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梅原氏からの手紙4月19日

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 青山 智樹 様
1999・4・19

 前略
 毎回、ご返事をありがとうございます。

・「新ブランド名の件について」
 さて、「大衆娯楽サイエンス・フィクション」の新ブランド名の案ですが、やはり「SCI-FI、サイファイ」かなあ、と思いなおしているところです。
 前述しましたが、商品名を付ける時は「カ行」や「タ行」の音節を入れることが常識になっているそうです。その方が力強い音声になり、消費者にアピールするからです。逆に、「サ行」や「ハ行」の音節は、弱々しい感じがするから避けるそうです。
 となると、「サイファイ」は悪いネーミングなのです。よって、考え直そうと思い、「SCI-FICT、サイフィクト」を暫定案としました。

 しかし、ここで別の問題に突き当たりました。
 アメリカでは、すでに「SCI-FI、サイファイ」が定着している、という事実です。何しろ「サイファイ・ユニバース」という映画&テレビ雑誌が出版されているぐらいですからね。その雑誌の表紙の写真が「Xーファイル・コンプリート」という本にも載っています。
 となると、「サイファイ=大衆娯楽サイエンス・フィクション」は、すでにアメリカで固有名詞として定着しているわけですから、やはり、これを使えばいいのではないか、ということです。
 これは、キーボードの問題と同じでしょうね。つまり、「QWERTY配列キーボードが不便なキー配列だとわかっていながら、合理的な親指シフト・キーボードに取り替えることができない」というケースと似ているのです。
 「サイファイ」は悪いネーミングだとわかっていても、これしか選択肢がないような気がするのです。まあ、今後も気長に他のブランド名も考えますが。

・「鳩よ」や、「噂の真相」に、我々の往復書簡が取り上げられていた件」
 マスコミ・メディアは、この件にはあまり関心を持たないだろう、と私は思っています。
 というのは、すでに「SF」は事実上、死語だからです。だから、この話題を取り上げても、雑誌の売り上げ増加には結びつかないらしいのです。
 それと、もう一つ、理由が考えられます。マスコミ・メディアの社員の中に、SFイデア真理教信者がいるケースです。その場合、そういうメディアは、梅原克文の主張なんて取り上げないのです。現にSFマガジンは、梅原克文への反論すら絶対に載せなくなったぐらいですから。
 ゆえに、今後も取り上げる雑誌がちらほらと出てくるでしょうが、出版社サイドにしてみれば、あまり大きな反響も期待できないので、マスコミ・メディアは、また無関心な状態に戻りそうな気がします。
 この問題の厄介なところは、そこなのです。
 大衆にとっては、「SF」の二文字なんてどうでもいいから、もはや人々の話題にすらもならないのです。逆に、今は「ホラー」を謳い文句にすれば、そちらには関心を持ってくれるわけです。

・「梅原克文のケアレス・ミス(人名の誤記など)を指摘して、反論してくる連中について」
 今後、青山氏は、反論してくる関係者に、以下のように言ってください。
 『梅原克文の住所を教えますから、直接、本人に手紙を書いて反論したら、どうですか? それと梅原克文が東京に出てくる機会もあるし、彼もそういう時に直接、関係者と会って議論したいそうですよ。もし梅原が上京したら、すぐ連絡しますから、彼と会ってください』
 たぶん、これで****氏も、****氏も沈黙するでしょう。

・「****氏が、『批判するのは、もうやめてくれ』と泣き言を言ったという件について」
 ならば、私はこう言います。
 『私は少年時代から、「SF作家」という肩書きを名乗ることを夢見ていた。なのに、今では大衆読者が、このラベルを嫌うため、出版業界では使用禁止になり、名乗れなくなってしまったのだ!
 そうなった理由は、SF関係者が「大衆受けしない実験小説」を指して、「これが現代SFだ」などと主張していたからだ。
 こんな風に大衆の好みを無視し続けていたから、大衆は「SF」の二文字を嫌うようになったのだ。
 おかげで商売のために、今の私は「ホラー作家」を名乗るしかないのだ。当然、作品の内容も、今は「ホラー」を意識して書くしかないのだ。
 「SF作家になりたい」という私の少年時代からの夢は、日本SF作家クラブによって完全に潰された! これこそが、私が被った被害だ!
 だいたい、『批判するのは、もうやめてくれ』とは何事だ! いい年した大人の言う台詞か! 何一つ問題を解決せずに、その場しのぎだけすればいい、といった腐った根性が見え見えだぞ!
 まだ文句があると言うのなら、日本SF作家クラブは、梅原克文に対して名誉毀損で訴訟を起こしたら、どうだ? いつでも受けて立つぞ! 法廷で争おうではないか! こっちも営業妨害で訴えてやるぞ!』

