116. バンド (2001/12/14)


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私は学生の頃、一度だけ誘われて学園祭のバンドに参加したことがある。

■一本の電話

ある日、高校の頃の友人 N から電話が掛かってきた。高校を出てからも一年に一回ぐらい会っている友人なのであるが、その日の電話も唐突であった。よく覚えていないが、一カ月後くらいにある学園祭のバンドでベースを弾いて欲しい、ということだった。ベースだけ足りないそうだ。

私は電話口で悩んだ。面倒なことになりそうだな、と思った。しかし短時間で迷いを振り切り、結局承諾した。電話を切ってから少し後悔したが、このぐらい面倒くさいことがなくては人生はつまらない、と自分に言い聞かせた。のちのち「自分はバンドをやったことがある」と自慢できるようになるからいいか、とも考えていた。

曲目で決まっているのはイエローモンキーの二曲らしいので、その曲を適当に入手して弾けるようにしておいてくれ、とのことだった。知らないかたのために説明しておくと、イエローモンキーというのは男四五人の日本のロックバンドである。

少しして、N が私の家に来て、二人だけでまず合わせてみることにした。スタジオでもなんでもないただの家で、隣に迷惑だろうなと思いつつも、かなり大きな音であわせた。まあ、曲が簡単なのですぐに出来た。ベースは、曲の後ろで鳴っている低音なので、フレーズが単純なのである。大きめの弦楽器なので弦を押す力が必要ではあるが、私も趣味でそこそこの難易度の曲を弾いていたので大したことはなかった。

■顔合わせ

初めての顔合わせは新宿の西口か東口だったような気がする。N とどこかの駅で待ち合わせをした記憶があり、待ち合わせ場所には二人で行った。

こういうのもなんだが、私はギター類を持って電車に乗るという行為が恥ずかしかった。バンド演奏を聞くのは好きだが、自分がいかにもバンドやっていますというのを周りに発散するのが嫌だった。

少し待っていると、メンバーの三人がやってきた。ドラムの男が早口で話し始めた。無意味に下品な言葉を端々に挟み込んでいた。N が「こいつ下ネタ大王だから」と私にささやいた。適度に挨拶を済ませ、練習場所である新宿の JAM というスタジオに行った。

知らないかたのために補足しておくと、バンドの練習はたいていスタジオを借りる。この場合のスタジオとは、防音室と機材の整った小部屋をレンタルしてくれるところのことである。機材は、マイクやギターアンプ、それに持ち運びが出来ない楽器であるドラムセットが置かれている。必要に応じて録音機材も貸してくれる。当然有料であり、このためバンドを続けていくにはスタジオ代が最低限必要となる。

スタジオに入って、さあまずやってみようという段になって、誰かが「なにをやるの?」と言った。どうやら話がかみ合っていなかったのか、N が「イエモンのラブラブショーだろ」と言えば「え?そうだっけ?」「おまえやるって言ったじゃん。できるんだろ?」「いやできるけど…」。詳しいことは分からないが、曲目はあたりをつけていたが、本決まりではなかったらしい。あるいは、N が「なにができるんだ」と言って強引にまとめたので本決まりだとは思えなかったのかもしれない。ともかくその場は、N と私が練習してきたということで押し切り、その場でラブラブショーという曲を正式にやることとなった。はじめからかなり思いやられる展開である。

■スタジオであわせる

実は私は、スタジオで弾くのはこのときが初めてであった。私はそれまでバンドをやったことはなく、家でただ CD に合わせて弾いていただけだったからである。だから、私が足を引っ張らなければいいなと心配していたのであるが、その心配はその日になくなった。スタジオの小部屋では、弾いていても訳が分からないのだ。

とにかく大音量のなかで、必死に自分の弾いている音を探すのだが、いくら聞いてもベースの音が聞こえてこない。手を止めるとあきらかに音が足りなくなるのは分かるのだが、また手を動かしてもただ音が厚みを取り戻したようにしか聞こえない。

演奏していて何かしっくりこないなと思いながら、その日の練習は終わってしまった。たいていの場合、準備と後片付けを入れて二時間で終わる。一曲だけをひたすらやっていたのだが、あっというまに時間がすぎてしまった。

