午後の暑い日の光が
ブラインド越しに射し込むロッカールーム。
「 ふぅ ・・
毎週 この時間だけは 憂鬱だわ ・・ 」
扉を開いた白衣の女性が溜息混じりに呟いた。
美しく染まった金髪に 切れ長の目。
印象的な 泣きぼくろ。
赤木リツコにとって、毎週月曜日のこの時間は
一週間で一番溜息の多い日である。
「 嫌いと言うわけじゃないんだけど ・・
好きでもないのよね ・・ 」
お昼時を過ぎたこの更衣室には
彼女以外 … まだ誰の姿もない。
時折 窓の外から楽しげな笑い声が聞こえるだけで
広いロッカールームは静まり返っている。
「 ふぅ … 」
別に自慢をするわけではないが、
勉強は人より かなりできる彼女である。
加えて容姿も端麗。
スラリと伸びた長い手足に
透き通るように白い肌。
脱ぎ捨てたブラウスの下から現れた
ふくよかな胸を見るまでもなく
プロポーションだって良い。
・・ しかし
「 体育の授業の前は
いつも憂鬱だわ ・・ 」
運動はどうにも
不得意なのだ。
もともと マラソンをしながら
走る理由を考えてしまうような彼女である。
加えてチームプレイもそれほど得意なわけではなく、
特に 球技ともなると 悲惨と言っても良い状況だ。
ソフトボールで空振りし、
バスケットゴールにとことん嫌われ、
バレーのサーブはネットを越えたためしがない。
「 赤木は勉強のほうは完璧なんだがなぁ ・・ 」
彼女の中学と高校の担任教師は
まるっきり同じセリフを言った。
・
・
「 大学に来れば
体育からは 開放されると思ってたのに ・・ 」
一般的なイメージからすると
大学と体育の授業は似合わないかもしれないが、
もちろん単位を有する科目として 体育は存在する。
確かに 大学である以上、やりたくない場合は
その科目を選択しなければ良いだけの話だが、
彼女が籍を置く 第二東京大学は
セカンドインパクト後の 急速な少子化に沿った
新しい教育方針として 『 文武両道 』 を掲げ ・・
『 混乱の時代を 逞しく生き抜く若者になれ 』 と、
最低でも 一度は体育の授業を選択する事を
学生の義務としたのである。
・・ 俗に言う “必須科目” と言うやつだ。
「 ・・ ふぅ ・・ 」
その結果、
リツコは 毎週月曜日の昼下がり …
こうして スカートのファスナーを降ろしながら、
溜息をつく事になってしまったのだ。
ガチャ!
キィーーーッ・・
ロッカールームの入り口のドアが
勢い良く開いたのは、丁度その時であった。
「 !! 」
思わず傍にあったタオルをつかんで振り返るリツコ。
だが、そこには最近大学でよく話をする
見知った女性の顔があった。
「 なんだ ・・
脅かさないでよ、葛城さん。 」
「 あはは ・・
まだ 誰もいないと思ってた ・・
ごみん 」
彼女の名前は 葛城ミサト。
日本人離れしたプロポーションでありながら、
純和風の整った顔立ちの女性だ。
… いろいろな意味での
この大学の有名人である。
理由の半分は彼女の苗字に。
後の半分は
彼女の性格と容姿が原因だ。
「 それにしても …
“ミサト” で良いって言ったでしょ?
私も親しみを込めて “リツコ” って呼ぶから。 」
まだ数回しか顔を会わせた事がないにも関わらず、
実に フレンドリーな話し方だ。
もっとも … 彼女は例え初対面の相手であっても、
まるで十年来の友人のように親しげに話しかけてくる。
「 良い? リツコ。 」
「 え … ええ。 」
一見 とても素敵な事のようにも見えるが、
それは 彼女に “本当の友達がいない” 事も意味している。
もしかしたら
笑顔の裏でまったく別の事を考えている …
そんな女性なのかもしれないと
リツコは密かに思っている。
( …… )
だが ・・
この嫌な疑念は この女性が “葛城” ミサトであり
自分が “赤木” リツコである以上 …
仕方の無い事でもあった。
彼女達の親は あの忌まわしい事件によって、
今では大統領の名前よりも 有名になっているからだ。
「 …… 」
もっとも この時 …
リツコはまさか自分が彼女の
“親友第一号” になろうとは、
思ってもみなかったのだが。
・
・
「 … さてと …
私も準備しないとね … 」
ミサトはリツコの隣に並んで
自分の着ていた服を脱ぎ始めた。
… 彼女とリツコの選択している体育は
同じ時間の 同じクラスなのだ。
しかしながら リツコと違って
ミサトの運動神経はすこぶる良い。
いや … 良いなどというレベルではなく、
この大学で彼女に勝てる者などいないであろう。
前回の授業でも
素晴らしいタイムでトラックを駆け抜ける彼女の姿を見て、
どうして体育会系のクラブに所属しないのだろう? と
リツコを含めた皆で首をかしげたばかりである。
「 そう言えば 葛城さ …
… いえ、 ミサト?
あなたって 部活は何も … 」
リツコが何気なく
隣のミサトの方に顔を向けると、
「 え! な、 なに!? 」
彼女は慌てた様子で
サッと 片手を背中に隠した。
「 … ? どうしたの? 」
見るからに妖しい行動に
リツコが怪訝な顔をする。
「 あ、いや!
なんでもないの!なんでも! 」
ミサトは早口で 何度もそう繰り返すと、
何事もなかったように着替えを再開した。
「 … ? … 」
不信に思いながらも、
あまり疑うのも失礼なので、
リツコも着替えを再開する。
___ しかし
カチャ ・・
ウィィィ・・ン ・・
今度は確かに、何か機械のような
… カメラのシャッターを切ったような
小さな音が リツコの耳に聞こえた。
「 ちょっと葛城さん!?
今、何かしていたでしょう!? 」
「 え!? なに!?
なんにもしてないわよ?? 」
再び片手を背中に隠して 首を振るミサト。
だが リツコは怒った顔で 追及の手を緩めない。
「 背中に隠しているものを見せなさい! 」
彼女は強引にミサトの肩に手をかけると、
背後に隠しているものを奪おうとする。
「 ちょ、ちょっとリツコ!やめて! 」
「 カメラか何か 隠しているんでしょう!?
いった どういう事なの!! 」
ただでさえ広くない更衣室の中でもみ合う二人。
案の定、リツコに押されたミサトが
長椅子に足をとられ … バランスを崩してしまった。
「 きゃっ! 」
背後に倒れるミサト。
「 あっ! 」
リツコは条件反射で手を伸ばし、
ミサトの左手を掴んだ。
間一髪のところで、
リツコはミサトを助け … た … ハズだったのだが、
バキン!!
何かが折れたような金属音が響き、
あろうことか つかまれたミサトの左腕が
“根元から抜け始めた” ではないか!
「 や ・・ やば! 」
ミサトの慌てた声。
そして
ブチ! ブチブチブチ!!
肩と腕をつないでいた 無数のチューブらしきものが
音を立てて、ちぎれ飛んだ。
・・
・・・
静寂が更衣室を包み込む。
・・
「 痛たたたた …… 」
突然の出来事に リツコは顔面蒼白で
床に尻餅をついたミサトを見下ろしている。
何しろ彼女はまだ、 “とれてしまった”
ミサトの左腕をつかんだままなのである。
「 …… 」
いったい何が起こったのだ?
そもそも人間の腕がそんなに簡単にとれるわけがない。
それに 完全にとれてしまったにも関わらず
肩からも、抜けた腕からも血の一滴も流れていない。
その代わりに 床に散乱しているのは
透明のチューブの破片や ネジ … 金属のカケラなど。
「 あ …
あ … あなた 」
ショックから立ち直り、
再び動きはじめたリツコの脳味噌は
ようやく ある結論に達した。
「 あなたっ!!
阿川チヒロの ロボットねっ! 」
「 くっ! 」
金属と細かな機械が剥き出しになった肩口を押さえ、
ミサトそっくりの女性は 苦々しい顔をした。
すると
まるで彼女の その言葉を待っていたかのように、
キィー・・・ッ
今のドタバタの衝撃のせいだろうか?
奥のロッカーのドアが ひとりでに開き…
「 ももむ!! もむ!!
むむももももー!!!! 」
なんと中から イモムシのようにロープでぐるぐる巻きにされた
本物のミサトが現れたのである。
「 葛城さん! 」
確かに このミサトロボットにとって
本物のミサトは邪魔な存在だろう。
なんとオリジナルのミサトは
リツコが更衣室に入る前から
ロッカーの中に監禁されていたのだ。
「 やっぱり!!
こっちが本物で、あなたはロボットね! 」
抜けた左腕を投げ捨て、
リツコは ミサトロボに向かって指をつきつけた。
「 ふふっ …
大学の入り口でも、授業中も、
食堂でも 誰一人気づかなかったのに!
よくぞ見破ったわね!流石よ!赤木リツコ! 」
抜けた腕 ・ 散らばる部品 ・ 本物の登場 ・・・
ここまで来たら 誰だってわかる。
「 葛城さん … 大丈夫? 」
ゼロの自慢気な声を無視して、
リツコはイモムシのように転がっている
ミサトの縄をほどいてやった。
「 ん ・・・ むぐ ・・・
むむーーー ・・・ っ ・・ ぷはっ!!
はぁ ・・ はぁ ・・ あ、 ありがと … 」
ミサトロボは その隙にジリジリと後ずさり…
二人から間合いを広げてゆく。
「 だが 少し気付くのが遅かったようね!
あなたの着替え写真は このカメラに
バッチリ写させてもらったわ! 」
先ほどから背中に隠していたのは
やはりカメラだったのだ。
ミサトロボは残った右腕で、
誇らしげに インスタントカメラを見せつけた。
「 これを博士の元に届けて …
大量に焼き増しして 大学内にばら撒いて
あなたの評判をガタ落ちにさせてやるわ!! 」
ミサトロボの口から明らかになったのは
阿川博士の恐るべき陰謀の全容であった。
このままでは明日、全校生徒に
リツコのセミヌードが公開されてしまう。
「 … へぇ …
そのカメラでねぇ … 」
しかし リツコは慌てた様子も無く、
余裕の笑みを浮かべながらミサトロボを見た。
「 ・・・ できるものなら
やってみれば良いわ? … そのカメラで。 」
「 なっ!! 」
もしやと思い、ミサトロボが手の中のカメラを見ると
倒れた拍子に お尻の下敷きになってしまったのであろう、
プラスチックのインスタントカメラは グシャグシャになっていた。
「 そ … そんな … 」
これでは光が内部に入ってしまうどころか、
中のフィルムもグチャグチャになってしまっているだろう。
「 くっ … 無念!! 」
任務失敗を悟ったミサトロボは
悔しそうにリツコを睨むと、
「 憶えてなさい!! この次は必ず! 」
捨て台詞を残して 身を翻した。
「 ま、待ちなさいよ!! 」
そうはさせじと立ち上がったのは
本物のミサトである。
彼女は持ち前の優れた反射神経で
逃げるミサトロボの肩をつかもうとするが、
ブシュー!!!
