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対読者的作家思考

製作日時:1999/2/中旬
※後々に追補など

以下に自らを己に対してニュートラルにしいた意見を置く
必要な者はそれを拾い上げて納めるべし
物乞いである必要はありませなんだ

■発端

2つのねがい(意味nothing) 九頭竜川 さん 1999年02月15日(月) 01時34分

ファンレターって何なのでしょう?

僕にとってファンレターは鬼門で、書いては捨て、タイプしては悩み、結局まともに出したことはありません。そういったことでは、この掲示板に出すというのは初めて出すファンレターにあたるものなのかな思っています。
ぐぁ(が)、これまで、なぜ手紙ひとつ出せなかったのか。
その原因は自分と好きな作家さん、その彼我の関係においてどういう意思表現を行うべきなのか、という一点につきました。
以下は、栗本薫さんの「グインサーガ」の後書きにあったファンレターについての文章を読んで後の、僕個人の感想です。(興味があったら探してみてください)

川上さんと僕の関係、などというと多分に語弊がありますが、これは生産者と消費者の関係でしかなく、作品をとおしてのみの関係であり、不安定で流動的な関係しか持ち得ない両者だと思います。
ファンとその対象との関係ほど頼りないものはないと思います。それは皆さんも、自分以外のファンとその対象との関係を客観的に見れば理解できることと思います。

事実、寂しいつながりだとは思いますが、それ以上の関係など生半可なことでは成立できないでしょう。
よって、ファンとしては対象に対して、個人的ではあっても抑制された感情表現以上のものを投げかけるべきではないと思うのです。
前述したように、作品を介してのみの限定的な付き合いしかない他人である、彼(もしくは彼女)は、私たちの、私的なエゴを押し付けてよい相手ではないのです。この種の個人的感情の押し付けは、迷惑なだけでなく負担にすらなり得ると思うのです。いくら私たちが購買者だといっても、彼らとはれっきとした個人として一線を引いた付き合い方が必要であり、友人でも親でもないのです。
結局僕たちファンと、その対象である彼らとは、互いに節度を持って一定の距離を置いた付き合い方がどちらにとってもよい結果を生むのではないかなと思うのです。

川上さんがこのような小説の仕事を、どれだけ第一線で続けていけるのかはわかりませんが、僕としてはよい作品が発表されるかぎり購入するでしょうし、また暇があればファンレターを書くことでしょう。
また作品が、僕個人にとって面白くなくなったときには、何の躊躇もなく手に取らなくなるでしょう。(死ぬまでで追いつづけるなんて軽口はたたきません)
ただ、「彼(または彼女)の作品が好き」、「彼ら自身を好き」というのは、僕たちのわがままの「免罪符」にはならないと思うのです。
…そのように僕は僕に言い聞かせています。
こういうのはどうだろう 川上稔 さん 1999年02月15日(月) 05時05分

>九頭竜川さん
非常に鋭い意見だと思います。
ついでに言うと、自分は一つの実験の意味も含めてここを読んでる皆さん方に提示したい意見があります。
現状、この掲示板は縦のつながりしかありません。自分と、皆、ですね。
少し、横をもって話あってみようというか、それはいきなりまず無理だろうから、
「他の人の意見に対して何か言っても良いということを覚ってみて下さい」
器物設定などは自分が正解を応えられますが、人物のその後とか、他都市とか、他の書き込みに対しての意見とか、
そういうのは自分が作品以外では応えなくて良いものです。
ここはQAだけの場所ではないですし。
他人へのレスは掲示板の形状を変えればもっとやりやすくなるのですが、見にくくなる可能性も含んでいるのでリクエストがない限りコレでいきます。
例示用のネタとして九頭竜川さんの意見に何か言うことがありましたらどうぞ。
皆の反応が10通以上いったら、自分は日記で考えたいと思います。
今のままだと自分が教師で、皆が生徒って状態なんですよね。で、始業式直後で誰も横の人と話さない(笑)。
それって(自分が教師扱いという時点で)あまりよろしくない気がします。
これを見てる人達というか、都市シリーズというヒネたものを好んでくれてる人達が個々ではなくて横につながったら、
何かデカいことができそうというか、動かせそうな気もするんですな、実際。


そう、この問題って結構重要だと思います。

批評の欄でも言ったとおり、他者と自分の位置関係と立場を自覚するのは難しいもの。
逆に言えば、それに気づいてる人が幾人かいるここってのはなかなか稀な場所だと思うんですが。

ファンレターなどに関する自分なりの考え 朱翼天使・氷神 蒼流 さん 1999年02月15日(月) 05時13分

>はじめに
実はこれから書く文は一度書きました。
長い文だからと回線を切断してから書いて、書き終えたからつなごうとしたら、
「接続できません。モデムが正しく接続されていません」
ナメとんのか。人が頑張ってDCのパッドでちまちま書いたというのに。
というわけで、所持品が示す通り自分自身も相当ナメたこと書いてますが、
本人は結構マジなので、そのつもりで。どうでもいいことなら2回も書きませんので。

