“賞賛” が私のすべてだった。

 

 

他人から誉められ、

尊敬され ・・・ 慕われる。

 

羨望と うらやみの視線を一身に受け、

人々の溜息を集める事。

 

そう ・・

自分が頂点に立っている

その “証” とも言うべき快感。

 

あわれで 下劣な一般庶民とはかけ離れた、

この 私 ・・・ この私だけが得る事を許された、

甘美な快感。

 

それを永遠に味わい続ける事が、

私の唯一の望みであり ・・・

楽しみだった。

 

 

 

「 ね!見たよ! 今朝の順位発表!

  合計 387点だって! さすがは阿川さんだねっ! 」

 

ふっ … 当たり前よ、

それくらい。

 

「 俺も見たよ!

  いやぁ〜 ・・ あんな難しいテストで、

  どうしてそんなに点がとれるんだ?

  阿川 ・・ 俺にも勉強教えてくれよ。 」

 

ふふ … お断りよ。

 

あんたみたいな 愚民に、

どうしてこの私が 貴重な時間をさいて

レクチャーしてやらなくちゃならないのよ。

 

「 いいなぁ〜 ・・ 阿川さんは。

  美人だし、頭も良いし ・・・ 私あこがれちゃうな ・・・・ 」

 

そう … もっと私をあがめるが良いわ。

私を尊敬し、

もっと … もっと羨望の眼差しをよこしなさい。

 

そう … もっとよ。

 

 

「 あ! 赤木さんが来たわよ! 」

 

「 おっ!! ほんとだ!! 」

 

・・・ なに? 

 

「 よっ! 我らがクラスの有名人!

  全教科満点! 学年一位の赤木!

  やっぱすげえよなっ! 」

 

「 今まではずっと阿川さんが一位だったのに…

  赤木さんって、ホントに頭良いんだね! 」

 

・・・ なんですって?

 

「 やめてよ ・・・ みんな。

  別に私は こんなテスト、興味ないもの。 」

 

・・・ なっ

 

「 きゃー!!

  流石はこの学校一の才女!

  言う事が違うわよねーっ! 」

 

「 なあ!赤木、

  俺に今度勉強教えてくれよ!

   昨日も母ちゃんに 点数が悪いって叱られたんだよ、 」

 

「 あ!私にも教えて!ね、赤木さん。 」

 

ち ・・ 

ちょっと、あなた達 ・・・

待ちなさい!

 

待ちなさいってばっ!

 

「 ねっ、赤木さん!

  やっぱり大学は 京大受けるの?? 」

 

「 お母さんの研究を手伝うとか ・・・ 」

 

「 まだ詳しくは決めていないわ ・・・

  一応、 受けてみるつもりはあるんだけど ・・・ 」

 

「 赤木さんなら 楽勝で合格に決まってるわ!

  すごいなぁ〜 ・・ 尊敬しちゃう ・・・ 

  なんてったって トップだもんね! トップ! 」

 

 

・・・ 赤木 リツコ

 

そんな 私の人生の楽しみを、

ごっそりと 横取りしていった 女の名

 

 

「 ・・・ と 言うわけで、

  バイオテクノロジーの ナノマシンへの転用は、

  現時点では 非常に困難であると言うのが、私の結論であります。 」

 

パチパチパチパチ!

 

「 いやぁ〜 ・・ 阿川君の論文は、

  いつも本当に素晴らしい!!

  大学生と言う若さで、 この研究成果 ・・ 」

 

ふふ ・・ 当たり前の事で

驚いてもらっちゃ 困るわ。

 

「 ええ ・・

  まさに私達科学者もお手上げですな ・・ 」

 

当然よ ・・ あんたみたいな クソジジイと

この天才である 私を一緒にしないでよ。

 

「 おっ ・・ いよいよ次は、

  赤木君の発表かね ・・・ 」

 

「 これは楽しみだ。

  真剣に聞かないといかんな。 」

 

・・・ え ・・・

 

「 コホン ・・ えー ・・ まず、

  みなさまもご存知の通り、

  近代の科学者の間では、

  先ほどの阿川さんの発表のような

  誤った内容が

  常識として存在してきました。 」

 

ぶっ!

 

「 ただいまより、私、

  赤木リツコが発表する内容は

  バイオテクノロジー ・・・ いや、

  科学の世界全体を、 新たなレベルへと

  昇華させるものと なるでしょう。 」

 

「 おおおおおおっ! 」

 

「 こっ! これはっ! 」

 

ま ・・ またしても!

負けたと言うの?

またしても … この私がっ!

私がっ!!

 

 

・・ 赤木リツコ ・・

 

幼稚園 ・・・

小学校 ・・・

中学校と、

 

常に無敗を誇ってきた、

完璧な 私の顔に ・・・

 

その汚い手で

ドロを塗った 女の名 ・・・

 

世界的に有名な 科学者の母を持ち、

裕福な家柄の生まれの才女。

 

かつ 容姿端麗 品行方正

成績優秀 才色兼備

未然連用 終止連体 !! 

 

・・

・・ ダン!!

 

薄暗い研究室の壁に張られた、

一枚の 金髪女性の写真。

 

その顔のど真ん中に、

カッターナイフが見事に突き刺さった。

 

「 赤木リツコ ・・・

  あなたの名前 ・・・ 一秒たりとも

  忘れた事なんて なかったわ ・・・ 」

 

椅子から ゆらりと立ち上がった、

長い金髪の女性 ・・・

阿川博士は 危ない笑みを浮かべながら、

カッターの突き刺さった

リツコの写真のほうへと歩み寄る。

 

「 高校のクラス委員の投票 ・・

  ・・ 学期末テスト

  ・・ 100メートル走の順位

  ・・ 男子からのラブレターの数 ・・

  くっ ・・

  くっくっくっくっ ・・  」

 

長い金髪は、お手入れ不足のせいか

バサバサで、 所々ハネてしまっている。

 

研究者にありがちな 不規則な生活のせいか、

青白い顔に 頬はこけ、

瞳には 異様な光が灯っていた。

 

「 それだけじゃないわ。

  学園祭の演劇の主役 …

  … 学食の あんかけ焼きそばのウズラの卵の数 …

  修学旅行の 沖縄でもそう ・・

  あなたは私より沢山の ホラ貝を見つけて

  クラスのみんなに チヤホヤチヤホヤチヤホヤ … 」

 

博士は低い笑い声をあげながら、

突き刺さったカッターを再び握ると、

ギリギリと力を込めて、

リツコの写真を 真っ二つにしてゆく。

 

「 すべて ・・・

  すべて あなたは私の上にいたわね ・・・

  大学でもそう ・・・

  教授に気に入られ、

  論文が話題となり ・・・

  ・・・ キャンパスクイーン候補になり ・・・

  後輩から慕われ、

  有名研究機関から声がかかり ・・

  く ・・ くっくっくっ ・・ 」

 

何がそんなに可笑しいのか、

笑いで震えるカッターにより、

リツコの写真はもう、ズタボロだ。

 

「 ねぇ ・・

  ・・・ おかしいと思わない?

  ・・・ 羨望の眼差しを受けるハズの私が ・・

  いつも ・・

  いつも日陰の 二位 ・・。

  …

  あなたが転校して来た日から ・・

  あなたがやって来た あの日からっ! 」

 

彼女はそのまま、

ボロボロになったリツコの写真を壁から引き剥がすと、

いまいましげに 両手でぐしゃぐしゃに丸めた。

 

「 リツコ ・・

  あなたは 私の目の上のたんこぶ ・・

  ・・

  あなたさえいなければ ・・

  あなたさえ!

  あなたさええ!! 」

 

渾身の力で投げられたその紙くずは

見事な曲線を描いて、

 

ポムッ!

 

研究室の向こう側に放り出されていた、

アスカの頭に当たった。

 

「 むむー!!

   もむ! もむむむむっ!! 」

 

ゴミ箱扱いされて 頭に来たのか

縄でぐるぐる巻きにされ、

口にさるぐつわをはめられたアスカが、

何やら抗議を言っている。

 

「 はぁ ・・ はぁ ・・ はぁ ・・・・ 」

 

しかし 阿川博士は、

彼女のそんなうめき声を無視し、

息を整え …

 

バサバサに乱れた髪を

片手で後ろになでつけ、アスカを一瞥した。

 

「 ・・ ふふ ・・・

  あなたは ゼロの仕事が済むまで、

  そこで大人しくしていなさい ・・・ 」

 

「 むも!!

  もむもむももむ! むんもも! 」

 

アスカは わずかに自由になる両足を

思いっきりバタバタさせながら、

まだ何やらわめいている。

 

きっと とんでもない罵詈雑言を

言いまくっているのであろう。

 

「 ・・ あら ・・

  そんなに文句を言う事ないんじゃない?

  ・・・ あなたには特別に、

  これから素敵なショーを

  見せてあげようって言うのに ・・ 」

 

言葉にならない アスカの怒りの声に気を良くしたのか、

博士はニヤリと笑って そばにある

大きなパソコンのモニターの電源を入れた。

 

パチン!

・・ ブウゥゥ・・−ン

 

暗黒に支配されていた

ブラウン管の中に ・・ ぼんやりと、

段々、何かの映像が映し出されてゆく。

 

「 素敵なショーになると思うわ ・・

  なにせ、

  あの スマした顔の赤木リツコが

   ・・・ この私の前にひざまずく事になるんですもの。 」

 

薄暗い部屋に、

モニターからの 青白い光が充満してゆく。

 

「 ゼーレだか ネルフだか知らないけど ・・

  そんなもの 私には何の関係もないわ。

  …

  見ていなさい リツコ …

  私の最高傑作によって、

  屈辱を味わうのは、 あなたの番よ。 」

 

逆恨みと

自信たっぷりの阿川博士の声を聞きながら、

縄でしばられ、

さながらイモムシのようになっていたアスカは

 

暴れる事も、抗議の声も忘れて

思わず モニターの画面に釘付けになっていた。 

 

( ・・ シ ・・

  ・・ シンジ ・・ )

 

なぜなら、

そこには 彼女が良く知っている

一人の少年の背中が、

 

映し出されていたからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 


空欄

零・明日香
(ゼロ・アスカ)

〜 第2話 〜

空欄


 

 

 

ゴオオオ・・・・・

 

低い振動が、

エレベーターの小さな個室に響いている。

 

徐々に増えていく階数表示。

そして 体に伝わる独特の圧迫感。

 

しかし、現在のゼロには

それらを感じる心の余裕など、

まったくと言って良いほど存在しなかった。

 

( ・・ ど ・・ どうしよう ・・ )

 

オーバーヒート気味の心臓のモーターは

先ほどから 彼女の命令をまったく無視して、

ドクンドクンと 凄い速さで回りつづけている。

 

たった7階まで上がるだけなのに、

恐ろしく時間が長く感じられる。

 

「 ・・ はぁ ・・ はぁ ・・ はぁ ・・ 」

 

呼吸が激しい。

熱くなったオイル(血液)が 彼女の頭の中を駆け巡り、

思考がまったくまとまらない。

 

どんな言葉を思い浮かべても、

どんなシステムを作動させても、

 

すべての “思い” は頭をすり抜け、

彼女の細くて 白い腕を通って

右手へと流れていってしまう。

 

「 ・・・ 」

 

手のひらが、燃えるように熱い。

 

彼女の “すべて” は、

さっきからずっと 握られている …

シンジと言う この少年の手のひらへと

吸い取られていくようだ。

 

 

( なんと言う事なの ・・ )

 

 

… 文字通り、

科学の粋を集めて作られた彼女が、

 

この少年に

ただ ・・ ただそっと手を握られただけの事で、

意識が混乱し、 システムに異常をきたし、

何も考えることができなくなるなど …

いったい誰が想像したであろうか。

 

( 実験の時にも …

  こんな気持ちになった事なんてなかったのに … )

 

また胸の中の正体不明の熱い気持ちが

急に大きく膨らんで …

さらに顔が赤くなってしまうのを

ゼロは奥歯を噛み締めてこらえた。

 

 

… − 怒り − …

 

… − 喜び − …

 

… − 悲しみ − …

 

人間の基本的な感情の学習は、

何度も博士の研究所で体験した。

 

それらのすべてはデータ的なもので、

大きなコンピューターから 1本のケーブルで

彼女の体の中に流れ込んで来た。

 

怒りに肩を震わせ、

喜びに笑顔を浮かべ、

 

悲しみに涙をこぼす。

 

 

例え 他人の完全なデータをコピーしたとは言え、

それだけでは 単に “膨大な量の物語” を

暗記しただけに過ぎない。

 

彼女は コピーをすると同時に、

その人物になりきって … それからの時間を

人間として生きなければならないのだ。

 

そう ・・

彼女はこの世で最も芸の達者な

“女優” でなければならない。

 

 

そのためだけに、

怒りや 喜びや 悲しみを複雑に絡み合わせて、

その時 その時を … 

彼女はアドリブで乗り切るように作られたはずだ。

 

 

・・・ それなのに

 

 

「 シ ・・ 

  ・・ シンジ ・・ くん 」

 

「 ・・ え ・・ 」

 

閉鎖された エレベーターの中で、

思わずゼロは

“アスカの記憶に無い” 行動に出ていた。

 

研究室で 阿川博士に体を触られても、

こんな状態になった事などない。

 

前回の 初めての仕事の時にだって

一つのヘマもしていない。

 

( ・・ しまった!! )

 

意識が上の空になっていた彼女は、

思わず 一瞬 “演じる事” をやめてしまったのだ。

 

アスカはシンジの事を

“シンジ君” などとは呼ばない。

 

 

ゴオオオオオ …

 

わずかな沈黙。

 

上昇するエレベーターの中で、

振り返ったシンジが 何も言わず彼女を見ている。

 

( ば ・・・

  ・・・ ばれた ・・ か ・・ )

 

思わず体に力が入る。

ドッと冷や汗が… いや

冷却水が出て来た。

 

 

 

・・ しかし、

 

 

「 あ ・・ ごめん ・・ アスカ

  気がつかなかった ・・ 」

 

シンジはそう言って、

ちょっと照れたように笑って、

握っていた手を離してしまった。

 

どうやら 彼女の小さな声は

エレベーターの騒音にかき消されて

しっかり聞こえなかったようだ。

 

 

チーン

・・ ガラガラ ・・

 

思わずゼロが胸を撫で下ろしたと同時に、

エレベーターはようやく7階に到着した。

 

 

「 さ、 お腹すいてるでしょ?