消火器のような音が響き、
突然視界が 真っ白の煙に覆われてしまった。
「 な、 何!?
ゴホッ … ケホッ … 」
リツコはたまらず咳き込む。
「 煙幕!?
ゲホッ! … ゴホッ … ゴホッ … 」
本物のミサトも 片手で口を覆いながら
なんとか煙を振り払う。
だが、そこには ガラスが破られた
窓のみがあるだけだった。
「 ゲホッ …
こ、ここは3階なのにっ! 」
ミサトが窓に駆け寄ると …
片腕のミサトロボが ヨロヨロと学生達を掻き分けて
逃げて行くところであった。
追いかけたいのは山々だが、
人間が飛び降りれる高さではない。
「 ちょっと!
あいつ 私の姿のまま逃げてったわよ! 」
片腕で ボロボロのミサトが
学校内を走っていたなんて噂が広まったら
迷惑なのは本人である。
「 あれは ロボットなの!?
いったい … どういう事!? 」
そもそも あんなに人間そっくりなロボットがいるなど
聞いたこともない。
「 葛城さん …
いえ、ミサト ・・ 悪いけど、
ちょっと協力してくれないかしら? 」
すると、 外に顔を出して
文句を言っていた彼女の背中に
氷よりも冷たい声がかかった。
「 へ? 」
振り返ると、
咳き込んで 床に座り込んでいたリツコが
ゆっくりと立ち上がった。
眼鏡に外の光が反射して、
彼女の表情はわからない。
「 … 高校にいるあいだの、星の数ほどの嫌がらせ。
負け犬女のヒガミと思って 3年間は許してあげたけど …
大学まで追って来るとわね … 」
彼女は独り言のようにつぶやく。
雰囲気が尋常ではない。
彼女の中で確実に
“何か” が切れてしまっている。
「 でもいいわ …
そっちが その気なら、
私にも考えがあるわ … 」
リツコはロッカーから 自分のバッグを取り出すと、
その中に手を入れて ゴソゴソと何かを探し始めた。
いったい 何を始めるつもりなのか?
彼女は時折
「 クックックッ … 」
と低い声で笑っている。
「 あ … あの …
リツコ … さん? 」
冷静沈着で品のある優等生の
あまりの変貌ぶりに驚き、
冷や汗を伝わせながら …ミサトは顔を引きつらせる。
やがてリツコは自分のバッグから …
一本の 毒々しい緑色の液体が入った
注射器を取り出した。
「 あなたも協力してくれるでしょう? 」
リツコは猫なで声でつぶやく。
「 … あの迷惑女に
死ぬほどキツイお灸をすえてやるわ 」
針先から ピュルッと 緑色の液体が飛び出す。
「 ひ ・・
ひえぇえーーーー!! 」
ミサトの悲鳴をBGMに、
リツコはうっとりと注射器を見つめながら、
エンマ大王でも逃げ出すような
恐ろしい微笑みを浮かべた。
空欄 零・明日香 〜 第3話 〜 空欄 |
「 いや! こないで!
にゃんにゃん来ないで!
猫がっ!!
猫の波がっ!!
イヤ!
いやあああっ!!! 」
・・・ ガシャン!!
勢い良く飛び起きたため
近くに散乱していた本やカップめんの容器が音を立てて崩れた。
恐ろしい鳴き声と あの感触が消え、
見慣れた天井が、阿川博士に
ここが 自分の研究所である事を思い出させた。
「 はぁ ・・ はぁ ・・ はぁ ・・
ゆ ・・ 夢か ・・・ 」
びっしょりとかいた寝汗で
パジャマが肌に張り付いている。
まったく … どうして今頃になって
あの おぞましい体験の夢など見るのだろう …
「 ちょっと …
朝っぱらから何なのよ、いったい。 」
荒い息をついている 阿川博士に話し掛けたのは
縄でぐるぐる巻きになっている イモムシアスカである。
明け方になって 突然うなされ始めたと思ったら、
突然大きな叫び声を上げて飛び起きたのだ。
いくら捕われの身とは言え 非常に気になる。
「 なんかうなされてたけど ・・
いったいどんな夢なのよ、
“猫の波” って ・・ 」
「 言わないで! 」
「 へ? 」
「 二度とその言葉を言わないで!
ああ ・・ 聞くだけでもおぞましいわ ・・ 」
唖然とした表情のアスカが見守る中 …
阿川博士は両手で耳を塞いで
ガタガタと震えている。
… 相当嫌なトラウマなのだろうか?
猫の波 … 大量の猫?
「 ・・ リツコなら
泣いて喜びそうな波だと思うけど ・・ 」
何気ないアスカの呟きに、
博士の震えが ピタッと止まる。
「 リツコ …
リツコめ … 覚えてなさい …
今度はあなたが 屈辱にまみれる番よ … 」
掛け布団をギュッと握り締め、
今度は怒りで肩を震わす阿川博士。
どうやら夢の内容は
リツコにも関係のある事のようだ。
・
・
「 ・・・ それにしても ・・・ 」
汗を流しに シャワールームへ消えた
阿川博士の背中を見送った後 …
アスカはあらためて この地下研究所?の中を見回した。
この地下室での生活も
今日で2日目に突入しつつある。
相変わらず手足は縛られたままなので
満足に動くのは 首くらいのものなのだが …
ずっとソファーに寝転んでいるので
それほど苦痛と言うわけではない。
それよりも 何もする事がないほうが
行動的な彼女にとっては遥かに苦痛だった。
「 …… 」
最初に連れてこられた時は夜で、
満足な光りも灯っていなかったので
周りの様子はほとんどわからなかったのだが、
この地下室は思っていたよりも広い。
地下室 つまり “部屋” と言うよりも
フロアと言ったほうが良いだろう。
四方の壁や床 ・・
天井もコンクリートの打ちっぱなし。
だが 昔レイが住んでいたような部屋の感じではなく
お洒落なデザイン建築と言う印象だ。
今でこそ お菓子の袋やカップめんの容器が散乱し、
10台以上あるであろうコンピューターと
床をのたうちまわるコードの山でグチャグチャだが、
きちんと掃除をすれば かなり良い部屋だとアスカは思う。
さらに地下にも関わらず
天井の一辺には長方形の採光窓があり
朝になると日の光や空気が
まるでライトのように差し込んでいる。
なかなかどうして …
異常な博士にしては 快適な住まいと言えよう。
「 ・・・ でも、
“あれ” が問題なのよね … 」
確かに掃除さえすれば この
いかにも 『 マッドサイエンティストの研究所 』
と言った印象はガラリと変わるかもしれないが、
その前にどうしても処理しなくてはならないものが
この部屋の中にはあるのだ。
「 ・・・・ 」
それは 部屋の奥の壁に山を作っている …
無数の人影である。
もちろん 人間ではない ・・
そう、 それは 何体 ・・ いや
何十体もの ロボットなのである。
「 あれが “ゼロ” ってロボットの
試作機たちって事よね ・・ 」
何度見ても奇妙な光景だ。
大きいもの、 小さいもの。
ずんぐりむっくりした ドラ○もんのようなロボットから
枯れ枝のように細いロボット …
中には人間にしか見えないようなロボットまで
皆 ホコリかぶって粗大ゴミのように置かれている。
折り重なり、からみあっているので
どこがどうなっているのか よくわからない
『 マネキン捨て場 』 と言うものがあるのかアスカは知らないが、
もし それがあるとするならば
こんな感じなのだろう。
なまじ 人のカタチをしているので
正直言って あまり見ていて気持ちの良いものではない。
「 あれは ゼロが生まれるまでの歴史であると同時に ・・
私とリツコの戦いの歴史でもあるのよ。 」
アスカが ロボットの残骸を見つめていると ・・
バスタオルで髪を拭きながら、
阿川博士が 部屋に戻って来た。
「 戦いの歴史? 」
「 そう ・・
私が手塩にかけて作り出した作品が、
あの 忌々しいリツコに敗れていった ・・
長い戦いの歴史よ。 」
博士は不機嫌そうな声で吐き捨てると、
濡れたままの足で そのロボットの残骸へと近づき ・・
何やらごそごそと探し始めた。
( 歴史… って事は、
前にもこんな事件を起こしてるのね、この女 … )
どうやらリツコに対する挑戦と言う名の嫌がらせは
この博士にとっての “ライフワーク“ なのかもしれない。
アスカはその二人の戦いに巻き込まれた、
言わば 被害者なのだ。
「 その証拠に ・・・
例えばこんなものもあるわ。 」
博士の言葉とともに
ロボットの残骸の山から引きずり出されたモノを見て
アスカは思わず声を上げた。
「 ミ ・・ ミサト!! 」
ホコリで汚れ 黒ずんでいて 片腕が無く、
あちこちからバネやゼンマイが飛び出してはいるが…
それはまぎれもなく ミサトそっくりのロボットであった。
「 ・・・・ 」
あまりの事に 言葉が出ない。
なんと言うことだろう、
この女は以前にも、誰かの姿を借りて、
リツコを陥れようと企んでいたのだ。
「 じ ・・ じゃあ アンタ!
まさか ミサトを拉致した事あるの!?
あたしみたいに!! 」
叫ぶアスカに向かって、
博士は冷たい微笑みを浮かべる。
「 あの女に勝つためなら…
私は何でも利用するわ。 」
「 な … なんて奴 … 」
絶句するアスカを尻目に、
博士はミサトロボを瓦礫の山に乱暴に戻し …
「 そして、
その邪魔をするのならば
誰であろうと許さない。 」
強い口調で そう 言い放った。
「 …… 」
もはやアスカの理解の範疇を超えている。
ゴミの山の中で 人間そっくりのロボットと寝食を供にし、
逆恨みにのみ生きる人生 …
これを異常と言わず、何を異常と言えば良いのだろうか?
「 あんた ・・
イカレてるわ ・・ 」
「 お黙り!! 」
鋭く叫ぶと、
博士は首にかけていたバスタオルを
忌々しげにアスカに投げつけ …
椅子の背に掛けてあったいつもの白衣に袖を通した。
「 良いこと?
