ジャイアント馬場さんが、1999年1月31日午後4時4分、肝不全で亡くなりました。61歳でした。


私はプロレスファンです。
そして同時に、私はジャイアント馬場さんのファンでした。
ファン以上の存在でした。尊敬する人物を問われれば、即座に馬場さんの名前を挙げていました。


プロレスに興味のない人にとって、馬場さんは滑稽な存在だったに違いありません。

どうしてあの歳でもプロレスをしているんだ。
どうして16文キックで相手が倒れるんだ。
相手に手加減してもらってるんだろ?
社長命令で相手は負けなければいけないんだろ?

馬場さんを、プロレスを色眼鏡を通して見ている人には、そういう疑問があって当然かも知れません。
私自身も、何度こんなことを聞かれたか分かりません。
でも、馬場さんの素晴らしさは言葉じゃ伝わらないんです。


馬場さんは嘘をつきません。
馬場さんは人を裏切りません。
馬場さんは人から受けた恩を忘れません。


逸見さんというアナウンサーがいらっしゃいました。
自らガンであることを公表し、戦うことをテレビで打ち明けた方です。
馬場さんは逸見さんとテレビのクイズ番組で知り合いました。
馬場さんは逸見さんの快気を願い、長年続けていた葉巻を止めました。
残念ながら逸見さんは帰らぬ人となりました。
馬場さんは今も、葉巻を吸っていません。

数年前、阪神地方で大地震が起きました。
多くの人が亡くなり、多くの家屋が潰れました。
当然、多くの全日本プロレスファンも被災しました。
そんな全日本プロレスファンの元に、突然、馬場さんが訪れました。
関係者、レスラーを伴って被災者の元を訪れ、瓦礫の撤去作業や被災地復旧を手伝われました。
このことは当時、どこのテレビ・雑誌などに報道されませんでした。
馬場さんはただ、被災された方のことだけを思い、現地に飛んだのです。
多くの報道陣を引き連れた国家役員とは違うんです。
馬場さんの突然の訪問に、感動のため涙するファンも多かったと聞きます。
そして数年経った今でも、全日本プロレスの会場には、義援金の箱が置いてあります。

ある雑誌のインタビューで、好きな食べ物を「メロン」と答えた馬場さん。
その年の誕生日、ファンからたくさんのメロンが届きました。
馬場さんは「しまった」と思われたそうです。
何故なら、自分がメロンが好きだと言ってしまったため、ファンにこんな高い物を贈らせてしまったからです。
次の年から、馬場さんの好物は「大福・果物」になりました。


1998年1月23日。
還暦記念特別試合での馬場さんは、とてもお元気でした。
あと10年20年、現役を貫くと思いました。

1998年12月5日。
日本武道館での、いつもの明るく楽しいプロレス。
数日前に風邪で欠場したものの「休むと引退だと騒がれる」と言い出場された馬場さん。
最後の試合をこの目で見ることができたのは、喜ぶべきことなのでしょうか。


ジャイアント馬場。享年61歳。
生涯現役を貫き、逝く。
その最期の表情は、笑顔だったという。

合掌。


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