◎クジラは9時に家を出た
   ガツンと言っちゃうよ編


くじら【鯨】:海中に住むほ乳類で、現存動物中最大のもの。寒い地方の海に多い。鯨油をとり、肉は食用。
       ひげ・骨・皮なども有用。(小学館 新選国語辞典 第六版より抜粋) 

 彼が小学四年生ぐらいまでは、鯨の肉というのは気軽に食卓に上る食材だった。といっても、彼の父は
(※1)地方公務員の消防士だったので、一日おきに訪れる家族全員での夕食の(※2)肉のローテーション
でしか食べられなかったが、彼にとって鯨肉は、勝ちを約束してくれる巨人の斉藤のような存在であった。

 彼の鯨肉好きのエピソードはいくつかあるが、母から夕食が鯨だと知らされると、喜びを身体で表現しようと
(※3)クジラダンスなるものを踊っていた、というのは、関係者の間では有名な話だ。

そんな、今思うとむなしい、口福も長くは続かなかった。御存知の通り、(※4)あの国を中心とする国々によって
日本の捕鯨は禁止されてしまった。調査捕鯨によってわずかながらに入ってくる肉も、ローテーションに復帰でき
るほどの価格ではなく、ひいきのスーパー「Aコープ」から その姿を消した。

「お母さん、鯨の肉ないの?」 
「ないんだわ。あっても値段が高いから、うちでは買えないわ。」 
「どうして高くなったの?」 
「鯨を捕ることを禁止したんだよ」 
「だれがそんなこと決めたのさ?」 
「アメリカ」 

 短く言い放った母の言葉に、彼は愕然とした。そして怒りを覚えずに入られなかった。その後彼が
(※5)大東亜戦争に興味を持ち、異常なまでもの執着心を見せるのは、このことが原因かもしれない。 

 彼のような悲劇を味わったのは、日本人ならば彼だけではないだろう。国語辞典にもあるように、鯨というのは、
(※6)ホントに捨てるところがなく、おいしいのに「あの国」の人にはそれがどうもご理解いただけないらしい。 

 クジラが乱獲、とりわけ日本やノルウェーなどを中心とした捕鯨国によって減少したのば事実だが、かつて
「あの国」がそれに次ぐ捕鯨国であった、という事実を忘れてはならない。
 
 元々幕末に「あの国」が日本に開国を要求したのは、アジアへの足がかりを作るなどの理由があるが、あまり知ら
れていない大きな理由の1つとして、「あの国」の捕鯨船が日本近海まできていたためであり、日米修好通商条約にも、 
(捕鯨船に対する)「薪や石炭などの燃料補給」の項目がちゃんと記述されていた。 

「あの国」がなぜそんなにまでして捕鯨をしていたかというと、先に述べたように鯨からとれる油や脂肪から、ランタン用
のオイルやろうそくを作るためであった。あの時代は、工業的にオイルやろうそくを作るよりも、クジラは体が大きいから
一度にたくさんとれるため安上がりだったのだ。

もちろん「あの国」の人たちは肉なんて食べないから、油をとった後のクジラは海に捨てていく。
そんなことをしておいて、今更クジラを保護するって言っても納得いかんぞ! 

そうは思いませんか?小渕さん。とにかく日本は、 (※7)「クジラは頭がいいんだ!」 といって捕鯨に反対する
「あの国」に媚びることなく、堂々と捕鯨を続ければいいのだ。もちろん、科学的な調査と捕鯨の頭数制限を つけたうえでだが。 
 
 かといって、今の日本では「あの国」の取り決めを無視して捕鯨をする勇気はないだろう。
そこで私は「あばれはっ
ちゃく」のように逆立ちして考えた。そして閃いた! 

          クジラの養殖だ!


 場所は、(※8)紋別沖のオホーツク海を使用。養殖するクジラにはセンサーを埋め込み、沖のブイから出す電波で、
クジラを養殖場から出さないようにする。

さらに、鯨には巨大なグラストロン(映像が映し出されるめがね)を装着させ、
最新のバーチャルリアリティーと洗脳技術で「回遊した」気にさせる。

加えて (※9)ガリンコ号を沖に出し、ホエールウォッチングでツアーをくめば、流氷しか観光資源のない紋別市は
一躍日の目を見ることになり、冬しか活躍の場がなかったガリンコ号も活用できる。

まさに完璧な計画。まさに一石二鯨!「あの国」からも文句は言わせない!

