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梅原氏からの手紙01月04日

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 青山 智樹 様
2000・1・4

 年賀状は送りましたが、もう一度、あけまして、おめでとうございます。

 さて「カムナビ」ですが、6版、6万9000部に到達しました。
 上下二巻で合計3500円もする小説にしては好成績だそうです。角川書店以外の出版社の編集者たちからも、そう言われました。

 「このミステリーがすごい。2000年版」では、「カムナビ」は国内17位でした。
 ちょっと、がっかりしました。
 が、仕方ないでしょう。
 一つは「駆け込み乗車」です。人気投票の締め切り日まで、あと一ヶ月ぐらいという時期に、二千枚の超大作! 読むのが間に合わなかった投票者たちも多かったでしょう。
 二つ目は、私も、すでに中堅作家だということです。ありがたいことに必ず固定客が買ってくれるので、「初版1万部で終わり」ということはまずありえないのです。「週刊ポスト」の「売り上げベスト10」にも、5週連続ほどランク・インしました。
 となると、投票者たちも、まだ売れていない新人作家を応援する方に気が向くでしょう。
 三つ目は、「このミス」における私の立場が、相撲の用語で言えば「サイファイ部屋からの出稽古力士」だということです。つまり、元々、弱い立場なのです。何しろミステリー作家やハードボイルド作家は大勢いますから、彼らを押しのけて10位以内や20位以内に入るのは、「出稽古力士」にとっては大変苦しい競争なのです。
 逆に言うと、ミステリー作家やハードボイルド作家から見れば、私は「邪魔者」という一面もあります。私さえいなければ、ランクインしたミステリー作家が一人以上いたのですから。

 というわけで、私も多少でかい面をさせていただき(笑)、作家予備軍の青少年たちに言いましょう。
 「青少年よ、ミステリー部屋に出稽古に行け! SFサティアンの中で、君の人生を腐らせるな! SFサティアン内部での正大師の地位なんか何になるのだ! 青少年よ、大志を抱け!」と。
 いかがです? 旧SF関係者たちの弱々しい自虐的な台詞と、梅原克文の力強いメッセージの違いを聞き取っていただけましたか?

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 何と12月19日に、富山の大型書店でサイン会をやりました。生まれて初めてです。
 客数は、一時間で五〇人以上というところでした。私は、まだそれほど知名度が高いわけでもないですから。
 ほとんどのお客に「カムナビ」上下巻の両方にサインして、「**さまへ」と相手の名前も書きました。だから、一人当たり一分ぐらいかかりました。

 女性と男性の比率は、6:4か、7:3ぐらいでした。
 これはディーン・クーンツ「ベストセラー小説の書き方」にも書いてあった通りでした。
 いろいろな調査結果から見ても、活字小説の熱心な読者は、男性より女性の方が多いのです。ゆえに女性読者が読むことを念頭において書くのが、小説家の販売戦略です。クーンツも、そう主張しています。
 「カムナビ」も、その辺は考えて書いたつもりです。

 他に、おもしろいことに気づきました。
 女性は、新作の「カムナビ」にサインを求める人が多かったのです。
 ところが男性は、「二重螺旋の悪魔」の角川文庫版や、朝日ソノラマ新書版を持ってきてサインを求める人が5、6人いました。
 たぶん、これは「二重螺旋の悪魔」のアクション・シーンの多さが、男性には受けているからでしょう。
 何だか男性客からは、「『カムナビ』よりも、『二重〜』みたいな作品を書け」と言われているみたいでした。
 となると、アクション・シーン満載の小説も、また書かねばならないでしょう。
 しかし、それだと女性はやや敬遠するのかもしれない。
 あちらを立てれば、こちらが立たず……。
 結局、私の生産速度の遅さが問題です。

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 さて、今回は新たな論点があります。
 アーサー・C・クラークへの批判です。
 つまり、彼の代表作「幼年期の終わり」こそが、SF関係者たちに「2400年も時代遅れなイデア主義、プラトン主義」を植えつけたのではないか?
 その疑いが見えてきたのです。

 「幼年期の終わり」のあらすじは、「地球人類がさらに進化して超人類になっていく」というものです。これは我々に未来への希望を与えてくれるような作品ではあります。
 しかし、「幼年期の終わり」は、現在に至るまでSF関係者たちの心に、オウム真理教のような「イデア的害毒」を植えつけた作品だ、とも思えます。
 なぜなら、「今の地球人類がさらに進化することはありえない」からです。

 養老孟司氏の著作『唯脳論』によれば、人間の脳は一〇万年前に進化が終わってしまったのです。そして、それから現在まで、変化も進化もないのです。
 この事実と経験則から見ても、人類がさらに超人類へと進化することはありえそうもないのです。

