117. 無意識にカロリー消費 (2002/1/24)


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書くべきことは沢山あるのだが、どうも他のことに時間を使っているうちについつい更新期間が長くなってしまった。そこで今回は、割合短時間で書けそうな話を温めていたのを思い出したので、その話を書くことにする。

■疑問

私は少し太っている。

やせようとは思わないが、太っているからこそ、なぜ太っているのかを考えることがある。一般に言われるのは、食べ過ぎと運動不足である。しかし、私はそんなに食べないし、運動だってやせている人がそんなに運動しているとも思えない。腸の強さ弱さというのも大きいらしく、胃腸の弱い人がやせているという話を聞くが、そんなに周りを見渡して胃腸の弱い人はそうそういないものである。

太っている人とやせている人との違いは一体どこからくるのだろうか。

遺伝子からくるのだという説明もある。脂肪がつきやすい体質というのがあるのだそうである。こう説明されると、これ以上話を進めることが出来なくなる。遺伝子が関係するとなると、程度の問題をあっさり超えてしまうからである。ソプラノ歌手のように、高い声ばかり出して頭蓋骨をふるわせてホルモンバランスを崩すというケースもあるようだが、遺伝子やホルモンで一般の我々の問題を説明してしまうことはできるのだろうか。

■睡眠と入浴と不随意筋

そこで私にヒントを与えてくれたのは、人間は睡眠時と入浴時に大量の汗をかくという事実である。つまり、何も運動をしなくても、ただ寝ているだけで、ただ風呂に入っているだけでカロリーを消費するのである。いやそれとも、汗をかくだけでカロリー消費とは関係ないのだろうか。

また、人間には不随意筋といって、運動しようと意識しなくても無意識に使っている筋肉がある。心臓の筋肉なんかはその代表である。また、消化器官を収縮させたりするのもそれら不随意筋によるものである。つまり、不随意筋が強力であれば、それだけカロリー消費が高いのではないか。とはいっても、不随意筋は大なり小なり動いているものなのだから、個体差は少ないのだろうか。

■体温維持

エネルギーの量を表すのにカロリーという単位を使う。これは、エネルギーを熱量に換算しているだけのことである。エネルギーは加速力としても光のまぶしさとしても表すことができるが、熱量にしたほうが良い理由がなにかあるのだろう。

そこで想像できるのは、人間の体温を一定に保つために使われるエネルギーの量である。たとえば、寒い部屋を一定の温度に保つには、石油ストーブや電気エアコンなどでエネルギーを熱に変える必要がある。

たとえば、摂氏10度の部屋に一人の人間がいた場合と、摂氏20度の部屋に一人の人間がいた場合とで、その人間を正常な体温である摂氏36度で保つためにはどのくらいのエネルギー消費の差があるのだろうか。

ミニスカートは足を細くする、という怪しい言い伝えがあるが、これは多分本当である。というか、露出した足が脂肪を燃焼させるというようなことをテレビでやっているのを私は見聞きしたことがある。これをミニスカートだけの話ととらえることは無理だろう。やはり薄着の方が総じてカロリー消費が高いと考えるのが自然である。

■姿勢の制御

ほかに私が新たに目をつけたのは、姿勢である。姿勢のよい人わるい人がいるが、なぜ姿勢のわるい人がいるのかというと、姿勢が悪いほうが疲れなくて済むからである。つまり、姿勢よく座っているだけでカロリーを消費しているのではないか。

姿勢の制御に使うカロリーというのは大きいのではないだろうか。なにしろ、起きている時間帯は常に姿勢を制御しているのだ。姿勢の制御には全身の筋肉を使用する。だらりと手を下げるのではなく、ぴしっと脇をつけると、それだけカロリーを使うのではないか。あなたがいま座っているとしたら、背筋を延ばしてみて欲しい。それも必要ないくらいに延ばしてみるとよい。そうすると、姿勢の制御がそれなりの運動になることがよくわかる。

