119. 私財提供の是非 (2002/2/3)


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ダイエーには一兆円以上の負債があるのに、創業者の中内オーナーが豪邸暮らしをしているのはなんなんだ、という声が上がっている。感情的に話をするのではなく、原理を洗い出し、何が問題なのかを考える。

■株式会社

原則として、株式会社はいくら負債が増えようと、株主にそれらの負債の取り立てがいくことはない。たとえば、ある株式会社が百億円の借金をしたとしても、そんな会社は破産しているので株の価値はゼロに等しい、という認識だけでおしまいである。つまり株主は、株を手に入れたときの値段の分しか損をしない。

■初期の株主

ある人がある会社の株を十億円で買ったとする。その会社は、十五年かけてちょうどその分の株に十億円の配当をしたとする。そうなると、その会社がたとえ明日にでも倒産してしまおうと、十五年前に株を買った人間は損をしない。

いや実際にはインフレ率や機会損失(儲けそこない)をしているので損をしていることになるのだが、気になるのであれば二十億の配当ということにしてもよいし、あるいは十五年の間に株式分割されたことで分割された分を売り払った結果として二十億円を得たと考えてもよい。

■売り抜け隠し

会社の創業者というのは、もっとも早くからの株主であることが多い。つまり、会社が大きくなった時点で既に十分儲けている場合が多い。そういう株主がいまだに大量の株を持っているとしたらどういうことになるか。彼らは、会社に収益とよほどの成長性がない限り、売り抜けることしか考えないのではないか。

しかし、大株主が株を売ろうとしてもなかなか出来ない背景がある。というのは、株は大量に売られると需給ギャップにより値が下がるからである。だから、株の値上がりで億万長者になったベンチャー企業の旗手たちも、なかなか売るに売れないのである。

そこで考えられるのは、会社の価値を下げながら配当として会社から自分へ金を移すことである。

事業の拡大を続けたあげく行き詰まる、と言うと単に事業の失敗のように写る。しかし実際には、事業を拡大しているあいだは銀行から資金を調達し、景気もいいので配当も景気よく出したのだろう。十分に配当をもらえば、もはや株が二束三文になったところで何の痛みもない。ただ儲け損なうだけである。

■新しい株主

事業を拡大している会社、または拡大の余地のある会社には、株を売ってくれという要求が集まる。それは、事業が拡大することによって株の価値が上がり配当も増えることが予想されるからである。

すでに大きくなった会社の株をこれから買おうとする株主には、その会社がさらに発展するかどうかを見極めなくてはならない。発展しない会社の株を買って損をするのはその人の責任だからである。

■粉飾決算

会社の体力がないのに配当を過分に出すのは、会社に対する裏切りである。

会社は基本的に株主によって運営される。株主が儲けるために、腕のいい経営陣を揃えてがんばってもらう。だから、会社は株主によって適切にコントロールされると信じられている。株主は決して会社の不利益になるようなことはしないと信じられてきている。

しかしこれは完全な迷信である。

株主は、会社から自分へと流れ込む金が最大になるよう行動する。これは確実である。では、その行動がそのまま会社の発展を望むことにつながるか。絶対に違う。

株主の儲けを最大にするための最も有効な方法は、おそらく粉飾決算だろう。あたかも会社の景気がいいように偽り、配当を維持し、株価を維持するのである。しかし、粉飾決算は法律で固く禁止されている。

■合法的粉飾

そこで、合法的に粉飾決算をする方法はないものだろうか。

あるのだ。それは、事業を拡大し続けることである。事業を拡大するという行為は、会社にとっては経営努力そのものである。会社は事業の拡大のために様々な調査をし、どうやったらうまくいくのかを調べる。その調査の結果として導き出された結論は、たとえ間違っていようと、会社の限界なので故意とはならない。事業の拡大はそんなにうまくはいかないだろう、と誰かが言ったところで仕方のないことである。

事業のための資金を企業に提供するのは、銀行であり市場である。だから、極論してしまえば、企業の計画に事実上のゴーサインを出したのは銀行であり市場である。いくら企業が事業拡大計画で大風呂敷を広げたとしても、明白な嘘がない限り問題はない。

その結果、企業は事業の拡大に向かって走ることになり、よほど大きな失敗でも起こらない限り「うまくいっています」と言い続けることになる。その結果として、株主に配当がばらまかれたり、株式が分割されたりする。そのあいだに会社の実質的な価値はどんどん下がっていくのである。

