午後の暑い日の光が

ブラインド越しに射し込むロッカールーム。

 

「 ふぅ ・・

  毎週 この時間だけは 憂鬱だわ ・・ 」

 

扉を開いた白衣の女性が溜息混じりに呟いた。

 

美しく染まった金髪に 切れ長の目。

印象的な 泣きぼくろ。

 

赤木リツコにとって、毎週月曜日のこの時間は

一週間で一番溜息の多い日である。

 

「 嫌いと言うわけじゃないんだけど ・・

  好きでもないのよね ・・ 」

 

お昼時を過ぎたこの更衣室には

彼女以外 … まだ誰の姿もない。

 

時折 窓の外から楽しげな笑い声が聞こえるだけで

広いロッカールームは静まり返っている。

 

「 ふぅ … 」

 

別に自慢をするわけではないが、

勉強は人より かなりできる彼女である。

 

加えて容姿も端麗。

 

スラリと伸びた長い手足に

透き通るように白い肌。

 

脱ぎ捨てたブラウスの下から現れた

ふくよかな胸を見るまでもなく

プロポーションだって良い。

 

・・ しかし

 

「 体育の授業の前は

  いつも憂鬱だわ ・・ 」

 

運動はどうにも

不得意なのだ。

 

もともと マラソンをしながら

走る理由を考えてしまうような彼女である。

 

加えてチームプレイもそれほど得意なわけではなく、

特に 球技ともなると 悲惨と言っても良い状況だ。

 

ソフトボールで空振りし、

バスケットゴールにとことん嫌われ、

バレーのサーブはネットを越えたためしがない。

 

 

「  赤木は勉強のほうは完璧なんだがなぁ ・・ 」

 

 

彼女の中学と高校の担任教師は

まるっきり同じセリフを言った。

 

 

「 大学に来れば

  体育からは 開放されると思ってたのに ・・ 」

 

一般的なイメージからすると

大学と体育の授業は似合わないかもしれないが、

もちろん単位を有する科目として 体育は存在する。

 

確かに 大学である以上、やりたくない場合は

その科目を選択しなければ良いだけの話だが、

彼女が籍を置く 第二東京大学は

セカンドインパクト後の 急速な少子化に沿った

新しい教育方針として 『 文武両道 』 を掲げ ・・

 

『 混乱の時代を 逞しく生き抜く若者になれ 』 と、

最低でも 一度は体育の授業を選択する事を

学生の義務としたのである。

 

・・ 俗に言う “必須科目” と言うやつだ。

 

「 ・・ ふぅ ・・ 」

 

その結果、

リツコは 毎週月曜日の昼下がり …

こうして スカートのファスナーを降ろしながら、

溜息をつく事になってしまったのだ。

 

ガチャ!

キィーーーッ・・

 

ロッカールームの入り口のドアが

勢い良く開いたのは、丁度その時であった。

 

「 !! 」

 

思わず傍にあったタオルをつかんで振り返るリツコ。

だが、そこには最近大学でよく話をする

見知った女性の顔があった。

 

「 なんだ ・・

  脅かさないでよ、葛城さん。 」

 

「 あはは ・・

  まだ 誰もいないと思ってた ・・

  ごみん 」

 

彼女の名前は 葛城ミサト。

 

日本人離れしたプロポーションでありながら、

純和風の整った顔立ちの女性だ。

 

… いろいろな意味での

この大学の有名人である。

 

理由の半分は彼女の苗字に。

後の半分は

彼女の性格と容姿が原因だ。

 

「 それにしても …

  “ミサト” で良いって言ったでしょ?

  私も親しみを込めて “リツコ” って呼ぶから。 」

 

まだ数回しか顔を会わせた事がないにも関わらず、

実に フレンドリーな話し方だ。

もっとも … 彼女は例え初対面の相手であっても、

まるで十年来の友人のように親しげに話しかけてくる。

 

「 良い? リツコ。 」

 

「 え … ええ。 」

 

一見 とても素敵な事のようにも見えるが、

それは 彼女に “本当の友達がいない” 事も意味している。

 

もしかしたら

笑顔の裏でまったく別の事を考えている …

そんな女性なのかもしれないと

リツコは密かに思っている。

 

( …… )

 

だが ・・ 

この嫌な疑念は この女性が “葛城” ミサトであり

自分が “赤木” リツコである以上 …

仕方の無い事でもあった。

 

彼女達の親は あの忌まわしい事件によって、

今では大統領の名前よりも 有名になっているからだ。

 

「 …… 」 

 

もっとも この時 …

リツコはまさか自分が彼女の

“親友第一号” になろうとは、

 

思ってもみなかったのだが。

 

 

「 … さてと …

  私も準備しないとね … 」

 

ミサトはリツコの隣に並んで

自分の着ていた服を脱ぎ始めた。

 

… 彼女とリツコの選択している体育は

同じ時間の 同じクラスなのだ。

 

しかしながら リツコと違って

ミサトの運動神経はすこぶる良い。

 

いや … 良いなどというレベルではなく、

この大学で彼女に勝てる者などいないであろう。

 

前回の授業でも

素晴らしいタイムでトラックを駆け抜ける彼女の姿を見て、

どうして体育会系のクラブに所属しないのだろう? と

リツコを含めた皆で首をかしげたばかりである。

 

「 そう言えば 葛城さ …

  … いえ、 ミサト?

  あなたって 部活は何も … 」

 

リツコが何気なく

隣のミサトの方に顔を向けると、

 

「 え! な、 なに!? 」

 

彼女は慌てた様子で

サッと 片手を背中に隠した。

 

「 … ? どうしたの? 」

 

見るからに妖しい行動に

リツコが怪訝な顔をする。

 

「 あ、いや!

  なんでもないの!なんでも! 」

 

ミサトは早口で 何度もそう繰り返すと、

何事もなかったように着替えを再開した。

 

「 … ? … 」

 

不信に思いながらも、

あまり疑うのも失礼なので、

リツコも着替えを再開する。

 

___ しかし

 

カチャ ・・

ウィィィ・・ン ・・

 

今度は確かに、何か機械のような

… カメラのシャッターを切ったような

小さな音が リツコの耳に聞こえた。

 

「 ちょっと葛城さん!?

    今、何かしていたでしょう!? 」

 

「 え!? なに!?

  なんにもしてないわよ?? 」

 

再び片手を背中に隠して 首を振るミサト。

だが リツコは怒った顔で 追及の手を緩めない。

 

「 背中に隠しているものを見せなさい! 」

 

彼女は強引にミサトの肩に手をかけると、

背後に隠しているものを奪おうとする。

 

「 ちょ、ちょっとリツコ!やめて! 」

 

「 カメラか何か 隠しているんでしょう!?

  いった どういう事なの!! 」

 

ただでさえ広くない更衣室の中でもみ合う二人。

案の定、リツコに押されたミサトが

長椅子に足をとられ … バランスを崩してしまった。

 

「 きゃっ! 」

背後に倒れるミサト。

 

「 あっ! 」

リツコは条件反射で手を伸ばし、

ミサトの左手を掴んだ。

 

間一髪のところで、

リツコはミサトを助け … た … ハズだったのだが、

 

バキン!!

 

何かが折れたような金属音が響き、

あろうことか つかまれたミサトの左腕が

“根元から抜け始めた” ではないか!

 

「 や ・・ やば! 」

ミサトの慌てた声。

そして

 

ブチ! ブチブチブチ!!

肩と腕をつないでいた 無数のチューブらしきものが

音を立てて、ちぎれ飛んだ。

 

・・

・・・

 

静寂が更衣室を包み込む。

 

・・

 

「 痛たたたた …… 」

 

突然の出来事に リツコは顔面蒼白で

床に尻餅をついたミサトを見下ろしている。

 

何しろ彼女はまだ、 “とれてしまった”

ミサトの左腕をつかんだままなのである。

 

「 …… 」

 

いったい何が起こったのだ?

 

そもそも人間の腕がそんなに簡単にとれるわけがない。

それに 完全にとれてしまったにも関わらず

肩からも、抜けた腕からも血の一滴も流れていない。

 

その代わりに 床に散乱しているのは

透明のチューブの破片や ネジ … 金属のカケラなど。

 

「 あ …

    あ … あなた  」

 

ショックから立ち直り、

再び動きはじめたリツコの脳味噌は

ようやく ある結論に達した。

 

「 あなたっ!!

  阿川チヒロの ロボットねっ! 」

 

「 くっ! 」

 

金属と細かな機械が剥き出しになった肩口を押さえ、

ミサトそっくりの女性は 苦々しい顔をした。

 

すると

まるで彼女の その言葉を待っていたかのように、

 

キィー・・・ッ

今のドタバタの衝撃のせいだろうか?

奥のロッカーのドアが ひとりでに開き…

 

「 ももむ!! もむ!!

  むむももももー!!!! 」

 

なんと中から イモムシのようにロープでぐるぐる巻きにされた

本物のミサトが現れたのである。

 

「 葛城さん! 」

 

確かに このミサトロボットにとって

本物のミサトは邪魔な存在だろう。

なんとオリジナルのミサトは

リツコが更衣室に入る前から

ロッカーの中に監禁されていたのだ。

 

「 やっぱり!!

  こっちが本物で、あなたはロボットね! 」

 

抜けた左腕を投げ捨て、

リツコは ミサトロボに向かって指をつきつけた。 

 

「 ふふっ …

  大学の入り口でも、授業中も、

  食堂でも 誰一人気づかなかったのに!

  よくぞ見破ったわね!流石よ!赤木リツコ! 」

 

抜けた腕 ・ 散らばる部品 ・ 本物の登場 ・・・

ここまで来たら 誰だってわかる。

 

「 葛城さん … 大丈夫? 」

 

ゼロの自慢気な声を無視して、

リツコはイモムシのように転がっている

ミサトの縄をほどいてやった。

 

「 ん ・・・ むぐ ・・・

  むむーーー ・・・ っ ・・ ぷはっ!!

  はぁ ・・ はぁ ・・ あ、 ありがと … 」

 

ミサトロボは その隙にジリジリと後ずさり…

二人から間合いを広げてゆく。

 

「 だが 少し気付くのが遅かったようね!

  あなたの着替え写真は このカメラに

  バッチリ写させてもらったわ! 」

 

先ほどから背中に隠していたのは

やはりカメラだったのだ。

ミサトロボは残った右腕で、

誇らしげに インスタントカメラを見せつけた。

 

「 これを博士の元に届けて …

  大量に焼き増しして 大学内にばら撒いて

  あなたの評判をガタ落ちにさせてやるわ!! 」

 

ミサトロボの口から明らかになったのは

阿川博士の恐るべき陰謀の全容であった。

このままでは明日、全校生徒に

リツコのセミヌードが公開されてしまう。

 

「 … へぇ …

  そのカメラでねぇ … 」

 

しかし リツコは慌てた様子も無く、

余裕の笑みを浮かべながらミサトロボを見た。

 

「 ・・・ できるものなら

  やってみれば良いわ? … そのカメラで。 」

 

「 なっ!! 」

 

もしやと思い、ミサトロボが手の中のカメラを見ると

倒れた拍子に お尻の下敷きになってしまったのであろう、

プラスチックのインスタントカメラは グシャグシャになっていた。

 

「 そ … そんな … 」

 

これでは光が内部に入ってしまうどころか、

中のフィルムもグチャグチャになってしまっているだろう。

 

「 くっ … 無念!! 」

 

任務失敗を悟ったミサトロボは

悔しそうにリツコを睨むと、

 

「 憶えてなさい!! この次は必ず! 」

 

捨て台詞を残して 身を翻した。

 

「 ま、待ちなさいよ!! 」

 

そうはさせじと立ち上がったのは

本物のミサトである。

 

彼女は持ち前の優れた反射神経で

逃げるミサトロボの肩をつかもうとするが、

ブシュー!!!

