12. アイドル (1998/12/8)


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SPPED になりたい小学生が結構いるらしい。

実際にはどうか知らないが、芸能人になりたいと思う人の数は、徐々に増えている。オーディション番組がヒットしたり、ゲームセンターにオーディションマシンというものが出来たりする時勢である。実際はそうでもないかもしれないが、それでも少なくとも一部の特に女性の間でそのような傾向が見られるのは明らかである。

のっけからダークな話をするが、最近もてはやされるタレントや歌手には、そんなに美人はいなように思える。私はちなみに内田有紀が一時期大好きだったのだが、彼女はよくわからないうちにいまいちメジャーになりきれずに終わってしまった。実際にはすごく人気が無かったのかもしれないが、テレビへの露出が少なく、私からすれば「実は内田有紀は人気が無かった」ような気さえする。まあ恐らく内田有紀は人気があっただろうし、いまもそこそこ人気があるに違いないが。

なぜ美人の特に女性タレントや歌手がいなくなったのか。うちの弟に言わせれば、いまは「自分でもなれるかもしれない」と思わせるようなタレントが受けているみたいである。タレントだったら、そんなに奇抜ではないけどそれなりの個性と存在感のあるタイプだとか、歌手だと歌がうますぎず、むしろ多少下手ぐらいが受けているように思える。それは、自分と重ねることが出来るタレントを好きになり肩入れする人が増えているからだと思う。もっとも、どこにでもいる勘違い君や勘違いさんは絶滅していず、たとえば私の友人で堂々と「俺、稲垣吾郎に似てるって言われているんだ」などと臆面も無く言い出す男もまだいるが。

最近の若者は、自分を演出することに懲り出しているらしい。これ自体はむしろ良い傾向である。たとえば、テレビのドラマや映画や漫画で他人の物語を受け取るよりも、Tokyo Walker などの雑誌を見て、自分で目当てのスポットに行って好きな格好をして恋愛して、そういう自分を演出することを好むようである。この傾向には良いことだけでなく、根本的な問題が残っているところが困る。なぜなら、自分がある行動をすることを楽しむのではなく、その行動を取っている自分をどこか客観的に考えて楽しんでいるからだ。結局、彼ら彼女らは、自分をある種タレント化して生きがいにしているのである。テレビを見て育った世代は、どこかに誰かの目がないと充実感が味わえないのではないだろうか。

そんな消費者に消費される現在のアイドルとはどんなものなのだろうか。

最近広末涼子が早稲田に受かったという話が出た。彼女は現在のトップアイドルの一人だろう。私はなぜ彼女がこんなに人気があるのか良く分からない。確かに、ニキビの薬の宣伝に出ていた頃は、結構魅力があったと思う。私はそのCMに出ていた頃の彼女が広末涼子だということをつい最近まで知らなかった。

広末に関して分からないのは、周りが妙にフレンドリーなことである。彼女には友達が多いらしく、高校の勉強もその友達に助けてもらっているという話を聞いたことがある。アイドルというものは周りの人間と仲良くできるものなのだろうか。特に周りの人間からすると、嫉妬の対象となる気がするのだが、聞いた限りではどうもそうではないらしい。ここが良く分からない。もちろん、マスコミの目の無いところでも仲が良いのだろう。

それはともかくとして、広末に関して言われているのは、彼女は清純派だから人気が高い、ということである。で、スキャンダルが生まれると一気に人気が落ちるというわけだ。そこが良く分からない。アイドルの消費者たちは、そこまでアイドルに清純を求めているのだろうか。もっとも私は、最終的に結婚相手として清純な女性を求める男性が多いということ自体が理解不能であるが、つまりは、その延長なのだろうか。

HIDE がなぜ人気があったのかもよく分からない。X は宗教的なバンドだったのではないか、としか言えない。よく「カルト的な人気」という表現があるが、そういう表現は本当にカルトのような構造が存在しているのだろう。

SPEED を応援する小学生もよく分からない。なにも、自分たちと同年代のアイドルに傾倒しなくてもいいではないか。ちびまる子ちゃんは、ももえちゃんが好きだったみたいだが、同年代のアイドルがいたとして、好きになるだろうか。好きになるとすれば、かなり綺麗な女の子アイドルを見て「きれいだねえ。応援しちゃうよ」みたいに思うぐらいだろう。自分のライフスタイルとかを売りにしているいまの SPEED のようなアイドルを好きになることはまずあるまい。

結局、アイドルというものは、なにか消費者の異常な心理を利用して祭り上げられる存在なのではないか、という結論に近づいていくわけである。

アナウンサーのタレント化も言われている。私はNHKの久保純子とかは悪くないと思うし、フジテレビのたとえばいまプロ野球ニュースに出ている木佐彩子も好きである。明るくて間抜けなところがいい。ちょっと過ぎるところも感じるが、至らないよりはいい。

同姓に好かれるタレントと嫌われるタレントがいるのも面白い。さきほどの木佐彩子は、どうなのか知らないが、私の独断で言わせてもらえば多分嫌われている方のタレントだろう。おじさん世代が好きそうな感じだ。同姓に好かれているタレントとしては、藤原紀香や工藤静香などが挙げられる。同姓に好かれるための条件は恐らく、以下の条件を必ず一つは満たしている。