■破綻しても被害者

そうやって企業が拡大路線を突き進むうちに、いつしか破綻してしまう。企業が破綻すると、株主は自分の持っている株の価値がなくなってしまう。当然これは株主にとっての損失である。

しかし留意してほしいのは、ここでの株主は大きく二種類に分けられるのだ。古くから株を持っていて十分に株から収益を上げた者と、比較的最近株を手に入れてこれからの事業に期待を掛けていた者である。彼らは等しく株主として扱われ、等しく損失を被った者として見られる。

もっと具体的に言えば、一方で十分に儲けて豪邸暮らしをしている者もいれば、もう一方で虎の子の資産を紙切れにしてしまう者もいる。

株主以外の主な被害者は銀行なのだが、銀行もやはり貸した資金から金利を得ているので、丸々損をするわけではない。銀行は膨大な不良債権にあえいでいるが、それは企業に貸した金や買った株が収益を生むということを前提に、役員や社員に給料を与えてきた結果である。つまりこれも創業者と同じで、破綻した銀行の役員もやはり豪邸で暮らしている。

■防ぐには

つまり、創業者一族と初期からの大株主や銀行員は、たとえ会社が傾こうとそしてその会社に資金を貸し出した銀行が不良債権であえごうと、自分たちの資産だけはたもったまま逃げきれるわけである。

これを防ぐにはどうしたらよいのだろうか。

私財を提供させるのは一つの手段ではある。しかし、それはあくまで対症療法でしかない。それに、法律的には私財を提供させるのは厳しいのではないか。また、十分な財産を持っている人間は法律社会でも強力な存在なので、法律で勝負するのは分が悪そうである。我々普通の人間は、彼らが詐欺を働いたと思うのではなく、むしろ現在もこの世は強い者が勝つ世の中なのだと思うしかない。彼らを一種のマフィアだと考えればよいのだ。

そうなると、予防措置をいかにできるかということにかかってくる。だが、そこには難しい問題がある。先も言ったように、企業が冒険に出るのをやめろとは言えないことである。正しく経営情報を開示することを義務づけるしかない。だが、事業が成功するかどうかを事細かに示してくれる情報のすべてに対して開示の義務を設けることは不可能である。株主となる人間は、その会社の事業について細かく知っておく方がよいのだが、実際に経営してみないと分からないことは絶対に知ることができない。

■おわりに

念頭においてほしいことがある。不動産や収益源となる資産を持っていて、それと同額の借金も持っている人がいたとする。その人は、差し引きゼロで何も持っていない人と同じなのだろうか。いや全然違うのである。仮に 10億の資産と 20億の借金を持っていたとしても、20億の借金の金利よりも 10億の資産の生み出す収益の方が大きいのであれば、その人は豊かな生活を送ることができる。それが低金利政策である。

そもそも彼らは、借金や債務を返す気がないのだ。不良債権処理が進まなければ日本は没落していく、と言われているが、富裕層からすれば不良債権はそのままである方がよい。この事実が不良債権処理の進まない一番の理由であろう。

我々が小金を持っていても、銀行に預金するか株を買うかしかない。そうすると、一握りの「借金が出来る人」が銀行や市場を介して我々の金を調達してくる。そしてその金でモノを独占する。

だから我々は、自分の金を運用しようと思わない方が良い。貯金せずにどんどん使うと良い。老後はギリギリの生活を送るつもりでいればよい。トータルで行けばそのほうがずっと幸せである。

*

日本の貿易黒字が減ってきていて、貿易立国であることが危ぶまれているそうである。しかし少し考えれば分かるとおり、現金を貯めたところでどうしようもない。むしろ世界中の富を日本に買い集めて赤字になったほうが良いのである。我々の集めた金が外国に投資されてその国の経済をよくしたところで、我々の国はどうにもならないのだ。

ところで、なぜ日本の社会整備のための投資が行われにくいのだろうか。収益率が低いから、という理由なのだろうか。それとも、我々があまり多くを望まないから、という理由なのだろうか。もし我々がたとえば一番に、交通事情をなんとかすることに利益を見出すのだとしたら、未来都市のような高架道路を張り巡らせることを目的に、なんとか資金がそこへ向かうように方向づけられないものだろうか。実際には、道路を作るのは国であり、たとえ民間が道路を作れてもほとんど利益は生まれないだろう。実際にはものすごく多くの人が恩恵を得られるはずなのだが、ほとんど実現しえないことである。


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