100. 主人公でいること (2001/4/15)


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まず同窓会の話から入るが、これはあくまで導入に過ぎないので、ざっと読み進めていただきたい。

■部の同窓会

ひさしぶりに Sから電話が掛かってきた。相変わらず急で、電話口から雑踏が聞こえるから、街中から思い出したように掛けてきたのだろう。内容は近況報告と同窓会への誘いだった。近況報告のほうは、めでたくアメリカ留学が決まったものの、第一志望の大学にはいまのところ補欠枠に入ったばかりだという内容だった。数学専攻という世間一般からすれば変人枠の彼だったが、いよいよ博士課程まで行ってしまう気らしい。

同窓会というのは、高校のときの野外研究部という部の同窓会だった。野外研究部というのは、ハイキング部と生物部のまじった部のことで、登山部やワンダーフォーゲル部ほどではないにせよ、泊りがけで山に登ったりすることもあれば、水質調査やアメーバの飼育という一応研究らしいこともする、非常に変わった部であった。いまから考えれば、山歩きの好きな生物の先生が、自分の趣味をたくみにカモフラージュして成立させた部なのだろう。こうして設立された部は、キャラクターのはっきりしない生徒を吸い寄せながらしばらく続いていたが、中核となっていた先生が次々と転出していった結果、ついに潰れてしまったらしい。

その同窓会の電話でSは、集合場所と時間と簡単な内容について一通り説明したのだが、これ以上電話で近況などを話すのも面倒だったので、詳しくは現地でということになった。

よく考えてみたら、高校を卒業してからはや七年がたっている。Sは、多分自分も同窓会に行く、と言った。しかし彼が万が一こなかったとしたら、知らない輪の中に入っていかなければならないかもしれない。私は、懐かしい面々と会える、という前にまず悲観的な想像をした。

しかしその心配はまったくの取り越しであった。行ってみると、まず Sの姿を確認することができた。彼は早くも、初対面の三つか四つ下の男の子二人と打ち解けていた。近くには物理教師N がいて、私はこの教師の名前をすっかり忘れていたのだが顔は覚えており、一応の挨拶をした。続いて、私もよく知っている一つ下の後輩の女の子がやってきた。看護婦をやっているという。同じ学年にもう一人いるのだが、貿易会社に入ったらしく、仕事が入っていて来れないらしい。私の同学年でほかに二人の知り合いがいるのだが、Sによれば二人とも来れないという。一人は司法試験の勉強が忙しく、もう一人は仕事の都合でやはり休日なのに休めなかったとのことである。同学年には一人だけ女性がいて、やはり看護婦をやっているということで後輩と意気投合していた。

同窓会自体の話はしない。ただ、現役の看護婦と身近に話が出来るのは、入院して親しくなるか、合コンに参加するか企画するかしかないな、と思った。なぜここでわざわざ企画と言ったのかというと、私は最近職場を移ったのだが、その去り際に先輩が「向こうの職場でいい女の子がいたら合コンやってよ。なにがあっても行くから」みたいなことを言っていたからである。

私は合コンを企画するどころか、参加すらほとんどしない、あるいはそういうルートを持っていない人間である。職場にもそれほど異性がいないし、あえて話題を作ってまで話がしたいとも思わない。しかし、必然として同窓会で集まって話をすると、やはり異性と会話するのは楽しいものである。この、男にとって当たり前と言える感覚が、私や私のまわりにいる人間にはどうやら希薄なようである。

ところで、私の職場では、入院をきっかけに看護婦と親しくなって結婚した人が何人かいるらしい。そういう話を看護婦やっている後輩にしたところ、「誰かいい人紹介してくださいよー」と言った。その瞬間、職場で水野美紀のファンの、合コンを求めて止まない三十代の E先輩の顔が浮かんだが、冗談でも彼のことを言ってはいけないと思ってただ笑うだけにした。せっかく後輩が自分をおとしめて返してくれたのに、ただ笑うだけの私はなんなのだろうと反省した。この場合、うまいこと合コンを立ちあげることができたら、みなから喜ばれたかもしれないのだ。合コンを切り出してしまうと後輩が引いてしまう可能性もかなり考えられたのだが、男としてそれもやむをえないのだと開き直ることができなかったのが残念である。イタリアみたいに、口説くのが礼儀という文化があれば、どれだけ楽だっただろう、というのも言い訳じみていてよくない。

余談だが、その後輩は障害者専門の病院で、同学年の人は地方自治体の老人介護施設に勤めているらしい。つまり、障害のない若い男との接触は、少なくとも職場ではまったくないわけである。このような、下品な言い方をすれば「穴場」とも言える看護婦さんと、ごく自然に接触の機会があったのに、それを逃してしまったと考えれば、ますます残念に思えてくる。ただ、最近五体不満足の乙武さんが婚約したり、元気な老人も多そうなので、彼らをナメてかかることはできない。

*

ということを考えているうちに私は、私がこのサイトを立ちあげた頃のちょうど前に行った、事実上のとある合コンのことを思い出していた。

■N

そのまえに、そもそもの始まりから話すことにしよう。

私はいわゆる派遣社員である。ある会社のあるプロジェクトで、あることのできる人が必要だということで私が行くことになった。プロジェクトは大きく二つに分かれていて、そのうちの一つのチームに入って一緒に仕事をした。

そのチームには、年が二つ上のNという人がいて、私ともっとも年が近いということで仲良くなった。彼は九州出身で、頭を丸めており、性格は明るいが口数がそれほど多くはなかった。私の偏見であれば割り引いてほしいのだが、私から見ればいわゆる九州男児の印象の範囲内であった。彼は年上ではあるのだが、社会人としては同輩なので、仕事上は対等の関係にある。年上に対してこう言うのもなんであるが、まさに「ひとなつっこい」という言葉がぴったりと合う男であり、事実私に対して「(自分のことを)どう呼んでもいい」と言った。そこで私は戸惑いつつも彼のことを N君と呼ぶことにした。が、私は自分の呼び方について彼に何か言うことをすっかり忘れていた。そのことがひょっとしたら彼を困らせていたかもしれない。