消火器のような音が響き、

突然視界が 真っ白の煙に覆われてしまった。

 

「 な、 何!?

  ゴホッ … ケホッ … 」

 

リツコはたまらず咳き込む。

 

「 煙幕!? 

  ゲホッ! … ゴホッ … ゴホッ … 」

 

本物のミサトも 片手で口を覆いながら

なんとか煙を振り払う。

 

だが、そこには ガラスが破られた

窓のみがあるだけだった。

 

「 ゲホッ … 

  こ、ここは3階なのにっ! 」

 

ミサトが窓に駆け寄ると …

片腕のミサトロボが ヨロヨロと学生達を掻き分けて

逃げて行くところであった。

 

追いかけたいのは山々だが、

人間が飛び降りれる高さではない。

 

「 ちょっと!

  あいつ 私の姿のまま逃げてったわよ! 」

 

片腕で ボロボロのミサトが

学校内を走っていたなんて噂が広まったら

迷惑なのは本人である。

 

「 あれは ロボットなの!?

  いったい … どういう事!? 」

 

そもそも あんなに人間そっくりなロボットがいるなど

聞いたこともない。

 

「 葛城さん …

  いえ、ミサト ・・ 悪いけど、

  ちょっと協力してくれないかしら? 」

 

すると、 外に顔を出して

文句を言っていた彼女の背中に

氷よりも冷たい声がかかった。

 

「 へ? 」

 

振り返ると、

咳き込んで 床に座り込んでいたリツコが

ゆっくりと立ち上がった。

 

眼鏡に外の光が反射して、

彼女の表情はわからない。

 

「 … 高校にいるあいだの、星の数ほどの嫌がらせ。

  負け犬女のヒガミと思って 3年間は許してあげたけど …

  大学まで追って来るとわね … 」

 

彼女は独り言のようにつぶやく。

 

雰囲気が尋常ではない。

 

彼女の中で確実に

“何か” が切れてしまっている。

 

「 でもいいわ …

  そっちが その気なら、

  私にも考えがあるわ … 」

 

リツコはロッカーから 自分のバッグを取り出すと、

その中に手を入れて ゴソゴソと何かを探し始めた。

 

いったい 何を始めるつもりなのか?

彼女は時折

 

「 クックックッ … 」

 

と低い声で笑っている。

 

「 あ … あの …

  リツコ … さん? 」

 

冷静沈着で品のある優等生の

あまりの変貌ぶりに驚き、

冷や汗を伝わせながら …ミサトは顔を引きつらせる。

 

やがてリツコは自分のバッグから …

一本の 毒々しい緑色の液体が入った

注射器を取り出した。

 

「 あなたも協力してくれるでしょう? 」

 

リツコは猫なで声でつぶやく。

 

「 … あの迷惑女に

  死ぬほどキツイお灸をすえてやるわ 」

 

針先から ピュルッと 緑色の液体が飛び出す。

 

「 ひ ・・

  ひえぇえーーーー!! 」

 

ミサトの悲鳴をBGMに、

 

リツコはうっとりと注射器を見つめながら、

エンマ大王でも逃げ出すような

恐ろしい微笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 


空欄

零・明日香
(ゼロ・アスカ)

〜 第3話 〜

空欄


 

 

「 いや! こないで!

  にゃんにゃん来ないで!

  猫がっ!!

  猫の波がっ!!

  イヤ!

  いやあああっ!!! 」

 

・・・ ガシャン!!

 

勢い良く飛び起きたため

近くに散乱していた本やカップめんの容器が音を立てて崩れた。

 

恐ろしい鳴き声と あの感触が消え、

見慣れた天井が、阿川博士に

ここが 自分の研究所である事を思い出させた。

 

「 はぁ ・・ はぁ ・・ はぁ ・・

  ゆ ・・ 夢か ・・・ 」

 

びっしょりとかいた寝汗で

パジャマが肌に張り付いている。

 

まったく … どうして今頃になって

あの おぞましい体験の夢など見るのだろう …

 

「 ちょっと …

  朝っぱらから何なのよ、いったい。 」

 

荒い息をついている 阿川博士に話し掛けたのは

縄でぐるぐる巻きになっている イモムシアスカである。

 

明け方になって 突然うなされ始めたと思ったら、

突然大きな叫び声を上げて飛び起きたのだ。

いくら捕われの身とは言え 非常に気になる。

 

「 なんかうなされてたけど ・・

  いったいどんな夢なのよ、

  “猫の波” って ・・ 」

 

「 言わないで! 」

 

「 へ? 」

 

「 二度とその言葉を言わないで!

  ああ ・・ 聞くだけでもおぞましいわ ・・ 」

 

唖然とした表情のアスカが見守る中 …

阿川博士は両手で耳を塞いで

ガタガタと震えている。

 

… 相当嫌なトラウマなのだろうか?

 

猫の波 … 大量の猫?

 

「 ・・ リツコなら

  泣いて喜びそうな波だと思うけど ・・ 」

 

何気ないアスカの呟きに、

博士の震えが ピタッと止まる。

 

「 リツコ …

  リツコめ … 覚えてなさい …

  今度はあなたが 屈辱にまみれる番よ … 」

 

掛け布団をギュッと握り締め、

今度は怒りで肩を震わす阿川博士。

 

どうやら夢の内容は

リツコにも関係のある事のようだ。

 

 

「 ・・・ それにしても ・・・ 」

 

汗を流しに シャワールームへ消えた

阿川博士の背中を見送った後 …

アスカはあらためて この地下研究所?の中を見回した。

 

この地下室での生活も

今日で2日目に突入しつつある。

 

相変わらず手足は縛られたままなので

満足に動くのは 首くらいのものなのだが …

ずっとソファーに寝転んでいるので

それほど苦痛と言うわけではない。

 

それよりも 何もする事がないほうが

行動的な彼女にとっては遥かに苦痛だった。

 

「 …… 」

 

最初に連れてこられた時は夜で、

満足な光りも灯っていなかったので

周りの様子はほとんどわからなかったのだが、

この地下室は思っていたよりも広い。

 

地下室 つまり “部屋” と言うよりも

フロアと言ったほうが良いだろう。

 

四方の壁や床 ・・ 

天井もコンクリートの打ちっぱなし。

だが 昔レイが住んでいたような部屋の感じではなく

お洒落なデザイン建築と言う印象だ。

 

今でこそ お菓子の袋やカップめんの容器が散乱し、

10台以上あるであろうコンピューターと

床をのたうちまわるコードの山でグチャグチャだが、

きちんと掃除をすれば かなり良い部屋だとアスカは思う。

 

さらに地下にも関わらず

天井の一辺には長方形の採光窓があり

朝になると日の光や空気が

まるでライトのように差し込んでいる。

 

なかなかどうして …

異常な博士にしては 快適な住まいと言えよう。

 

 

「 ・・・ でも、

  “あれ” が問題なのよね … 」

 

確かに掃除さえすれば この

いかにも 『 マッドサイエンティストの研究所 』 

と言った印象はガラリと変わるかもしれないが、

その前にどうしても処理しなくてはならないものが

この部屋の中にはあるのだ。

 

「 ・・・・ 」

 

それは 部屋の奥の壁に山を作っている …

無数の人影である。

 

もちろん 人間ではない ・・

そう、 それは 何体 ・・ いや

何十体もの ロボットなのである。

 

「 あれが “ゼロ” ってロボットの

  試作機たちって事よね ・・ 」

 

何度見ても奇妙な光景だ。

 

大きいもの、 小さいもの。

ずんぐりむっくりした ドラ○もんのようなロボットから

枯れ枝のように細いロボット …

中には人間にしか見えないようなロボットまで

皆 ホコリかぶって粗大ゴミのように置かれている。

 

折り重なり、からみあっているので

どこがどうなっているのか よくわからない

『 マネキン捨て場 』 と言うものがあるのかアスカは知らないが、

もし それがあるとするならば

こんな感じなのだろう。

 

なまじ 人のカタチをしているので

正直言って あまり見ていて気持ちの良いものではない。

 

「 あれは ゼロが生まれるまでの歴史であると同時に ・・

  私とリツコの戦いの歴史でもあるのよ。 」

 

アスカが ロボットの残骸を見つめていると ・・

バスタオルで髪を拭きながら、

阿川博士が 部屋に戻って来た。

 

「 戦いの歴史? 」

 

「 そう ・・

  私が手塩にかけて作り出した作品が、

  あの 忌々しいリツコに敗れていった ・・

  長い戦いの歴史よ。 」

 

博士は不機嫌そうな声で吐き捨てると、

濡れたままの足で そのロボットの残骸へと近づき ・・

何やらごそごそと探し始めた。

 

( 歴史… って事は、

  前にもこんな事件を起こしてるのね、この女 … ) 

 

どうやらリツコに対する挑戦と言う名の嫌がらせは

この博士にとっての “ライフワーク“ なのかもしれない。

アスカはその二人の戦いに巻き込まれた、

言わば 被害者なのだ。

 

「 その証拠に ・・・

  例えばこんなものもあるわ。 」

 

博士の言葉とともに

ロボットの残骸の山から引きずり出されたモノを見て

アスカは思わず声を上げた。

 

「 ミ ・・ ミサト!! 」

 

ホコリで汚れ 黒ずんでいて 片腕が無く、

あちこちからバネやゼンマイが飛び出してはいるが…

それはまぎれもなく ミサトそっくりのロボットであった。

 

「 ・・・・ 」

 

あまりの事に 言葉が出ない。

 

なんと言うことだろう、

この女は以前にも、誰かの姿を借りて、

リツコを陥れようと企んでいたのだ。

 

「 じ ・・ じゃあ アンタ!

  まさか ミサトを拉致した事あるの!?

  あたしみたいに!! 」

 

叫ぶアスカに向かって、

博士は冷たい微笑みを浮かべる。

 

「 あの女に勝つためなら…

  私は何でも利用するわ。 」

 

「 な … なんて奴 … 」

 

絶句するアスカを尻目に、

博士はミサトロボを瓦礫の山に乱暴に戻し …

 

「 そして、

  その邪魔をするのならば

  誰であろうと許さない。 」

 

強い口調で そう 言い放った。

 

「 …… 」

 

もはやアスカの理解の範疇を超えている。

ゴミの山の中で 人間そっくりのロボットと寝食を供にし、

逆恨みにのみ生きる人生 …

これを異常と言わず、何を異常と言えば良いのだろうか?

 

「 あんた ・・

  イカレてるわ ・・ 」

 

「 お黙り!! 」

 

鋭く叫ぶと、

博士は首にかけていたバスタオルを

忌々しげにアスカに投げつけ …

椅子の背に掛けてあったいつもの白衣に袖を通した。

 

「 良いこと?