  早くご飯にしようよ。 」

 

エレベーターを出て

すぐ目の前が 葛城家だ。

 

彼は屈託の無い笑顔でアスカに話し掛けると、

そのまま玄関のドアを開けて

先に中へと入って行った。

 

 

 

「 ・・・ はぅー ・・・ 」

 

彼の背中が視界から消えたと同時に、

 

アスカはずっと詰めていた胸の中の空気を

長い溜息に変えた。

 

「 碇 ・・・ シンジ 」

 

( いったい ・・

  あの男はなんなの ・・ )

 

つぶやくと同時に、

… バキンッ!

小さな金属音が 彼女の背中から響く。

 

シュワアアーーーッ!!

そして 彼女の上着を揺らしながら、

背中の排気口から 大量の水蒸気が吐き出した。

 

熱くオーバーヒートした

内部のパーツを冷やすための冷却水が、

水蒸気に気化したものである。

 

一見、人間の少女に見えるゼロは、

やはり バイオロイド… ロボットの一種なのである。

 

 

 

「 ・・・ 」

 

 

まだ顔が火照っている。

 

握られていた手は、

まるで火傷をしたみたいに、

熱く ・・ 切ない。

 

だんだんと

胸の鼓動が静まってゆくと同時に・・

何か ・・ さびしい気持ちが広がってゆく。

 

( ・・・・・・ )

 

彼女にとって…

予想だにしないハプニングが

ようやく去ったハズなのに。

 

( ・・ それなのに ・・ )

 

心の何処かで

それを残念に思う気持ちがある。

 

 

・・ あのままずっと

      この手を握っていて欲しかったと ・・

 

 

( バ、バカな ・・ 私は ・・

  私はいったい ・・ 何を考えているの ・・ )

 

ゼロは慌てて首を振ると、

うなだれたように 顔を手で覆った。

 

水蒸気のゆげが風にかき消されてゆく …

 

「 碇 ・・ シンジ ・・ 」

 

玄関前の

コンクリートの壁に背中を預けたゼロは、

小さく ・・ 確認するかのように、

もう一度 その名をつぶやいた。

 

 

彼女の意思とは裏腹に、

自分を見つめる あの少年の笑顔が、

 

彼女のメモリーの中の

一番上のほうに 熱く書き込まれていた。

 

 

 

 


 

 

 

 

ゼロが、自らのシステムが陥った

突然のアクシデントに困惑していた まさにその時、

 

違う場所で、 まったく同じように困惑していた

一人の女性がいた。

 

 

「 こんなバカな ・・・

  感情のパラメーターが、

  深層心理レベルまで 変動するなんて ・・・ 」

 

先ほどまで、

異常を知らせる赤いランプを点滅し続けていた

3台の液晶ディスプレイを見つめながら、

阿川博士は 乾いた声でつぶやいた。

 

一時は あらゆるデバイスの異常を知らせる

“警告” の表示が そこかしこに点滅していおり、

多くのエラーが発生していたものの、

 

現在は ゼロの自己修復機能により、

心肺の 異常な高鳴りを除く

すべての機能が なんとか正常に戻っている

 

「 今までの実験では

  ありえなかった現象だわ ・・・

  いったいどうして ・・・ 故障かしら ・・・ 」

 

とりあえず ここからは ゼロの行動を

モニター(観察)する事 しかできないので、

本格的に故障と言う事になれば、

博士自身が 出向かねばならない。

 

幸い、いくつかの部品のオーバーヒートだけで

現在は平常に戻ったようではあるが ・・・

 

「 外部の気温の作用かしら ・・・

  それとも 何らかの刺激が要因として ・・ 」

 

博士は散らかった机の上に置かれた、

分厚いノートに手を伸ばすと、

何やら ぶつぶつとつぶやきながら

それをめくり始めた。

 

 

< アスカ ・・

  お風呂より先に ごはんにしようよ、

  もう できちゃってるからさ。 >

 

 

< ・・・・・ >

 

 

< アスカ? どうしたの?

  ボーっとしちゃって ・・ >

 

 

< え! あ!

  なんでもない!! >

 

 

静かな研究室の中には、

引き続き ・・・

シンジとゼロの会話が流れている。

 

高速な無線ネットワークにより、

ゼロが現在 “聞いている” 音と、

ゼロが現在 “見ている” 映像が、

リアルタイムに 遠く離れたこの研究所の

コンピューターへと 送られて来ているのだ。

 

 

< アスカは部屋で着替えてきてよ ・・ >

 

< う ・・ うん >

 

 

画面には 葛城家の廊下と、

シンジの顔が映し出されている。

 

だが、ゼロのシステムの原因不明の暴走に

頭を悩ましている 今の阿川博士にとって、

くだらない少年との会話など

気にしている余裕はなかった。

 

むしろ 彼女の背後の机の上に

まるで荷物のように乗せられている

イモムシ・アスカのほうが、

画面を食い入るように見つめていた。

 

「 もんみ!!

  もみ! ももみみみもんもも!! 」

 

どうやら 自分の姿をした女性に、

シンジが優しく話かけているのが

物凄く気に入らないらしい。

 

さらに、

自分の姿をした 他人が、

シンジの行動に 恥らったり、

喜んだりしている事も、

彼女にとっては 許しがたい状況である。

 

「 もんみ!!

  (シンジ!!)

  もめも ももみももみんも もんももみも! 

  (それは あたしじゃないって 言ってるでしょ! ) 」

 

しかし 所詮はモニタールームだ。

さるぐつわをかまされ、うなっているアスカの声が、

シンジの耳に 届くハズはなかった。

 

… よしんば 届いたところで、

何を言っているのか、わかるわけもないのだが …

 

そんなこんなで、

しばらく 時間が流れ …

 

結局、ゼロのシステムの

異常な暴走の原因がわからぬまま、

 

「 晩御飯 … そう言えば

  もう そんな時間なのね … 」

 

シンジ達の会話を聞いていて、

一時休憩を思い立ったのか…

 

ノートを机の上に戻した 阿川博士は、

何やらごそごそと そばにあった

大きなダンボールの中を探し始めた。

 

「 ・・・・・ 」

 

イモムシ・アスカも、

思わず 何事かと それを眺めていると …

 

「 今日は …

  これで良いわね。 」

 

博士は 銀色のパックのようなものと

ストローを一本、手に持った。

 

俗に言う、栄養補助食。

 

忙しい時に 食事の代わりにする、

よく薬局で見かける、

ゼリーのような食べ物である。

 

「 ・・・・・ 」

 

彼女はそのパックに

慣れた手つきでストローを突き刺すと、

そのまま ちゅーちゅーと …

いささか簡単すぎる食事を始めた。

 

 

「 ・・・ も ・・ もっも!!

  ももみみも もみも ももみみもも!! 」

 

「 ちゅー ・・ ちゅー ・・ 」

 

「 もも! ももみみも!!

  ももんんもみみももんもー!! 」

 

「 何よ …

  うるさいわねぇ …

  私にも 何か食べさせろって 言いたいの? 」

 

博士が 後ろを振り向くと、

さるぐつわのアスカが ぶんぶんと頷いている。

 

囚われの身とはいえ、

晩御飯を食べていないアスカのおなかは

さっきからずっと 悲鳴を上げていたのである。

 

「 しょうがないわね ・・ 」

 

博士は溜息混じりにつぶやくと、

再び 足元のダンボールをごそごそとやり始めた。

 

なんだかんだ言いながらも、

彼女に何か食べさせてあげるようだ。

 

「 … このマスカット味で良いわね?

  まったく … 世話のかかる … 」

 

ストローを突き刺した、

その 栄養補助食を手に、

阿川博士はアスカに近づくと、

 

「 あ …

  良いわね …

  わかってると思うけど、

  騒ぐんじゃないわよ。 」

 

彼女のさるぐつわを外す前に、

そう 念を押した。

 

「 もむ! もむ! 」

 

アスカは素直に何度も頷いた。

 

そして 白いさるぐつわが

彼女の口から ようやく消えた。

 

「 誰かあああー!!! 

  助けてええー! 」

 

… アスカが素直に

人の言う事を聞くわけがない。

 

「 こっ! こら!! 」

 

「 ひとさらいよおー!!

  ひいいいいとおおおおお

  さああああーーー

    らああああああーーー

 

  はが!!

  がががっ!

  ひたたたたた!! 」

 

絶好調に叫んでいたアスカの声は、

博士に両手で ほっぺたをつねられ、

引っ張られて 悲鳴に変わった。

 

「 えーい!

  黙りなさい!!この!この! 」

 

「 たたたたたた!!

  あにすんのひょ! はたたたた! 」

 

「 きー!!

  リツコと言い、あんたと言い、

 いまいましい! こうしてやる!こうして! 」

 

 

そんな 大騒ぎから、

数十分後 ・・・

 

赤くなったほっぺたの イモムシ・アスカは、

ゼロの見たものが 映し出されているモニターを

まるで テレビ番組を見るように

ぼんやり見つめながら …

 

とうの昔に 空っぽになった銀色のパックを

口にくわえたままの ストローで、

 

ペコン ・・

 

ポコン ・・

 

ペコン ・・

 

と ふくらませたり、

しぼませたりしていた。

 

 

結局、

ここは セカンドインパクトで捨てられた、

古い倉庫街の地下の一室とかで、

 

いくら叫ぼうが、暴れようが、

助けは来ないらしく …

アスカはとりあえず 体力の無駄使いをせず

大人しくする事にしたようである。

 

 

「 ねえ ・・ 」

 

 

「 ・・・・ 」

 

 

「 ねぇ ・・・

  ちょっとさぁ ・・ 」

 

 

 

 

「 ・・・ 何よ 」

 

 

「 何よ ・・ じゃないわよ、

  もっと ・・ こう ・・

  マシな晩御飯はないの?

  こんなんじゃ、

  ぜんぜん お腹にたまらないわよ … 」

 

シンジの愛の手料理を

毎晩お腹一杯 味わっているアスカにとって、

こんなものが “晩御飯” だと言う事実は、

到底受け入れられるものではない。

 

いや ・・・ そもそも

“味” や “量” 以前の問題だ。

 

「 あなたね ・・

  誘拐された自覚はあるの? 」

 

コンピューターのキーボードを

何やらパチパチと叩きながら、

阿川博士は 心底呆れた声で答える。

 

「 誘拐されても なにされても、

  お腹がすくのが人間よ… 悪かったわね。 」

 

アスカは部屋の隅で、

ぶるぶると震えているだけの “女の子” ではない。

 

例え相手が 得体の知れない科学者であろうとも、

自分の自由が奪われていようとも、

元エリートである彼女は 腹を据えているのだ。

 

「 呆れた ・・

  リツコは 本人だけじゃなく、

  周囲の人間までも みな生意気なのね ・・ 」

 

ギギ ・・ と

油の足りない椅子を回して、

博士は アスカの方を向くと、

フンッ と 鼻を鳴らした。

 

「 あいにくだけど、

  あとは … これと、 … これしかないわ 」

 

足元のダンボール箱から

いつのものかわからないような カップラーメン。

そして、白衣のポケットからは

カロリーメイトが1箱

 

・・・・

・・

 

「 … ロクなもん

  食べてないわね ・・ 」

 

アスカはストローをくわえたまま、

どんよりと 顔を曇らせた。

 

見回せば 散らかり放題の部屋に、

洗ってもいないのであろう カップめんの容器や

お菓子の袋や ペットボトルの山。

 

恐らくこの女性は、

自分で料理するなどと言う考えを

遥か地球の裏側あたりに忘れて来たに違いない。

 

「 … 

  … ミサトにそっくりだわ … 」

 

思わずアスカはしみじみと、

万感の思いを込めてつぶやいていた。

 

・・・ すると、

 

「 ミサト ・・

  葛城 ミサトの事ね ・・・ 」

 

博士はアスカを横目で見ながら、

ニヤリと 薄い笑みを浮かべた。

 

「 な ・・ 」

 

思わずアスカは言葉を失う。

 

「 なんで知ってんの!あんた!