■曲目決め

帰りにマクドナルドに寄り、コギャルたちがたむろする中をかき分けて、メンバーで曲の打ち合わせをすることになった。バンドのレベルはどうやらそんなに高くないということは皆うすうす感じていたのだろうが、曲目は何でもいいから好きなやつをやろうということになった。そこで、ウルフルズの「ガッツだぜ」をやりたいと言い出した人がいたのでその場で決まった。練習期間が短いので、ドラムの人がイエローモンキーなら叩けるということだったので、結局イエローモンキーからもう一曲やることも決定した。あとは N がどうしてもやりたいというので Pink Cloud の Wasted をやることになった。N は他に Stand という曲をやりたかったようなのだが、ドラムが難しいようなので自分から取り下げた。ちなみにこの英語のバンド名と曲名だが、これも Char という日本人が中心となっている邦楽なので、すべて邦楽である。

その日は、各自で適当に CD かテープを手に入れてコピーしておこうということになって解散した。下手なバンドだったら普通は譜面を手に入れて全員にコピーすべきなのだろうが、N が当たり前のように耳で曲をコピーすることを前提に話を進めたせいか、そのまま突き進んでいくことになった。

とりあえずイエローモンキーを先にやろうということで、他の二曲はしばらく忘れられたのだが、ほどなくしてウルフルズの「ガッツだぜ」は、ギターが耳でコピーできないと N が言い出したので断念した。リズムギターにワウという特殊なエフェクトが掛かっていて、しかも和音でカッティング(ダイナミックにリズムをコードで刻む)していたので、耳で聞き取るのは不可能だったらしい。譜面を買えば済むかもしれないが、譜面もどうせいい加減だろうから、ということであっさりやめた。市販されている譜面も案外いい加減なものだというのは事実である。それっぽくするだけならば可能だったとは思うが、N はどちらかというと完璧主義者なので、中途半端なものを練習するのは嫌だったのだろう。

代わりに決まったのが、当時人気があった Moon Child というバンドの Escape という曲である。これも邦楽である。このバンドはこの曲だけで消えたと言ってもいいほどの打ち上げ花火的なバンドだったが、この曲は耳当たりがよく特徴的なので私も好きである。バンドとして演奏してかっこいいという狙いがあったのだろう。この曲は確かボーカルの人が控えめながらやりたいと言い出して決まった。

■メンバー

あとはとにかく、週に一二回、夜中に練習に出かけてはスタジオで練習をした。メンバーの住む場所が分散しているので、結局地理的に新宿が一番いいということになった。二回目以降はスタジオを変えて、確か南口から歩いたところにある keyboard というスタジオで練習をした。このバンドにはキーボードはいないのだが。

▼ドラム

そもそもこのバンドは、ドラムの人が最初にやりたいと言い出したらしい。申し訳ないことに私は、メンバーの名前を覚えていない。そこでこれからもドラムの人とかボーカルの人と呼ぶことにする。

ドラムの人は、元々は大学の軽音楽部だったようなのだが、辞めてしまったらしい。これは私の予想だが、彼は多分仲間となじめなかったのではないかと思う。彼の性格は、大学の軽音楽部とはあまり合わなさそうであった。私の弟が大学の音楽サークルに入っていたので、とある音楽サークルの話をよく聞いたのだが、明らかに違うタイプの人間は大体仲間外れになって退部へと進んでいくようである。学園祭の当日に、そのドラムの人が所属していたという軽音楽部の演奏を見たが、明らかに我々とはレベルが違っていた。彼のドラムは、おせじにもうまいと言ったら気まずくなりそうなほどであった。

バンドの中だと、ドラムが一番簡単そうに見えるかもしれないが、実はドラムこそがもっとも人材難のパートなのである。ギターやベースは、騒音の問題もあるが、私のように家で手軽に練習できるし、ボーカルならばカラオケがあるのでうまい人をいくらでも引っ張ってこれる。しかしドラムとなると、本物のドラムを使って家で練習するのはまず不可能である。練習用のドラムというのもあるが、板をコツコツ叩く擬似的なものである。最近はエレキドラムもあるのだが、非常に高価なものであるし、実物との感触もやはり違うだろう。というわけで、太っているヤツにドラムをやらせろという世界ではないのだ。