えっ!?よけい鯨がかわいそうだって?だったら・・・

プリーズ、ギブミー「クジラ」!!プレジデント 栗ン豚


まじめなまとめ

 ようするに「価値観」の違いなのだろう。鎖国していた当時、西洋人が牛や豚を食べるのを知って、
日本人は西洋人を野蛮人扱いしてきた。

韓国や中国では犬を食べる。オーストラリアでは、ウッディクラブと呼ばれる蛾の幼虫を食べる。
生魚を食べるのは日本とギリシアの一部くらいだ。

それぞれに固有の価値観という物があり、それがベースになって「文化」という物を生み出している。
大切なのはその価値観を否定することではなく、容認することだ。

まあ、こんな事を実行できていたら、くだらん戦争なんてなくなるんだろうけど・・・。
それが今の人類に与えられた課題なんだろうな

注)言っておくが彼も私も反反捕鯨派のプロパガンダ要員でもないし、右翼でも左翼でもない。
  強いて言うなら「ワシ派」だ。(小林よしのり(c))

  ただ、鯨肉が食べたいなーって思っている一般庶民です。もしかして、事実誤認しているところも
  あるかもしれない。考え方が間違っているという人がいるかもしれない。何が事実で何が正しいかは
  みなさんで判断していただきたい。

  「よく言ってくれた!おごってやるからうちの店に来い!」と言って下さる鯨料理店さんからの
  メール、お待ちしています。(笑) 


(※1)消防士というのは24時間体制なので、朝9時から次の日の朝9時までが勤務時間である。ゆえに、次の日は非番になる。
    したがって父と夕食をともにするのはたいてい一日おきである。父が非番の時は夕食が豪華であるから、
    肉のローテーションは90%の確率で父がいるときであったという。

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(※2)羊・豚・鳥・牛、そして鯨を指す。牛はスキ焼きぐらいしかローテーションが回ってこなかった。
    羊は、もちろんジンギスカンである。父のいる日が魚のローテーション(カレイの煮付けなど)の時は、憂鬱だった。

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(※3)詳細は不明。彼に定かではない記憶の糸をたどってもらったところ、潮吹きするポーズが頭に浮かんできたという。
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(※4)昔、福岡県の宇佐市にあるメーカーの工場が建てられた。その工場の壁には看板として「○○工場 USA」と書いてあった。
    それを見た「あの国」の政府が宇佐市に抗議。「自国の名前を工場の名前として勝手に使うな!」と、言ってきた。

    「言いがかりもいいところだ!」と怒った当時の市長さんは、「宇佐という地名は、邪馬台国の時代に云々・・・。
     建国200年にも満たない(当時)貴国に言われる筋合いはない!」と、いうような内容の抗議文を逆に送りつけた。

    抗議文を読んだ「あの国」の政府があわてて謝罪するという事件があった。「あの国」とはこういう国である。

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(※5)初稿では、「太平洋戦争」となっていたのだが、彼からの申し入れにより、変更した。


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(※6)肉はもちろんだが、臓物も捨てるところがなく、腸などはゆでてから蒸したものを食べていたし、「百ひろ」と 
    いう珍味に加工されたりもした。油は行燈に使ったし、脂肪はろうそくにした。皮はなめし、骨は造形や婦人用の
    コルセット(昔)になどに用いられた。
    
    ひげは、鯨尺という言葉が残っているように、昔の定規は鯨のひげ製。文楽に使われる人形の関節部分や
    ゼンマイも鯨のひげを使っていた。

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(※7)もし頭がいいから取ってはいけないという理屈が通用するなら、頭の悪い生き物は食べていいということになる。
    もちろんそんな理屈が通用するわけがなく、食物連鎖の頂点に人間が立つ以上、避けれらない運命なのである。
    
    仏教ではこのことを「業(ごう)」という。もし、鯨を食べることが野蛮というなら、牛や豚を食べることは野蛮ではないのか。
    「あの国」の人々よ。よく考えなさい。(まあ、クジラを隠れ蓑にして、日本をいじめたいだけなんだろうけど。)


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(※8)


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(※9)紋別がほこる観光砕氷船。現在「ガリンコ号U」が就航している。

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