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 梅原氏からの手紙2000年07月10日

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 青山 智樹 様
2000・7・10

 お手紙、拝読しました。
 また、Q&Aをやりましょう。

○:評論家などは***である。いかに苦しめられたからといって、サナダ虫相手に復讐しても、益のない行為です。虫下しを飲んで、影響がなくなれば、それでおしまい。

A:青山氏は、まちがっている。それは「大人の態度」ではない。「社会人の態度」ではない。あまりにもエゴイスティックである。
 大人ならば自分が虫下しを飲んだ後に、子供や若者たちにも「虫下しを飲みなさい」と言うべきである。それが「先輩の義務」であろう。
 結局、青山氏はこう言ったのだ。
 「自分だけ虫下しを飲んで、自分だけ助かればいい。次世代の後輩たちに、自分の失敗談を語って、後輩たちが同じ失敗を繰り返さないように指導してやる必要はない。私は自分だけが可愛い。後輩たちに、役に立つアドバイスをするつもりはない」

 正直言って、私は青山氏の人間性を疑い始めています。
 貴殿の態度は、あまりにもエゴイスティックではありませんか?
 「社会人の良識」がなさ過ぎませんか?

 ちょっと考えてください。
 子供が毒蛇のいる藪の中へ入ろうとする光景を見たら、普通の大人なら、どうするか?
 「そこは危ない! 入るな!」と言うでしょう。
 そして子供が入るのをやめたら、大人は安心するでしょう。これが今の私の心理です。
 ところが、大人が立ち去った後、子供が毒蛇のいる藪に入ったら、どうなるか?
 これに関しては、その大人に責任はないのです。すでに一言、注意はしたのであり、大人の義務は果たした後だからです。
 つまり、私が何を言っても聞き入れない連中はいるのであり、そいつらを「屈服」させようなんて、私は思っていないのです。
 さらに言えば、私は毒蛇をすべて地球上から抹殺するつもりはないのです。そんなことは不可能ですからね。

 しかし、私が一言、注意してやれば、聞き入れてくれる心のすなおな子供はいるのです。私は、そうした、すなおな子供だけを救えばいいのです。

 これで、おわかりでしょうか?
 私の行動の動機づけは、「すなおな子供は救ってやる。だが、ひねくれた子供の面倒までは見られない」という普通の大人の良識なのです。
 これからも私は若者たちに一言、言うべきだと思ったら、必ず言うでしょう。もちろん相手が聞き入れるか聞き入れないかは、相手の勝手です。
 しかし、たった一言の忠告で救える若者もいるのだから、その人は救っておくべきです。そうした軽度のボランティアは、ごく普通の行為でしょう。

 青山氏の手紙を読むと、いつもいつも「作家志望の青少年たち」については、一言も触れていないのです。それどころか、この話題を意図的に避けているとしか思えません。
 すれ違いになっているポイントは、ここですよ。
 私は、SF評論家への個人的な怨恨もありますが、それと同じぐらいに「SF評論家の屁理屈が、作家志望の青少年たちに悪影響を与え続けてしまうこと」を心配しているのです。何しろ、私自身がだまされたのですから。

 また、「SF関係者たちに恥をかかせること」は、重大な教訓となって、後世に残るはずです。「こんな愚行を繰り返したら、世間の物笑いになるだけだ」という教訓です。
 私がSF関係者に復讐する行為は、歴史的に見ても重大な意義がある、と信じています。「数十年も続いた愚行に史上初のブレーキをかけた」のですから。
 これほど「歴史的に意義のある行為」を、青山氏は「無意味なこと」として笑うのですか?
 普通の頭脳があれば、私の言う「歴史的で重大な意義」は理解できると思うのですが。

○:かってのSF関係者が、SF味ももち、かつ作品として優れているにも関わらず、「SFとして弱い」という理由で、境界作品に高い評価を与えなかった事例がありました。それが結果として、SFというジャンル全体の衰微を招いたのです。
 「カムナビ」を、SF関係者たちが無視したのは、かってたどった轍を突き進もうとしている行為で、アホです。
 そういう意味で、青山は落胆しました。

