7/7 『彦星の憂鬱』
「 … ってなわけで、
7月7日は七夕って呼ばれて、
織姫と彦星が 一年に一度だけ出会える日なのよ 」
ベランダにくくりつけた 小さな一人用の笹に
短冊(たんざく)をつけながら ミサトが言った。
わざわざ買ってきたものではない。
スーパーの七夕フェアで
おまけに人数分くれた笹の葉である。
「 へ〜 …
太古の 星の世界の遠距離恋愛ってわけね。
… ロマンチックじゃない。 」
湯上りのアスカも、夏の夕暮れの
涼しい風を肌に受けながら
自分の笹に 見よう見真似で短冊をつける。
「 空から見えるところに
つけないとダメなんでしょ? 」
「 そう。
お星様から良く見えるようにね。
でないと願い事が叶わないわ。 」
おまけとは言え、初めての日本の風習に
アスカは興味津々といった顔だ。
「 で? アスカは何て書いたの?
願い事 … 」
「 べ、べつに
たいした願いは書いてないわ … 」
湯当たりでもしたのだろうか?
アスカは頬を赤らめてそっぽを向く。
「 そーよね、
一年に一度しか大好きな人と会えない
織姫と彦星と違って、
誰かさんは毎日一緒だもんね。
・・・ 逆にアスカが
願いを叶えてあげなきゃいけなかも。 」
ミサトは意地悪く ニヤリと笑う。
「 ち、違うわよ!!バカ! 」
怒鳴りながら こっそり短冊を半分に折るアスカ。
どうやら人に見られると
かなり困る願い事のようである。
「 ところで … レイは? 」
そう言えば さっきまで、
紙とハサミを手に やる気満々だった
水色の髪の少女の姿が見当たらない。
「 まだ願い事が決まらなくて
悩んでるのかしら … 」
ミサトがベランダから部屋の中を覗き込む。
「 あいつは 無欲と言うか …
あんまり俗っぽい願い事 なさそうだからね。 」
アスカはそう言って肩をすくめた。
レイはめったに “何が食べたい” とか
“何が欲しい” とか 自分の願いを言う事はない。
つつましやかな大和撫子と言ってもいいが、
基本的にあまり欲深い性格ではないのだろう。
「 あ … レイ、
遅かったじゃない。 」
アスカとミサトが好き勝手に
彼女の噂話をしていると、ようやくレイが
リビングから ベランダへとゆっくり歩いて来た。
ずーる …
ずーる …
ずーる …
彼女が歩くたびに、
重い物を引きずるような音がする。
ずーる …
ずーる …
ずーる …
「 レイ …
何 … 引っ張ってるの? 」
アスカとミサトが見守る中、
ようやくベランダに出て来たレイは
両手で 背後の巨大な物体を引きずっている。
「 ま … まさか、
これ … 」
背後の物体に目をやった二人は
思わず言葉を失う。
「 これ …
全部短冊なの!? 」
どこが無欲な性格だ。
レイの笹には 笹など見えないくらい
大量の短冊がついており …
はっきりいって単なる紙のカタマリになっていた。
「 いったい
どんな願いを … 」
ずーるずーると引きずる彼女の短冊から
アスカとミサトが数枚 取り出してみる。
「 いかりくんと第二東京ランドに行きたいです 」
「 いかりくんがもっと私の部屋に遊びに来てほしいです 」
「 いかりくんと手をつなぐのも好きだけど腕を組んでみたいです 」
「 いかりくんとおそろいのパジャマがいいです 」
「 いかりくんともんじゃ焼きを食べにいきたいです 」
「 いかりくんと漫画に書いてあったみたいに映画に行きたいです 」
「 いかりくんがこのあいだ可愛いねと言っていたテレビに出ていた
人の着ていた服が着たいです 」
… などなど …
無数の紙の山に目を通していたミサトは
呆れた顔で口を開き、
「 レイ …
これは願い事と言うより … 」
「 なんなの、これ
“いかりくん箇条書き” じゃない! 」
アスカの言うとおり
すべての短冊には
“いかりくんと○○したい”
“いかりくんに○○して欲しい”
”いかりくんに○○してあげたいけれど
怒られたら困るけどしてあげたいです”
とかなんとか言うような事が
ズラズラズラズラと書かれていたのである。
「 … 出すぎた欲は
身を滅ぼすわよ? レイ 」
だが、 二人の言葉などに耳をかさず…
真剣な顔つきでレイはべランダに出ると
細い腕を ぶるぶると震わせながら
必死に その巨大な笹を持ち上げ、
ベランダの手すりに …
バキ!
