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梅原氏への返信1999年9月20日
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梅原克文様
1999.9.20


 やっとアスキーの締切を終えて一息ついている青山です。蒼穹の海鷲2、発売予定は九月末。今回は、まいりました。なかなか進まない上に、フロッピーを渡した物のどうにも納得が行かず、ゲラでこの後大量の直しが発生。

 ネット上の掲示物、についてはそんな習慣を主張する人もいる、と理解ください。ま、知っていても創作の邪魔にはならないでしょう。ぼくはばかばかしい習慣だと思っています。

・瀬名氏との対話について。
 実を言うと、ここで会話が成立せず、新しい結論が出て来なかったのを残念に感じています。
 (ぼくの目から見て)瀬名氏は旧SF関係者とは無関係な場所からの解決策を示してくれたように思えるからです。無論、穴もありますがそれらを乗り越えて何とか意見のすりあわせを行えば偉大な結果が得られたかもしれませんでした。
 また、妨害という意志もぼくには感じられませんでした。単純な対案であり、それが梅原氏の意見とは一致を見なかっただけです。

 たとえば、この書簡に関して多くの作家評論家から接触を受けました。大半は旧SF関係者で、様々な立場があると実感しました。それこそ洗脳されているとしか思えないようなイデアに凝り固まった意見や、あるいはほぼ賛同を示すような意見様々です。そのなかでも瀬名氏の意見はもっとも建設的であったように感じられます(無論、異論はありますが)。
 逆にサイファイ陣営の中に瀬名氏を取りこめなかった(あるいは、そのように見える)のは大きな損失だったかもしれません。
 もっとも、これは済んだことでしょう。

 モノ書き同士の意見が完全に一致することはないでしょう。仮に一致するとしたら、それは双方の存在意義が意味を失ったことを表します。ですから、多少の違いは当然でしょうし、また、大きな違いがあったとしても、ま、仕方ないでしょう。
 ぼくはたとえば純文学作家(かれらに恨みも、特別の意識も抱いてはいません)が何をどう行動しようと気にかけません。旧来SF作家たちについても(青山の中に存在するイデアは別にして)何も感じません。

・宇宙作家クラブについて
 宇宙作家クラブについてはまだ、できたばかりの団体で全体のコンセンサスが取れていない部分もあり、公的にオープンにできるデータは先にお送りした小松先生の一文だけです。
 ですが、青山が受けた感触では(これはそろそろ宇宙作家クラブの公式の意志表明として良いかもしれませんが)「それぞれの作品を通じて宇宙開発の啓蒙を行う」部分にありそうです。これを実証するように例会なども宇宙関係の施設の見学であったり、さらには次のH2ロケットの打ち上げのプレスキットなども会員は入手できるようになっています。
 宇宙作家クラブとは言ってますが、作家は小説家ばかりではなく、マンガ家、イラストレーターら、広義のクリエーターが含まれており「作家」よりも「宇宙」の部分に重点が置かれています。
 また、SF作家クラブと重なる会員も多く、ある意味ではそんなに離れた場所にはいないかもしれません。実は前の書簡を公開した所、数名の会員から「俺は神林、大原ファンである/支持する」というメッセージを受けました。
 別に神林大原両氏とも宇宙を舞台とした作品もありますし「それぞれの作品を通じて宇宙開発の啓蒙を行う」というコンセプトに沿えば宇宙作家クラブとしてはなんら、入会を拒否したり作品傾向を意識する物ではないことを表わしています。
 もし、梅原さんが宇宙作家クラブへの入会を希望されるのであればもちろん推薦させていただきますが、宇宙作家クラブの目的については梅原さんと青山の間にはまだギャップが在るように感じます。若干の意識のすりあわせが必要かもしれませんね。

 宇宙作家クラブについて、お詫びと補足なのですが、顧問は小松先生お一人です。また、前の手紙で「週間読売の記事が宇宙作家クラブ問題視された」とお報せしましたが、青山の勘違いでした。そのような事実はありません。訂正いたします(別の雑誌の別の記事と取り違えたようです)。

 幾つか、青山の意志表明として補足します。
 SFは死語です。そのように呼ばれない作品を商品の中心に置こうと思います。もし、SF的な作品を書きたいと思ったら、そうでない作品の中に混ぜて書くつもりです。

 提案について。
 ご考察ありがとうございます。
 これは(個人的には)ジャンルは第三者がつけるべきである、との青山の持論から、あらたな意見を付け加えません。ですが、将来的に近未来シミュレーション宇宙開発物語に対するなんらかのネーミングが必要であろうとは痛切に感じます。
 また、逆に宇宙作家クラブが発足したのは宇宙小説が高い地位に置かれていない、という部分にあることも見逃せません。ネーミングよりさきに実体を確立させる必要があるのです。

 イデア主義について。
 意見を交換するうちにぼく自身のうちにもイデアというものは程度があるものだろう、と考えるようになりました。
 ある少年がいるとします。彼が一冊のSF作品を読み「ああ。SFって面白いな。次もSFを読もう」と決意したとしたら(実に多くみられるシチュエーションです)それは軽度のイデアの誕生なのです。
 むろん、彼のような存在を「イデア主義者」として後ろ指する必要は全くないのです。
 彼が成長して「SF以外は受け付けない!」とまでなったらそれは末期的ですが、軽度と初期の間に中間的な段階も存在するわけで、たとえばそれは「SF的な作品を選択して読む読者」であるわけです。