A:そういう意味ならば、理解しました。
 SF関係者の「スコラ的な態度」については、すでに私も論じました。特に追加することはないので、「青山氏に賛成」とだけ言っておきます。

○:若桜木虔氏によれば、梅原克文は税金を払いすぎである、とのこと。節税すえるべきである。でないと、同業者も、同じぐらいの税金を要求されかねない。節税方法は、いろいろある。

A:そうでしたか(笑)。
 ちなみに私は以前、県民税と市民税とを合わせて100万円ほど払うことになるだろう、と書きましたが、違っていました。
 県民税が56万円、市民税が188万円で、こちらの合計は241万円(控除額3万円)。

 実を言うと、節税対策は面倒くさくて何もやっていないのです。
 何しろ妻子はいないし、金がかかるような趣味もありません。故大藪春彦氏のように猛獣ハンティングになんて出かけないし、高級な外車に乗りたいとも思いません。(ちなみに車を運転すると、すぐ眠くなるという事故を起こしやすい危険な体質です)。
 私の場合、収入は増えましたが、支出が増えない生活態度です。だから、銀行の預金額はじわじわ脹らんでおり、ゆえに節税対策もピンとこないのです。
 まあ、何の保証もないヤクザな稼業ですから、貯金が増えるのは好ましいことです。

 で、今、考えていることがあります。
 このままなら、私だって死ぬまでには結構な財産をため込むでしょう。
 そこで私の死後は、私の全財産をどこかの出版社に寄付して、それを基金にして「サイファイ新人賞」をスタートさせるのです。そう遺言状に指示するつもりです。
 「サイファイ」を定着させるには、これがもっとも確実な方法でしょう。
 「虎は死して皮を残し、梅原克文は死してサイファイを残す」(笑)。

******************************
 お話、変わって。
 先日、作家の阿部陽一氏(乱歩賞受賞者)からお手紙をいただきました。
 私は最近、推理作家協会の会報に、ある文章を投稿しました。「私はサイファイ作家だ。SF作家と呼ばれるのは迷惑だ」というものです。阿部氏は、それに興味を持ったそうで、質問や意見をもらいました。
 阿部氏の手紙の内容については、勝手に公表するわけにもいかないので、それは伏せておきます。
 しかし、私が阿部氏に書いた返事の中で、公開したい文章があるので、それを紹介しましょう。いい比喩だと思いますので。

【以下が引用です】

 従来のSF関係者たちは、こういう経営方針を採っていました。
「最初は、日常的な設定のSFで読者たちを呼び込んでおいて、次の段階からは、よりマニアックなSFを好む読者になるよう、洗脳する」と。
 オウム真理教そっくりの考え方です。
 だから、「SF」は失敗したのです。
 せっかく「日常的な設定のSF」で、読者たちを呼び込んでも、その後、一般人に対して、「マニアックなSFを崇拝せよ」という「非常識な思想」を強要するからです。この段階で一般人は逃げてしまい、二度と戻ってはこなかったのです。残ったのは、少数派のおたくだけでした。

 一方、サイファイは、そんなバカげた方法は採らないのです。
 「日常的な設定から開幕する超科学的・超自然的ストーリー」が、「サイファイ」の主力商品です。つまり、確実に商売になる路線に絞るのです。
 「サイファイ」は、読者に何らかの思想(SFイデア主義とか)を強要するような真似は一切しません。

 つまり、「SF」は、「上九一色村のサティアン」だったのです。
 一方、「サイファイ」は「遊園地」です。「遊園地」に「思想」は無用です。

 ゆえに、私は「サイファイ」の勝利を確信しているのです。
 確かに「サイファイ」が定着するまでには、長い長い時間がかかるでしょう。
 しかし、「サイファイ」は、SFの失敗要因をあらかじめ排除したところから、出発するのです。ゆえに、成功が約束されているのです。

【以上が引用です】

******************************
 お話変わって。
 今後は、私も「サイファイ作家」を名乗るつもりです。「カムナビ」の時は、まだ時期尚早かな、と迷っていましたが、今は決断しました。
 6月発売の「小説すばる」には、「サイファイ・ホラー」というコピー付きで、「冬人夏草」という短編が載っています。
 千里の道も一歩から、です。

 では、また。
      草々



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