>ファンレターとは
作家と読者の関係ってそんなにドライなものでしょうか。
確かにつまらない小説=不良品を提供すれば生産者である作家は信用をなくすだろうし、そうなれば市場ではやっていけない。しかも、つまらないかどうかは読者が判断するために、いつ離れていくかもわからない。そのような状態であるならば、単なる生産者と消費者である作家と読者は距離をおいて付き合うべきだと。それ以上の関係を望むべきではないと。
しかし考えてみてください。買い物をしたお店や、買った物を作ってくれた方にファンレターまたはそれに類するものを書いたことがあるでしょうか。つまりはファンレターを出すということ、それ自体が単なる生産者と消費者という関係から一線を越えようとする行為そのものではないでしょうか。
また、川上さんがこのHPを作られたことがその現れだと考えることもできるはずです。消費者が生産者の趣味や考え方について知る必要が一体どこにあるというのでしょうか。
以上です。
ちと会社を行く前に見てみたが、 川上稔 さん 1999年02月15日(月) 08時31分

>蒼流さん
ちと言葉が足りないかな、と。
「でしょうか」
で問うのは良いのですが、
「それゆえに自分はどう思う」
という大事な結論が無いので、言いたいことがどこへ収束するかが解りません。

補足求む。

>皆
また、九頭竜川さんは意見を提示しただけであって、
「彼が攻撃対象ではない」
ことに注意して下さい。(すまんです九頭竜川さん、妙な役着せてるみたいで。でも気楽に「自分の意見に皆がどのように触発されるのか」を見て下さい。これが提言者の特権です。また、自分の意見が足りないと思ったら補足されて構いません)
言うなればコレは、
「読む皆に問いかける」
ものでなければ議論ではなく単なる糾弾に貶める可能性もあります。
今回のネタは既に九頭竜川さんを切り離して、
「ファンレターとは何であるか、自分の考え」
を書くのがスジだと言っておきます。ディベートのコツは、
「他人の意見の隙をつくのではなく、自分の意見の正当性を正確に最後まで述べること」
ですよ、と。

そうすれば個人攻撃にはならない筈ですから。

んじゃ、出社。皆あとは頼む。帰宅は終電午前一時。
■■■■修正
う〜む・・・ 朱翼天使・氷神 蒼流 さん 1999年02月15日(月) 09時17分

>川上さんへ
レスありがとうございます。
「以上です」ってところに「以上のような考え方があるということも考えておいて欲しい」いうようなニュアンスも込めたつもりだったのですが、伝わりにくかったのかな・・・
問いかけという形はとってるけどほぼ断言しちゃってますし。

>で、補足。
ま、あえてわかりやすく言うなれば、
「仲良くやろうよ」
てなことですね。ただの売り手と買い手ってことだけじゃなくて、もっと何かあるでしょ、と。
甘チャン的発想かも知れませんが、小説に関してはただの商品とは思ってないんですよ。
少なくとも自分はそう思ってます。小説ってのは必ずどこかに書き手の本音が出てるから。
相手が本音見せてるのにこっちは、ってんじゃ失礼
でしょう。
つまり、本音で語り合おうってことはすでにただの生産者対消費者の関係ではない、と。
そういうことですね。てなわけで、
「仲良くやろうよ」
という結論にたどりつく、と。そんなところです。
やはり… 紺乃 瑞華 さん 1999年02月15日(月) 11時55分

> 「仲良くやろう」
私もそうだと思います。本音で、作品についてとか、その他いろいろな事を語り合えるというのは、良い事だと私も思います。
「物事たいしても相手が本気なのに、自分だけが…」
というのも、失礼ですよね相手にとっても。それに、その場の空気も気まずくなるなるだけだと、私は思ってます。(朱翼天使・氷神 蒼流さん、書き込んだ内容と違ってたらてたら、ごめんなさい(--;))

>ファンレター
私は、「ファンレター」は自分が作品を読んで思った事を、作者に対して感想・自分の意見が言える物だと思います。
もし、ファンレターが1通もこなかったら、その作品が受けた(面白かった)のか、受けなかった(面白くなかった)のか作者は、わからないと思うのです。ファンレターが来て、感想とか書いてあれば、それを励みにして、作品を書かれる作家の方もいらっしゃると思います。なので、自分の思った事を素直にファンレターとして、書いても良いのではと思います。
( あー!頭ではまとまっていても、文章にしにくい(汗))
作者はファンレターを元に、
「次は、より良いものを作ろう」
と 思うのでは、と思います。

川上さんの場合は、どうなのかわかりませんが。もしそうなのであれば、別にファンレターを書いてもいいと思います。

考えがまた、まとまったら、補足、としてまた書き込みます。
STAND BY ME 闇羽 鴉 さん 1999年02月15日(月) 17時07分

◎作者と読者の関係

*注・これから書くことはあくまで私個人の考えです。

作者と読者の関係、それはアイドルとファンの関係と言うよりもゲーセンでの対戦相手との関係(またはチェスの相手との関係)に近いものだと思っています。つまりわかりやすく言うと一種の駆け引き、戦いです。
 『敵(作者)が全身全霊を込めて書いた作品(作者の創造力)と私(読者)の想像力のどちらかが上回るか』
を競い合う戦いです。
 
  作者の創造力が私の想像力を上回れば「予想のつかないような面白い作品」となり、
  私の想像力が作者の創造力を上回れば「ありふれた話、三流の作品」となります。


私は面白い作品には敬意を表しますし、つまらない作品はとことんこけおろします。
そして、ファンレターはその感想を作者に伝えるためのものだと思っています。
黙っていては何も伝わりませんから。