  1. あこがれられる生き方をしていること
  2. 自分の気持ちを代弁してくれること
  3. 自分より間抜けなこと
  4. 女性タレントの場合は男性と対等に渡り合う、男性タレントの場合は女性に振り回される

嫌われるための条件は、

  1. 高学歴
  2. 自慢話が中途半端(大胆にやれば逆に好かれる場合もある)
  3. 異性に媚びる
  4. おいしい思いをする
  5. 身勝手(松田聖子は例外)

嫌われるための条件は別にごく当たり前なのだが、好かれるための条件はなんともネガティブなものが含まれる。人間、たとえタレントであろうと、自分より優れた人を好きになれなかったり、または逆にある種の駄目な人を許容できなかったりする。それが同姓であれば特にそうである。

まあ、その当たりも人間っぽいとも言える。私が最近聞いた話では、ある人が、自分より足の長い同僚に嫉妬していたそうである。それで最初は話をする機会もなかったのだが、ある時その人がその同僚に「足が長くていいね」と言ったそうである。するとその同僚は「わたしは尻が長いから」と返したそうである。それで二人は仲良くなったらしい。なんとも人間らしい話ではないか。

話がずれてきている気がするので、もとに戻そう。

私は前前から「グラビアアイドル」というものが理解できない。ほとんどテレビに出てこなくて、週刊誌などの雑誌とか深夜番組にしか出てこないような、乳だけがでかくてベビーフェイスとかが売りの、まあ一種のアイドルだと言える。結局世の中の男はああいうタイプが好きなのかと思うと、同性の私もなんだかある種かなり失望してしまう。ジャニーズが売れているのも同じ理由だからだろうか。

私はふと思うのだが、アイドルが好きな人というものは、昔からアイドルだけが好きだったから、という見方が一般的だとは思うが、そうではなくて、逆に昔はアイドルなんかよりも周りにいる異性が好きだったのだが、彼ら彼女らのエゴに触れるに従って、やっぱりアイドルがいい、と思うようになったのではないか。結局人間同士と言うものはエゴがぶつかり合うものだから、そこから離れたいのかもしれない。特に最近は、いじめが流行る一方で、相手を傷つけまいとよそよそしい人間関係が支配しているきらいがある。

それでも結局アイドル不在と言われるこの時代はなんなのだろうか。スーパー高校生という単語も一時期雑誌の紙面を賑わせた。彼らはアイドルにしてアイドルではない。テレビや雑誌への露出も少ない。街で見かけたり声を掛けられる存在でもないみたいだ。普通のジャニーズ系のアイドルよりも、スーパー高校生と呼ばれる学生に会いたい、という女子学生が多い、という報道もあった。

テレビの話になってしまうのであるが、今回の結論は、不変であると思われたアイドルの嗜好が、実にあっけなく、いわば「自分の日常をブラウン管の中のようにしたい」という目的によって、自分の好きなアイドルを身近な存在にしようと思っているがゆえに、逆に身近な存在をアイドルやタレントにしようとしているのではないか。つまり、テレビやメディアという装置は、その役目を一巡させて、人々の間に「ブラウン管の中」という文化を作り出したのではないか。そしてその文化は、テレビやメディアの手を離れて一人歩きを始めているように思える。人々は、メディアの目の代わりに他人の目を利用し、他人を意識することによる生き方をするようになったのではないか。

私はこの傾向は良いものとは思えない。が、日本は元々人の目を意識してきた文化であるようだし、むしろこれが日本にとって自然な方向なのかもしれない。人の目を意識することで、人々は道徳を守るようになるかもしれない。いわば「罪の文化」である。が、やっかいなことに、人々は道徳を破ることにも良い評価を与えており、悪いことをする人が周りから尊敬されることも多い。私は職場で、笑いながら「相手の女性に色々買ってもらってパンクさせちゃった」と話す男を二人見た。おそらく彼らの相手の女性は、彼らとの関係にいつも不安を持っていたので、彼らのために何かをしてあげたくて買ったのだろう。彼らは別にモテそうな人間ではなかったが、それでも不安に思うほど、いまの時代の人は不安定な心を持っているのだろうか。もっとも、私も好きな女性が出来たら分からないが。

話は関係無いが、最近いわゆるかわいい系とか美人系の一部の女性タレントが、道化のような役でバラエティに出ているのは、私的には非常に好ましいと思う。いままで男性タレントは、三枚目役が結構定着しているのだが、美人の女性タレントがそういうキャラクターで出ることはいままでは少なかったように思える。これも何かの変化だろう。今回の話では、私にとって分からないことが多すぎたのだが、同様にこれもよく分からない。単に事務所側の戦略なのだろうか。いままでは高嶺のタレントが売れたから、道化やらせるよりそっちがいいと思っていたが、いまは高嶺が売れないから仕方なく道化をやらせているとか、想像が出来ないわけではないのだが。


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gomi@din.or.jp