 そもそも、「SF」と「SF作家」のラベルが大衆読者から嫌われるという最悪の事態は、日本SF作家クラブが自ら招いた失敗ですよ。
 もし一般企業が、これほどのイメージダウンを招いたら、社長や重役たちは全員クビになるでしょう。倒産することだってありうるでしょう。今は、まさにそういう事態なのです。
 批判を浴びるぐらい当然の報いです!
 ****氏は、私に批判されるのが嫌なら、さっさとSF作家クラブなんか脱会すればいいのです。
 そして後輩たちのために、一日も早く日本スペース・オペラ連盟を旗揚げしてください! それが先輩たる者の義務のはずです!

・「***氏への疑惑について」
 疑惑どころか、もう私は確信しています。【バレるので、一六〇字削除】

 しかも、依然として、SFマガジンの誌面には、徳間書店側と協調する姿勢がありません。たとえばSFマガジン関係者たちは記事の中で、SF大賞受賞者【実名が上げられていたが伏せる】に対して、「受賞おめでとう」の言葉を一言も書かなかったのです。【差し障りがあるので三五〇字削除:要は梅原氏によるSFマガジン、早川書房批判】

・「柴野先生との絶交について」
 青山氏は論点を誤解しているようですね。
 「柴野先生は何が何でも神林長平を支持する態度を取っている、と梅原克文は思い込んでいるようだが、そうでもなかった」と、青山氏は書いていましたね。
 確かに、私が言葉足らずだった部分もありますから、論点を説明します。以下の通りです。

 梅原克文の作品と神林長平の作品は、まったく別々の形式です。当然、両者は別々のジャンルなのです。
 ところが、柴野先生は「形式超越イデア主義者」なのです。別々の形式の作品なのに、梅原克文も神林長平も同じ分類項目に入れてしまうのです。その理由は「両者の背後に、SFイデアが透けて見えるからだ」というところでしょう。
 しかし、私の目には「イデア」なんか見えません。「形式」しか見えないのです。
 ゆえに、「形式分類主義者」の私は、「2400年も時代遅れのイデア主義には付き合ってられない」のです。
 繰り返しますが、梅原克文と神林長平とは、別々のジャンルです。しかし、柴野先生は、この単純な事実を受け入れてくれないのです。

 つまり、柴野先生が神林長平を支持することぐらいは、私はOKなのです。(この点が、前回は言葉足らずでした)
 私としては、「二つの形式は二つのジャンルを生む」という事実を、柴野先生に認めて欲しいのです。梅原克文と神林長平とを別々のジャンルに属する作家として、区別して欲しいのです。
 区別するためのラベルは存在します。アメリカで、すでに使われている「SCI-FI、サイファイ、大衆娯楽サイエンス・フィクション」を受け入れて、それは「SF」とは別ジャンルである、と言えばいいのです。

 その上で、柴野先生が神林長平を支持するのなら、私は構わないのです。その場合は、私と神林長平はまったく住む世界が異なるわけですから、お互いに交友関係が発生することもないのです。今だって、付き合いはありませんからね。
 一方、柴野先生は、「二つのジャンル」の間を往復して、ある時は「サイファイ作家の梅原克文」と付き合い、ある時は「SF作家の神林長平」と付き合えばいいのです。
 こういった「形式分類主義」の視点を、長老格の柴野先生が持っていなかったのは本当に残念無念です。

・「その昔、福島正実氏が日本SF作家クラブから、翻訳家の柴野先生を排除した件について」
 まあ、死人に口なしですから、福島氏の真意は今も謎です。
 ただ、「私が福島氏の立場だったらプロフェッショナルな態度で、こう考える」というイメージが浮かんだのです。それが今の私の「サイファイ構想」とそっくりだ、という気がしたのです。つまり、プロフェッショナリズムにこだわり、アマチュアイズムを徹底的に排除する、という態度です。

