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梅原氏への返信1998年9月14日
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【引用開始】
1998.9.14
 お手紙を頂いて、思わず高ぶってしまいました。
 梅原さんがおっしゃる「SFという名のジャンルを捨てて、サイファイとして立ちあげなおすべきだ」との意見、ぼくには過激でも何でもない、ごく自然な一つの解決策であると受け取れます。

 数年前、あるいはもっと前かもしれませんが職業作家となるよりもっと前、「最近、SFが詰まらない」と思い始めました。サイバーパンク騒ぎより昔だったと思います。ですが、その時はなぜつまらないかという分析はしませんでした。いえ、したのかもしれませんが、納得できる結果は得られませんでした。
 それから更に時が経ち、つまらないという印象はそのままに「SFが純文学化している」と感じはじめました。純文学化というのは、あまり説明を要しないでしょう。一部の人間にだけ受け入れられ、特定の方向に頑迷に凝り固まってしまうことです。
 そうこうする内に職業作家となり、それでもSF衰微の解決策が得られないまま、梅原さんの発言が耳に飛びこんで来たのです。つまり(正確な言葉は思い出せませんが)、それが大原、神林批判だったわけです。
 その瞬間、長年の疑問が氷解、ぼくは飛び上がっていました。「いまのSFの中心であるとされる作家たちは純文学作家だったのだ。SFが純文学化するのはあたりまえだ!」

 前後してぼくの中でもう一つの意識改革が起こりました。
 柴野先生にくっついて海外のSF大会に顔を出す様になった事です。前の職をやめ、フルタイムに移行した時期です。海外、この場合主にアメリカのSFファンと話をしているとかれらは「SF」という言葉を使わないのです。ぼくの意識に引っ掛かって来たのは「サイエンス・フィクション」でした。手垢のついた言葉かもしれません。ですが、それがなによりも新鮮に響きました。
 青山の中である意識が固まり始めました。つまり「SFとはサイエンス・フィクションでなければならない」
 スペキュレイティブ・フィクションではないのです。同時にSFがつまらないと感じられた根源的な理由もはっきりしました。当時、SFの中心的存在であるとされた作家はすべてスペキュレイティブ・フィクションの作家だったのです。
 大原まり子はほとんど読んでいないので批判する立場にありませんが、神林長平は何作か読んでおり、中でも評価する作品と、まったく評価できない作品があります。これも振返ってみればサイエンス寄りの作品は面白く感じられたのです。
 ここまで来ればしめたものです。サイエンス・フィクションとはなにか? チャプテンフューチャーしかり、ハインラインしかり、宇宙せまし、時間せまし、次元せましと飛び回る楽しい冒険小説なのです。
 ここに述べたような展開は異論をもたれるかもしれませんが、いまの青山の中では確固とした思いとなっています。「SFは楽しい空想科学小説でなければいけない」

 一方、SFというブランドが過去の物である、というのはすでに常識化したと判断しています。
 ある作品の例を挙げます。先日、ある編集者から紹介を受けた作品です。未来の宇宙、人類は一度、恒星間航法の技術を確立、いくつもの植民世界を作り上げたもののホームベースたる地球は外界との接触を閉ざしてしまった。そして、数百年が経過し地球内部で政変が起こった結果……という舞台設定なのですが、この作品、わけの判らない惹句が付くだけで、SFとはうたわれていません。
 この作品、売れているか売れていないか、つまり読者に受け入れられているか、いないか、というとそこそこ売れているのです。
 それどころか、いまほど従来からのSFつまり、サイエンスフィクションが隆盛を誇っている時代はないかと思います。テレビのアニメしかり、マンガしかり、ヤングアダルト系の小説作品しかりです。これらからSF的要素を抜いてしまったら、ろくな物が残らないでしょう。

 こうした作品群をどう呼ぶか、サイファイなのか、SFというワードが復権するのか、よりさかのぼってサイエンス・フィクションと呼ばれるのか、ぼくには何ともいえません。ですが、SFという言葉が商業的に不利であり、なおかつ、それを指し示す言葉がないのはどう考えても不自然です。

 この手紙を書き進めていく内に、梅原さんのおっしゃる大衆向けSFをサイファイと銘打つべし、と言うのが至極まっとうに感じられて来ました。
 来年後半あたりから「宇宙戦艦が暴れまわる話」を書くようになるかもしれません。「銀河英雄伝説に続く作品がそろそろ出ても良いでしょう」とは編集者の弁であり、それは編集者の希望的観測だとしても、旧来のSFが求められているのです。ですが、これに貼るレッテルがありません。

 岡本賢一君も自分の作品に貼るラベルが無く仕方なくハードSFに対するブロードSFと言う言葉を案出し、自作のあとがきで披露した所、SFマガジンの批評欄でわけの判らない反論を受けました。作品の内容ではなく、あとがきにいちゃもんをつけるぐらいですから、あの手の評論家たちも呼称については相当、敏感になっているようです。

 反面、非常に微妙な問題もはらんでいます。つまり、具体的にどのようにサイファイを立ちあげるかです。
 従来SFと呼ばれていた作品群が巷には溢れかえっているのに、それらを指し示す言葉がなというのは、あまりにも不利、不自由です。ジャンルを指し示す言葉はすぐにでも必要です。だとしら、梅原さんのおっしゃる十年は長すぎる。
 一方、ぼくが来年から始める「宇宙戦艦が暴れまわる話」をサイファイと銘打ったとしても、それがこけた場合や、あるいはうまく時流に乗れたとしても、サイファイは儲かると判断した追従者が現われてはたまりません。前者ではサイファイというジャンルの信頼を失ってしまいます。後者では、自滅が待っています。

 いま、ぼくは結論を出せずにいます。ただ、もどかしい思いと、目の前の締切が横たわっています。

 追記:梅原さんとは対立してしまうのですが、ぼくは宮部みゆきさんの受賞については大反対なのです。細かな理由はいつかお話できると思いますが、結局は日本SF作家クラブのあり方に関連して来ます。
【引用終了】


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