          以上が私の考えです。

最後に一言、どんなにつまらなくても読まずにつまらないと言うのはダメです。
「つまらない」と言えるのは、その作品を最後まで読んだ人のみにある権利です。
It‘s so long. 九頭竜川 さん 1999年02月16日(火) 00時05分

ちわっす。色々な反応をいただきありがとうございます。
「2つのねがい」を一夜あけて見直すと、意図した以上に悲観的で突き放した文章でした。
こりゃ、けんかうってるようなものだなと思いつつ、この話題に関するレスを読みました。

>蒼流さん
真正面からとらえて考えていただきありがとうございます。
>それ自体が単なる生産者と消費者という関係から一線を越えようとする行為そのものではないでしょうか。
そんな寂しい関係では満足できないから、一歩でも足を踏み出すのでしょう。僕たちはそれを可能とする手段を持っています。あなたの指摘にはきっちりと僕の問いかけに対する答えが示されています。

>紺乃さん
>作品を読んで思った事を、作者に対して感想・自分の意見がいえるものだと思います。
そのとおりです。でも僕にはそれを素直にあらわすことが、難しいと感じてしまうのです。言葉って難しいと思います。

>闇羽さん
>作者と読者の関係、それはアイドルとファンの関係と言うよりもゲーセンでの対戦相手との関係
すごいアグレッシブな読み方ですね。何をするにしても、取り組む姿勢は結果を左右すると思います。
打ち込む思いが深いほど、強い感情を得ることができるのでしょう。そういった姿勢は賛成します。

さて、自分の文章について考え直してみました。
僕も感想の掲示板に「大阪小説」についての感想をのせました。
さしさわりのない話題に終始していたと思うのですが、「これでいいのか?」という疑問もあり、また「あまり深く踏み入るべきではない」と抑制も働いていました。つまりその懊悩がとんだところに飛び火したというわけで、関係者各位にはえらいとばっちりですね。
反面このような思いもありました。
つまり、川上さんが本掲示板を開設するにあたり、利用の際のルール・考え方も同時に提示されました。
で、それに僕(ファン)の立場としてどう答えるべきか、その確認のためにファンとその対象との関係をとらえ直そうとして書きました。

改めてご確認願いたいのは、「2つのねがい」が表すのはファンレター(もしくはファンとその対象と関係)の持つ一側面でしかなく、すべてではないということです。意図した論旨としては、「対等の付き合いかたをしよう」というもので、また「必要以上に心を預けすぎない」ということでした。
わけわかんねーといわれてもしょうがない文章でしたね。
またこの関係の持つ異なる側面については、自分とは異なる考え方をするだろう皆さんのレスから見出すことができると考えています。
ってすいません。上の文節は今日思いつきました(どろなわですな)。

川上さんをはじめとする、マスメディアを用いた情報の生産者(発信者)側は、不特定で多数の消費者(受信者)を生みます。
これまでは両者を結ぶコミュニケーション手段は乏しく、どちらにとっても情報の伝達は一方的なものでしかなかったと思います
(例外はどこにでもあるものですが)。
よって蒼流さんのおっしゃった、情報の発信者が自らのホームページを設けて自身の作品を発信し、また受け手からの意見を聞く場を設けるということの意義とは何か?
それが僕の意見に対する答えのひとつとなるのです。
つまり、インターネットという新しい(1:不特定多数の)コミュニケーション手段が現れてきたことにより、これまでの限定的な人間関係を解消し、なおかつ新しい関係を結びうる可能性がもたらされていると考えます。たとえばSF作家の矢野徹さんの主催する会議室(ニフティでしたか)からでいくつか市販の小説として世に出たものもあります。つまり発信者と受信者が互いの枠にとらわれず触発しあい、新しいものを生み出すという現象です。
また単なる生産者(発信者)と消費者(受信者)との関係にとどまらず、僕たちインターネットを利用する個人同士の関係についても同じことがいえると思います。

閑話休題、ではこの掲示板の活用について、私たち閲覧者としてはどのような立場で川上さんをはじめとする他の方達とお付き合いすべきなのでしょうか。
現実世界の肩書きなどはこの際うっちゃって、それこそ対等な個人として意見を交わせれば望ましいと思います。
しかし、この場も曲がりなりにも一社会といえます(今はそうでなくても人が集まれば、いずれはその傾向が強くなるでしょう)。
そしてホストである川上さんにおかれても、掲示板に求める意義というものがあると思います。
そのためにも、お互いにどのような意思表示をすべきなのかという「同意」を持つ必要があると思いました。
(いうなればこれが川上さんの提示されている「ルール」ではないでしょうか)
手前味噌ですみませんが、この際ご自身のスタンスを確認されるのも良いと思います。
この場で求められている閲覧者のスタンスというものは、掲示板のルールとこれまでの川上さんの発言の中に手がかりがあると考えています。

閉めのぼやきです。
…しかしまあ自分でいってもなんですが、極端な意見のほうが反対意見も明確なものが出やすいでしょう(自己弁護だね)。
いささか頭でっかちな展開かなとも思わんでもないですが、後悔は後にすることにしました。

