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牌の記 1本場 (05/11/07)]
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11月の夕暮れ時。街には寒風が吹きすさび冬の到来を告げている。そんな世界の片隅で、徒然なるままに牌を握る。場所は東京都渋谷区。 俺が麻雀を覚えたのは大学生の頃。それから約10年、理を忘れぬ程度に牌とは付き合い続けてきているけれど、今までまともに戦績なんてものを記録してみたことはなかった。しかしある上級者の方の「戦績表はきちんとつけるべきだ」という言葉に倣い、2005年9月1日以降戦績を記録し始めてみた。 するとその戦績を記録し始めて以降すこぶる麻雀の調子が良い。9月1日から本日までの戦績は 25戦 @着 10 回 A着 9 回 B着 4 回 C着 2 回 といった具合。回数は少ないけれど、戦績的にはかなり優秀。そして単純なようだけれど、出足が好調だと記録を取る作業も楽しくなる。そんな気分にも後押しされて、その記録を今日からウェブでも公開しながらつけ続けてみることにした。 ちなみにこの戦績はフリー打ちのものもセット打ちのものも特に区別せずに記録しているのだけれど、俺の行くフリーは点3から点10までと気分によってバラバラで、またセットのほうも点5のフリーに通える程度の面子が揃っているので特に区別はいらないかなと考えている。そもそも俺の打つ回数自体が少ないから、分けて記録するといかにも貧相な戦績表になってしまうというのも理由なのだけれど。 打つ回数が少ないのは、俺が勝った時の収入よりも負けた時の出費に怯える性格のため。チキンハーツ。負けるのが怖いから毎日麻雀するだとか耐えられないと思う。2週間に1度くらいで十分だな。
そして今宵も負けの恐怖を振り払うように牌を手繰って前へと進んだ。得られた勝利など、単に負けずに済んだというだけの結果に他ならない。
今回の戦績 2005年9月1日以降記録し始めた麻雀通算戦績
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牌の記 2本場 (05/11/12)]
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徒然なるままに街の片隅で握る牌の記。 平日水曜日の夜、会社帰りに渋谷に立ち寄り卓を囲む。本日のレートは点10の10-20。俺が打つ麻雀の中では一番レートの高い場だ。とは言えサラリーマンが会社帰りに囲む卓のレートとしてはごく相場的なところだろう。箱ラスで−50P。パチンコやスロットに比べてもずっと金銭的な動きは少ない。 とはいえ麻雀以外にギャンブルらしいものは全くやらない俺にとっては十分に刺激的なレートである。そして2着でも得点次第でそこそこの身入りが見込めるため、トップ狙いもさることながら連帯率も大切になってくる。 そんなことを思いながら臨んだ闘牌。その連帯を保つのに苦労する。対面に座った青年がバカヅキで、こちらが好形の待ちで張っていても簡単に単騎やシャボでツモ和了ってしまう。とは言え、そのツキを生かしきるのだって純然たる実力なのだから、こちらから見ている以上に青年も楽ではないのだろうけれど。 展開は初戦から3戦ほどだましだましの2着が続き、4戦目に俺が僅差でトップを奪う。しかしそのまま勢いに乗って連続トップを目論んだ5戦目、未だ青年の牌勢は死んでおらずに再びトップを奪い返されてしまう。結局俺は最後も2着を確保するに留まり終了した。 結果、5戦やって2着が4回。麻雀において2着とは「勝利の保留」的な順位なので勝ったというような感覚は全く無いのだけれど、連帯率を保つという意味では目標が達成されたのでとりあえず御の字といったところだろうか。 それにしても今回の2着ラッシュで通算戦績の2着回数が1着回数を超えてしまった。まあ4着が1着を超えるよりはいいけれど、やっぱり1着が一番多いほうが締まりがいいなあ。 なんとか頑張り、再び1着回数が一番多くなればいいなと思う。
2005年9月1日以降記録し始めた麻雀通算戦績
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牌の記 3本場 (05/11/18)]
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徒然なるままに街の片隅で握る牌の記。 久しぶりに、今日はどうにもならないなと思った。半荘3回を終えて4着、1着、3着。2戦目の1着も言わば棚ボタに近い僥倖のようなもので、自らの力で勝ち得たものでは到底なかった。3戦目を力なく3着で終えたところでラス半コールをかける。そして4戦目も座っているだけの3着で終え、席を立った。 こういう日が麻雀には必ずある。運の要素の強いゲームだから、いつも皆平等にチャンスが訪れたりはしない。スッカラカンな運量の日は、無駄な失点を防ぐのがやっとでなかなか得点には結びつかない。自分と相手によほどの実力差でもない限り。 それにしても、3着2回分程度ではあるが雀荘から出て財布が軽くなっているのが新鮮に思えた。9月1日以降の戦績を見てもらえば分かるとおりこのところ細々ながら勝ちっぱなしだったから、最近は麻雀で負けるというイメージが知らず知らずのうちに薄らぎつつあった。 しかしその一方で、久しぶりの負けにホッとしたところもある。というのもあまりにも好調が続いていたので、実力に見合わない勝率を正直気持ち悪くも思っていたから。もちろん勝負に臨んだ時は毎回勝ちたいと思って打っているのだけれど。 ちなみにこの記録を取り始めた9月1日以前の戦績については全くもって詳細を覚えていない。ただ自分では特に勝ちもしないかわりに負けもしないなと思って打っていた記憶がある。押し並べて言うなら遊んだ場代分くらいをなんとか浮かせて帰っていた程度か。 そういう経歴からすれば、今日のような日は訪れるべくして訪れたのだろう。もう2,3回こういう日が続くかもしれない。 でも、負けてホッとするなんてなんだかお人良しっぽくてよくないね。雀士はもっと冷徹で底の計れない感じであらねば。タンヤオ七対ドラドラを一発で引き和了ったら裏は見ないぜって言わねば。裏ドラチップがあるときはしっかり見ないといけないけどね。