  ・・ 私の頭脳は完璧なのよ。

  にも関わらず、リツコに負けること ・・

  それ “自体” がおかしいの。

  宇宙の摂理に反しているのよ。 」

 

自分の言葉に満足げに頷きながら、

博士はイモムシアスカに近づくと、

彼女のあごをつかんで グイッと自分の方を向かせた。

 

「 ・・・ だから私は

  リツコに負ける機械に興味はないの。 」

 

彼女にとっての “完璧” とは、

赤木リツコを超えた時のみ 発生するものなのだろう。

そして “彼女に負ける機械” は 博士にとって

“存在してはいけない失敗作品” と言う事なのだ。

 

「 ゼロは完璧なの。

  あらゆる問題 ・・  あらゆるミス ・・

  あらゆる欠点は、

  ここにある試作機達で すべて克服してある。 」

 

このゴミの山は

すべて ゼロ という名の一体のロボットの

完成度を上げるために費やされた、

膨大な実験材料だったのだ。

 

「 ゼロこそは完璧なのよ

  誰にも見破られず、

  誰にも負けない。 」

 

博士は恍惚と自尊と

狂気の入り混じった微笑みを浮かべ、

アスカの瞳を覗き込んだ。

 

「 誰にも ・・

  そう ・・ リツコにもよ。 」

 

 

 

「 … なんで …

  なんで そんなに あの女を憎むのよ … 」

 

確かにプライドが高く、

高飛車で デジタルな性格の赤木リツコを

あまり快く思わない人もいるだろう。

 

だが、アスカの目から見て

彼女がそれほど 人から怒りを買う人間にも見えない。

ましてや この阿川博士は ネルフに対してではなく、

リツコに対しての 個人的な恨みを抱いているのだ。

 

「 ふっ … 」

 

アスカの問いを 文字通り博士は鼻で笑い飛ばすと、

近くにあったコンピューターのモニターの電源を入れた。

 

「 それこそ口に出すのも忌々しいわ。 

  … まあ良い … あなたは ここで大人しく

  これから始まる、楽しいショーでも見ていなさい。 」

 

暗黒に支配されていたブラウン管に

だんだんと 見慣れた葛城家のリビングの様子が

映し出されてくる。

 

アスカは文句を言うのも忘れて、

画面の中に現れた少年の顔を食い入るように見つめた。

 

「 … シンジ … 」

 

いつもならば 自分がいるハズの場所。

自分が目にするはずの 家族の顔。

 

しかし 今のアスカには

モニター画面越しでしか

愛しい少年の姿を見る事はできない。

 

 

< だからスーパーの後に

  商店街のセールに寄ろうと思ってるんだ。 >

 

 

ブラウン管の中のシンジは、

本物のアスカが こんな場所で、

こんな思いを抱いているなど露知らず …

 

いつものようにエプロン姿で

優しげに微笑んでいる。

 

< いかりくん ・・ 私も行く >

 

< あ ・・ あたしも! >

 

オリジナルアスカの見守る中で

レイと ニセモノのアスカ。

つまりゼロの声が スピーカーから流れる。

 

すると、

 

「 スーパーの後に

  商店街ね … 」

 

ジッとモニターを見つめていたアスカの横で、

博士が確認するかのように、そう 呟いた。

 

「 ちょっと ・・・ 」

 

ギョっとした イモムシアスカは

首を動かして 阿川博士を下から睨みつけた。

 

 「 あんた ・・

   いったい何考えてんのよ ・・ 」

 

だが 博士は彼女の言葉に耳を貸さず、

ニヤリと 一度だけ笑うと、

そのまま 白衣を翻してドアの方へと歩き始めた。

 

 

「 ちょっ ・・ 何処行くのよ!! 」

 

思い込んだら何をするかわからない

このマッドサイエンティストに

何か言い知れぬ不安を感じたアスカが叫ぶが、

彼女は何も答えない。

 

付けっぱなしのモニターの中では依然として

シンジとレイとゼロ・アスカが

買い物の予定を話し合っている。

 

「 待ちなさいよ!! 

  あんたリツコに恨みがあるんでしょう!?

  シンジ達を巻き込んだら承知しないわよ! 」

 

ギィイイ・・・

バタン!!

 

彼女の必死の言葉を遮るように

重い 鉄のドアは

大きな音を立てて閉まった。

 

「 くっ!! 」

 

アスカは悔しそうに動かぬ手足を

必死にバタつかせた。

 

( …… )

 

何や嫌な予感がする …

 

リツコを倒すためには、何でも利用する。

阿川博士はそう言ったのだ。

 

( なんとか …

  なんとかしないと … )

 

胸騒ぎにせき立てられ、

ここから逃げ出さねばと、

アスカは部屋の中を見回した。

 

その時!!

 

「 こんにちは! ぼく のナマエは

  ナンバー しっくす!!! 」

 

「 ひっ! 」

 

突然

誰もいなくなったはずの地下室に

大きな声が響いた。

 

「 な ・・ なに!? 」

 

驚いたアスカは ソファーの上で体を動かし、

声のした方向へ目をやった。

 

「 うそ …

  う ・・ 動いてる ・・ 」

 

見ると ・・ 先ほど阿川博士が

ミサトロボを引っ張り出したあたりで

一体の 薄汚れたロボットが動いているではないか。

 

「 ガガッ ・・ ゴんにちは!!

  ぼくノ名前ワ … ギギッ

  ナンバーシッ シッ ・・・ アナたの生絵ワ! 

 

ずんぐりとした図体に、

四角い顔をした 青いロボットだ。

 

恐らく 博士が動かした拍子で

スイッチが入ってしまったのだろう。

 

「 コンにちは!! ガガッ …

  こハニチは!!

  ぼく ・・ ! モナマエわ! 」

 

ブンブンと腕を振り、

頭を左右に動かして

しきりに声を出しているが ・・

どうやらどこかが壊れているようで、

声が途中でおかしくなっている。

 

「 ンーーギギッ  シックスす …

  ブビーーーィイ ・・ エ エ ・エ・エ・エ・  」

 

「 なんなのよ ・・

  これは ・・ 」

 

呆然と見つめるアスカの前で、

その ロボットはカクカクと動き

グルグルと頭を回転させている。

 

やがて その明らかに異常な回転に

部品が耐え切れなくなったのか、

 

ガキン!!

 

「 きゃっ! 」

 

金属の折れる音とともに、

その頭がゴロンと床に落ちてしまった。

 

ボシュー・・

 

と同時に、首の穴から吹き出す

白い煙とホコリとゴミとオイルのような液体。

 

「 ちょ ・・ ちょっと!!

  ゲホッ ・・ ゲホッ ・・・ 」

 

たちまち 密室の地下室は

ホコリが蔓延する ひどい有様になってしまった。

 

「 ケホッ ・・ ケホッ 

  … ま、

  あの女の言う “完璧” ってのも

  たかが知れてるわ ・・ 」

 

目にうっすら涙を浮かべたアスカは、

床に転がったロボットの頭を見ながら …

心底 呆れた声で呟いた。

 

 

 


 

 

 

「 ん〜 … 」

 

 

朝の目覚めは

不思議とスッキリした気分だった。

 

「 … いい朝だな … 」

 

ゼロは目を細めながら、

ベッドの脇の窓を 少しだけ開ける。

カーテンの揺らして ちょっと冷たい朝の空気が、

部屋の中に流れ込んで来た。

 

失敗続きの任務。

そして “碇シンジ” と言う少年が引き起こす

彼女には制御できない 熱い感情。

 

頭の中を占領していた問題はまだ解決していないが、

少しのあいだ それを忘れられるような、

そんな気分だ。

 

耳を澄ますと、包丁の トン・トン・トンと言うリズムが

台所から流れてくるのに気付く。

 

「 … シンジ君 … 」

 

不思議と心が落ち着く音だ。

 

「 …… 」

 

どんなに嫌な事でも、

シンジの事を思うだけで 綺麗に忘れてしまう。

 

後に残るのは、暖かくて ドキドキして

これからどんな素敵なことが起こるのだろうか?と言う

希望だらけの気分だ。

 

( 不思議だな …

  … こんな気持ち )

 

それは例えるなら

雨降る憂鬱な月曜日の朝を、

快晴の夏休み最初の朝に変えてしまうような …

宇宙で一番凄いパワーを持っている。

 

「 …… 」

 

この気持ちは いったい何なのだろう?

彼女の機械の頭脳をもってしても、

なんとも言葉にできない。

 

気を抜くと すぐに顔がニヤニヤしてしまう。

頬もなんだか熱い。

 

見下ろせば、

床の上にはシンジの布団がそのままになっている。

 

ゼロは ちょっとした背徳感を味わいながら、

遠慮がちに手を伸ばして シンジのマクラを手にとった。

 

「 …… 」

 

あたりを見回し、

誰にも見られていない事を確認すると、

急いで マクラをギュッと抱きしめてみる。

 

「 えへへ … 」

 

おかしいと自分でも思う。

けれど、 心の何処かで もっともっと

おかしくなりたいとも 思っている。

 

 

「 もしかしたら …

  これが … 恋 … なのかな 」

 

他の言葉は思い浮かばない。

 

彼女の膨大なメモリーの中で、

それが一番 今の気持ちに近い言葉だった。

 

 

 

 

< はいはーい!!

   今日はここ! 福岡のラーメン激戦地に来ていまーす!

   この街にはですね、 なんと32軒ものラーメン屋さんがありまして >

 

朝からテンションの高いテレビをBGMに

カチャ … カチャ … と 食器の音が響く。

 

おだやかな時間がながれる、

いつもの 朝の景色である。

 

「 綾波 … この海苔、美味しいから食べなよ 」

 

「 うん 」

 

シンジに勧められて、

レイは自分のご飯の上に 海苔を一枚。

 

「 あ、これ 味付け海苔じゃないから、

  お醤油つけないと 」

 

シンジは手を伸ばして

小皿を一枚とると レイ用の醤油を入れようとした。

 

しかし 彼女はいやいやと首を横に振って

 

「 いかりくんのお醤油 かりる 」

 

シンジの前の小皿に、

箸でつまんだ自分の海苔を持って行った。

 

「 … いい? 」

 

「 いいよ、別にそのくらい。 」

 

そんな些細な事に いちいち確認をとる彼女に

シンジは少し笑いながら答える。

 

「 えへ … 」

 

レイはとても嬉しそうに

海苔を醤油にぺたぺた。

 

「 … 付けすぎじゃない? それ 」

 

まるで 新婚家庭の朝食のような情景も、

葛城家では さして珍しくはない。

 

ただ、そんな二人に

決まって不機嫌な顔をするもう1人の若奥様が…

今日は非常に静かである。

 

「 … ? 」

 

レイもそれは気になったようで、

海苔巻きごはんを もぐもぐと食べながら

シンジの向こう側にいる アスカを、

先ほどから不思議そうな顔で見ている。

 

 

< そう!! なんと このラーメンには

   最後のトッピングとして チーズが入るんです! >

 

< チーズですか!? >

 

< ええ。 濃厚なトンコツスープに、これが意外に合うんですよ!

