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梅原氏からの手紙2月7日

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 青山 智樹 様
1999・2・7
 あけまして、おめでとうございます。  さて、細かいデータをいろいろと、ありがとうございました。  しかし、私は自説に自信を持っています。根拠は、以下の通り。  SFマガジンは絶対に大赤字である。  なぜなら、SFアドベンチャーが、すでに潰れてしまったからだ。  となると、この二つの雑誌は、何年も前に同程度の大赤字になった、と考えてまちがいないのだ。それが常識というものだ。
 では、なぜ、SFアドベンチャーは潰れて、SFマガジンは存続できたのか。
【以下二百字削除】

 もう一つは、某出版社【青山による伏字】の**編集長が、「今はホラー・ブームだが、月刊のホラー小説専門誌を立ち上げる予定はない」と、雑誌の対談で断言していることです。
 **氏は、「赤字覚悟のホラー月刊誌は、今はまだ不可能だ」とも発言しているのです。
 となれば、「SFマガジン」も赤字経営だな、と簡単に推測できます。

 また、某出版社【青山による伏字】という出版社が、「小説**」という月刊誌を立ち上げる予定だったが、直前に中止になったという実話もあります。私は、その話を、「小説**」の編集長になる予定だった編集氏【青山による伏字】の口から聞いています。
 となれば、「SFマガジン」も赤字経営だな、と簡単に推測できます。

 もう一つ、根拠があります。
 去年98年春頃、SF&ホラー映画専門の月刊誌が創刊されました。
 残念ながら、タイトルは忘れました。現物も手元に残っていないのです。
 確か「シネ・ファンタスティック」だったかな?
 この月刊誌の中身ですが、映画を紹介するカラー・グラビアは、ややおたく色があったけれど、まあ何とか、まともでした。
 しかし、コラム記事ときたら、高橋良平、永瀬唯などのSFマガジン関係者ばかりで、完全に人選を誤っていました。
 私は、創刊号だけ買いました。それ以降は立ち読みする度に、「こんな、おたく丸だしのコラム記事ばかりじゃ、長いことないぞ」と思っていました。
 案の定、あれから一年近く経って、書店でこの月刊誌を探したら、もう見かけなくなっています。たぶん廃刊でしょう。
 つまり、今の日本ではSF&ホラー映画専門の月刊誌ですらも黒字を出せず、一年で廃刊になったという事実が、厳然とあるのです!

 となると、小説の月刊誌である「SFマガジン」が今まで存続してこれたのは、なぜか?
 やはり大金持ちの誰かが「善意の赤字埋め」をやっているからだ、と類推できます。

 まあ、とにかく私は、***と早川書房を挑発してみます。
 本人たちの口から、早川書房の「奇々怪々な経営方針」について、是非是非、説明してもらいたいからです。
 実際、今の「SFマガジン」は、商業出版社が出す月刊誌だとは、とても信じられないような記事内容なのです。あまりにもお粗末すぎるのです。
 繰り返しますが、前述したSF&ホラー映画の月刊誌は、コラム記事のライターに、SFマガジン関係者を数多く採用していたのです。当然、あまりにもお粗末な、おたく丸だしのコラム記事ばかりでした。そして、どうなったかと言えば、一年で廃刊になったのですよ!
 なのに、SFマガジンは、なぜ、存続できるのか?

 今、私の頭の中は「????????????」といったありさまです。
 是非とも当事者の口を割らせてみたいのです。
 ***氏や、****氏ではなく、***と、*****をとっちめてやりたいのです。
「いったい、何を考えてるんだ!」と直談判したいのです。
 彼らがどんな反論をしてくるか、楽しみです。

 もし「SFマガジン」がぎりぎり黒字だったとしても、その場合は、「SF=おたく文化」にしてしまった****の責任を、インターネット上で徹底的に批判し、叩きまくります。
 それによって、「SF」と、梅原克文による新ブランドとは、まったく別物であることも明確にしておきたいわけです。

・「***を批判する場合の、梅原克文の立場について」
 私は、***の創作姿勢は一切、問題にしていません。
 問題は、「***が善意の犯人になった疑いがある」という点です。
 欧米のことわざを引用しましょう。
「地獄へ至る道は、善意という名の石畳によって舗装されている」
 つまり、「このことわざが、***によって現実化した疑いがある」と私は見たのです。
 「善意の赤字埋め」は結局、SFマガジン関係者たちを無制限に甘やかしただけで、その結果、彼らは廃人同様になった、と思えるのです。しかも、資本主義市場で勝ち残れるような、次世代のエンターテインメント・ビジネスマンが育たない、という状況も生みだした、と私は見たのです。