今回の戦績 通算戦績(2005年9月1日以降)
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牌の記 4本場 (05/11/30)]
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徒然なるままに街の片隅で握る牌の記。 悪い予感が的中する。前回に引き続き、今日も敗走の果ての帰路に着く。 今回の戦いの感想としては、とにかく手牌と捨て牌どう組み合わせても和了れない局が多かった。偶にメンタンピンイーシャンテンの好形が出来たかと思えば、そこから8枚連続字牌ツモ切りとか。先日の負けは裏目引きの多さもあったけれど、和了れる可能性もあったぶん今日のほうが酷かろう。 まあ、それもまた麻雀。確率は偏るものだし。そんな理由で僅か3戦でこの日の勝負に見切りをつけ足早に席を立つ。こんな日はさっさと終わって帰るに限る。麻雀は負け代もさることながら場代の重いゲームだから。ちなみに俺の場合は調子のいい日も早々と終わるに限ると思っているけれど。勝ち逃げで。 それにしても、不相応な爆勝続きで財布を肥やしていた9,10月頃よりも心が軽い。奇しくも財布の軽さに比例して。こういうところが、俺は全くギャンブラーに向いてないなあと思う。というか今だって別にギャンブラーじゃないけれど。俺が麻雀するのは金の為でも麻雀が死ぬほど好きだからでもない。ただ雀士のはしくれでありたいがため。麻雀を打てるということが、なんだか格好良くて好きなんです。
なんだか、戦隊モノのヒーローに憧れる子供と同レベルだな。
今回の戦績 通算戦績(2005年9月1日以降)
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牌の記 5本場 (05/12/14)]
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徒然なるままに街の片隅で握る牌の記。 連敗を喫して迎えた今日の闘牌。長々しい不調期は避けたいものだ。いつものように渋谷駅の改札をくぐり、いつもの店へと足を向ける。戸を叩く麻雀店は何件かあるけれど、今日はその中でも一番行き慣れた店だ。 そして店に着き、卓へと座る。そして今日も4回ほど打ったら帰ろうと心の中で思う。麻雀好きな人は10回は打たないと満足出来ないと言う人も多いけれど、俺は4回くらいで丁度いい。疲れも残らないし。 一度に10回以上打つことというのは俺の場合ほとんどない。 今日の卓は、わりと小場の続く場だった。互いに牽制し合うかのように細かい和了りでじりじりと局が進む。そして一撃満貫クラスの和了りをものにした者がそのまま勝ちきるという場だった。4回やって、高い手は満貫2回にハネ満が2回出たくらいかな。ちなみにそのうち1回のハネ満を見事に振り込んだのは俺だったけれど。 そのハネ満を振った局は今日の俺の最大の反省点であった。終局間際まで初牌のをずっと絞っていて、元々その局はオリ気味だったから最後までこのは抱いて死のうと思っていたのだけれど、残り2巡で上家から突然暗カンが入り更に次順俺も役なしドラドラで聴牌。残りは一巡。しかもカンチャン待ち。 東4局 西家 22400点持ち (トップとの差10600点) ツモ ドラ
入り目が赤だからと言って、もはや無茶をする局面では無い。だけれどそれまで2連勝していた自分への驕りが出たのか、突然アバウトな気持ちになり 時々、こんな風に俺のいい加減な性格がモロに麻雀に出てしまうことがある。そしてその時は反省するけれど、時が経てばどうしてもまたその性格が卓上に影響を及ぼしてしまうのだ。だからきっと、俺は最強の麻雀打ちにはなれないだろうと思う。というか別に最強になりたいなんて望んでもいないけれど。いい加減な性格ですから。 しかしそのいい加減な性格が、麻雀にどっぷり狂う道から俺を守ってくれているのかもしれない。
今回の戦績 通算戦績(2005年9月1日以降)
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牌の記 6本場 (05/12/17)]
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徒然なるままに街の片隅で握る牌の記。 12月17日。街はすっかりクリスマスモード一色に染まり、そこかしこでキラキラとしたファンタスティックなデコレーションが行き交う人々の心を暖めている。そんな街並みを抜けて、14日と同じ店で再び闘牌。今回も4半荘をこなした。僅かばかりの勝利を収める。 そして9月以降つけていた戦績記録もやっと通算50半荘を達成。随分とゆっくりとしたペースで済みません。そしてどうでもいいことなんだけれど、1着・2着の回数が揃い(18回)、更に3着・4着の回数も揃った(7回)。なんだか少しキレイだと思う。もちろん街を彩るクリマスデコレーションには到底敵いもしないけれど。 それにしても50戦を経過しての戦績が、TOP率3割6分、連帯率7割2分、である。これは俺としては驚異的な数字だ。出来すぎだと思う。こんな成績が維持できれば楽々麻雀で食えるのではないか。ちょっと高めのピン雀で一日10半荘も打てばそこそこ優雅に。 なんて、安値の店で心地よく肝を冷やす麻雀に興じているだけの俺が、まるで一端の玄人のような大口を叩けてしまうところもWEBテキストの面白いところだと思う。実際のところ、更なる高値の店に足を伸ばす気は全くない。以前にも言ったけれど、俺は麻雀で金を稼ぐ気持ちは全くないから。客観的には、ちょっと面白みに欠ける気もするけれど。
井の中の蛙、必要の無い大海に敢えて挑み行くこともなく。
通算戦績(2005年9月1日以降)
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牌の記 7本場 (05/12/27)]
