからだ。私は集中力を発揮して、四日で機能設計書にあたるものを書き上げた。ところが、あとでよくよく考えてみた結果、どうやら Kさんは単に、こういうモジュールにはどんな機能が必要なのか、抜けがないように全部網羅してリストアップしてほしかっただけのようなのだ。

ここから歯車がズレていった。二三日後、私の出した機能設計書のようなものを Kさんが、文字通り「添削」した。最近の文書作成ソフトには、添削を行うための機能がついているので、バリバリに赤線や青修正で私の設計書に手を入れていた。そして Kさんと私だけでその設計書をプロジェクターに映して、いわゆるレビューをした。基本的に Kさんは私の設計書を認めてくれていた。添削は、会社固有の文書用語、それから私からみてささいな点だけにとどまった。しかし、こうまでしてレクチャーしたいものかとびっくりした。

■詳細設計

それから長い長い設計の日々が続いた。今度は詳細設計である。UML という形式で詳細設計書を書くために、Rational Rose というツールを使った。最近知ったがこれは相当高価なソフトである。だが、私がこのソフトを使って詳細設計をはじめたとき、なんと他に誰も詳細設計に進んでいなかった。

詳細設計をどのようにするのか、というのもすべて Kさんの頭の中から出てきたものをそのままやることになった。Kさんは各担当者と打ち合わせをするが、基本的にそれらは Kさん自身が考えた設計を各担当者に伝達するためだけのためにおこなわれた。

私の担当部分でも、Kさんがこうしてこうしてこうやろうと説明するのを私が聞くだけだった。私はこういったワンマンな方法があることを奇妙に感じたが、しばらくは黙って従っていた。しかし私は、Kさんがデータベースソフトについてほとんど知識がないことに気がついた。データベース周りの設計が明らかに変なのではないかというのがあったのである。私はそのときは率直に Kさんに聞き返した。しかし Kさんは、見当違いなことを言い返してくるだけで、設計を見直すことはまったく考えていないようだった。私は退かずに続けた。そのうち Kさんの顔がみるみる赤くなっていった。異常に気がついた私は、そのとき打ち合わせに参加していた Iさんや Nさんに話を振りながら、ここはこうでこうじゃないですか、となるべく話を落ち着かせるよう配慮しはじめた。Nさんも人が良さそうに私に相槌を打ったが、結局なにも変わらないままそのときの打ち合わせが終わった。

あとで私は Kさんに呼ばれた。一対一で、あらためて言いたいことがあったのだろう。Kさんは、今回のシステムは特殊なシステムなのだと主張した。私がこれまで関わってきた仕事とは違うのだということを強調したいらしかった。しかし私は、どんな仕事であれ、データベースソフトというパッケージソフトを使う以上、データベースの効率的な使いかたは同じだと反論した。結局 Kさんは、ただシステムが特殊だとの主張を繰り返すだけで、私が何度もどこが違うのか尋ねたにも関わらず、私の質問には一切答えなかった。結局ものわかれに終わった。

Kさんについて擁護すべき点があるとすれば、彼はアルゴリズムの人であった。だから、データの検索には B-Tree だとか、その他いろいろなアルゴリズムに熟知しており、アルゴリズムを愛している人であった。検索エンジンの仕事に関わったときは、独自のデータベースシステムを作り、うまく並列化するためのアルゴリズムを考案し、特許までとったと誇らしげであった。この点に関して、Kさんが非常に優れた技術者であることは確かである。しかし、パッケージソフトとして売られているデータベースソフトを、あくまで末端のデータ格納部品だとみなし、その上に自分が独自にアルゴリズムを使ってシステムを成り立たせようという姿勢は、技術者として間違っていると言わざるを得ない。せっかくデータベースソフトにはパフォーマンスを上げるための様々な技術(ときにそれらは必ずしも理論的ではないが経験的に有効な)が盛り込まれているというのに、それらを無視して外で並列などの設計を盛り込んだのだ。私は反対したが結局受け入れられなかった。ちなみに、設計段階いや実装段階でも並列を前提に私はコーディングしたのだが、結局優先度が低いということでまったくテストは行われなかった。