「 あ、折れた … 」
スーパーのおまけの小さな笹が
付けすぎた短冊の重みに耐えられるわけもなく
レイの手の中に枝だけを残して …
短冊のカタマリは マンションを落下して行った。
「 ほら見なさい 」
ドシャ!
遥か下の方で
何かが潰れる音が。
「 …… 」
その音を聞きながら、
レイは アスカとミサトのほうを振り向いて
信じられないほど悲しそうな顔をする。
「 いや …
そんな顔されても … 」
「 意外とバカね、あんた 」
「 う〜! 」
どれも本人にとって
大切な願い事だったのはよくわかる。
だが、駄々をこねられても自業自得と言うほかない。
「 いかりくんに
もっと なでなでを して欲しいです … と 」
「 ちょっと、
それは今 アタシが考えた願い事じゃない! 」
「 … 書いてしまえば、
私の願い事になるわ。 」
「 早い者勝ちって言いたいの!?
いー度胸じゃない!!
じゃーあたしはね、
あたしはね … 」
「 いかりくんと …
いかりくんと … 」
「 ね、寝る前に …
お … おやすみ … の …
キ … キスを … 」
「 それはダメ 」
「 なんでよ!
あ、あんたは知らないでしょーけどね、
… べつに 海外では キ、キスなんて
挨拶みたいなもんなんだから。 いーのよ!
あたし日本人じゃないし。 」
「 唇にするのも挨拶と言うの? 」
「 そ、 そーよ 」
「 それなら
私は … 朝の挨拶も … 」
「 コラ!
も って何よ も って! 」
お風呂から出たミサトが、
湯上りの良い気分で
バスタオルで髪を拭いていると
リビングが何やら キャーキャーと騒がしい。
「 まったく …
なにやってんのかしら、あの子達は … 」
ミサトは呆れた顔で
溜息をついた。
「 … あなたも書いてしまったら、
二人で一緒の部屋で と言う願いが崩れてしまうわ。 」
「 だ、だから 私にゆずりなさいよ! 」
「 …… 」
「 な、 何書いてるのよ … 」
「 それなら、
私はこの願いにするわ。 」
「 バッ!!
バカ! あんた何て事書いてんのよ! 」
「 … ? … 」
「 あんたね、 お布団も一緒で、これも一緒って言ったら
… で … で … を … って事に
なっちゃうじゃない! 」
「 …… 」
「 わかった!?
少しは頭使いなさいよ! 」
「 … でも、
これでいいわ。 」
「 いいわけないでしょ!
そんな事したら、
シンジが鼻血出して死ぬわよ! 」
「 … じゃあ …
これは? … 」
「 キャーー!!
バカ!抱くの意味が違うわよ!!
なにやらしいことばっか
考えてんのよ!! 」
「 いいの … これで
あと … これも … 」
「 ま、待ちなさいよ!!
い、 いーわ! あんたがそこまで
書くなら、あたしだって!! 」
「 …… 」
「 …… 」
「 … それは …
どういう意味なの? 」
「 い、言えないわよ!
そんな事! 」
ミサトがリビングに出てみると、
紙だらけのソファーに寝転がって
真っ赤な顔をした二人が なにやら
取っ組み合いをしながら 一生懸命ペンを走らせている。
「 ああ …
もう 七夕とは何の関係も無い世界に … 」
部屋の窓の枠には
服をかけるハンガーが何個もつるされていて、
そこに 洗濯バサミで大量の短冊が
まるで飾り付けのように あちこちにくっついていた。
・
・
… そういえば、
七夕の日に、
長い間 叶えたいけれど、
叶えられなかった願いを一杯抱えて
1年ぶりに出会えた二人は …
まず最初に なんと言うのだろうか?
… 意外と緊張して、
思いばかりが大きすぎて、
ぎこちない ”挨拶” くらいが
精一杯なのかもしれない。
「 外国の挨拶って
凄いんだね … 」
「 クア … 」
ベランダの椅子に座って、
ペンペンと一緒に シンジは夕涼みのジュースを一口。
「 ふぅ … 」
サラサラした夜風に吹かれながら、
紙クズだらけの室内を背にして
藍色の夜空に流れる 星の川をを見上げる。
「 … まあ、
織姫といつも一緒で …
あの星から見ればこれも、
幸せな悩みなんだろうな … 」
これからやらなくちゃならない
リビングの後始末の事を考えて、
地上の彦星は思わず
苦笑いを浮かべた。
おわり