・・ 私の頭脳は完璧なのよ。
にも関わらず、リツコに負けること ・・
それ “自体” がおかしいの。
宇宙の摂理に反しているのよ。 」
自分の言葉に満足げに頷きながら、
博士はイモムシアスカに近づくと、
彼女のあごをつかんで グイッと自分の方を向かせた。
「 ・・・ だから私は
リツコに負ける機械に興味はないの。 」
彼女にとっての “完璧” とは、
赤木リツコを超えた時のみ 発生するものなのだろう。
そして “彼女に負ける機械” は 博士にとって
“存在してはいけない失敗作品” と言う事なのだ。
「 ゼロは完璧なの。
あらゆる問題 ・・ あらゆるミス ・・
あらゆる欠点は、
ここにある試作機達で すべて克服してある。 」
このゴミの山は
すべて ゼロ という名の一体のロボットの
完成度を上げるために費やされた、
膨大な実験材料だったのだ。
「 ゼロこそは完璧なのよ
誰にも見破られず、
誰にも負けない。 」
博士は恍惚と自尊と
狂気の入り混じった微笑みを浮かべ、
アスカの瞳を覗き込んだ。
「 誰にも ・・
そう ・・ リツコにもよ。 」
「 … なんで …
なんで そんなに あの女を憎むのよ … 」
確かにプライドが高く、
高飛車で デジタルな性格の赤木リツコを
あまり快く思わない人もいるだろう。
だが、アスカの目から見て
彼女がそれほど 人から怒りを買う人間にも見えない。
ましてや この阿川博士は ネルフに対してではなく、
リツコに対しての 個人的な恨みを抱いているのだ。
「 ふっ … 」
アスカの問いを 文字通り博士は鼻で笑い飛ばすと、
近くにあったコンピューターのモニターの電源を入れた。
「 それこそ口に出すのも忌々しいわ。
… まあ良い … あなたは ここで大人しく
これから始まる、楽しいショーでも見ていなさい。 」
暗黒に支配されていたブラウン管に
だんだんと 見慣れた葛城家のリビングの様子が
映し出されてくる。
アスカは文句を言うのも忘れて、
画面の中に現れた少年の顔を食い入るように見つめた。
「 … シンジ … 」
いつもならば 自分がいるハズの場所。
自分が目にするはずの 家族の顔。
しかし 今のアスカには
モニター画面越しでしか
愛しい少年の姿を見る事はできない。
< だからスーパーの後に
商店街のセールに寄ろうと思ってるんだ。 >
ブラウン管の中のシンジは、
本物のアスカが こんな場所で、
こんな思いを抱いているなど露知らず …
いつものようにエプロン姿で
優しげに微笑んでいる。
< いかりくん ・・ 私も行く >
< あ ・・ あたしも! >
オリジナルアスカの見守る中で
レイと ニセモノのアスカ。
つまりゼロの声が スピーカーから流れる。
すると、
「 スーパーの後に
商店街ね … 」
ジッとモニターを見つめていたアスカの横で、
博士が確認するかのように、そう 呟いた。
「 ちょっと ・・・ 」
ギョっとした イモムシアスカは
首を動かして 阿川博士を下から睨みつけた。
「 あんた ・・
いったい何考えてんのよ ・・ 」
だが 博士は彼女の言葉に耳を貸さず、
ニヤリと 一度だけ笑うと、
そのまま 白衣を翻してドアの方へと歩き始めた。
「 ちょっ ・・ 何処行くのよ!! 」
思い込んだら何をするかわからない
このマッドサイエンティストに
何か言い知れぬ不安を感じたアスカが叫ぶが、
彼女は何も答えない。
付けっぱなしのモニターの中では依然として
シンジとレイとゼロ・アスカが
買い物の予定を話し合っている。
「 待ちなさいよ!!
あんたリツコに恨みがあるんでしょう!?
シンジ達を巻き込んだら承知しないわよ! 」
ギィイイ・・・
バタン!!
彼女の必死の言葉を遮るように
重い 鉄のドアは
大きな音を立てて閉まった。
「 くっ!! 」
アスカは悔しそうに動かぬ手足を
必死にバタつかせた。
( …… )
何や嫌な予感がする …
リツコを倒すためには、何でも利用する。
阿川博士はそう言ったのだ。
( なんとか …
なんとかしないと … )
胸騒ぎにせき立てられ、
ここから逃げ出さねばと、
アスカは部屋の中を見回した。
その時!!
「 こんにちは! ぼく のナマエは
ナンバー しっくす!!! 」
「 ひっ! 」
突然
誰もいなくなったはずの地下室に
大きな声が響いた。
「 な ・・ なに!? 」
驚いたアスカは ソファーの上で体を動かし、
声のした方向へ目をやった。
「 うそ …
う ・・ 動いてる ・・ 」
見ると ・・ 先ほど阿川博士が
ミサトロボを引っ張り出したあたりで
一体の 薄汚れたロボットが動いているではないか。
「 ガガッ ・・ ゴんにちは!!
ぼくノ名前ワ … ギギッ
ナンバーシッ シッ ・・・ アナたの生絵ワ! 」
ずんぐりとした図体に、
四角い顔をした 青いロボットだ。
恐らく 博士が動かした拍子で
スイッチが入ってしまったのだろう。
「 コンにちは!! ガガッ …
こハニチは!!
ぼく ・・ ! モナマエわ! 」
ブンブンと腕を振り、
頭を左右に動かして
しきりに声を出しているが ・・
どうやらどこかが壊れているようで、
声が途中でおかしくなっている。
「 ンーーギギッ シックスす …
ブビーーーィイ ・・ エ エ ・エ・エ・エ・ 」
「 なんなのよ ・・
これは ・・ 」
呆然と見つめるアスカの前で、
その ロボットはカクカクと動き
グルグルと頭を回転させている。
やがて その明らかに異常な回転に
部品が耐え切れなくなったのか、
ガキン!!
「 きゃっ! 」
金属の折れる音とともに、
その頭がゴロンと床に落ちてしまった。
ボシュー・・
と同時に、首の穴から吹き出す
白い煙とホコリとゴミとオイルのような液体。
「 ちょ ・・ ちょっと!!
ゲホッ ・・ ゲホッ ・・・ 」
たちまち 密室の地下室は
ホコリが蔓延する ひどい有様になってしまった。
「 ケホッ ・・ ケホッ
… ま、
あの女の言う “完璧” ってのも
たかが知れてるわ ・・ 」
目にうっすら涙を浮かべたアスカは、
床に転がったロボットの頭を見ながら …
心底 呆れた声で呟いた。
「 ん〜 … 」
朝の目覚めは
不思議とスッキリした気分だった。
「 … いい朝だな … 」
ゼロは目を細めながら、
ベッドの脇の窓を 少しだけ開ける。
カーテンの揺らして ちょっと冷たい朝の空気が、
部屋の中に流れ込んで来た。
失敗続きの任務。
そして “碇シンジ” と言う少年が引き起こす
彼女には制御できない 熱い感情。
頭の中を占領していた問題はまだ解決していないが、
少しのあいだ それを忘れられるような、
そんな気分だ。
耳を澄ますと、包丁の トン・トン・トンと言うリズムが
台所から流れてくるのに気付く。
「 … シンジ君 … 」
不思議と心が落ち着く音だ。
「 …… 」
どんなに嫌な事でも、
シンジの事を思うだけで 綺麗に忘れてしまう。
後に残るのは、暖かくて ドキドキして
これからどんな素敵なことが起こるのだろうか?と言う
希望だらけの気分だ。
( 不思議だな …
… こんな気持ち )
それは例えるなら
雨降る憂鬱な月曜日の朝を、
快晴の夏休み最初の朝に変えてしまうような …
宇宙で一番凄いパワーを持っている。
「 …… 」
この気持ちは いったい何なのだろう?
彼女の機械の頭脳をもってしても、
なんとも言葉にできない。
気を抜くと すぐに顔がニヤニヤしてしまう。
頬もなんだか熱い。
見下ろせば、
床の上にはシンジの布団がそのままになっている。
ゼロは ちょっとした背徳感を味わいながら、
遠慮がちに手を伸ばして シンジのマクラを手にとった。
「 …… 」
あたりを見回し、
誰にも見られていない事を確認すると、
急いで マクラをギュッと抱きしめてみる。
「 えへへ … 」
おかしいと自分でも思う。
けれど、 心の何処かで もっともっと
おかしくなりたいとも 思っている。
「 もしかしたら …
これが … 恋 … なのかな 」
他の言葉は思い浮かばない。
彼女の膨大なメモリーの中で、
それが一番 今の気持ちに近い言葉だった。
・
・
< はいはーい!!
今日はここ! 福岡のラーメン激戦地に来ていまーす!
この街にはですね、 なんと32軒ものラーメン屋さんがありまして >
朝からテンションの高いテレビをBGMに
カチャ … カチャ … と 食器の音が響く。
おだやかな時間がながれる、
いつもの 朝の景色である。
「 綾波 … この海苔、美味しいから食べなよ 」
「 うん 」
シンジに勧められて、
レイは自分のご飯の上に 海苔を一枚。
「 あ、これ 味付け海苔じゃないから、
お醤油つけないと 」
シンジは手を伸ばして
小皿を一枚とると レイ用の醤油を入れようとした。
しかし 彼女はいやいやと首を横に振って
「 いかりくんのお醤油 かりる 」
シンジの前の小皿に、
箸でつまんだ自分の海苔を持って行った。
「 … いい? 」
「 いいよ、別にそのくらい。 」
そんな些細な事に いちいち確認をとる彼女に
シンジは少し笑いながら答える。
「 えへ … 」
レイはとても嬉しそうに
海苔を醤油にぺたぺた。
「 … 付けすぎじゃない? それ 」
まるで 新婚家庭の朝食のような情景も、
葛城家では さして珍しくはない。
ただ、そんな二人に
決まって不機嫌な顔をするもう1人の若奥様が…
今日は非常に静かである。
「 … ? 」
レイもそれは気になったようで、
海苔巻きごはんを もぐもぐと食べながら
シンジの向こう側にいる アスカを、
先ほどから不思議そうな顔で見ている。
< そう!! なんと このラーメンには
最後のトッピングとして チーズが入るんです! >
< チーズですか!? >
< ええ。 濃厚なトンコツスープに、これが意外に合うんですよ!
