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梅原氏からの手紙7月19日

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 青山 智樹 様
1999・7・19

 前略
 今の私は、ゲラ刷り(試し刷り)ができるのを待つ状態です。
 角川書店の高根澤氏は、「カムナビ」の発売を「9月目標」と言っていました。
 まあ、9月末ぎりぎり、と考えればいいでしょう。
【青山注:業界ではゲラが出回っているようだ。梅原氏が以前書いていたように宣伝のためにゲラ段階で作品を評論家などに見せることがある。一部では十月説が出ている】
 さて、「ネット上の掲示物をプリント・アウト禁止で、第三者に見せるな」の件です。
 これについては、私に見せたのが間違いですよ!
 私はインターネットをやらない人間です。だから、青山氏が郵送してこなかったら、私が瀬名氏の発言を知る機会もなかったのです。
 それに、インターネットをやらない主義の私には、そういうインターネット内のローカル・ルールなんて、関係ないのですよ!
 別に法律的な規制も罰則もありませんからね。

 で、その後の顛末をご報告しましょう。
 瀬名秀明氏は、私の反論に対して、A4紙に二十数枚もの長大な手紙を送ってきました。ところが、根本的なところで、大矛盾を抱えていた手紙でした。
 そこで、私は、それを指摘しました。

【1615字削除:主張の一部を抜き出して議論するのは正統な議論にならない】

 さて、私と青山氏との間には、まだ細かい点で、同意ができないところがあります。
 しかし、これについては「個人差」という言葉で済ませることができるでしょう。根本的な対立ではないですからね。
 ゆえに、私は青山氏と議論する必要性も、もう感じなくなりました。
 今後は、お互いの「個人差」を認めよう、という大人の態度でいいでしょう。

 しかも、先月6月に小松左京先生らが、「宇宙作家クラブ」を立ち上げるという「大事件」が起きました!
 これは私が主張していたことが、ほとんど実現した状態です!
 つまり、以下の主張です。
 「形式とは、より細分化していくことがある。だから、その実態に合わせて、旧来のジャンル名を捨てて、新しいジャンル名を付け直し、ジャンル名もジャンル自体も適時、細分化していく必要がある。旧SF関係者は、それを怠ったから、そのツケを払わされて、氷河期に陥った」

 今まで見聞した情報によれば、「宇宙作家クラブ」とは、「近未来シミュレーション宇宙開発物語」&「スペース・オペラ、宇宙冒険活劇」といった二つの形式の作品に絞り込むコンセプトのようです。そういった作品を世に送り出す集団である、という方針のようです。
 つまり、明確な形式分類が成されているのです!
 すばらしい!
 改めて、「宇宙作家クラブ」にはバンザイ三唱を送ります。
 バンザイ! バンザイ! バンザァァァイ!

 細かいことを言えば、「宇宙作家クラブ」に対して、私が評価するポイントと、青山氏が評価するポイントは異なっているでしょう。
 しかし、細かいことは、どうだっていいのです。大筋で合意できる点があれば、それでOKです!
 たとえば今まで、私が「日本SF作家クラブ」を批判してきたのは、「根本的に同意できないから」でした。
 しかし、「大筋で同意できる状況になった」のならば、細かいことは口にしないのが、「大人の態度」でしょう。
 というわけで、私が「日本SF作家クラブ」を批判するのも、これで終わりです。
 「明確な形式分類」を見事に打ち出した「宇宙作家クラブ」が存在するのですから、私としては、もう言うことはありません。
 論争の終了宣言を出します。

 青山氏も「宇宙作家クラブ」の会員だそうですね。
 おめでとうございます!
 今後も皆様の、益々のご活躍とご発展をお祈り申し上げます。

 さて、私が「宇宙作家クラブ」に入会するか否かについては、結論を先送りにします。
 というのは、私は「細かく形式分類しろ!」と主張した当事者だからです。
 つまり、私が主張した「SCI-FI、サイファイ」とは、スピルバーグの「未知との遭遇」、マイクル・クライトンの「ジュラシック・パーク」、ディーン・クーンツの「ウォッチャーズ」、TVドラマ「XーFILES」などを、一つのグループと見なす新ジャンルです。
 定義するなら、「現実的で日常的な舞台設定から、徐々に超自然や超科学の領域へ踏み込んでいく大衆娯楽ストーリー」です。
 この形式の中には、「近未来シミュレーション宇宙開発物語」や、「スペース・オペラ、宇宙冒険活劇」といった形式は含まれていないのです。また、含むべきではない、と思います。
 それも含むと、また「旧SF」の大失敗を繰り返しかねないでしょう。
 よって、今の私は「宇宙作家クラブ」への入会は希望しません。

