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環境保護に関してはしばしば全く勘違いしているものや、方向を誤っているとしか思えないものを見かける。米のとぎ汁やミソ汁の残りを流すなというのもそのようなものではなかろうか?何にしたって流さない方がそれは良かろが、ではといって水洗便所を流すなという意見は聞かない。「米のとぎ汁を全部まくには庭が狭くて」と悩む人はいても「うちのベランダに撒くには糞尿が多すぎて」と悩む人はおるまい。

確かに人体によっていくらか分解もしているかも知れないが、生分解性のない化学物質ではないのだから糞尿もミソも大した変わりがあるとは思えない。風呂おけ3杯の水で薄めたって糞尿水が浄化されて飲めるとも思えない。

そもそも水質汚染が問題になったのはこうした生活排水をそのまま垂れ流したからであって、下水処理の伴う水洗便所の普及によって河川がきれいになってきている所があるのも事実である。また、生分解性のない化学物質等が下水処理の負担になるということは考えられても、とぎ汁や食物カス等が糞尿に比べて多すぎて負担になるというのは想像できない。そんなことが実際にあるのか下水処理関係者のご意見を伺いたい。無論わざわざ増やせとは誰も言わないだろうが、だったらまず「なるべく糞尿を減らして下さい」とお願いしてもよさそうなものだ。

さて、本当に環境保護、ここでは水質保全を目指すなら尤も注目するべきは、そもそもの水源である上流の森林に決まっている。日本国中の豊かな広葉樹林をかたっぱしから伐採し、木材の畑のような針葉樹林にし、あるいはゴルフ場にし、保水力を奪う。こうして浄化に最も役立つきれいな水を減らし、その上あろうことかその水の流れる川に土建屋の利権の為だけに余計な護岸工事を施し、生き物による浄化の期待できないただの側溝にしてしまうのだ。味噌汁やとぎ汁が余ったら庭にまくより、こんな馬鹿げた行政を続ける連中の頭にでもぶっかけた方が水を浄化する効果があるに違いない。あ、なんだか A新聞の風刺コラムみたいになってしまった。
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