■遊ぶ

私の担当した部分は、機能自体がわりと一般的で、システム全体からすると周辺部分に位置する機能だったこともあり、Kさんとのちょっとした打ち合わせを何度かやったあとは一人で機能設計をして終わってしまった。しかし他の人たちは、Kさんと何度も何度も打ち合わせをしていて、延々と機能設計を続けていた。彼らの担当分では、それぞれの機能同士の接続を考える必要が多かったようで、三人から五人くらいで打ち合わせをしていた。

定期的に、全体の進み具合がどうなっているのかを全員で確かめる打ち合わせが開かれた。ある日びっくりしたのは、なんと私が担当していた機能のすぐ隣の機能を担当していた山田女さんが、私の担当部分にまで踏み込んでいたのだ。一体どうなっているのか。Kさんはここずっと、山田女さんを相手に一対一で打ち合わせをしていた。ひょっとして私は避けられているのだろうか。恐らく、これ幸いと、女性と一対一で打ち合わせをするのを楽しんでいたのだろう。

私は非常に腹が立ち、自分の担当部分の打ち合わせのときに Kさんを問い詰めた。Kさんのほかに何人かいたのだが、このときは Kさんがはっきりと誤りを認めた。ただし、私のやりかたについて、多少の含みも残した。私が早く帰りすぎ、Kさんが忙しくて夜しか時間が取れず、だから打ち合わせにあまり呼べなかった、と苦しい言い訳も Kさんの口をついて出た。結局 Kさんのやりかたはほとんど変わらなかった。

それからというもの私は、はっきりとした指示を受けていないのをいいことに、遊ぶことにした。社会人のあるべき姿として、手があいたときは指示を求めるものなのだが、これ以上指示を求めるのは私にとっても Kさんにとってもよくないことだろうと判断した。Kさんのやりかたでは、Kさんがすべての設計に関わりをもたねばならず、仮に私がまた別の担当部分を持ったところで、Kさんがボトルネックになっているので仕事は進まないのだ。私が意見しても、Kさんはふっきれたように「ここ三日間、睡眠時間を五時間しかとっていないんだよ」と言い返してくるだけで、自分のやり方自体が誤っているとは思っていないようだった。

派遣社員が日中堂々とネットサーフィンをするのもどうかと思うが、幸いなことに個々の机は半ば仕切りがあって、仕事に少しでも集中できるよう、まわりがあんまり目に入らないようになっていた。しかも私の机は壁際なので滅多に人が通らない。どこかでログがとられているかもしれないが、知ったことではない。

私は本当に腹がたっていたので、このまま Kさんに意見を言い続けてプロジェクトを揺さぶってやろうかとも思っていたが、こういうことを続けると私も神経を消耗していくので、あまりやりたくはない。

■実装と結合

一カ月ぐらい遊んでいるうちに、ようやく他の人の設計書がまとまってきて、ようやく全員で実装に動きだすことになった。

二週間ぐらいして、とりあえず決められた線までで各機能を結合してみようということになった。この日にやりましょうと言っていた日、夕方になってもなかなか話が来ない。しょうがないので私が Iさんの机まで出向いて、まだですか、と言ってようやく始まった。定時中には終わらないと思っていたのだろうか。幸いなことに Nさんは準備ができたので、私は Nさんの後ろで Nさんの手際をながめていることにした。Nさんは適当にシステムをいじりながら、ボソリ、ボソリ、となにごとか言う。どうやら動かないらしいので、ちょっとずついじっているようだった。そのうち少しずつ進んできて、うまくいきつつあるようだった。私のところで二回ぐらいバグがでたようで、まあちょっとしたバグだったのだが、いそいで自席に戻ってちょいちょいとコードを修正した。最終的に、山田男の部分でまだバグがあってなかなか先に進まないようだったが、いつまでたっても帰れないのは嫌なので、私はどうですかどうですかと言い続けた。そのうち Xさんが私に対して、私のところは一応動いているみたいなのでもう上がっていいよと言ったので帰った。多分この日が一番私にとってプロジェクトと一体感のある日だった。