  ・・・ って言うか、

  あんた一体 何者よっ! 」

 

最も基本的で、

誘拐されたら まず最初に聞かねばならない問いを、

アスカはようやく 彼女に投げかけた。

 

しかし

博士はそんな彼女の言葉に答えず、

 

「 ふふ …

 リツコの友人で、良く目立つ女だったわ …

 そういえば 生意気だったわね、

 彼女も … 」

 

まるで 昔を懐かしんでいるかのような、

穏やかで 意味ありげな口調で

そう つぶやいた。

 

どうやら この女性は、

リツコだけでなく …

ミサトとも 大学で面識があるようだ。

 

「 ・・・

  あんたと言い・・

   ミサトと言い・・

     リツコと言い ・・

 ・・・・ 京都大学ってトコロには

 性格破綻者しかいないのかしら。 」

 

今は亡き

加持の事は棚に上げ、

アスカが ぽつりとつぶやいた。

 

「 誰が性格破綻者ですってぇ! 」

 

だが、 何気ない一言も

プライドの高い阿川博士の

逆鱗に触れるには、充分であった。

 

「 あんた以外に誰がいんのよ! 」

 

もちろんアスカも負けてはいない。

 

「 この 生意気な小娘が!

  私の何処が性格破綻者だって言うのよ! 」

 

「 あんたバカァ!?

  こんな汚い倉庫の地下室で

  壁の写真にカッター投げて笑ってる三十路の女の

  性格が破綻してないって言うほうがおかしいわよ! 」

 

「 むきぃーーー!! 」

 

人間、

本当の事を言われるほど辛い事はない。

 

「 ひた!

  ひたたたたたた!! 」

 

「 きーー!!

  いまいましいったら ありゃしないわ!

  この私を! この私をおお!! 」

 

「 ひたいじゃないのひょ!

  手ぇ離しなさひよ! この年増ぁ! 」

 

 

薄暗い地下室にはいつまでも …

大きな叫び声が こだましていた。

 

 

 


 

 

 

( 予定外のハプニングがあったけど ・・

  ・・ 計画に変更は無いわ ・・ 頑張らなくちゃ ・・ )

 

家の中に入り、

一度自分の ・・ いや

アスカと言う少女の部屋に戻ったゼロは、

着替えをしながら、既に落ち着きを取り戻していた。

 

それだけではない。

洗面所で手を洗ったついでに、

顔も洗った事で ・・

顔面の毛細血管の膨張現象も

完全に治った。

 

「 これで何の問題もないわ ・・ 」

 

湯気の昇る晩御飯が、

きちんと並べられたテーブルについて、

ペンペンを膝の上に乗せながら アスカはニヤリと笑った。

 

「 クア? 」

 

別にテレビで 面白いシーンをやっているわけでもないに

突然笑ったアスカを不思議に思ったのか、

ペンペンが彼女を見上げる。

 

「 ふふふ ・・

  ペンペンに言っても わかんないわ。 」

 

人間でさえ見分けられないのだ。

ペンギンにわかるわけが無い。

 

ゼロは得意そうに、

膝の上のペンギンを見下ろす。

 

「 クキュー? 」

 

別に乗せたくて乗せているわけではない。

彼女が席についたら ヒョコヒョコと

膝の上に登って来たから、仕方なく乗せているだけだ。

 

まあ … この寒い時期に

ふわふわで もこもこのヌイグルミのような

ペンペンを抱くのは暖かくて気持ちが良いのは確かだ。

 

ゼロの中にある アスカの記憶によれば、

この温泉ペンギンは 女性の ・・ 特にこの家では

レイとアスカの膝の上でジッと座っているのがお気に入りなのだ。

 

別にオスだから 女性が好きだと言うわけではない。

 

恐らく彼女達の太ももが

柔らかくて座り心地が良いのだろう。

 

にもかかわらず… 彼がミサトにくっついていかない理由は、

膝の上に座っていると 酔っ払った彼女に

ビールやらなにやらを いたずらに飲まされるからに他ならない。

 

「 私の膝の上は 気持ち良い? 」

 

「 クア〜 」

 

「 そう ・・ 良かった 」

 

そんな他愛も無い会話を

ペンペンと交わしながら、アスカがテレビを見ていると…

 

「 ・・ おかえり ・・ 」

 

お味噌汁を両手に持って、

青い髪の少女が 台所から現れた。

 

「 た ・・ ただいま ・・ 」

 

わずかに アスカの ・・ いや

ゼロの表情に緊張が走った。

 

 

( ・・ 綾波 ・・ レイ 

    ・・ この子が ・・ )

 

 

アスカの記憶をコピーした事で、

レイのだいたいの素性や性格などは

ゼロも把握している。

 

しかし その青い髪と

透き通るような白い肌。

そして ルビーのような赤い目を実際に見ると、

やはりある種の戦慄を覚える。

 

( 確かに ・・ 普通じゃないわ。

  やはり、本当にクローン体なの? ・・

  ・・・ この子は ・・ )

 

テレビに目を向けるフリをしながら、

食卓の上に お味噌汁を並べているレイの姿を

ちらちらと ゼロは盗み見る。

 

( ・・ 人間よりも、

  むしろ私に近い ・・ 存在 ・・ )

 

残念ながら、アスカの記憶には

レイの詳しい情報は 何一つ存在しないと言って良い。

 

彼女が “クローン体” らしいと言う事は知っているが、

彼女の髪の色や目の色の理由 …

ましてや 過去の詳しい事など知るよしもない。

 

そもそも ゼーレや 阿川博士は、

そういったデータ的なものを欲しがっているのではない。

 

彼女を連れ出し … ネルフの目の届かぬ場所で

秘密裏に拉致し、 実際に彼女を調べる事が目的なのだ。

 

惣流・アスカ・ラングレーを コピーの対象に選んだ理由は

そうすれば綾波レイに近づきやすくなるからに 他ならない。

 

( 問題は ・・ どうやって

  この子を連れ出すか ・・ だわ ・・ )

 

レイの姿を見ながら

アスカがそんな邪悪な計画を考えていると、

 

「 綾波 ・・ もう運ぶものはないから、

  座っていいよ ・・ 」

 

「 うん 」

 

台所から、

シンジが残りのお味噌汁を持って現れた。

 

「 !! 」

 

途端に、ゼロの体に電流が走る。

 

「 ・・・ 」

 

レイの観察と言う任務は何処へやら、

 

意識とは無関係に、

アスカはシンジの姿を目で追ってしまう。

 

せっかく落ち着いたと言うのに、

もう 胸がドキドキしてきた。

 

( い、いけないわ ・・

  意識をターゲットに集中させないと ・・・ )

 

頭を振って

邪念を振り払おうとするゼロであったが ・・

 

「 じゃ、僕も もう座ろうかな・・・ 」

 

「 ひっ! 」

 

シンジはあろうことか、

アスカのすぐ隣に腰をおろした。

 

「 えっ!? なに? アスカ ・・

  どうかしたの? 」

 

突然悲鳴をあげた少女に驚いて、

シンジが彼女の顔を見た。

 

彼の向こう側から レイも不思議そうな顔で

アスカの方を見ている。

 

「 い ・・ いや、なんでもない!

  なんでもないわ!! 」

 

慌ててブンブンと手を振るアスカ。

“ 突然肩が触れるほどの距離にシンジが来たので

心の準備ができていなくて、驚いてしまった” などと

言えるわけもない。

 

( あぶないあぶない ・・・

  ・・ シンジ君が隣に座るのは、いつもの事だった ・・ )

 

… コピーしたアスカの記憶を探してみれば、

ミサトの帰りが遅い日は、いつもこうして仲良く三人で

並んで晩御飯を食べるのが日課だ。

 

朝食や昼食は 台所のそばのテーブルで

椅子に座って食べるのだが、

 

晩御飯は テレビの前に 低いテーブルを持って来て、

そこでバラエティ番組なんかを見ながら食べるのである。

 

「 それじゃあ ・・ 

  いただきます。 」

 

「 いただきます。 」

 

「 い ・・ いただきます。 」

 

横一列に 三人で並んで食べるのは、

“向かい合って食べると 背中に目がない人は

 テレビが見れない” と言うだけの理由で、

別に深い意味は無い。

 

( だから ・・ シンジ君が隣に座るのは

  あたりまえの事だったんだっけ ・・ )

 

なんとか落ち着こうとするが、

すぐ隣にいるシンジの事を

どうしても意識してしまう。

 

高鳴る鼓動を押さえながら、

彼女はお茶碗と お箸に手を伸ばした。

 

 

< さあ、 あの音楽番組の舞台裏に潜入した二人組みは

   これからいったいどうなるんでしょう!

   CMの後は 超大物、 謎のゲストも登場だぁ! >

 

 

「 いかりくん ・・ これ ・・

  ごま油がとてもおいしい ・・ 」

 

「 うん ・・ 入れてみて正解だったね。

  やっぱり中華風にしたほうが 美味しくなるよね。 」

 

 

他愛も無い内容のテレビ番組と、

他愛も無い内容の会話。

 

本物のアスカであれば、

会話に溶け込み… シンジをからかい、

美味しく楽しく食事をするハズだが、

 

今のゼロに そんな余裕はほとんど無かった。

 

「 ・・・・ 」

 

体温が感じられるほど近くに

シンジがいると言うのもある。

 

おかげで肩が少し触れ合うたびに

心臓が爆発しそうだ。

 

しかし それにも増して

ゼロの意識を奪っていたものは…

 

( こ ・・ これが!

  “暖かいごはん” と言うものなの! )

 

食卓に並んだ、

できたての料理の数々であった。

 

・・

彼女は完璧な人間になるために

作られたバイオロイドだ。

 

肉体の半分は機械であるが、

半分はまた 人間のそれと同じである。

 

よって 何かを食べる事も、

飲む事もできる。

 

彼女が普通の人間と違うのは、

その食事をエネルギーに変える事をせずに、

超高性能のバッテリーで動いている事ぐらいだ。

 

よって、普段は何かを食べたり飲んだりする必要がない

ゼロであったが、 過去にモノを “食べた” 経験は

もちろんある。

 

研究所では

訓練も兼ねて いつも食事は

博士と一緒に食べていたのだ。

 

しかし出てくるものと言えば、

カップラーメンか 栄養補助食。

最高級レベルで レトルト食品。

 

他には お菓子やジュース程度の

ジャンクフードばかり。

 

プライドが高くて 男など鼻にもかけない

阿川博士が、料理などと言う 彼女曰く

“ しおらしく … くだらない行為 ” ができるわけもない。

 

よって研究所の机の上にはいつも

カップめんの空き容器やらコンビニのおにぎりやらが

転がっている … とても女性の部屋とは思えぬ

荒れ果てぶりであった。

 

そんな環境で育った … もとい

作られたゼロには、 “美味しいごはん” と言う

データ的な知識はあるが、

実際にそんなものを口にした事など

ただの一度もなかったのである。

 

( なんて ・・

  なんて素晴らしいのかしら! )

 

始めて見た 湯気の昇る白いごはん。

そして 暖かくて美味しいおかず。

冷たくないお味噌汁 …

すべてが新鮮で、

すべてが感動的で、

すべてがカルチャーショックだった。

 

 ああ ・・ おいしい ・・

  ・・ なんて幸せなの ・・ 私は ・・ )

 

阿川博士の元での

今までの劣悪な食生活を思い出し

彼女は思わず涙を流しながら、

目の前に並んだ料理を もくもくと口に運んでいった。

 

「 ・・ 今日のはどうかな? アスカ 」

 

あまりにも嬉しそうに食べる彼女の姿に

シンジが思わず問い掛けた。

 

「  うん ・・ すごく ・・

  すごく美味しいよ ・・・ シンジ 」

 

感動に瞳をうるませながら、

アスカは鼻声で答える。

 

「 泣かなくても良いのに ・・ 」

 

これが泣かずにいられようか。

 

シンジの呆れたような ・・

でも嬉しそうな声を聞きながら、

 

ゼロは生まれて始めての “手料理” を

思う存分堪能した。

 

 

「 それでね ・・

  駅前のラーメン屋さんの跡地には、

  今度たこ焼き屋さんができるらしいんだ。 」

 

「 ・・ たこ焼き? 」

 

「 うん ・・ それでね、

  トウジにその話をしたらさ、

  大阪では ・・ 」

 

食後のお茶を飲みながら …

見ていないテレビの音をBGMにしての、

他愛も無い会話。

 

おだやかな時間。

 

暖かい部屋。

 

美味しいごはんで

いっぱいになったおなか。

 

 

( 居心地が良いと言うのは ・・

  こういう感じ ・・ なのかしら ・・ )

 

 

スイッチを入れた覚えもないのに、

ゼロのOSはなんだかスリープモードに

移行しつつある。

 

ついさっき、

任務のために この家に潜入したと言うのに …

 

湯飲みを片手に、

彼女はとろんとした目で、

隣のシンジの横顔を見つめている。

 

( ずっと ・・ 

  毎日シンジ君の料理を食べて ・・

  ・・・

  ずっと ・・ この家で ・・

  こうしていたいな ・・ )

 

そんな願いが 当たり前のようにかなっている、

オリジナルのアスカに 

彼女はちょっと嫉妬してしまう。

 

ターゲットを 目の前にしながらも、

ゼロは生まれて初めて味わう …

このなんとも言えない

幸せな空気を胸に吸い込んで、

 

いつしか穏やかな気持ちに包まれていた。

 

 

 


 

 

 

チッ ・・・ チッ ・・・ チッ ・・・

 

晩御飯も終わり、

静寂を取り戻したリビングには

壁の時計の針の音だけが静かに響いている。

 

夜遅くになると

特に面白いテレビ番組や 映画がない時は、

ソファーでレイは、漫画や小説などの読書を…

アスカは自分の部屋に戻ったり、

同じようにソファーで 雑誌や漫画を読むのが日課だ。

 

先ほどまで

海外の刑事モノ ドラマを流していたテレビも、

急にうるさく思えて来た アスカの手によって

スイッチを切られて久しい。

 

シンジがいる時は、

三人でテレビゲームをしたりする事もあるのだが、

あいにく シンジは数日後の

葛城家 クリスマスパーティーに向けての

料理の下準備と 研究で台所に立ちっぱなしである。

 

( シンジ君は 意外とガンコって言うか …

   凝り性なんだな … データ通りだわ。 )

 

テーブルの上の みかんに手をのばしつつ、

膝に広げた雑誌に目を落としていた アスカは

ふいに顔をしかめると、 わずかに首を横に振った。

 

( いっけない …

  また シンジ君のこと考えてる …

  …

  いったい … 私は どうしたと言うの?