 もう一人、「善意の犯人」がいます。
 *******の**********です。【く、くるしい:青山談】
 ***は、「準おたく」のような人物であり、そのせいで「SFおたく」たちにシンパシーを感じてしまうのでしょう。「SFおたく」たち(【ここには具体名が入っていたけれど削除】)にコラムや書評のページを与えてしまい、彼らに、おたく丸だしの文章を、無制限に書き散らさせています。
 おかげで、大衆読者は「SF=わけのわからない、おたく文化」と受け取り、「SF」の二文字を信用しなくなったのです。
 それに、現在までの「SF」の実態とは、まさに「おたく文化そのもの」だったので、大衆の判断も決して勘違いだとは言えないのです。
 こういう地獄に陥るまで、「SFおたく」たちを無制限に甘やかし続けた人物が、***なのです。
 徳間書店が採りたい「大衆娯楽SF路線」を妨害し続けてきた、もう一人の「善意の犯人」です。
 今後は、***も槍玉にあげていきます。

 いずれにせよ、「SF」は終わりました。
 ですから、なぜ、終わったのかを分析して、新しいブランドの経営では、その愚行を繰り返さないための参考データとして、「SF」を廃物として利用させてもらうわけです。

・「今のSFマガジン編集長たちについて」
 前の阿部編集長も、今の塩澤編集長も、SFファン出身者であり、SF大会の常連客です。
 だって、私は当人たちと会って、話をしたことがあるのです。SFマガジンへの投稿文の件についても、電話で話をして、内容を一部修正して、載せる相談もしていたのです。
 ですから、彼らの人間性は、わかっているのです。
 今となっては、もう私と、彼らとは理解し合うことはできませんが。

・「SFおたく排撃論について」
 これは誰かが言うべきだろう、と思っていました。
 要するに、小林よしのり氏の「ゴーマニズム宣言」にあった「おたく排撃論」を、私は「SFおたく」たちに当てはめて、アレンジしたのです。
 私が言いたいことの方向性については、まちがってないと思っています。
 元おたくの私だからこそ、おたくの危険性は知り尽くしていると、自負しています。

・「柴野先生との対立について」
 私は、以前にも、こう書きましたね。

(以下は、引用です)
 つまり、「超メタ言語的な小説」と、「大衆娯楽小説」とは、形式が異なるのですから、別々のジャンルとして分類するのが当たり前なのです。
 ところが、少なからぬSF関係者が、梅原克文を「SF作家」として絶賛しておきながら、その同じ口から神林長平も「SF作家」として絶賛する言葉も吐くのです。
 この点が、一般の大衆読者には理解できないポイントなのです。
 「形式が異なる小説を書いているのに、どうして両方ともSF作家なんだ?」と。これが大衆読者の視点であり、疑問なのです。
 ところが、SF関係者たちには、「梅原克文の作品にも、神林長平の作品にも、SF関係者だけに見える、SFイデアが透けて見える」と思いこんでしまう傾向があるのです。
 その結果、まったく形式が異なる作品なのに、「あれもSF、これもSF」と言いたがります。
(以上、引用終わり)

 実は、ここであげたSF関係者の代表例が、「柴野拓美先生」だったのですよ(苦笑)。
 柴野先生も、形式分類をせず、少数派の人間だけが信じているイデアの基準で判断しているとしか、思えないのです。
 たとえば、私の「ソリトンの悪魔」は、宝島社の「このミステリーがすごい」で人気投票の国内部門8位に入りましたし、推理作家協会賞も賜りました。
 一方、神林長平は、ミステリー関係者からは、こんな評価は得られなかったのです。
 なぜなら、梅原克文の作品と、神林長平の作品とでは、まったく形式が異なるからですよ。
 なのに、どうして「梅原克文」も、「神林長平」も、「SF作家」なのでしょうか???
 「梅原克文」と、「神林長平」とは、別々のジャンルであることは明らかではないですか!!!

