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梅原氏への返信1999年3月4日
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 梅原克文様
1999.03.04

 またも間が空いてしまって失礼します。
 最初に報告です。いただいた手紙と、サイフィクト宣言をホームページで公開しました。

 ***批判について。
 梅原さんの決意、確信のほど、判りました。挑発するのであれば、それも一法でしょう。
 ですが、とりあえず止めます(いえ、止めたからとて止まるとは思いませんが)。
 次のような状態を想定して見てください。
 つまり、現実に***がSFマガジンのメタ言語小説化に関与していなかった場合です。
 その場合、どんなに挑発した所で、あるいは真実を追求した所で***からはただ一言「そんなことはない」と返事が返って来て終りです。第三者から「梅原克文と***、どちらが正しいか?」と比較され、***に軍配が上がって、梅原理論は信頼を失って終わる、などという結果になりかねません。
 また仮に、***がカネを出していたとしてもどちらの主張に説得力があるかを比較された場合、SFマガジンは黒字に見えるとした主張が勝ったら、結果は同じです。

 梅原さんはSFマガジンの現状について
「???????????????????」
 と表わしてますが、ぼく自身は現在、メタ言語小説化を進めた犯人にして、経済援助を続けて来たのは早川社長であると考えを傾かせつつあります。
 一作家(【だれかバレるので伏せる】)が経済援助を与えたと言うより、大会社の道楽息子が自分の趣味で一分野にカネをつぎこんだと見る方が自然であり、説得力が感じられるからです。

 【約50字削除、SF外に累が及びかねないため】

・「今のSFマガジン編集長たちについて」
 SFファン出身だったとは知りませんでした。
 いずれにせよ、かれらが読者の立場でいるのか、編集者(プロ)の立場でいるのか本人ならざる青山には判りませんが、読者だとしたらイデアを押し出して来るでしょうし、プロだとしても上層部の圧力には敵わないでしょう。
 理解しあう必要もありません。早川書房が青山に対して原稿依頼して来たとしても、それがこちらの範疇に入るものであれば受けますし、そうでなければ断わるだけです。ビジネスライクに接する分にはそれですべてです。

・「SFオタク排撃論について」
 くり返しになりますが、SFオタク排撃論の方向性については、間違ってはいないと思います。まあ、梅原さんのおっしゃるほど強く言う必要性もないかとは感じますが、それ以前に、どんなに強く言っても弊害は生じませんし。

 一方、世の中には枝葉末節を捉えてある論の全体が間違っている、とする論法があります。そういう手合いは相手にしないのが最上なのですが、そうも言っていられません。前回の論法ではかようなばかばかしい反論を受けかねません。
 論法については改善の余地があると思います。

 ですが、梅原さんが「***、***、****」など特定の人たちとしか論争しない、と決定された事は大きな前進に結び付くと思います。後に述べますように評論家や、あるいは読者の立場にある人物と論を戦わせるのはすれ違いばかりが大きくなり、労多くして益少ない行為になりがちだからです。

・「柴野先生との対立について」
 これもくり返しになります。
 「職業作家と、読者では論理のすれ違いになり、対話が成り立たない」というのがそれです。SF関係者か否か、という以前の問題です。そもそも、犬と猿が会話しているようなものです。成り立たないのは当然でしょう。

 個人的には柴野先生と和解していただくと喜しいのですが、こちらは純粋な感情論となってしまいます。

 ですが、柴野先生との対立についても***に対するのと同じような指摘ができます。
 柴野先生はSFの世界の中では読者にすぎず、創作者の立場で議論しても実のある結論は得られません。ところが、われわれは柴野先生に見出されて世に出たと言う経緯がありますから、その柴野拓美を攻撃の対象としてしまうと、第三者から批難を受けかねない、と言うのがそれです。
 柴野拓美シンパが作品の不買運動を始めたとしても痛くもありませんが、一読者を取り上げて闘うというのは労多くして益の少ない行為です。

 それよりも「言ってはいけない空気」の打破が重要です。
 柴野先生が意をひるがえして形式分類を認めたとしても「SFは失敗だった」と言ってはけない空気はかわらず残ります。
 たとえば、青山は「SFは失敗だった」と柴野先生の前では明言できますが、小松先生の前ではとても口に出せません。

 この正体は何か、どうすれば打破できるのか? いまだにどう手をつけて良いものか判らずにいます。

・「世界の遠さを表わす基準」
 旧来、SFはこれに近い言葉を持っていたと思います。たとえば、近未来、遠未来などという言葉です。もちろん意味合いとしては全然違います。
 作品数も少なく、この程度の分類ですんでいたのです。
 作家に付いても同じ事が言えます。
 たとえば、いまから二十年前、筒井康隆はSF作家として分類されてよかったのだと思います。
 当時の、下手をすると自然主義文学の尻尾を引きずった読者からすると、「日本沈没」も「日本以外全部沈没」などもひとまとめに「空想科学小説」としか呼びようがなかったでしょう。SF作家と呼ばれる人たちの数も少なく一人一ジャンルをあてはめるわけにも行きませんですから、ひとまとめでSFで良かったのです。
 あるいは分類のために思想性(イデアと置き換えても良いでしょう)を基準にすると言う方法も当時であれば有効でした。イデアだろうがなんだろうが、やはり他の作家たちを比べれば筒井康隆はSFに近い場所にいたからです。