   ちょっと失礼して … 食べてみますね。 >

 

 

彼女の好物である ラーメンの特集番組に

目を奪われているのではない。

 

アスカはお箸と お茶碗を持ったまま、

どこか ポーッとした視線で

隣のシンジの横顔を見つめているのだ。

 

「 …… 」

 

まさに 心奪われるとはこの事だろう。

 

彼女のお箸は タクアンを挟んだまま、

ピクリとも動かない。

 

「 … ? … 」

 

レイは不思議そうな顔をしながらも、

シンジの背中超しに そっと手を伸ばして、

つんつん と 夢見心地のアスカの脇腹をつつく。

 

「 食べないと …

  冷めてしまうわ。 」 

 

しかし せっかくの忠告も

彼女の耳には届かないようで …

アスカはポーッとシンジを見つめたまま。

 

「 ……

  …

  …… はぅ … 」

 

熱い溜息を吐いただけであった。

 

 

 

――― こい こひ 【恋】 ――――――――――――――――

 

(1) 異性に強く惹(ひ)かれ、会いたい、ひとりじめにしたい、

   一緒になりたいと思う気持ち。 「―に落ちる」

――――――――――――――――――――――――――

 

ゼロの電子頭脳の中を検索すると、

このような結果が出る。

 

気を抜くと すぐに彼のことを考えてしまう。

視線で姿を探して …

用もないのに 傍に行って くっつきたくなる。

 

その気持ちは とても強く、

まるで 津波のように押し寄せてくる。

 

何もかも … そう、

“任務を遂行しなくてはならない” と言う

ゼロの意識すら押し流すほど 強いものであった。

 

… 

… いけないと言う事はわかっている。

 

これ以上好きになってはいけない。

 

アスカと言う少女の心に

同調してはいけない。

 

「 …… 」

 

わかっているのに、

どうにもならなかった。

 

 

「 どうしたの?アスカ

  さ 行こうよ。 」

 

午後にネルフでの身体検査があるので、

今日は午前中に買い物をしておく事になっている。

 

先に靴を履いたシンジは、

玄関に座り込んで 考え事をしていたアスカに

手を差し伸べた。

 

「 … あ 」

 

差し出された手に、

ゼロは一瞬戸惑う。

 

しかし、

昨日シンジに買ってもらったマフラーを

首にまいたゼロにはもう、

 

彼のその甘い誘惑から

逃れる事ができなかった。 

 

( …

  博士 … ごめんなさい )

 

シンジの手をとり、

立ち上がると … アスカはドキドキしながら

彼の腕に 自分のそれをからめた。

 

( でも …

  … どうする事もできないんです。 )

 

これから先の不安も、

任務の事も …

 

シンジの暖かい感触だけで

すべて消え去るような気がする。

 

( やっぱり

  これが恋 … なんだな … )

 

もう 疑いようがなかった。

自分はアスカとしても、

ゼロとしても …

 

「 恋って凄いな … 」

 

ゼロ・アスカはポツリと呟く。

 

「 え、何か言った? 」

 

「 えへ …

  … 秘密♪ 」

 

不思議そうな顔のシンジを見て、

ゼロは心の底から楽しそうに笑った。

 

今までの

命令に従うだけの日々の中で

思えば ゼロとして笑ったことなど

一度もなかった。

 

しかし

そんな暗い過去も霞むくらいの喜びが

胸の中で踊っている。

 

「 さ、行こう! シンジ♪ 」

 

いつしか

彼女は役に取り込まれていた。

 

アスカを演じるゼロではなく、

ゼロの夢をみていた アスカとして。

 

 

無意識にそうなったのか、

それが自ら望んだ結果なのか …

 

もう 彼女にもわからなかった。

 

 

 


 

 

「 ご苦労さまっ 」

 

一心不乱に 目の前のディスプレイを睨みつつ、

カタカタと キーボードを叩いていたマコトの目の前に、

にゅっと 赤い物体が出現した。

 

「 … 葛城さん … 」 

 

いつのまに発令所に戻って来たのか、

マコトが振り返ると、片手にサンタクロースのヌイグルミを持ったミサトが

笑いながら立っていた。

 

「 もうすぐクリスマスだって言うのに …

  面倒な仕事ばかり押し付けちゃって ごめんね。 」

 

「 いえ …

  気にしないでください。 」

 

ネルフの仕事にはクリスマスもお正月もない。

美人の上司から ねぎらいの言葉があるだけ

まだマシと言うものだ。

 

「 それに クリスマスと言っても

  僕は何の予定もありませんし … 」

 

苦笑いを浮かべながら

マコトはサンタのヌイグルミを受け取ると、

それをディスプレイの横に座らせた。

 

「 あら そうなの?

  若いのに もったいない … 」

 

ミサトは肩をすくめながら

まるで近所のオバサンのようなセリフを言う。

 

「 良いんです …

  それに 僕は今、幸せですから … 」

 

マコトはミサトに聞こえないように

小声で何やらつぶやくと、

顔を赤くして 再びキーボードに向き直った。

 

情けないと言えば情けない。

しかし ささやかな幸せも 幸せのうちだ。

 

すると ミサトの口から

予期せぬ言葉が飛び出した。

 

「 ・・・ それじゃあ

  日向君もお誘いしてみようかな ・・ 」

 

「 え? 」

 

「 クリスマス … 暇なんでしょ? 」

 

ミマコトの顔が希望に輝く。

苦節○年 … ついにチャンス到来である。

 

クリスマスの夜の 男と女 …

しかも 相手のほうからのお誘いだ。

夢を見ているようである。

 

「 あの … 葛城さん …

  それは もしかして …… 」

 

緊張した面持ちで マコトが言うと、

ミサトは嬉しそうにパンと手を叩き

 

「 … そうなの!

  クリスマスは 私の家で

  みんなでパーティーしようって決めててね?

  参加条件は 子供達へのプレゼントを持ってくる事なんだけど、

  …… 日向君も来る? 」

 

「 …… 」

 

所詮現実はそんなものである。

 

「 ? … どうしたの? 」

 

心の中でサメザメと涙を流す彼に

ミサトは不思議そうな顔をした。

 

人の恋路には敏感なミサトだが、

自分のことになると とことん鈍感らしい。

 

 

 

 

「 あ、そうだ 日向君 」

 

楽しげに シンジの料理の話をしていたミサトは、

ふと 思い出したように言う。

 

「 なんですか? 」

 

「 … 悪いんだけどサ、

  第三新東京市の …

  最近の詳細な地図と住民票のデータ

  MAGIから引き出しておいてくれない? 」

 

「 地図と 住民票 … ですか? 」

 

エヴァや使徒とはまるで関係無い注文に

マコトは思わず 首を傾げた。

 

「 一般市民に

  クリスマスパーティーの案内状でも配るんですか? 」

 

冗談を口にしながら

とりあえず 言われたままにキーボードを叩く。

それほど難しい注文でもないが、

データの量としては 非常に多い。

 

こんなものを いったい何に使うのだろう?

 

「 沢山の人を招待したいのは山々なんだけど、

  どうやら “招かざる客” まで

  来てるみたいでね。 」

 

ミサトは意味ありげな言葉をつぶやき、

マコトの肩にポンと手をのせると …

 

「 んじゃ ヨロシク 」

 

首を傾げた彼をそのままに、

軽い足取りで 発令所を後にした。

 

 

 


 

 

年末のかき入れ時と言う事で、

商店街は活気に包まれている。

 

波のような買い物客と

それを呼び込む商店街の人々。

 

気を抜くと流されてしまいそうな人込みである。

 

「 これじゃあ前に進めないね … 」

 

白いスーパーのビニール袋をさげたシンジは

あまりの人の多さに 苦笑いを浮かべた。

まるで満員電車か 何かのお祭りのようである。

 

男であるシンジは まだ良いほうだ。

体が小さくて華奢なレイなどは

先ほどから 人波に押し流されて、

しばらくして 泣きそうな顔でシンジのところに戻って来るのを

何度も繰り返している。

 

アスカもまた、手にした買い物袋を

人にぶつけないようにするので精一杯だ。

 

 

「 おっ! お嬢ちゃん、

  今日は鍋物なんかどうだい!? 」

 

そんなアスカに、

魚屋のおじさんが 威勢の良い声をかけた。

 

見ると発泡スチロールの箱に、

美味しそうな魚が沢山入れられている。

 

「 …… 」

 

しかしながら ゼロは料理ができない。

料理人をコピーすれば料理もできただろうが、

料理などまったくできないアスカをコピーしたのだから

当たり前と言えば当たり前である。

 

「 どうだい? 安くしとくよ。

  … 美味しい晩御飯作って、

  彼氏を驚かせてやりなよ。 」

 

そんなアスカに向かって、

おじさんは彼女の背後にチラリと目をやって

意味ありげに笑った。

 

「 え … 」

 

一瞬 何の事だかわからない彼女が後ろを振り向くと、

そこには あたりを見回しているシンジの姿があった。

 

ボッ!!

途端に彼女の顔から火が出る。

 

魚屋のおじさんは

楽しそうに大笑いをした。

 

 

( やっぱり …

  そういう風に 見えるのかな … )

 

ゼロ・アスカは隣を歩いているシンジをチラリと見る。

 

当人達の気持ちはどうあれ、

二人で外を歩くと そういう関係に見られてしまうらしい。

 

嬉しいような … 恥ずかしいような …

なんとも言えない気分である。

 

幸い おじさんの言葉を

シンジは聞いていなかったようだが、

もし 聞いていたら なんと答えたのだろう?

 

「 なに? アスカ。 」

 

「 な、なんでもない 」

 

ゼロは慌てて首を振る。

ちょっと思考が 暴走気味のようだ。

 

アスカは気を取り直して

再び歩き出そうとした … のだが、

 

「 … ? … 」

 

どうも先ほどから

シンジの様子がおかしいのに気がついた。

 

しきりにキョロキョロと

あたりの人込みを見回しているのである。

 

「 どうしたの? 」

 

アスカが聞くと、

シンジは困った顔で頭を掻いた。

 

「 … うん …

  綾波がまた はぐれちゃって … 」

 

言われてみれば、

レイの姿が無い。

 

どうやら あの少女は

とことん人の多い場所が苦手なようだ。

 

「 アスカ、

  悪いけど ここにいてくれる?

  ちょっと探して来るから。 」

 

シンジの言葉に、アスカは頷くと

人の流れを少し避けて

道の端っこへと避難した。

 

… シンジとレイが戻るまでの間 …

 

 

別段 する事もないので

アスカはスーパーの袋を持ったまま

ぼんやりと 道を行き交う人々を見ている。

 

「 …… 」

 

人の顔は様々だ。

 

男もいれば 女もいる。

 

太っている人もいれば、

痩せている人もいる。

 

幸せそうな人も、

不幸せそうな人も …

 

どんな人であろうとも、

ゼロは完璧にコピーする事ができる。

 

けれど、ここでこうして立っていると、

ゼロは 自分がゼロと言う名の

バイオロイドである事を忘れてしまいそうになる。

 

彼女には顔がない。

 

名前も … 洋服も …

家族も … 戸籍も … 性格もない。

 

なにもない。

 

あるのは

彼女を作り出した阿川博士の執念のみだ。

 

後は おびただしい数の鉄やネジやコンピューターや

オイルなどの原材料だけが 彼女のすべてだ。

 

 

ここにいる すべての人間になる事はできても、

彼女は ゼロと言う名の人間にはなれない。

 

… どんなにシンジを好きになっても

いずれ アスカと言う少女の意識は

 

消える運命にあるのだ。

 

 

( 今の私は …

  … いったい 誰なんだろう … )

 

ゼロアスカは 心の中でつぶやいて

冬の空を見上げた。

 

 

____ その時

 

「 !! 」

 

突然殺気 … にも似た強烈なものを感じて、

彼女は慌てて周囲を見回した。

 

( … なに!? … この感じは … )

 

敵意だ。

 

しかも 明らかに自分に向けられた。

 

ゼロはあたりを注意深く観察する。

… だが、人が多すぎて よくわからない。

 

( まさか …

  ネルフの諜報部員? )

 

真っ先に思いつくのが、特務機関ネルフだ。

彼女の正体が 彼らにバレれば当然攻撃されるだろう。

 

ウイイイ・・・・ン

 

目のレンズの望遠機能をONに切り替えつつ、

ゼロは後ずさりをして 商店街の脇の小さな路地に入った。

 

もし 彼女を追っている者がいるのなら、

人の少ない場所の方が有利である。

 

「 …… 」

 

何処の商店街でもそうかもしれないが、

ほんの少し 路地に入っただけなのに

周囲の雑踏から完全に孤立して

ヒンヤリと 冷たい空気があたりに流れている。

 

人気もまったく無くなり、

あるのはお店の裏口ばかりである。

 

トクン … トクン … トクン

 

胸のモーター音が 徐々に早くなってゆく。

ゼロはビニール袋をギュッと持ち直し、

周囲に注意を配っていた。

 

___ だが、

 

「 目標がわざわざ自分からはぐれてくれた

  絶好のチャンスなのに …

  随分のんびりしているじゃない? 」

 

ビクン!!

