日記 (2000.5)

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2000.5.18

制服着て歩きたばこしてる高校生を見ると矛盾を感じる。

2000.5.16

僕もこどもみたいなもんなんで今のこどもがなにを求めてなぜ暴走するのかわかる気がするんだけど、たぶんほめられたいんです。認めてもらいたいというか。ちょっといい面を大人がこどもに見いだすとやっぱ期待かけますよね。まじめなこどもはそれに応えようとしてがんばるんですよ。でも思った通りの出来が出せなかったり出来がよくてもぎりぎりのバランスでそれを保ってたり。そうして自信をなくしたり不安になったりしてしまうんです。まだ力がないということを自覚する壁にあたるんですね。そういうところに他者がさらなる期待をかけたり逆に大したことしてない的なこと言うと張りつめていたものが爆発するんですね。こどもは生きてきてるうえで蓄積してきたものもまだ少ないので、爆発を我慢してまで守りたいものも少ないです。さらに人や興味などに乏しい状況下の子は孤独ゆえに全てをなげうってでも爆発衝動を満たしたくなるでしょう。だから、こどもがぎりぎりの状態にあるときはそれをちゃんと見つけてあげて「がんばってるね」とか「でもそんなにがんばらなくてもいいよ」とかその状態を脱させる言葉をかけてあげればいいんです。でも大人はこどもに比べて蓄積したものや経験したものがすでに多いので子供時代の心理を忘れてるでしょうね。とくに日々の生活に追われて余裕がなければ。まあある意味大人もぎりぎりだからこどもも見つめることができないのかもしれません。日本中がぎりぎりなので一番噴き出しやすい年代にあらわれてるのでしょう。強い者(大人)の観点で弱い者(こども)の出来不出来を見ずに、その子のその時点までの成果を認めつつ無理のない次への期待で導いてあげることがこどもの成長に必要なのではないでしょうか。

2000.5.13

いきづまりを感じた方が自分の形がわかる。

2000.5.3

未成年者の事件が続発している近年ですが。

「してはいけないこと」って知識では覚えるんですよ。
人を傷つけてはいけないとか。
でも「なぜ」なのかはわかんないんですよね。
そういうのって人と関わっていく中で経験上覚えていくことだったりしてあえて教えることってないと思うんですよ。それに教えるというよりは本人が感じないと本当には理解できないし。

だからちょっと理屈が働いたり行動を起こせたりする子供なら、事を試みてみたくなるのはある意味当然でしょう。
自分の中に芽生えた欲求を満たしたくなる。そこには他者はないのでしょう。

形ではなくて精神的な意味で孤独になりやすい今の世界では「存在を実感できない」感覚が横行してるでしょうね。特に経験が浅い年代やそのまま成長した大人でも。

さびしい世の中です。
リアルさが欠如するのは他者との関わりが希薄なとき。
近代になってプライバシーを獲得した人類ですが、人間社会が一人で生きていくことを前提としていない以上、「そこで生きる」ためには他者と関わる力は(どんなに辛くても)獲得していかなければならないものですね。

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