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梅原氏への返信1998/11/16
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【引用開始】
梅原克文様
1998.11.16

 東京もだいぶ寒くなりました。北海道からは雪の便りが届きました。北陸ではいかがでしょう。
 先日、プロデビュー前後から親しくさせていただいていた友人が山梨に転居したと聞きました。彼に限らず、伊豆であるとか、軽井沢であるとかかなりの数の作家が転居しているようです。じっくりと作品と取り組むには東京を離れた方がいいのかもしれません。

 立て続けに二通、お便りをいただいて以前から抱いていた幾つかの疑問が氷解しました。その一つは「なぜ、そうもサイファイにこだわるのか?」「なぜ、超メタ言語的な作品を忌避するのか?」です。

 まとめてお返事すべきなのでしょうが、例によってとっ散らかってしまうので別個に書いていきます。

 第一の手紙についての返信。

 賞について。
 青山は自慢にも何にもなりませんが、新人賞を含め、星雲賞、ファンジン大賞、推理作家協会賞、賞と名の付くモノをいただいた事がありません。したがってあまり偉そうな事は言えないのですが、どのような賞でも特徴、あるいは欠陥と言う物があるようです。
 【80字削除】星雲賞は、まあ、アマチュアの運営する賞ですから権威がなく、問題ばかりあっても当然でしょう。
 すでに議論する必要性も感じませんが、目利きとされる選考委員が関っているSF大賞ですらすでに問題点を露呈しています。もちろん、SF大賞がスペキュレイティブ・フィクションを推奨する賞だとすれば現在のような進路も構わないのかも知れません。
 今日でも市井には純文学の新人賞が存在するわけですから、別にスペキュレイティブ・フィクションを容認する賞が合ってもそれは賞の持つ一つの特徴なのでしょう。
 賞の内包する事情として「授賞すべき与え得なかったというのが失点」となると聞き及びます。賞の選考委員としても確実に評価すべき作家を評価しなければならず、賞の権威にも結び付いて来るので大きなプレッシャーがあるのだそうです。ぼく個人としては人を選ぶような立場にない事を幸いに思います。
 もちろん、小説家の求めるべくは多数の読者であり、多数の読者とは発行部数の多さですから、授賞とベストセラーとどちらをとるか? などと言う選択が可能だとしたら無論ベストセラーです。ですが、賞を授賞すると言うことはやはり一種の賞賛を受ける事ですから、貰えたらきっと喜しいだろうと思います。

 ジャンルの分類について。
 K1は良く分からないのですが、なぜ、梅原さんがサイファイに強力にこだわるのか、ようやっと納得できました。
 「ジャンルの定義づけは、評論家や読者が決めるべき」という根幹は変わらないのですが「創作者による管理の必要性」にまでは思い至らなかったせいです。これも難しい問題ですね。確かに十年や二十年では解決が付かないかもしれません。
 そもそも、旧来のSFが発展したのも人為的な管理があったからのようにも感じられます。ウェルズの「宇宙戦争」、ヴェルヌの「月世界旅行」、いずれも、十九世紀後半の作品です。それがサイエンス・フィクションと呼ばれるようになって花咲くのはアメリカではヒューゴー・ガーンズバック、日本では福島正実の時代です。
 特に日本では明治期から奇想天外小説(命名、横田順彌)と呼ばれるような分野がありましたが、決して文学史に残るような作品ではありませんでした。ところが「SF」という語ができて、急速に発展して行ったように感じられます。これは福島正実あたりの人為的な後押しだったとするのはうがちすぎでしょうか。調べてみる価値はありそうです。もっとも、まあ、創作者の作業ではないと思いますが。

 この往復書簡の意義について、ぼくも得る物が非常に多かったので、梅原さんも成果があったと言っていただけると喜しいです。
 これ、ホームページの本文にも書いたのですが、ある作品に触れる場合「創作者」と「編集者」「評論家」「読者」ではそれぞれ反応が違います。それと同様に「ある見解」に接した場合の反応も違うでしょう。
 たとえば「SFは終わった」という主張にであった場合、われわれ創作者は「SFを見捨てる/てこ入れする」との行動をとるわけです。ところが評論家であれば「そんな事はない。いまのSFにはこんな意義もある、あんなメリットもある」という反論をするかもしれません(同意する人もいるかもしれませんが)。
 「商売になるかならないか」「作品の意義があるか、ないか」とではそもそも立脚点が違いすぎて、議論などなりたちません。これが読者であればさらに好きか嫌いかと言う感情論が加わり、白熱はするでしょうが実のある結論など出て来るはずもありません。
 ぼくは何年も前にこのような意見交換は創作者としか、交わさないようにしました。評論家たちの意見も耳を傾けるべきところはありますが、創作の技術的な問題や、どのような方向に進めばウケるか、という部分になるとどうも会話が噛み合わなくなるのです。評論を生業とする親しい友人もいますが、話をする内容は「あれが面白い、これがつまらない」的な会話が中心になりがちです。そのような情報を得るために、評論家たちの資質は有用です。
 SFのコンベンションも様々な傾向をもつものがあります。なかには評論にシフトした集まりがありますが、ぼくはそうした集まりには絶対に顔を出さない事にしています。居心地の悪い思いをするだけです。

