本作品は川上稔のデビュー前、初期の作品であるが、彼の作品の根幹にある 「スピード感」がむき出しのまま存在しているので、現在の川上作品を読み解 く鍵として、最適で価値ある一編となっている。 彼の作品には必ず、読後にすっきりする「スピード感」がある。全速力で突っ 走って汗をかいて力つきて地面にころがったときのようなけだるい心地よさを 残しながら。 そのスピード感は物理的なものではなく、ある方向に向かって「力一杯、想う こと」の強さである。その想いの強さは、肉体という呪縛を振り切り、天に向 かって駆け上がる。一気に。そのベクトルが「翼」というシンボルとなって具 現化する。これが「エアリアルシティ」「風水街都・香港」等に出てくる登場 人物たちが翼を持っていなければ「ならない」理由なのである。一方、川上作 品で必ず登場する「不自由な身体」の少女達(倫敦における機械仕掛けの少 女、ゲーム版OSAKAにおける義眼の少女等)は、肉体の呪縛を意味するシ ンボルとなる。 「手の一本や二本ちぎれたって、構うもんか。あの娘を想う気持ちの方が 強いんだ!」 ‥‥意外に思う人がいるかもしれないが、私には、川上作品と宮崎駿作品は クロスオーバーしていると感じる。それは、どちらも「娯楽アクションコンテンツ」 であるということだけではなく、この「想いの力強さ」の印象にあるのだと、私は 見ている。「質」とか「女性の好み(笑)」とか「恥ずかしがる箇所(爆)」とか は全く違うんだけど、どちらにも、他クリエイターの追随を許さぬ「強さ」があるの である。
−以上−
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あとがき
なんかもー頭痛が激しいんですけど寝ていいでしょうか?
今回はなりっさんに強引に解説してもらっちゃったしあとがきなんかいらないんじゃないのかなー……。
うーむ。
でも書かないと納得行かない人っているはず(そうかー? そうかー?)。
たとえば俺。
そういうわけで色々と電話してみようってかメールです。
「あーそういうわけで結局”翼”なんだが、どう思う?」
『ああ、オマエが今まで書いた中で一番マトモな小説か。それが何よ一体』
「俺のHPに載っているので何か言え」
『あー、えーと、そのー」
「文字数稼いでんじゃねえっ!!」
くそー、話にならん。(今回は展開が早いなあ)
とりあえずまあ、カッコ悪い自己解説。
この小説は自分がものを書いて食っていこーかどーかを考えていた十九歳の折りに、幾本か長編を書きつつ、
「短編もできねえとプロとしてはダメだよなー」
と盲目的な思いこみで作られた一本だったりします。簡単に言えば、この一本が完成しなかったら、
「ものを書いて食っていくのをスッパリ断念した」
ハズの……、そんな作品。
なお、一度書いてから現在既に五年が経過。この間に三回の手直し。今の完成度はその三回の推敲で作られたものであって、一回目とはデキもセンスも全く違います。その意味では作家志望の人はこの作品を参考になどしないこと(頼まれたってしないか)。プロとて一発で全てを完成させるわけでなく、そして大概において不慣れな人は一発で全てを完成させようとして何も完成できずに諦めることが多いのですから。
ああ説教臭い(笑。
とにかくまあBATTLE・GAREGGAの「FLY TO LEADEN SKY」を聞きつつ読み直したカンジ、五年前と今と、何も変わってないですなー……、と。このあたり、なりっさんの言うとおりですホントに。
でも、今の自分はもはやこういうものを書くときでもきっちりとプロットをたてるだろうし、もっと綿密に作戦を練るでしょう。ついでに言うと今の自分は短編を書く領域にいないし、今、書いているものが書いているものだけにそういう領域に呼ばれることもないだろーな。
しかしそれでもやはりこの短編は自分の区切りであって、また、何も考えずに作られたと言う意味上において間違いなく、
「俺の本質」
があるんじゃないかと。
とりあえず、
「彼と彼女はどこが違ったのだろう?」
などと考えてみたりして。