しかしここで疑問なのは、明らかに姿勢の悪い人でも痩せている人が多いことである。

姿勢の制御というよりも、筋肉を緊張させているとカロリーを消費するのかもしれない。常にリラックスしている人は、常に緊張している人と比べて、あきらかにカロリーの消費が低そうである。筋肉に機械で電気を流して緊張させる「痩せる機械」というものもあるぐらいだから、筋肉の緊張の度合いとカロリー消費は大きな相関を持っているのではないだろうか。

■仮説:中年太りの真の理由

よく中年太りという言葉が使われる。これは、中年になると運動しなくなるから太るんだと言われている。果たしてそうなのだろうか。

私はむしろ、運動をするための動作がこなれてきたことによって、一つ一つの動作に筋肉を使わなくなるからではないかと考える。とにかく子供の頃は無駄に筋肉を使う。それが、何度も何度も同じことをしているうちに、必要最低限の筋肉しか使わなくて済むようになるのだ。

この仮説を検証するには、無駄な動きで色々な動作をしてみれば良い。たとえば、わざとぎこちなく歩いてみたり、わざとぎこちなく背筋を延ばしてみるとよい。多分、同じような動作をするのに、楽な方法と無駄な力の入る方とをはっきりと分けることが出来るはずである。

同じ歩くという動作にしても、楽な方法で歩いている人と、無駄に力の入る方法で歩いている人とでは、カロリー消費が全然違ってくる。たとえば、本来歩くときに足は地面すれすれに持ち上げた方が運動量が少なくて済む。そういう人は、地面に足をこすらすように歩いているはずである。こういう人は、恐らく非常に効率的に歩いてはいるのだが、当然それゆえに運動量が少ないのである。また、地面に立っている時に誰かから押されたとしよう。うまくバランスを取って立っている人は、ちょっと押されただけでバランスが崩れるので、バランスを取り直すために大きく姿勢の制御を行わなくてはならない。一方、そんなにバランスをとっていなくて常に筋肉を緊張させている人は、多少押されただけなら筋肉がすぐにバランスをとる。

効率的な姿勢制御を行う人はとにかく運動量が少ないので、できるだけ無駄な筋肉を使うよう意識したほうがよいのではないだろうか。

■長い距離を歩くとき

私が以前驚いたのは、長い距離を歩いたあとにどの部分が疲れるか、という点で私と食い違う人を見つけたときである。私は、長い距離を歩くととにかく足首から先がだんだんだるくなってくる。一方、私が話をした相手は、足全体が疲れていくという。

そこで私は色々と考えてみた結果、一つの結論に達した。私の場合、歩くという行為にとってもっとも効率的なように、まるで足を無造作に投げ出すかのようにして歩く。それなので、私の足は地面にぶつかるように接触していたのだ。一方で、歩くと足全体が疲れるという人は、地面に足をつけるときにもなるべく衝撃がないように筋肉を使ってやんわりと地面に足をつけるよう心得ているので、足を所々で減速したり加速したりする都合上、足全体の筋肉を使っているので全体的に疲れるのだろう。

■まとめ

もし以上の仮説が正しいのだとしたら、なぜ無駄に筋肉を使う人と極力筋肉を使わないようになってしまった人がいるのかということがなお疑問点として残る。結局そこには、できるだけ楽な姿勢をとりたいというきっかけが存在したのではないだろうか。

その原因の一つは、無為に耐久力を要する運動をさせられたことなのではないだろうか。つまり、長い距離といってもそんなに長い距離でなければ、子供はとにかくはしゃいだまま踏破することができる。しかし、とにかく長い距離を延々と歩かされた子供は、極力疲れない動きを体が覚えようとするあまり、体にダメージを与えたり過度に筋肉を使わずに済む運動方法を身につけてしまうのではないだろうか。

とにかく私は、子供に過度の運動をさせない方がよいのではないかと思う。小さい頃から運動が嫌いになる原因にもなりかねない。長い距離を連れ歩くというのもやめたほうがよい。

まずは、腹筋に自然に力の入る姿勢を自分で探してみてはどうだろうか。


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gomi@din.or.jp