 将来、私が「宇宙作家クラブ」の趣旨に沿った作品を書いたら、その時は青山氏に推薦をお願いいたしします。
 もし、そうなったら、「梅原克文は、サイファイと、近未来シミュレーション宇宙開発物語、という二つのジャンルを手がける作家」ということになります。

 繰り返しますが、あくまで両者の形式は異なるのです。
 論争は終わりにしますが、今後も以下のポイントについては、警鐘を鳴らし続ける必要はあるでしょう。
 「必要な時には、ちゃんと形式ごとに分類しなおせ! なぜなら、形式を越えたSFイデアの価値など存在しないからだ! そんなものを信じるのは、二四〇〇年も時代遅れのプラトン哲学への逆戻りだ! 自滅への道だ!」

 あと三点、補足しておきましょう。
 SFは、出版業界では「死語」です。だから、私も今後は使いたくありません。
 使うとしたら、サイエンス・フィクションか、サイファイ、近未来シミュレーション宇宙開発物語、スペースオペラという風に、「一形式ごとに一ジャンル名」として、いちいち区別するつもりです。

 二点目は、提案です。
 「近未来シミュレーション宇宙開発物語」ですが、このままでは長すぎますね。すると、考えられそうな候補は、以下の二つでしょうか。
1.近未来宇宙小説
2.シミュレーション宇宙小説(シミュレーション戦記ノベルズの応用です)

 他の例を見回してみると、「シミュレーション戦記ノベルズ」のように、「かなり長いジャンル名が定着してしまった」という事実があります。(まあ、「架空戦記」というラベルもありますが)
 ならば、上記に相乗りする形で、「シミュレーション宇宙小説」と紙帯に銘打って出版する手は充分、使えるでしょう。
 このネーミングなら、大衆読者にとっても、わかりやすいし、手にとってもらいやすいし、買ってもらいやすい、という利点は産まれるでしょう。

 長年、SF関係者や、SFマニアをやってきた人には、「シミュレーション宇宙小説」などというネーミングは、「ダサい、カッコ悪い」と感じられるかもしれません。
 しかし、今は「大衆読者から見て、わかりやすく、受け入れやすいか否か」こそが最優先ポイントです。他は些末なことです。
 ここから先は、「宇宙作家クラブ」の会合や、インターネットで、どうぞ、皆様でご相談ください。

 三点目は、こうです。
 私は「イデア主義をすべて否定するのは、やりすぎだ」という結論にも達しつつあります。
 つまり、「軽度のイデア主義」と、「末期症状的なイデア主義」の二つが存在するのではないか、と思い始めたのです。
(私は、「適時、より細分化した分類を行うべきだ」と主張してきました。ここでも、それを試みています)

1.「軽度のイデア主義」とは、こうです。
 「イデア的な価値へのこだわりが、自分の胸中にあることを自覚している。だが、それでいて、イデアなど実在しないことも承知している」
 これは、健全な社会人の考え方です。

2.「末期症状的なイデア主義」とは、こうです。
 「この世の商品価値など否定しても構わない。なぜなら我々は、この世の次元を越えた、より高次元のイデアの価値を知っているからだ。つまり、我々こそ、この世を超越したスーパー・エリートなのだ。なのに、世間の愚民どもは、崇高な我々の存在意義を理解できず、それどころか我々を迫害し、弾圧するのだ。こんな世の中は間違っている」
 これは、典型的なオタクの視点であり、オウム真理教のレベルにまでイッてしまった考え方です。自滅への道です。

 自分自身を振り返ってみると、「軽度のイデア主義」ならば、梅原克文の中にもあるかもしれないのです。
 つまり、私個人の願望を言えば、「サイエンス・フィクション=サイファイ」が、この世で超一流ランクの文化であって欲しいわけです。
 しかし、実際には、サイエンス・フィクションは「未来永劫、三流以下にしかランクされない文化」です。そうした現実も、私は理解しているのです。
 「個人」と「社会」とは、このように矛盾するのが、むしろ当たり前の状態なのです。
 そして、こうした「解決不可能な矛盾」を受け入れて、それを背負ったまま生きていくのが、「大人の態度」です。他に道はないのですから。

 以上を最後に報告し、論争の終わりとしましょう。

【仕事の話:1500字削除】

*******************************

 お話、変わって……。
 「STAR WARS EPISODE-1」を観ました。
 CGは文句のつけようがない出来映えです。さすがはILM。

 しかし、シナリオはひどいものでした。
 これが待たされたあげくに、やっとお目にかかれた「STAR WARS」の新作とは……。
 たぶん、今のジョージ・ルーカスは、ルーカス・フィルム社内で絶大な権力者になっているのでしょう。
 そのため、誰も以下の台詞が言えなかったのでしょう。
 「ヘイ、ジョージ。このシナリオ、ベリー・シットだ!」

