0歳 |
父が「男じゃなかったら、ロッカーに入れてやる」と母を脅したため、
(このころ、赤ちゃんをコインロッカーに入れて置き去りするという事件が、
流行っていたらしい)あわててチ○コを付けて、男として
1975年3月16日に誕生!
退院日は大雪に見舞われ、何キロもの道のりを、父がおぶって帰ったという。
生まれつき、不運な男。 |
1歳 |
西に向かって手を合わせ「南無仏」と唱える。 |
2歳 |
8人の話を一度に聞いて、理解不能。 |
3歳 |
・お金の意味が理解できず、万引きをする。
・生まれたばかりの妹の皮をむいていた。あっ、変なところじゃないよ。 |
4歳 |
幼稚園に入園。アレルギー性じんましんにかかり、食べていいお菓子が、
金平糖のみという食事制限の日々。
治療のためぶっとい注射を打たれ続ける。当然の結果、注射恐怖症に。 |
5歳 |
幼稚園の授業参観の日「山吹色は何の色?」との質問に
「漬け物の色」と答え、 お母さんたちを爆笑の渦に巻き込む。
また、お遊戯会では「狼と7匹の小ヤギ」で、狼を熱演。称賛を浴びる。
エンターティナーとしての才能が花開いた年であった |
6歳 |
小学校入学
一学期「草花や動物の観察ができる」という項目だけ、Bだった。理由は不明。 |
7歳 |
「0」の概念がわからず、2−0=0と答え、クラスの笑い者になる。
杉山先生の指導を受け小2にして猛勉強を開始。先生、ご恩は一生忘れません。 |
8歳 |
持ち前のルックスを利用して学級委員に当選。だが、当選翌日、校則を破って
川に入って遊んでいたのをチクられ、朝の会で糾弾される。 |
9歳 |
放送委員でアナウンサーをしていたが、変声期前の美声が注目を浴び「夕鶴」
の「よひょう」役に大抜擢。
つう役の子がちょっとぽっちゃりしていて、通し練習の時に
「私こんなに痩せてしまったわ」というセリフに笑ってしまったことや、
その後の女運が悪い、といったことは全て噂である。 |
10歳 |
突然、所属していた野球部の監督に父が就任。容赦なく殴られ、いじめられる。
野球が下手なので父の期待に応えられない自分を憐憫する日々でした。
だいぶたって父曰く「おまえのためを思ってやった」だって。
まあ、あの時のしごきがなかったら、今の私はいないでしょうね。 |
11歳 |
ビックリマンシールが流行っていたころ、「オツベルと象」を朗読させられたKくんは、
「さようなら、サンタマリア」というセリフを
「さようなら、サタンマリア」と言って教室の男子を爆笑させた。なぜ爆笑しているか
解らないM先生が一人、怒っていた。 |
12歳 |
中学校入学
懲りずに野球部に入部。上下関係の厳しさを実感する。いやいや坊主頭に。 |