  … もっとターゲットに 意識を集中させないと )

 

そう … 彼女は先ほどから、

食休みに くつろいでいるフリをして、

すぐ隣で、うっとりしながら少女漫画を読んでいる

レイを観察していたのだ。

 

思いもよらぬ 障害に阻まれたとは言え、

彼女の使命は 任務をまっとうする事にあるのだ。

 

( ・・・・・ )

 

確かに先ほどから気を抜くと、

すぐにあの 少年の事ばかりが、

頭の中のメモリーを占領してしまう。

 

だが、

いつまでもそんな事を言っているわけには

いかないのだ。

 

「 ・・・・ 」

 

レイが 漫画に夢中になっているのを

横目で確認すると、

ゼロは静かに 膝の上の雑誌を閉じた。

 

( この距離なら

  相手に気付かれずに 捕らえる事は可能だわ ・・・ )

 

わずかに笑みを浮かべ、

彼女は頭脳の中にあるシステムに指令を送り、

体の機関 … 特に運動中枢にエネルギーを集中させる。

 

本気を出せば、 ロボットでもあるゼロの力は

人間のそれの比ではない。

瞬発力や 持続力もまたしかりだ。

 

( システム … 

  … 戦闘モードに移行 )

 

かすかなモーターの音が 体内に響く。

両手足が わずかに熱を帯び …

フワッと 体が軽くなった感じがする。

 

もちろん 戦闘モードとは言え、

軍隊のロボット兵器と同じような

桁外れのレベルではない。

 

… だが

目の前の少女を一人 拉致する事くらい、

朝飯前のパワーである。

 

 

チッ ・・・ チッ ・・・ チッ ・・・

 

 

部屋の中は依然として静かだ。

 

シンジは台所に行ったまま…

保護者の 葛城ミサトと言う女性は、

今日は付き合いで遅くなるらしい。

 

ターゲットの綾波レイは、

少女漫画の中の恋愛に、心奪われたままだ。

 

( よし ・・・ 行くわよ ・・ )

 

状況としては まさに完璧。

これ以上 望むべくもない。

 

ゼロは雑誌を床の上にどけると、

わずかに中腰になり …

 

隣の丸いソファーに背中を預けている、

レイの方へ 体を向けた。

 

( ふふ …

  大人しくしてて … すぐ終わるわ … )

 

ゼロの目の中のレンズが、

フォーカスを絞る。

 

まるでそれは 獲物を見つけた

鳥のようである。

 

そして 次の瞬間、

サッと両手が広げられた!

 

ゼロは まさに今

ウサギに飛び掛る ワシのように!

 

プシューーッ!

ガシャ!

 

「 たら〜いま! 」

 

ビクン!

突然 玄関からの大声に、

ゼロの心臓のモーターは跳ね上がり、

彼女はそのままの姿勢で 固まってしまった。

 

「 あっ ミサトさん!

  おかえりなさい! 遅かったですね… 」

 

ビクン!

さらに 台所からシンジが現れ、

彼女の全身から ドッと冷や汗 …

いや 冷却水が吹き出した。

 

「 ・・・・・ 」

慌てて ソファーに座りなおし、

雑誌を逆さまに広げる ゼロ。

 

シンジはそのまま

玄関の方へと 歩いていく。

 

 

「 あ、シンちゃ〜ん!

  たらーいま! ん〜〜 」

 

「 わっ ・・ ちょっと ・・ ミサトさん!

  もう ・・ また沢山飲んで来て … 」

 

「 ん〜〜

  ちょっと!ほんのちょっとだけよ♪

  リツコのほうが もっと飲んでたしぃー ・・  」

 

「 とてもそうは見えませんけど ・・ 」

 

 

玄関からは

酔っ払った女性の甘えきった声と

呆れたようなシンジの声が聞こえている。

 

( あー! ・・・ び ・・

   びっくりした〜 ・・ )

 

ゼロは ドクンドクンと 

壊れたように早鐘を打つ心臓を

必死になだめていた。

 

幸い レイは彼女のそんな行動に

まったく気付かなかったようで、

先ほどと同じ姿勢のまま ・・

漫画を読みつづけている。

 

まさに 間一髪。

正体がバレてしまうところであった。

 

 

「 ん〜〜ね〜〜

  おかえりのちゅーして? ね、シンちゃん 」

 

「 ほらほら、

  バカな事言ってないで …

  早くコート脱いでくださいよ 」

 

「 や〜だ〜!

  ちゅーして!!ちゅう!

  ね、 ね、 ほっぺで良いから♪ 」

 

「 もう ・・ その前に ほら、

  そっちの足も ブーツ抜いてくださいってば 」

 

「 や〜

  シンちゃんが脱がせて♪ 」

 

 

驚いた心臓が どうにか静まり始めると、

今度はどうした事か …

 

耳に入ってくる二人の会話で

ゼロの胸の中が なんだか無性に

ムカムカとしてきた。

 

システムにまた

エラーが起こったのだろうか?

 

こんな気持ちも、

今まで感じたことはない。

 

( … ん? … )

 

見ると、

先ほどまでなんの動きも見せていなかった

青い髪の少女も、

 

手にした漫画から視線を外し

玄関のある 廊下のほうへ

険しい視線を送っている。

 

( ・・・ ? ・・・ )

 

ゼロが思わず、

彼女のそんな表情を見つめたまま

何事かを考え始めた瞬間、

 

「 アスカ〜 ただいま〜♪ 」

「 わっ! 」

 

後ろから 大きな柔らかい物体が、

彼女の背中にガバッと抱きついて来た。

 

「 ん〜 ・・ アスカ ・・

   アスカの髪って 良いにおい〜 」

 

頭をなでているのか、頬擦りしているのか

プロレス技なのかよくわからないが、

上機嫌のミサトは

アスカの豊かな後ろ髪に顔を埋めて、

なにやら もごもごと言っている。

 

「 ち ・・ ちょっと

  いいかげんにしなさいよ!

  この酔っ払い! 」

 

度重なるハプニングに

気が動転していた 彼女だったが、

そこは優秀なバイオロイド。

 

なんとか アスカの記憶の中から

違和感のない対応を 演じる事に成功した。

 

「 いやぁ〜ん なに?

  もしかして反抗期?

  だめよ、そんなの!

  私はこんなに アスカの事愛してるのにぃ〜 」

 

「 こっ! こら!

  どこ触ってんのよ!! 」

 

ミサトはゼロに抱きついたまま、

赤い髪に埋もれた

彼女の首筋を重点的に狙って

すりすりと 頬擦りを繰り返す。

 

「 ほら ミサトさん ・・

  遊んでないで、まず部屋に行かないと ・・ 」

 

「 ねぇ〜〜 アスカぁ〜 …

  何か悩み事とか あるんじゃなぁ〜い〜? 」

 

「 ・・ なっ ・・ 

  ・・・

  な、ないわよ、そんなもの ・・ 」

 

急にそんな事を言われると、

なまじ “ニセモノ” である以上

後ろめたい気持ちになってしまう。

 

しかし そんな複雑な事情が、

完璧に酔っ払っているこの黒髪の女性に

わかるわけがない。

 

「 ん〜〜??

  ・・ ほんとぉ〜? 」

 

「 ほんとだってば、

  まったく ・・ 飲みすぎよ ・・ ミサトは。 」

 

「 あーん!

  アスカのうそつきぃ〜 

  ぐすっ ・・ 聞いてよレイ! アスカがぁ〜 」

 

へべれけの酔っぱらいは

泣いたフリをしつつ … 次のターゲットである

レイに抱きつこうとしたその時

 

「 はい、そこまで! 」

 

ついに背後からシンジに引っ張られて

そのまま ズルズルと

自室に強制連行されて行った。

 

 

 

( あ ・・ 

  あれがネルフの作戦部長? )

 

 

記憶の中にデータがあるとは言え、

生で体験すると にわかには信じられない。

 

嵐が去って、

ゼロは呆然とした顔で、

ぐしゃぐしゃになってしまった髪の毛を手で直しつつ、

彼女が消えていったドアを見ていた。

 

人知を超えた “使徒” と呼ばれる、

攻撃的な生命体と戦う 総指揮官と言う任務は

かなりの切れ者でなければ 勤まらないハズだが、

 

・・・・

コピーしたデータに

重大な欠落でもあるのだろうか?

 

 

「 ほら、ミサトさん!

  お風呂に入るまで、

  寝ちゃだめですってば! 」

 

「 ん〜・・ ふかふか〜♪ 」

 

「 ふかふかじゃなくて、

  ご飯は? どうするんですか?

  まだ少し残ってますけど ・・ ちゃんと食べたんですか? 」

 

「 ん〜 ・・ 」

 

「 あー もう!

  寝るのは良いですけど、

  制服のままじゃシワになっちゃうからダメですよ!

  アイロンかけるの 僕なんですから ・・

  ご飯食べるか、お風呂に入ってから ・・

  ほら、まず着替えないと。 」

 

「 ん〜 ・・ きがえ〜? 」

 

「 ちっ ・・ ちょっと!

  僕が出て行ってからにしてください! 」

 

間違いない。

 

どうやら

重大なデータのコピーミスがあるようだ。

 

 

「 … とても優秀な軍人とは 思えないわ … 」

 

 

「 うん 」

 

 

思わずもらした ゼロのつぶやきに、

何故か 隣のレイまでもが

小さく同意した。

 

 

 


 

 

 

かくして

アスカの姿をした バイオロイド

“ゼロ・アスカ” の

葛城家での苦悩の日々は幕を開けた。

 

コピーした人物と

まったく同じになれる、

まさに究極のスパイ。

 

究極の刺客である ゼロ。

 

だが … 天は彼女を見放したのか、

綾波レイの調査&拉致作戦は

ことごとく失敗を重ねていた。

 

それと言うのも

あの後 …

 

深夜になれば 邪魔者もいなくなり

作戦もやりやすいだろうと思い …

 

家族全員が寝静まった後、

ゼロはこっそりと綾波レイの部屋へと

侵入するつもりでいたのだが、

 

彼女 … つまりアスカは、

あろうことか あの碇シンジと同じ部屋で

いつも眠っていたのである。

 

当然 彼をまたがないと

ドアの所まで行けなかった ゼロは、

シンジの愛らしい寝顔に

ポーッと心を奪われてしまい …

計画どころではなくなってしまった。

 

( 次のチャンスがあるわ …

   次こそ … 次こそ … )

 

結局 そのままずっと

シンジの横顔を見つめていたゼロは、

そんな 言いわけめいた言葉を繰り返しながら

朝を迎えてしまった。

 

 

だが、

朝になったらなったで

彼女を待っていたのは

 

また 失敗の連続であった。

 

 

( ふふ … 

  昨日はいろいろあって失敗したけれど …

  今日は必ず仕留めてみせるわ )

 

朝のさわやかな風と光が

リビングに射し込んでいる。

 

< 今日はここ!福島から

   突然朝ごはん!朝食レポートをお届けしま〜す! 

   まず 一軒目のお宅は ・・ ここで〜す! >

 

つけっぱなしのテレビでは、

朝の中継ニュース番組。

 

カチャ ・・ カチャ ・・

 

ゼロの目の前には、

まだ 眠そうな目をこすりながら、

テーブルの上に お皿を並べているレイの姿。

 

「 ・・・ ふぁ ・・ 」

 

昨日は読書のしすぎか、

はたまた ゼロと同じく

愛しい人の事でも考えていたためか、

 

小さなあくびをしている彼女は、

音も無く リビングに入って来た

パジャマ姿の ゼロ・アスカに

まったく気がついていない。

 

ちなみに、

シンジの寝顔を見つめていたら

朝になってしまった ゼロは

バイオロイドなので 寝不足と言う事はない。

 

意識ははっきりしており、

任務遂行には 何の問題もなかった。

 

( しめしめ …

  部屋には綾波レイだけね … チャンスだわ )

 

ニヤリと笑うと、

ゼロはそっと彼女の背後に近づき …

 

昨夜と同じように

音も無く両手を広げて …

エプロン姿のレイを ガバっと!