 

「 買い物 ・・

  楽しそうね ・・ ゼロ ・・ 」

 

 

冷たい声は

彼女の背中から突然かけられた。

 

「 あ … 阿川博士!! 」

 

飛び退くように背後を振り向くと、

そこには 金髪をなびかせて …

白衣の女性が仁王立ちしていた。

 

「 あ … ああ … 」

 

驚きで 声が出ない。

 

心臓が震え上がり、冷や汗が … もとい

冷却水が ドッと全身から流れる。

 

そんな彼女の反応に

博士は何も言わず … 

ただ冷たい笑みを浮かべるだけだ。

 

… 恐れていた事が

   ついに現実になってしまった …

 

「 は ・・ 博士 ・・

  今日中には必ず! 必ず綾波レイを! 」

 

嫌な予感が押し寄せて来て、

まだ 何も言われていないのに

ゼロは震える声で必死に弁明をする。

 

自分が罰を受けるくらい構わない。

しかし それよりもっと

恐ろしい事が待っているような気がする。

 

「 ふ、不足の事態が続いただけで、

  作戦は万全です!

  ですから …

  次のチャンスに かならず! 」

 

不測の事態が続いているのは確かだ。

しかし ゼロは気がついていない。

 

貪欲にレイを誘拐するチャンスを狙っていた以前とは違い、

阿川博士の言うとおり、今のような状況になっても

彼女はもう “命令” の事を考えなくなっていたのである。

 

「 もう一度!

  もう一度チャンスをください!

  そうすれ 」

 

「 ゼロ ・・ 」

 

博士はたった一言で

ゼロを黙らせると、

 

切れ長の目を さらに細めた。

 

「 ひっ! 」

 

博士の右手が、

突然

 

ゼロの顔をつかんだ。

 

 


 

 

 

 

ネルフ本部、

第5ブロック ・ 第7研究室。

 

「 あなた達にはこれから、

  簡単な身体検査を受けてもらうわ。 」

 

ふち無しのメガネをかけたリツコは、

整列した三人のチルドレンにそう告げた。

 

「 ・・ はい 」

「 ・・・ 」

 

シンジは短く答え、

レイもその隣で小さく頷く。

 

二人から わずかに離れた場所で、

アスカは心なしか、ぼんやりと立っている。

 

「 … コホン 」

 

リツコはひとつ、

咳払いをした。

 

身体検査は定期的に行われる事で、

エヴァのパイロットにとっては

それほど珍しい事ではない。

 

しかし 次回の定期検査までには

まだ余裕があるにも関わらず、

突然身体検査のスケジュールが入ると言うのは

異例である。

 

少なくともシンジがパイロットになってからは

初めての事だ。

 

「 でも ・・ どうして

  急に検査する事になったんですか? 」

  

サードチルドレンのもっともな疑問に、

赤木博士は 一瞬 ・・

隣のミサトに目をやった後

 

「 一昨日 新しい計測器が届いたの。

  これまでより精密なデータが、

  簡単に計測できるようのなったってフレコミだから、

  その機械のテストを兼ねて ・・

  あなた達の身体検査をしてしまおうと思ってね。 」

 

リツコは淀みない口調で答えると、

彼に向かって小さく微笑んだ。

 

「 ・・ そうだったんですか。 」

 

シンジもつられて笑顔になった。

 

「 ・・・・ 」

 

レイはつられて不機嫌な顔だ。

 

 

「 それにしても …

  いつもは “えぇ〜めんどくさい!” とか

  “時間ばっかりかかるからイヤ!” とか言うのに ・・

  今日はえらく 静かじゃない? アスカ 」

 

頭の後ろで両手を組んで

チルドレンを眺めていたミサトが

軽い声で話し掛けた。

 

だが、アスカはぼんやりと …

焦点の合わない視線を 前に向けているだけだ。

 

「 アスカ? 」

 

心配そうな顔で、

シンジが彼女に呼びかける。

 

「 えっ! 」

 

すると ようやく我に返った彼女は

慌ててあたりを見回した。

 

「 な、

  なに!? え? 」

 

 

「 ・・ もういいわ

  それじゃあ 各位はロッカーに行って、

  服を脱いで 待機してて頂戴。 」

 

リツコは小さく溜息をつくと、

手にしたファイルを閉じた。

 

 

 

 

 

 

「 流石は大人の女、

  嘘がお上手だこと。 」

 

両手を頭の後ろで組んだまま

ミサトが横目でリツコを見て、ニヤリと笑った。

 

「 … あら、

  新しい計測器が届いたのはホントよ。 」

 

薄いふち無し眼鏡を

白衣の胸ポケットに仕舞いながら、

リツコはさも 心外と言った様子だ。

 

「 使徒のデータ採取に転用する予定の技術なんだけど、

  特定の空間の中の物体の体積から 瞬時に質量を

  計測するシステムを導入したのよ。 」

 

「 …

  …… ?? 」

 

ミサトは 首をかしげながら

ニャハハと笑う。

 

「 つまり 体重計に乗らずに 体重がわかるって事。

  あんなに大きな使徒の死骸を

  いちいち体重計に乗せるわけにはいかないでしょ? 」 

 

リツコ先生のやさしい説明に

ミサトはようやく首を縦に振った。

 

「 へー ・・ 最新なんだ。 」

 

「 そ、 最新なの。

  … もっとも、

  機械のテストなんて とっくに終わっているけれどね。 」

 

完璧主義者のリツコが、

チルドレンのデータ採取などと言う 大事なもので

機械のテストなどするわけがない。

 

もっとも、

子供達にそんな事がわかるわけもないが。

 

「 覚えておくといいわ? ミサト。

  巧い嘘をつくにはね、

  ・・ 真実を少し混ぜるのがコツよ。 」

 

リツコは横目でミサトを見て

得意げに笑う。

 

… しかし ミサトは何故か

シンジ達が消えていったドアをジッと見つめたまま … 

 

ポツリと小さくつぶやいた。

 

「 でも …

  真実を混ぜすぎると

  … 失敗するのかもね。 」

 

 

 


 

 

 

… 外見も同じ。

 

… 声も同じ。

 

… 性格も同じ。

 

食べ物の好き嫌いも、

クセも 記憶も 何もかも同じ二人を

いったいどうやって見分ければ良いのか。

 

… 今から 約10年前

 

大学で出会った ミサトとリツコは

その命題に直面していた。

 

 

ミサトそっくりのロボット … ミサトロボ。

その脅威が去ったとは言え、

いつまた 誰かの姿をしたロボットが

彼女達を狙っているといもわからない。

 

阿川博士を捕まえるか、

ロボットを見破るか …

 

なんにせよ、自衛の手段が必要であった。

 

 

「 手がかりならあるわ 」

 

 

体育着に着替えたリツコは言いながら、

ミサトロボが落としていった 片腕を拾い上げた。

 

断面からは チューブやネジが飛び出していて、

まるで ハリウッドのSF映画の小道具のようだ。

 

「 … 確かに、中身を見れば 一目瞭然だけど …

  それは無理よ。 リツコ。 」

 

ミサトは渋い顔をする。

阿川博士のロボットに生活を脅かされないためとは言え、

疑わしい人物を 片っ端から輪切りにしてゆくわけにはいかない。

 

しかし リツコは首を横に振ると、

 

「 違うわ …

  ここを見て。 」

 

手にしたロボットの 腕の一部を指差した。

  

「 え? 」

 

ミサトが近づいて目を凝らしてみると、

そこにはまるで “焼印” のように

長方形の … 何かのマークが入っている。

 

「 何 … これ … 漢字? 」

 

よくよく見れば、

それはマークではなく … 漢字である。

何かの文章が 彫り込まれているのだ。

 

「 どれどれ? … 」

 

 

『 今世紀最高の天才科学者

     … 阿川博士の作品番号F 』

 

 

「 ……… 」

 

ミサトは 鳩が豆鉄砲を食らったような顔で

リツコを見る。

 

彼女は溜息まりじに 頷くと、

 

「 …… そう。

  あのバカ女は、

  自分の作品には必ず、

  このバカみたいな文字を入れるのよ。 」

 

彼女も 阿川博士にはホトホト

困り果てているようである。

 

 

… 事の起こりは

リツコが高校生の頃。

 

転校した学校に

阿川チヒロと言う生徒がいた事に帰依する。

 

「 … なんだか知らないけど、

  勝手に私をライバル視して 嫌がらせして来たのよ。

  何度も何度も。 」

 

「 嫌がらせ?

  … 今日みたいな奴? 」

 

「 … ええ。

  高校にいる間は しょっちゅうだったわ。

  始めのうちは なんだかドラム缶をくっつけたみたいな

  ロボットを作って、 私に挑戦して来ていたんだけど … 」

 

「 ど …

  どんな高校なのよ … それ … 」

 

リツコの思い出話に

ミサトは思わずツッコミを入れる。

 

「 相手にすると疲れるから

  私はいつも無視していたのよ。

  ロボットも、 どれもロクに歩けないような

  シロモノばかりだったし。 」

 

リツコの下校の時間を狙って

阿川博士が 手作りロボで彼女を待ち構えているのは

当時 高校の風物詩となっていた。

 

そして、

 

『 リツコに対する恨みつらみを叫ぶ阿川女史と

  それを完全無視して帰宅するリツコ。 』

 

『 スイッチオンと同時に爆発。

  もしくは 歩けずに転倒して爆発する阿川博士のロボット 』 

 

『 黒焦げの阿川博士 』

 

と言う図式も

当時の高校の風物詩であった。

 

「 … でも

  ナンバーが上がっていくにつれ

  どんどん人間ぽくなって来たわ。

  今日の ミサトロボットみたいにね。 」

 

「 … なるほど 」

 

まったく想像がつかない世界の話ではあるが、

ミサトは納得顔で頷いた。

 

「 … でも、 

  こんなに人間そっくりのロボットが作れるぐらい

  技術があるわけでしょ? よくわかんないけど

  その 阿川って女には。 」

 

「 ええ。 … そうなるわね。 」

 

「 じゃあ、その技術を使って

  好きなだけ良い仕事について …

  幸せな暮らしができそうなもんだと思うんだけど? 」

 

ミサトの言葉はもっともだ。

 

逆恨みにのみ使用されているこのロボット技術を

世間に公開して 活用すれば、

好きなだけ富も名声も手にいれられるだろう。

 

それを放棄してまで

こんなくだらない事をしているなんて …

 

「 リツコ …

  なんか よっぽど恨まれるような事したわけ? 」

 

「 知らないわよ、そんな事。

  本人に聞いてよ。 」

 

リツコは知りたくも無いと言った顔で

首を振る。

 

だいたい彼女は

阿川博士にヒドイ事をした記憶など何も無いのだ。

 

テストの点数で負けようが、

クラスの人気を奪われようが、

修学旅行で拾った貝が小さかろうが、

気に入っていた男子がリツコに告白しようが、

リツコへの逆恨みに燃え過ぎたために

成績がガタ落ちしようが、

 

そんな事は

リツコの知ったことではない。

 

彼女はもともと クールな性格で

ライバルやケンカには興味が無いのである。

 

だが、そんな理屈が通用するほど

阿川博士は まっとうな人間ではなかった。

 

「 憶えてらっしゃい! リツコ!!

