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梅原氏からの手紙12月27日

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 青山 智樹 様
1998・12・27

 前略
 Q&Aにしましょう。

・「SFマガジンと、早川書房の責任だけを問うのは酷では?」
 いや、酷ではないです。問うべきです!
 つまり、徳間書店のSFアドベンチャーが廃刊になった時点で、早川書房もSFマガジンを廃刊にすれば良かったのです。
 そうなれば、SF関係者は、「本気でビジネス優先主義で取り組むしかない」という瀬戸際に追いつめられたのです。その方が良かったのです。人間は逆境に追いつめられてこそ、強くなれるのです。
 ところが、SFマガジンは信じられないことに、その後もビジネスを無視し続けたのです。「おたく文化べったり」の方向に走り続けたのです。それに対して、経営陣もストップをかけないという、「不思議な甘やかし」が続いているのです。
(この原因について、私は、ついに閃いたことがあります! 後述します)

 さて、現在は「ホラー・ブーム」ですよね。
 ところがです!
 ホラー小説専門の月刊誌なんて、未だに存在しないのですよ!
 にも関わらず「ホラー・ブーム」とは、これいかに!

 つまり、同様に考えるなら、SF小説専門誌も必要ないことは明白です!
 いや、それどころか、SFマガジンが存在することこそが、この活字SF氷河期の原因なのです。ああ、何という、ややこしい事態だ!

 たとえば、宮部みゆき氏の「蒲生邸事件」が前回、日本SF大賞を受賞しましたね。しかし、これによって、問題はさらに複雑化したのです。
 ここで一般読者のA氏をモデルにして、以下の例を考えてください。

 A氏は宮部みゆきの「蒲生邸事件」をたった今、読み終わったところだ。
 A氏は、この作品が気に入った。そして、この作品が日本SF大賞を受賞したことも知った。当然、A氏は「SF」というものが気になり始めた。そんな時、書店で「SFマガジン」を見つけたので、購入し、読み始めた。
 そしてA氏は、完全に混乱した。「蒲生邸事件」と、「SFマガジン」の掲載作品とが、まったく異なった毛色のものであり、とても両者が同一文化圏に所属するとは思えないからだ。
 A氏は念のため、早川SF文庫に収録されている、海外や国内のSF小説も読んでみた。だが、これまた「蒲生邸事件」とは似ても似つかぬ小説ばかりだ。
 A氏は首を振り、呟く。
「おれにはSF関係者という人種が理解できない」
 その後、A氏は書店で、「SF」と銘打った本を見かけた。しかし、A氏が、それを買うことはなかった。
 A氏は、「安心と信頼のブランド」である「宮部みゆきの作品だけ」を買って、家路についた。
(ちなみに一般読者のA氏が、瀬名秀明氏の「BRAIN VALLEY」を読んでから、SFマガジンを読んでも、やはり同じ結果になります)

 このたとえ話で、「諸悪の根源」が、わかっていただけたでしょう。
 つまり、SFマガジンと早川SF文庫こそが、大衆が「SF」を信用しなくなる、最大の原因なのです!
 こうした奇々怪々な事情がからんでいるのです。ゆえに依然として「SF」のラベルは、ブランド・パワーがゼロなのです。だから、ほとんどの出版社も、宣伝文句には使わせない状態が続くだけです。

 繰り返しますが、ホラー小説専門の月刊誌なんて、未だに存在しないのですよ!
 にも関わらず「ホラー・ブーム」とは、これいかに!

 同様に考えるなら、SF小説専門誌も必要ないことは明白です!
 しかもですよ。SFの商業的発展のためには、現在のSFマガジンは明らかに不必要だし、邪魔なのです! 私などは「SFマガジンと早川SF文庫さえ、この世に存在しなければ!」と思い、歯ぎしりする日々でした。

