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梅原氏からの手紙1998/11/12
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【引用開始】
 青山 智樹 様
1998・11・12

 前略
 お手紙、拝読いたしました。

 こう書いてありましたね。
「梅原克文ほどの作家がなぜ、神林、大原などを目の敵にするのか不思議で仕方ありません」
 私の怒りが、なぜ収まらないのか。どうも貴兄には、わかっていただけないようですね。
 そこで、私の怒りを他人にもわかりやすく説明する方法を思いつきました。
 こう仮定してください。

 私が外国へ行ったとします。そしてホテルに泊まろうとして、宿帳の国籍欄に「JAPAN」もしくは「NIPPON」と書きました。すると、「NO!」と言われて、ホテルから追い出されました。以後、どこのホテルからも同様の扱いを受けました。
 そこで私は一計を案じました。宿帳の国籍欄に「KOREA」とか「CHINA」といった国名を書いたのです。すると「OK」で泊まることができました。
 しかし、私の腹の虫は収まりません。なぜ日本人の私が「日本人」と名乗ることが出来ないのか? なぜ、その程度のことも許されないのか?
 これは「日本人」の評判を落とした奴らがいるせいだ!
 以後、私の腹の中では火山が噴火を続けているのです! 帰国したら、右翼団体に入ってやろうか、と不穏なことも考え始めました。

 さて、「JAPAN」や「NIPPON」を「SF」に、「KOREA」や「CHINA」を「ホラー」や「クーンツ派」に置き換えてください。
 これで、わかりやすくなったでしょう。
 今、私は自分の本を「SF」と銘打って出版できないのです。
 子供の頃から「SF作家」という肩書きに憧れていたのに、いざ、プロ作家になってみたら、その肩書きは業界の禁句になっていたのです。
 つまり、今、「SF」を名乗ると、「現代SF」などと称される「神林長平や大原まり子たち」の仲間だと思われるからです。「神経質で、みみっちいマニア向け実験小説」を書いている作家たちの仲間だと思われるからです。
 だから、私は自分が大衆娯楽作家であることを印象づけるために、「ホラー」や「クーンツ派」を名乗るしかないのです。
 私は、自分こそがヴェルヌとウエルズ以来の伝統を受け継ぐ、正統派SF作家だという自負があります。なのに、私はSF国籍を否定され、SF民族であることを否定され、伝統様式を受け継ぐ人間であることも否定されているのです。
 これで、私の怒りがそう簡単には収まらない理由がわかるはずです。

 私としては、当面は「ホラー作家」を名乗って商売にします。背に腹は代えられない、という慣用句そのものの状況だからです。
 そして「SF」がダメなら、アメリカの実例を見習って、今から二〇年後に「SCI-FI」を立ち上げよう、と構想しているわけです。
 この発想は当然でしょう。

 ですから、今の私は「SF」が、なぜ、失敗したのかを徹底的に分析しているわけです。当然、その分析過程では、神林長平や大原まり子が「マニアのアイドル」に祭り上げられていった歴史も、すべて検証し、批判しなければならないわけです。
 それをやっておかないと、「サイファイ」が、「SF」の失敗を繰り返してしまうからです。だから、私の批判の矛先はギリギリ限界まで鋭くならざるを得ないわけです。
 これらの批判論は、将来の「サイファイ事業計画」のための参考データとして、絶対に役に立つはずです。

 「プロとアマチュアの交流の場は不要」という説についてです。
 まず、ミステリー、ハードボイルド、ホラーの世界を見てほしいのです。そうした他のジャンルには、「SF大会」に匹敵するような、「アマチュアによる大規模な非営利イベント」など存在しないのです。
 つまり、そういうイベントは商売上、必要なかったことは明白です。
 アマチュアが、そういうイベントをやりたければ、アマチュアだけで勝手にやればいいのであって、プロは無関係というのが当たり前の状態でしょう。