もーなんでもゆーてきてください。
「この世界では自らの言葉なしに自分自身を形作ることはできないのですから」
ってテメェ何様だ(なんてえらそうなんだ)。

蛇足
「2つのねがい」ちゅーのはファンとその対象との、触れあえる妥協点はどこにあるのかってゆー意味の題名でした。ちょっと恥ずかしい言葉ですけどね。
ファンレターとは何ぞや さの さん 1999年02月16日(火) 00時22分

何だろう。作者を応援するもの。感想をつたえるもの。いくつか出てくる。
でもこれは私の答えではないです。
じゃあ、何でファンレターを書くのだろう。そう聞かれたら、
「書きたかったから」
としか私は答える事が出来ません。
「感想を伝えたい」
「応援したい」
それもあるかもしれませんが、
その作品からもらったエネルギーを伝えたかったから書く。
「アンタのくれたエネルギーは、こんなにもオイラを励ましてくれたんだぞ。こんなにも高みに導いてくれたんだぞ」
それを伝えたいから書く。

「応援」
じゃなく
「感想」
じゃなく
「感謝」
それが私にとってのファンレターです。
取り止めのない文で失礼しました。では。
皆、頑張ってますねー 川上稔 さん 1999年02月16日(火) 03時30分

だけど約束通り、10通分の反応が出てから自分は持論を述べます。
現状5通の反応。一つの答えが一つの問いになっていることもあるわけで。
色々見て自分達のスタンスと視点、そして、
「相互意志をどこまで尊重しているか」
の恐れにも似た一方的な親切を展開して行って欲しいです。(この言葉も問いなのかな)
10通分の展開があった時点で、自分がネット上のみならず、アンケートやレター、そして本屋で買っていくだけの人に対し、何が出来るのか、どういうスタンスで望むべきなのか、考えよます。
それは約束するし、自分は期待を裏切りません。
今のところ自分が言えるのは、
「最終的に自分が自分を判断するのは作品だ」
ということです。

ならば皆は何をもって自分を判断するのかな? と。
その際に使用される自分と他を裁く武器(というのが近いか)とは何のために振られるべきか。
そういうのを考えてみるのは悪くないです。
なお、このあたりのログは記録にとってどこかに保存しておきたいものです。期待されたし。
しかしいいなあ、答えを外に出せるってのは。健康的で良いです。
今あるこれがベスト的風潮としての自己の内面と語るだけで終わり、というのは好きじゃあないのですよ。
自分の領域が自分の中にしかないようで。
だからどんどん行ってみて下さい。
やっと… 紺乃瑞華 さん 1999年02月16日(火) 12時14分

教習所、学科教習、終了。でもまだ、第一段階。木曜日から、技能。嫌だ〜!

>九頭竜川さん
私は、そう思ってます。感想とかって、一人一人違うものですから。ですから、いろんなファンレターがあってもいいと思ってます。
しかし、文章で相手に気持ちを伝えるのって、難しいですよね。

私、今、同人のサークルをやって会報で、たまに文章(フリートーク)を書いてるんですけど、
気がつけば、変な文章になってる事が多々ありますから(^^;
す、凄え 大塚 直広 さん HomePage 1999年02月16日(火) 18時51分

いつのまにこんなに沢山・・・。凄えぞ川上!と叫びたくなるが、ここは学校の図書館なのでやめておく。
私は学校でしかコンピューターを使わないため、土日は基本的に見ないのだが、その間にまあこんなにいっぱい・・・過去の私のログはいったいどこへ・・・。

>ファンレター
最初に言えば、私はファンレターを書きません。
純文学からライトファンタジーまで、数え切れないほどの本を読みながら、今まで一度も出したことがありません。
理由は、めんどくさい、が7割で、恥ずかしいがあとの3割といったところです。
作家から見れば、恐らくもらえばうれしいものでしょうが、筆無精な私は書く気にはなりません。
私の考えとしては、
『作品が全て』
そして読者の反応は
『購買行動で表される』

つまり、面白ければ買い、つまらなければ買わない、それだけのことだと考えています。
小説が売れているならば、それは多くの人にとって『面白い(少なくとも買う価値を持っている)』ことの何よりの証明だと思うのです。
川上さんの小説について言えば、雑誌での連載ではないので、確実にそう思った人の数が、売り上げに現れてくれるのではないでしょうか。

ちなみに面白さというのは人それぞれに違います
たとえばあなたがつまらない小説に出会ったとしても、その小説や、特に作家についてこき下ろす権利はないと思います。
なぜならば、それはあなたの選択ミスなのです。
確かに本というのは、読むまで面白いかどうかは分かりません。極論を言えば、最後の1ページを読み終えるまでその本が面白かったかどうかは言えない、とも言えます。
しかし、同時に発信者のはっきり分かるメディアなので、次からはあなたはその作家の本を買わなければいいわけです。
最初の一冊分の代金ぐらい割り切ってください。
たとえば家電製品を買ったとしましょう。この場合に機能に不備があれば、あなたは好きなだけ文句を言うことができますし、メーカーを相手に訴訟すら起こせます。PA法なんて便利なものもありますから。
しかし、本には(正しい使い方のもとでは)機能はありません。本にあるのは情報です。
しかも小説などにおいては、基本的には非実用的な情報が載っているだけです。
それを面白いとするのもつまらないとするのも、あなたの嗜好
なのです。
嗜好で文句を言うわけにはいきませんよね。ましてやこき下ろすなんて。
聞かれたなら軽く『つまらなかった』と感想を返すくらいで十分で、自分から殊更に語ることはできないのではないでしょうか。