【以下、481文字削除。早川書房の内情をめぐる推測】

 そして、以下の点も、もう一度考えてください。
 繰り返しますが、今は「ホラー・ブーム」です。
 しかし、角川書店は「ホラー小説専門の月刊誌」などは一向に創刊しません。将来的な構想すらもないのです。
 何度も書いたとおり、月刊小説誌とは「赤字覚悟の稲刈り機、コンバイン・マシン」です。しかし、「いくらホラー・ブームでも、現状では赤字覚悟の月刊誌は無理だ」というのが、角川書店の本音でしょう。
 だって、角川書店の宍戸編集長(もちろん私は当人と面識があります)が、雑誌の対談で、そういう内容の発言をしていたのですから、これは確かな情報です。

 となると、SFマガジンだって赤字のはずです。
 それなのに、「おたく文化べったりの編集方針」のままで、赤字経営のままで、SFマガジンは、なぜ、存続できるのか?
 なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ?
 答えは、「****が自分の財力と権力を乱用して、不自然な現状を維持させているせいだ」と言っても、過言ではないでしょう!
 早川書房の「奇々怪々な経営方針」は、以上のように説明しない限り、他に理由が見つかりそうもないのです。

 今回、私は大胆な推理を試みました。
 しかし、今まで入手した情報を総合すると、十中八九、これが真相でしょう!
 というわけで、我々は「奥の奥にある真相」に辿り着いたわけです。

 青山氏は、この推理をどう思いますか?
 以上の大胆な推理は掲載できませんか?
 だめなら、私が自分で発表します。いずれ時間が取れたら、私もインターネットに手を出します。そして、この推理を発表するつもりです。どうせ、私は早川書房と付き合う気は一切ありませんから、プレッシャーは感じませんしね。
 だから、青山氏が、これを自主規制しても無駄です。いずれは、インターネット上に流れるのです。

 ゆえに、私は「徳間書店の日本SF大賞も、日本SF新人賞も、失敗する!」と確信しています。
 なぜなら、徳間書店が、せっかく「大衆娯楽SF」をやろうとしても、無駄なのです。SFマガジンと早川SF文庫が「おたく文化べったりの経営方針」だから、それが徳間書店の「大衆娯楽SF」の足を引っ張り続けるという、複雑怪奇な構図になっているからです。よって、このことがSFの商業的な発展を阻止し続けるのです。
 ****が健在な間は、この奇々怪々な状況は変わらないのです!

・「言ってはいけない空気」について。
 実は、柴野拓美先生から、諫められる手紙をもらいました(苦笑)。
 私が「今のSF大会は、サティアンそのもの」と発言し、それがインターネット上に公開されている事態を、柴野先生は嫌がったのです。
 柴野先生は、「サティアンという発言に、悪意を感じます」といった主張をしてきました。
 そこで、私は返事を書きました。

【以下、私の返事の一部を引用します】
 「サティアン」という言葉を使うことに「悪意」が感じられるですって?
 本気で柴野先生が、そう思っておられるのなら、私に対して名誉毀損で訴訟を起こすべきです。
 私も受けて、立ちましょう。
 こんなことに時間とエネルギーと金を費やすのは無駄だと思います。しかし、柴野先生のお腹立ちが収まらないのであれば、私と法廷で争うしかないでしょう。これが名誉毀損に当たるか否かを、公正中立な裁判長に判断してもらうべきです。

 また、私が「今のSF大会はサティアンそのもの」と発言した件についてですが、この発言を取り消すつもりはありません。
 つまり、私は「SF」の失敗原因を洗い出して、「サイファイ」が、その二の舞にならないための参考データを整理しているところだからです。
 そして、「今のSF大会はサティアンそのもの」という批判論は、今後「サイファイ」を運営するための参考データとして役に立つことは、確実なのです。
 ですから、この発言は絶対に取り消しません。
【以上、引用終わり】

 これは、きつい返事だったと思います。
 しかし、自由に言いたいことを言うと、こうやって長老格が黙らせようとするのだな、と思いました。
 このように、自分たちに向けられる批判をすべて「悪意」、「無理解」、「迫害」、「弾圧」といった言葉に変えてしまい、勝手に被害妄想に陥るのです。これもイデア主義者、イデオロギー主義者の特徴でしょう。
 つまり、すぐに「善意と悪意」といった「イデアの世界」に論争相手を引きずり込むのです。「黒字と赤字」の話題は打ち消そうとするのです。
 おかげで現在、私と柴野先生は絶交状態になりました。
 しかし、仕方がありません。私が沈黙していたら、何一つ真実は浮かび上がってこなかったのですから。