▼N

一方 N なのだが、彼はギターが抜群にうまい。彼に言わせるとまだまだなのだそうなのだが、私が聴く限りでは技巧的には邦楽のトップクラスと比べられる。邦楽ならば、ほとんどどんな曲でも完璧にソロを引きこなせるだろう。ただし、本当にうまい人は安定性があるもので、音の出し方にも全然違うものがあり、そのあたりを聞き分けるには聴く側の耳も必要になってくるようである。友人のお姉さんが音大でピアノを勉強していたそうなのだが、彼女の話でも、難曲を弾くことは弾けるが、弾くだけで一杯一杯になるのだそうである。

N は真面目なタイプである。なにしろ大学に推薦で入学したほどである。席替えのときは進んで教卓の真ん前を選んだというある種の奇人である。私の別の友人が言うには、彼とテストのときに席が隣だったことがあったそうなのだが、テスト中の最初の二十分はずーっと彼の鉛筆のカリカリいう音が聞こえていたそうである。しかし将来は大学ではなく本気でギター製作の専門学校に行くつもりだったらしい。進路相談で結局大学に進むことになったと言っていた。次に会ったときになにしてるか聞いてみたら、出版卸し会社に勤務する普通のサラリーマンになっていた。

彼のギターの腕は、楽器屋の店員から「器用だ」と言われたそうである。この「器用」という評価は、裏を返せば「ニュアンスはともかく」とか「味はそんなでもない」という意味にもなる。

▼ボーカル

ボーカルの人は、わりとルックスもよくて顔は濃い目で背も高く、ついでに歌もそこそこうまかった。いや技巧うんぬんを言い出したら大してうまくはなかったのかもしれないが、声質がとても良かった。多分、恵まれたものを持って生まれてきた人だと言って良い。性格もよく、でしゃばらず控えめであった。一曲だけ、邦楽のくせに全部英語の歌があったのだが、それらしく歌えていたように思う。かわいそうなのは、バックの楽器陣の演奏がロクでもないことと、そのバックにあわせるためだけに毎回毎回スタジオで歌い続け、バンド内の会話が大体楽器演奏に費やされたことである。スタジオ練習のあとの帰り道で、控えめに「俺、どうだった?」と N と私に聞いてきたのが印象に残っている。N が間髪入れずに「いいよ。バッチリ」と言い、私はそのとき「声質がいい」と言ったのだが、それ以降彼のボーカルについてほとんど話が出なかったので、いま思えば彼にとっては退屈だったかもしれない。

彼と特に会話をした覚えもない。一つ覚えているのは、私がちょっとだけレッドツェッペリンの曲のワンフレーズを弾いたときに「ツェッペリンでしょ」と突っ込んできて少し会話になったが、多分私があまり反応しなかったせいですぐに立ち消えた。もう少し私も人恋しければ友達も増えたろうにと思う。

▼もう一本のギター

N の他にもう一人ギターがいた。私はこの人の名前も覚えていないので、彼のことをもう一本のギターの人と呼ぶことにする。彼はどうやら最もドラムの人と親交のある人らしい。しかしサークルは一緒ではなく、ロック音楽とは関係のない別の音楽サークルに所属していたらしい。彼が言うには、一度バンドもやってみたいということでやることになったらしい。

この人はあまり喋らない人だった。練習に来るたびに持ってくるギターが全部違っていた。そしてあまり練習する気がないようであった。ロクに自分のパートを覚えてこない。譜面がないから厳しいのかと思って、N が自分のぶんのついでにギターのパートを全て CD から聞き取って 3パートに分けて譜面に書いて渡したのだが、それでも練習をしていないせいか、演奏中も時々手が止まっていた。それでも N は、ある曲ではギターソロがトーンの異なる前半と後半に分かれていたので、前半のわりと簡単で目立つ部分を譲ったりしたのだが、本番でも結局ろくに音が出ていないようであった。N が冗談で私に「俺が全部やっちゃうぞ」と言っていたぐらいである。