このようなシステムが完全に機能するならば、作家にとってはきわめて厳しい状況になります。
だってつまらなかったらあっさり捨てられてしまう訳ですから。それも何の前振りも無しに、ポイっと。
しかし実際にはファンレターなどを出して応援する『異端者』もいるわけで。
作家の人たちはそういった方々に、ある意味助けられているとも言えます。
しかしあくまで異端は異端。
ういった人たちに対して作家が責任を取る必要はありません。本の内容が煽動的だったり、公序良俗に反するものでない限りは。

といったあたりが私の意見になります。長くなったなあ。
文章強いから恨まれそうな気もするが、仕方がないという感じだ。
ただ一つ、『異端』と称したことだけに釈明を入れておきます。
あれは、やはり絶対的な数の少なさ(9割超が何もしないわけで)から、立場を端的に表すために使った言葉で、
悪意などはありません。
では、急ぐのでこんなもんで。
こんにちわ! 元 さん HomePage 1999年02月16日(火) 22時40分

初めまして,元と申します。
なんか書き込みがえらく熱いんで、私も書き込ませて頂きますね(笑)。

>ファンレターとか
感想掲示板の方に書いておきながらなんですが、私は便箋とかで書いたりしたことないです。
作品から感じたことを一言二言ならまだしも、長い文面にするのは、妙に恥ずかしいものがありますし(笑)
でも貰う方としては生み出したものに対しての何らかの答えがあるっていうのは嬉しいものなんでしょうね。
全く知らない人から、自分にはない、感じ取ってくれたことを聞かせてくれるのですから。
結果、自分では気付かなかったとこを気付かせてくれることもありますしね(笑)。

話変わって、『作品が全て』っていうのはその通りだと思います。
ある一つの作品に感化されても、同じ作者さんの書いた他の作品に、同じような感動を覚えることは少ないですし。
手にした作品に心を動かされ、「これを書いた奴に、これこれこうを伝えてやりたいぃぃ」という欲求の際に取る行動の一つがファンレターかもしれませんね。
もっとも、考え方っていうのは十人十色なんで何とも言えませんが(汗)
おもしろい、つまらないという感覚さえも、大きな視点で見れば同じに見えても、個々で見れば大きく異なっているものなんでしょうし。
ただ一つだけ言えるのは、小説にしても何にしても、作り手が楽しんで生み出したものは得てして面白いと思います。
おめでとうございます! YONO さん 1999年02月17日(水) 00時11分

2000HIT!! ついこないだ1000HIT踏みそこねたばかりだというのに‥‥
何はともあれ、おめでとうございます。

ファンレターについて:私も書かない方です。理由は面倒くさいのと書くべき事がないということです。
面白いとは思うのですが、どこが面白い事を書くとなると何を書けばいいのか分からない‥‥というような状況です。
それなので書きません。
  と言った具合ですか、ファンレターに関しては。
こちらはいい天気です 九頭竜川 さん 1999年02月17日(水) 12時27分

ファンレターについてのレスが10件間近ということでなによりです。
僕(たち)の側では作家さんたちの側の視点は持ちにくいので、川上さんがこの件についてどのように考えてらっしゃるのか興味深く感じております。

さて、脈絡もなくお料理のコーナーです。
北陸福井県のある家庭におけるお雑煮の作り方(基本編)
用意するもの
おもち。味噌。だし昆布。いずれも適量。
作り方
鍋に水を張り、だし昆布を沈め加熱する。
煮立ってきたら味噌を加え、固いままの餅を入れさらに煮込む。
このとき煮詰めすぎないように気をつけてください(昆布は特に取り出さなくても結構です)。
餅が柔らかくなったら食べ頃です。
椀にとり、かつお節をてんこ盛りにして食べてください。

えらいシンプルですが、こちらではこんな雑煮がお正月の食卓に上がります。
北陸の食文化の一端を感じていただければ幸いです。

インターネットという媒体における情報の伝わる時間と距離と生命力。
パブリシティ(公)とプライバシー(私)が共存する混沌が生み出す多様さ。
雑煮1つで多様性も何もあったものじゃないですが、ここでは小説も造形も料理も等価なんだと感じています。
だからどうだということもないんですけれどね。ちなみに上の料理はマジですんで試されるのも一興かと。
そろそろ飯を食いに行きます。では。
うわぁ・・・。 ケイン・ティス さん 1999年02月18日(木) 03時31分

凄いですねぇ・・・。何回「次のページ」に行ったやら・・・。

自分の感想は、下巻を読んだ後にということで・・・。

・・・ファンレターは書けないんですよねぇ・・・。
端的になってしまうもので。どうあがいても四、五行です。
小ネタを並べたって仕方ないですし、
妙な観点から何故かまっとうに理解していたらどうしよういやそれ以前に観点云々で悩んでいる自分ってばそうかやっぱり自分は変なんだー。

・・・と、なります。(と、じゃない)
てなわけで出さないに一票。(そーゆーのでもない)

しかも遅いし。・・・乱文しかも意味無し文失礼しました。
DESPERADO 闇羽 鴉 さん 1999年02月18日(木) 14時40分

◎大塚直人さんのファンレターについての意見に対するレス(完全版)