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徒然なるままに街の片隅で握る牌の記。 クリスマスを過ぎ街は一転その彩りを変え、忙しない師走模様の空気に染まっている。そんな雑多な喧騒を潜り抜け、街の片隅で10日ぶりの牌を握る。この日の結果は4戦を闘いオール3着。しかし手順や戦略面でのミスは特になかったとも思う。ならば良しとしよう。今日の手牌は俺という打ち手では100回打ってもオール3着が最高だったのだ。 俺のひとつの考え方として、麻雀は短いスパンならば勝敗よりも内容が大切だと思ってる。それがつまるところ長いスパンで見たときに勝敗の差になって現れてくるのだと。例を上げて言うと、上手く打てばトップになれた半荘で2位に終わるよりも、どうにも手の入らない半荘を凌いで得た3着のほうの価値があるということだ。麻雀が運に左右されるゲームである以上全半荘トップになろうなんてのは無理な話だから、その半荘の自分に与えられた条件の中で最も優秀な答えを導き出すことが肝要だろう。 そういう点で、今回の闘牌は俺の持てる力を物差しとすれば落ち度は少なかったと思った。しかし9月10月頃なんて上手く打てば必ずトップを取れたくらい、牌勢が良かったんだけどなあ。さすがにそんな時期は長くは続かないようだ。 そして俺はどこぞの雀豪のように意図的に卓上の運の流れを変化させ勝利を導き出すような力強い雀力は持っていないから、ただ今日オール3着を引いた麻雀が、次にトップを狙える半荘が訪れた時にも同じように打てたらいいと思う。
今回の戦績 通算戦績(2005年9月1日以降)
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牌の記 8本場 (05/12/29)]
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徒然なるままに街の片隅で握る牌の記。 今年も残り数日となり、会社も昨日で仕事納めだった。それならば麻雀も、ということで今年度の麻雀納めをしてきた。いつもは4半荘くらいしか打たないけれど今回は頑張って10半荘。別に頑張らなくていいんだろうけれど。 最初の半荘で早速の箱ラスを食う。いつものことだ。最初の半荘って俺は箱ラス食うことがやたら多い。通算成績のラス8回のうち3回は第一半荘箱ラスだ。別に特別な意味なんて無いけれど。たぶん普段の行いが悪いからだろう。 その後2戦目を騙し騙しの2着で凌いで迎えた3戦目ラス前。国士狙いに見えた下家が中盤でオタ風の北・西をポン。場に風牌はほとんど見えていない。大物手の予感。
他家の手牌を見る限り残りの風牌は山かその下家の手中。その時俺は相変わらずのクズ手。全く手が入らない状態。形聴でも取れれば御の字だと思っていたが、流局狙いで手を進め続けることに悪い予感を感じたので対面の見え見えの待ちに差込み。3900点。すると悔しがる下家が手を開け、その手の内は東暗刻の南単騎。
そして2順後の下家ツモ筋には南が眠っていた。危ない危ない。3戦目もなんとか2着で凌ぐ。 そして迎えた4戦目に転機。
東一局西家 8順目 ドラ 手牌 ツモ
上記の手で得意の役なし聴牌。しかし前順下家から先制リーチが入っている。俺の親番ならば追っかけリーチでいいのだろうがこの状況では無理する手でもない。それならばということで大通りの様相を呈していたピンズメンツを落として河に並べる。その間にツモってきた牌がに続いて、。
手牌
わずか3順で5面待ちのメンチンに変化。状況は一変。もう他を気にする意味は無い。最後のを曲げ追っかけリーチ。次順一発でを引いて倍満の和了りをものにする。 この和了を転機に確率の偏りが俺に味方し始める。そこから6000オールの連続引きなどで大トップ含みの4連勝。9戦目にメンツが変わり俺の確変にも陰りが差してきたので区切りよく10戦目を打って終了した。 結果としては久しぶりに大きな浮きが残った。いや何よりも、今年の締めに勝ちを残せて良かった。
やれやれ。これで、気持ちよく年が越せそうです。
今回の戦績 通算戦績(2005年9月1日以降)
30戦 @着 12 回 A着 11 回 B着 5 回 C着 2 回 だったのに対してその後34戦で 34戦 @着 10 回 A着 10 回 B着 8 回 C着 6 回 と、勢いに陰りが差してきてはいるもののまだなんとか凌げている状態。これくらいの状態がキープ出来るならば別に何の文句も無い。勝ちすぎは逆に苦しい。 結果、今年は大きな不調もなく良い年だった。しかしこのデータはまだ採り始めて4ヶ月に過ぎない。これが100半荘だとか、1年を経過した時点でどう変動しているのかは自分でも楽しみだであるし心配でもある。ひょとしたら一気に負けが混んでくるかもしれない。しかしそれもまた麻雀。まあ所詮月に十数半荘しか打たない程度の似非雀士。来年もほどほどに、麻雀後ラーメンの一杯でも啜れる程度に凌げたならば何も文句は言うまい。
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2006
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[牌の記 9本場 (06/01/21)]
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徒然なるままに街の片隅で握る牌の記。 今日が2006年最初の記となる。今年はどんな牌のおりなりが見られるだろうか。 さて、インターネット雀荘「東風荘」という名前を聞いたことがあるだろうか。名前の通り、インターネットを介してアクセスした人間同士が麻雀を打つという仕組みのゲームコンテンツである。この東風荘に、暇な時間の手慰みにもう10年近く通っている。10年続ければ自然と試合数も重なるもので、通算では手持ちのID3つ合わせて6000試合を超えている。実力偏差値に相当するRateという値はどのIDも2100(偏差値に直せば約70)前後という高水準でまとまり、近頃では専ら超上級Rate卓という卓に入って遊んでいる。 しかしこの正月明けから絶不調に陥り、30試合を打って平均順位3.00の合計得点-300。これほどの不調は10年の東風荘歴の中でも記憶にない(過去通算の超上級Rate卓平均順位は2.39程度)。原因は単に不運というだけではなくどこかバランスが崩れているのだと思うのだけれど、強者の集う超上級Rate卓ではなかなかその修正も容易でない。東風荘ではもうかなりの長期間に渡り安定した勝率を残し、この先も負け組に回ることは有り得ないだろうと思っていた矢先に訪れた突然の暗闇。麻雀の難しさと怖さを改めて実感する。