 

「 あ … アスカ! おはよう、

  めずらしいね … 自分から起きて来るなんて。 」

 

ビクン!

台所から出て来たシンジは、

フライパン片手に 彼女の方を見た。

 

心臓が飛び上がり、

金縛りにあう。

 

「 丁度良かった … アスカ。

  ソーセージ何本食べる? 」

 

「 ・・・・・ 」

 

「 ・・・ アスカ? 」

 

「 あ ・・・ 

  え ・・・

  う ・・・

  ・・・・

  ・・ み ・・・

  ・・・・・・ みっつ ・・・・ 」

 

両手を広げた姿勢のまま、

彼女はなんとか言葉を絞り出した。

 

「 わかった、三本だね。 」

 

シンジはほど良く焦げ目のついたソーセージを、

レイを除くみんなのお皿によそってゆく。

 

( ばっ ・・・

  ばれてないわっ!! )

 

背中にジットリと冷や汗 … もとい

冷却水を流しつつ、

ゼロは シンジの鈍感さに心から感謝した。

 

「 … なに? … 」

 

すると、

いつのまにか こっちを振り向いたレイが、

いぶかしげな顔で、

両手を広げて立っている彼女を見つめていた。

 

「 あ! ・・ あの!

  いや ・・ あ ・・ あはははは ・・・

  えっと … か、肩でも揉もうかなぁ〜… なんて。 」

 

全能のバイオロイドにしては

あまりにも苦しすぎる言い訳だったが、

 

「 … 別に …

  もまなくていい … 」

 

「 あ ・・

  ・・・

  ・・・ あっそ ・・ 」

 

どうやら細かい事を気にしないレイの性格に

救われたようだ。

 

 

( あー・・ 

  び ・・ びっくりしたーっ ・・・ )

 

とりあえず 自分の席に座り、

ゼロはドッと溜息を吐き出した。

 

( のんびりした顔をしてるけど、

  なかなか侮れないわ … 運が良い子ね )

 

シンジと嬉しそうに談笑しながら、

テーブルに朝食を並べている

この レイと言う少女を見つめながら …

ゼロはつぶやいた。

 

( でも 所詮は単なる幸運 …

  そう何度も続くわけがないわ … )

 

案の定 …

シンジは再び調理をしに 台所へ …

再びリビングには ゼロ・アスカと

サラダをお皿に盛っている レイだけになった。

 

( よし …

  今度こそ … 絶対に失敗しないわ … )

 

ゼロの瞳が わずかに細くなる。

 

台所に戻ったばかりのシンジは、

しばらく リビングには出てこないだろう。

 

急がねばならない

 

「 あ〜あ、… ツマンナイの!

  なんか面白い番組 やってないの? 」

 

彼女は大きく伸びをして、

椅子から立ち上がると …

テレビのリモコンのほうへと歩くフリをして …

 

( よしっ!! )

 

サッと 音も無く、

サラダを盛り付けている

レイの背後に回り込んだ。

 

流石はバイオロイド。

素足とは思えぬ 早業である。

 

( 今度こそ 頂きだわっ! )

 

彼女の両腕が、

まるで 翼を広げた鷹のように開く。

 

一見か弱い少女の腕でも、

実際は 特殊な金属で出来た ・・・

機械の腕だ!

 

( 覚悟しなさい ・・ レイ!! )

 

 

ガチャ!!

 

「 んん〜〜〜〜〜・・・

  おあよ ・・・ みんな。 」

 

ビクン!

 

「 おはようございます、 ミサトさん 」

 

「 お ・・ お ・・

  おはよう、 ミサト・・ 」

 

「 んー・・ 」

 

パジャマ姿で 髪もボサボサのミサトは、

眠気のせいか、抜けない昨夜のアルコールのせいか …

しきりに目をこすりながら、

レイの後ろで 両手を大きく広げたまま

銅像のように立ち尽くしている少女を見た。

 

「 アスカぁ ・・ 

  ・・ あにやってんの? 」

 

レイも 背後の彼女を見て、

またもや 怪訝な顔をしている。

 

「 あ ・・・ え

  ・・・ う ・・・

  べ … 別にこれは …

  た、 体操よ! 」

 

仮にそれが真実だとしても、

別に大声を出す必要はない。

 

「 体操 ・・ ねぇ … 」

 

ミサトは彼女の答えを聞くと、

意味ありげに ニヤリと笑って …

そのまま 洗面所のほうへと のそのそ歩いて行った。

 

( マ … マグレがそう何度も続くもんですかっ!

  次こそっ! 次こそっ!! )

 

こんな事くらいで 挫けるゼロではない。

彼女は究極のバイオロイドなのだ。

 

葛城ミサトは洗面所。

碇シンジは台所。

 

もう 彼女の任務を妨げるものは何もない!

 

( 覚悟! レイ!! )

 

再びアスカは、その 凶暴な両腕を

ご飯をよそっているレイの背中めがけて

一気に振り下ろした!

 

「 ふぁー そうら!

  ねぇ・・ みんな。

  あひたさぁ … ごご あけといてくんない? 」

 

ビクン!

 

「 ミサトさん、

  歯ブラシ咥えたまま 喋らないでくださいよ。 」

 

ドキン!

 

突然カーテンを開けて顔を出したのは

歯ブラシをくわえたミサト。

そして 台所から来たのは、

お味噌汁を持ったシンジであった。

 

「  明日 … 何かあるのですか? 」

 

手についたごはんつぶを 食べながら

レイは小首をかしげる。

 

「 ん〜 … リツコがさ、

  ちょっとひた デーらが欲しひって言ってたのよ。

  みんにゃの。 」

 

歯磨き粉を口のまわりにつけたまま、

ミサトが言う。

 

「 なんのデータなんでしょうね … 」

 

ネルフで 赤木博士の研究に付き合わされる事など

もはや慣れっこになっているシンジは、

さして驚いた風でもなく … お味噌汁をテーブルに並べている。

 

「 さぁね ・・ まぁ、

  けんこーひんだんみらいな ものひゃないの? 」

 

再び 歯を磨きながらミサトは言い、

 

・・・ 会話は途切れた。

 

 

「 ・・・・・ 」

 

 

「 ・・・・・・ 」

 

 

「 ・・・ 」

 

 

 

そして

三人の視線は 誰からともなく、

両手を広げて 立ち尽くしている

 

アスカに注がれた。

 

 

 

 

 

「 ・・・

  ・・・ す ・・ ストレッチを ・・ 」

 

 

 

 

「 別に … 何も聞いてないわ 」

 

 

 

せっかくの言い訳は、

呆れたような レイの言葉に

 

あっさり切って捨てられた。

 

 

 

 


 

 

 

「 次のチャンスがあるわ …

   次のチャンスが … 」

 

駅へと向かう商店街の中。

 

お昼時を迎えた街は

小さい子供を連れた主婦で賑わっている。

 

そんな人ごみの中を

シンジとレイとアスカの三人は

仲良く並んで歩いていた。

 

「 次のチャンスがあるわ …

   次のチャンスが … 」

 

もっとも、

楽しそうに会話をしているのは

レイとシンジだけで、

 

ゼロはすっかり口癖になってしまった言葉を

ぶつぶつと繰り返し …

シンジの隣でつぶやいていた。

 

アスカが レイとシンジの買い物に付き合うのは

そう 珍しい事ではない。

 

彼女はもともと、

二人が晩御飯の買い物に出かけている時は

家でゴロゴロしている事が多いのだが、

 

天気の良い日などは 

『 暇だから 』

と言って スーパーなどについて来るのである。

 

かと言って

別に “荷物もち” をするわけではなく …

 

おそらく “シンジと一緒にいたいな” とか

“レイにばっかり良い思いはさせないわ” とか

考えているのであろう。

 

もちろん 今日のアスカは

積極的に自分から

『 私もいく 』 と言い出した。

 

( ただでさえ失敗続きなのよ …

  少しでもチャンスを増やさないと。 )

 

レイと二人きりになるチャンスを得るためには、

とにかく 彼女の近くにいなくてはならない。

 

ゼロの心は 焦りに支配されているのだ。

 

しかし … 

シンジがこうしてすぐ近くにいて、

さらに こうも人目が多いと …

あまり派手な行動はとれない。

 

( どうすれば ・・・ )

 

何か良い計画はないかと

ゼロが思案していると、

 

「 凄い人の数だね … 」

 

「 … うん 」

 

「 食料品もあるんだよね、

  ここって … 」

 

「 … うん 」

 

隣でシンジとレイが立ち止まって、

何やら話す声が耳に入って来た。

 

「 … ? … 」

 

ゼロも彼らが見ている方向に

思わず目を向けると …

 

そこには大勢の人達が出入りしている、

巨大なデパートの入り口があった。

 

( … ここは … )

 

見上げるほど大きな建物だ。

人の数も半端ではない。

 

入り口には サンタクロースの格好をした

店の従業員が、 チラシや紙袋を配っている。

 

オリジナル・アスカの記憶を検索すると、

どうやらこれは

最近 第三新東京市にできた、

駅直結型の大型ショッピングモールのようだ。

 

駅を利用する客と、地域の住民の両方をターゲットにしたモノで、

大手のデパートのように、巨大な建物の中に

いくつものお店が入っている。

 

おそらく 品数ならば都会のそれに匹敵するであろう、

第三新東京市の新しいスポットである。

 

その証拠に、

平日にも関わらず …

沢山の買い物客で溢れ返っている。

 

( なるほど … それで昨日は

  家に帰るのが遅くなったのね … )

 

そう、

何を隠そう … 昨日の夕方に

オリジナル・アスカを拉致したトイレは、

このショッピングモール中にあったのだ。

 

( …

  … そうだ … )

 

ゼロがふと見上げると

建物の壁には 大きな垂れ幕がかかっており …

そこには

“クリスマス 冬物大バーゲン” と

大きな文字で書かれていた。

 

彼女の顔に、

思わず笑みが広がる。

 

( … この人込みを、

  逆に利用すれば良いんだわ … )

 

人目が多い事を マイナスに考えていたが、

逆に 人込みの中ならば

“はぐれた” と言う名目で 違和感無く

シンジの目を遠ざけられる。

 

レイと二人っきりになるチャンスが

作れるかもしれない。

 

「 ね、シンジ …

  せっかくだからさ、ちょっと見ていこうよ 」

 

「 え … 」

 

立ち去ろうとした彼の背中に、

ゼロ・アスカは 軽い声でそう言った。

 

「 昨日さ、

  ヒカリの家に行った帰りに、

  ちょっと覗いてみたんだけど…

  結構良い服一杯あったんだ。 」

 

“良い服” と言う言葉に、

シンジの後ろから

レイもひょっこりと顔を出した。

 

「 ね? 」

 

彼女は二人にニッコリと笑いかける。

 

「 でも …

  今そんなにお金持ってないよ? 」

 

「 大丈夫だって!

  別に見るだけでも良いしさ、

  意外と安かったし ・・ ほら、

  今 バーゲン中って 書いてあるじゃない? 

  レイ ちょっと新しい服見ようよ! 」

 

こういう場合は、

男の子のシンジよりも

女の子のレイのほうが弱いものだ。

 

「 … うん 」

 

ゼロの思惑通り、

レイは アスカの言葉に心動かされたようだ。

 

「 ほら、

  シンジ ・・ 行こうよ 」

 

「 ね、 いかりくん

  少しだけ 」

 

レイはシンジの腕をとって

ちょんちょんと引っ張っている。

 

「 ん〜 … 」

 

二人に言われてしまったら、

逆らえるシンジではない。

 

「 そうだね …

  今日はアスカもいるし ちょっと入ってみようか。 」

 

( やった! )

 

シンジのそんな声を聞きながら、

ゼロは心の中で、

 

計画の成功を確信していた。

 

 

 


 

 

 

「 ふわぁ〜・・ 凄いね、なんだか 」

 

まるで 満員電車のような店内。

 

大勢の女性客に

おしくらまんじゅう状態にされているシンジは

あまりの人手に 驚いている。

 

50%OFFの コート

33%OFFの ブランド物のバッグ

 

衣類や装飾品だけでなく、

地下では食品が。

1階では靴や化粧品までもが

安値で沢山陳列されている。

 

特に人が多いのは、

各フロアにいくつかある ワゴンの周囲。

 

みな よりお買い得な商品を手にしようと、

さながら 戦場のような有様だ。

 

( よし …

  思ったとおり … 誰も他人なんて見ていないわ )

 

人の隙間を縫うように 前に進んでいたゼロは

内心 笑みを漏らしていた。

 

確かに人々の注意は すべて商品に集中しており、

店内の彼女達の事など だれも見てはいない。

 

肩がぶつかろうが、足を踏まれようが、

そんな事には構っていられない状況なのだろう。

 

( まさに 木を隠すなら 森の中ってやつね … )

 

ゼロは アスカの記憶の中にある

日本の格言を思い出しながら、

すぐ傍にいる レイの姿を横目で見た。

 

案の定 …

沢山の お洒落な洋服やバッグを前に、

彼女は まるでお菓子の家に入った子供のように

キョロキョロと 好奇心に染まった顔であたりを見回している。

 

( … シンジ君は … )

 

ビア樽のように太ったオバサンの突進を

鮮やかにかわしながら …

ゼロは後方に目を向けた。

 

……

 

案の定、

こういったバーゲンに慣れていない男のシンジは、

人の波に飲まれてしまったのか、

どこにも姿が見当たらない。

 

( … 思ったとおり …

  これなら イケルわ! )

 

失敗を重ねた計画も、

ついに 成功する時が来たのだ。

 

この状況ならば、

例え ネルフの諜報部が監視していたとしても、

とても見つけられないであろう。

 

「 これ …

  … とても可愛い … 」

 

レイは立ち止まり、

白地に少しピンク色が入った

タートルネックのセーターを手にとっている。

 

彼女はきっと

これから起こるであろう、

信じられない事態を …

想像すら していないだろう。

 

 

そして 

 

「 …… 」

 

ゼロは無言で動いた。

 

数人の主婦をやり過ごし、

セーターを持ったまま 小首をかしげている

レイの背後へと 近づく。

 

「 でも …

  汚れが目立つかな … 」

 

胸にセーターを当てて、

目の前の大きな鏡を見ているレイ。

 

周囲の人々は、

みな 自分の事に夢中だ。

 

誰も、

アスカの行動など

見てはいない。

 

「 …… 」

 

音もなく 忍び寄る。

 

距離はどんどん縮まり、

ついには レイの見ている鏡の中に、

背後に立つ ゼロ・アスカの姿が写った。

 

店内の騒がしい音が、

一瞬 消えたような感覚。

 

ゼロはゆっくりと 両手を広げて …

 

「 あ、いたいた … アスカ 」

 

ビクン!