ここで私は告白するが、もし私の周りに他に親しくするべき人が職場にいたとしたら、多分彼とは親しくならなかっただろう。おそらく私と彼との間にはほとんど共通点がないのだ。もう少し踏み込んだ言い方をするとしたら、私は彼のことを馬鹿にしていたかもしれない。しかし、この出会いはのちに私に大きく影響を与えることになる。

■タバコ

私は職場では隠れ喫煙者であった。当時、家ではタバコを吸っていたのだが、タバコを吸うことは恥ずかしいことだと思っているのと、あえて家以外で吸わなければいけないほど中毒だったわけではなかったからである。

その職場で一ヶ月たち、つかみどころの難しい解析という業務をやっていた私は、かなり仕事に嫌気がさしていた。なにしろ、海外のソフトウェアハウスの作った業務用ソフトがバグだらけとかで、重要だと思われるソースコードがどんなことをやっているのか、ソースコードを読んで文書にまとめろと言われていたのである。設計書もろくにないし、断片的なものがあっても全部英語で書かれており、しかも書いてあることが大嘘だったりするのである。長年プログラムに慣れ親しんできた私でも、かなりツラいものがあった。集中すればするほど、あらゆる可能性についてソースを深く広く読むことになり、終わりというものが見えないのだ。

そのうち、プロジェクト内の二つのチームの作業をある程度統合させようということになり、別々の場所でやっていたのを同じ場所でやることになった。私たちのチームは、それまでは場所がないという都合からかどうか知らないが、営業の拠点で仕事をしていたのだ。この環境もあまり精神的にはよくなかっただろう。

そんなわけで職場を移ることになった。しかし私のやることには大して変化はない。ただ、喫煙所が広く、しかも仕事をする部屋からかなり離れていたことから、私は仕事の息抜きに職場で喫煙するようになった。Nも喫煙者で、さらにチームに新たに入ってきたMさんという人も喫煙者だったので、時間の合う人と一緒に休憩して喫煙することになった。

■Y

もう一つのチームには、女性が二人いた。正直な話、私は少なくとも見知らぬ女性を顔で判断する。つまりかわいいから近づきたいだとか、そうでもないからどうでもいいや、みたいに思うことが多い。これは多分男の本音だろう。もっとも、私の場合、男でも(なおさら?)理由がなければ特に何かを感じない限り自分から近づいたりしないので、ここであえて自分を卑下するほどのことでもないのかもしれない。

あるとき N が喫煙所で、この二人の女性と仲良くしていた。このあまりに唐突な出来事は、それから二ヶ月弱の私の日々を大きく変えた。はっきり言えば、N がいなければこの二人の女性と仲良くなることはなかっただろう。特に、そのうちの Yさんとは、年が近いということもあって、職場の若いグループとで何度か遊びに行くことになる。私と N との決定的な違いが、私が何か理由がないと関係を作れないのに対して、N は自分が望んだときに関係を作ろうとできるのである。この違いは私にとっては大きい。

Yさんは私の一つ下であるが、専門学校を出てから働いているので、業務経験からすれば先輩にあたる。会社という社会からすれば、実際の年齢ではなく勤務した年数が問題となるので、彼女はいわば社会人としての先輩になる。これがまたどうでもいいことなのかもしれないが、私の中ではこのことも微妙に影響を及ぼしていたかもしれない。

さらに Yさんはなんと小学校六年生からタバコを吸っていると言っていた。しかも赤いマルボロというとてもきつい種類のタバコである。これでなければ吸った気がしないらしい。ひょっとしてヤンキーだったのかと思い聞いてみたが、本人は違うと言っていた。少なくとも外見はそんなにヤンキーっぽくはない。

Yさんとも多分、普通なら絶対に親しくなることはない相手である。Yさんと親しくなったのは、私が N と親しくなったという偶然の結果からであり、N と親しくなったのも職場環境の偶然の結果である。そういう風に考えると、これからの一連の経験は、私の人生の流れから考えると、自分の世界とはかなり遠いところへ偶然迷い込んだということになる。

■喫煙所

私は正直言って、全般に人と適切な距離を取ることが苦手な人間である。そして大抵の場合私は、人と近づきすぎて嫌われたり逆にこちらがうっとうしく感じるよりは、むしろ相手との距離が遠い方がいいと考える傾向にある。だが、この職場での二人の女性との関係は非常にうまくいった。いくつか理由が考えられるのだが、あとから聞いた話によると、もうこの場所でのこの仕事が長引いているので、新たに来た Nと私を目新しく歓迎してくれたのだろう。いまから思うと、どうやって N がこの二人の女性と接近したのか知りたい。多分、どうということもない方法なのだろうが、そのどうということもないことをやれないために、色の落ちた人生を送っている人は私も含めておそらく多いはずである。

私は主にタバコを、Nと、または隣の席で一緒に仕事をしていた年配の Mさんと、あるいは一人で吸いに行った。頻度から言えば Mさんとが一番多かった。Mさんとは、同じ仕事を一緒にやっている都合上、仕事がひとくぎりする時間がまったく同じなのだから当然である。また、Mさんは年配のわりに性格が若く、割合話があったのが大きい。一方 Nとは、頻度は少ないがタイミングがあうときに多少示し合わせて行った。二人の女性とは席が離れていたし、私が誘うほどに親しいとは言えなかったので、「一服しにいこう」と誘う流れにはならなかった。二人の女性は、基本的に互いにまったく違う仕事をしていたのだが、大体示し合わせて一緒に一服に出かけていた。

ここで別にたいしたことのない白状をするが、私は意図的に、目安として二回に一回ぐらい、なるべくこの二人の女性が一服する時間を見計らって一服にでかけた。Mさんや Nをさりげなく誘うこともあれば、一人で行くこともある。

喫煙所にはテーブルが二つあった。各テーブルには椅子が四つあった。誰もいないときは簡単であるが、知らない誰かが片方のテーブルにいると、私はもう片方のテーブルに座った。知っている誰かが片方のテーブルにいると、私は椅子が空いている限りなるべく同席した。

一番ドキドキするのが、一人で来たときに、二人の女性と同席しようとするときである。とはいっても、ただ単にどちらかの隣に座るだけである。大抵の場合、Yさんじゃないほうの背の高い多少キャリアのある女性が会話をリードしているので、私は二人の会話を聞くことにしていた。ちなみに、こちらの女性も本当は記号をつけた方がいいほど私の中で存在感があったのだが、今回の話全般からすると大して重要じゃないので省くことにする。