そんな陰を引きずりつつ渋谷で挑んだ今年初の実戦。隣の席では麻雀プロリーグ戦鳳凰位3連覇を成し遂げた阿部孝則さんが闘牌する中、俺は緒戦、2戦目と連続ラスを引く。和了りはリーチ平和の2000点が1回だけ。今年はいい年になりそうだなんて苦笑いしながらも、心に揺れは生じない。迎えた3戦目
東一局 親 5順目 ドラ
ようやく訪れたチャンス。このイーシャンテンからではなくを切る。牌効率から言えば明らかに切りだけど、指先に走る引きの予感。不調時にこの僅かな予感を取り逃すともう終わる。分岐点は一瞬。 6順目を引いて切り。 そして7順目を引いて切り。 8順目を引いて切り。 9順目を引いたところで切り即リーチ。
捨て牌は。程なくが対面からこぼれ親満の和了となった。これが捨て牌がとなっての待ちリーチでは、待ち牌はおいそれとはこぼれなかっただろう。 この和了りを契機に更に親満、親跳を和了り対面を飛ばして東一局終了。次戦も東二局の親番で下家を飛ばし終了。そして4連勝した頃、程よく終電の時間となった為席を立った。 終わってみれば6戦でトップ2回分のプラス。今年の打ち始めとしては申し分ないだろう。しかし敗北の波はいつ訪れるとも知れない。その日の運という大海に頼りなく釣り糸を垂らして様子を伺うようなその場凌ぎの麻雀で、俺はいつまでその波から逃れていられるのだろうか。 ふと空を見上げると、上空には明日からの大雪を予感させる黒雲が黒々と立ち込めていた。自然には勝てない。明日は家で大人しくしていよう。そして晴れ間が覗くまで待つのだ。
麻雀も、そんな気持ちで待ってみればいいのかもしれない。
今回の戦績 通算戦績(2005年9月1日以降)
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牌の記 10本場 (06/01/30)]
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徒然なるままに街の片隅で握る牌の記。 牌の記も今回でようやく10本場を迎えるに至った。なんて緩やかな更新ペース。しかし麻雀を生業としているわけでもない所謂フツウのサラリーマンが時々手慰みに牌を摘む情景こそこの記の持ち味であると思っているので、緩やかな更新ペースもその持ち味に添える一つの隠し味として昨日しているのかもしれない。なんて、そんな解釈をしているのは間違いなく本人だけであるけれど。 さて、先日社の部長さん2人とセットで卓を囲んだ。会社帰りのお酒の席で麻雀は打てるのかとう話になり、それならば囲んでみようかという展開になったのだ。 しかし雀荘に向かう道中で俺の胸にふと不安が過ぎる。今夜の麻雀は、もしやあのルールなのではないかと。 そして辿り着いた先の雀荘で、俺の予感は的中する。部長さん達の提案したルールはクイタン後付け無しの完全先付け割れ目ヤキトリ有りで、更に場風は東西・南北で振聴リーチ無しというもの。いわゆる、最早前近代的と呼ばれて久しいおじさんルールである。今時こんなルールを採用している店はまず見かけない。そしてこのルールの特徴は決め事の詳細が曖昧で難しいくせに運の及ぼす影響が大きいところ。私的にはこんなルールで打つのならわざわざ麻雀を持ち出す必要もないだろうと思うのだけれど。 とは言えこんな馬鹿げたルールでは打てませんなんて無下な事を言えるはずもないので、2半荘だけその麻雀に付き合った。 結果は鳴かず飛ばずの4着・3着。こうなると負けたから愚図ついているようで非常に格好悪いのだが、開き直って言わせもらえばツイてなかった。特に割れ目という特殊条件がクセモノで、それがあるだけで普段の麻雀とは全くの別物になってしまう。 先手必勝が全てと言って過言ではない。 しかしあらゆるルールにおいて対応し、少なくとも負けることの無い雀士というのが俺の理想像である。次にやるときは運でも実力でもいいから、とりあえず勝利の軌跡を描いた後で薀蓄を語ろう。
それにしても、単に麻雀と言っても色々な楽しみ方があるものだ。
通算戦績(2005年9月1日以降)
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牌の記 11本場 (06/02/04)]
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徒然なるままに街の片隅で握る牌の記。 麻雀は決して小手先の技術戦だけではないと思う。むしろ行き着く先は心理戦。そしてその戦いは上級者になるほどに深みを帯びてゆくのだろう。 心の戦いは何も人に対してのものだけではない。卓上に現れるあらゆる事象に対しての。偶発的なもの。人工的なもの。 雀士が牌ではなく特定個人との戦いになった時、或いは自分と戦い始めてしまった時、死神はそっとその雀士の体を包むみ込む。そう感じられたならば止め時。口悔しくても。物足りなくても。 だから俺は決して人とは戦わないよう、いつも牌のおりなりだけに心の目を向けて打つ。 今日も今日とて渋谷で麻雀。5半荘の戦いの中で1トップ分の浮きを収めることが出来た。わずか1トップ。しかし腕に覚えのある者が集うフリー雀荘で、確実に1トップ分の浮きを残すことがどれだけ大変なことか。辛酸を舐めたあの日。敗北にまみれたあの夜。そんな苦い過去を繰り返したくないから、今日も地道に一打一打に魂を込めてひたむきに勝利を追う。後悔は残したくないから。卓上に俺の持つ精一杯の力の軌跡を残して、それで負けるならば仕方ないじゃないか。
打ち終えた後の帰り道、ふとそんなことを思う。
通算戦績(2005年9月1日以降)
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牌の記 12本場 (06/02/18)]