 

「 あ ・・・ いかりくん 」

 

突然 横から出て来たシンジに、

レイは嬉しそうに微笑みかけた。

 

「 綾波 … あ、

  似合うよ、 そのセーター 」

 

鏡の前に立っているレイに気づいたシンジも、

彼女に笑いかける。

 

「 ほんとう? 」

 

途端に 手にしたセーターに負けないくらい、

レイの白い肌が 薄桃色のしあわせ色に染まる。

 

「 うん ・・・

  アスカも そう思うよね? 」

 

シンジが

背後の アスカ先生を振り返ると、

彼女はまるで 銅像のように

両手を広げて立ち尽くしている。

 

人込みでのぼせたのか、

額には びっしょりと汗も見える。

 

「 アスカ? 」

 

反応の無い彼女に、

シンジがいぶかしげな顔で問い掛けると、

 

ぶん!ぶん!ぶん!

 

固まった銅像が、

激しく首だけを 上下に振った。

 

「 ほら、

  アスカもそう言ってるよ 」

 

「 … でも 

  汚れが目立つかもしれない … 」

 

「 ほら、 これ ウールだから

  洗えるよ ・・ 大丈夫 」

 

どうでも良いが、

物凄く主婦的な会話の二人である。

 

 

 

… 何かがおかしい …

 

何度も重なる 偶然もそうだが、

ゼロにはもっと 腑に落ちない点があった。

 

なぜ …

 

自分はこうも、

この少年を 意識してしまうのか。

 

( … よくわからない …

  でも、 今は そんな事 

  考えている場合じゃないのに … )

 

“よくわからない事” ぐらいで、

任務に失敗するなど、

あってはならない事だ。

 

ゼロは 混乱している頭を

無理矢理切り替えると、

 

二人の会話の隙を狙って、

再び行動を開始する。

 

 

「 ね … ねえ、レイ …

  あっちのほうも 見てみようよ 」

 

彼女はなるべく自然な感じで

二人の会話に割り込むと…

レイを シンジから遠ざけるために、

彼女の手をつかんで、

さらに 大勢の人込みが密集している

店内 奥へと歩き始めた。

 

 

< 今日は当店の 冬物一斉

   クリスマスセールに起こしいただき、

   まことに ありがとうございます。 

   … 現在 8階 催しものフロアでは、東北の … >

 

店内に流れる放送や

クリスマスを意識したBGMも、

人々の声でかき消されて よく聞こえない。

 

日が高くなってきたためだろう。

店の中は さっきよりもさらに混雑している。

 

( とにかく …

   シンジ君の目の届かない場所 …

   出口に近い場所 … )

 

人の波を押し分けて、

ゼロは店内を歩く。

 

高性能バイオロイドとは言え、

彼女の体は 14歳の少女だ。

なかなか 前には進まない。

 

( どこか … 良い場所はないかしら … )

 

売り場など、

もう 何でも良い。

 

とにかく レイを拉致し、

素早く逃げられそうな場所 …

 

( …… )

 

前を見たまま

考えていた ゼロは、

 

そこで 何かに気づいて、

慌てて背後を振り返った。

 

( しまった! )

 

手をつかんでいたハズの、

レイの姿が何処にもない。

 

前に進む事ばかりに気を取られていたため、

手をつかむ事がおろそかになり …

人波に揉まれて 離れ離れになってしまったのだ。

 

( なんて事!

  … こんなチャンスでミスするなんて … )

 

ゼロは失敗続きの自分に腹を立て、

唇を ギュッとかんだ。

 

背伸びをしながら、

あたりを見回すが …

黒山の人だかりの中に、

目立つはずの青い髪は見当たらない。

 

大きな人間を探すのならともかく、

この中から 少女を一人探すのは

非常に困難な事だろう。

 

( … 早く …

  早く見つけないと … )

 

気持ちだけが空回りして、

なんだか 泣きたい気持ちになってきた。

 

… どうしてこんなに

うまくいかないのだろう。

 

このままでは、

博士に叱られてしまう

 

・・・

すると、

 

突然 彼女の視界を

黒いものが 遮った。

 

「 ねえアスカ 」

 

ビクン!

 

( こ ・・ この男はっ! )

 

またもや 突然現れたシンジに、

ゼロの心臓は飛び上がる。

 

( くっ ・・・

  また 邪魔するの ・・ シンジ君 ・・・ )

 

気になる異性とは言え、

今は 計画の邪魔ばかりする邪悪な人物だ。

 

顔を引きつらせながらも、

ゼロは思わず 彼に険しい視線を送った。

・・・ しかし、

 

「 ちょっと こっち来て 」

 

シンジは そんな事にはまったく気付かず、

突然 ゼロの手をぎゅっと握ると ・・

 

「 え 」

 

そのまま ズンズンと

エスカレーターの方に向かって

歩き始めた。

 

「 ち … ちょっと 」

 

手を引かれて、

慌てて ゼロも歩き出す。

 

どきどきどきどき …

心臓が、いや 胸の中のモーターが

途端に高速回転し始める。

 

止まろうとしても、

シンジの力が強いので無理だ。

 

( やだ ・・ 手 ・・ にぎられてる ・・

  ・・ また ・・ )

 

心の中でつぶやいたら、

カッと 顔に火がついた。

 

任務の事も、

レイの事も、

一瞬で頭の中から消えてしまう。

 

「 上の階にも 冬物が沢山あるんだけどさ

  その中に … 」

 

シンジは何か言いながら、

彼女を前を歩いている。

 

( いけない ・・・ 任務を ・・・

  任務が ・・ )

 

どきん!どきん!

鼓動が激しすぎて胸が痛い。

 

気持ちとは裏腹に、

包み込まれるような 暖かい

彼の手のひらにばかり

意識が行ってしまう。

 

繋がれている手や腕が

ジンジンと熱い。

 

そして

それだけではなく、

 

「 わっ 」

 

強引に歩かされているので、

シンジが人込みに立ち止まるたびに、

彼女は 彼の背中に

顔をうずめてしまう。

 

どくん!どくん!どくん!どくん!

そのたびに 心臓が張り裂けそうだ。

 

「 シ ・・ シンジ 」

 

熱に浮かされたように …

何か言おうにも、

言葉がまとまらなくて 何もいえない。

 

年末のデパートの中。

 

手をつないで歩く

少年と、赤い顔の少女

 

( こ ・・ 

  これじゃあ ・・ まるで ・・ )

 

そう、 これではまるで

買い物に来た 恋人同士のようではないか。

 

( だっ ・・ だめよ! 

  そんなの ・・・ こまる ・・ )

 

急にまわりの人々が、

自分達を ・・ いや 

自分を見ているような気がしてくる。

 

あのオバサンも、

あの店員さんも ・・

あのサラリーマンも ・・

 

みんなみんな

くすくすと、

手を繋ぐのにも緊張している

初々しいカップルとして ゼロを見ている。

 

カ――ッ!

ついに頭にも血が ・・ もとい

熱いオイルが回ってきた。

 

「 手 ・・ 手を 

  ・・ 手が ・・・ 」

 

言語回路も故障したのか、

自分が何を言っているのかよくわからない。

 

どくんどくんと鳴り響く心臓の音と、

ビーッ!ビーッ!と鳴り響く

温度センサーの警告音が、

彼女の体の中を駆け巡っている。

 

シンジはまだ、

しっかりと彼女の手をつかんだままだ。

 

( だめ ・・ このままじゃ ・・ )

 

体の中の水分と言う水分が、

オーバーヒートを始めた部品の冷却に使われ

彼女の体の中は、

もはや 熱い水蒸気で満杯だ。

 

バランサーまでも 熱暴走してしまったのか、

地面がグラグラ揺れているように感じられ、

まっすぐ歩く事もできない。

 

「 きゃっ! 」

 

そのまま ふらふらと進んでいた彼女は、

ついに誰かと肩がぶつかり

そのまま 前を行くシンジのほうへ

倒れこんでしまった。

 

「 おっと ・・

  ・・・ アスカ、大丈夫? 」

 

幸い、

シンジがとっさに抱きとめてくれたので、

転んで 恥ずかしい思いをする事はなかった。

 

・・・

 

・・ 抱きとめて?

 

( だ ・・

  だ ・・ だき ・・ だきしめ ・・ )

 

シューッ!!

ついに耳から少し 水蒸気が漏れた。

 

「 ら! 

  らいじょうぶ! 」

 

シンジの腕の中で、

視界がぐるぐる ぐるぐる …

もはやロレツも回っていない。

 

( どうしよう! どうしたらいいの!? )

 

ドキンドキンバクンバクン

モーターは 焼き切れる寸前だ。

 

「 ・・・・・ 」

 

シンジが 微笑みながら、

何か言っているが …

その声も 遥か遠くから聞こえる。

 

周囲の人の視線が痛くて、

死にたいくらいに恥ずかしい。

 

彼女の耳に聞こえるのは

サイレンのような警告音と、

システムの異常を知らせる

鳴りっぱなしのブザーだけだ。

 

( も! ・・ もう限界!! )

 

再び 手を引かれ、

ヨロヨロと歩き始める。

 

しかし … もうダメだった。

 

霞んでゆく

シンジの背中を見つめながら、

 

ゼロはついに

ギブアップを決意した。

 

 

 

「 ほら ・・ ここ、

  ここで さっき見つけたんだけどさ ・・ 」

 

冬物の衣類を売っている、

比較的 人の少ないフロアに辿り付き、

シンジは背後の アスカを見た。

 

… しかし

 

「 あれ? ・・・ アスカ? 」

 

人込みではぐれてしまったのか …

 

いつのまにやら、

手をつないでたはずの彼女の姿が、

 

シンジの前から忽然と消えていた。

 

 

 


 

 

 

バタンッ!!

 

「 はぁ ・・ はぁ ・・・ はぁ ・・・ 」

 

女子トイレの個室のドアを閉め

トマトのように真っ赤な顔のゼロは、

荒い息をついた。 

 

「 はぁ ・・ はぁ ・・・ はぁ ・・・ 」

 

皮膚の中が 熱く … ジンジンと熱を帯びて、

まるで真夏のように熱い。

 

昨日の初めてシンジと出合った

あのエレベーターの中で、

彼に手を握られた時と同じだ。

 

彼女の頭脳が熱暴走を開始し、

体中の部品がオーバーヒートしてしまったのだ。

 

もし

人ごみにまぎれたフリをして逃げ出さず …

もう少しあのまま連れまわされていたら、

 

きっと 彼女は高熱を出して壊れてしまったか、

もしくは 彼の目の前で、

モウモウと 白い水蒸気を上げて

緊急冷却システムを作動させていた事だろう。

 

「 はぁ ・・・ はぁ ・・

  あ ・・ あぶなかった ・・ 」

 

ガキン!

ブシューーーッ!!

 

背中のパーツが大きくスライドし、

排気口から 熱い水蒸気が勢い良く吹き出した。

 

個室の中が 白い煙で充満する …

幸い 他の利用者はいないようなので、

誰かに見られることはないだろう。

 

「 はふっ ・・・ はふ ・・

   はっ ・・ ふぅ ・・ ふーっ ・・ 」

 

なんとか息を整える。

 

ドキドキしていたモーターも、

どうやら落ち着いてきたようだ。

 

それにしても …

……

 

いったいこれは どういう事なのだろう?