 ところが、クラークの「幼年期の終わり」は、それが「ある」という結論を出して、物語を終えているのです。
 もちろん作り話に過ぎないのですから、どんなお話を作っても、それは自由です。
 しかし、「作り話と現実を混同してはならない」のです。「超人類への進化」をどんなに美しい物語に仕立てても、それは「絵に描いたモチ」です。食べられないのです。そうした一般常識を忘れてはならないのです。
 しかし、多くのSF関係者は、「幼年期の終わり」から悪影響を受けて、「作り話と現実を混同した」ようです。
 SF関係者は、「我々は無制限に進化できる」と信じてしまったようです。
 その結果、どうなったのか?
 「無制限の進化」という「存在しないイデアを追求するようになった」のです。

 ここで、マニアや、おたくによく見られる心理状態について考察しましょう。
 まず、マニアや、おたくとは何か?
 私見で定義するなら、「パターン化された大衆娯楽作品を味わい尽くしてしまい、パターンに飽きてしまった人たち」です。
 ゆえに、「パターン化された大衆娯楽作品を楽しんでいる普通人たちをバカにするような視点」を、マニアや、おたくは持ち始めます。
 つまり、こんな心理状態です。
 「愚民どもときたら、まだパターンが見破れないのか? パターン通りの物語を未だに楽しんでいる奴らなんて、パブロフの犬も同然だ。低脳だぜ。
 それに比べて、おれたちは何と知的で、高級で、進化していることか。もうパターン通りの物語になんか興味はないね。おれたちは、一般人には理解できないような難解な物語まで楽しめるんだぜ。けけけ」
 と、こんな風にエリート意識を持ち始めます。
 もちろん、これは錯覚です。

 実は普通人の場合は、物語という娯楽を「時々、つまみ食い」しているだけなのです。だから、普通人は物語に対して常に「空腹」であり、「パターン化された大衆娯楽作品」に対しても全然、飽きがこないのです。
 一方、マニアや、おたくは「物語」を食べ過ぎて、飽き飽きした状態です。だから、彼らは、普通とは異なる味わいの物語でないと、食欲がわかない状態なのです。
 つまり、マニアや、おたくが抱いているエリート意識ときたら、まったく根拠のない勘違いなのです。
 マニアや、おたくは知的でもなく、高級でもなく、進化もしていないのです。彼らの正体は、「食べ過ぎて、普通の料理に飽きた奇人変人」に過ぎません。

 ところが、そうしたマニアや、おたくに「幼年期の終わり」は悪い影響をもたらしてしまったようです。
 つまり、「幼年期の終わり」が「人類から超人類への進化」を主題としているため、SF読者たちにおかしな錯覚を与えてしまったのです。
 たとえば、こんな感じです。
 「マニアや、おたくという人種は、旧来の物語パターンを見破り、それに飽きてしまい、超越してしまった。ゆえに、おたくとは、普通人よりも進化した超人類への第一歩である」と。
(実は、私自身も同じような勘違いにハマっていた時期があります)

 そして、マニアや、おたくは「さらなる無制限の進化があるはずだ」と思いこんでしまったのです。
 最終的には、彼らはこう信じてしまったのです。
 「超メタ言語的な小説こそ、現代SFへの進化だ。これこそ超人類のための小説文化だ」と。
 実際には、これは「普通の料理に飽きてしまった変人が、コウモリの姿焼きといったゲテもの料理にまで手を出してしまった状態」です。
 進化ではありません。
 バカです。

 こう考えてくると、クラークの「幼年期の終わり」が名作と言えるかどうか、私には疑問に思えてきました。
 これは、むしろ悪書ではないでしょうか? 実現するはずのない無駄な希望を、SF関係者に与え続けてしまったのではないでしょうか?
 オウム真理教の教祖が説いた、「ハルマゲドンの後に、幸福に満ちた千年王国がやってくる」といったインチキ教理と同じではないでしょうか?
 アーサー・C・クラークは、松本智津夫と類似した罪を犯したのではないでしょうか?

 つまり、クラークに表現者としての良識があったならば、「作り話を、本気で信じてはいけない」と大声で言う義務があったはずです。しかし、彼はあまりにも物事を楽観的に見過ぎていて、自分の失策に気づいていなかったのでしょう。
 何しろ、「ジャンルSFは徹底的に自滅した」という、文化史的に見ても非常に珍しい事実があるのです。この問題の根っこは相当深いと見るべきでしょう。
 これはミステリーに例えるなら、「アガサ・クリスティーやエラリー・クイーンが、ミステリーの自滅のタネを蒔いてしまったような状況だ」と言えるでしょう。

 というわけで、私は「アーサー・C・クラーク犯人説」にまで行き着きました。彼こそが「破滅への最初の引き金」だと確信しています。
 幸いなことに、ヴェルヌやウエルズにまで責任追及の手を伸ばす必要はなさそうです。さすがに元祖と開祖に、こんな失策はないようです。
 しかし、中興の祖といったクラーク以降の作家たちの責任は、今後も疑うべきでしょう。
 「サイファイ」が、「SF」の二の舞にならないように気をつけるためです。

 もちろんクラークや、クラーク・ファンたちに「SFを自滅させよう」といった悪意があったわけではありません。
 ここで、また欧米の格言を引用しましょう。
 「地獄へ至る道は、善意という名の石畳で舗装されている」

 では、また。
草々


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