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気まぐれに、都内の雀荘を何軒かはしごして歩く。学生で賑わう店、プロの集う店、場末の煤けた店などなど。 プロの集う店はさすがにレベルが高かった。客も含めて。毎日牌に触れる人間とそうでない人間には歴然たる差がある。 場末の煤けた店ではマナー全盛のこのご時世に同卓したおばちゃんは5分も電話に夢中になって摸打を止める。しかしそんなことに腹を立てる奴はこの店に来る必要は無いのだろう。私的には、そんな間も和みに感じられて不快では無かった。 さて肝心の麻雀だが、どうにも牌が寄らない状態が続いた。というよりも聴牌は入るのだがそこで幕が降りてしまう。どんな好形だろうがさっぱりツモれない。ツモれないから和了りは時々他家からこぼれるロン和のみ。これでは厳しい。麻雀は結局、ツモが勝負を決めるから。 しかしまあ己の稚拙さを棚に上げて不運ばかりを嘆いても仕方が無い。見た目ばかりに囚われて和了れる形を河に並べる自分が悪いのだ。勝てる店ばかりで打っていると気付かないけど、河岸を変えて歩いてみると自分の麻雀の未熟さに改めて気付かされて面白い。が、しかし勝てない店でいつまでも打ち続けられるほど俺は麻雀に対して既にストイックでも無いようだ。雀荘巡りはそろそろ終えて、またいつもの店に帰るとしよう。勝てる場で打つ、それが今の俺のスタンスなのだから。 なんて、随分小っちゃくまとまっちまったもんだと思う。
今回の戦績 通算戦績(2005年9月1日以降)
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牌の記 13本場 (06/03/25)]
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徒然なるままに街の片隅で握る牌の記。 久しぶりに渋谷で闘牌。今年に入って少し牌を握る機会が減ってきているけれど、ようやく戦績記録後100戦達成。しかし間隔が開くとやはり雀力も鈍るのか明らかなミスも目立った。中でも酷かったのは
東一局 親 8順目 ドラ ツモ
からの切り。ヌルすぎ。いや、場況に特別な条件がなければこの一打も間違いでは無いかもしれない。打点的には優秀な一打である。しかしこの時は開局早々ということでまずはひと和了りが欲しい場面だったし、残りのも山に濃そうには見えなかった。逆に索子のほうは場に安い。そうなると、打と打では聴牌効率に雲泥の差が出てくる。更に極めつけはこの時対面は萬子の染め手でなんとなくドラのを抱え打ち時を探っている気配があったのだ。案の定、終盤にポロっとがこぼれたが、先にを切ってちゃ今更それを鳴くわけにもいかず。しょぼい。 結局この日は席に助けられた感じでトップ1回分の浮きで収めることが出来たが、こんな麻雀じゃ先々下降線を辿るのは目に見えている。
しかし、じゃあこのへんでいいやと言って、やめられたのならいいのだけれど。
通算戦績(2005年9月1日以降)
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[ 牌の記 14本場 (06/04/01)]
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徒然なるままに街の片隅で握る牌の記。 珍しく池袋のフリーで闘牌。知人の結婚のために訪れたのだけれど、終電がなくなる時間まで話に花が咲いたため朝まで寒さを凌ごうと足を向けたのだ。 少々酒が入っていたこともあってか、初めて入る店だという緊張感はなかった。しかしこの日は連れに俺の麻雀の先生格にあたる人がいたため、そういう意味の緊張感というか、楽しさを覚える気持ちはあった。その人と卓を囲むのは実に5.6年ぶりだろうか。 この夜、久しぶりに卓を囲んだその人は8戦6勝と一人勝ち。俺は可もなく不可もなくのぶらさがり状態で、途中チップ5枚オールのカッパギ手を和了れたのが救いだった。 麻雀は数半荘程度の結果のみで実力を測れるものではないけれど、結果論に拠らずとも十分な鋭さを今もその人から感じられたのが楽しかった。メンツが締まると麻雀は本当に楽しい。そしてこういうキツい麻雀を打っておくと、勝てる場についた時の大きな力にもなるんだよなあ。 ちなみに和了ったカッパギ手は立直一発ツモ断九七対赤赤裏裏。
ツモ ドラ
一発ツモまでついたのはちょっと僥倖だなあ。
通算戦績(2005年9月1日以降)
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牌の記 15本場 (06/04/11)]
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徒然なるままに街の片隅で握る牌の記。 まったくトップの遠い日だった。隣の卓でスピードワゴンの小沢さんが闘牌する中挑んだ勝負。10戦を闘いそのうち半数はトップ目でオーラスを迎えたのに勝ちきれたのは唯の一度。45000点の持ちの2着を初めとして39000点持ちの2着、34000点持ちの2着…。 その中で和了逃しでもしていたのなら己の稚拙さを省みることも出来ただろうがとにかく俺の思いつく限りで手立ては無かった。オーラス、決まって俺の手の内が愚形に染まる中突如飛び出す2着目の満ツモ、倍ツモ。 帰り際、駅のキヨスクで手にした麻雀雑誌に「麻雀は最終的に50000点持ってりゃOK」の言葉。そうか、俺は単純に持ち点が足らなかったのか。 そんな自嘲的な考えを頭に浮かべならが電車に乗り込む。
まあ、こんな日もあるか。反対にオーラスに強かったなって思える日もそのうち来るのだろう。
今回の戦績 通算戦績(2005年9月1日以降)
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牌の記 16本場 (06/05/02)]
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徒然なるままに街の片隅で握る牌の記。 ここ2ヶ月くらい、麻雀熱が停滞期に入っている。麻雀のことは常に頭の片隅にあるが、牌に触りたくて仕方ないというほどの昂ぶりが湧かない。もっとも10年も麻雀を打っていればそんな時期は四季さながらに訪れるので、しばらくすればまた打ちたくて仕方ない時期が巡ってくることは分っているのだけれど。