【SF作家クラブをめぐる話題。事実確認を必要とするため二四〇字削除】

・「スペース・オペラ作家たちが、独自の組織、独自のトロフィーを創設する件について」
 私自身はスペース・オペラ作家ではないので、この問題にくちばしを突っ込んでも仕方がないですね。彼らの自主判断に任せましょう。
 しかし、過去の日本SF大賞の受賞作について、「なぜ、あんな作品を選ぶのか?」とか、「なぜ、これを選ばないのか?」という青山氏の批判は、後ろ向きな議論に逆戻りしていますよ。それは「ないものねだり」で、何一つ解決に結びつかないからです。
 だって、「SF」と「スペース・オペラ」とが別ジャンルであることは、明らかなのですから。
 それに、日本SF作家クラブの中核の人々の本音は、「スペース・オペラがSFの中核の座に座るなんて、絶対にいやだ!」でしょう。だったら、「ないものねだり」しても、仕方がないでしょう。

 前向きな姿勢とは、こうでしょう。
「日本SF大賞が、おれたちに与えられないことは明らかだな。ならば、『おれたちの後輩をはげますためのスペース・オペラ大賞』を、十年から二十年かけて創設するしかないな」と。
 これはちょうど、私が「SF」を見捨てて、我々の次世代の作家のために、「サイファイ」ブランドの立ち上げを構想しているのと、同じ発想でしょう?
 同じだと思うんですけどね。
 「日本SF大賞は、こうあって欲しい」などと期待しても無駄です。我々が運営しているわけではないのですから。

・「日本SF大賞を、『吉里吉里人』や『アドバード』に授与したのは、まちがい」
 まったく、そのとおり!
 これは井上ひさし氏や、椎名誠氏の知名度にのっかりたいだけの意図です。日本SF大賞は第二回授賞作に『吉里吉里人』を選んだ段階で、失敗したのです。
 どう見ても、「吉里吉里人」や「アドバード」などの作品には、元祖サイエンス・フィクション作家のヴェルヌとウエルズの様式を受け継ごう、という伝統意識は感じられないからです。
 しかし、「蒲生邸事件」や「BRAIN VALLEY」に授与したことは良い選考結果だ、と思っています。
 でも、もう日本SF大賞なんて見捨てるしかない、と私も思っています。SFの復活なんて、ほとんど不可能に思えるからです。

・「ここ数年間に生まれた、超科学的で超自然的な内容のベストセラー小説をくくるジャンル名がない」
 まさしく、これが大問題なのです。
 これはコンピュータを買う時、QWERTY配列キーボードしか選びようがない状況と、本当によく似ているのです。「不合理な選択肢しかない」という点において。
(何で、こんなE、Aが左端にあって、O、I、Uが右端にある配列のキーボードを使わねばならんのだ! 母音キーを中央に配置するだけで、キーパンチの効率は飛躍的に上がるはずだぞ! ああ、いらいらする!)
 でも、仕方がありません。
 私の場合は、最初に理想や理念や、イデアなどを立ててから、それを大前提に考えることはしません。
 「現状を追認する」という視点で、物事を考える「現実主義者」だからです。

 要するに現状は、こうです。
 本来なら、「シニフィエ、記号内容」の実態に対応して、「シニフィアン、記号表現」の数を増やして、実態に対応しなければならなかったのです。なのに、旧来の形式論理だけに寄りかかり、実態を把握できず、新たな「シニフィアン、記号表現」を考え出すことを怠っていたのです。

 ですから、今後しばらくの間は、「全部ひっくるめてホラーと、スペース・オペラで代用する」のが現実的な戦略でしょう。

 繰り返しますが、「日本SF大賞も、日本SF新人賞も、必ず失敗する!」と私は断言しておきます。
 だって、SF関係者は、自分たちが抱え込んだ大混乱を何一つ片づけることができないのですから。
 「大衆娯楽小説もSF、超メタ言語的な小説もSF」といった、いいかげんなラベル張りをしてきた結果、SFは大衆から信用されなくなったのです。これがSF氷河期の原因です。
(知らない人のために注釈。「超メタ言語的な小説」とは、「あまりにも現実味がなさすぎる小説」のことで、私がそう名付けたのです)
 この大混乱を整理せずに、すでに知名度のある作家に「SF」のトロフィーを進呈したって、「片手落ち」(これは差別語らしい)です。こんなことで、大衆からの信用を取り戻せるはずがないのです。