▼私

最後に私だが、前述の通り、バンドはそれまでやったことがなかった。家で落ち着いて座って弾く分にはともかく、実際に立って客を見ながら大きなアンプを使って弾いたことがなかった。まあどうせベースは低音なので、鳴っていればいいやということで安請け合いした。

私に関してだけ主観で書くのは気がひけるのでこれ以上は書かないことにする。ただ、ちゃんと譜面通りにコピーしたことだけは N から確認を受けている。

■泥沼

何度も何度もみんなで合わせて演奏するのだが、いっこうにしっくりこない。たまに N が、いまのいいんじゃないの? と言うのだが、そのあとまた演奏してみたらまたしっくりこない、というようなことが続いた。

録音機材も貸してくれるので、録音してみたのだが、マイクの位置が悪いせいか、ボーカルだけが目立って演奏があまり聞こえない。

私はといえば、とにかく必死にドラムにあわせようと努力はしたつもりなのだが、どうにもドラムがゆらゆらしていて合わせにくい。それに、自分の演奏しているはずのベースの音がほとんど聞こえないのはスタジオが変わってもそのままであった。何度かメンバーに訴えて、ボリュームの調整とかもしてもらったのだが、ほとんど改善されなかった。そのうち、もうそういうものだと割り切って、手の感覚だけで弾くことにした。

そろそろ形にならないといけないというころになって、N がドラムとベースだけで別の日にスタジオ借りて練習してくれないかと提案してきた。私ははっきりいってもうこれ以上練習したくなかったので、色々理由をつけて断った。それに私よりもドラムの人の方が、自分がバンドを立ち上げたくせに練習にきたがらなかった。練習に無断で遅刻してきて電話を入れてすぐ来いと言わなければいけないこともあった。

あるとき N から聞いた話なのだが、本番も近づいたときにドラムの人が、本番での衣装をどうしよう、と言ってきたらしい。おまえそれはちゃんと演奏できてから考えることだろ、と N は私にこぼした。とにかくドラムの人は、本番どんな形でも演奏することが一番の目的だったらしい。一方、N が私に言うには、N は練習こそがバンドの醍醐味であって、本番なんかはどうでもいいと言っていた。このあたりも食い違いがあったのだろう。私の意見は、どうせこれ以上よくなりようがないのだから、さっさと本番が来て終わってくれればいいなと思っていた。N には悪いがそれしか望みようがないように見えた。

■当日

▼学園祭

ライブは二日間あった。N が車で迎えに来てくれたので、大学のキャンパスまで車で行った。我々の開始時間は夕方なのだが、昼前に来て学園祭を見て回った。N はあまり興味のない様子であったが、みんなそれなりに楽しそうだった。私は自分の大学の学園祭にはまったく参加しなかったが、いまから思えば仲間を作って楽しく過ごせれば良かったと思わなくもない。

キャンパス内には第一ステージと第二ステージがあったのだが、我々が演奏するのは第二ステージである。この第一ステージと第二ステージはまさに雲泥の差があって、第一ステージがキャンパスのほぼ中央に位置する大きなステージで、校舎の二階部分の広い張り出し部分がそのままアリーナ席になるというある種天然のステージであった。しかし第二ステージは、キャンパスの片隅に適当にパイプを組んで作られた小型のステージであった。一通りの機材はあったが、客席はキャンパス内の長めの階段であった。この大学のキャンパスは山奥にあり、キャンパスも高低差があるので、このように長い階段があるのだが、この階段を前提にしてステージの位置が決められたのだろう。

N と私は主に第一ステージの出し物を見た。特にジャミロクワイのコピーバンドは非常に完成度が高かったように思う。また、バンドだけでなくダンスサークルのダンスまであった。一方第二ステージにも行って他のバンドを見てみたが、こちらはまず観客がそんなに多くなく、マイペースで演奏しているバンドが多かった。一つだけ、N が言うには、ボーカルやってギターもうまい人がリードするバンドがあって、すごいよと言っていた。他に、女性ボーカルがいかにもという感じでジュディアンドマリーのコピーバンドで歌っていたりもした。