 やはり、私の視点(形式分類主義)と、柴野先生の視点(形式超越イデア主義)は相容れないのです。この対立は、永久に解決しないでしょう。
 これは、アリストテレスと、プラトンの違いなのです。
 だから、私は決断したのです。旧SF関係者とは手を切るしかない、と。
 よって、柴野先生とも決別するしかなかったのです。

・「世界の遠さを表す新しい基準、という青山氏の造語について」
 これは、良い視点です。
 つまり、「形式で分類することが重要だ」、という視点ですよね。

 実際、小松左京先生の「日本沈没」のようなダイナミックで現実味のある作品と、神林長平の「あなたの魂にやすらぎあれ」や「プリズム」のように神経質で現実味のない作品とを、同一ジャンルの枠に入れることが、そもそも大まちがいなのです。
 たとえば形式分類するなら、「小松左京先生と、梅原克文」は共通点が多いので、「同一ジャンルの先輩と後輩」と言えますよ。
 しかし、「小松左京先生と、筒井康隆、神林長平、大原まり子たち」となると、あまりにも共通点がなさすぎるのです。
 とても、「同一ジャンル」とは見なせないのです。形式が違いすぎるからです。

 やはり、旧SF関係者たちは、「2400年も時代遅れのイデア主義者」だと、私は思います。
 彼らは、「サイエンス・フィクションの伝統的な形式」を見ていなかったのです。
 彼らは、「形式を超越したSFイデアの世界」を信じてしまったのです。
 「自分たちだけに見えるSFイデアの世界」や、「自分たちだけが理解できるSFイデアの世界」を信じてしまったのです。
 そのため、大衆読者と、SF関係者たちとは乖離してしまったのです。

・「シニフィアン、記号表現」を増やすことで、「シニフィエ、記号内容」とを結ぶ「コード、一対一の対応関係」を復活させる作業について。

 本来なら、これは「評論家の仕事」です。
 その点は、青山氏の言う通りなのです。
 ところが!
 SF評論家たちは、「形式分類主義」を採らず、「形式超越イデア主義」を採っているのです。
 おかげで、「シニフィアン、記号表現」と、「シニフィエ、記号内容」との関係がむちゃくちゃになったのです。これは、形式分類を無視してしまったからです。
 つまり、SF評論家たちは成すべき仕事を全然やっていないのです!
 だから、仕方なく、SF評論家の分の仕事も、私が肩代わりしてやらねばならないのです!
 まったく、バカバカしいです! 本業以外のことに、これほどの時間とエネルギーを費やさねばならないなんて。
 しかし、何もしないわけにもいきません。気づいた人間が、当面は肩代わりするしかありません。
 私は、やりたくて、やっているのではありません。SF評論家たちがやらないから、仕方なしに私が肩代わりしてあげているのです。
 私の代わりに、優秀な誰かがやってくれたら、私だって小説だけに専念できるんですよ!

 繰り返します。
 サイエンス・フィクションとは、マニアや、おたくの餌食になりやすいため、自滅的な傾向が強い文化です。
 ですから、「定義ごっこは評論家に任せておけばいい」といった「一般論」は、サイエンス・フィクションには当てはまらないのです! 絶対に! 絶対に!
 過去のSF評論家(SFおたく)たちは、商売のためには、何の役にも立たなかったではありませんか。
 だから、サイエンス・フィクションは、創作者によって厳しく管理経営するしかないのです! 創作者自身が、厳しく定義するしかないのです!
 サイエンス・フィクションに、「一般論」を当てはめてはいけません!
 サイエンス・フィクションは、特殊なケースだから、「一般論」は通用しないのです! このことは、以前にも強調したはずです!
 また、そうやって「一般論」だけによりかかって、思考を停止してきた態度こそが、問題解決を遅らせ続けていたのです!

 「一般論」を口にする時は、注意してください。
 それは「一般論・イデア主義」の可能性があるのです! 「一般論は、すべて正しい」という、思考停止状態になる危険があるのです!
 そしてSF関係者は、このことにあまりにも無警戒だったのです!

 ところで、「SCI-FI、サイファイ」というネーミングですが、一部修正します。
 今後は「SCI-FICT、サイフィクト」とするつもりです。
 詳細は、「サイフィクト構想1」という別紙を参照してください。

 今回の手紙の要点を、もう一度、説明します。
 つまり、徳間書店は、「SF」を「大衆娯楽文化」に戻したいのです。
 ところが、早川書房をはじめとするくつかのメディア【ヤバイので若干修正】は、徳間書店には同調せず、「SF」を「おたくだけが独占する文化」にしておきたいのです。
 つまり、メディアとメディアの間に、統一見解が全然ないわけです。
 だから、「SF」は、大衆読者から信用されないのです。