私は別にこの人間関係に大した努力を払っていないのだが、実際のところ本当にごく自然に話に入ることができた。あるときは、話の内容に気になって私が横から何か聞いたり、そうでなければ向こうから振ってくる。Yさんが独りで休んでいるときも、基本的に同じである。私は別に自分から話し掛けてもいいのだが、私と Yさんとの関係では、どうやら Yさんがつぶやき始めるのを待った方がいいことが分かった。というか、詳しくは後述するが、男は基本的にいかに聞き手になるかが重要である。好意を持った女性にアタック、というのは非常にありがち(実際にはそんなにはないが)のパターンだが、そうではなくてむしろいかに彼女の聴衆に収まるかがポイントなのである。

ところで私は、異性と接するときは自分独りよりも誰か男が一人いてくれたほうが気が楽でいい。いくら親しくなれても、多分私の中では男と女の壁が存在する。私は一時期、この壁を取り払うことが異性と親しくなれるための第一歩だと思っていたが、いまは逆に異性に対してファンタジーを描くために必要不可欠なものだと思ってむしろ意識するようにしている。私の他に誰か男が一人でもいれば、私一人よりも場が長く成り立つだろう、という安心感がある。一人で異性と接するのが一人前の男だという意識はなくなってきた。

Yさんのつぶやきは大抵「眠い」とか「だるい」から始まる。そのつぶやきに「ふーん」とか「どうしたの」とか、あるいは黙って聞いているうちに自然と話が進んでいく。私は、本来ならば一般的に会話の主導権を握る方で、自分の用が済んだら自分から話を切り上げて去っていくタイプなので、Yさんとのこのような会話が普通に成り立っているのは新鮮だった。おおげさなことを言うと、ひょっとして女性は一般的にこういうものなのかな、とも思った。このあたりも詳しくは後述する。

というわけで、喫煙所での会話は、私の毎日を明らかに楽しくした。私は Yさんに好意を持っていった。

■合コン?

▼紹介

ある日、私が喫煙所に行ってみると、N と Yさんがなにか話をしていた。割り込んでみると、ちょっとまえに N が Yさんに彼女を紹介してくれと言っていたみたいで、その話がまとまって Yさんの同じ会社の友達を N に紹介することになったらしい。それでどこかで会って、気があえば付き合うということになったらしい。興味を持った私はすかさず、私も一緒に行っていいかとたずねたら、あっさりオーケーだったので行くことになった。

当日、仕事が少し忙しく、Yさんが先に出てその友達との待ち合わせ場所に向かう。N と私は似たような仕事をしていたので、早く切り上げようとしたのだが、結局一時間以上かかってしまった。携帯で連絡を取りながら店に着いたら、Yさんとその友達が待ちくたびれていた。

私はこの Yさんの友達の名前をすっかり忘れてしまったので、その後の会話に出てきた「メロコア」をもとに Mさんと呼ぶことにする。

N と Mさんが隣同士で座り、私と Yさんが隣に座った。それで、基本的にこの集まりは N と Mさんとが中心だろうということで、私と Yさんは囃(ハヤ)す側にまわった。

▼雲行き

しばらくすると、なぜか今度は私が Mさんの隣に行けということになった。私は本当に、なにげない目的のない会話をすることが、とくに異性相手にすることが苦手なので、音楽の趣味についてとかを聞いてみた。そうしたら Mさんはメロコアが好きなのだそうだ。後日私がこの話を私の弟にしたところ、どうやらメロコアというのはファッションの一部みたいなもので、とりあえずメロコアと言っておけば自分のイメージを作れる、みたいなところがあるのだそうだ。よく読む雑誌とかも聞いてみたが、Mさんは弟に言わせると典型的な JJ 系の女性らしい。JJ などの女性誌に深く影響を受けている女性のことを私たちの勝手な造語でこう呼んでいる。いや、こういう風にステレオタイプで見るのはよくない。人はそれぞれなのだから。

一時間か一時間半くらいして、Yさんが突然「わたしこの店飽きたー」と言い出したので、別の店に行くことにした。テーブルには、私が少し頼みすぎた料理が残っていて心苦しかった。Yさんと Mさんは私と N より一時間以上この店に来たので、そのあたりのところを私は汲み取れなかった。なんというか勉強になった。あとどれだけ勉強すればまともになるのかと思うと憂鬱になる。この店は結局割り勘になった。私は個人的に、男が女性におごるというのはしたくないのだが、主義とかではなく本当にうっかりしていた。料理の量から考えると、自分が多く払うべきだったと後日思った。が、いまだから言えるのであって、その理由は後述する。

▼雲の中

店を出た私たちは、Yさんを先頭に次の店に向かう。が、Yさんは Nと一緒に二人で何か話しながら歩きつづける。一方、Mさんは歩く速度が遅く、このままだとどんどん前の二人と離されていく。私はどうしたらいいか分からず、仕方なく歩をゆるめて Mさんに近づいて、ちょっとだけどうでもいい話をしてみたが、あまり乗り気ではないようである。そこで私は Mさんに、このままだと二人を見失いかねない、と言ったが大した返事が返ってこない。私は仕方なく、前の二人と Mさんの中間あたりを歩くことにした。

もしこれが本当は、このまま二人で、という流れだとしたら実に惜しいことかもしれないのだが、この可能性についてはそのとき全く考えることが出来なかった。これからもし似たような状況があったとしたら、とりあえず一度試してみるつもりである。ちなみに、思い返すと似たような状況が前後して他に一回あった。ほとんど間を置かず二回もあったのに、一度も新しいことをやろうとしないのは、私がよほど失敗を恐れているのか、にぶすぎるのか、それとも実は深層では異性を求めていないのかもしれない。