もうあとはダラダラと同じことが続くだけである。

■仲良しグループ

私の机の向こう側に、わりと若い人たちの席が集まっていた。その真ん中にちょうど、山田女さんがいた。新入りの若い女の子を取り囲んで、仲良しグループができていたようだった。ほかに、汚れ役を引き受けている非常に積極的な若い女性がいて、彼女は座席が離れていたのだが、そのグループを引っ張って昼食やら遊びやらに行っていたようだった。

私も年齢的には若いのだが、その輪に入りそびれた。積極的に働きかけていれば輪に入れたと思うのだが、様々な条件が重なった結果、ずっと輪を外から眺めていることになった。

まず一番の理由は、私はかわいい女の子ではないことである。私が多少なりともかわいい女の子であれば、周りの男は寄ってきただろう。残念ながら私は男であった。次の理由は、座席が離れていたことである。雑談に入るには、机を回り込まなければならない。

と環境のせいにする。しかし本当にしょうがない。ここに来てから少しして、仲良しグループの中の一人がやっていた小さな仕事をちょっとだけ手伝ったのだが、多少愛想を含めて接しても相手から特に反応が返ってこなかった。確か、汚れ役を引き受けている若い女性の方は、それなりの愛想で接してくれていたのだが、小さな仕事一つで仲良くなるのは難しい。

山田女さんとは最初のうちは接点が結構あったのだが、やはり結局仲良くなれなかった。最終的な原因は多分私にある。私は、相手がそれなりにかわいい女性であろうと、むかつくときはむかつく。彼女が Kさんの指示に従って進めていた仕事で、私の気に入らなかった点をときどき彼女に尋ねていくうちに、情緒的なつながりを得る方向には絶対に行かなくなってしまった。

それに、仮に彼女と仲良くなれても、彼女を通じて仲良しグループの輪に入るという状況にはならなかっただろう。あまり人づきあいが得意そうなタイプではなかった。朝の出勤途中、ビルの手前で偶然彼女を見かけたので声を掛けたことがあった。彼女はスターバックスのコーヒーを手にしていたので、私はこんなことを言った。「ビルの中にドトールがありますけど、なぜスターバックスなのですか?」私は彼女がスターバックスじゃないとダメな理由を言ってくれるものと期待していたが、彼女はこう言った。「宣伝に踊らされているのかな…」多少の愛想は見て取れたが、気のない、もしくは、押されている、返事だと思う。

そんなわけで私は、延々半年間、仲良しグループが親交を深めていく様子を眺めていることになった。いくら私が孤独に強い人間といっても、机の向こうで仲良く雑談しているのを聞いているのはツラいものがある。日が経つにつれて、飲みに行った、とか、遊びに行った、とかの話が聞こえてくる。

■思い出

こんな経験をしたのは実に久しぶりである。いや正確に言うと、仲良しグループを近くから眺めたり、露骨に輪に入れないことは何度かあったのだが、それを本当に寂しいと思ったのは本当に久しぶりだった。

そこで私は、自分のこれまでの経験の中から、自分が逆に仲良しグループを作って、他人を寂しがらせたことがあったのではないか、ということを色々考えてみた。やはり自分が同じ立場にならないと、他人を思いやることはできないのだろう。

思い出したのは、好きな相手の前では、わざと自分たちのグループが楽しげに映るよう、努めて振る舞っていたことである。楽しそうにしていれば、その人が自分たちの輪に入ってきてくれるのではないか、と思っていた。いま考えてもとても切ない思い出である。だけど今回改めて分かったのは、輪に入れば楽しいだろうと思っても、実際に輪に入ろうとは思いにくいということだった。輪に入れたいときは、声を掛けなければダメなのだ。あるいは、輪に入る方の立場で言えば、積極的に輪に入っていこうとしなければダメなのだ。いかに楽しげにしていても、それだけでは何の力学も発生していないことがようやく分かった。