私もあなたの作品が全てと言う意見に賛成します。なぜなら、作品にはそれを書いた人の経験、思考、感情などが直に反映されるからです。よってその人が書いた本を読めばその人の言いたいことがなにかしら見えて来ます。
だから『作品で全てを判断する』と言うあなたの意見には、私も賛成します。
読者の意見は購買行動で表される(面白ければ売れる)と言うのもその通りでしょう。確かに面白ければ売れますし、つまらなければ誰も見向きもしなくなります。あなたも言う様に「面白さ」と言うのは人によって違います。
ですが、その本を読んで、面白かったのならば、何処がどの様に面白かったのか。つまらなかったのならば、何処がどの様につまらなかったのか。自分なりの感想を書き表すべきだと私は思います。その際、他人の意見は聞いてみないと解らないのですから、自分の価値観や自分の嗜好で判断するのは、間違っていないと思います。それに作者の方も真剣にその作品を書いていられるのでしょうから、軽く『つまらなかった』と流すのはかえって失礼だと私は思います。
 そして、これは完全に私自身のことになりますが、私はたとえ「つまらない」と感じた作者の本でも、その人が本当に読者に伝えたいモノ、作者自身の信じているモノがあるのならば、その人の新しい本が出た時きっとまた手に取るでしょう。

 また、『小説は基本的には非実用的な情報が載っているだけ』と言う意見に対しても私は違うと思います。そう言う考え方もあるかもしれませんが、私にとって小説と言うのは自らの人格形成に大変役にたつものなのです。小説は読むことによって他人の考えに触れ、その意見に賛同し(あるいは反発し)自らの思考の幅を広くすると言うすばらしく実用的なモノだと私は思います。

以上、私の意見でした。
SomeThing YONO さん 1999年02月18日(木) 23時01分

>闇羽さん
よい考え方だと思います。
(自分も)
「つまらないと言って流す‥‥」
というのには賛同できません。
理由はそれもまた感想であると思うからです。

時間を有効に使うためには、何かを削る必要があります。
それが自分にとって必要でないなら(自分がつまらないと思うなら)小説を読む時間を削るのは至極当然だと思います。
でも、込められたメッセージを云々とありますが、それを自分が欲しない場合はその言葉がどんなにすばらしくても自分には何の価値もないと思います。
私の場合は昔川上さんの小説を立ち読みして、つまらないと思いました。その後しばらくしてもう一度読んでみようと思いました。
時間が経って面白いと思うのも(必要だとも思うのも)変わったからだと思います。
取り留めの無さそうな文章ですがここでおわらさせていただきます。
1999年02月18日(木) 度胸一発 :川上稔
  「作家と読者の関係」
「ファンレターとは何か」

この問題についてケインさんで10回を越える展開を見せました。
じゃ、約束通りに自分も答えてみます。
長いですぞマジに(笑。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
さて、実はここから先の内容は議論の始まった2/15日の夜に書いてます。
(証明する手だてはないけどね)うまくいけば議論はちゃんと10回以上まで
展開し、それに自分がこの文章をもって答えとすることになるはずだけど、
「他人の言葉に流されないよう、先に答えを書きます」
これは議論が見当外れな方向に突っ込んだら無意味と化す方法なのだけど、見て
いるだに議論の主旨がグローバルな幾多の問題も含む物だから、自分の意見の
一つくらいは何とか中に含んでくれるはず、多分。
いやはや。
何だかまるで自分の遺言を書いているような気になってきましたが……。
んじゃ行ってみましょー。

さて、ファンレターというか、読者が作者に対して行える行動と、それに対
する作家の行動、その底にある意志とはどういうものか。
自分というヤクザなもの書きを一種実験台に上げてそれを見てみます。なお、
ここに書かれたのは自分の意見であって、他のまともな作家方は違うことを
述べるだろうから、ここに書いてあることを嘆いても”作家”という一つの
くくりを嫌わないことを御了承。
では、読者が行える自分に対しての行動と、自分の反応をまずは真剣に大別して
みます。
NO.  読者の行動  自分の反応
 1   本を買う  無 し
 2 このhpで発言  レ ス
 3  ファンレター  返 信
 4   アンケート  返 信
 5    呪い 呪詛返し


今のところ5を掛けられたことはないのだが、メジャーになるとあるらしい。
世の中何があるか解らないもので。

上記の表が大別。順は別に関係なく、思いついた順。
番号ごとにどういうものであって、どういうことなのかを解説。

 1    本を買う    無 し 

読者が本を買う。
実はコレが一番、自分にとって意味のある読者行動であることは言うまでも無いです。
しかし、自分は全読者に対して目を光らせてるわけにはいかないので、これに
対しての反応はできません。
いや、目の前で自分の本が買われていくのを見たときは後ろから抱きしめてやり
たくなったりしますが、残念ながらまだ一度もやったことはないっす。
とはいえ実利的なことを言うと、皆がこの行動をするから自分は食っていけるので
あって、また、次の本を書かせてもらえるのですな。
でも、先ほども言ったとおり、これに対して自分の行える行動は無いです。
強いて言うならば、

・次も良い作品を書く

ということだけ。
ここで皆が気づくだろうコトは一つ。
「本を買ったという時点で読者として絶対共通の最高ラインにある」
という事実。ものを書く人間にとっては、評価されることも何もかもが
ここからでなくては始まらず、こここそがまず、
「最高の恩」
であることを理解して下さいな。
そう、厳しいことを言うなれば、作家はここで終わっても満足なんです。
ファンレターも何もかも、手元に届いたときに思うのは、
「ああ、自分の本が届いたのか」
という自己満足の安心感。
そこから先に責任をとるために以下の項目があります。

