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梅原氏への返信1999年4月13日
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梅原克文様
1999.4.13


 またも間が空いてしまいました。申し訳ありません。

 まずはカムナビの脱稿おめでとうございます。一読者として、一日も早く作品が刊行されることを願っています。

 この往復書簡を交わしていて、自分であるとんでもない発見をしてしまいました。
 それは自分がSFイデア主義者であるという発見です。
 SFの定義とは何かとの命題は古くから存在するものでしたが、いまだ万人を納得させる明確な定義は存在していません。で、青山なりに考えてみるとイデア的に定義するのがもっとも有効であるという結論にたどり着きました。まったく、やれやれ、という気持ちです。
 もっとも、ここで言うSFとは旧来のいわゆるSFであり、もはやぼくには縁も薄く、また、イデア的な主張を自作に反映させるつもりもありません。SF作家寿命二十年説に依るまでもなく、数年後、青山は自分がいわゆるSF作品を手がけているかいささか疑問です。
 そういう意味では自分はSFイデア主義者であるけれど、イデア至上主義ではないつもりです。

 さて、いままでサイフィクト構想について意見を取り交わしてきたわけですが、そろそろ多少新しい次の段階を考えるべきだと思います。
 青山はそろそろ梅原理論が人口に膾炙してきたと判断しています。
 といいますのも、先日マガジンハウス社「鳩よ」にこのページが取り上げられたのに続いて、最新の「噂の真相」でもわずかですが梅原理論について触れられているからです。
 いままで梅原さんはSFマガジンや、インターネット上に意見を述べてきたわけですが、SFマガジンで二万から三万、不肖「青山智樹の仕事部屋」でアクセス数が一万三千ほど。これは小説家のサイトとしてはかなり多い数字なのですが、リピーターの存在などを考えあわせると実勢はだいぶ減少し、「鳩よ」「噂の真相」はこの数倍の読者を持っていると思われます。
 となると、いままでそれなりに狭い部分にしか声が届かなかったものが、より広いところに声をかけられるようになり、また、同時にそれなりの戦略を使ってもいいのではないかと思います。

 戦略の一つは論証の正確性を高めるという事です。
【八二〇字削除、言ってはならないことを口走ったため】
 いずれにせよ、重箱の隅を突つかれるような事例にぼく自身も直面しました。先日、二人の方(ここもHPでは削りますが****、****両氏です)から「サラマンダー殱滅はスペースオペラではないのか」という指摘を受けました。梅原さんはお気づきだったようですが、恥ずかしながら青山は指摘されるまで気付きませんでした。
 いずれにせよ、そうした会話は電話であったり、直接顔をあわせて交わされたのでそれ以上、進まなかったのですが、背後にあるのは「かようなミスがあるから、梅原理論はおかしい、あるいは相手にする必要性はない」というものです。
 もちろん、これも本質からはずれているのでこちらの側からも相手にする必要はないと思いますが、議論の進行を見ているギャラリーの中にはだまされてしまう人もいるでしょう。そうなるとサイフィクトに関する信頼性を損ないかねません。

 同様に***氏への疑惑も青山自身はやめといた方がいいのではないか、とは言います。もっとも、だからとて梅原さんが意を翻すとは思いませんが。

・柴野先生との絶交について。
 まあ、そこまでおっしゃるのなら、もはや口を差し挟む状態にはないようです。
 SFの中では「人は最初柴野拓美に接近しようとして、次に離れようとする」という現象があったと聞きます。たとえば荒巻柴野論争などその典型的な例でしょう。梅原さんも同じことが起こっただけです。
 ただ、若干疑問なのが神林作品についてです。
 ぼく自身も柴野先生と神林作品について話をした事がありますが、その時の結論は「優れたものもあるが、そうでないものもある」という詰まらないものでした。ぼく自身も現在もこの立場は変わっていません。
 たとえば「敵は海賊」のシリーズは非常に優れたスペースオペラです。「戦闘妖精雪風」は高く評価しますが、これは好みの問題でしょう。
 柴野先生と話したとき、大体似たような意見に落ち着いたと記憶しています。ですから梅原さんのおっしゃるように「なにがなんでも神林長平を支持する態度」と、青山の知る柴野先生像とはどうもにも齟齬を感じます。

 もっとも、繰り返しになりますが、柴野先生は翻訳についてはプロフェッショナルですが、創作ではアマチュアという事で説明が付くと思います。ですから、もし、何か間違いがあったとしたら、柴野先生と創作のプロとして意見交換した、という所ではないかと思います。