 

「 ・・・・・ 」

 

トイレの個室の壁に

寄りかかるようにして立っていたゼロは、

シンジと出会ってから、

今までのデータを思い出しながら …

首をかしげずには いられなかった。

 

… 惣流・アスカ・ラングレーが、

碇シンジに “恋” をしているのは間違いない。

 

そんな事は、今更 記憶のデータを検索するまでもなく

ゼロ・アスカにはわかっている。

 

よって、

オリジナル・アスカのコピーである、

自分自身が “碇シンジ” に好意を持つのも、

当然と言えば当然だ。

 

… しかし、

いくら完全なコピーをしたとは言え

ゼロはバイオロイドだ。

 

“恋愛感情” などと言うものは

所詮 “多くの演技の中の一つ” に過ぎないハズだ。

 

 

「 … それなのに … 」

 

この心の動揺は

いったい何なのだろうか?

 

そんなにも …

そんなにも オリジナル・アスカは

碇シンジのことが 好きだと言うのだろうか?

 

ゼロの意識の支配を超えるほど、

彼女の “想い” は強いと言うのか。

 

( 万が一 … そうだったとしても、

  … おかしいわよ … こんなの … ) 

 

少なくとも、

オリジナル・アスカは

シンジと手が触れ合ったくらいでは

こんなに体が熱くなったり、

心臓がドキドキしたり、

顔が赤くなったりしていないはずなのに。

 

やはり 

どこか故障しているのだろうか?

 

 

「 何にしても、

  もう 絶対に失敗なんてできないわ … 」

 

低い声でつぶやくと、

ゼロはそのまま わずかに目を閉じた。

 

・・・

 

まだ わずかに早い

モーターの鼓動が 音となって聞こえてくる。

 

暗闇の中に、

シンジの顔が薄っすらと浮かぶが、

彼女は激しく首を振って

彼の顔をかき消した。

 

もはや時間がないのだ。

 

これ以上失敗を繰り返すような事があれば、

あの 完璧主義者である 阿川博士が

どんなお仕置きを用意して

彼女を待っているか 想像もできない。

 

( ・・・ ひっ! ・・・ )

 

恐ろしい博士の顔が浮かび、

わずかに身震いした彼女は

慌てて目を開けた。

 

( …… )

 

軽く頭を振って、

いやな考えを追い払うと、

 

彼女は 個室のドアを開け、

洗面台へ歩いて行き …

 

ジャーーッ!

バシャ! バシャ!

 

冷たい水で 何度も何度も顔を洗った。

 

身が引き締まる思いだ。

 

ポケットのハンカチで顔を拭くと、

ゼロは 鏡の中の

前髪の濡れた少女を見た。

 

その顔に

迷いはもう ない。

 

「 … よし! … 」

 

心のモヤモヤは消え、

意識は透き通るように澄んでいる。

 

「 もう シンジ君には惑わされないわ …

  心を鬼にしても … 計画を遂行しなくっちゃ。 」

 

もはや 彼に話し掛けられたり、

手を握られたりしたくらいで、

取り乱したりしない。

 

そんな自信が 彼女の中にみなぎっていた。

 

究極のスパイとしての任務。

 

彼女の頭にあるのは、

ただ それだけだった。

 

「 ・・・・ 」

 

先ほどまでとは打って変わり、

ゼロは真剣な目つきで

 

女子トイレのドアを開け …

人ごみの中へと出て行った。

 

 

 


 

 

( いたっ! )

 

ついに 正真正銘

本気になったゼロには

姿の見えなかったレイを探し出す事など

たやすい事であった。

 

彼女は周囲に目もくれず、

早足で レイの背中へと近づいてゆく。

 

少々まわりの人にぶつかろうが、

もはや そんな事は関係ない。

 

彼女の心はもはや

冷徹な 鬼と化しているのだ。

 

ただ 任務を遂行するための、

ロボットとしての …

文字通り 冷たい 鉄の心だ。

 

20メートル …

10メートル …

 

彼女の背中に

手が届くまで ・・ あとわずかの所で、

ふいに

 

今まで 服を見ていたレイが

横を向いた。 

 

「 ・・・ !? ・・ 」

 

近づくゼロの体に、

思わず 緊張が走る。

 

… しかし

どうやら ゼロに気づいたのではないようだ。

レイは 隣に来た誰かのほうを

見たのである。

 

「 ・・・ あ、 いかりくん 」

 

ビクン!

 

「 アスカ、何処いってたのさ 」

 

・・・ ああ

なんと言う事なのだろう?

 

またしても

シンジの登場である。

 

体に電流が流れ、

やはり 彼女の体は固まってしまう。

 

しかし!

 

( い ・・ いいわ!

  やってやろうじゃないの! )

 

神が邪魔をすると言うのなら、

彼女はもはや その神とも戦うつもりだ。

 

ここまで来たら

スパイの主義には反するが、

強行手段をとるしかない。

 

例えそれが

シンジの目の前であろうが。

 

( ぐ ・・ ぐぎぎ ・・ )

 

金縛りにあった手足に

渾身の力を入れて・・

ゼロはギリギリと 動き始めた。

 

赤面?

冗談じゃない。

 

もう そんな心の余裕や甘えは

今の彼女には 存在しない。

 

シンジが言おうが

何をしようが、

 

もう 揺らがない自信が

ゼロにはあった。

 

「 急にいなくなっちゃうから探したんだよ? 今 …

  あ、 ほら … これ。

  さっき 僕が言ってたやつなんだけど。 」

 

そんなアスカの心の葛藤など

知るよしもないシンジは、

そんな事を言いながら

 

何やら オレンジ色の物体を

彼女の前に差し出した。

 

ドキン!

 

( え ・・ 

  ・・ これって ・・ )

 

せっかく水で冷やしたはずの顔が

再び 赤くなってゆく。

 

また 胸のモーターが

どきどきしてきた。

 

もしや 

神はとんでもない試練を

彼女に与えたのかもしれない。

 

・・・ しかし!

 

任務を!

任務を遂行しなければならない。

 

彼女はアスカではない。

 

ゼロ・アスカなのだから!!

 

( も ・・ もう惑わされない!

  いくわよ!覚悟しなさい!レイ! )

 

真っ赤な顔にもかかわらず、

ゼロはキッと ターゲットをにらんだ。

 

そう …

彼女の鉄の意思を止められる者など

もはや誰もいないのである。

 

「 アスカ、

  前にこんな色のマフラーが欲しいって 言ってたよね?

  … これ、凄くアスカに似合うと思うんだけど … 」

 

シンジはちょっと照れたように、

そう言いながら

 

ふわっ ・・

 

( に ・・ 任務を ・・ )

 

赤い顔で固まっているアスカの首に

暖かいオレンジ色に 白い柄の入った

大きなマフラーをかけてあげた。

 

 ・・・

 

ボン!

 

婦人服売り場に

可愛らしい爆発音が響いた。

 

 

 

 


 

 

 

「 か ・・ 完敗だわ 」

 

綺麗に敷かれた

真っ白なシーツの上で、

パジャマ姿のアスカはひざまずき、

ガックリと肩を落とした。

 

時計の針は、

もう 12時を過ぎている。

 

ここは葛城家の

彼女の部屋。

 

いや 厳密には

惣流・アスカ・ラングレーの部屋だ。

 

「 もうだめ …

   わけわかんない … 」

 

お風呂上りのゼロは、

先ほどから … 半ば諦めたような顔で

今日の出来事を振り返っていた。

 

… 結局任務は失敗。

 

度重なる

神様のイタズラもそうだが、

 

あれほどまでに 堅く決意した彼女の意思を、

あっさりと打ち砕いてしまう 碇シンジと言う少年。

 

それは ゼロが生まれて初めて出会う

“信じられない強敵” であった。

 

… そして 今回は完全に

彼女の負けである。

 

「 …… 」

 

あの買い物から帰ってきてから、

もう 何も手につかない。

 

ウキウキ ワクワクと心が弾んでしまい、

オーバーヒートに怯えつつも、

精一杯シンジの気を引こうとしていた

自分がいるだけだった。

 

「 …… 」

 

彼女には もう 

自分で自分がわからない。

 

深刻な顔で 頭をかかえたまま、

ゼロはチラリと 机の上を見る。

 

そこには グレーの紙袋が一つ。

 

もちろん シンジが選んでくれた、

あのマフラーである。

 

「 えへ ・・・ 」

 

敗北感と 絶望感に支配されていたハズのゼロは、

その紙袋を見ながら、でへへ ・・ と

照れ笑いを浮かべた。

 

手を伸ばして、

机の上の紙袋をとる。

 

「 …… 」

 

シンジが “よく似合うよ” と

言ってくれただけでなく、

 

さらになんと

 

( 今日は特別に … って

  … シンジ君が買ってくれたんだ … )

 

先ほどまでの暗い顔は何処へやら。

アスカの顔は

また トマトのようにすっかり赤くなってしまった。

 

「 キャー! 特別ってなに!

  なに! 特別って! 」

 

嬉しくて、

恥ずかしくて、

 

急に襲ってくる 熱い気持ちで

どうにもならずに、

大切なマフラーを紙袋ごと抱きしめ、

ゴロンゴロンと ゼロはベッドの上を転げまわる。

 

「 プレゼント ・・

  私に ・・ プレゼント ・・ 」

 

別に 目が飛び出るような

高級品ではない。

 

ましてや 有名ブランドの

マフラーでもない。

 

ごくありふれた ・・

単なるマフラーである。

 

けれど、今のゼロにとっては

これこそが … 世界で一番素敵なマフラーに思えた。

 

例え 一億円のマフラーが隣にあったとしても、

彼女は迷わず シンジの買ってくれた、

このマフラーを選ぶ事だろう。

 

「 うれしい …

  どうしてこんなに うれしいんだろう … 」

 

シーツもパジャマも髪の毛も、

しわくちゃにしつつ 転がっていたゼロは

両手で愛しいマフラーを掲げると、

天井の照明にそれをかざして …

どこか トロンとした目で見つめた。

 

アスカの記憶は別として、

もちろん

ゼロは誰かからプレゼントを貰った事などない。

 

今まで “恋” などと言うものすら

したことがなかったのだ。

 

生まれて始めてのプレゼントが、

大好きな人からモノだったのだ。

 

胸の中がどうにかなってしまっても、

それは仕方の無い事だった。

 

「 今度出かける時に …

  このマフラーをして …

  … そんで … 寒い? とか 聞いて

  シンジ君と い ・・ 一緒に

  く ・・ 首にまいたりなんかして ・・

  そんで … そんで … 」

 

足をバタバタさせながら、

頭の中のCPUが かなり暴走気味のゼロ。

 

先ほどからずっと … 

何やらピンク色の妄想をしているらしく、

ウネウネとベッドの上で 金魚のように身悶えている。

 

もはや任務が失敗続きの事など、

意識から完全に消えてしまっていた。

 

「 えへ ・・ でへへ ・・ 」

 

この一本のマフラーを

二人で一緒に首に巻いている姿を想像しながら、

彼女の頬は 果てしなく緩んでゆく。

 

 

「 … 何してるの? アスカ 」

 

ドキン!

 

妄想に浸っていたおかげで、

部屋に入って来たシンジにも

まったく気がつかなかった。

 

「 シ ・・ シンジく ・・

  いや ・・ シンジ 」

 

飛び起きたアスカは

慌てて紙袋を背中に隠すと、

 

「 あっ!」

 

すっかり捲くれあがって、

お腹が丸見えになっていたパジャマの裾を

慌てて直した。

 

「 ? 」

 

シンジは そんな彼女を見て、

小さく首を傾げたが …

 

そのまま 自分の部屋から持って来た布団を、

アスカの部屋の床に 黙って敷き始めた。

 

 

 

( そ ・・ そっか ・・・

   今日も 一緒に寝るんだ ・・・ )

 

 

黙々と 布団を敷いている

パジャマ姿の 彼の背中を見つめながら、

ゼロは思わず ごくり ・・ と 喉を鳴らした。

 

シンジが 彼女の部屋で眠る理由は、

アスカの記憶の 奥のほうに残っているので

ゼロも知っている。

 

・・・ 知ってはいるが、

 

 

( ・・ いったい ・・

  なんてシチュエーションを用意するのよ … )

 

今のゼロにとっては、

これは まさに 拷問に近い。

 

次から次へと、

彼女がコピーした “アスカ” と言う少女は、

ゼロに とろけるように甘い試練を

よくもまあ用意しているものだ。

 

( と ・・ とにかく、 今日は …

  シンジ君を気にしないで … 任務を … )

 

寝顔を眺めていたら、

朝になってしまった 昨夜の自分を反省しつつ、

 

ゼロは また ドクンドクンと加速する

胸のモーターを 必死になだめていた。

 

 

 


 

 

 

シャコ シャコ シャコ …

  シャコ … シャコ …

 

夜もふけた 葛城家の洗面所に、

歯を磨く 規則正しい音が響いている。

 

シャコ シャコ シャコ …

  シャコ … シャコ …

 

シンジとアスカは、

恐らくもう ベッドの中。

 

レイは …

先ほど 歯を磨いている

ミサトの横を通って、今はトイレに入っている。

 

シャコ シャコ …

  シャコ … 

 

無言で歯を磨いていたミサトは …

ふいに手を止めると、

 

歯ブラシを咥えたまま、

視線を 洗面台の脇に落とした。

 

「 …… 」

 

そのまま、

彼女は 置いてあった、

髪をとかす緑色のクシを手にとった。

 

「 …… 」

 

別に、

何の変哲もない クシだ。

 

けれども ミサトはどういうわけか、

手にしたクシを まじまじと見つめている。

 

… このクシは、

普段は お風呂上りなどに

アスカと ミサトが使っている。

 

レイはと言うと …

自分の部屋に 小さな鏡と、

専用のクシがあるのでそっちの方を使っているのだ。

 

「 …… 」

 

やがて、

彼女はもう片方の手を

クシのプラスティックの部分に伸ばすと …

指で、そこにからまっていた一本の髪の毛をつまんで

クシから しゅるしゅると引き抜いた。

 

… 長い …

 

そして 細い髪の毛だ。

 

色は茶色がかった赤。

光線の具合で 金髪にも見える。

 

 

「 ……

  … なるほろねぇ …… 」

 

歯ブラシを咥えたままのミサトは、

何やらもごもごとつぶやくと …

その髪の毛を 大事そうに持ったまま、

ブクブクと 口をゆすぎ始めた。

 

ジャーーッ!!