 前述してきましたが、アメリカでも、SFの二文字は見離されました。
 だから、『SCI-FI、サイファイ、大衆娯楽サイエンス・フィクション』という別ブランドを立ち上げたのです。SFのままでは大混乱を引きずってしまうから、SFの復活は断念したわけですね。賢明な判断です。
 よって、日本も、賢明な実例を見習って、遠い将来(西暦2018年頃?)に『サイファイ』を立ち上げればいいのです。
 『サイファイ』ブランドの最大の売り物は、これです。
「神林長平や、大原まり子や、ウィリアム・ギブスンのような作家は、絶対にいない!」
 この点が重要なのです。この経営方針の方が、大衆娯楽産業として着実に伸びていけるのは明らかです。

 何ゆえ「東京電機工業」は「ソニー」と名前を変えたのか?
 何ゆえ「鐘淵紡績」は「カネボウ」と名前を変えたのか?
 何ゆえ石井和義氏は「KARATE」や「KICK-BOXING」をやめて、「K1」を立ち上げたのか?
 何ゆえアメリカでは「SF」をやめて、『SCI-FI、サイファイ、大衆娯楽サイエンス・フィクション』に変えたのか?
 SF関係者たちは、こうした実例について考えたことはないのか?

 こういう発想が、なぜ、できないのか?
 できない理由は、たぶんSF関係者の長老世代や中堅世代のメンツも、かかっているからでしょう。「今さらSFは失敗しました」とは口が裂けても言えないのでしょう。そういった類のメンツですね。

 というわけで、いつもの結論です。
 放っておきましょう。
 日本SF作家クラブのやり方では、前方にあるものは自滅だけですから。
 何しろ、早川書房の「奇々怪々な経営方針」は、徳間書店にも、我々にも、どうすることもできないのです。****が健在な間は、誰にも中止させることができないのです(涙々)。
 つまり、今現在は何をやっても無駄なのです。
 だったら、無駄な行動は一切やめて、静観しましょう。

 繰り返しますが、我々は絶好のチャンスが来るまで、20年ほど待っていればいいのです。
 必要なのは、「権力」です。我々が「版権を移すぞ」と言った瞬間、出版社側が真っ青になる、といった「権力」です。
 気長な態度で、この「権力」を手に入れる必要があります。すべては、そこにかかっているのです。
 だって、早川書房とSFマガジン編集部の「奇々怪々な経営方針」も、それを支えてしまったのは****の「権力」でしょう。ならば、それに対抗する「権力」を、我々も手に入れなければなりません。

 私は、遅くとも西暦2018年頃には「サイファイ」を立ち上げるつもりです。
 というのは、それ以上、遅れると、今度は我々が老いぼれになりすぎて、若い世代に対する影響力がなくなるかもしれないですから(笑)。

 かって、大山倍達はこう言ったそうです。
「正義なき力は無能なり。力なき正義も無能なり」
 含蓄のある言葉です。
 ****は「正義なき力」なので「無能なり」です。
 一方、現在の我々は「力なき正義」なので、これも「無能なり」です(苦笑)。
 「無能」対「無能」では喧嘩にもなりません。時期を待つしかありません。

 いやはや、またまた長文の手紙を書いてしました。
 でも、仕方ないでしょう。
 今まで誰も議論しなかったことを議論し、誰も探求しようとしなかった真実を探求しているのです。
 それらを取り戻して、わかりやすい筋道をつける作業をやっているのです。
 つまり、「シニフィアン、記号表現」を増やすことで、「シニフィエ、記号内容」とを結ぶ「コード、一対一の対応関係」を復活させる作業です。
 作業量が増えるのも、仕方ありません。

 では、また。


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