▼テントの中の一夜

高校の頃、部活動で山にキャンプに出掛けたことがあった。テントで二泊ぐらいしたのだが、当然テントは男女別々である。屋外で一通りのことをやり、あとはテントの中でカードゲームをやったり雑談をしたりするだけになった。私はぼんやりと、女の子たちとゲームをやったり話をしたりしたいなと思ったが、はっきりと意識はしなかった。私は自然と、友人O と話すときの声を大きくしていた。隣の女テントにまで聞こえるようにしようとしていたのだろう。友人O が一言「声が大きいよ」。

外では引率教師二人がまだ残って雑談をしていたのだが、私たちの会話を聞いてか聞かずか知らないが、こんなことを言った。「来てほしいなら呼ばなきゃ」私の記憶力は本当に弱いので、ここまでハッキリとは言わなかったような気がするのだが、呼ばなきゃのような部分だけは多分あっている。私は妙に吹っ切れて、自分たちのテントを出て、女テントに向かってこう言った。「ねえ、こっち来ない?」すぐさま同輩の女の子から「いくー」という声が返ってきた。

そのあとはみんな狭いテントの中で UNO というカードゲームをやったのだが、女の子たちはわりと早めにカードを全部出して上がるのに対し、なぜか私と友人O が最後まで残って延々と続く。申し訳ないのでもういいやと切り上げること二回。特にこれといって話をしたわけではなく、後輩の女の子が眠いねと言ったり、懐中電灯の光の中、ボーッとした感じになってきたので、やめよっかということになり解散した。なんとも中途半端な話であるがこれが現実なのだ。

*

話を元に戻すが、先の仲良しグループから私に声が掛からなかったのは事実である。現実的な答えを言うと、私にはそれほど魅力がなかったということなのだろう。一度だけ、チューヤン似の男がわざわざ私の席にやってきて、おみやげの笹餅かなにかを一本手渡してくれたことがあった。私は愛想を浮かべてお礼を言ったが、それっきりだった。多分彼は気を使ってくれたのだろう。

■延長

当初は契約が 4ヶ月だったのだが、私の仕事はほとんどないというのに、2ヶ月延長してくれと言われる。まあ、プロジェクトが予想より伸び伸びになっていることもあったし、このあとのこともあったのかもしれないが、私がいなくなっても大して問題なかっただろうに、非常に不思議である。

結局おわってみれば、延長された 2ヶ月のあいだに私がやったことと言えば、まず飛び飛びながら 1ヶ月くらいは遊んでいた。時間があるはずなのに、夏休みだけがキッチリ潰れた。夏休みのとりかたについても小さくひともめあった。

私が暇そうにしているのを聞きつけたのか、Xさんが一度だけ私の席にやってきて、仕事を求めたらどうかと言ってきた。この Xさんは、プロジェクトの対外的な折衝役なので、内部のことが見えてない。開発がどの程度進んでいるのかまったく把握していないのだ。山田男との話でそのことを口にしてみたが、彼も同意していたのだから間違いない。私は Xさんに、いま私がやれることはないのだと言ったのだが、彼は同じようなことを二回三回言って去っていった。

そして契約が切れる二週間前になっていきなり、別のモジュールをやってくれと言われた。寝耳に水とはこのことだ。テストとかドキュメント整備をキッチリやってくれという指示が無かっただけまだ良かったが、仕様を見てみるとこれが二週間で出来るようなものではない。本当に二週間でやらなくてはいけないのかときいてみたら、途中で終わるだろうからそのときは引き継ぎをしてくれということだった。まあ、こういうのもなんだが、私が集中して急げば二週間で終わっただろう。だが、じっくりと腰を落ち着けて定時までで切り上げて仕事をすることにし、途中で引き継ぐことにした。最初からこのモジュールのことが頭にあったら、一ヶ月前にこの仕事を投げてくれれば良かったのに、と思う。相変わらず詳細設計の細かいところまで Kさんの頭の中にある通りを要求されたので、やる気が起きなかった。なにしろ Kさんの指示は、極端な実例を挙げると、ここの変数は int にしてね、というものまであるのだからやってられない。