▼本番

出演時間が近づいてくると、そわそわと緊張しはじめたが、それほどではなかった。どうせロクな演奏にはならないだろうと思ったのもあるが、それ以前に空がだいぶ暗くなってきていて、もうどうでもいい気分になっていたからである。どうせ大したバンドになるわけでもないだろうからと考えていたからだろうか、ドラムの人は敢えて人の少ない夕方を選んだようである。ついでに言うと、我々のバンド名は学園祭のプログラム上では「絶頂兄弟」になっていたとかいう話である。

ステージに上がってまずするのは、自分の楽器を備え付けのアンプに接続して音を出すことである。アンプにつなげたあとで私がやったのは、コンプレッサーのつまみを最大にしたことである。こうすると、音はボヤけるが、下手な演奏により音色がフラつくのをごまかせるのである。

それぞれのメンバーが音を試しに出し始めたので、私も適当に引いて感じを確かめた。いきがってバッハをワンフレーズ引いたのだが誰も気がつかなかっただろう。「象さん」にしておけば良かったと今にして思う。

最初は、イエローモンキーの Sparc という曲である。かなり有名な曲であるし、何より簡単である。締まりのないワンツースリーから演奏を始める。

私はこのとき初めて、自分の弾いているベースの音が自分でもはっきりと聞こえた。ちょっとベースアンプのボリュームを上げたからだろうか。逆に N はどうやら自分のギターの音があまり聞こえないようだった。それでギターアンプの音を上げたようなのだが、PA 担当の係の学生から「ギターの音を小さくしてください」と拡声器で何度も指示されたのでしぶしぶボリュームを落としたようだった。

私は非常に気持ちよく演奏した。白状すると、ドラムを無視して演奏した。ドラムにあわせると明らかにテンポが揺らぐからである。なんとなくうまくいっているような気がした。あとになって N から「ドラムにあわせなかったでしょ」と言われてドキッとしたが、特に演奏が狂ったような気はしなかった。

一曲終わると、ボーカルの人が簡単な MC をした。要するにバンドの紹介と一言、みたいなものである。こういうのをやってみたかったようで、このときいつのまにか我々のバンド名が横文字のものに変えられて紹介していた。あとは特に間が持たないのでさっさと二曲目にうつった。

N は本番前に、冗談とも本気ともつかない声で「オレ、ドラム見て演奏しようかな」とか「背を向けて演奏しよう」と言っていた。私も「そうしようか」と冗談で返した。おどろくべきことに N は本番でそれを本当に実行していた。私も途中で彼に合わせて、数少ない観客に横を向いて、ドラムの方を向いて弾いた。いやもうバラバラである。

演奏はほどなくして終わった。四曲で二十分だからすぐである。空は真っ暗で、気温も低い。反省会というか、一応どんな感じだったとかいうことも話したのだが、次の日に向けて何か気をつけようなどということはほとんど出なかった。

▼二日目そして解散

次の日は、もう学園祭はいいやということで夕方集まり、第二ステージで他のバンドの演奏を見ながら普通に順番を待った。

我々はあとこれから幾つ目か、みたいなことを話していると、どうやらスケジュールが押しているということが分かった。どうなんだと、ただ様子を見守りながら順番を待っていたら、本当に延び延びになっているみたいで、我々の番が来たときに、時間がないので十五分でやってくれと言われた。仕方がないので、もっともドラムが厳しいと言われていた Escape を削った。私は自分のベースはこの曲が一番気に入っていたのでとても残念だった。

腹を立てた我々は、特に N と私は完全にやる気をなくしていた。そこで私は、日が暮れて寒くてしょうがなかったので、手袋をはめてベースを弾いた。多分ちゃんと弾けていたと思う。あとでボーカルの人に「すべりやすくて弾きやすいんでしょ」と言われて苦笑した。それでも二日目で多少は余裕が出てきたので、時々正面を向いて観客を見ながら弾いたりもした。

この日はなぜかテンションの高い十人くらいの観客が、ステージ直近まで来て集団で何かウェーブのようにみんなであわせて場を盛り上げていた。あとで聞いた話によると、彼らはドラムの人の仲間とのことだ。