 一方、「サイフィクト」は、梅原克文という経営者が管理する「大衆娯楽ブランド」です。
 ですから、もしも、「サイフィクト」というラベルを、まるで「おたく文化」であるかのようなイメージで扱うメディアがあったら、どうするか?
 その出版社などに対して、梅原克文は「営業妨害」で訴訟を起こします。そうした記事を書いたライターにではなく、そうした記事を載せた出版社に対して、訴訟を起こすのです。
 ブランド・イメージを守るためには、このぐらいやるべきです。
 私は、インターネットを通じて、今から出版業界、メディア業界全体に予告しておきます。
 梅原克文は、、「サイフィクト」ブランドを「おたく」どもから守るためならば、いくらでも出版社に対して訴訟を起こす、と。この点に関しては、絶対に譲らない、と。梅原克文がどれほど執念深い男か、思い知ることになるだろう、と。

 徳間書店も同じような発想で、早川書房や*****を相手に、さっさと「損害賠償」の訴訟を起こすべきなのです。
 訴訟の要点は、これです。
「SFの二文字が本の紙帯に使えなくなったのは、早川書房や*****による営業妨害である。彼らは、SFのブランド・イメージを破壊し、SFをおたく文化にしてしまった。その結果、日本SF大賞などを運営している、徳間書店は営業妨害も同然の損害をこうむった」と。
 徳間書店が、本気で「SF」を「大衆娯楽ブランド」に戻したいのなら、このぐらいやるべきです。
 しかし、やらないのです。本当に歯がゆいですね。
 こんな中途半端な経営戦略ですから、徳間書店が採りたい「大衆娯楽SF路線」は、今回もまた失敗に終わるでしょう。本当に哀れですね。

 では、梅原克文が死んだ後は、誰が、「サイフィクト」を管理するのかって?
 そんなことまで、心配しても仕方がありません。私が死んだら、「後は野となれ、山となれ」です(笑)。
 しかし、私が生きている間に、「サイフィクト」ブランドによる「優秀な管理経営の実例」を見せることはできるでしょう。
 そうすれば、これを「新しい一般論」として受け継ぐ人間も現れるでしょう。


 繰り返しますが、「一般論・イデア主義」に注意してください。
 それは思考停止状態に陥る危険があるのです。

 「小説ジャンル名のブランド性を守るために、プロ作家が出版社に対し、営業妨害の訴訟を起こす」
 こんなことは、従来だったら、考えられなかったことでしょうね。青山氏が言ったような「一般論」とは、まったく逆の発想でしょうね。
 しかし、すなおに考えるならば、「おたく」を排除するには、これしかないのです。もっとも効率の良い管理経営は、これだと思います。
 こうした「管理経営の姿勢」を強くアピールすることによって、新ブランド、「サイフィクト」は、「SF」の二の舞にならずに済むはずです。
 つまり、、「サイフィクト」は、「おたく」を積極的に排除するがゆえに、「おたく文化」にならずに済むわけです。

 繰り返しますが、青山氏のように「一般論」だけで考えるのは危険です。
 旧SF関係者たちは、「一般論・イデア主義」を越えられなかったために自滅したのは、明らかですから。
 つまり、「おたくを積極的に排除する」という、「断固たる措置」を採らなかったために、「SF」は「おたくのスラム街」と化して、滅んだのです。私は、そう見ています。
 「評論家任せにしておけばいい」などという、ありがちな「一般論」。
 これこそが「地獄に至る道」だったのです。
 ですから、今後は経営者の私が強権発動して、その「一般論」は絶対に禁句とします!
 二度と書かないでください!
 、「サイフィクト」の手綱は、絶対に「評論家」には渡しません。
 、「サイフィクト」は、当面は梅原克文のみが支配し、管理するブランドとします。そして信用できるプロ作家が他に現れたら、徐々にその人にも手綱を持ってもらうことになるでしょう。

 欧米の格言をもう一度、繰り返しましょう。
「地獄へ至る道は、善意という名の石畳によって舗装されている」

 「より効率の良い経営方法は、他にないのか?」
 これこそ、問い続けるべき命題なのです。

 では、また。


 PS
 私のホームページは「梅原克文のサイフィクト宣言」とします。
 掲示板(読者がメッセージを書き込むスペース)などは設けないことにします。
 メッセージを発したい読者は、「青山智樹の部屋」へアクセスできるようにしておきます。
 また、私はアマチュアからの反論などには付き合いません。
 私は***、***、***、***を名指しで批判するのです。だから、私に対して反論するべき人物は、この四人だけです。
 今後は、この四人としか論争はしません。

 PS2
 いよいよ次回作「カムナビ」は、クライマックスの100枚分と、エピローグの100枚分の改稿作業に入ります。
 それが二月に終わり、ゲラ刷りが出来てから、最後の改稿が終わる頃は四月半ばか、四月末ですね。
 発売は、ゴールデンウイークには間に合わないか……。

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