 インターネットについては、ぼくは趣味として捕らえています。プラモデルをいじったり、自動車を乗り回したり、山に登ったりと言うのと同じです。趣味と実益を兼ねて超大型ワープロとしてコンピュータを買ったらインターネットが付いてきたのです。現実はもうちょっと色々やっていますが、まあ、好きでやっているだけです。世の中はなにもかもインターネット、インターネットと騒いでいるようですが、そんなものに躍らされてはいけません。パソコンの普及率がテレビ並になるまでマスコミの喧伝するような世界は現われないでしょう。

 謎の黒幕、いいですねぇ。憧れてしまいます。いやんジジイになる自信、あります。
 いままでぼくは穏やかでおっとりした人柄を売りにして来たのですが、ホームページの公開で印象が変わって来てしまったのではないかと思います。なにしろ「ケンカ屋、柴野」の配下ですから多少暴れたって構いやしないでしょう。いっそのことイメージ一新してヒールで売り出しましょうか?
 いえ、たぶん、しないと思います。世の片隅でひっそりと小説を書きつづっていきます。

 第二の手紙への返信。
 というわけで、ぼくのSF大会擁護論と入れ違ったようですね。

 JAPANのたとえ、納得しました。隅から隅まで。そりゃ、怒りますわ。

 冒頭にも記しましたが、二つ立て続けにいただいて「なぜ、そうもサイファイにこだわるのか?」「なぜ、超メタ言語的な作品を忌避するのか?」さらには「なぜ、こうも過激な発言をするのか?」がはっきりしました。
 非常に大きな収穫であり、そして後述しますが、恐ろしい結論が導かれて来ました。

 SF大会擁護を続けましたが、基本的にはSF大会について前の手紙以上に付け加えるべき事はありません。無視すればいいのです。もっとも、SFという名前が無くなれば、大会も崩壊するでしょう。

☆「商業的に成功を収めた作家を模範とする」
 これはサイファイと限らず職業作家としての基本的な姿勢だと思います。そうでないとする考え方をする方もいらっしゃるでしょうが、青山は大多数の読者を得るのが職業作家としての最大の目標だと考えます。

☆「超メタ言語的な小説は排除する」
 また、梅原さんが「超メタ言語的な作品」と称する作品、これも説明が遅くなりましたが青山は自分の中では「感覚を重視した作品」と呼んでいました。時にはスペキュレイティブ・フィクションという言葉を使っていますが、あくまで便宜上の理由からです(非創作者と話をすると、このあたりの定義付けから始めなければならない事が多く、議論が始まりもしません)。
 職業作家の場合はまだしも、特にアマチュアの場合、自分の感じる感覚を前面に押し出して、それを中心にすえる作品が非常に目につくのです。
 たとえば、宇宙塵194号に掲載された「記憶空間」。機械的なギミックを使用して、他人の記憶の中に入って行くという作品です。不確かな物である記憶を再現し、見て触れるという感覚(センス・オブ・ワンダーと呼ぶべきでしょう)は面白いのですが、ただそれだけにすぎません。
 物語の中核たるストーリーはあやふやですし、登場人物の動機づけも、葛藤も満足できるレベルではありません。この場合は作者の力量不足で失敗に終わっているのですが、問題は職業作家でも感覚を押し出す事に躍起になって、結果として物語の魅力の中核たるストーリーや作りに遺漏を生じさせているのではないか、という部分にあります。
 「新しい感覚」を重視しすぎたあまり、本来あるべきストリーテリングや、キャラクター、リアリティをおろそかにして、SFは力を失ってきたのではないかというのが、最近の考えです。無論、センス・オブ・ワンダーを求める事は構わないのです。ですが、たった一つの要素を追求した結果、無数に存在するエンターテイメント要素を失っては何にもなりません。きたるべき新しい作品はすべてのバランスをとる必要があるでしょう。

☆「プロ作家はアマチュアへのイベントなどに無料サービスで参加してはならない」
 いささか厳しすぎる印象を持ちましたが、批判はしません。ぼくとしても納得できる十分な許容範囲の中に収まっているからです。
 これまた個人的な見解ですが、ぼく自身は本当は「作家は一切、講演、サイン会、テレビ出演等、執筆の邪魔になるような活動はしてはならない」と考えています。講演などでは謝礼は最低五万から、時には数十万円に達するそうです。これでは執筆がお留守になってしまいかねません。ぼくの場合、例外はSF関係と言うことになりますが、ま、これは余談です。