  いつか必ず!!

  私が味わった屈辱を

  貴方にも味わわせてやるわ! 」

 

… その後 …

 

大学に舞台を移し

熾烈を極めた 阿川博士の “ひとり相撲” は

 

リツコだけでなく、

ミサトも巻き込んで …

 

何度か 学長に呼び出しをされるほどの

大事件を起こすまでに至った。

 

 

しかし

リツコが 秘密厳守の

ネルフに就職してしまったためもあり、

 

彼女の大学卒業を期に

コピーロボット騒ぎは

プッツリと 途絶えていたのである。

 

 

 


 

 

 

身体検査の後 …

着替えを済ませ、帰宅という段になっても

アスカの様子は変わらなかった。

 

 

「 ……… 」

 

頭の中に 何かが一杯つまっているような気分で、

人の声も耳に入らない。

 

買い物の途中、

路地裏で阿川博士に会ってから

彼女の心を 困惑と言う名の悪魔が支配していた。

 

( どうしよう …

  … どうしよう … どうしよう … )

 

さきほどから

何回そう繰り返しただろう?

 

ドクン … ドクン … ドクン …

 

心臓の動きは ひとつひとつが大きく、

重く … ゆるやかだ。

 

体が徐々に冷たくなっていくのがわかる。

… とても寒い。

にも関わらず、冷や汗が流れる。

 

顔は青ざめ、唇が徐々に紫色になってゆく。

 

あまりにも大きい苦悩が、

ロボットであるにも関わらず

彼女の体に異常を起こしていた。

 

「 …… 」

 

身体検査を受けてしまった事が不安なのではない。

 

ゼロは人類最高レベルの科学力で生み出された

究極のバイオロイドだ。

 

身長や顔や髪型などの外面的特長は

もちろんオリジナルと100%同じ。

スリーサイズだって ホクロの位置だって同じだ。

 

体重は足の裏にある

マイクロサイズの反重力装置で思いのまま。

その気になれば 0グラム。

つまり浮いている状態にだってする事ができる。

 

心音、血液の流れる音、呼吸音 … その他

人間の体の動きを完全にシミュレートできるので

例え お医者さんが診てもロボットだとはわからない。

手術でもされない限り、彼女の正体がバレる事などありえないのだ。

 

よって ネルフの身体検査の結果など

彼女はまったく気にはしていない。

 

心を埋め尽くしていたのは

先ほどの 路地での一件だった。

 

 

「 …… ぐっ … 」

 

アスカは慌てて首を振る。

思い出す事すら恐ろしい。

 

「 … 大丈夫? 」

 

そんな彼女の様子に気付いたシンジが

身をかがめて アスカの顔を覗き込んだ。

 

「 さっきから様子がおかしいよ?

  どうしたの? 」

 

買い物から帰った頃から無口になり、

顔色も悪いのだ。

シンジでなくても心配する。

 

しかし 彼女は究極の女優でもある。

自らの振る舞いから 正体がバレるなど

あってはならない。

 

「 別に ・・ 大丈夫、

  なんでもない。 」

 

アスカはシンジに向かってニッコリと笑う。

顔色は悪いが、いつものと同じ笑顔で。

 

「 …… 」

 

けれど、シンジの目には それが

“強がり” と見えたようだ。

 

「 あ … 」

 

シンジは驚くアスカを無視して、

前髪を掻き分けて、

彼女のおでこに手を当てる。

 

「 熱は ・・・ ないみたいだけど ・・ 」

 

冷たい頬を暖めるように

シンジは彼女の顔を撫でながら言う。

 

( シンジ君 … )

 

この世のものとは思えないくらい 気持ちが良い。

手のひらの温かさが

彼女の苦悩を和らげてくれるようだ。

 

「 風邪かもしれないよ …

  早く帰ろう、アスカ。 」

 

シンジはアスカの頭を

優しくなでながら微笑んだ。

 

そんな彼の笑顔に

ゼロは少し … 泣きそうな顔になった。

 

「 あ … あの … 」

 

「 なに? 」

 

唇を震わせながら …

次の言葉を捜すけれど、

 

「 ……

  … ううん

 

  なんでも … ない 」

 

彼女は首を小さく振って

ぎこちなく笑った。

 

悲しそうな …

何もかも諦めたような …

 

なんとも言えない表情だった。

 

 

 


 

 

シンジ達が ネルフを後にした頃 ・・・

 

赤木博士は 自室の椅子に背を預けて、

可愛い猫のマークが入ったマグカップで

コーヒーを飲んでいた。

 

 

「 シンジ君の手料理のおかげかしら、

  前の検診の時より ちょっと太ったみたいね ・・・ 」

 

 

先ほどの身体検査の結果は

すでに MAGIが集計と解析を終えて

プリントアウトされていた。

 

リツコの手にした書類には、

文字通りアスカの身体的・精神的なデータが

ほとんどとすべてと言っていいほど詳細に書き出されている。

もちろん 学校などで行われる身体検査とは、

比較にならない精度や情報量だ。

 

「 ま、

  その他には変わったトコロは無し。

  健康そのものね。 」

 

事もなげに言うリツコ。

 

「 あ、そう?

  ・・・ そっかぁ〜 ・・・

  じゃあ あれは見間違いだったのか、やっぱし。 」

 

同じく コーヒーを飲んでいたミサトは

そう言いながら バツが悪そうに頭を掻いた。

 

「 ん〜 ・・ 確かに酔ってたけど、

  大学時代何度も目にした あのマークを

  見間違うハズないと思ったんだけどなぁ ・・ 」

 

ぶつぶつと 何やらつぶやきつつ、

ミサトは立ち上がった。 

 

 

「 ・・ 何処へ行くのよ 」

 

 

「 へ? 」

 

研究室を出ようと、ドアノブに手をかけたミサトの背中に

リツコの飽きれた声がかかった。

 

「 アスカの ・・・ いえ、

  あの子の対策、一緒に考えるんじゃなかったの? 」

 

「 え ・・ だって 今 ・・ 」

 

身体検査の結果に

問題がないと言ったのはリツコのほうである。

 

すると、赤城博士は静かにメガネを外し・・

 

「 ・・・ 言ったでしょ、

  ”前よりも 太ったみたい” だって。 」

 

手を伸ばすと、目をパチクリさせているミサトに向かって

書類の束を差し出した。

 

 

「 う ・・ うそ ・・ 」

 

手渡されたアスカのデータ。

 

その、彼女の ”体重の欄” を見て、

ミサトは絶句した。

 

「 ・・ だいぶダイエットする必要があるわね。 」

 

白衣の胸ポケットにメガネを仕舞うと、

リツコは溜息まじりにつぶやいた。

 

 

そこに書かれていた数字は、

100キロを軽く超えていた。

 

 

 


 

 

 

冬の太陽は沈み …

あたりは一段と寒さを増して来た。

 

街中には帰宅するサラリーマンの姿が溢れ、

葛城家では いつものように

台所から シンジが夕飯の支度をする音が流れている。

 

 

「 …… 」

 

その音を聞きながら …

電気もつけず、薄暗い自室の中で

鏡に向かって立っていたアスカは、

パンパン と 気合を入れるように頬を叩いた。

 

悩んでいても 事態が変わるわけではない。

 

綾波レイ誘拐の任務を背負っている事も

自分がゼロと言う名のバイオロイドである事も

継続中の事実であった。

 

「 …… 」

 

唇をぎゅっと噛み、

目を閉じて 決意を決める。

 

自分にできる最良の選択をするしかないのだ。

 

( もう … チャンスは一度しかない … )

 

汚名を晴らすには

早急に、綾波レイの誘拐に成功しなくてはならない。

 

もともと 自分はそのために

この家に 潜入しているのだから。

 

「 大丈夫、

  成功すれば … 博士はきっと … 」

 

鏡の中の自分に言い聞かせるように呟くと

アスカは自室のドアに 手をかけた。

 

 

 

 

「 あれ … アスカ、

  今 綾波が先に入ってるよ? 」

 

居間に入り、浴室の方へ向かおうとする彼女に

エプロン姿のシンジが 卵をかき混ぜながら話し掛けた。

 

レイは一番風呂の後で、

シンジの夕食の準備を手伝ってくれる事になっているのだ。

 

しかし アスカは歩みを止めず、

 

「 … 知ってる。 」

 

シンジのほうを見ないでそっけなく答えると、

そのまま脱衣所のドアを開けて

中に入ってしまった。

 

「 …… ? 」

 

シンジは卵をかき混ぜながら

小さく首を傾げると …

そのまま台所へと戻って行った。

 

 

これを逃せば

チャンスはもう無い。

 

曇りガラスの向こうには、

肌色のシルエットがある。

 

「 …… 」

 

アスカはその場で手早く

着ていたものを脱ぐと、

 

タオルを手に、

ガラッと バスルームのドアを開けた。

 

「 え … 」

 

白い湯気の向こうで、

湯船につかっているレイが振り返った。

 

「 … たまには一緒に入らない? 」

 

手にしたタオルを持ち上げながら、

全裸のアスカは ニッコリと笑う。

 

まるで 楽しいいたずらを考えついた

子供のような笑顔だ。

 

「 …… 」

 

湯船の中で 驚いた顔をしていたレイは、

ジッと アスカの青い瞳を見つめると …

 

 

「 いいわ 」

 

硬い表情で 短く答えた。

 

 

 


 

 

トン ・ トン ・ トン

 

( 風邪ひいてるなら、

  お風呂はやめたほうが良いのにな … )

 

台所で リズミカルにネギを切りながら、

シンジはまるで お母さんのような事を考えている。

 

( やっぱり 今日のアスカは変だよな … )

 

調子が悪そうにしていたと思えば、

今度は レイと一緒にお風呂に入りたがる。

 

鈍いシンジでも、

彼女の様子がおかしいと気付いていた。

 

「 それに … 二人で入るには

  狭すぎると思うんだけどな … 」

 

前とは違い、レイとアスカの仲は良い。

 

けれど 二人で一緒にお風呂に入るなどと言い出したのは

むろん 今日が始めてである。

 

「 どうしたんだろ … アスカ … 」

 

コトコトと煮立つ味噌汁の中に

刻んだネギを入れながらシンジが首を傾げていると、

 

プシュー!

 … ガシャ!!

 

「 うい〜!!

  たっだ〜いま!! 」

 

玄関の自動ドアが勢い良く開き、

葛城家の大黒柱の声がした。

 

 

「 もう …

  また飲んで来たんですか? 」

 

ミサトのコートを両手で持ち、

シンジは呆れた顔で言う。

 

「 いやん♪

  シンちゃん 怒っちゃいや♪ 」

 

赤い顔で上機嫌のミサトは

シンジにまとわりつきながら … 居間に入った。

お酒の匂いは それほどキツクない。

 

「 ちょびっと飲んだだけだから、

  ちゃんとご飯も食べるからね♪ 」

 

滅多な事では怒らないシンジであるが、

何の連絡もなく 外食して

せっかく作った手料理を食べないとなると

あまり良い顔はしない。

 

それを知っているミサトは

甘い声でシンジのご機嫌をとる。

 

「 … ところで シンちゃん? 」

 

「 なんですか? 」

 

「 アスカは何処行ったの? 」

 

ハンガーにコートを掛けているシンジに

ミサトが聞く。

 

「 今、お風呂に入ってますよ?