ドラ北
となっているところから対面が打。一瞬迷うがカンせず。しかしこれはカンしてもよかったと思う。もはや終盤を迎えており両脇は既にベタオリ状態。リーチをかけてくる気配は無かったし、対面の仕掛けも安そうだったから。結局、2枚は山死にだったようだ。ひょっとしたら嶺上に寝てたかもしれないな。
あそこでカンの一声が出ないところが今の俺の状態を如実に表していると思った。気力の充実しているときなら鳴けていたと思う。いかんね。中途半端な気持ちで勝負事に臨むのは。
今回の戦績 通算戦績(2005年9月1日以降)
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牌の記 17本場 (06/05/05)]
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徒然なるままに街の片隅で握る牌の記。 久しぶりに腰を据えて打ってきた。10戦。別にこのところの腑が無い麻雀に気合を入れようと思ったわけではないけれど、このままではしがないサラリーマン雀士からいよいよただのサラリーマンになってしまう気がしたので。 いや、でもやっぱり10戦は疲れた。俺は4戦くらいで丁度いいんだなと再認識した。 手牌に関してはあまり特筆すべき場面もなかった。ただ手なりに打って、和了って、振って。それはよく言えば失敗をしなかったとも言えるけれど、悪く言えば自分の失敗を見つけることが出来なかったとも言える。勝ち負けも去ることながら、自分が成長するための材料が得られなかったのは少し寂しい。 というわけで今日は話題の材料があまりなかったので、俺の苦手な役の話でもしよう。 俺の苦手な役。それはずばり、メンチンである。なんで苦手と言われれば、ご想像の通り待ち牌が判りにくいから。これがメンチンに関して最初に思いつく欠点である。ほんと、メンチンの場合6面待ちとか7面待ちなんてザラだしね。だからなるべくメンチンには向かいたくないんだけれど、牌の流れには逆らえないので時々はメンチンになってしまう。 先日も、こんなケースがあった。その日5戦目に迎えた東ラスの親番で。
ドラ
待ち、すぐに分りますか?答えははペンカン。役は赤に一通がついて親倍確定。まあ、まだこの段階ではどうってことは無い。この形なら待ちは比較的判り易いしこんな自分で一枚使ってる待ちなんてまず出ないし。問題はここからこの手がどう展開してゆくかだ。 と、思っているところに対面からのリーチが飛ぶ。ここでメンチン第2の欠点、手が固まったらもう待ちが悪かろうが点差がどうだろうが攻撃一辺倒になるところ。幸いに一発目はリーチの現物を引いてきたのでそのままツモ切り。もし無筋のとか引いても打っていたけれど。そして厳しいなあと思っているところに次順引いてきたのが。これがメンチン第3の欠点、待ちの変化が多様で難しい。でもこの場合はそんなに複雑な変化じゃないのでさくっと切り。
一通が消えて跳満に落ちるけれどの多面待ちに受け変えた。実際はを自分で6枚使っているので3面待ちと言ってもあまり良い形ではないんだけれど、それでも3枚しかない待ちよりは1.6倍くらい優秀。あとメンチンは、なるべく迷わずに切らなくてはならない。それはメンチン第4の欠点、少しでも迷うと周りに聴牌がバレバレになるため。まあ、対戦相手のレベルにもよるんだけどね。 しかしメンチン恐怖症の俺は1回の手変わりで既にアップアップ。一手ならまだしも、次の手変わりをうまくこなせるかどうかはさっぱり自信が無い。更にさくっとを切ったものの、ふと本当に待ちはだけなのか心配に。あまつさえ切ったすら後々フリテンとなって俺に牙を剥くのではないかと不安に。メンチン第5の欠点、場が煮詰まり手変わりを繰り返すほど心に不安の石が積み上がって行く点。そんな牌の魔物に魅入られた満身創痍の俺の元に次にやって来た牌が。もうどうせなら和了牌が来いよ思いながら切り。
とは言え、を切ればタンヤオがついて親倍復活だとか思ったわけじゃない。待ちより待ちのほうが更に有利だとか思ったわけでもない。はっきり言ってもう端っこ切っとこうよくらいの気力。たぶん待ちだよねくらいの意識。はっきり言って俺に2手変わりは無理です。そして次とか引いたらマジわからんのでもう後は全部ツモ切ろうと心に決める。しかしそんな俺の苦労をよそに眼前に暢気な顔で打牌を繰り返す下家がポロっと打。
「ア…ロン…」
疲れ切った声を絞り出し手牌を倒す俺。倒すと同時に何故かギックリ腰に。すこぶる痛い。そして打った下家は暢気に「ウオ!」とか言いながらパッと12000点を俺に渡そうとする。俺が24000点だと言うと、下家は 「ああ、親か」て。 いやいや、親だろうが子だろうが12000点じゃないだろ。
しかしこの親倍で気力を使い果たした俺はその後捲くられてしまい2位に。ほんと無駄な親倍。それにしてもメンチンは大変すぎる。誰か、携帯用の「チャ助」*でも開発してくれるといいんだけれど。 *チャ助…インターネット雀荘「東風荘」お助けツール。聴牌時の待ち牌を算出してくれる優れもの。
今回の戦績 通算戦績(2005年9月1日以降)
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牌の記 18本場 (06/06/05)]
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久しぶりに河岸を変えて打ってみた。 行った店は点5のフリーでゲーム代が200Gという良心店。相場は350Gなので1ゲームあたり150Gもお得。それだけで勝ってる気分になれる。これだけ場代の安い店はそうはないので、わかる人にはこれだけでどこの店だかわかるかもしれない。 初顔の店というのはその戸を叩く時、どうしても多少の緊張が背中に走る。それは麻雀が対人ゲームであるからに他ならないだろう。その店で実際に打ってみるまではどんな打ち手がいるのかも、店の客層も全て秘密のベールに包まれているのだから。幸い今回の店はとても和やかで雰囲気の良いお店だったけれど。 さて、結果のほうは4戦やって3着、3着、1着、3着。勝ちもせず負けもせずのトントン。全体的に波が穏やかだったというか、有体に言えば好手のようなものが全くと言っていいほど来なかった。まあ手があまりにも来ないと勝負に行くことも少ないので放銃も減るから、意外とラスは引かないけれど。放銃は4戦やって3900を1回振っただけ。カテナチオ。 唯一のトップは3戦目、親でノミ手リーチをかけたら暗刻持ちの一萬引いてきたので暗カンしたら嶺上でツモったという僥倖の親満を守り切っただけのものだった。その親満を和了った後はなんだか脇でボコスカやりあって勝手にトップで終わったという感じ。なので、あまり勝ったという爽快感はなかった。そして4回戦も静かに終了。少し消化不良な気もしたけれど、そこで席を立った。それで良いのだ。5回以上やると疲れるからね。