■小一時間問い詰め

長かった半年が終わり、私が職場を去る最後の日に、リーダーの Kさんがプロジェクトの人を全員集めて、私にとって最後のミーティングをやった。この日すでに山田女さんは一足早く去っていた。なんでも仕事の都合だそうだ。彼女のための送別会はあったらしいが、私のための送別会はなかった。

私は、Kさんがプロジェクトを総括するのを黙って聞いていた。私はこのプロジェクトについてかなり文句を持っていたのだが、もういいやと思い、黙って去ることに、そのときは決めていた。しかし、Kさんが最後の最後で私に振ってきた。最後に何か言いたいことはあるか。それを聞いて私は、そこまでお膳立てしてくれるならと、プロジェクトについての文句を言うことにした。

実に小一時間、私は文句を言い続けた。私の主観の域を出ないが、Kさんは実にたくみに論理をすり替え、話を横にずらして、私の追求をかわしていった。あげく、プロジェクトリーダーが下からの突き上げを食うのは当然だ、というようなことまで口にした。

私はとにかく Kさんのやりかたを否定したかったので、プロジェクトメンバー個々人について、Kさんがいちいち指示をしなくても、いや細かく指示をしない方が、プロジェクトが円滑にいったのではないかと主張した。しかし、あとで考えてみたら、実はこのプロジェクトは Kさんがいちいち指示をしなければまったく動かなかったのではないかと思えてきた。

現に、このミーティングが終わってから最後に山田男と話をしたのだが、彼は笑みを浮かべて開口一番「おいおいやってくれるなよー」と言った。一時間近く拘束されたのを、かんべんしてくれと言いたいのだろう。状況が分かっていない困った男である。Kさんが引っ張っていなければプロジェクトは成功しなかっただろう、と彼は言った。私はあきれた。手とり足とり世話してもらわなければ仕事が出来ないと自分で言ってのけたのである。本当に大丈夫なのだろうかこの会社は。

Kさん自身が私に言った言葉もある。ここの部署は最近できた「寄せ集め」の部署なのだ、と強調した。まるでこの部署が掃きだめだと言っているようなものである。私は Kさんに文句を言うことに夢中になっていたので、重要なことを見落としていたのかもしれない。Kさんはこの部署での最適な仕事のやりかたをしていたのではないか。最悪な結論だが、これが真実なのではないだろうか。

■結論

仕事が面倒なことになっても、プライベートな関係が築ければ、仕事には目をつぶってうまくやっていける。逆に、プライベートな関係が築けなくても、仕事にやりがいがあれば、仕事に集中してうまくやっていける。ところが、どちらもダメとなれば、ほかのことを見つけてなんとかしなければ、とても長い期間を過ごすことはできない。いやもちろん、私はこの仕事で金をもらっているのだから、金さえもらえればどちらがダメでも仕方がない、と最終的に割り切ることもできるのだが、実際のところいくら金をもらっても嫌なものは嫌だ。

仕事が面倒なことになっても、それを打開できる立場にあれば良い。たとえば、私が積極的に働きかけることによって状況を打開できれば一番良かっただろう。私の働きかけは結局うまくいかなかった。それは私のやり方が悪かったというせいもある。私は Kさんが非常に論理的な人であることを当初から強く意識していたので、Kさんに対してはとことん論理的に話をしていったのだが、そもそもそれが間違いであった。彼に対しては、もっと情緒的に接するべきだったのではないかとも思う。この会社は最近まで半分外資系だったというのもあって、私は勘違いしていた。

プライベートな関係も、積極的に求めていけば、多分うまくいっただろう。しかし実際のところ私にはそこまでの気力はない。あの状況では、転校生がクラスの中心になるぐらいの積極性を要求されたと思う。


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gomi@din.or.jp