コンピュータとは何の関係もないが、ま、Adminには雑学も必要だということで。去年も12月25日に「いまさらこんな話題を書いても……来年のネタにしよう」と思った覚えがあるのだが、今年もまた25日になってしまった。^^
クリスマスの商戦は年々派手になってきて、最近は11月も後半になると街はクリスマスの装いを始めるようになる。
クリスマスというのは、キリスト教の行事だと思い込んでいる人がかなりいるらしく、毎年この時期になると「へ、俺はクリスチャンじゃないからクリスマスなんて関係ないや」などとのたまう御仁がいたりするもんだが、この発言の真意は別にして(笑)、本来クリスマスは、キリスト教とは何の関係もない。
いや、この言い方は正しくないな。「クリスマス」という言葉自体は「キリストの降霊祭」という意味ですね。(^^; 世間で「クリスマス」と呼んでいるのは、もともと冬至の祭りで、その歴史は二千数百年遡ることができる。一方、初期のキリスト教(1〜2世紀)では、クリスマスは1月にやったり3月にやったり8月にやったりしていた。また、クリスマスを行なうのは教義に反する、という一派もいたようである。それが12月25日とされるのは、4世紀に入ってからだ。
秋から冬にかけて日はどんどん短くなる。これは地球の地軸が傾いているため起きる現象であり、冬が過ぎればまた春になることを現代の我々はよく知っている。一年経てば季節は元に戻る。しかし、大昔の人にそんな天文学の知識はない。このまま日が短くなって、二度と太陽が姿を現わさなくなるかも知れない。そうなれば世界は暗黒に包まれ、死の訪れを待つだけとなる。
ところが冬至を境にして、また日は少しずつ延びていく。これで、また暖かい日が巡って来、次の収穫が約束されるのだ。どれほど喜ばしいことであるか! そこで冬至の日には飲めや歌えのどんちゃん騒ぎが繰り広げられることになったのは、ごく自然の成り行きだと言えるだろう。
冬至を祝う習慣は、かなり古くから、世界のあちこちで行われていたふしがある。日が短くなることによる死への恐怖と、再び長くなることによる生への歓びは、いつの時代の、誰にとってもそう変わらないはずだ。ただ、文字というものが一般的でない時代の歴史をたどるのは難しい。文献に表われてくるのはローマ帝国の時代(紀元前数世紀)からであり、これ以降はかなり詳しくわかっている。
古代ローマでは、農業全般をつかさどる神をサトゥルヌスというが、太陽が立ち直って(南へ傾くのをやめて再び高く昇り出し)春の種蒔きがつつがなく行なえることがわかると、ローマ人たちはサトゥルヌスが慈悲の心で太陽の下降を食い止めてくれたのだと考えた。そんなところから、ローマでは冬至の祭りが「サトゥルヌナリア」と呼ばれるようになった。
サトゥルヌナリアは、数あるローマの祭りの中でも、最もめでたい、最も盛んな祭りだった。その内容は
とのことだから、これは現代のクリスマスの風習にとても近い。
3世紀くらいになってローマ帝国に翳りがみられるようになると、サトゥルヌスの威光も地に墜ち、新興宗教が入り込んでくるようになる。が、様々な信仰や風俗習慣の中で、サトゥルヌナリアだけはなくならなかった。
新興宗教の中で、当初人気のあったのはミトラ教だった。ミトラ教は太陽の下降や上昇に死者の輝ける復活を象徴させており、サトゥルヌナリアとは何ら摩擦を起こさなかった。さらにサトゥルヌナリアが明けた25日を最も重要な一日として位置づけた。この日は真理の神ミトラの誕生日であり、ミトラ教信仰にとって最大の祭日だったのである。
ミトラ教と勢力争いをしていたのはキリスト教だったが、ミトラ教もやがて衰退し、キリスト教の勢力が強くなる。それでもなお、サトゥルヌナリアは滅ぶことなく生き続けた。当時のキリスト教にとっては、クリスマスはあまり重要視されていなかったと考えられる。けれども330年頃、ついに12月25日をクリスマスと制定した。これでキリスト教徒も、神の子イエスを祝う建前を取る限り、晴れてサトゥルヌナリアに参加することができるようになったのだ。
要するに、クリスマスといってもイエスの生誕は名目上のことに過ぎず、生き残ったのはサトゥルヌナリアだったというわけである。なにしろ聖書のどこを探しても、12月25日がイエスの誕生日だとは書かれていないのだから。
もちろん、当時サンタクロースはいないし、クリスマスケーキもないし、ユーミンもアルバムを出したりしない。プリンスホテルを予約したりもしない。それは近年になっての話で、無論キリスト教とは無関係である。サンタクロースは、1822年のクレメント・ムーアの『聖ニコラスの来訪』で今のような姿が与えられた。この時期には誰もが善意の人となる、という神話は1843年にチャールズ・ディケンズが『クリスマス・キャロル』を著わして以来のことだ。
クリスマスをどうとらえ、どう過ごすかは、もちろん人それぞれである。彼女とホテルへ行くのも結構、子供へのプレゼントに頭を悩ませるのも一興、仕事するのもまた良しだ。
ただ、この日は、自分が今生きていることの喜びをかみしめ、世界中には大勢の人がそれぞれの人生を生きている、ということにほんのわずかでも思いを馳せたいと思う。みんながそれを実行すれば、世の中から戦争がなくなるなどと甘っちょろいことを言うつもりはないけれど、そういう気持ちを忘れたくないと思う。
では、最後に "HAPPY CHRISTMAS/WAR IS OVER" を歌ってこの話を締めくくろう。
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