 以下、6項目に分けて、書きましょう。
(1)
 「EPISODE-1」の最大の問題点は、悪役たちが全然、憎たらしい人物像として描かれていないことです!
 つまり、「悪役の極悪非道ぶり」というものを、あまり具体的に描いていないのです。これは、シナリオ・ライター用語で、「キャラクターが売られていない」と呼ぶ「悪い例」です。
 だから、主人公たちが悪役たちと闘わねばならない動機づけや理由が、切実なものとして観客の胸に伝わらないのです。
 ゆえに、最後に主人公側が勝利して、主人公側が喜ぶ場面になっても、観客はそのカタルシスを共有することができません。白けた印象が残っただけでした。

(2)
 さて、私は、青山智樹氏のホームページに「バディ・ムービー(相棒映画)に学べ」という文書ファイルを登録してもらったはずです。
 詳しくは、その文書ファイルを参照してください。
 その上で、「EPISODE-1」をバディ・ムービーの方程式で処理してみましょう。

 まず、人物設定ですが、二〇代後半のオビワン・ケノービと、一〇代終わり頃のアナキン・スカイウォーカーがいいでしょう。
 この二人は、それぞれ異なる環境で、それぞれの人生を歩んできました。当然、二人はまったく異なるタイプの人物です。
 たとえば、オビワンは「エリート階級のお坊っちゃん」で、アナキンは「スラム街の不良少年」にします。(こういう対照的な人物設定が、基本の基本)
 二人はある事件をきっかけに出会います。そして共通の目的が生まれたので、二人はコンビを組み、相棒になります。
 二人はお互いに反発しながらも、友情が生まれます。
 最後に、二人は一致協力して、悪役ダース・モールを退治して、悪の陰謀を打ち砕くのです。

 どうです?
 上記の方が、おもしろそうな「EPISODE-1」だと思いませんか?

 当然、クワイ・ガン(リーアム・ニーソン)は「出番の少ない脇役」になります。
 クイーン・アミダラは、オビワンや、アナキンにとっての「憧れのマドンナ」の設定でしょう。よって、三角関係ラブ・ストーリーの場面をいくつか用意するわけです。つまり、彼女も「脇役的なヒロイン」の扱いでいいのです。

(3)
 こうして、バディ・ムービーの方程式と比較することで、「EPISODE-1」の第二の問題点が浮かんできました。
 つまり、「誰が主役なのか、明確でなかったこと」です。
 「全体を通しての主役は、一人か二人ぐらいに絞り込まなければならない」のであり、それが方程式なのです。

 実際、「EPISODE-1」は前半だけ観ると、クワイ・ガンと、アナキン・スカイウォーカーが「主役の扱い」です。
 ところが、後半になると、一転して、クイーン・アミダラが「主役の扱い」になってしまうのです。
 だから、前半と後半が有機的に結びつかず、観終わった後、散漫な印象しか残らないのです。
 その上、方程式から言えば、「主役」であるべきはずのオビワン・ケノービ青年は、単なる「使い走り」の役割しか与えられていません。これも重大な欠点です。

(4)
 「EPISODE-1」の、第三の問題点も、これで明確になってきます。
 ダース・ベイダー=アナキン・スカイウォーカーが、可愛らしい六、七才の坊やとして登場するなんて、あまりにも不自然すぎるのです! 奇をてらいすぎた人物設定です!
 アナキンは成長した後、悪役ダース・ベイダーになる人物です。それは、わかりきっているのです。
 ならば、最初から不良少年として登場すればいいのです。その方が無理のない、自然な人物設定であることは、明らかでしょう。
 ところが、「EPISODE-1」は、意外性はあるものの、あまりにも不自然すぎる人物設定で物語を始めてしまいました。だから、バディ・ムービーという黄金パターンから外れていかざるを得なくなり、全体を破綻させてしまったのです。

 本来あるべき「EPISODE-1」は、以下の形でしょう。
 十代終わりぐらいの不良少年アナキンが、オビワン・ケノービ青年と出会うことで善人に生まれ変わり、ジェダイ騎士となるまでを描く、「宇宙版・三銃士」です。これこそ黄金パターンでしょう。

 そして「EPISODE-2」では一転して、アナキンの堕落を描く悲劇ストーリーにすればいいわけです。

(5)
 結局、ジョージ・ルーカスの脚本家&監督としての実務能力は衰えてしまっていたことが今回、証明されたわけです。
 となると、「EPISODE-2、3」では、ルーカスはまたプロデューサーに戻って、他人に脚本と、監督を依頼するのかもしれません。その方が無難でしょう。

 ちなみに富山市内の映画館は、「EPISODE-1」の上映を二週間で打ち切るようです。23日まで、と新聞に載っていましたので。

 では、また。
      草々

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