ちょっと失礼して … 食べてみますね。 >
彼女の好物である ラーメンの特集番組に
目を奪われているのではない。
アスカはお箸と お茶碗を持ったまま、
どこか ポーッとした視線で
隣のシンジの横顔を見つめているのだ。
「 …… 」
まさに 心奪われるとはこの事だろう。
彼女のお箸は タクアンを挟んだまま、
ピクリとも動かない。
「 … ? … 」
レイは不思議そうな顔をしながらも、
シンジの背中超しに そっと手を伸ばして、
つんつん と 夢見心地のアスカの脇腹をつつく。
「 食べないと …
冷めてしまうわ。 」
しかし せっかくの忠告も
彼女の耳には届かないようで …
アスカはポーッとシンジを見つめたまま。
「 ……
…
…… はぅ … 」
熱い溜息を吐いただけであった。
・
・
――― こい こひ 【恋】 ――――――――――――――――
(1) 異性に強く惹(ひ)かれ、会いたい、ひとりじめにしたい、
一緒になりたいと思う気持ち。 「―に落ちる」
――――――――――――――――――――――――――
ゼロの電子頭脳の中を検索すると、
このような結果が出る。
気を抜くと すぐに彼のことを考えてしまう。
視線で姿を探して …
用もないのに 傍に行って くっつきたくなる。
その気持ちは とても強く、
まるで 津波のように押し寄せてくる。
何もかも … そう、
“任務を遂行しなくてはならない” と言う
ゼロの意識すら押し流すほど 強いものであった。
…
… いけないと言う事はわかっている。
これ以上好きになってはいけない。
アスカと言う少女の心に
同調してはいけない。
「 …… 」
わかっているのに、
どうにもならなかった。
・
・
「 どうしたの?アスカ
さ 行こうよ。 」
午後にネルフでの身体検査があるので、
今日は午前中に買い物をしておく事になっている。
先に靴を履いたシンジは、
玄関に座り込んで 考え事をしていたアスカに
手を差し伸べた。
「 … あ 」
差し出された手に、
ゼロは一瞬戸惑う。
しかし、
昨日シンジに買ってもらったマフラーを
首にまいたゼロにはもう、
彼のその甘い誘惑から
逃れる事ができなかった。
( …
博士 … ごめんなさい )
シンジの手をとり、
立ち上がると … アスカはドキドキしながら
彼の腕に 自分のそれをからめた。
( でも …
… どうする事もできないんです。 )
これから先の不安も、
任務の事も …
シンジの暖かい感触だけで
すべて消え去るような気がする。
( やっぱり
これが恋 … なんだな … )
もう 疑いようがなかった。
自分はアスカとしても、
ゼロとしても …
「 恋って凄いな … 」
ゼロ・アスカはポツリと呟く。
「 え、何か言った? 」
「 えへ …
… 秘密♪ 」
不思議そうな顔のシンジを見て、
ゼロは心の底から楽しそうに笑った。
今までの
命令に従うだけの日々の中で
思えば ゼロとして笑ったことなど
一度もなかった。
しかし
そんな暗い過去も霞むくらいの喜びが
胸の中で踊っている。
「 さ、行こう! シンジ♪ 」
いつしか
彼女は役に取り込まれていた。
アスカを演じるゼロではなく、
ゼロの夢をみていた アスカとして。
無意識にそうなったのか、
それが自ら望んだ結果なのか …
もう 彼女にもわからなかった。
「 ご苦労さまっ 」
一心不乱に 目の前のディスプレイを睨みつつ、
カタカタと キーボードを叩いていたマコトの目の前に、
にゅっと 赤い物体が出現した。
「 … 葛城さん … 」
いつのまに発令所に戻って来たのか、
マコトが振り返ると、片手にサンタクロースのヌイグルミを持ったミサトが
笑いながら立っていた。
「 もうすぐクリスマスだって言うのに …
面倒な仕事ばかり押し付けちゃって ごめんね。 」
「 いえ …
気にしないでください。 」
ネルフの仕事にはクリスマスもお正月もない。
美人の上司から ねぎらいの言葉があるだけ
まだマシと言うものだ。
「 それに クリスマスと言っても
僕は何の予定もありませんし … 」
苦笑いを浮かべながら
マコトはサンタのヌイグルミを受け取ると、
それをディスプレイの横に座らせた。
「 あら そうなの?
若いのに もったいない … 」
ミサトは肩をすくめながら
まるで近所のオバサンのようなセリフを言う。
「 良いんです …
それに 僕は今、幸せですから … 」
マコトはミサトに聞こえないように
小声で何やらつぶやくと、
顔を赤くして 再びキーボードに向き直った。
情けないと言えば情けない。
しかし ささやかな幸せも 幸せのうちだ。
すると ミサトの口から
予期せぬ言葉が飛び出した。
「 ・・・ それじゃあ
日向君もお誘いしてみようかな ・・ 」
「 え? 」
「 クリスマス … 暇なんでしょ? 」
ミマコトの顔が希望に輝く。
苦節○年 … ついにチャンス到来である。
クリスマスの夜の 男と女 …
しかも 相手のほうからのお誘いだ。
夢を見ているようである。
「 あの … 葛城さん …
それは もしかして …… 」
緊張した面持ちで マコトが言うと、
ミサトは嬉しそうにパンと手を叩き
「 … そうなの!
クリスマスは 私の家で
みんなでパーティーしようって決めててね?
参加条件は 子供達へのプレゼントを持ってくる事なんだけど、
…… 日向君も来る? 」
「 …… 」
所詮現実はそんなものである。
「 ? … どうしたの? 」
心の中でサメザメと涙を流す彼に
ミサトは不思議そうな顔をした。
人の恋路には敏感なミサトだが、
自分のことになると とことん鈍感らしい。
・
・
「 あ、そうだ 日向君 」
楽しげに シンジの料理の話をしていたミサトは、
ふと 思い出したように言う。
「 なんですか? 」
「 … 悪いんだけどサ、
第三新東京市の …
最近の詳細な地図と住民票のデータ
MAGIから引き出しておいてくれない? 」
「 地図と 住民票 … ですか? 」
エヴァや使徒とはまるで関係無い注文に
マコトは思わず 首を傾げた。
「 一般市民に
クリスマスパーティーの案内状でも配るんですか? 」
冗談を口にしながら
とりあえず 言われたままにキーボードを叩く。
それほど難しい注文でもないが、
データの量としては 非常に多い。
こんなものを いったい何に使うのだろう?
「 沢山の人を招待したいのは山々なんだけど、
どうやら “招かざる客” まで
来てるみたいでね。 」
ミサトは意味ありげな言葉をつぶやき、
マコトの肩にポンと手をのせると …
「 んじゃ ヨロシク 」
首を傾げた彼をそのままに、
軽い足取りで 発令所を後にした。
年末のかき入れ時と言う事で、
商店街は活気に包まれている。
波のような買い物客と
それを呼び込む商店街の人々。
気を抜くと流されてしまいそうな人込みである。
「 これじゃあ前に進めないね … 」
白いスーパーのビニール袋をさげたシンジは
あまりの人の多さに 苦笑いを浮かべた。
まるで満員電車か 何かのお祭りのようである。
男であるシンジは まだ良いほうだ。
体が小さくて華奢なレイなどは
先ほどから 人波に押し流されて、
しばらくして 泣きそうな顔でシンジのところに戻って来るのを
何度も繰り返している。
アスカもまた、手にした買い物袋を
人にぶつけないようにするので精一杯だ。
「 おっ! お嬢ちゃん、
今日は鍋物なんかどうだい!? 」
そんなアスカに、
魚屋のおじさんが 威勢の良い声をかけた。
見ると発泡スチロールの箱に、
美味しそうな魚が沢山入れられている。
「 …… 」
しかしながら ゼロは料理ができない。
料理人をコピーすれば料理もできただろうが、
料理などまったくできないアスカをコピーしたのだから
当たり前と言えば当たり前である。
「 どうだい? 安くしとくよ。
… 美味しい晩御飯作って、
彼氏を驚かせてやりなよ。 」
そんなアスカに向かって、
おじさんは彼女の背後にチラリと目をやって
意味ありげに笑った。
「 え … 」
一瞬 何の事だかわからない彼女が後ろを振り向くと、
そこには あたりを見回しているシンジの姿があった。
ボッ!!
途端に彼女の顔から火が出る。
魚屋のおじさんは
楽しそうに大笑いをした。
・
・
( やっぱり …
そういう風に 見えるのかな … )
ゼロ・アスカは隣を歩いているシンジをチラリと見る。
当人達の気持ちはどうあれ、
二人で外を歩くと そういう関係に見られてしまうらしい。
嬉しいような … 恥ずかしいような …
なんとも言えない気分である。
幸い おじさんの言葉を
シンジは聞いていなかったようだが、
もし 聞いていたら なんと答えたのだろう?
「 なに? アスカ。 」
「 な、なんでもない 」
ゼロは慌てて首を振る。
ちょっと思考が 暴走気味のようだ。
アスカは気を取り直して
再び歩き出そうとした … のだが、
「 … ? … 」
どうも先ほどから
シンジの様子がおかしいのに気がついた。
しきりにキョロキョロと
あたりの人込みを見回しているのである。
「 どうしたの? 」
アスカが聞くと、
シンジは困った顔で頭を掻いた。
「 … うん …
綾波がまた はぐれちゃって … 」
言われてみれば、
レイの姿が無い。
どうやら あの少女は
とことん人の多い場所が苦手なようだ。
「 アスカ、
悪いけど ここにいてくれる?
ちょっと探して来るから。 」
シンジの言葉に、アスカは頷くと
人の流れを少し避けて
道の端っこへと避難した。
…
… シンジとレイが戻るまでの間 …
別段 する事もないので
アスカはスーパーの袋を持ったまま
ぼんやりと 道を行き交う人々を見ている。
「 …… 」
人の顔は様々だ。
男もいれば 女もいる。
太っている人もいれば、
痩せている人もいる。
幸せそうな人も、
不幸せそうな人も …
どんな人であろうとも、
ゼロは完璧にコピーする事ができる。
けれど、ここでこうして立っていると、
ゼロは 自分がゼロと言う名の
バイオロイドである事を忘れてしまいそうになる。
彼女には顔がない。
名前も … 洋服も …
家族も … 戸籍も … 性格もない。
なにもない。
あるのは
彼女を作り出した阿川博士の執念のみだ。
後は おびただしい数の鉄やネジやコンピューターや
オイルなどの原材料だけが 彼女のすべてだ。
ここにいる すべての人間になる事はできても、
彼女は ゼロと言う名の人間にはなれない。
… どんなにシンジを好きになっても
いずれ アスカと言う少女の意識は
消える運命にあるのだ。
( 今の私は …
… いったい 誰なんだろう … )
ゼロアスカは 心の中でつぶやいて
冬の空を見上げた。
____ その時
「 !! 」
突然殺気 … にも似た強烈なものを感じて、
彼女は慌てて周囲を見回した。
( … なに!? … この感じは … )
敵意だ。
しかも 明らかに自分に向けられた。
ゼロはあたりを注意深く観察する。
… だが、人が多すぎて よくわからない。
( まさか …
ネルフの諜報部員? )
真っ先に思いつくのが、特務機関ネルフだ。
彼女の正体が 彼らにバレれば当然攻撃されるだろう。
ウイイイ・・・・ン
目のレンズの望遠機能をONに切り替えつつ、
ゼロは後ずさりをして 商店街の脇の小さな路地に入った。
もし 彼女を追っている者がいるのなら、
人の少ない場所の方が有利である。
「 …… 」
何処の商店街でもそうかもしれないが、
ほんの少し 路地に入っただけなのに
周囲の雑踏から完全に孤立して
ヒンヤリと 冷たい空気があたりに流れている。
人気もまったく無くなり、
あるのはお店の裏口ばかりである。
トクン … トクン … トクン
胸のモーター音が 徐々に早くなってゆく。
ゼロはビニール袋をギュッと持ち直し、
周囲に注意を配っていた。
___ だが、
「 目標がわざわざ自分からはぐれてくれた
絶好のチャンスなのに …
随分のんびりしているじゃない? 」
ビクン!!