 2   このHPで発言   レ ス 

皆(※当時の掲示板の住人さん)のことですね。
掲示板上での発言にはなるべくレスを返し、必要な情報は答えることにして
います。しかしそれは、
「誰かと友達になるためではない」
ということは確かです。(今回発言してくれた皆はそのことに気づいて下さってる
ようです)
自分がここで望むのは、
「都市シリーズをもっとよく知ってもらうこと」
「自分と本を介して関わった人の助けになること」
「皆の意見を見ること」
「読者が広い横のつながりを持つこと」

であって、これらは全読者に向けて放たれるべきコト。
誰かが優先的、というものではないし、そうあってはならない。
皆さんの熱意は書き込みの回数や質となって現れるし、自分はそれに逐一
真面目に対処をする。いかなることも真剣に答える(この答えは肯定かも
しれないし提言かもしれないし、却下かもしれない)のが報恩。
ただし、自分を優先的に扱えと言う意見は却下。もしそれを一度でも
飲もうものならば、自分は熱狂的な読者が、
「弟子にしてくれなければ死にます」
と言ったときに突っぱねることができないからです。
自分は自分のことにしか責任をとりたくないですわー(笑。
「助けになる」
と言ったのはそのためで、何事も援助や提言はしますがその人の責任の権限に
まで及ぶことはしません。
「資料をくれ」
と言ったならば渡します。が、その資料をつかいこなせなかったというのは
自分の責任ではない。そういうこと。

……あ、やばい。
すげえ身勝手なことを言っています。
だけど、誤解を恐れずに言うと掲示板上の皆さんとの関係は、
「自分が全体において中立であって初めて成立する」
と思って欲しいです。
誰だって、自分が誰かと親しくなるのは嬉しいけど、他の人がその人と
親しくし続けているのを見てると白けるっしょ?
自分は皆の疑問や話題に答えるという、
”ある一定のところまで感情を表して良い”
機械のようなものであり、皆に平等であるために、
「誰か一人に集中して関与したくてもしない」
のです。
「仲良くする」
ことはできますが、誰かが電撃大賞用に書いた小説を読むとか、一緒にメシを
食いに行こうとか、そこまでは仲良くなれないわけで。
「一緒のクラブにいる、何でも答えるけど実生活がよく解らない先輩」
そんなもんだと思って下さい。
誰かと親しくなって行くというルールでhpを運営したら、ある一定以上
から自分はhpを閉じてそいつと向き合わねばならないんですな。

 3   ファンレター   返 信 
 4    アンケート  返 信

これらは一つにまとめます。
この二つにおいては前二者と徹底的に違うものがあります。
「郵便料金を払った」
ということです。
ペンを使って書き、投函する。この行動をするためにはかなりの労力を必要
とする。(近いのが、実家にPCの無い人がどこか遠くから掲示板に書き込
むという手段であろうが、いかんせん、手間と有料ということから言っても
手紙を投函する方が労力が多いと言えます)
実はこれ、かなりハイリスクな方法です。
・読まれているかどうか解らない(自分にとっての1と同様)
・用意する物が多い
・書面である以上、書くための労力を要する

そしてまた、自分から見た一方的に実利的な面から一つ言うと。
・出版社が見る
のです、レターやアンケートは。
掲示板やHPというものは盛り上がりこそすれ、それは読者のためのもの
です。出版社はまず見に来ないし、(担当さんが)見に来ても、上司や
営業の人が見に来ないと役には立たない。本当に読者を中心として考えら
れるべきものなのです、hpは。
だがレターやアンケートは出版社を通過して自分の手元に来る際、きっちり
とデータを収拾され、会議の材料になる。
(厳しいことをいえば、自分がこのhpを作ったがゆえにアンケートや
レターを送って”実利的に自分を援護する読者”がそれをしなくなる可能性
もあり得る=このhpは2で挙げた四つの目的以外、”ものを書く自分”の
やる気増進などの役には立つが、”出版社における自分”には何らの役にも
立たないと言える=それでもやってんだからバカですな(笑)。現にそのことを
考えてhpを開かない作家さんもいます)
ハイリスクで苦労をかけた上に一方的に利用してしまう。
いいのか?
読者が応援してくれるという事実よりも前に、それでいいのかという真実が
あります。

だから自分は自分にとっての1であるように、
「届いたぞー」
という意味と、
「ありがたい」
という相手の労力を讃える意味を込めて返信します。
たとえば今回、香港下巻のアンケート、もしくはファンレターを送って
きてくれた方には以下の絵のフルカラーバージョンを印刷したポストカード
を返信しました。


現在(2005年)
個人情報保護法ゆえ、
アンケート類への返信は休止しています。
いただいたものは拝読させて頂いておりますし、
時候的なものは返信させていただいております。
よって以下は、
それ以前の意見として御理解下さい。