とまあ私のことは置いておいて、Yさんに焦点を当ててみよう。いま改めて考えてみるとこういうことではないか。Yさんは実は N に興味があったのだが、N からは彼女を紹介してくれと言われてしまった。そこで Mさんを連れてきて、一緒に飲むことにした。そこへ私が現れたので、体よく Mさんと私が近づくように仕向け、Yさんは N に近づこうとした。だとすると、先の店で Yさんが私に Mさんの隣の席に行けと言ったことの説明がつく。Mさんは Yさんのこの計画あるいはこの意志を知っていたのだろうか。だとしたら、Mさんが N と Yさんとの距離をとって歩いたことの説明がつく。では私はなんなのかというと、酔っていて慌てていただけなので単なるアホである。…とまあここまで自分を卑下する必要はない。たいていの場合、それは思い過ごしである。他人はしっかりしている、というのは陥りやすいファンタジーの一つである。

そうしているうちに、カラオケ店に入ることになった。時間は大体十時過ぎくらいだったと思う。カラオケ店に入ってからしばらくして、私と N は偶然同時にトイレに行った。アルコールが入っていた私たちは、確かこんな会話を交わした。まず N が私に「おまえ M いけ」と言った記憶がある。私は「Mさんは君がいくんじゃないの」と言い返した。そうしたら N は「じゃあオレ Mちゃんいくから、おまえ Y いけ」と大体のところそんなふうに言った。N にとっては、Mさんだろうが Yさんだろうが、どうでもいいことなのかもしれない。だとしたら愛すべきいい加減さだ。

後日の話を少しするが、私は N がいないときに、Yさんと背の高いもう一人の女性に、このとき私と Nとの間でこういう会話があったということを言ってしまった。背の高い女性は「あんたたちそういう会話してんだ」と半ばあきれていたが、Yさんは何も言わなかった。

ちなみに、私は Mさんをかわいいと思ったが、接近したいとは思わなかった。私の頭の中には、この集まりは N と Mさんが付き合うかどうかが目的であって、私がその間に割り込もうとは全く思わなかった。考えてみれば不思議である。世の中には、ルールを破ることの出来る人間と、ルールを正直に守ってしまう人間がいる。どちらかといえば私は後者だろう。

▼遊びかセクハラか

カラオケ店では、確か最初は Mさんが私の隣にいたが、ほどなくして入れ替わり、Yさんが大体となりにいた。N は、前の店でコースターを拝借してきたようで、女性…というか女の子と呼んだ方がいいのだが二人に向かって、コースター欲しいひと!と呼びかけた。女の子二人は、欲しい欲しい、とはしゃいでいた。それを横目に私は、なるほど、そういうものなのか、と酔った頭でなぜか冷静に考えていた。N は悪ノリして、女の子二人の靴下をひっぱりだした。二人は苦笑していて、嫌がってはいなかった。私はこのとき N を本当に尊敬した。私のキャラクターで同じことをする勇気はない。いや、これは勇気がなくて正解なのだろう。

私は彼らのその様子を見て、酔っていたのも手伝って「いいなあ。僕もそういうのしたいよ」と彼らとくに Yさんに言った。Yさんは目立った反応は返さなかった。私は自分から彼らとの距離を認めたのだが、こういうことはあまり言わない方がいいと今では思っている。で、私は悪ノリして、マイクを持ってその先を Yさんの胸に当ててみた。とんだオヤジぶりである。Yさんは Mさんに「ねえねえこの人エッチなんだよ」と笑った。Mさんはそんな Yさんに少し距離をとっているように見えたがこれはあくまで私の心象である。

▼夜中

かなり歌った。もう電車がなくなる、ということが分かっていたのだが、そのまま流れで居続けることにした。それからの Yさんはもうよく分からない。親しげに話をしたと思ったら、ねえあんた離れて、と私に言い出してもきた。かと思うと、眠くなってきた、と言って自分の入れた曲を歌っている最中に私にもたれかかってきた。私はこの感触がよかったのでそのまま私も Yさんにもたれかかることにした。そのあいだ、N と Mさんは多少近づいていっているみたいであった。

私はなにを隠そう、このときが生まれてからカラオケ二回目だった。それで酔っていることもあって、調子にのって、ほかに誰も歌わないのをいいことに歌いまくってしまった。三時ごろになると、もうよくわからない、Yさんはそのへんに横になって寝ているし、N は Mさんのひざまくらでねっころがっていた。私も眠いので横になってみたり座ってみたりでよくわからない。私が歌い飽きてしばらくすると、Mさんが環境音楽がわりにおとなしめの曲を入れて、それをボーッと聞いていた。

五時ごろになって、そろそろ電車があるだろう、ということで店を出ることにした。料金なのだが、さすがに表参道、一人 30分 500円、四人で一時間 4,000円、飲み食いも入れて四万円弱かかった。これを見越してかどうか知らないが、N と Yさんは事前に私のおごりにしてくれと言っていた手前、私が払わないわけにはいかない。他の三人はさすがに悪いと感じたのか財布をさぐりだすのだが、あまり持ち合わせがない。私の財布にはちょうど四万数千円入っていたので、仕方なく払うことにした。やられた。

▼その後

後日、なぜそんなに金を持ち歩いていたのか、と職場のもう一人の女性が聞いてきたので、ちょうどノートパソコン用のハードディスクを買おうか買うまいか迷っていた、と答えたら彼女は「しょーもな」と言った。金額はともかくとして、楽しめたし、いい勉強になったことも確かである。

ある日、給料日後かどうか知らないが、Yさんが勤務中に私に手紙を持ってきた。中をあけると、カラオケが楽しかったのでまた行こうという簡単なメッセージと、一万円が入っていた。…というのは私の勘違いだった。いまもう一度手紙を確認してみたら、ただカラオケ代一万円を出すというのと、Mさんも給料日になったら出すというのと、Mさんがまた飲みに行こうねだって、とあった。記憶とは本当にあてにならないものである。

それはともかくとして、私は金が返ってきたことよりも、まともな金銭感覚が共有できたことに喜びを感じた。私は、そのまま受け取るのではなく、そのまま返すのでもなく、結局三千円受け取ることにして、その旨を別の紙に手紙で書いて金を包んで渡した。一度おごると言ったので、三千円三千円三千円に私が三万円ということにしようと提案した。あまりスマートではないが、これが私流である。