「 買い物 ・・
楽しそうね ・・ ゼロ ・・ 」
冷たい声は
彼女の背中から突然かけられた。
「 あ … 阿川博士!! 」
飛び退くように背後を振り向くと、
そこには 金髪をなびかせて …
白衣の女性が仁王立ちしていた。
「 あ … ああ … 」
驚きで 声が出ない。
心臓が震え上がり、冷や汗が … もとい
冷却水が ドッと全身から流れる。
そんな彼女の反応に
博士は何も言わず …
ただ冷たい笑みを浮かべるだけだ。
… 恐れていた事が
ついに現実になってしまった …
「 は ・・ 博士 ・・
今日中には必ず! 必ず綾波レイを! 」
嫌な予感が押し寄せて来て、
まだ 何も言われていないのに
ゼロは震える声で必死に弁明をする。
自分が罰を受けるくらい構わない。
しかし それよりもっと
恐ろしい事が待っているような気がする。
「 ふ、不足の事態が続いただけで、
作戦は万全です!
ですから …
次のチャンスに かならず! 」
不測の事態が続いているのは確かだ。
しかし ゼロは気がついていない。
貪欲にレイを誘拐するチャンスを狙っていた以前とは違い、
阿川博士の言うとおり、今のような状況になっても
彼女はもう “命令” の事を考えなくなっていたのである。
「 もう一度!
もう一度チャンスをください!
そうすれ 」
「 ゼロ ・・ 」
博士はたった一言で
ゼロを黙らせると、
切れ長の目を さらに細めた。
「 ひっ! 」
博士の右手が、
突然
ゼロの顔をつかんだ。
ネルフ本部、
第5ブロック ・ 第7研究室。
「 あなた達にはこれから、
簡単な身体検査を受けてもらうわ。 」
ふち無しのメガネをかけたリツコは、
整列した三人のチルドレンにそう告げた。
「 ・・ はい 」
「 ・・・ 」
シンジは短く答え、
レイもその隣で小さく頷く。
二人から わずかに離れた場所で、
アスカは心なしか、ぼんやりと立っている。
「 … コホン 」
リツコはひとつ、
咳払いをした。
身体検査は定期的に行われる事で、
エヴァのパイロットにとっては
それほど珍しい事ではない。
しかし 次回の定期検査までには
まだ余裕があるにも関わらず、
突然身体検査のスケジュールが入ると言うのは
異例である。
少なくともシンジがパイロットになってからは
初めての事だ。
「 でも ・・ どうして
急に検査する事になったんですか? 」
サードチルドレンのもっともな疑問に、
赤木博士は 一瞬 ・・
隣のミサトに目をやった後
「 一昨日 新しい計測器が届いたの。
これまでより精密なデータが、
簡単に計測できるようのなったってフレコミだから、
その機械のテストを兼ねて ・・
あなた達の身体検査をしてしまおうと思ってね。 」
リツコは淀みない口調で答えると、
彼に向かって小さく微笑んだ。
「 ・・ そうだったんですか。 」
シンジもつられて笑顔になった。
「 ・・・・ 」
レイはつられて不機嫌な顔だ。
「 それにしても …
いつもは “えぇ〜めんどくさい!” とか
“時間ばっかりかかるからイヤ!” とか言うのに ・・
今日はえらく 静かじゃない? アスカ 」
頭の後ろで両手を組んで
チルドレンを眺めていたミサトが
軽い声で話し掛けた。
だが、アスカはぼんやりと …
焦点の合わない視線を 前に向けているだけだ。
「 アスカ? 」
心配そうな顔で、
シンジが彼女に呼びかける。
「 えっ! 」
すると ようやく我に返った彼女は
慌ててあたりを見回した。
「 な、
なに!? え? 」
「 ・・ もういいわ
それじゃあ 各位はロッカーに行って、
服を脱いで 待機してて頂戴。 」
リツコは小さく溜息をつくと、
手にしたファイルを閉じた。
・
・
「 流石は大人の女、
嘘がお上手だこと。 」
両手を頭の後ろで組んだまま
ミサトが横目でリツコを見て、ニヤリと笑った。
「 … あら、
新しい計測器が届いたのはホントよ。 」
薄いふち無し眼鏡を
白衣の胸ポケットに仕舞いながら、
リツコはさも 心外と言った様子だ。
「 使徒のデータ採取に転用する予定の技術なんだけど、
特定の空間の中の物体の体積から 瞬時に質量を
計測するシステムを導入したのよ。 」
「 …
…… ?? 」
ミサトは 首をかしげながら
ニャハハと笑う。
「 つまり 体重計に乗らずに 体重がわかるって事。
あんなに大きな使徒の死骸を
いちいち体重計に乗せるわけにはいかないでしょ? 」
リツコ先生のやさしい説明に
ミサトはようやく首を縦に振った。
「 へー ・・ 最新なんだ。 」
「 そ、 最新なの。
… もっとも、
機械のテストなんて とっくに終わっているけれどね。 」
完璧主義者のリツコが、
チルドレンのデータ採取などと言う 大事なもので
機械のテストなどするわけがない。
もっとも、
子供達にそんな事がわかるわけもないが。
「 覚えておくといいわ? ミサト。
巧い嘘をつくにはね、
・・ 真実を少し混ぜるのがコツよ。 」
リツコは横目でミサトを見て
得意げに笑う。
… しかし ミサトは何故か
シンジ達が消えていったドアをジッと見つめたまま …
ポツリと小さくつぶやいた。
「 でも …
真実を混ぜすぎると
… 失敗するのかもね。 」
… 外見も同じ。
… 声も同じ。
… 性格も同じ。
食べ物の好き嫌いも、
クセも 記憶も 何もかも同じ二人を
いったいどうやって見分ければ良いのか。
… 今から 約10年前
大学で出会った ミサトとリツコは
その命題に直面していた。
ミサトそっくりのロボット … ミサトロボ。
その脅威が去ったとは言え、
いつまた 誰かの姿をしたロボットが
彼女達を狙っているといもわからない。
阿川博士を捕まえるか、
ロボットを見破るか …
なんにせよ、自衛の手段が必要であった。
「 手がかりならあるわ 」
体育着に着替えたリツコは言いながら、
ミサトロボが落としていった 片腕を拾い上げた。
断面からは チューブやネジが飛び出していて、
まるで ハリウッドのSF映画の小道具のようだ。
「 … 確かに、中身を見れば 一目瞭然だけど …
それは無理よ。 リツコ。 」
ミサトは渋い顔をする。
阿川博士のロボットに生活を脅かされないためとは言え、
疑わしい人物を 片っ端から輪切りにしてゆくわけにはいかない。
しかし リツコは首を横に振ると、
「 違うわ …
ここを見て。 」
手にしたロボットの 腕の一部を指差した。
「 え? 」
ミサトが近づいて目を凝らしてみると、
そこにはまるで “焼印” のように
長方形の … 何かのマークが入っている。
「 何 … これ … 漢字? 」
よくよく見れば、
それはマークではなく … 漢字である。
何かの文章が 彫り込まれているのだ。
「 どれどれ? … 」
・
・
『 今世紀最高の天才科学者
… 阿川博士の作品番号F 』
・
・
「 ……… 」
ミサトは 鳩が豆鉄砲を食らったような顔で
リツコを見る。
彼女は溜息まりじに 頷くと、
「 …… そう。
あのバカ女は、
自分の作品には必ず、
このバカみたいな文字を入れるのよ。 」
彼女も 阿川博士にはホトホト
困り果てているようである。
… 事の起こりは
リツコが高校生の頃。
転校した学校に
阿川チヒロと言う生徒がいた事に帰依する。
「 … なんだか知らないけど、
勝手に私をライバル視して 嫌がらせして来たのよ。
何度も何度も。 」
「 嫌がらせ?
… 今日みたいな奴? 」
「 … ええ。
高校にいる間は しょっちゅうだったわ。
始めのうちは なんだかドラム缶をくっつけたみたいな
ロボットを作って、 私に挑戦して来ていたんだけど … 」
「 ど …
どんな高校なのよ … それ … 」
リツコの思い出話に
ミサトは思わずツッコミを入れる。
「 相手にすると疲れるから
私はいつも無視していたのよ。
ロボットも、 どれもロクに歩けないような
シロモノばかりだったし。 」
リツコの下校の時間を狙って
阿川博士が 手作りロボで彼女を待ち構えているのは
当時 高校の風物詩となっていた。
そして、
『 リツコに対する恨みつらみを叫ぶ阿川女史と
それを完全無視して帰宅するリツコ。 』
『 スイッチオンと同時に爆発。
もしくは 歩けずに転倒して爆発する阿川博士のロボット 』
『 黒焦げの阿川博士 』
と言う図式も
当時の高校の風物詩であった。
「 … でも
ナンバーが上がっていくにつれ
どんどん人間ぽくなって来たわ。
今日の ミサトロボットみたいにね。 」
「 … なるほど 」
まったく想像がつかない世界の話ではあるが、
ミサトは納得顔で頷いた。
「 … でも、
こんなに人間そっくりのロボットが作れるぐらい
技術があるわけでしょ? よくわかんないけど
その 阿川って女には。 」
「 ええ。 … そうなるわね。 」
「 じゃあ、その技術を使って
好きなだけ良い仕事について …
幸せな暮らしができそうなもんだと思うんだけど? 」
ミサトの言葉はもっともだ。
逆恨みにのみ使用されているこのロボット技術を
世間に公開して 活用すれば、
好きなだけ富も名声も手にいれられるだろう。
それを放棄してまで
こんなくだらない事をしているなんて …
「 リツコ …
なんか よっぽど恨まれるような事したわけ? 」
「 知らないわよ、そんな事。
本人に聞いてよ。 」
リツコは知りたくも無いと言った顔で
首を振る。
だいたい彼女は
阿川博士にヒドイ事をした記憶など何も無いのだ。
テストの点数で負けようが、
クラスの人気を奪われようが、
修学旅行で拾った貝が小さかろうが、
気に入っていた男子がリツコに告白しようが、
リツコへの逆恨みに燃え過ぎたために
成績がガタ落ちしようが、
そんな事は
リツコの知ったことではない。
彼女はもともと クールな性格で
ライバルやケンカには興味が無いのである。
だが、そんな理屈が通用するほど
阿川博士は まっとうな人間ではなかった。
「 憶えてらっしゃい! リツコ!!