  … 綾波と一緒に。 」

 

「 …

  へー … 」

 

シンジの言葉を聞いて

ミサトはピクリと 片方の眉を上げた。

 

「 綾波が入ってるって 止めたんですけど、

  アスカはそのまま入っちゃって … 」

 

言いながら シンジが部屋の中に向き直ると

ミサトは靴下を ポイポイと脱いで …

 

「 んじゃ、

  私も一緒に 入っちゃおうかなぁ〜 」

 

そのまま フラフラと脱衣所へと近づいて行った。

 

「 ちょ … 無理ですよ、

  まだ アルコールだって抜けてないのに! 」

 

シンジは驚いた顔で 彼女に言うが、

ミサトは満面の笑顔で

 

「 いいの♪ 」

 

と 軽く答えると、

そのまま 脱衣所へと入って行ってしまった。

 

 

ついに 三人が消えていった

バスルームのほうを見ながら

 

「 ど …

  どうなってるんだ? 今日は … 」

 

エプロン姿のシンジは

呆然と立ち尽くしていた。

 

 


 

 

「 どうしたの? 」

 

シャワシャワと白いあぶくを出しながら

頭を洗っていたレイは、

湯船の中から じっと自分を見つめている

アスカの視線に気が付いた。

 

「 あ、 いや …

  えーっと … 」

 

彼女を拉致する方法について

考えていたなどと言えるわけもなく、

アスカは慌てて言葉を探す。

 

「 き、 綺麗な肌だなぁーっと 思って … 」

 

 

「 … そう? 」

 

レイは不思議そうな顔で、

あぶくだらけの自分の手を見つめる。

 

「 うん。

  白くて … とても綺麗よ。 」

 

口からとっさに出た その場しのぎとは言え、

レイの素肌が目を見張るほど美しい事は事実だ。

 

透き通るように白い肌には

ホクロもシミも何一つなく …

お風呂場で見る彼女の裸体は

まるで 剥きたての桃を連想させる。

 

「 … ありがとう 」

 

誉められて 悪い気はしない。

どういう肌が美しいのか? 

いまいちレイはわかっていないようだが

彼女は嬉しそうに微笑んだ。

 

「 … うん … 」

 

無防備な彼女の笑顔に

アスカも思わずつられて微笑む。

 

… チャプン♪

 

「 …… 」

 

だが、 こうしてのんびりと

お風呂に入っている場合ではない。

もう 彼女に残されたチャンスは一度しかないのだ。

 

事態は一刻を争う。

 

「 …… 」

 

( 案の定 … 

  この窓から外に出られるわね … )

 

ゼロが風呂場を選んだのには

いくつかのワケがある。

 

まず

葛城家のバスルームの窓が広く、

その気になれば 人間が外に出られるくらいの

大きさであると言う事。

 

そして その窓が

裏の山に面している事だ。

 

見晴らしのためと、

外から覗かれないために そうなっているのだろうが、

ゼロにとって、これは かなり好都合である。

 

もし レイを拉致し、

窓から外に出たとしても …

そのまま裸で街中を逃げ回る事はできない。

 

ネルフの諜報部員が何処から監視しているのかもわからない以上、

森の中に隠れながら博士の研究所まで行くのが

一番確実な方法だと考えたのである。

 

( このマンションから見て …

  北東に向かえば一番近いわね … )

 

「 何を …

  考えているの? 」

 

湯船に肩までつかり、

真っ赤に茹で上がりながらも、真剣な顔つきのアスカに

レイが思わず声をかけた。

 

「 えっ! 」

 

「 今日は … 様子がおかしいわ。 」

 

洗った手ぬぐいを絞りながら

レイはわずかに顔をしかめる。

 

彼女も又 シンジと同じく

アスカの異変に気付いていたようだ。

 

「 べ、別に私は … 」

 

また 取り繕おうとして …

ゼロはそこで言葉を止めた。

 

確かに こうして一緒にお風呂に入っている時点で

十分 “変” に見られているであろう。

そう言われても 無理は無い。

 

「 まあ …

  ちょっと … 悩んでてね … 」

 

ゼロは苦笑いを浮かべながら、

わずかに本音を口にした。

 

「 …… 」

 

「 あ、でも

  たいした事じゃないの … 大丈夫。 」

 

心配そうな顔をするレイに、

アスカは慌てて否定しつつ …

 

( あなたが協力してくれれば … )

 

心の中で ポツリと一言

付け加えた。

 

 

彼女が大人しく捕まり、

阿川博士の元へ行ってくれれば

何も悩む事はない。

 

すべては

このチャンスにかかっているのだ。

 

「 …… 」

 

もう 迷ってはいられない。

 

周囲を気にして 穏便な方法をとっている余裕もない。

ゼロの心は すでに決まっていた。

 

ザバーッ …

 

シャンプーの後の

リンスをしているレイ。

 

アスカは湯船から立ち上がり、

一歩 … 彼女の背中に近づくと、

茹で上がったピンク色の手を

そっと レイの背中に伸ばした。

 

彼女は目を閉じている。

バスルームは完全な密室だ。

邪魔者が入るわけもない。

 

「 …

  … ごめんね … レイ 」

 

小さなつぶやきと共に、

ついにゼロの誘拐計画が開始された。

 

だが まさに その時!

 

ガラッ!

開くはずのないバスルームのドアが

突然勢い良く開き

 

「 はぁ〜い! 」

 

ご機嫌な酔っ払いが

素っ裸で登場したのだ。

 

「 ミ … ミサト! 」

「 ミサトさん … 」

 

「 二人で入るなんてズルイわよ?

  お姉さんも 仲間に入れて欲しーな。 」

 

驚きのあまり

呆然としている二人に ミサトは楽しげな口調でそう言うと、

満面の笑顔でズカズカとバスルームに進入して来た。

 

慌てたのは アスカである。

 

「 ちょっと!あんたバカじゃないの!?

  三人でなんて 入れるわけないじゃない! 」

 

洗い場に三人が座るスペースなどない。

このお風呂場では、どう考えても二人が限界である。

 

「 あーら 大丈夫よ。

  二人が体を洗ってる時は

  誰かが湯船に入っていれば … 」

 

「 そ … それはそうだけど … 」

 

このままの流れでは、

レイの誘拐計画がまた 水泡に帰してしまう。

 

彼女はもう 失敗できないのだ。

失敗しては いけないのである。

 

だが、ミサトは

なおも食い下がるアスカの腕をつかむと、

 

「 いーから いーから!

  ほら!アスカ! 一緒に入ろ! 」

 

「 ち、 ちょっと 待ちなさいよ

  きゃっ!! 」

 

ザブ〜ン 

ドシャー …

そのまま強引に

彼女を湯船の中に引き入れてしまった。

 

 

 

狭いお風呂場と言っても、

入ろうと思えば

入れるものである。

 

湯船の中で、

大きく腕を広げたミサトと

彼女に後ろから抱きしめられるような格好で

アスカが湯船につかっている。

 

「 … はぁ〜 … 極楽 極楽 … 」

 

「 私は暑苦しいわよ!

  … おまけにお酒臭いし …

  まったくもう。 」

 

お決まりのセリフを口にするミサトと

不機嫌そうなアスカ。

 

「 なぁ〜によ、

  つれないこと言わないで、ね?アスカ。 」

 

彼女をなだめながら、

ゆったりとお湯につかり …

 

ミサトはチラリとアスカの首筋。

うなじのあたりに視線を走らせる。

 

彼女はいつもの髪型ではなく、

湯船に髪が落ちないように アップにしているので

普段は見えないうなじが 良く見える。

 

「 …… 」

 

見間違いではない。

そこには あのマークがしっかりと

刻み付けられていた。

 

( やっぱり … そうなんだ … )

 

2日前の晩、

 

酔っ払って アスカの背中に抱きついた時に、

髪の毛の隙間から見えた アザのような文字列は

やはり見間違いではなかったようだ。

 

( この子 …

  気付いてないんだ … )

 

 

「 な … なによ … ミサト 」

 

「 ん? 」

 

「 私の事 ジロジロ見て … 」

 

「 べっつに〜?

  おっきくなったなぁと思って♪ 」

 

ミサトはそう言うと、お湯を揺らしながら

ガバッと彼女に抱きついた。

 

むにゅ

 

「 きゃー!!! 」

 

アスカの悲鳴がバスルームにコダマする。

 

「 どこ触ってんのよ!変態! 」

 

「 ん〜 … 前よりだいぶおっきくなったわね。

  何センチアップ? 」

 

「 や、 やめてぇ! 」

 

バシャバシャとしぶきをあげながら

逃げ惑うアスカを抱きすくめて

ミサトは彼女の胸をすき放題に触っている。

 

「 んも〜 … このおっきなおっぱいで

  毎晩シンちゃんを悩ましてるのね、アスカは 」

 

「 バッ! バカ!!

  何言ってんのよ! 」

 

「 私も … 湯船に入りたい … 」

 

「 ちょっと!レイ!!

  このバカ なんとかしてぇ!! 」

 

しばらく そんなバカ騒ぎを

続けていた 三人だったが …

 

___ 突然、

 

「 うっ ・・・ 」

 

ミサトが奇妙な声を出して

動きを止めた。

 

「「 ・・・ え? 」」

 

何事かと、

アスカとレイが 彼女のほうを見ると、

 

 

「 急にあばれたから …

  …

  … きもぢわるい … 」

 

 

……

 

… 最悪の酔っ払いである。

 

 

 

 

「 きゃー!!! 」

「 いやー!!! 」

 

ドシーン…!!

 

バスルームから

悲鳴と何かが倒れるような物音が響いた。

 

「 ちょっと!

  凄い音がしたけど大丈夫!? 」

 

いったい何事かと シンジは台所を飛び出して、

エプロン姿のまま 慌てて脱衣所へと駆け込んだ。

 

「 わっ!! 」

 

シンジの目に飛び込んで来たのは

とんでもない光景であった。

 

「 い … 痛たたた … 」

 

バスルームのドアが開け放たれ、

脱衣所に抱き合うような格好で

裸のレイとアスカ倒れていたのである。

 

「 ふ ・・ 二人とも ・・ 」

 

あまりの光景に

逃げ出す事も 目をそらす事も忘れて

シンジが呆然とつぶやく。

 

「 へっ … !? 」

 

彼の存在に一番早く気付いたのは

アスカであった。

 

「 きゃあああああ!!

  見るなぁ! バカあ!! 」

 

彼女は真っ赤な顔で叫びながら、

慌てて片手で自分の胸を隠し、

もう片方の手で そばにあった手桶を投げつけた。

 

無理な体勢からのシュートも

流石は天才少女のコピーである。

 

「 ご、ごめ! 」

パカーン!!

 

手桶は見事に シンジの顔に命中。

 

そのせいか、

刺激的な光景のせいかはわからないが、

シンジは鼻血を出して倒れた。

 

「 あ〜あ、 シンちゃんかわいそ〜 」

 

風呂場からは

ミサトの無責任な声。

 

… 気持ち悪い発言はどうなったのだろうか?

 

 

「 たいへん … 血が … 」

 

起き上がったレイは

シンジの鼻血を見て顔色を変えると、

あろうことか そのままの格好で彼の元に駆け寄り、

そばにあったタオルを 彼の鼻に押し当てた。

 

「 早く … 血を止めないと、

  死んでしまうわ … 」

 

「 ひ ・・ ひょっほ、

  あやなひ ・・ 」

 

素肌を隠そうともしない彼女を前に

シンジはトマトのように真っ赤な顔をして後ずさる。

だが レイは必死である。

 

使徒との戦いで

自分は血だらけになるのは平気でも、

シンジの事となると話は別のようだ。

 

「 アンタも見せるな!! 」

パカーン!