次の週の頭、N と Mさんはいったん家に帰ったあと、あらためて示し合わせてどこかへ行ったらしい。が、結局、さらに日がたってから話を聞くところによると、N はあれから会っていないと言っていた。

■みんなで遊びに行く

▼きっかけ

またあるとき、みんなで遊びに行こうという話になった。私から言い出したのではない。誰が言い出したのか知らない。多分 N か Yさんまたはその両方が言い出したことだと思う。

それで思い出したのだが、やはり誰かを誘うというのは波長が合わないと駄目なのかと思う。結局私がいたときには実現しなかったのだが、みんなで鍋をやろうという話もでて多少盛り上がったことがあった。ひょっとしたら私がプロジェクトから抜けたあとに、ちょうど十二月で寒さ真っ盛りなので鍋をやったのかもしれないが私は知らない。一方私は、アイススケートに行かないかと提案してみたが誰も乗ってこなかった。N も Yさんも九州出身なので実感がなかったのか、それとも運動に興味がなかったのか、ただそれだけの理由だったのかもしれない。しかし私はこのとき、誘う側の波長が、誘われる側の波長と合わなかったのではないかと思って、つまり私と N や Yさんとの間の溝を改めて感じた。というのは考えすぎだろうか。

話を戻すが、とにかく誰かがビリヤードだかボーリングだかをやりたいと言い出したらしかったので、新宿に行って遊ぶことにした。私と N と Yさんと、あと確か三人ぐらいで、つまり男五六人に女性が Yさん一人という典型的な職場遊び編成である。

私は非常にウキウキしていた。多分、Yさんがいたからだろう。ただし、私は Yさんが好きだったわけではない。よく分からないが、女性がいること自体が楽しかったのだと思う。なんというか、一人の女性がいて、自分の他に数人の男がいて、というシチュエーションは、種として動物として人間の精神を高ぶらせるのだと私は思う。

私は基本的に、男女同数が一番いいのではないかと思っていて、女性一人に男が群がるのは、たとえ女性が魅力的でもなぜか腹が立つ。しかしよく考えてみると、メス一匹にオス何匹かが群がるのは多くの生き物で当然のことであり、疑似的な生殖競争の元でオスのみならずメスも、このような状況に興奮を覚えて楽しむのではないかと思った。

駅へ向ってみんなで歩いている途中で、Yさんの携帯に Mさんから別件で電話が掛かってきたので、ついでに遊びに誘ってみたらしいのだが、彼女は来なかった。ほかに Yさんの会社の同僚の男が一人新宿で合流した。

▼なぞ

まず入ったのは音楽のうるさい広い店だった。八人がけの狭い机と椅子にみんなで座った。私は調子をこいて Yさんに「こっち(の席)どう」と言ったがあしらわれた。飲む前から私は妙な興奮状態にあった。

さきほど言ったように、私は Yさんに好意を持っていたが、特に好きだったわけではない。前に私が Yさんから一万円のうち三千円だけもらって七千円返したときに、こちらからも手紙を書いて送り返したと言ったが、そのときの私は文面に「友達になりたい」みたいなことを多少婉曲して書いておいた。私は当時本当に、いまの仕事が終わっても友達でいられるといいなと思ったのでそう書いた。手紙なのでその後の口頭のリアクションはなく、それ以後は手紙がなかった。

私の考えでは、Yさんは N を得たいと思っているものと思っていた。しかし、今回の遊びでは、前半だけだがはっきりと私へのアプローチを感じた。まず、私が調子をこいて Yさんにアプローチして場が変になっていたのだが、その雰囲気が元に戻るのを待って彼女は、私の頼んだ飲み物がどんな味か飲ませて、と言ってきた。これをアプローチと考えるのは私の考えすぎの可能性もあるが、これも好意と考えるのはごく自然のことである。それで、多少は成長した私は、ついでに私も彼女の頼んだものも一口飲ませてもらった。

まだ仕事の関係で来れない人がいて、あと十分くらいで新宿駅につくから駅まで迎えに来てくれ、ということになった。よく分からないが私が行けという話になっていた。なぜ私なのかよく分からないので、ジャンケンにしよう、と私が強く主張したので、結局ジャンケンになり、結局私がジャンケンで負けて行くことになった。私は携帯を持っていないので、向こうから何か掛かってきたらどうする、ということで私は Yさんから Yさんの携帯を受け取った。店を出た私は、酔いのまわった頭で、さてうまく彼が見つかるだろうか、と悩みながら駅へ向かった。するとほどなくして Yさんが私に追いついてきて、結局二人で迎えに行くことになった。

私は、状況がよく分かっていなかったのだが、なんとなくまた興奮してきた。歩きながら、自然に自分の体を Yさんに押し付けて、それでしばらく歩いていると Yさんが「なんでひっつくの」と言ってきたので私は「いいじゃん」と返した。アルタ前についてから、しばらく待った。言葉がないのもなんなので「身長いくつ?」みたいなどうでもいいことを聞いた覚えがある。

▼遊び

その後は、普通に合流し、ビリヤードをし、ボーリングをしただけである。私はビリヤードの最中に猛烈に腹が痛くなって憂鬱だった。腹が痛いというのは多分潰瘍か腸の風邪による炎症かどちらかである。ビリヤードで覚えているのは、Yさんの同僚のマッチョというか太った男が親切にビリヤードの玉の打ち方を教えてくれたことと、Yさんとナインボールで対戦しているときに私のブレイク失敗後にいきなり Yさんが 9番を落としてやられてしまっって、彼女がかなり喜んでいたことである。

一通り遊んだあとで、電車の始発まで少しあるのでゲームセンターに入った。Yさんは、かなりテンションが下がってきていた。彼女は小さなクレーンのゲームの中に入っているキーホルダーをみて「これいいな」と言っていたが、誰もゲームをやらなかった。

もうそろそろ電車が始まる頃だという時間になると、駅へだらだらと歩いていった。駅の中に入ってから、さあ解散だという流れにはなかなかならないようであった。私はこういう中途半端な状況が嫌いなので、率先して帰路についた。こういう状況になると決まって思い出すのが、中学や高校の卒業式のことである。特に高校の卒業式で私は、名残惜しさよりもイライラがまさったのでさっさと帰った。このあたり、私の性格が本当にドライだということを客観的に示しているかもしれない。