・「分類項目」
 そろそろ、このホームページの読者たちも、問題の本質を理解したのではないでしょうか。
 つまり、分類項目そのものには何の価値もない、ということです。
 分類項目とは、「それに価値がある」と大多数の人が信じた時だけ、価値を持つのです。
 大多数の人々が、その分類項目を見捨てた時、価値は消えるのです。

 もう一つは、分類項目に主導権はない、ということです。
 分類項目とは、現実を後から追いかけるだけのものなのです。その逆はありえません。
 なのに、分類項目の側に主導権がある、といった誤った視点を信じているのが、「2400年も時代遅れのイデア主義者、プラトン主義者」なのです。言うならば「分類項目イデア主義」です。

・「王様に、いくらでも悪口を言えるピエロの存在」
 こうしたピエロの必要性は、青山氏にもわかってもらえたようですね。嬉しいです。
 今の日本SF作家クラブや、SFマガジンがダメになったのも、悪口を言いたい放題に言えるピエロがいなかったからです。

・「評論家について」
 前述した通り、現在の私は、評論家の責任よりも、評論家の仮面を被った「おたく」に発言権を与えて、甘やかしてしまうメディアの責任を重視します。
 つまり、早川書房と、****社の責任です。結局は****と****の責任です。さらに言えば日本経済新聞と、朝日新聞の責任でもあります。
 「おたく」にマス・メディア上での発言権なんか与えるな、と私は言いたいです。

・「新人賞について」
 今の風向きを見ると、日本SF新人賞は「大衆娯楽SFの路線」を選ぶだろう、と少し期待しています。
 しかし、前途多難なトロフィーに見えますね。賞金も、角川書店の日本ホラー大賞よりも安いですし。

 「スペース・オペラ新人賞の提案」については、「こういう視点が現実的ではないか?」という問いかけでした。実現の可能性は別として、私の真意は徐々にわかってもらえるでしょう。
 だって、「ダーティー・ペア」にも、「銀河英雄伝説」にも、「星界の紋章」にも、日本SF大賞が与えられないことは明らかです。つまり、「スペース・オペラ作家が書いたスペース・オペラ作品」には、日本SF大賞や、日本SF新人賞は与えられないのです。これは明々白々の事実です。
 本当は、別ジャンルとしてのスペース・オペラ新人賞、スペース・オペラ大賞があればいいのですが。

【言及されている人物から異議が上がるのが明白なので一四〇字削除】
 まあ、世代交代する時を気長に待ちましょう。どうせ、****も****も、我々より先に逝くのです。この勝負は、新世代の我々が勝つことは確定しているのです。

・「梅原克文の真意について」
 青山氏は、こう書いていましたね。
 『梅原克文は、自分がSF界を盛り立ててやると思っていた。だが、日本SF大賞は梅原ではなく、神林長平の「言壺」に授与された。そこで梅原は、こう見た。SF界は売れる作品よりも、イデア的な神林長平を選んだ、と。これが、現在の梅原の批判的態度を生んだ』

 そのとおりです(笑)。
 だって、「ソリトンの悪魔」は由緒正しい伝統主義派のサイエンス・フィクションですよ。なのに、日本SF大賞がもらえず、その代わりに推理作家協会賞がやって来たのですから。
 まったく推理作家協会とは何という心の広い団体でしょうか! 「ソリトンの悪魔」をミステリーの範疇に入れるのは無理があると思うのですが、それでもトロフィーを与えてくれたのです。
 それに比べて、SF作家クラブというのは精神異常者の団体か、と思いました。
 まあ、今になって、宮部みゆき氏や瀬名秀明氏、井上雅彦氏に日本SF大賞や特別賞を授与し始めて、あの団体も、やや正気を取り戻したようですが。

・「すでにSF大賞、SF新人賞を主催している時点で、日本SF作家クラブが親睦団体に過ぎない、というのは強弁であろう」

 まったく、そのとおりです!
 どう見ても、現在のSF作家クラブは、親睦団体ではありません。
 賞金付きのトロフィーを創設した段階で、「出版業界における広告塔の役割」を自覚しなければならなかったのです。つまり、「商売第一」という職能組合の姿勢を自覚することです。
 しかし、従来のSF作家クラブときたら、親睦団体なのか、「商売第一」の職能組合なのか、性格がはっきりしない団体だったのです。それが自滅の幕開けだったわけです。