 

蛇口から 勢い良く水が出ると、

それに合わせたように、

隣の トイレからも水の流れる音。

 

しばらくして、

ミサトが タオルで口を拭いていると

 

ガチャ ・・

パジャマ姿のレイが トイレから出て来た。

 

彼女は 出しっぱなしだった蛇口の水に、

邪魔なミサトの横から手を伸ばして ・・

そのまま手を洗った。

 

そして

 

「 … おやすみなさい、 ミサトさん 」

 

ミサトの顔をチラッと見て、

… レイは廊下の方へと歩き始めたのだが、

 

 

 

「 レイ ・・ あのさぁ ・・ 」

 

 

 

おやすみの挨拶ではなく、

ミサトは彼女を呼び止めた。

 

「 ? 」

 

何事かと、

レイが振り返ると …

 

「 悪いんだけど …

  ちょっとだけ 話があるの … 」

 

手にした赤い髪の毛を、

指輪のように 自分の指にくるくると巻きながら、

 

ミサトは 意味ありげに

片目を閉じてみせた。

 

 

 


 

 

チッ … チッ … チッ …

 

カーテンを通り抜けてくる、

わずかな月の光だけが 部屋を青く染めている。

 

耳の奥に染み込むような静寂は、

昼間には気づかない

時計の音を まるで浮き彫りにしているようだ。

 

( ・・・・・・ )

 

暖かい掛け布団にうずまったゼロは、

先ほどからまったく動かずに、

顔を横に向け、ある一点だけを 見つめている。

 

( ・・・・ )

 

もちろん

床に敷いた布団で眠っている

シンジの寝顔である。

 

 

チッ … チッ … チッ …

 

部屋の中は、

怖いくらいに静かだ。

 

 

( そ ・・・ そろそろ ・・・

  綾波レイの部屋に 忍び込まないと ・・ )

 

頭の中で とりあえず

そんな事をつぶやいてはみるが、

 

言葉とは裏腹に …

今のゼロには そんな事をする気は

ほとんどなかった。

 

……

… 目が離せない。

 

ただ、なにもせず

こうして見つめているだけで

心の中が 幸せで一杯になって

 

もう 何もしたくなくなる。

 

 

あどけない … と言うよりも、

少女のようにも見える シンジの寝顔。

 

可愛いと言うよりも

美しいと言った方がしっくりくる。

 

( 不思議 … 本当に )

 

データとして知っていた、

人間の “恋” や “愛” と言う感情。

別の人間を “好き” だと思う気持ち。

 

けれど、

実感として自分が感じる“それ”はまるで違っていた。

 

相手の顔を見つめている。

 

ただ これだけの事で、

こんなにも暖かくなれる事が、

ゼロにとっては 純粋に不思議で

… ショックでもあった。

 

( オリジナルのアスカも …

  こんなふうに時々、

  シンジ君の寝顔 … 見てたんだな … )

 

最初は何とも思っていなかった彼女に対し、

ゼロは今 ・・ 不思議な連帯感を感じている。

 

同じ人間の “コピー” なのだから、

当然だとも言えるが、

 

それよりも “同じ人を、同じように好きな事” が

彼女をとても 身近に感じる原因かもしれない。

 

( ・・・・ ・・・・・

  ・・ そういえば ・・・ )

 

彼の寝顔を見つめたまま、

とりとめもない事を考えていたゼロは、

どうしたのか ・・・ 急にむっくりと

ベッドの上に起き上がった。

 

「 ・・・・ 」

 

部屋の中を見回し ・・・

音を立てないように 注意しながら、

そっと掛け布団を横にどけて

ベッドから降りる。

 

( 確か … ここに … )

 

シンジの布団を踏まないよう、

気をつけつつ … 

ゼロはアスカの机に近づいた。

 

漢字の辞書 …

ドイツ語で書かれた小説 …

ことわざ大百科 … など

いろいろな本が 机の上に並んでいる。

 

アスカはもともと、

机にしっかりと座って 勉強などをする事は

ほとんどない。

 

彼女がこの机にかじりついているのは、

学校で特別に出された

漢字やひらがなの宿題をやっている時と …

 

 

( … 日記を書く時 … )

 

 

ゼロはアスカの記憶の通りに、

デスクライトの横にある … 

小さなドライフラワーの鉢に手を伸ばして

それを持ち上げた。

 

( あった ・・・ )

 

そこには 銀色の小さな鍵がひとつ。

間違いない …

机の引出しの、一番上の鍵だ。

 

・・ カチャ ・・

 

中には そう ・・

 

アスカが毎晩こっそり書いている、

日記帳が入っていた。

 

 

鍵のついた引出しに入れてあるとは言え ・・・

別に 大層な内容が書いてあるわけではない。

 

日記は日記だ。

 

今日、出かけた時にあった事 ・・

今日、美味しいと思った食事の事 ・・

 

遊びに行った先での出来事。

 

今日思ったこと …

今日感じた幸せ …

 

時折 怪しい、

ミミズが変形したような漢字が出てくるが ・・

才女であるアスカらしく、

すべて 日本語でしっかりと書いてある。

 

何も 見られて恥ずかしいようなものではない。

 

・・ しかし、

 

「 ふふ ・・ 」

 

思わず笑みがこぼれる。

 

ゼロには、彼女がこの日記を

誰にも見られたくない …

 

特に 掃除に来たシンジには

絶対に見られたくない気持ちが

痛いほど良くわかる。

 

なぜなら …

一日も欠かさず、

書いてある内容は

 

シンジの事ばかりだからだ。

 

 

( ・・・・・ )

 

時が止まったかのような 静かな部屋の中で、

ゼロは日記のページをめくる。

 

どのページにも、

 

シンジがどうした とか

シンジと何処へ行った とか

シンジが悪くて 私は悪くない とか

 

シンジがこう言った とか

シンジがああ言った とか

 

シンジとケンカした とか

シンジと仲直りしたい とか

 

シンジと手をつないだ とか

シンジの料理は最高だ とか

 

シンジは鈍感だ とか

シンジは優しい とか

 

「 ・・・・ 」

 

自分の分身が書いたとは言え、

赤面せずには いられない。

 

・・・ 確かに、

“シンジの事が大好きだ” と

ストレートに書いてあるわけではない。

 

それどころか、

見栄っ張りの アスカと言う少女は

例え 日記の中であっても …

シンジの事を好きな “そぶり” を

文章にはしていない。

 

けれど、

 

“ほんとにバカなんだから”

 

とか

 

“私がいないとダメなんだから”

 

とか

 

内容はどうあれ、

こうも毎日 シンジの事ばかりを

書いていたのであっては、

“大好き” と書いているのと同じである。

 

精一杯 そっぽを向いても、

気になって 気になって仕方が無い。

 

彼女のそんな 不器用さが、

あふれているような日記だった。

 

 

 

「 ・・・・ 」

 

なんだか スゥ… っと

胸のつかえが降りたような気持ちで、

ゼロは静かに 目を閉じた

 

( … そうだった …

  … 私はいつも、

  恥ずかしくて … 逃げ出したい気持ちを

  一生懸命隠して …

  この人に接していたんだっけ … )

 

気分がとても穏やかで、

今までわからなかった事が 良くわかる。

 

なぜ、

自分が シンジのそばにいるだけで

あんなにも ドキドキして、

取り乱してしまうのか。

 

… そう、

 

それは何も

ゼロだけに起きていたわけでは

なかったのだ。

 

( バカとか … 頼りないとか …

  照れ隠しで そんなことばかり言って、

  ワガママばかり …

  甘えてるのは 私のほうなのに … )

 

シンジを引っ張りまわし、

主導権を握っているフリをして、

本当はいつもドキドキしている事。

 

例えアスカが必死に隠したって、

ゼロには何でもわかる。

 

 

精一杯強気になっても、

もし 逆に手を掴まれて

強く抱きしめられたら … きっと

 

アスカはどうする事もできずに

シンジのなすがままに なってしまうだろう。

 

そんな瞬間を恐れ …

同時に、

少し期待もしている。

 

 

「 ほんと ・・

  バカね ・・ あなたは ・・・ 」

 

ゼロ・アスカは 自分につぶやいてみる。

 

素直になれば楽になれると知っているのに、

いつまでたっても正反対の事ばかり。

 

本当は大好きで、

 

“大好き” と口に出して言いたいのに、

… 絶対に言えない。

 

 

… なんて要領が悪くて、

なんて下手くそなんだろう。

 

「 ふふ ・・ 」

 

なんだかおかしくて、

思わず笑ってしまう。

 

だって

 

( … そうしている事が …

  今の自分の精一杯なんだよね )

 

ゼロの中のアスカが、

恥ずかしそうに頷く。

 

( それに …

  そんな不器用な自分も全部

  見て欲しくて ・・ 好きになって欲しいんだよね )

 

何の不思議もなかった。

 

シンジのプレゼントひとつで

天まで舞い上がってしまうような …

ただの ”女の子” こそ

 

アスカだったのだ。

 

 

「 バカね ・・ 私も 」

 

言葉とは裏腹に、

気持ちがとても軽い。

 

なんだか やっと

“アスカ” と言う人間を コピーできたような …

彼女はそんな気がしていた。

 

… 人間にとっての幸せが どんなものか、

 

彼女はそんなデータ

持ってはいない。

 

 

「 でも きっと

  あなたはとても … 幸せなのね … 」

 

ゼロはなぜだか、

そう 確信できた。

 

「 … 

  人間のする事を上手に真似ても

  本当は “生きて” いない … 

  

  私よりもずっと … 」

 

 

ゼロは静かに日記を閉じると、

眠っているシンジに聞こえないように

 

 

小さな小さな

溜息をついた。

 

 

 


 

 

 

切れかかった 蛍光灯が、

唸るような音を立てながら

チカ ・ チカ と 不規則に光る。

 

他には モニターの青白い光しかない、

この 地下室では …

そんな光でも ないよりはマシだった。

 

 

「 ・・・・・ 」

 

時計の針は、

深夜をとっくに過ぎていると言うのに ・・・

 

先ほどから もう何時間も、

ずっと 金髪の博士は

手にしたデータシートを見つめている。

 

モニターの光に照らされた、

その 白い紙には …

何かの数字がびっしりと書き込まれおり …

折れ線グラフのようなものも見える。

 

「 ・・・・ 」

 

何事かを 思案するように、

唇を指で触りながら ・・・

阿川博士は その グラフを見つめている。

 

すると、

 

「 ん ・・・・ シン ・・ ジ 」

 

ふいに彼女の背後から、

鼻にかかった 寝言が聞こえて来た。

 

「 ・・・・ 」

 

シリアスな顔で、

考え込んでいた 博士の眉が

思わずピクリと上がる。

 

「 この状況下で熟睡するなんて …

  … なんて神経の図太い子かしら 」

 

忌々しげな視線を背後に向けると、

カップラーメンの空き容器の真中で、

縄でぐるぐる巻きの、 イモムシ・オリジナルアスカが

幸せそうな顔で 眠りこけていた。

 

その寝顔を見るに、

自分の 秘密の日記が

誰かに読まれているなどとは …

夢にも思っていないであろう。

 

「 それにしても・・・ 」

 

呆れたような 溜息をついた博士は、

気を取り直して、

手にした データシートを汚い机の上に戻した。

 

データシートに書かれていた

折れ線グラフは … ある時点だけ、

ゆるやかな波形が メチャメチャに乱れている。

 

「 ・・・・ 」

 

博士は再び

何事かを考えながら …

 

付けっぱなしのモニターへと

視線を走らせた。

 

明け方に近いと言うのに …

映像が写っていると言う事は、

 

この時間になっても、

ゼロが眠っていない事を意味していた。

 

・・・ そして、

 

その 青白いモニターに

ずっと写っているのは …

 

他でもない。

 

シンジの寝顔であった。

 

 

 

「 … 

  やっぱり邪魔ね、

 

  … このボウヤは。 」

 

 

薄暗い部屋の中で、

モニターの光に反射した

博士の眼鏡が

 

冷たく光っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

任務よりも

シンジに心奪われる ゼロ。

 

それは レイだけでなく

彼をもまた 危険にさらす

禁断の想いだった。

 

機械の体と、

人間の心の間で揺れる、

 

ゼロの悲痛な決断とは …

 

 

次回 零・明日香 第3話を待てっ!

 


 

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