■挿話

▼S か M か

私が遅れて喫煙所に入っていくと、S か M かどっち?という話になっていた。私は、誰がどうこうという話には入りそびれたが、私は自分のことを S だと言った。私からすれば分かりきっていることである(M の部分もあるのだが)。しかしどうやら他人から見た私のキャラクターは違っていたみたいで、S と M の意味わかってんの?という突っ込みが入ったが、あえて深く説明するのはやめた。

多分私が以前、好きなタレントは誰かという質問に対して、榎本加奈子、あの性格の悪さがいい、と答えたことが原因かもしれない。あるいは、カラオケ店をさがしていてある店に満員で断られたときに Yさんがゴネてサービス券を獲得したことがあったのだが、そんな感じの性格がいい、みたいに言ったのが影響したのかもしれない。

ところで、榎本加奈子はオタク好きのキャラである。いまから考えると、このとき私は榎本加奈子を挙げるべきではなかったのだが、なぜか瞬間的に浮かんできたので仕方がない。そんな榎本加奈子が好きと公言するのがケイン・コスギつまりオタクとは正反対のキャラだから笑えてくる。これは予想だが、男が普通に恋愛しようと思ったとき、榎本加奈子のようなトゲのある性格の女性は本当に嫌われていると思う。よほど大人でないと付き合えないだろう。少なくとも恋というのは本当に微妙なバランスで成り立っており、裏でバカにされていやしないかと少しでも思わされるような相手と付き合うのは難しいのではないだろうか。

ちなみに前回でてきた H先輩は榎本加奈子のファンらしい。

▼ヒモ

自称人間翻訳マシーンを名乗る、ある派遣会社から来ていたなんたらさんという人がいたのだが、彼がちょっとした昔話をしたことがあった。昔つきあっていた彼女が、いろんなものをみついでくれた、という話である。とくに要求した覚えがないのに、どんどんくれたらしい。もらうものは、シャツとかの高々数千円くらいのものである。

彼は、人当たりのいい性格をしていたが、外見は悪いと言ってもいいくらいのものであった。そのせいか、彼の話を聞いていた喫煙所のギャラリーはにわかに信じられないと反応した。ところが N まで、自分も似たようなことがあった、と言い出した。N は素朴な顔立ちで、サッカー選手の三浦和義にとてもよく似ていて、話し振りは朴とつである。

なんか不安なんだろうかね、という結論になったような覚えがある。または、私があとで考えた上での結論かもしれない。

▼顔が白い

その自称人間翻訳マシーンの彼が、喫煙所で若干ケバめの女性と話をしていた。そのとなりで私と Yさんとあと誰かが一服しながら何か話をしていた。その二つのグループはまったく別々の話をしていたのだが、突然そのケバめの女性がこちらに向かって「顔かなり白くない?」と Yさんを見て言った。少しして私は「飲んでも白いままだった」と返した。会話はそのあと途切れた。

私はこのときよく状況が飲み込めていなかったのだが、「顔かなり白くない?」は解釈によっては攻撃的な発言になりうるのではないかと思った。私はこういうことにうといのだが、「化粧濃すぎ」あるいはひょっとすると「おまえ整形してんじゃないの」みたいな意味があったのかもしれないし、あるいは単に会話のきっかけをつかむのが下手だっただけかもしれない。ただ、この女性と Yさんを比べると、若干ケバめの化粧ではあるがこの女性の方が外見がいい。

私は、自分にとってどうでもいいことに関して解釈を猶予するほど慎重ではないので、ここで私の結論を披露しよう。この女性は、自分は向かいに座っているしょうもない男としか話していないのに Yさんが何人かの男の輪の中にいることに腹を立てたのではないか。ちなみにこのしょうもない男は英語バリバリで、私たちが必要とする英文の資料をガンガン翻訳してくれる人である。しょうもないと言ったのは単なる誇張である。多分、人数の問題だったのではないかと思う。

この業界の人間は一般に、彼女の周りに来やすい人間と比べて、見知らぬ女性に声を掛ける比率が低いことが災いしたのであろう。

■送別会

私が最初にプロジェクトを抜けることになった。

Yさんからメールが来て、送別会でみんなを飲みに誘ってみれば、との提案だった。その提案どおりに私は、同じチームの二人(Nを含む)に飲みに行かないかと誘ってみたのだが、忙しい、悪い、ということで断ってきた。ところが、その旨を Yさんに報告したところ、今度は Yさんの方から改めてみんなで飲みに行こうメールを流したところ、前述の二人までも行こう行こうということになった。こんなものである。

そのあと珍しく勤務中に、Yさんが私の席の隣に来た。前に一度私は、Yさんの隣の人がちょうど休んでいるときに、だらだらとその席に座って Yさんに話し掛けたり仕事の様子を見ていたことがあった。あとで誰かから、さすがに勤務中だから「あれヤバいんじゃない」と言われたが、特に問題にはならなかった。

送別会は、当初は私も含めてこの四人かと思ったのだが、Yさんのチームの方で二人来てくれたので合計で六人で飲みに行った。この送別会には、とくに書くべきことはない。いや、Yさんが特に脈絡もなく「人間、顔じゃないよね」と言ってきたので、私は酔っていたせいもあって「やっぱ顔だよ」とふざけて言ったのを覚えている。誰からも反応がなかったが、これは多分失言だ。多分、冗談でもこういうことを言う人間と付き合うのは、よほど大人でないと無理だろう。

一つ言い訳をすると、以前みんなで休憩しているときに、Yさんが男の好みを聞かれて「やせてる人がいい」と言った。私はやや太り気味なので、うーんやっぱりそうか、と少し落胆したことを思い出す。いや、これはウソで、相変わらず私はやせることに努力を払おうとは思っていない。

帰り、Yさんは N としきりに話をしていた。全員で地下鉄の駅の階段をやたらゆっくり降りながら話をしていた。次第に私はうっとうしくなって、さっさとサヨナラを言って改札に入った。それからほどなくしてみんなが改札を抜け、みんなといっしょに帰ろうよ、と Yさんが言った。それからは大して会話らしい会話もなく、そのままみんなと別れた。

