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映画ひとりごと

映画好きの知り合いに誘われてエミリオ・エステベス主演のB級アクション・サスペンスものを見に言った時の話。B級すぎてタイトルすら忘れてますが^^;

映画はE.エステベスが友達とフットボールか何かの試合を見に行く途中で道に迷ってしまい、なぜか暴漢たちに襲われて逃げ惑う…という筋だった。もうただひたすら理由もなく暴漢につきまとわれるという徹底したB級ぶりだった。で、映画を見た後、「訳がわからなかった。ストーリーに必然性が無い」と素直な感想を友達に言ったところ、彼は突然気色ばんで「映画なんて所詮作り話なんだから、必然性とか求める方がおかしい。お前は映画の見方を知らない!」と言われてしまった。

僕としては、あまりにお粗末なストーリーだったので、ちゃちゃを入れずにはいられなかったのだが、友達はせっかく誘った映画をけなされて気分が悪かったのかもしれない。

逆のケースもある。僕が別の友達を「陽の当たる教室」に誘った時の事。僕は映画の途中3度も泣けたので充分満足して映画館を出たのだが、一緒に行った友達が、「教え子が州知事になったのなら、音楽の授業を続けさせる権限くらいあっただろう」などなど、やたら映画の矛盾点を指摘し始めたのでせっかくの満足感が台無しになってしまった。

同じ映画を見ても感じるところは人それぞれなのは当たり前なのだけれど、自分が気に入った映画をけなされるとまるで自分自身の感受性を否定されたような変な気分になってしまう。まだまだ人間が出来ていないのかも知れない。

映画の感想を寄せるサイトとかを見ていると、面白くない映画を見た後、もうクソミソに罵詈雑言で作品をけなす人って結構多いような気がするが、これって映画特有ではないだろうか。

買ったCDがあまり好きになれなかったり、美術館の絵画にピンと来なかったり、コンサートが期待外れだったりした時に、みんなこんなに元気よく悪口を言うのだろうか。お金を払っているといってもCDやコンサートよりはずっと安いはずなのに…

暗い会場、狭い椅子、咳をするのも遠慮しないといけないような窮屈な空間に2時間も閉じ込められた(←自ら望んでそうしたのにもかかわらず)恨みつらみが一気に爆発するのか?

といっても、悪口言う人って「ここがだめ、あそこがいけない」と結構細かく覚えていたりするもの。悪口を言うのも映画の楽しみなのかもしれない。

「面白かったけど、この映画は何が言いたいんでしょうね?」会社の後輩が聞いてきた。「フォレスト・ガンプ」のことである。アカデミー賞も獲ったし、特撮だけのコメディーではないはずだ、ということらしい。ん?そんなこと考えたことなかったなと思いつつ、こんな風に答えてみた。

ベトナム戦争を経てアメリカ人の価値観・自尊心・希望などがどんどん崩壊していく中で、ガンプだけが自分を見失わず、あるがまま自然に風のように走り抜けて行った。皆が時代に踊らされて、自分の居場所を探して苦しみ、傷つき、疲れているのと対照的に、一見ただ流されているだけのようなガンプの方が、実は強い生き方なんだと言いたいのでは?映画冒頭とラストシーンの風に漂う一枚の羽はガンプの生き方そのものであり、映画のテーマなんではないか? 自信喪失しているアメリカ人に「無理をしないで自分らしく生きていれば元気が出てくるよ」というメッセージを送りたいのでは? 云々…

後輩は納得していないようだった。でも「何かいいたのか」なんてそもそも知る必要があるのだろうか。なんだか国語の入試問題みたいでやだな。「作者の言いたいことはなにか、200文字以内で答えよ」みたいな。確かに訳わかんない映画を見たあとはそう思うこともあるけど、面白いと感じたなら無理してそれ以上深く考えなくてもいいと思うが。大事なのは自分が楽しめたかどうかであって、必ずしも製作者の意図を理解する必要はないような気がする。

文章がうまい人は「見たことも無い美しいもの」を描写しなくてはいけない時、読み手の想像力を膨らませることで表現することが可能だ。読み手はその人なりの美しさを想像するわけである。

しかし映像だとそこがきつい。美の基準は人それぞれだし、映像で見せられた時点で想像力を働かせられなくなってしまうから。

「蜘蛛女のキス」で主役のW.ハートが想い出話を語る場面で、「こんな美しい男の人は見たことがなかった」というくだりがある。それから画面はその「究極の美男子」を映し出すのだが…「???」。 なぜか劇場のあちこちからは押し殺した笑いが。 あーん、ここは笑うところではないはず。笑う方が悪いのだろうが、でもあまりにも想像と違って戸惑う僕。 おかげで集中できなくなってしまった。

J.フォスターの「コンタクト」でも「見たことの無い美しさ」が出てくる。しかも地球外の。映像に出来る訳がないって感じ。

というわけで開き直ったのか「主人公にとっての美しさ」を映像化することで表現していた。小さい頃の思い出とか、亡くしたお父さんのこととか、主人公の記憶にある「美」をあくまで主観的に。

つまり見ている方は、自分にとっての「美」を映像を見ながら想像できるというわけだ。うまい。にくいね。座布団一枚あげましょう。

好きな映画だと何度も繰り返して見ることも多いです。もちろんビデオでですけど。(劇場で2回見たのはバクダッド・カフェだけかな。)冒頭部分のシーンとか、何気ない台詞とかに意外な意味があったりとか、最初に見た時には分からなかった発見があるから結末が分かっていても面白いもんです。

でもやっぱり始めて見る人だけの楽しみってのもあるわけで。「クライング・ゲーム」を見に行った時、一緒に行った友達がパンフを眺めて一言、「あ、こいつって本当は○○なんじゃないの? 絶対そうだよ。」と親切にもこの映画の「秘密」を言い当ててくれました。あーん。これさえ聞かなかったら素直にびっくりできたのに(涙)。 なんだか損した気分でした。

高校時代それほど映画に興味がなかったひるひる少年が大学1年の夏、初めて自ら映画館に足を運んだのは「フラッシュダンス」でした(笑)。 当時の人気番組「ベストヒットUSA」で見た主題歌のミュージックビデオに衝撃を受け、「これは見なくてわっ!」と勇んで梅田の街に出かけたのである。 ダイジェストであれだけすごいダンスシーンがあるのだから、映画を見てしまった日には腰が立たなくなるほど興奮するのでわ?と結構期待していたのだが、見終わっての感想は…「なんやこれ。同じやんけ。」

ビデオがあまりにもいいとこどりだったので、映画にはそれ以上のものが無かったのです(涙)。 それにしても3分のビデオと1時間半の映画が大差無いとはどういうこと??

でもひとつ印象的なシーンがありました。 主役のJ.ビールスが職場の上司?とレストランでデートしている時、上目遣いでねちっこく誘いつつ、テープルの下から足を伸ばして相手の股間をうにょうにょうにょと…10代のひるひるには刺激が強すぎました。 いつか、デートをするようなことがあったら、絶対同じ事をやってやるぞ、と意気込んでいたのですが、その夢はいまだ実現することなく気がつくと何時の間にか15年の月日が経ってしまっていたのだった。

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