 福島正実との確執については、なぜ福島正実氏が柴野先生を排除したのか、いまだによくわからないというのが、現状です。くり返しになりますが「アマチュアと職業作家は別物」と言うのが青山の主張であり、「翻訳プロ、創作アマ」の柴野先生を重視する必要もないのに、なぜ、そこまで毛嫌いしたのか? 不思議でなりません。
 たとえば、SFの翻訳を考えた場合、とてもではないですが、アーサー・C・クラークの翻訳者を外してしまうのは営業的に考えて得策ではないからです。
 福島氏が夭折したため真意がどこにあったのか、もはや判りませんが、いずれにせよ、福島氏の設立したSF作家クラブは青山には理解のできない方針を採り続けています。
 その中にはいわゆるSFの退歩につながるような行動もあり、やはり何をやっているのか、よくわからない、という印象を抱いたままです。まあ、もう関わりになることはありませんから、どうでもいいのですが。

・分類項目は作り直すべき。
 全くの同意です。
 ミステリも、江戸川乱歩の時代には「本格探偵小説」と「変格探偵小説」があり、それらが変遷を経て「推理小説」と呼ばれ、今日では「ミステリ」で安定しているようです。ところがSFではどうか? それなりの流行のタームはありましたが、SF全体を指すような言葉の変遷はなく、結局、時代遅れになっていったのです。
 筒井康隆の位置や、スペースオペラの扱いについても同様のことがいえるでしょう。
 時代は変わったのです。

 しかも分類についてははっきりと誰が目で見ても判るものが望ましいわけです。

・評論家について
 梅原さんが「小松先生のピエロをする」的な発言をなさってくれて、本気で胸をなで下ろしました。青山もだいぶ面の皮が厚くなってきましたが、さすがに小松先生ばかりは怖いです。

 言っては行けない空気の中でも触れられていますが、評論家について、個人的な交友はともかく、やはりあまり関わり合いになるべきではないと考えています。
 評論家は創作者に依存しなければ生きていけません。
 本来、相互に関わり合いになるべきものではないのです。確か、D.R.クーンツだったと思いますが「評論家の賞賛は死の息吹」と評してほめられる事を忌避しています。梅原さんは「良い寄生虫」「悪い寄生虫」のたとえをなさっていますが、たとえ良い寄生虫だったとしてもそう大きな期待をかけるべきものではないでしょう。
 もっとも、ミステリなどでは有力な評論家かが取り上げることにより、作品が話題になり、売り上げが伸びることがあると聞きますから、そのような状況と比べるとSFは大きく遅れている、と言わざるを得ません。もっとも、SFのこの状態の原因がどこにあるかまでは判りませんが。
 また、SFの冬の原因が、メタ言語的小説の台頭にあるとすれば、ほめるべきでない作品を絶賛して道を歪めた評論家たちの責任は、作品の傾向を移動させた作者、それを指示した出版社よりも大きいといえるでしょう。
 評論家たちがイデア至上の作品を絶賛する、という現象は確かに見られますが、その行為自体についてはぼくは許容的です。というのも、たとえば文庫の解説を書くような場合、本編をけなすわけに行きません。必ずほめよ、売り上げに貢献するような文章を書け、編集者はそのように注文するでしょうし、評論家もかような要求を受けなければならないでしょう。そういう意味では彼らもプロなのです。もっとも、駄作を賞賛しなければならないような仕事を受けるべきではない、とか、将来の分野の発展をどう考えているのか、という怒りもあるでしょうが……ぼく自身は、自分がかような立場にないことを幸福に感じています。

 二律背反するような事を書いてしまいましたが、青山自身は評論家に対する態度は相変わらず「サナダ虫に何を期待する?」というものです。
 ただ、ここにあったような足を引っ張るがごとき行為があったとしたら、今後は正していただきたいと、それだけは表明する必要はあるでしょうが、インターネットでの公開でとりあえずは充分でしょう。

 また、評論家によってはメディアによって表現方法を変えている場合もあるようです。SF誌、あるいはいわゆるオタクメディアに注文を受けた場合はオタク的な表現を前面に押し出し、そうでない場合はスタンダードにやるという手法です。ある意味では媒体の性質をとらえた賢い、プロと呼ぶべき行動です。