■推測

私がこのサイトを立ち上げたのはちょうどこの直後、私にとっての異世界との門が閉じて、自分の世界に引き戻されてからのことである。

話にはまだ続きがあるのだが、大体材料が揃ったので、ひとまずまとめることにする。

まず思うのは、どうやら私はこの物語の脇役なのだ。この物語の主人公は Yさんだ。Yさんは多分、6対4 あるいは 7対3 ぐらいで N と私にアプローチを掛けていたと私は思う。N の方に完全に分があることは確かである。というのは、科学的にはっきりしている点として、二人とも九州出身で、とくに Yさんは地元に帰りたがっていて、そんなとき N の口からでる九州弁も何か影響したのだろう。

私がなぜ自分のことを脇役だというのかというと、多分私の代わりに他の誰かがいたとしても、多少異なりはするものの似たような話になるのではないかと思ったからである。

私はあえて、Yさんは N のことが、とか、私のことが、という結論をしない。そのような結論を出すことは非常に簡単である。しかし、そのような結論を出した瞬間に、この物語は単なる中途半端な話になる。小説やドラマのように現実を計ることは出来ない。

これは私の嫉妬かもしれないのだが、Yさんは明らかに、私が見ているところで N と話し込むことが目立った。多分一応この逆のケースもあっただろうと思う。基本的に男も女も、特に女の場合に多いが、自分を手に入りにくいものだと思わせることで自分の価値を上げようとするものである。あるいは、周りが見ているところであえて特定の一人に接近することによって、自分はあなたに好意を持っているということを示したいのかもしれない。

私が知っている数少ない客観的真実は、N は「Y を友達としか思っとらん」と少なくとも私にそう言った。私はそのとき「Yちゃんいいじゃん」とくだけて言ってみた。私は常々、人間はほんとにいいかげんだと思っていたが、このときは明らかに私もいいかげんだった。自分が他人のたいしたことない言葉に時に重大な影響を受けるように、私もいくつかのたいしたことない言葉がいくつか、誰かに影響を与えたかもしれない。

N は確か私の知る限り二回ほど、「好きかどうか分からん」ということを言った。そのうちの一つは Mさんに対してで、もう一つは Mさんか Nさんに対してだった。なぜはっきりしていないのかは後述する。ともかく、彼はとても正直に生きていると私は思った。

■ふたたび

私が仕事を抜けてから確か二週間ぐらいあとのことだろうか、Yさんからメールが来て、いついつからカラオケに行くので来れたら電話してくれ、とあった。もう顔を合わせることはないと思っていた私は、急に懐かしくなり、行くことにした。

ところがメールを見た時間が遅すぎたため、時間が遅れてしまった。待ち合わせ場所に向かうまでに電話を入れてみたが通じない。着いてから間隔をあけて何度も電話し、ようやく通じた。第一声は「来たの?」であった。既に飲み始めているということで、その店に近いところで新たに待ち合わせをした。そのとき分かったのは、Yさんが職場の友達二人とともに飲んでいることだった。

Yさんが職場の友達二人と現れたとき、私は正直言うとガッカリした。男友達だったからである。初対面ということで簡単な自己紹介と、彼らと世間話をしながらカラオケ店に向かった。彼らも人当たりはそこそこ良かったので大体すぐに打ち解けた。

しばらく適当に歌っていたが、Yさんが突然、どうしたのなんかいつもと違うね、みたいに私に言ってきた。私は別に取りたてて沈んでいたわけではないのだが、初対面の男二人と仲良くしようとすることに気を取られて、むしろ Yさんのことがどうでもよくなっていた。

カラオケを切り上げて歩き出してから少しして、男のうちの一人が、用があるから帰る、ということで抜けた。私は彼を見送ったあと、じゃあ私も、と帰ろうとした。Yさんが、おなかすかない?と食事に行こうとしたが、私はもういいやと言った。仕方ないということで、残った男が車で来ているのでどこか都合のいい駅に送ってもらおうよ、という話になり、車のとめてあるところまでテクテク歩きつづけた。

私はやはり脇役なのだなと思った。駅まで送ってもらってあっさり別れたあと、大体一ヶ月間、私は Yさんのことを一日に一回はほぼ確実に思い出した。それから誘いはなかった。

それからしばらくして、私は別のシナリオの可能性について考えるようになった。このときの男の一人が先に帰ったのは、ひょっとすると、もう一人の男も段階を追って帰るつもりだったのかな、という筋書きである。いまではこれは多分私の妄想なのだと思えるが、しばらくこれが私の中でもっともらしいものとして存在しつづけた。

私はたびたび、私は Yさんのことが好きだったのかどうかについて考えた。当時頻繁に思い出したのでやはり好きだったのではないかと思う反面、付き合いたいとは全く思わなかった。ただ、時々会ってどこかに遊びに行ければ一番いいと思った。少なくとも Yさんに対しての私の感情は、私がこれまでに好きだと思った人に対して抱いたどんな感情とも、かなり距離の離れたものだった。薄情なもので、私は正直、付き合うならもっと魅力的な人がいいと思っていた。

■みたび再会

そうして半年を過ぎた頃にはすっかり忘れていた。が、偶然とは恐ろしいもので、私がまた同じ会社の別のプロジェクトに参加することになって来てみると、そこにはまだ同じプロジェクトで働く Yさんがいた。プロジェクトの人数は大幅に減っていたが、他に見知った人も何人かまだいた。

半年も前のことはもう昔である。私は何度か、あたりさわりのない話をした。そういえば半年前、私の買ったウォーターベッドの話がウケていて、その話も出てきたので Yさんに私のウォーターベッドの写真を送った。女性にベッドの写真をメールで送りつける私は冷静に考えればかなりバカかもしれないが、Yさんは「水が見えないのでもっと分かりやすいの見たかった」と言った。さすがに送りなおす気は起きなかった。そういえば、ウォーターベッドは Yさんよりもう一人の女性にヒットしたのだった。私が職場を離れてから一度だけこちらから Yさんにメールを送ったのだが、もう一人の女性にはいっしょに遊びに行かなかったこともあって送らなかったので、Yさんは「○○さん、なんで自分にメールよこさないの、って怒ってたよ」と教えてくれた。多分、女性の方が筆まめなので、手紙やメールを気軽に出すし、受け取るのもある種当然と思うのだろう。このあたりはぜひ参考にしていただきたい。