 逆から考えると、日本SF大賞という賞金付きトロフィーそのものが不要だったような気もしますね。つまり、そうした賞金付きトロフィーなどを設けなければ、純粋な親睦団体のまま、平和に過ごせたからです。それだったら、特に問題は起きなかったのかもしれません。

 しかし、今から、そんなことを言っても時間は逆回しできません。
 日本SF作家クラブは自ら活字SF氷河期を招いたのであり、新世代の我々までも不毛な永久凍土の世界に引きずり込もうとしたのです。その罪を、私は糾弾し続けます。
 繰り返しますが、日本SF作家クラブが梅原克文に文句があるのなら、名誉毀損で訴えたら、いかがですか? 私は、それを望んでいるのです。そうなれば****や、****を法廷に引っぱり出せるからです!

・「インターネットについて」
 実はNTT富山支局に行くと、無料サービスでインターネットができるのです。端末は5、6台ありますし、使えるのは平日の昼間の時間帯だけですから、利用者も少なく、いつ行っても端末のどれかは空いています。その上、私は勤務時間に束縛されない自由業者です。
 だから、私もインターネットは利用できるのです。

 SFおたくが運営するホームページなどは、私も見てみました。そして、がっかりしました。相変わらず、「梅原克文の法則」を受け入れず、勝手な屁理屈や、自分だけの思いこみを主張しているだけの連中ばかりでした。

(念のため、注釈です。梅原克文の法則とは、こうです。養老孟司氏の著作『唯脳論』によれば、人間の脳は一〇万年前に進化が終わってしまったのです。つまり、ハードウエア=脳は保守的な代物です。だから、ソフトウエア=文化も保守的な大衆娯楽路線であることによってのみ繁栄できるのです。ゆえに、実験小説を指して現代SFだ、などと主張するのは自滅への道だったのです)

 私にとっては、アマチュアの勝手な屁理屈や、自分だけの思いこみの文章なんて、読んでも不愉快になるだけであり、やめてしまいました。
 実際、読んで失望しました。インターネット利用者のくせに、ハードウエアとソフトウエアの関係も理解できないバカが、こんなにいるとは! おまえらは、自分が使っているパソコンの仕組みもわからんのか!

 青山氏のホームページへのアクセス数が一万三千回と聞いただけで、私としては充分です。一人十回としても一三〇〇人ぐらいは、真実の持つ鋭さというものに触れたことでしょう。
 肯定的な立場であれ、否定的な立場であれ、これだけアクセスする人がいたとわかれば、それでOKです。

 ここで別のお知らせです。
 S氏への手紙を同封します。
 この人は、私にファンレターをくれた方であり、同時にプロ作家志望者でした。そこで私なりにアドバイスを書いてあげた時の手紙があるのです。
 このアドバイスの手紙ですが、より多くのプロ作家志望者にも読んでもらうべきだろう、と思いました。そこでインターネット上で公開してもらうべく、今回、青山氏に送ることにしました。
(ただし、相手のプライバシーの問題もありますので、名前はS氏とします)
 また、これの手紙ファイルの中にも、手紙の内容について、少し解説を追記しました。
 ホームページに載せる時のファイル名は、「梅原克文より、ある作家志望者への返事。98/10/09」などがいいでしょう。

 で、次回作「カムナビ」ですが、何と、あの有名な「1999年、7の月」に発売となるようです。
(別にノストラダムスとは、何の関係もない内容ですが)

 進捗状況ですが、3月8日に1920枚が脱稿しており、この時点での完成度が97パーセントぐらいです。現在は角川書店の高根澤氏が、細かい矛盾点やキズについてのチェックリストを作成中です。
 今週から、そのチェックリストを元に最終改稿を始めます。
 最終改稿が終わったら、ゲラ刷りになります。その時点で、作品が99パーセントの完成度に達することを目指しています。

 というのは、このゲラ刷りを各方面にばらまくことで、宣伝、営業に役立てる作戦だからだそうです。ですから、もう少し時間がかかりそうなのです。

 では、「1999年、7の月」を楽しみにお待ち下さい。青山氏には献本します。
草々

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