日記 (2001.11)

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2001.11.29

現状から予測した未来を不安視して相手に「〜しないで。」ってすがりつく。
そうしてきた。
でもそんなことしたところで本当に未来を縛れてやしないだろう。
そういう行為がかえって "今" を縛ってるかもしれない。
だからこうした方がいいんだろう。
今を精一杯そいつと共にする。
それがもしかしたら予測した未来を変えていることだってあるかもしれない。
おびえて自らの未来を閉じまくるな。
落とし穴がこの道の先に見えていたってブレーキかけてそこでまごついていなくても加速つけて飛び越せることだってあるかもしれない。
とくに今を信じきれるなら不安の蛇にそそのかされる筋合いなんてない。

2001.11.29

CD(キャッシュディスペンサー)機一つしか置いてないと待たされてめんどいです。
なかなか進まないといらいらします。昨日もそうでした。
でも僕の直前に使ってたおじいさん、出てくるとき「どうもお待たせしました。」って。
そういう一言で和らいじゃうね。いえいえ、なんて思ったりして。
そんなちょっとの心遣いの一言言えるようになりたいとそのとき思いました。

2001.11.26

数寄屋好きなんです(ご時世は関係なく)。
今日もキムチ牛飯&豚汁なんて食ってると店の有線からなつかしの曲が。
「僕がどんなに君を好きか君は知らない」
あああ。
ぴったりだよ。
でもこの曲に浸るにしてはもうその段階過ぎちゃってるけどね。
だから微妙に違う。あそこまで青く女々しさの骨頂じゃない。大枠は似てるんだけど。
最後まで歌詞を聴いてみたけど、その状況から抜け出すところまでは歌ってないんだね。
ただ今の苦しさせつなさを歌ってるだけ。
それはそれでぐっとくるけど。
うーん、メロディと言葉に酔っていたけどあらためて歌詞を知ると先のみえない歌だなあ。
やっぱり僕は、深く深く沈み込んだすえ最後には浮上への光を見つけるような歌がいい。たとえばミスチルのような。
この歌の気持ちはわかる。わかるけど僕は、最後には希望を歌いたい。

2001.11.25

慎重なようです。
ふつうに仲良くなって一緒にいるようになった人に、ふと「このままずっといれたらいい」と願ってしまった。
終わらないことを願ってしまったせいで、いずれ生活の場所が変わってしまうのがみえていた相手にその先も続くことを望んでしまった。
そこから僕のジレンマははじまった。
だけどふつうにつづいてる友達・・・学生時代の友達だって、卒業それっきりになってもおかしくないのに続いてるよな。「続けよう」なんて積極的に思ったこと無いよな。どれだってそんなもんだったよな。
だから互いの暮らしが別々になってしまった相手だからってあせることは無かったはず。「たまたま」相性良くそのまま続けばよし。続かなければ自然に・・。そんなもんだ。
すべては僕が勝手に将来の終わりの訪れを意識しそれに対して大きな恐れを抱いたこと。
そのために「今」を破壊し続けた。まだやってきてもいない終わりの前に相手を責めた。不安にふくらんだ心で不信感をぶつけた。
終わりたくないための気持ちが、なぜか終わらせなければ辛くなるようなところまで行ってしまった。
未来の不幸の影に怯えて現在の幸福をぶち壊す。
愚かだね。自分が一番損する。
勇気と自立心を!
あれからちょうど一年たった。

2001.11.21

人嫌いなようです。
なおすべき?
っていうか「なおす」って言わなきゃいけないようなことか。
変えるべき?
まあ生きにくいだろなあ。
いい年のみなさん、どうやって出会ってるんでしょうねえ。
もう結婚しないような気も子供ももたないような気もしてる。
だけど一緒に生きる人は欲しい。
拗ねて閉じこもってもやっぱりそう思うから逃げたってだめだろう。
うるおいのある生活かあ。
したいけどね。
はりあいのある生活っすか。
とりあえず人々の中に入ってかないと出会いはないんだろうな。
がっついてもしゃあないのはもう知ってるけど人と触れることの刺激と新鮮さ思い出してもいいころかな。
最近安定した生活でぬくぬくしててぼけてるらしい。
今の生き方ゆさぶるくらいの世界をみつけに世の中ってのにとびこむか。

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