そして Yさんは知らない間にいなくなっていた。ある日私が出社したら、Yさんとその先輩の席がきれいに片づけられていた。聞いてみたら、別の仕事に行ったという。私には一言もなかった。

それから少しして、今度は N が現れた。N は、この会社の違うプロジェクトで働いているらしい。N の口から私は何かを聞いた。私が抜けてからしばらくして、N は誰かから好きだと言われたらしい。なぜこのような遠回しの表現になるのかというと、私の耳には N の口から誰の名が出たのか、よく聞き取れなかったのである。すぐに聞き返しても良かったが、そうする気は起きなかった。よく聞き取れなかったのは、あるいは私の意思の問題かもしれない。いまの私の考えでは、彼は多分 Yさんの名を口にしたのだと思う。そして彼は、自分はその人が好きなのかどうか分からない、と言った。それから N はその女性と寝たらしい。

そして彼もまた、私の前から姿を消した。

■まとめ

以上で話は終わりである。以降私は、N とも Yさんとも会っていない。

なんとも中途半端な話であるが、非常に現実的な話だと思う。私は基本的に作り話を愛するが、このような現実の不可思議なところにはいつも吸い込まれる。

昔は、自分のことしか見えていなかったが、いまは相手のことが見えた気になっている。昔ならば、自分が行動を起こさなかったから何も起きなかったのだ、と思うことが多かったが、いまはむしろ相手がためらったから何も起きなかったのではないかと考えることも多くなった。相変わらず私は、気がつくと状況が理解できていなかったことが多いのだが、それでも相手が何か悩んだりためらったりしているなと察することが多くなった。

このようなことを言ってもいいのかどうか分からないが、自分がくだらない人間だから豊かな人生が送れないのだ、と思う必要はない。幸せな人生は、怠惰な人間にも与えられうる。また、かなり努力している人間にも与えられないこともある。私はべつに、人生は不条理だ、ということを言いたいのではない。豊かな人生を送るために努力をする、という姿勢がアホらしく思えてならない。

私は、合コンをセッティングするために努力したら楽しい人生がやってくるかもしれない、みたいなことを思うことがある。自分の人生なのだからやりたいことをやらなければ損だ、という声に引き寄せられて、ときどき私は悩むことがある。一般に、一歩踏み出さないのは勇気がないからだ、とされる。本当にそうだろうか。豊かな人生よりも大切なものがあるのだろうか。それを手に入れられるのだとすれば誰だって一歩踏み出すはずである。結局、一歩踏み出さないのは、不可能だからか、抑圧を感じるからか、打算でしないだけか、そのいずれかなのである。勇気がないから、というふざけた理由ではない。

自分の意志で世界が変えられる、と思えるのであれば能天気なものである。

私は主人公をやめつつある。いまの私は、他人というものをごく冷静に見ている。そして、その他人にとって私がどのような脇役なのか、あるいは助演俳優なのか、ということを考えるようになった。ごくたまに、私を主役にしてこようとする人に会うことはある。その気になったときは主人公になることもある。いや、自分でも気がつかないうちに主人公になっていることがある。そんなときの私は、たいていの場合、人のことを考えないで自分のペースで振舞う。そしてその時間が過ぎ去ったあと、ふと我に返り、恥ずかしい時間を過ごしたなと反省する。しかし、その楽しかった時間を、なぜ反省する必要があるのだろうか。どんな理由で反省するのかというと、相手のことをあまり考えていなかったから、というわけのわからない理由なのだ。

N や Yさんらと過ごした二ヶ月は、私にとっては楽しい二ヶ月だった。学生時代にもこのような楽しい時間がたくさんあった。しかし私の自我は、ときどき思い出したように、そのころの自分のミスとか恥ずかしい行動をとがめ、次からはうまくやれ、と攻めたてる。一体なにがしたいのだろうか。

*

そうそう、忘れそうになっていたが、後述すると言っておいてまだ書いていないことがあった。いまの世の中を見渡すと、自分に自信を持っている人が本当に少ないことが分かる。よく「異性に自分の優れたところをアピールする」というのが効果的だとされるが、これは二つの意味でウソである。一つは、優れたところがあってもそれは好きとかそうでないとかにはほとんど関係がないということで、もう一つは自分の優れたところをアピールするという時点で自分しか見えていないのだということである。もちろん例外はある。高収入なのはアピールすると効果的だろう。料理が上手なのも多分効果的だろう。ただしそれらは、相手の得になるからである。ただ単に自分の優れている点をアピールするのは、逆に相手をしらけさせるかためらわせるかのどちらかになってしまう。自分の価値を高めるためにさまざまな策を弄するのは男も女も同じなのだが、度が過ぎるとしらけるし、うまくいっても相手が手を出すのをためらわせてしまう。自分の価値を高めると相手が寄ってくると思うのは非常に単純な考え方であって、むしろ自分の価値を高めてしまったあとは自分から相手にアプローチしなければならないことが多い。たとえば、金持ちや美人のまわりには人が群がるが、あさましいだとか自分には釣り合わないとか思い込む控えめな人が手を引き、とにかく手に入れようと思う欲望丸出しの人が一番強烈なアプローチを掛けてくる。

テレビの影響で、自分に関心を持ってもらいたがる人が多い。一方で彼らは、テレビの中に出てくるかわいいまたはかっこいい人間に主な関心が向くことから、そこらへんを歩いている人になかなか関心を持ちにくくなる。だから、説明を簡単にするために、あなたが男で、一人の女性に接近したいとした場合についてだけ言及することにしよう。とにかく一人の聴衆となることを心がけるべきである。彼女と同じステージに立とうと思わない方がいい。一歩前に出ようとか、目立つ存在になろうとか、そういうのは接近を目的とした場合はウザいだけである。

*

100回目にして未だまとまりの悪さがどうにもなっていないのはなんともしがたい。まあこれも、現実というものを相手にしているので仕方がないところである。私は、すべての現実を捨てて空想の世界へ旅立ちたいと思うこともあるのだが、それはまた別の回で書くことにする。


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