☆「現在のSFマガジンに掲載されているような小説の方向性や、評論の基準を信じてはならない」
 SF大会の擁護をしようと、それぞれの作家の出自をちょっと考えていたら意外な符合に気がつきました。
 現在も活動を続けている宇宙塵出身の作家を考えますと、一番新しいのが岡本賢一でしょう。その前に青山、梅原、大場惑、斉藤英一朗でしょうか? これより古い方はぼくは面識を持たず、良く分からないのですが「塵も積もれば」宇宙塵四十年史をめくると、どうも山田正紀あたりになるようです(!)。
 いずれも、ある符合の一致を見ます。メタ言語的な作家がいないのです。

 一方、SFマガジンコンテストの出身者を考えて見ます。第一回から数えるのも意義あるかとは思いますが、それでは膨大になりすぎます。
 サイバーパンク騒動以降がひとつの節目になるかと思います。SFマガジンのコンテストは休止を繰り返していますが、前回の再開後、最初の授賞が大原、神林だったはずです。野阿梓、柾悟郎もコンテスト出身でした。森岡浩之、草上仁、火浦功、中井紀夫の諸氏もマガジン出身ですから全面的にスペキュレイティブ派に塗り潰されているわけではないですが、優勢のようです。

 そして、これもまた、すべての方のチェックは難しいのですが、ファン出身と、コンテスト出身の作家の比較もできるのではないかと考えています。ファン活動を続けながら投稿を続けプロ作家になられた方もいらっしゃるのでしょうが、大原まり子、神林長平は違ったはずです(繰り返しますが、ぼくはこのお二方に個人的な恨みはありません。特に神林さんは、我が嫁が大ファンで神林同盟の会員にして、この夏、子育てのためSF大会に欠席した嫁に成り代わって、会費を直接会長ご夫妻にぼくが手渡しました。そういえば、あの会費も嫁さんからもらっていない)。
 他にどれぐらいの人数いらっしゃるか確認しようとしたのですが、手元にデータが少なく、確定できるほどではないのですが、ファン出身でスペキュレイティブをメインに置かれている方は少ないように見受けられました。

 こうした事実を並べて行くと、問題はファン活動ではなく、SFマガジンにあるように感じられます。
 SFがいわゆる浸透と拡散を続け、最盛期に文芸SF専門誌は四誌。周辺情報ビジュアル系を含めば数知れずという情況が生じて、SFの中核が薄れSFマガジンが現在のような傾向を確立したのは雑誌の方針としては理解できますし、責任をSFマガジンに押し付けるのも酷であるとは思います。
 責任を問う積もりもありませんし、仮に責任者などというものが存在したとしても、彼にしても悪気かあってしたものでもないでしょう。
 ですが、現状を見渡すと、超メタ言語的な作品の支持はできかねます。
 もしSFマガジンから注文がきたとしてもぼくは断わるつもりはありません(もう来ないかもしれませんが)。
 ですが、寄稿するからと言って自分の方針を変える必要はなく、また先方もぼくの作品を没にする権利を持っています。

 梅原さんの経営方針に青山なりの感想を付け加えさせていただきました。二十年後、サイファイが立ち上がった暁にファン活動を容認する青山は、サイファイ作家に数えられないかもしれませんが、上記のような規範は創作上の個人的なルールとして守る利益はあると感じています。

 ですが、サイファイ立ち上げを推し進めて行くと、とてつもなく恐ろしい結論にぶち当たってしまいました。SFの残滓があってはサイファイの立ち上げは困難です。となると、SFを完膚なきまでに叩き潰さないとならない、というのがそれです。
 具体的には年次SF大会は無くなり、SF作家クラブには解散、SFマガジンは廃刊、さらにスペキュレイティブ作家たちには路頭に迷っていただく、という形にならざるをえないでしょう。
 梅原さんの舌鋒が鋭くなるのも理解しながらも、自ら手を下すとなると寂しい、どころか気が重くなります。みずから鉈をふるう事はできかねます。二十年、三十年待ってこのような情況は自然発生するのを待つべきなのでしょう。

 PS.青山の私事に関するお気遣いありがとうございます。
 梅原さんが始めてSFマガジンに乱入したとき、主張は理解した物の、なぜ、あれほど鋭く攻撃するのかが疑問であったのも事実です。ですがこの書簡ですべての疑問が氷解しました。まだ、細部において確認したい部分などもありますが、ぼくとしても一つの結論に達したように感じています。
 このまま往復書簡を続けるのも得るものはあるとは思いますが、このペースではいささかしんどいのも事実です。いささかの時間を置いて、おそらく「カムナビ」に対する世の反響が現れてから、再度、お便りを差し上げたいと思いますが、如何でしょうか。
【引用終了】


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