これにアンケートの感想などに対する一言と、サインを入れ、返信。
常連さんからは、
「トレカみたいに集めてます」
 とかポストカードの感想ファンレターまで来て、そういう場合はどう
返信すべきか考えてたり)
そう、hpに書き込んでくれている方の大半はレターなどを出していない
と見受けられますが、そういう皆の知らない、
「このHPを見たこともない読者さん」
がこちらの手紙のやりとりの方で存在します。
無論、彼らに対しても自分は一言とサイン、そして返信のみで全てを中立と
します。ポストカードの料金とか、そういうことは関係ない。向こうもそう
いうものを関係無しで送ってきたのだから、このhpで自分が”助け”を
行うように、当然のことを行うわけで。

読者のあらゆる行動に対して、自分は、
「何でそこまでしてくれるんだ?」
という疑問と、そして相手が喜ぶだろうかという希望と、ある意味わずか
な罪悪感を持って全てを返答します。誰かと親しくなろうとしているわけ
ではなく、
「読者に答える義務と、それを楽しむ権利がある」
からです。
楽しいですよ。掲示板のレスもポストカードの絵を描くのも。
好きでなければやらんですねー……。
しかしまあ、担当のスポーン佐藤さんは、自分が返信することについて、
「読者さんは喜んでるでしょう」
というが、自分にとってはまだ報恩が足りないな、という気分があります。
hpについても同様。逆に言えば足りないという思いがあるからこそこう
いう活動をするのでしょうけど。
hpでしか自分を見ていない人には何となく不思議な感覚だと思います。

まとめます。
読者の行動は自分にとってまず第一に、
「オマエの本を読んだぞ」
というものであり、それは評価や他の何よりも大事なもの。
そこに書かれた評価は良しにつけあしにつけ、自分の方向性を確かめる
もの(決める物ではない)と、自分を鼓舞するものであり、
「ありがたいもの」
である、と。
自分も人間だから誉めてもらえれば嬉しいし、問題を提示されると
考えて対処します。
その行動とありがたさに対して自分は、
「何らかの形で返答します」
それは全体のためをもって、
「いかに一人の読者に個人感情を抱こうとも表に出してはならない」
という中立的なものでしかないですけどね、と。

だからその中立ライン以上の思いは、
「次にもっと優れた作品を出し、そこで言う」
という手法で返します。
そのために時間や手間を使い、それこそが読者全体に
届く返答だから。
以上。

あー、危険なことをバリバリ書いてしまった気が。
寿命が百日縮んだ。

ただ、他の作家さんが読者に対してどーしてるか自分は知りませなんだ
自分を嫌っても他の作家さんもひとくくりにして冷めないようにして
下さいませ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ぐあー、長い。
ここまでよく読んだ君は偉いと本気で思います。

一日ぶり・・・ J.s さん 1999年02月19日(金) 13時11分

作家と読者の関係。
川上さんがプロとしての領域を自覚し、それに対し客観的判断出来ているからこその意見ですね。
もし、それを理由に全ての作家に疑問や嘆きといった念を抱く読者がいたとしたら逆にその人たち自身が自分の読者としての領域を歪めてしまっているのではないでしょうか?
概して作家からの掲示板のレスや、ファンレターの返信は自分と作者の間を縮めていると思いがちですが、それは友好としてではなく情報のやり取りとしての面でしょう。
あくまでも自身の満足として捉えなくては作家だけでなく、その横に形成されているファン同士の繋がりにまで影響が及ぶ恐れがあります。
川上さんの『中立である』、『自作をより良いものとする』、そういった意味で読者に応えようとする意志に我々も領域の範囲内で応援していきたいですね。
・・・・・・・・て、一番歪んでるヤツの意見じゃないっスね・・・(汗)。
おひさしぶりです わいわい さん 1999年02月19日(金) 19時18分

試験でしばらくこれなかったら、
とっくにカウント2000越えてるし、書き込みの量は膨大だし・・・。
手軽に浦島太郎気分を味わえちゃうHPですね(笑)
書き込み読むだけで30分はかかりました。前のが残っててよかった(^^)。

>ファンレターについて
基本的に佐野さんと同意見です。
(作者からもらったエネルギーに感謝>要約してしまったので多少誤解があるかも)
でも私はファンレターを書いたことがありませんでした。
何度か書こうとしたことはあるのですが、書いてる途中で
「こんなん書いていいのかなー」
とか、
語彙が足りなくて書く言葉が見つからなかったり、ただ単にめんどくさかったからだったりします。

でも、川上さんにはポストカードにつられて出してしまいました。
・・・ファンを自称するにはちょっと現金すぎますね。(^^;)

しばらく見てなかった間に、この掲示板ずいぶんいい方向に進んでるようです。
まだ日記とかエッセイのほう見てないので的外れなこと書いてたらごめんなさい。
では、またよろしく。

「まとまった気が……。
結論はこうではないかなー、と

・作家と読者には距離がある。
・まず作品を読者が買うことで意志表示はなされる。
・読了後、相互の距離は無視で読者は作品に価値を見いだすことがある。
・価値が自分の行動力を凌駕したとき、そのレベルに応じて読者からの意志疎通がなされる。
・色々な手段はあるが、作家は最終的に次作で応える。
最後はファンレターに対する率直な意見で。
そしてまた掲示板の方向性が決まったということで終わりですかね。
方向性?
「良い方向」
です。
そんな感じで一つ」



■■
意志疎通を見る前に、
自分を見いださねばならないという事実は
それこそ他人の中に自分を見つける行為と同じ。
ならば意志疎通とは自分との意志交換



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