さて、私は個人的に地元でなんとか豊かな自然とやらの復活に貢献できないかと月2回のボランティア活動などというしゃらくさい事をしているのであるが、最終的には「生物採集、殺戮の限りをつくしてもへっちゃらな丈夫な自然の復活」という無茶な理想を掲げている。昭和30年代以前の我々オジサンやオジーサン達は大体こうやって殺しまくって自然から学んで来たはずである。例外はあるにしても大体「殺してない」という人は単に生き物や自然との接触が少なかっただけに過ぎない(なんという強引な決めつけ!)。とりあえず面白いから捕獲し、飼うといって持ち帰ってはうまく飼えなくて殺す。でまた採りに行く。これの繰り返しでいろいろな事を学んでいくのである。または食料として単に大量に捕獲して殺して食う、虫なんかは標本として集める為に大量に殺す。もちろん実は大して学んでいなくても一向にかまわない。何しろ自然に対してワクワクする、面白い、という気持ちがある事が何よりも重要なのだ。

それができないなら自然なんぞ要らない。壊してはいけない、触ってはいけない自然に何の意味があるのか?ビデオでも管理されつくした動物園でも何でも良い。そこだけに残した方がずっと効率的だ。どんどん緑がなくなればそもそも人間が生息できなくなる所までいきつく可能性は十分あるが(現状は限りなくそんな方向だし(笑))、それなら逆に徹底的に人工的環境(宇宙船の中とかの)で植物工場でも作って生き延びる研究をした方がいいというのが私の結論だ。

というわけでなんだか風呂敷を広げ過ぎてしまったが、とりあえず自分が思う自然教育みたいな物を目指すとしてだが、いきなり全員に採れ、殺せ、では無茶なのもわかる。これは現実との折り合いという問題だ。滅びかけたひ弱な自然にとどめを指すのが目的ではない。

そもそも「人間が望む都合の良い(人工的な!?)自然」ということで妥協したのであれば多少のインチキは現実との妥協ということで納得して貰いたい。限られた公園や施設で最大の効果をねらうならズバリ次の様な物になる。

「いろいろこまごました生き物を豊富に用意する。大型は対費用効果が悪いのでなるべくほかす。」

例えばワシなんかはもってのほかだ。本来こういうでかい生き物は保護に値しないが(うわー無茶苦茶)、それが残れる程ピラミッド全体が残ればすばらしい(他の魑魅魍魎が大量に存在できているということだから)という象徴的な意味があるだけである。食えればまた別だが、そこらの小さい生き物を大量に食ってしまってその上人間が食えないというのはずいぶん役立たずだ。こういう放蕩息子を許容するにはかなり大規模な自然の保護が必要だ。好きな人には申し訳ないが(本当は別に自分も嫌いなわけじゃないが)ワシなんか滅びた所で誰も困らん。この意味する所はニホンオオカミが滅びても日本の自然はこの100年何も困っちゃいないという事実だけで明白だろう。

で、例えばあちこちで既に目玉にしている蛍なんかは目立つ割に小さいしまぁいいと思う。他にもいろんな小魚、多くの昆虫、(私は悪いが鳥はあまり好きになれない。それこそ滅びかけた所で虫を乱獲する子供みたいな物だ。)なんかをこっそり養殖してわさわさ放し、子供に採らせるということを少しづつ広めていければ素晴らしい。造園業者が儲ける為だけの小ぎれいな公園なんざ要らない。造園用のさっぱりして虫も来ない様な木はみんなひっこぬいてクヌギなんかの雑木を植え、あるいはグチャグチャした湿地を作って魑魅魍魎を養殖してみたいものである。

何がいるか、採れるか分からない多様性こそワクワクさせてくれる自然である。個々の生物を養殖しているのではなくてそういった多様性そのものを養殖していると考えればあながちインチキというもんでもなかろう。不幸にして根付かず滅んでもまぁいいじゃないか。失敗は成功の元だ。貴重な経験としてそのうちだんだんうまくいくだろう。

鳥は1羽で年間数万匹もの昆虫の幼虫を食べる。子供が蝶を採っていなくなるという考えは害悪以外の何者でもない。だったらまず鳥を1羽こっそり捕まえれば何万頭の蝶を採っても概ね大丈夫という計算になるので、虫好きに取っては鳥なんざ絶滅して貰いたいということになる。こういう屁にもならん昆
虫採集を攻撃する一方で幼虫の住む木や草は根こそぎ住宅やゴルフ場に化け、農薬を空から撒いてとどめをさし、庭の毛虫も全滅させてへっちゃらという無茶苦茶がまかり通るのである。昆虫採集で興奮した経験をしっかりもった子供はこんな絶滅を望む様な大人には決してならない(俺だ俺だ、いつまでも子供だという話もあるが)。

人間は他の生き物には優しくなんかできないという所からスタートできないだろうか?肉食なんてもってのほかだ。たかが「うまい、栄養が取り易い」位の理由で動物を食う。がしかし、肉食を止めた所で植物だって食われる為に育っているわけじゃないし、今の農作物なんて前述の通り可食部ばかり肥
大した奇形の虚弱児みたいなものばかりになっている。

定期的にニュースになるシカやサルの保護の馬鹿らしさはすさまじい。あんなもの人間が雑木林を根こそぎにしたから食いあぶれて出てきているのだ。人間第一に考えるならそいつらの住む余地はないのだから殺すしかなかろう。
捕獲して食ってやるのが最も良い。そうでないなら雑木林をばんばん増やしてそいつらの住処を確保しなければならない。目先の「かわいそう」だけでなまじっか殺さないイタチゴッコを繰り返すのは実に馬鹿馬鹿しく無意味だ。



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