いつか必ず!!
私が味わった屈辱を
貴方にも味わわせてやるわ! 」
… その後 …
大学に舞台を移し
熾烈を極めた 阿川博士の “ひとり相撲” は
リツコだけでなく、
ミサトも巻き込んで …
何度か 学長に呼び出しをされるほどの
大事件を起こすまでに至った。
しかし
リツコが 秘密厳守の
ネルフに就職してしまったためもあり、
彼女の大学卒業を期に
コピーロボット騒ぎは
プッツリと 途絶えていたのである。
身体検査の後 …
着替えを済ませ、帰宅という段になっても
アスカの様子は変わらなかった。
・
・
「 ……… 」
頭の中に 何かが一杯つまっているような気分で、
人の声も耳に入らない。
買い物の途中、
路地裏で阿川博士に会ってから
彼女の心を 困惑と言う名の悪魔が支配していた。
( どうしよう …
… どうしよう … どうしよう … )
さきほどから
何回そう繰り返しただろう?
ドクン … ドクン … ドクン …
心臓の動きは ひとつひとつが大きく、
重く … ゆるやかだ。
体が徐々に冷たくなっていくのがわかる。
… とても寒い。
にも関わらず、冷や汗が流れる。
顔は青ざめ、唇が徐々に紫色になってゆく。
あまりにも大きい苦悩が、
ロボットであるにも関わらず
彼女の体に異常を起こしていた。
「 …… 」
身体検査を受けてしまった事が不安なのではない。
ゼロは人類最高レベルの科学力で生み出された
究極のバイオロイドだ。
身長や顔や髪型などの外面的特長は
もちろんオリジナルと100%同じ。
スリーサイズだって ホクロの位置だって同じだ。
体重は足の裏にある
マイクロサイズの反重力装置で思いのまま。
その気になれば 0グラム。
つまり浮いている状態にだってする事ができる。
心音、血液の流れる音、呼吸音 … その他
人間の体の動きを完全にシミュレートできるので
例え お医者さんが診てもロボットだとはわからない。
手術でもされない限り、彼女の正体がバレる事などありえないのだ。
よって ネルフの身体検査の結果など
彼女はまったく気にはしていない。
心を埋め尽くしていたのは
先ほどの 路地での一件だった。
「 …… ぐっ … 」
アスカは慌てて首を振る。
思い出す事すら恐ろしい。
「 … 大丈夫? 」
そんな彼女の様子に気付いたシンジが
身をかがめて アスカの顔を覗き込んだ。
「 さっきから様子がおかしいよ?
どうしたの? 」
買い物から帰った頃から無口になり、
顔色も悪いのだ。
シンジでなくても心配する。
しかし 彼女は究極の女優でもある。
自らの振る舞いから 正体がバレるなど
あってはならない。
「 別に ・・ 大丈夫、
なんでもない。 」
アスカはシンジに向かってニッコリと笑う。
顔色は悪いが、いつものと同じ笑顔で。
「 …… 」
けれど、シンジの目には それが
“強がり” と見えたようだ。
「 あ … 」
シンジは驚くアスカを無視して、
前髪を掻き分けて、
彼女のおでこに手を当てる。
「 熱は ・・・ ないみたいだけど ・・ 」
冷たい頬を暖めるように
シンジは彼女の顔を撫でながら言う。
( シンジ君 … )
この世のものとは思えないくらい 気持ちが良い。
手のひらの温かさが
彼女の苦悩を和らげてくれるようだ。
「 風邪かもしれないよ …
早く帰ろう、アスカ。 」
シンジはアスカの頭を
優しくなでながら微笑んだ。
そんな彼の笑顔に
ゼロは少し … 泣きそうな顔になった。
「 あ … あの … 」
「 なに? 」
唇を震わせながら …
次の言葉を捜すけれど、
「 ……
… ううん
なんでも … ない 」
彼女は首を小さく振って
ぎこちなく笑った。
悲しそうな …
何もかも諦めたような …
なんとも言えない表情だった。
シンジ達が ネルフを後にした頃 ・・・
赤木博士は 自室の椅子に背を預けて、
可愛い猫のマークが入ったマグカップで
コーヒーを飲んでいた。
「 シンジ君の手料理のおかげかしら、
前の検診の時より ちょっと太ったみたいね ・・・ 」
先ほどの身体検査の結果は
すでに MAGIが集計と解析を終えて
プリントアウトされていた。
リツコの手にした書類には、
文字通りアスカの身体的・精神的なデータが
ほとんどとすべてと言っていいほど詳細に書き出されている。
もちろん 学校などで行われる身体検査とは、
比較にならない精度や情報量だ。
「 ま、
その他には変わったトコロは無し。
健康そのものね。 」
事もなげに言うリツコ。
「 あ、そう?
・・・ そっかぁ〜 ・・・
じゃあ あれは見間違いだったのか、やっぱし。 」
同じく コーヒーを飲んでいたミサトは
そう言いながら バツが悪そうに頭を掻いた。
「 ん〜 ・・ 確かに酔ってたけど、
大学時代何度も目にした あのマークを
見間違うハズないと思ったんだけどなぁ ・・ 」
ぶつぶつと 何やらつぶやきつつ、
ミサトは立ち上がった。
「 ・・ 何処へ行くのよ 」
「 へ? 」
研究室を出ようと、ドアノブに手をかけたミサトの背中に
リツコの飽きれた声がかかった。
「 アスカの ・・・ いえ、
あの子の対策、一緒に考えるんじゃなかったの? 」
「 え ・・ だって 今 ・・ 」
身体検査の結果に
問題がないと言ったのはリツコのほうである。
すると、赤城博士は静かにメガネを外し・・
「 ・・・ 言ったでしょ、
”前よりも 太ったみたい” だって。 」
手を伸ばすと、目をパチクリさせているミサトに向かって
書類の束を差し出した。
「 う ・・ うそ ・・ 」
手渡されたアスカのデータ。
その、彼女の ”体重の欄” を見て、
ミサトは絶句した。
「 ・・ だいぶダイエットする必要があるわね。 」
白衣の胸ポケットにメガネを仕舞うと、
リツコは溜息まじりにつぶやいた。
そこに書かれていた数字は、
100キロを軽く超えていた。
冬の太陽は沈み …
あたりは一段と寒さを増して来た。
街中には帰宅するサラリーマンの姿が溢れ、
葛城家では いつものように
台所から シンジが夕飯の支度をする音が流れている。
「 …… 」
その音を聞きながら …
電気もつけず、薄暗い自室の中で
鏡に向かって立っていたアスカは、
パンパン と 気合を入れるように頬を叩いた。
悩んでいても 事態が変わるわけではない。
綾波レイ誘拐の任務を背負っている事も
自分がゼロと言う名のバイオロイドである事も
継続中の事実であった。
「 …… 」
唇をぎゅっと噛み、
目を閉じて 決意を決める。
自分にできる最良の選択をするしかないのだ。
( もう … チャンスは一度しかない … )
汚名を晴らすには
早急に、綾波レイの誘拐に成功しなくてはならない。
もともと 自分はそのために
この家に 潜入しているのだから。
「 大丈夫、
成功すれば … 博士はきっと … 」
鏡の中の自分に言い聞かせるように呟くと
アスカは自室のドアに 手をかけた。
・
・
「 あれ … アスカ、
今 綾波が先に入ってるよ? 」
居間に入り、浴室の方へ向かおうとする彼女に
エプロン姿のシンジが 卵をかき混ぜながら話し掛けた。
レイは一番風呂の後で、
シンジの夕食の準備を手伝ってくれる事になっているのだ。
しかし アスカは歩みを止めず、
「 … 知ってる。 」
シンジのほうを見ないでそっけなく答えると、
そのまま脱衣所のドアを開けて
中に入ってしまった。
「 …… ? 」
シンジは卵をかき混ぜながら
小さく首を傾げると …
そのまま台所へと戻って行った。
・
・
これを逃せば
チャンスはもう無い。
曇りガラスの向こうには、
肌色のシルエットがある。
「 …… 」
アスカはその場で手早く
着ていたものを脱ぐと、
タオルを手に、
ガラッと バスルームのドアを開けた。
「 え … 」
白い湯気の向こうで、
湯船につかっているレイが振り返った。
「 … たまには一緒に入らない? 」
手にしたタオルを持ち上げながら、
全裸のアスカは ニッコリと笑う。
まるで 楽しいいたずらを考えついた
子供のような笑顔だ。
「 …… 」
湯船の中で 驚いた顔をしていたレイは、
ジッと アスカの青い瞳を見つめると …
「 いいわ 」
硬い表情で 短く答えた。
トン ・ トン ・ トン
( 風邪ひいてるなら、
お風呂はやめたほうが良いのにな … )
台所で リズミカルにネギを切りながら、
シンジはまるで お母さんのような事を考えている。
( やっぱり 今日のアスカは変だよな … )
調子が悪そうにしていたと思えば、
今度は レイと一緒にお風呂に入りたがる。
鈍いシンジでも、
彼女の様子がおかしいと気付いていた。
「 それに … 二人で入るには
狭すぎると思うんだけどな … 」
前とは違い、レイとアスカの仲は良い。
けれど 二人で一緒にお風呂に入るなどと言い出したのは
むろん 今日が始めてである。
「 どうしたんだろ … アスカ … 」
コトコトと煮立つ味噌汁の中に
刻んだネギを入れながらシンジが首を傾げていると、
プシュー!
… ガシャ!!
「 うい〜!!
たっだ〜いま!! 」
玄関の自動ドアが勢い良く開き、
葛城家の大黒柱の声がした。
・
・
「 もう …
また飲んで来たんですか? 」
ミサトのコートを両手で持ち、
シンジは呆れた顔で言う。
「 いやん♪
シンちゃん 怒っちゃいや♪ 」
赤い顔で上機嫌のミサトは
シンジにまとわりつきながら … 居間に入った。
お酒の匂いは それほどキツクない。
「 ちょびっと飲んだだけだから、
ちゃんとご飯も食べるからね♪ 」
滅多な事では怒らないシンジであるが、
何の連絡もなく 外食して
せっかく作った手料理を食べないとなると
あまり良い顔はしない。
それを知っているミサトは
甘い声でシンジのご機嫌をとる。
「 … ところで シンちゃん? 」
「 なんですか? 」
「 アスカは何処行ったの? 」
ハンガーにコートを掛けているシンジに
ミサトが聞く。
「 今、お風呂に入ってますよ?