そしてその夜配牌に中が5枚入ってる夢を見た。こんな手牌。 ギョッとしてると第一ツモでさっくりツモ。 「地和!地和です!!」 て叫んで手牌を倒したけれど満場一致で無効だと言われた。でも俺も地和のことよりも中5枚あったことのほうがネタ的に面白かったから割と満足していたように思う。のほほんと。
まったく。寝ても覚めても。
今回の戦績 通算戦績(2005年9月1日以降)
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牌の記 19本場 (06/06/24)]
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セット仲間と待ち合わせをして店へと向かう。今日の面子は俺が一番よくセットを組む3人で、うち2人はフリーでも打っている。フリーでは打たないもう一人もなかなかの実力者だ。 しかしこのセット、ここしばらく俺の連勝が続いている。別に俺ひとり雲の上にいるかのように強かったりだとかしないと思うのだけれど。謙遜でもなんでもなく。 負けないのならそれでいいじゃないかと思われるかもしれないが、仲間内ということもありあまり一人でただひたすらに勝ちばかりを連ねるのは気が引けるところもある。麻雀だけの人間関係、というわけでも無いので。ところが普通に打ってしまうと今回もそういう展開になる可能性がある。かと言ってあからさまに和了を見逃したりして打つのは俺が非常につまらない。どうしよう。 というわけで今回は試しに自分の中だけで制限を設けて打つことにした。制限は次の2点。 @満貫以下の手では鳴かない。
正直@がキツイと思う。場の小回しがきかない。和了率は激減するだろう。特にオーラス僅差で争う時にこの縛りは致命的だ。Aも同様に勝っている場合に少々きつい。場を流せなかったり仮聴を取れなかったりするので戦略の幅が随分狭まる。 これは負けるだろうなと、自信を持って挑んだ一回戦。自己制限が裏目に出る。親番で満貫確定の手をあっさり張り、リーチでツモって6000オール。続く一本場もまたまた親満手を張りダマで構えたかったが仕方なくリーチを打ったら6000オール。2本場は子に先制リーチを打たれた後その現物で聴牌。でもダマには出来ないのでリーチを打ったら高めを直撃してしまう。結局7万点超えの大トップで一気に場がしらける。なんでだ。 しかしこんな打ち方でそんなにうまい目が続くはずもなく2戦目はラス。と思ったら3回戦再びトップ。そして4回戦順当にラス。しかし5回戦またまたトップ。最後の6回戦はトビ寸前の3着。結局トータルでは軽い浮きが残った。 この結果だけ見るとやっぱり俺がまるで雲の上の人のように圧倒的な雀力を持っていると思われてしまいそうだけれど、そうではない。本当に今回は牌勢いが良かった。そして俺が改めて思ったのはやっぱり麻雀は運の占める割合が大きいなあということ。勝ちたいと必死に打っている時に勝てず、かと思えば負けてもいいかと思って打っていても勝てたりするのだから。 それが麻雀の可愛らしくて憎たらしい、最大の魅力だったりするのだけれど。
今回の戦績 通算戦績(2005年9月1日以降)
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牌の記 20本場 (06/07/29)]
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徒然なるままに街の片隅で握る牌の記。 またもやひと月ぶりの更新である。このところ麻雀は月に一度4、5半荘、指ならしに摘むだけのペースで落ち着いている。しかし麻雀屋をやっていた経験があるわけでもなく、指根に染み込むような深い牌の記憶など元々持ち合わせてはいないためにその狙いはほぼ意味を成していない。 つるつると、指先で暴れる牌。それを捉える感覚が既に俺の指の芯から消失してしまっていることが寂しい。牌を握ればいつだって、まずは指先でこんにちはと挨拶を交わせた昔を懐かしく思う。 でも仕方無いね。勝手に牌から離れていってしまっているのは俺のほうだから。牌はいつだって静かに俺を待ってくれているのに。与えるものを減らせば得られるものも少なくなるのは当然のことだ。何もしてあげないで、自分だけ大きな見返りを期待するほうがどうかしていると思うから。
今回の戦績 通算戦績(2005年9月1日以降)
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牌の記 21本場(06/08/12)]