 

そんなレイの後頭部に、

今度は石鹸が飛んできた。

 

「 ホント、

  見ていて飽きない子達ね ・・・ 」

 

1人でのんびり湯船につかっているミサトが

そんな二人を見て くすくすと笑う。

 

 

____ だが、

 

アスカの様子がおかしい。

 

 

後頭部をさすりながら

うらめしそうな顔で振り向くレイも、

湯船のミサトも 一瞬動きを止めた。

 

 

 

「 …… バカ … 」

 

 

彼女は小さく震えながら、

目にうっすら涙を浮かべている。

 

シンジに見られた事が

そんなにショックだったのだろうか?

… それとも

 

 

「 …… 」

 

レイが口を開いて

何か言おうとしたのだが …

 

アスカは急に立ち上がり、

バスタオルを体に巻きつけると

 

「 うっ … 」

 

口元を手で押さえ、

涙をこらえたまま …

逃げるように 脱衣所を出て行ってしまった。

 

 

「 アスカ ・・ 」

 

酔っ払っていたはずのミサトは

何故か真剣な顔で、

彼女の後姿を見送った。

 

 

 

「 綾波 … あの 

  台所に戻るから 手 離してよ … 」

 

「 だめ …

   安静にしなければいけないわ 」

 

「 じ、 じゃあ

  目 閉じてるから …

  せめてそこのバスタオルを … 」

 

「 いかりくん 

  私の膝に頭を乗せて。

  高くして … 」

 

 

最後まで、

シンジの鼻血の一番の原因が

自分である事に気付かない

レイであった。

 

 

 


 

 

「 … クア? 」

 

… 深夜

 

みんなが寝静まった 静かな月明かりの青いリビングで、

寝床に戻ろうとしていたペンペンが立ち止まった。

 

テレビのそばの カーテンの横に …

アスカが1人、

絨毯にペタンと座り込んで、

窓の外の 夜空の月を見上げている。

 

いったい 何をしているのだろう?

 

「 … クー? … 」

 

彼女に近づいていき、

ペンペンが不思議そうな鳴き声を上げると、

 

「 ……

  なんだ … ペンペンか。 」

 

アスカは振り返り、力無く笑った。

 

 

青い月の光に満たされた部屋の中は

とても静かで …

遠くの山の風の音が 小さく聞こえるだけだ。

 

「 ちょっと … 眠れなくてね … 」

 

アスカはぼんやりとした口調でつぶやくと、

ペンペンを抱き上げ、

自分のおなかのあたりに そっと座らせた。

 

チッ … チッ … チッ …

リビングの時計が 時を刻む音が聞こえる。

 

アスカは黙って …

ペンペンの フサフサしたお腹を撫でながら、

夜空の月を見上げている。

 

「 クキュー … クルー? 」

 

ペットとは言え、葛城家の住人。

いつもと様子の違う彼女を見上げながら、

ペンペンは心配そうな声を出した。

 

「 … 優しいね … ペンペンは … 」

 

アスカはペンペンを撫でながら、

笑顔で答える。

 

 でも、 大丈夫。

  …

  …… なんでもないよ。 」

 

口ではそう言っているけれど、

 

ぼんやりとした 彼女の視線は

膝の上のペンペンを素通りして …

何処か遠くを見ている。

 

「 なんでも ・・ ないよ。 」

 

ぼんやりとペンペンを撫でながら、

アスカはそう 繰り返す。

 

もしかしたら …

彼女は自分にそう、

言い聞かせているのかもしれない。

 

「 クア … 」

 

心配なのか、

ペンペンは フサフサした羽根で

アスカの頬を触った。

 

「 ペンペン … 」

 

すると、アスカは感極まったように

ギュッと彼を抱きしめた。

 

「 クキュッ 」

 

「 あたし …

  あたし … どうしたら … 

  … どうしたら … いいの … 」

 

寒いわけでもないのに、

四肢に激しい震えが走る。

 

ペンペンの背中に顔をうずめて、

アスカは涙を流さずに泣いた。

 

 

―― 本当に ・・・ シンジ君を ――

 

あれから数十回、いや 数百回繰り返した問いが

頭の中で また鳴り響く。

 

ゼロにとって、

博士の言葉に従う事は当然の事だ。

 

彼女の奴隷として、

彼女の意のままに動き、使命を果たす。

 

ゼロはそのために、作られた。

そうする事が ゼロが生まれたすべてだ。

 

それが 自然であり ・・・ 絶対であり、

ことさら考えるまでもない ・・・

例えば 人間が息をする事くらいあたりまえの事だった。

 

・・・ だが

 

ゼロであり

アスカでもある少女の心には

あまりにも大きな迷いが存在していた。

 

( 私は ・・・ ゼロ

  ・・ 博士の ・・・

  忠実なバイオロイド ・・・ )

 

最後のチャンスを失った彼女に、

 

もう 選択の余地はなかった。

 

 

 


 

 

「 博士!!

  もう一度! もう一度チャンスを!!

  綾波レイは 必ず今日中に!! 」

 

頭を鷲づかみにされたまま、

ゼロは必死に訴える。

 

本当はわかっていた。

 

最悪の予想だが、

考えなかったわけじゃない。

 

「 ゼロ … 」

 

頭をつかむ手に

グッと力が入り、

 

「 あぐっ … 」

 

ゼロは言葉を無くす。

 

「 失望させないでちょうだい …

  わかってると思うけど、

  私は不良品に興味は無いわ。 」

 

博士はそう言って薄く笑う。

すると 次の瞬間

 

「 !! 」

 

ビクン! と ゼロが体を震わせた。

 

音を立てて、

持っていたビニール袋が路上に落ちる。

 

彼女の体を射抜くように、

“命令” と言う名の電気が走り抜けたのだ。

 

「 … ふふ … そう。

  それで良いのよ … 」

 

博士が満足そうに手を離すと …

ゼロ・アスカは 崩れ落ちるように道に座り込んだ。

 

「 はぁ … はぁ … はぁ … 」

 

滝のような冷や汗が

ビッショリと体を伝っている。

 

荒い息をしながら、

彼女は全身を包み込む恐怖に

目を見開いていた。

 

 

「 … 良いわね? ゼロ 」

 

そんな彼女を見下ろしながら、

博士は口を開く。

 

「 任務の妨げになるのなら …

  あの少年を …

  …

  碇シンジを 

 

 

 

 

  … 消去なさい。 」

 

 

 

 

・・・

冷たいアスファルトに両手をついたまま、

 

 

「 …

  … ハイ … 」

 

 

ゼロは消えそうなほど小さな声で

主人の命令に答えた。

 

 

 


 

 

 

時計は 深夜2時を回っている。

 

「 …… 」

 

アスカの部屋のドアを背にして …

ジッと立ち尽くしていたゼロ・アスカは

唇をかみ締め …

 

行動を開始した。

 

 

袖口のボタンを外して、

ピンク色のパジャマの袖をまくり、

白い右腕を露わにする。

 

「 … スゥ … 」

 

軽く息を吸って

意識を集中させると …

 

シュゥゥゥー …

 

彼女の腕だけが、

まるで 水アメのように溶け始め …

やがて それは銀色のサーベル状に変化した。

 

ぬらり …

としか 形容できない光が反射する。

 

この世のどんな名刀にも負けないであろう 

ツヤ、輝き、そして鏡のような美しさ。

 

ブウゥゥ… ン …

 

芸術的な曲線を描くサーベルの刃の部分には、

わずかに金色の光が灯っていて …

それが ”発振” している事を伺わせる。

 

エヴァンゲリオンに搭載されている、

プログナイフなどと同じ、最新兵器の機能だ。

 

昔ながらの形状とは裏腹に、

その切れ味は凄まじいものがあるだろう。

 

やはり …

彼女はロボットなのだ。

 

右腕を 銀色の剣と化したゼロの姿は、

もはや人間のそれではなかった。

 

「 …… 」

 

彼女は顔を上げた。

 

視線の先にあるもの …

そう、 それは

 

床に敷いた布団で

静かな寝息をたてている、

シンジの寝顔であった。

 

 

ギギ ・・

 

踏み出した彼女の足元で

床がわずかに軋む。

 

( …… )

 

この音で 彼の目が覚めたら、

きっとアスカは すぐにこの醜い腕を隠して

いつものように笑えるだろう。

 

( 起きて ・・ シンジ君 ・・・ )

 

足が …

足が鉛のように重い。

 

ギギ ・・

 

(  ・・・ 起きて、 

   どうしたの? アスカ って ・・・ 言って ・・ )

 

心で思う事と、

彼女の体は繋がらない。

 

バカな願いを抱きながら、

無常にも彼女の足は 静かに眠るシンジの傍へと

たどり着いてしまった。

 

寝顔を見てはいけない

 

決心が揺らいでしまう。

 

 

 

いけないのに

目をそむける事ができない。

 

( アスカ … )

 

耳の奥で、

シンジがそう 優しく呼ぶ声が聞こえる。

 

( ぐっ … ング … )

 

シンジの寝顔を見つめ、

ブルブルと震えながら …

ゼロは右腕を高く振り上げた。

 

( …… )

 

命令は絶対だ。

 

それに従う事は

作られたバイオロイドにとって、存在意義そのものだ。

 

命令に逆らうなど …

彼女にはとうていできるハズがない。

 

… それなのに、

振り上げた腕が動かない。

 

このまま、

もし このまま右腕を振り下ろせば、

間違いなく彼の頭を 床ごと貫通してしまう。

 

「 …… 」

 

足がガクガクと震え、

ゼロの中の アスカの心が

悲鳴に近い声をあげて泣いているのがわかる。

 

「 ぐ ・・ ぎぎ ・・ 」

 

それでもモーターの回転数は上がり、

少しずつ・・ ゼロの腕は動いてゆく。

 

心と体が完全にバラバラになってゆく。

 

その あまりにも悲しい感覚に、

ゼロの ・・ いや アスカの瞳に 涙が溢れる。

 

( ワタシ ハ … ゼロ

   ワタシ ハ チュウジツ ナ … シモベ )

 

ジジ … ジジジ …

 

嫌な音と共に 首の後ろ ・・

うなじあたりが 燃えるように熱くなる。

 

彼女の意識や命令の中枢。

バイオロイドにとっての ”脳” と言うべき

中央回路が 何本かショートして焼き切れた。

 

初め出合った、

誰よりも好きな人を … 殺したくない。

 

しかし 博士のロボットである以上

プログラムされた命令に

違反する事はできない。

 

それに

博士に捨てられたら …

彼女の居場所は この世にはなくなってしまう。

 

そう、彼女は

死んでしまうのだ。

 

 

「 ん …… 」

 

シンジが小さく 寝言を言う。

 

ゼロにとって 残酷なほど

安心しきった寝顔だった。

 

「 ぐ … ぐぎ … ぎ … 」

 

押し殺した嗚咽とともに

彼女の目から溢れた涙が、

ポタポタと シンジの枕の上に落ちる。

 

 

ゼロ・アスカは呼吸を止めた。

 

 

ギュッと目を閉じ、

何もかも すべて奥歯で噛み殺して、

 

 

彼女は その光る剣を

一気に振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

博士の非情命令により、

クリスマスパーティーを前にした葛城家に

悲劇が訪れた。

 

ゼロの行く先にあるのは

光か … はたまた闇か。

 

そして 明らかになる

 

阿川博士とリツコの

禁断の過去とは …

 

 

次回 零・明日香 最終話を待てっ!

 


 

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