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●[桃から生まれた男]


むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。

 

ある晴れの日に、おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯へ行きました。おばあさんが川で洗濯をしていると、どんぶらこ、どんぶらこと、大きな桃が流れてきました。見事に熟したとても美味しそうな桃です。おばあさんはその桃を拾い家へ持ち帰りました。

やがておじいさんが柴刈りから戻ると、二人は桃を割ってみることにしました。おじいさんは大きな鉈を桃に向けて振り下ろしました。ためらうことなく、手加減なく。ザクッ!

「おぎゃああああああああああああああああああ」

桃から生暖かい血しぶきと共に甲高い絶叫がこだましました。二人は一瞬何が起こったのかわかりませんでした。そして尚もけたたましい悲鳴をあげるその桃の中を覗き見ると、そこには鮮血にまみれた一人の赤ん坊が横たわっていました。その額からはどくどくと命の源を噴き出し、突然訪れた悪夢のような出来事に全力で警報を発しています。

それを見て二人は混乱しました。自分達はなんてことをしてしまったのだろう。しかしそれは責められることなのか?桃の中に人がいるなんてどうやって想像すればよかったと言うのだ。そもそもこの子はどうやって桃の中に入り込んだのだろう。

しかしいくら考えても答えは出てきませんでした。そして二人はその困惑の中で微かに留めた理性のかけらに全意識を集中させると、赤ん坊の介抱に全力を注いだのでした。

 

その時なんとか一命を取り留めた赤ん坊は、老夫婦のもとですくすくと育ちました。老夫婦はその子を桃太郎と名づけたいそう可愛がりました。そして月日は瞬く間に流れ、桃太郎は15歳になりました。そんなある日のこと、桃太郎はおじいさんに言いました。

「おじいさん。鬼が島という島に、悪い鬼がいるそうですよ」


「悪い鬼なのかい?」


「悪いですよ。鬼ですから」


「そういうものなのか」


「太陽は暖かく、雪は冷たいように、鬼は悪いです」


「ふむ…。で、まさかその鬼を退治しに行くとでもいうのかい?」


「そんなわけはないでしょう。たかだか15歳の子供一人に退治出来るような鬼ならばとっくに他の人が退治しているでしょうし、そうでないとしても、やはりそれは僕よりももっと体力的に優れた大人の人が行くべきです」


「そらそうじゃのう」


「でもおじいさんは僕に鬼退治に行ってほしいのでしょうね。僕が鬼退治に行くと言えば喜々として吉備団子でも持たせてくれる腹積もりでしょう。気まぐれに奇妙な桃を拾ったばかりに育てさせられる羽目になった、忌まわしき僕をこの家から追い出すために」


「桃太郎や、じいはそんなこと一度たりとも思ったことなどないぞ」


「口ではなんとでも言えましょう。しかしもしおじいさんが本当に僕を大切に思っているのならば、僕に対して鬼退治の話など振りますか?僕がそれで鬼退治に行こうという気になってしまう可能性もあるわけです。そんな話を、こんな桃の種みたいな者ではなく血を分けた実の子に対してもすることが出来ますか?」


「桃の種だなんて思っておらんよ。桃太郎や、お前は少し人の揚げ足を取りすぎる」


「その桃太郎という名前も、僕にはよく分かりません。桃から生まれたから桃太郎。ではおじいさんは人から生まれたわけですよね。もし御自分のお名前が人太郎だったらどう思いますか?さらに突っ込んで言うならばおじいさんは人の女性から生まれたわけです。もし御自分のお名前が女性太郎だったらどう感じますか?」


「……すごく嫌じゃ」


「そうでしょう。しかしおじいさんはそういう種類の名前を、僕に付けて下さったわけです。おじいさんはそんな名前を付けてくれた親を心から信用し、愛情を感じることが出来ますか?あなたのことを女性太郎と呼ぶ親を」


「桃や、お前がそんなに自分の名前を嫌っておるとは知らなんだ。それならばお前の好きな名前に変えるがええ。新之助でも小次郎でも、なんでも好きな名前にするがええ」


「話を韜晦するのはやめてください。名前の変更は結構です。名前を変えたところでおじいさん達が僕を桃太郎と名付けたという事実は変わりませんし、それに自分で自分に名前をつけることほど寂しいものもありませんから」


「……。おお、どうやら飯の支度が出来たようじゃ。ささ、桃や、一緒に食べに行こうぞ」


「そうですね。食事は大抵出来たてが美味しいですから。ではいつものようにまず育ち盛りの僕が先に頂きますので、残りをおじいさんとおばあさんで分けて食べてください」


「…桃や、最近ばあさんが痩せてきたようじゃ。ばあさんの分だけでも多めに残してはもらえんかのう」


「おばあさんが痩せてきたからという理由で、僕に食事の量を減らせというのは随分勝手な言い分です。まずおばあさんが痩せてきた原因が食事の量によるものかどうかも定かではありませんし、仮にそうだとしても、それならばおじいさんがご自分の食事の量を減らしおばあさんに廻してあげれば済むことです。それでおじいさんが痩せるようならば、今度はおばあさんが食事をおじいさんに廻してあげることで解決します。そしてそのやり取りを繰り返すことにより、お二人はずっと健康でいられます」


「その話にはどこか矛盾を感じるんじゃが……」


「それは、おじいさんが僕を大切に思っていないことから生まれる一種の被害妄想です。もしおじいさんが僕のことをおばあさんと同等に大切に思っているならば、既に今日まで長い人生を経験することの出来たおばあさんよりも、まだその酸いも甘いも知らない僕の生命のほうを大切にするでしょうし、食事の量を減らすことで僕の夭折を願ったりはしません」


「別に夭折など願っとらん。わかったわかった。桃の好きにするとええ……」


「ありがとうございます。ではいただきます。ガツガツ」

 

こうしておじいさんとおばあさんは、本来与えられた天寿よりもやや短い期間でその一生を終えたのでした。しかし桃太郎に看取られた二人の死に顔はとても安らかだったようです。そんな二人は果たして幸せだったと言えるのでしょうか?きっとそれは、二人にしか分からないことでしょう。

 

人知れぬ山奥にひっそりと舞い降りた小さな奇跡の物語でした。


 

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