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徒然なるままに街の片隅で握る牌の記。 行き慣れた渋谷の店で闘牌。4半荘を打って店を出る。フリーで打ちに行くときはほぼそう決まっている。どうして4半荘なんだろう。 その第1の理由は、4半荘より多く打つとぐったり疲れてしまうから。これは前から言っているけど。10半荘も打って店を出るときなど、満ち足りたというよりも疲労困憊で死にかけの老人みたいな顔をしていると思う。 じゃあどうしてそんなに疲れるのか。たぶんそれは俺が人見知りなのと、麻雀を打つことにそれほど慣れていないからだと思う。人見知りだと思うのは、俺が友人と打つ時は10半荘打っても特に疲れを感じないのに対しフリーでは卓に着く前にいつも多少の緊張感があるから。また、打ち慣れていないと闘牌中の細かな不慣れが無駄な緊張を生むから疲労は倍化する。 ただし俺が回数を4半荘と決めているのはそんな疲労感ばかりが理由ではない。 第2の理由は、俺の中で麻雀は4半荘で大きな一区切りと定められているから。これは俺だけの小さな拘りでああって、2半荘目にも小さな区切りが存在するけれど、1半荘とか3半荘目に区切りは存在しない。だからフリーで打ちに行くときに3半荘や5半荘で終わることは滅多にない。せめて偶数回で区切って帰ろうとする。セットだと、そうとばかりもいかないけれど。 なんだその拘りはと言われれば、普段自分でも深く考えてみたりはしないけれど、たぶん麻雀は4人で打つものだからというところに意識が掛かっているのと、麻雀は4半荘くらいはやってみないと勝ちも負けもよく分からないと感じているのだと思う。あと麻雀は円の要素を持つゲームだと思っているので和の要素の強い偶数が似合う。尖った奇数は似合わない。 第3の理由は、これは明解で、単に時間的な理由である。麻雀は1半荘打つのに早くて30分、遅いと1時間かかるギャンブルとしては異常に冗長なゲーム。長居をしては終電を逃しかねないし、他にも為すべき用はある。 そして最後の理由は金銭的理由。4半荘ならば俺の打つ一番高い場で全ラスを食らってもせいぜい20000G。まあなんとか払えなくはない額だから。俺は麻雀を打ちに行くときって常に負けた時のことを考える。ギャンブラーには向かない性質なんです。以前にも言ったけれど。 というか、ギャンブル嫌いなんです俺は。
でもね、麻雀打てるってカッコイイから。
今回の戦績 通算戦績(2005年9月1日以降)
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牌の記 22本場 (06/08/19)]
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徒然なるままに街の片隅で握る牌の記。 仕事帰りにセット仲間に誘われて3半荘。前回、麻雀を3半荘とか5半荘の奇数回で終えるのは嫌だと書いたばかりのなのに3半荘。3半荘ほど打ったところで面子の一人が体調が優れないとの理由でお開きになったため。まさか頑張ってもう1回打ってくださいなんて言えないから。言えないというかそもそも思いもしなったけれど。個人的な拘りなど他人に迷惑をかけない範囲でなければ拘ったところで楽しくないから。 そして、久しぶりに国士無双を張った。 ツモ ドラ 打として待ちの聴牌。は場に2枚捨てられており、は出切っている。場況的に残り2枚のは山に眠っている可能性が濃厚。しかし前順下家からの先制リーチが入っている。ここで強い牌を打てば対面、上家からの出は期待出来ないがウマイことにその後下家の現物牌しか引いてこない。これならば、は何家が掴んでも出るんじゃないか。そんな淡い期待を胸に摸打を繰り返す。 しかし更に4順が経過してもは場に顔を現さない。そして山深なのかと思案しているうちに、5順目、下家にメンピンをツモ和了られてしまった。手牌を流しながら、対面が話しかけてくる。 「張ってた?」 「ああ張ってたよ。待ちで。」 「そう。1枚流れてきたよ。」 「気配は殺せてる気がしてたんだけどな。」 「リーチ2順目に打った、筋とはいえ現物じゃなかったろ。その前が現物の西手出しなんだから危なすぎるよ。」 嗚呼、やっぱりあのか。確かにあれは傷と言えば傷だった。でも他に残しとく牌もなかったし。対面、上家の現物で下家の筋。その唯一現物でない下家からリーチが入り、打に光を与えてしまった。ツキの無さか、あくまで力の無さか。 「そっか。やられたな。」 「まあ、河に4枚目の公九牌を並べるくらいの迷彩でも施されたら流石に俺も打ってたけど。」 「今度からはそうするよ。」
通算戦績(2005年9月1日以降)
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牌の記 オーラス (06/08/28)]
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麻雀を打っていて本当に大切にしなければならないものは、その強さや技術ではなく一緒に打ってくれる人達だと思う。
週末を、久しぶりに麻雀にどっぷり漬かって過ごした。 9月23日の土曜はある知人に誘われて東風荘の麻雀団体が催す麻雀オフ会に参加した。場所は池袋。池袋をふらふらとする機会は滅多にないのでそれも楽しかった。あとは雀荘の相場が渋谷より随分安いなと思った。場所代にお金がかからないのはいいことだ。俺は誘ってもらった知人以外、他の人は名前すらよく知らない状態だったのでどういう人たちが集まるのだろうと少々興味深かったのだけれど、皆さんごく普通で気さくな人たちだった。居酒屋で少しお酒を呑み、その後で雀荘へ。行った雀荘はなんだか昭和の時代を彷彿とさせる趣きのある雀荘で、多少セピア色がかった雰囲気が良かった。 麻雀のほうは4戦やって1着、2着、1着、2着。牌勢が良かった。オフ会自体はオールナイトで行われるようだったけれど、俺は翌日にも予定があったので終電で帰宅した。というかみんな元気だなあ。きっとほんとに麻雀が好きなんだろう。
戦績
成績
通算戦績(2005年9月1日以降)
でも、サラリーマンを生業としている俺にはこのくらいで丁度いい回数。この回数で、特に打ち足りないとは思わない。そういう点でたぶん俺は本当に麻雀で生きていくことは出来ないし、これ以上強くなることもないだろうな。それでも、牌の記を記してみて良かったと思う。個人的に色々なものが見えたから。大切なもの。そうではないもの。そしてとりあえず判明したのが1年間で150半荘。これが俺が麻雀と楽しく付き合う上で最適の数字だということです。 またここに、新たなトリビアが生まれました。
といったところで、長々と連載させていただいた牌の記も今回を持ちましてめでたく終了となります。1年という期間が過ぎて、区切りとしては一番良いかなと判断をしたので。 とは言え俺個人の牌の記はまだまだエンドレス。これからも、細々と牌に触れてゆけたらいいと思う。
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