… 綾波と一緒に。 」
「 …
へー … 」
シンジの言葉を聞いて
ミサトはピクリと 片方の眉を上げた。
「 綾波が入ってるって 止めたんですけど、
アスカはそのまま入っちゃって … 」
言いながら シンジが部屋の中に向き直ると
ミサトは靴下を ポイポイと脱いで …
「 んじゃ、
私も一緒に 入っちゃおうかなぁ〜 」
そのまま フラフラと脱衣所へと近づいて行った。
「 ちょ … 無理ですよ、
まだ アルコールだって抜けてないのに! 」
シンジは驚いた顔で 彼女に言うが、
ミサトは満面の笑顔で
「 いいの♪ 」
と 軽く答えると、
そのまま 脱衣所へと入って行ってしまった。
ついに 三人が消えていった
バスルームのほうを見ながら
「 ど …
どうなってるんだ? 今日は … 」
エプロン姿のシンジは
呆然と立ち尽くしていた。
「 どうしたの? 」
シャワシャワと白いあぶくを出しながら
頭を洗っていたレイは、
湯船の中から じっと自分を見つめている
アスカの視線に気が付いた。
「 あ、 いや …
えーっと … 」
彼女を拉致する方法について
考えていたなどと言えるわけもなく、
アスカは慌てて言葉を探す。
「 き、 綺麗な肌だなぁーっと 思って … 」
「 … そう? 」
レイは不思議そうな顔で、
あぶくだらけの自分の手を見つめる。
「 うん。
白くて … とても綺麗よ。 」
口からとっさに出た その場しのぎとは言え、
レイの素肌が目を見張るほど美しい事は事実だ。
透き通るように白い肌には
ホクロもシミも何一つなく …
お風呂場で見る彼女の裸体は
まるで 剥きたての桃を連想させる。
「 … ありがとう 」
誉められて 悪い気はしない。
どういう肌が美しいのか?
いまいちレイはわかっていないようだが
彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「 … うん … 」
無防備な彼女の笑顔に
アスカも思わずつられて微笑む。
… チャプン♪
「 …… 」
だが、 こうしてのんびりと
お風呂に入っている場合ではない。
もう 彼女に残されたチャンスは一度しかないのだ。
事態は一刻を争う。
「 …… 」
( 案の定 …
この窓から外に出られるわね … )
ゼロが風呂場を選んだのには
いくつかのワケがある。
まず
葛城家のバスルームの窓が広く、
その気になれば 人間が外に出られるくらいの
大きさであると言う事。
そして その窓が
裏の山に面している事だ。
見晴らしのためと、
外から覗かれないために そうなっているのだろうが、
ゼロにとって、これは かなり好都合である。
もし レイを拉致し、
窓から外に出たとしても …
そのまま裸で街中を逃げ回る事はできない。
ネルフの諜報部員が何処から監視しているのかもわからない以上、
森の中に隠れながら博士の研究所まで行くのが
一番確実な方法だと考えたのである。
( このマンションから見て …
北東に向かえば一番近いわね … )
「 何を …
考えているの? 」
湯船に肩までつかり、
真っ赤に茹で上がりながらも、真剣な顔つきのアスカに
レイが思わず声をかけた。
「 えっ! 」
「 今日は … 様子がおかしいわ。 」
洗った手ぬぐいを絞りながら
レイはわずかに顔をしかめる。
彼女も又 シンジと同じく
アスカの異変に気付いていたようだ。
「 べ、別に私は … 」
また 取り繕おうとして …
ゼロはそこで言葉を止めた。
確かに こうして一緒にお風呂に入っている時点で
十分 “変” に見られているであろう。
そう言われても 無理は無い。
「 まあ …
ちょっと … 悩んでてね … 」
ゼロは苦笑いを浮かべながら、
わずかに本音を口にした。
「 …… 」
「 あ、でも
たいした事じゃないの … 大丈夫。 」
心配そうな顔をするレイに、
アスカは慌てて否定しつつ …
( あなたが協力してくれれば … )
心の中で ポツリと一言
付け加えた。
彼女が大人しく捕まり、
阿川博士の元へ行ってくれれば
何も悩む事はない。
すべては
このチャンスにかかっているのだ。
「 …… 」
もう 迷ってはいられない。
周囲を気にして 穏便な方法をとっている余裕もない。
ゼロの心は すでに決まっていた。
ザバーッ …
シャンプーの後の
リンスをしているレイ。
アスカは湯船から立ち上がり、
一歩 … 彼女の背中に近づくと、
茹で上がったピンク色の手を
そっと レイの背中に伸ばした。
彼女は目を閉じている。
バスルームは完全な密室だ。
邪魔者が入るわけもない。
「 …
… ごめんね … レイ 」
小さなつぶやきと共に、
ついにゼロの誘拐計画が開始された。
だが まさに その時!
ガラッ!
開くはずのないバスルームのドアが
突然勢い良く開き
「 はぁ〜い! 」
ご機嫌な酔っ払いが
素っ裸で登場したのだ。
「 ミ … ミサト! 」
「 ミサトさん … 」
「 二人で入るなんてズルイわよ?
お姉さんも 仲間に入れて欲しーな。 」
驚きのあまり
呆然としている二人に ミサトは楽しげな口調でそう言うと、
満面の笑顔でズカズカとバスルームに進入して来た。
慌てたのは アスカである。
「 ちょっと!あんたバカじゃないの!?
三人でなんて 入れるわけないじゃない! 」
洗い場に三人が座るスペースなどない。
このお風呂場では、どう考えても二人が限界である。
「 あーら 大丈夫よ。
二人が体を洗ってる時は
誰かが湯船に入っていれば … 」
「 そ … それはそうだけど … 」
このままの流れでは、
レイの誘拐計画がまた 水泡に帰してしまう。
彼女はもう 失敗できないのだ。
失敗しては いけないのである。
だが、ミサトは
なおも食い下がるアスカの腕をつかむと、
「 いーから いーから!
ほら!アスカ! 一緒に入ろ! 」
「 ち、 ちょっと 待ちなさいよ
きゃっ!! 」
ザブ〜ン
ドシャー …
そのまま強引に
彼女を湯船の中に引き入れてしまった。
・
・
…
狭いお風呂場と言っても、
入ろうと思えば
入れるものである。
湯船の中で、
大きく腕を広げたミサトと
彼女に後ろから抱きしめられるような格好で
アスカが湯船につかっている。
「 … はぁ〜 … 極楽 極楽 … 」
「 私は暑苦しいわよ!
… おまけにお酒臭いし …
まったくもう。 」
お決まりのセリフを口にするミサトと
不機嫌そうなアスカ。
「 なぁ〜によ、
つれないこと言わないで、ね?アスカ。 」
彼女をなだめながら、
ゆったりとお湯につかり …
ミサトはチラリとアスカの首筋。
うなじのあたりに視線を走らせる。
彼女はいつもの髪型ではなく、
湯船に髪が落ちないように アップにしているので
普段は見えないうなじが 良く見える。
「 …… 」
見間違いではない。
そこには あのマークがしっかりと
刻み付けられていた。
( やっぱり … そうなんだ … )
2日前の晩、
酔っ払って アスカの背中に抱きついた時に、
髪の毛の隙間から見えた アザのような文字列は
やはり見間違いではなかったようだ。
( この子 …
気付いてないんだ … )
「 な … なによ … ミサト 」
「 ん? 」
「 私の事 ジロジロ見て … 」
「 べっつに〜?
おっきくなったなぁと思って♪ 」
ミサトはそう言うと、お湯を揺らしながら
ガバッと彼女に抱きついた。
むにゅ
「 きゃー!!! 」
アスカの悲鳴がバスルームにコダマする。
「 どこ触ってんのよ!変態! 」
「 ん〜 … 前よりだいぶおっきくなったわね。
何センチアップ? 」
「 や、 やめてぇ! 」
バシャバシャとしぶきをあげながら
逃げ惑うアスカを抱きすくめて
ミサトは彼女の胸をすき放題に触っている。
「 んも〜 … このおっきなおっぱいで
毎晩シンちゃんを悩ましてるのね、アスカは 」
「 バッ! バカ!!
何言ってんのよ! 」
「 私も … 湯船に入りたい … 」
「 ちょっと!レイ!!
このバカ なんとかしてぇ!! 」
しばらく そんなバカ騒ぎを
続けていた 三人だったが …
___ 突然、
「 うっ ・・・ 」
ミサトが奇妙な声を出して
動きを止めた。
「「 ・・・ え? 」」
何事かと、
アスカとレイが 彼女のほうを見ると、
「 急にあばれたから …
…
… きもぢわるい … 」
…
……
… 最悪の酔っ払いである。
・
・
「 きゃー!!! 」
「 いやー!!! 」
ドシーン…!!
バスルームから
悲鳴と何かが倒れるような物音が響いた。
「 ちょっと!
凄い音がしたけど大丈夫!? 」
いったい何事かと シンジは台所を飛び出して、
エプロン姿のまま 慌てて脱衣所へと駆け込んだ。
「 わっ!! 」
シンジの目に飛び込んで来たのは
とんでもない光景であった。
「 い … 痛たたた … 」
バスルームのドアが開け放たれ、
脱衣所に抱き合うような格好で
裸のレイとアスカ倒れていたのである。
「 ふ ・・ 二人とも ・・ 」
あまりの光景に
逃げ出す事も 目をそらす事も忘れて
シンジが呆然とつぶやく。
「 へっ … !? 」
彼の存在に一番早く気付いたのは
アスカであった。
「 きゃあああああ!!
見るなぁ! バカあ!! 」
彼女は真っ赤な顔で叫びながら、
慌てて片手で自分の胸を隠し、
もう片方の手で そばにあった手桶を投げつけた。
無理な体勢からのシュートも
流石は天才少女のコピーである。
「 ご、ごめ! 」
パカーン!!
手桶は見事に シンジの顔に命中。
そのせいか、
刺激的な光景のせいかはわからないが、
シンジは鼻血を出して倒れた。
「 あ〜あ、 シンちゃんかわいそ〜 」
風呂場からは
ミサトの無責任な声。
… 気持ち悪い発言はどうなったのだろうか?
「 たいへん … 血が … 」
起き上がったレイは
シンジの鼻血を見て顔色を変えると、
あろうことか そのままの格好で彼の元に駆け寄り、
そばにあったタオルを 彼の鼻に押し当てた。
「 早く … 血を止めないと、
死んでしまうわ … 」
「 ひ ・・ ひょっほ、
あやなひ ・・ 」
素肌を隠そうともしない彼女を前に
シンジはトマトのように真っ赤な顔をして後ずさる。
だが レイは必死である。
使徒との戦いで
自分は血だらけになるのは平気でも、
シンジの事となると話は別のようだ。
「 アンタも見せるな!! 」
パカーン!