 今日、いわゆるSFは肥大化しすぎました。
 SF作家と一口で小松左京と筒井康隆をくくるのは無理があるでしょう。
 題材も広がり遠未来と言ってもスペースオペラもあれば、スペキュレイティブフィクションもあります。
 近未来一つ取っても「明日、空から恐怖の大王が降って来て地上は大混乱に見舞われる」という作品を書くことも可能なはずです。
 ですが、恐怖の大王でも、ゴジラでも、巨大隕石でもいいのですが、これらはやはり遠い世界の出来事です。ファンタジーの一種として位置付けるべきです。

 世界の遠さを規定する事によって、ジャンルわけよりも、創作者にとって大きなメリットが得られると考えています。
 それは「遠い世界のストーリーを避ける」事が可能になるからです。
 すでに自明ですが、遠すぎる舞台設定の物語は売れ行きが芳しくありません。プロットを作り上げる段階で世界が遠いかどうかを判断して、遠すぎる設定をさければよりリアリティに満ちた、受け入れられやすい作品を書けるでしょう。

 機械的に分別できる基準は様々な長所を発揮します。形式分類である必要はありませんが、結局は目で見て判る形がもっとも明確であり説得力を持ちます。無論、イデアとは別の基準になります。

・「評論家について」【900字削除、でも反感を買ってる気がする】
 わざわざ反感を買う必要もないでしょう。一般論であると言うようなオブラートに包みます。

 評論家は独自で存在する事はできません。寄り添う大樹が必要です。
 今後サイフィクト構想が実現すれば、評論家もよって来るでしょう。必要とあらば御用評論家を仕立ててスポークスマンとして利用するべきでしょう。
 かれらは新しい構想を作り出すのは不可能なのです。
 評論家とはそうやって利用すべきなのです。

 そうですね「これらは評論家の仕事である」という場合には「ろくろく仕事をしていない能無し評論家のおかけで苦労させられる」という枕詞を添えましょう。

・サイフィクトという語について。
 アメリカのコダックという写真会社は会社創設の際にKで始まりKで終わる名前を案出してKODAKに決定したそうです。
 語感に対する違和感は感じていた所です。スペキュレイティブフィクションにしても、サイファイにしても「古い」という印象が拭えなかったからです。
「サイフィクト」についていえばサイファイよりは普及させやすい様に感じます。ただ、ちょっと口に出して言うといいづらいですね。まあ、何年もかけて改良して行く事になるのでしょう。

・「小説ジャンル名のブランド性を守るために、プロ作家が出版社に対し、営業妨害の訴訟を起こす」
【以下風聞に属するものなので、実名は削除】
 これも風聞ですが、同様の抗議を***氏が某出版社に対して行った、という話を聞いた事があります。
 当時、同氏の営業品目の中心は戦記シミュレーション。
 このジャンルのものはある一定の語が入っていると売れ行きが増すという事実があります。たとえば「××の艦隊」のようなものです。
 売れ行きに貢献するタイトルがあれば似たような作品名が氾濫して、全体の活力が低下すると言う弊害がありますが、同氏はそれを理解してか、「***」【誰か判るのでボツ】とつく作品を出版した某社に抗議したのです。
 いわく「***と言う語を創製したのは自分である。許可を得ずに使ってはならない」。
 これは出版社と著者の力関係からか、出版社が同氏の抗議を受け入れて訴訟には至りませんでしたが、作家による訴訟に近い出来事だと思います。

 今日ではまだ「作家が著作権保護のために訴訟を起こす」というのは珍しい出来事ですが、考えてみればマンガであるとか、映画、アニメではキャラクターの著作権が強力に認められています。海外では映画「エイリアン」に対する「宇宙船ビーグル号」の裁判などはプロットに対する権利主張とも受取れます。
 小説も同様な情況がやって来ても不思議はありません。
 ただ、実際問題として著作権侵害、営業妨害などで訴訟を起こす場合、、「サイフィクト」を登録商標するなどの作業が必要となるでしょう。

 また、一般論を繰り返すように受取られるかもしれませんが、これから述べるのはあるいはひどく個人的な事情でもあります。

 モノ書きの力の中心は作品にあります。作品の力が権力を呼び、主張の説得力の根元ともなります。
 梅原さんの場合、すでに推理作家協会賞を受賞され売り上げ面からも高い評価を受けています。ですが、青山はいたずらに作品数ばかり延びるもののかような評価を受けるに至っていません。これらはぼくなりの反省はありますが、いずれにせよ「高い評価を得るべき作品を書かなければならない」という現実は動きません。

 「より効率の良い経営方法は、他にないのか?」に対して青山の現状は「より高品質の製品」を製造する部分にあると考えています。青山の手がける分野であるシミュレーションの内部ではそれなりの評価を受けているとは思いますが、いまだ安定した評価であって、高い評価(つまり、話題になるほど売れる)ではないと言うのが現実です。

 ではまた。


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