・新人賞について。
 先日、***さん【青山注:SF大賞の選考委員も務めた評論家】とお会いしたおり今度のSF新人賞の狙いのような話題にも触れました。
 SF大賞で一度だけその作者の第一長編に授与した事があるのだそうですが、その後、著者は新作長編もなく、確かに最近名前も聞きません。これはSF大賞の問題の一つと考えられているのだそうです。
 このような事態に対応するために、新人賞を新設した、という流れもあるようです。
 また、SFの衰退の原因の一つにSF畑の新人賞がない、と言うのも上げられています。
 確かにSFマガジンのコンテストが終わって以来、SFプロパーの賞はありません。ですが、SF的要素をもった作品は売れるわけですから、SFと呼ばれなくとも同傾向の作者、作品は増え続けています。
 では、どこらへんにSFの作品群が存在するのかというと、やはり一般書籍の中のSF的な作品であるとか、ヤングアダルト向けのSF作品という事になるのでしょう。
 スペースオペラ新人賞については、確かに分類上は明白にした方が利益があがりますが、他のあらゆる賞と同じくどれほどの効果があるのか疑問です。あっても邪魔になるものではないですから、作ってもいいでしょうが、どこが作るかというのが問題になってきます。
 まず、どこか出版社がバックにつく必要があるでしょうが、それがどこか?
 徳間書店ではすでに系列の発表媒体もなく、大藪春彦賞、SF新人賞を作ったばかりですし、これから映画制作を中心にすると言う噂の中でどれだけ文芸に労力を避けるのか、判然としません。そのほかのYA系の出版社も独自の新人賞を持っており、そうそうすぐには動けないでしょう。

 スペースオペラ新人賞について、青山なりの結論を述べますと、あっても害になるものではないですが、少なくとも我々、著作者には手の出せないところにある、そう考えます。
 まあ、こうやって書簡やインターネット上で意見を表明するのが妥当でしょう。

 スペースオペラに関する勘違いというのは、作者、出版社ともども冒しているとは、その通りだと思います。前記のような****氏の反応を見ても明らかです。もっとも、この勘違いはまだまだ続くでしょう。
 作者が何か一つのジャンルばかりを書き続ける例は少なく、似たような分野のものを著します。スペースオペラとSFはもともと近いジャンルですから、双方を掛け持ちする作家も珍しくもありません。青山の所にもそのような注文も届いています。
 ですが、そうなると、作者自身にも、編集者、読者にもその違いは曖昧になってきます。
 これを解決するためには確かにスペースオペラ新人賞であるとか、スペースオペラ作家クラブを設置した上で長期的な意識革新が必要でしょう。
 もっとも、こうした行為が、作者たる我々にどれだけの利益があるのか、それをやるべなのか、検討する必要はあるでしょう。

 最後になってしまいましたが、「ホームページ立ち上げ中止」。
 半ば落胆、半ば歓迎いたします。
 梅原さんのホームページを拝見するのは読者にとって大いなる楽しみになりますが、反面、下手に凝ると、相当の時間を食います。凝りすぎると本業に影響がでますし、読者作者双方にとっても喜ばしくはない結果に結びつきます。
 ですが、インターネット閲覧に関しては強くお奨めします。
 現状ではインターネットはマスコミが喧伝するほどの力を持っているとは思いませんが、とりあえず、相応の情報の供給媒体として有力で、将来的にはテレビ、電話のような地位を占めでしょう。
 今日では作家活動の情報源、流通にテレビ、電話は重要な地位を占めています。なければないで済むかも知れませんが、あった方が便利です。
 インターネットも同様な効果を持っていると思います。
 ホームページ制作は面倒ですが、モデムを繋いで見ているだけであれば大した労力も、設備投資もかかりません。
 遊び道具としても、自分の興味のあるホームページを回っていても楽しいですし、情報収集のため検索を書けることもできます。ぼく自身は取次のホームページを閲覧してベストセラーリストなどをチェックしています。
 柴野先生との対立の解消を強度1、**氏との激突回避を強度3ぐらいで推すとしたら、インターネット閲覧開始を10ぐらいの強度でお奨めします。

 PS、
 電機屋でもらったAOLのスターターCDを同封します。
 梅原さんのコンピュータをモデムに繋いで、このCDを突っこめば、すぐにインターネット閲覧が開始できます。数時間の無料試用期間がついています。
 青山のページはhttp://www.din.or.jp/~aoyama/index.html です。よろしければおいでください。
 別にAOLを推薦するわけではありませんが、インターネットとはこんなものだと、みてやってください。


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