 また、このように考えると、イデアと言うのは別にSFに限らずミステリ、ホラー、純文学、それぞれの分野に同様に生じるものだと考えられます。
 少年が「金田一少年の冒険」を手に取り「ミステリ、って凄い」と感じたらミステリ・イデアの萌芽となるからです。
 もっとも、様々なジャンルの中でもSFが特に自滅的傾向が強く、警戒を要するのは事実ですが。


 以下は公開しない予定の情報交換です。

【と言うわけで削除】

 またも話は変わって、ファントム・メナス、やっと観ました。
 ぼくが感じた不満はコンフリクトの設定についてです。今回公開されたエピソード1では、最初に解決すべき問題が何なのだかよく判りません。見終った現在、惑星の封鎖解除だと判りますが、物語が始まってすぐでは、ただ、特使として二人のジェダイがやって来るだけです。
 そのジェダイも特定の強力なコンフリクトを持っているわけではありません。

 ジェダイにしても、どちらがメインなのか、オビワンなのかクワイガンなのかはっきりしません。はっきりしない理由の一つには二人のコンフリクトは共通している部分があげられます。だとしたらジェダイを二人登場させる必要はありません。ひとりで良いのです。
 命を狙われて、クイーンアミダラをつれてタトゥイーンに逃げ出して「生き延びる」あるいは「アミダラを助ける」というコンフリクトが明白になって来るのです。

 タトゥイーンでのシーンも不満です。将来的にシリーズ展開することを考えるとアナキンをピックアップする必要性は認めますが、全体のコンフリクトとレースシーンが関連性がありません。主人公に架せられたコンフリクトは単純にカネが無いという障害だけですから、あすこでアナキンたちに物乞いでもさせてたまたま大金を入手させてもストーリー展開上の処理としては変りません。無論、そんな事をすれば観客は激怒するでしょうが、アナキンの活躍によってごまかされているのです。

 最後に物語が終わってみると、背後に「シスとジェダイ」の抗争がほの見えます。この抗争がおそらく本物のコンフリクトの中心でしょう。惑星封鎖の背後にシスの意志があるのなら最初から「シス対ジェダイ」というコンフリクトを全面に押し出せば良いのです。

 こうした方がよかったのではないか、という考え方は色々できますが、物語の中心となるコンフリクトを「シス対ジェダイ」とした場合は次のような展開が考えられます。
 主人公はコンフリクトの当事者たるジェダイ騎士のオビワンです。
 惑星の封鎖の背後にシスの復活を感じたジェダイ騎士団が二人の騎士を送りこむ。もちろん、ここでは伏線として、騎士団が非常に強い力を持った新しい騎士の出現を待ち望んでいるとするべきでしょう。
 かろうじてアミラダを助け出した二人は惑星タトゥイーンに逃れ非常に強い力を持ったアナキンと出会う。
 タトゥイーンにまで追っ手がかかるが、アナキンのフォースの助けで持って脱出し……という展開が考えられます。

 上記はオビワンを視点キャラクターとした展開ですが、アミダラを中心にした展開も有り得ます。こうすると冒頭のシーンはいきなり侵略され拉致されんとする所をジェダイ騎士に助けられ、評議会に出席する旅にでる、という形になるでしょう。さらには侍女と入れ代わってアナキンを助け、という大活躍の後に母星に戻り大団円を迎えます(もっとも、この展開ではエピソード1が終わった時点ですべてが解決してしまいシリーズ第一作としては不適当でしょう)。

 シリーズ構成全体の中心は明らかにアナキンですから、当然これを中心としたストーリー展開も考えられます。
 すると、これは不幸に暮らすアナキン少年(もちろん、青年でも本質的な違いはない)の所へたまたま二人のジェダイ騎士に守られたクィーンアミダラがやって来て、かれらを助けたアナキンが宇宙へ飛びだし、苦労しながら認められて行く、というストーリーになるでしょう。典型的なグローイングアップストーリーです。
 ただ、これですとエピソード4と展開が酷似してしまうのと、アナキンの設定をどうするかが問題となって来ます。

 確かに、アナキンがいたいけな少年である必要も無りません。ですが(異論を説えるようですが)、我々はアナキンが暗黒面に進むのを知っていますから、堕落するギャップが大きい方が面白いという見方もできます。不良少年が、あるいは悪の素因を持つ者がアレになってしまうのは、説得力には富んでいますが意外性に乏しいかもしれません。

 いずれにせよ、こうした分析はエピソード1の脚本にいかに穴が多いかと言うことの証明にしかなりませんが。

 最後になりましたが報告します。青山のホームページ上にサイファイ宣言、ある作家志望者への返信、バディストーリーに学べ、をまとめて「梅原克文の言いたい放題コーナー(仮)」としてまとめて読めるように設定しました。
 こうしたコーナーの設定の是非、あるいは「梅原克文の言いたい放題コーナー(仮)」というタイトルに問題があればすぐに引っこめますので言ってください。

 いままで繰り返して議論、の様なものは一定の合意に達したと感じています。今後、大きな情況の変化がなければ繰り返す必要もないでしょう。
 ですが、このエピソード1をめぐるような対話など、なかなか新鮮でした。自分で認めるのは口惜しいのですが、青山の作品を分析した場合、キャラクターの造形が弱いのを認めざるを得ません。ですが、梅原氏の分析は青山自身にはない視点なので、今後のキャラクター構築のヒントになりそうです。

 また、非常に個人的な見解としては『カムナビ』が刊行されて、そのあとの動きがどうなるか、気にかかるところです。こちらから問い合わせの手紙を送るかもしれません。
 また議論に値するような問題が生じたり、あるいは状況が変化したら、意見の交換があっても面白いでしょう。
 ではまた、どこかで。


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