最後の曲になって、比較的簡単なラブラブショーで締めるのだが、ここで最悪の事件が起きた。曲もほとんど最後になったときに、ステージ直近にいた集団のうちの女性の一人が、ドラムの人に小さな花束を持ってきた。仲間代表なのだろうから、おつかれさん、ということだろう。ドラムの人は、その女性が近くにやってきたときに、演奏中にも関わらず演奏を途中で止めたのである。そして花束を受け取り、また演奏を続けた。これを見て N はあとで「最悪」と言い、やるだろうということになっていた打ち上げもなしで帰ることになった。

N と私とボーカルの人は、途中まで N の車に乗せてもらって家路についた。途中、社内でグチを言い合った。多分このあと、ドラムの人は仲間と打ち上げをしたことだろう。バンドの仲間ではなく。

この時以降、私は N 以外の誰とも会っていない。

■考察

これで晴れて私は「バンド経験者」になった。だが内実はこんなものである。

どんなことにも言えると思うのだが、集団で何かやろうというときには、デキる人を集めることが何より大変なのである。また、仮にデキる人が集まったとしても、今度は気があわなくて失敗する可能性が高いのだ。というのは、デキる人間ほど自負が強いしポリシーもはっきりしているので、互いに妥協しにくくなるからである。今回のバンドでは、多分 N だけがデキる人であり真剣だった。

以前私の職場の課長が、人を集めてバンドを一回やってみたい、と言っていたことがあるらしいが、実際にやったという話を聞かない。やはり人が集まらないのである。まずこの人の趣味がジャズなので、私の趣味ではない。しかも、この人は私と同じベースなので楽器がかぶる。いや私はギターも出来るというか、自分の楽器で持っているのはギターだけなのでギターでもいいのだが、音楽の趣味の違いだけはどうにも埋められない。また、バンドでキーボードをやっていた K さんという人がいたのだが、転職してしまったのでいまはいない。トレーディングカードゲームなら二人いればできるのだが、バンドはパートに重複なく四人以上集めなければならないのでまず無理である。

はっきりいって今回のバンドは、ドラムの人のシナリオ通りに進んだ。彼の目的は、学園祭でそれっぽく演奏して、卒業前に最後の一花を咲かせたかっただけなのだ。その気にさせられた N や、駆り集められた私やボーカルの人は、いい迷惑である。もう一人のギターの人は、よく分からないがただロックバンドをやったということに満足しているようであったので、彼もまた自分の目的を果たしたと言えよう。

N は当時から、バンドをほとんどやっていなくて、一人でカントリー音楽を弾くことに熱中していた。カントリー音楽というのは、ロックよりもかなり難しく、一人で一本のギターで伴奏と旋律を同時に弾いたりする。これだとバンドを組まなくても、自分の努力だけで真剣に練習して突き詰めていくことができる。だがそれでもたまにバンドをやりたくなるらしくて今回参加したらしいので、一応彼なりに目的を果たしたと言えなくもない。

▼弟のケース

私の弟に聞いても似たような話になるので面白い。彼はまともな音楽サークルに参加していたのだが、やはりメンバーが真剣でないので次第に遊びという感覚が強くなっていったそうである。当初は、レベルの高い先輩にまじって、腕を上げることにいそしんでいたらしいのだが、自分がサークルで先輩の立場になってみて気がついてみると、後輩でこれという人はかなり少なかったらしい。ライブの演奏よりもパフォーマンスに気を配る副部長の影響がかなり強いとも嘆いていた。

一度なんかは、女性主体のバンドにギターで誘われたらしく、Every Little Thing の曲をコピーして私に自慢げに弾いていたのだが、本番直前になってボーカルが、この曲恥ずかしいから歌いたくない、などと言い出して、いきなりこの曲をやらないことになったことがあるらしい。

弟はバンドを三つ四つ掛け持ちして弾いていたようなのだが、真剣さはほとんどなく、ただ付き合いでやっているようであった。あれから一年くらいたったいま、もう彼はとっくにギターをやめてしまった。学内で何番目かにうまいと言われていたらしいが、いまでは 3D CG でデジタルアイドルを作る日々である。

■おわりに

バンドというとかっこいいように思うが、多分ほとんどのバンドマンはそんなにイケてない。モテるために音楽やるなんていう屈折した人がほとんどだからである。

屈折がよくないとは言わない。というのは、何にしろ強い意志が芸術を作り出すだろうからである。


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gomi@din.or.jp