そんなレイの後頭部に、
今度は石鹸が飛んできた。
「 ホント、
見ていて飽きない子達ね ・・・ 」
1人でのんびり湯船につかっているミサトが
そんな二人を見て くすくすと笑う。
____ だが、
アスカの様子がおかしい。
後頭部をさすりながら
うらめしそうな顔で振り向くレイも、
湯船のミサトも 一瞬動きを止めた。
「 …… バカ … 」
彼女は小さく震えながら、
目にうっすら涙を浮かべている。
シンジに見られた事が
そんなにショックだったのだろうか?
… それとも
「 …… 」
レイが口を開いて
何か言おうとしたのだが …
アスカは急に立ち上がり、
バスタオルを体に巻きつけると
「 うっ … 」
口元を手で押さえ、
涙をこらえたまま …
逃げるように 脱衣所を出て行ってしまった。
「 アスカ ・・ 」
酔っ払っていたはずのミサトは
何故か真剣な顔で、
彼女の後姿を見送った。
「 綾波 … あの
台所に戻るから 手 離してよ … 」
「 だめ …
安静にしなければいけないわ 」
「 じ、 じゃあ
目 閉じてるから …
せめてそこのバスタオルを … 」
「 いかりくん
私の膝に頭を乗せて。
高くして … 」
最後まで、
シンジの鼻血の一番の原因が
自分である事に気付かない
レイであった。
「 … クア? 」
… 深夜
みんなが寝静まった 静かな月明かりの青いリビングで、
寝床に戻ろうとしていたペンペンが立ち止まった。
テレビのそばの カーテンの横に …
アスカが1人、
絨毯にペタンと座り込んで、
窓の外の 夜空の月を見上げている。
いったい 何をしているのだろう?
「 … クー? … 」
彼女に近づいていき、
ペンペンが不思議そうな鳴き声を上げると、
「 ……
なんだ … ペンペンか。 」
アスカは振り返り、力無く笑った。
・
・
青い月の光に満たされた部屋の中は
とても静かで …
遠くの山の風の音が 小さく聞こえるだけだ。
「 ちょっと … 眠れなくてね … 」
アスカはぼんやりとした口調でつぶやくと、
ペンペンを抱き上げ、
自分のおなかのあたりに そっと座らせた。
チッ … チッ … チッ …
リビングの時計が 時を刻む音が聞こえる。
アスカは黙って …
ペンペンの フサフサしたお腹を撫でながら、
夜空の月を見上げている。
「 クキュー … クルー? 」
ペットとは言え、葛城家の住人。
いつもと様子の違う彼女を見上げながら、
ペンペンは心配そうな声を出した。
「 … 優しいね … ペンペンは … 」
アスカはペンペンを撫でながら、
笑顔で答える。
「 でも、 大丈夫。
…
…… なんでもないよ。 」
口ではそう言っているけれど、
ぼんやりとした 彼女の視線は
膝の上のペンペンを素通りして …
何処か遠くを見ている。
「 なんでも ・・ ないよ。 」
ぼんやりとペンペンを撫でながら、
アスカはそう 繰り返す。
もしかしたら …
彼女は自分にそう、
言い聞かせているのかもしれない。
「 クア … 」
心配なのか、
ペンペンは フサフサした羽根で
アスカの頬を触った。
「 ペンペン … 」
すると、アスカは感極まったように
ギュッと彼を抱きしめた。
「 クキュッ 」
「 あたし …
あたし … どうしたら …
… どうしたら … いいの … 」
寒いわけでもないのに、
四肢に激しい震えが走る。
ペンペンの背中に顔をうずめて、
アスカは涙を流さずに泣いた。
・
・
―― 本当に ・・・ シンジ君を ――
・
・
あれから数十回、いや 数百回繰り返した問いが
頭の中で また鳴り響く。
ゼロにとって、
博士の言葉に従う事は当然の事だ。
彼女の奴隷として、
彼女の意のままに動き、使命を果たす。
ゼロはそのために、作られた。
そうする事が ゼロが生まれたすべてだ。
それが 自然であり ・・・ 絶対であり、
ことさら考えるまでもない ・・・
例えば 人間が息をする事くらいあたりまえの事だった。
・・・ だが
ゼロであり
アスカでもある少女の心には
あまりにも大きな迷いが存在していた。
( 私は ・・・ ゼロ
・・ 博士の ・・・
忠実なバイオロイド ・・・ )
最後のチャンスを失った彼女に、
もう 選択の余地はなかった。
「 博士!!
もう一度! もう一度チャンスを!!
綾波レイは 必ず今日中に!! 」
頭を鷲づかみにされたまま、
ゼロは必死に訴える。
本当はわかっていた。
最悪の予想だが、
考えなかったわけじゃない。
「 ゼロ … 」
頭をつかむ手に
グッと力が入り、
「 あぐっ … 」
ゼロは言葉を無くす。
「 失望させないでちょうだい …
わかってると思うけど、
私は不良品に興味は無いわ。 」
博士はそう言って薄く笑う。
すると 次の瞬間
「 !! 」
ビクン! と ゼロが体を震わせた。
音を立てて、
持っていたビニール袋が路上に落ちる。
彼女の体を射抜くように、
“命令” と言う名の電気が走り抜けたのだ。
「 … ふふ … そう。
それで良いのよ … 」
博士が満足そうに手を離すと …
ゼロ・アスカは 崩れ落ちるように道に座り込んだ。
「 はぁ … はぁ … はぁ … 」
滝のような冷や汗が
ビッショリと体を伝っている。
荒い息をしながら、
彼女は全身を包み込む恐怖に
目を見開いていた。
「 … 良いわね? ゼロ 」
そんな彼女を見下ろしながら、
博士は口を開く。
「 任務の妨げになるのなら …
あの少年を …
…
碇シンジを
… 消去なさい。 」
・・・
冷たいアスファルトに両手をついたまま、
「 …
… ハイ … 」
ゼロは消えそうなほど小さな声で
主人の命令に答えた。
時計は 深夜2時を回っている。
「 …… 」
アスカの部屋のドアを背にして …
ジッと立ち尽くしていたゼロ・アスカは
唇をかみ締め …
行動を開始した。
袖口のボタンを外して、
ピンク色のパジャマの袖をまくり、
白い右腕を露わにする。
「 … スゥ … 」
軽く息を吸って
意識を集中させると …
シュゥゥゥー …
彼女の腕だけが、
まるで 水アメのように溶け始め …
やがて それは銀色のサーベル状に変化した。
ぬらり …
としか 形容できない光が反射する。
この世のどんな名刀にも負けないであろう
ツヤ、輝き、そして鏡のような美しさ。
ブウゥゥ… ン …
芸術的な曲線を描くサーベルの刃の部分には、
わずかに金色の光が灯っていて …
それが ”発振” している事を伺わせる。
エヴァンゲリオンに搭載されている、
プログナイフなどと同じ、最新兵器の機能だ。
昔ながらの形状とは裏腹に、
その切れ味は凄まじいものがあるだろう。
やはり …
彼女はロボットなのだ。
右腕を 銀色の剣と化したゼロの姿は、
もはや人間のそれではなかった。
「 …… 」
彼女は顔を上げた。
視線の先にあるもの …
そう、 それは
床に敷いた布団で
静かな寝息をたてている、
シンジの寝顔であった。
・
・
ギギ ・・
踏み出した彼女の足元で
床がわずかに軋む。
( …… )
この音で 彼の目が覚めたら、
きっとアスカは すぐにこの醜い腕を隠して
いつものように笑えるだろう。
( 起きて ・・ シンジ君 ・・・ )
足が …
足が鉛のように重い。
ギギ ・・
( ・・・ 起きて、
どうしたの? アスカ って ・・・ 言って ・・ )
心で思う事と、
彼女の体は繋がらない。
バカな願いを抱きながら、
無常にも彼女の足は 静かに眠るシンジの傍へと
たどり着いてしまった。
寝顔を見てはいけない
決心が揺らいでしまう。
いけないのに
目をそむける事ができない。
( アスカ … )
耳の奥で、
シンジがそう 優しく呼ぶ声が聞こえる。
( ぐっ … ング … )
シンジの寝顔を見つめ、
ブルブルと震えながら …
ゼロは右腕を高く振り上げた。
( …… )
命令は絶対だ。
それに従う事は
作られたバイオロイドにとって、存在意義そのものだ。
命令に逆らうなど …
彼女にはとうていできるハズがない。
… それなのに、
振り上げた腕が動かない。
このまま、
もし このまま右腕を振り下ろせば、
間違いなく彼の頭を 床ごと貫通してしまう。
「 …… 」
足がガクガクと震え、
ゼロの中の アスカの心が
悲鳴に近い声をあげて泣いているのがわかる。
「 ぐ ・・ ぎぎ ・・ 」
それでもモーターの回転数は上がり、
少しずつ・・ ゼロの腕は動いてゆく。
心と体が完全にバラバラになってゆく。
その あまりにも悲しい感覚に、
ゼロの ・・ いや アスカの瞳に 涙が溢れる。
( ワタシ ハ … ゼロ
ワタシ ハ チュウジツ ナ … シモベ )
ジジ … ジジジ …
嫌な音と共に 首の後ろ ・・
うなじあたりが 燃えるように熱くなる。
彼女の意識や命令の中枢。
バイオロイドにとっての ”脳” と言うべき
中央回路が 何本かショートして焼き切れた。
初め出合った、
誰よりも好きな人を … 殺したくない。
しかし 博士のロボットである以上
プログラムされた命令に
違反する事はできない。
それに
博士に捨てられたら …
彼女の居場所は この世にはなくなってしまう。
そう、彼女は
死んでしまうのだ。
「 ん …… 」
シンジが小さく 寝言を言う。
ゼロにとって 残酷なほど
安心しきった寝顔だった。
「 ぐ … ぐぎ … ぎ … 」
押し殺した嗚咽とともに
彼女の目から溢れた涙が、
ポタポタと シンジの枕の上に落ちる。
ゼロ・アスカは呼吸を止めた。
ギュッと目を閉じ、
何もかも すべて奥歯で噛み殺して、
彼女は その光る剣を
一気に振り下ろした。
博士の非情命令により、
クリスマスパーティーを前にした葛城家に
悲劇が訪れた。
ゼロの行く先にあるのは
光か … はたまた闇か。
そして 明らかになる
阿川博士とリツコの
禁断の過去とは …
次回 零・明日香 最終話を待てっ!
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