 青山氏の言い分は、こうでしたね。
「アマチュアの身からすると、プロを間近で見る機会を多く得られたのは、大変なプラスでした」
 私に言わせれば、こういう機会が得たいならば、カルチャー・スクールの「小説創作講座」に参加すればいいのです。宮部みゆき氏も、篠田節子氏も、この手の講座出身だそうだし、篠田氏の場合は山村正夫先生の指導を仰いだそうでは、ありませんか。
(余談ですが、私が日本推理作家協会賞を賜ったのは、選考委員だった山村正夫先生に一票、投じていただいたからです)
 この手の講座に行けば直接、プロ作家の指導を受けられます。「SF大会」よりもプラスになるはずです。
 それに大部分の「SF大会」参加者は、別にプロ作家志望ではないから、やはり、プロ作家が参加する必要はありません。

 「同人誌」には、もちろん存在意義があります。
 私も、「宇宙塵」と、柴野先生には大変、お世話になりました。
 しかし、SF関係者やSFマガジン読者が、「神林長平や大原まり子たち」を新旗手として持ち上げてしまった大失敗は、別次元の問題として批判しなければなりません。
 これらの「超メタ言語的な小説」を書く作家たちを、大衆読者が嫌ったことは明白なのです。ゆえに、大衆読者は「SF」を信用しなくなったのです。
 この失敗を繰り返さないためにも、私は断固、SF関係者やSFマガジン読者への批判論を構築します。

 書店に行ってください。今、国産小説の新作で、堂々と「SF」と銘打って出版している本が何冊あるか、数えてください。ほとんどゼロです。
 大衆読者が「SF」の二文字を嫌ってしまったから、出版社も使えないのが現実です。出版業界では、「SF」は死語なのです。
 私の「二重螺旋の悪魔」も、「ソリトンの悪魔」も「SF」と銘打って出版されたことはなかったのですから。
 これは「SF」の経営方針が失敗だったこと以外、何も意味しません。

 ですから、私は、「SF」とは、まったく別の経営方針を模索するしかないわけです。
 今、まとまりつつある「サイファイ」の「経営方針」は、こうです。

☆「商業的に成功を収めた作家を模範と考える。たとえばマイクル・クライトンや、ディーン・クーンツである。
 つまり、従来は『SFもどき娯楽小説』といった分類を受けていたクーンツなども、『サイファイ』は模範とするのだ。『サイファイ』は商売第一であり、そこが『SF』とは異なる点である」

☆「超メタ言語的な小説は排除する。すなわち、個々の文章や、個々の場面に現実味がなく、言葉と現実との一対一の対応関係を壊して、勝手に『言葉だけの宇宙』を作ってしまったようなタイプの小説である。
 こうした超メタ言語的な小説によって商業的な成功を勝ち得た実例は、極めて希であった。ゆえに『サイファイ』ブランドは、利益率の悪い超メタ言語的な小説を排除する」

☆「プロ作家は、アマチュアのイベントなどに無料サービスで参加してはならない。参加する時は、必ず相応の謝礼金を要求すること。これは世間の常識である。
 理由は、そうしないとマニアや、おたくに、プロがなめられっぱなしになるからだ。やがて、なめられっぱなしでいることを快感に思うような、中途半端なセミプロまで現れてしまう。
 つまり、大衆読者を相手に苦労を重ねて黒字を稼ぐビジネスよりも、アマチュア・イベントに参加して、そこでチヤホヤされることに生きがいを感じてしまうようなセミプロが現れてしまうのだ。
 そうなると、世間に数十万人から数百万人もいる大衆読者のことはどうでもよくなってしまい、アマチュア・イベントに参加してくる、わずか千人ほどのマニアやおたくとの仲間意識の方が重要になってしまう。
 このような感覚は、商売を第一に考えねばならないプロとしては、完全に倒錯した感覚である。わずか千人のマニアよりも、数十万人から数百万人もいる大衆読者の方が、プロ作家にとって、より大切な顧客であることは明らかなのだ。
 だが、一度こうした勘違いにはまると、自分が感覚異常に陥っていることにも気づかなくなり、プロ意識は薄れていく。このまま放置しておけば、やがて大衆読者との感覚のズレが大きくなり、プロ作家全体が自滅に向かうのである。
 こうした自滅の仕方を形容するには、『サティアン』という言葉を使うしかないのだ」

☆「現在のSFマガジンに掲載されているような小説の方向性や、評論の基準を信じてはならない。それらは黒字追求のためには、何の役にも立たなかったからだ。
 だが、SFマガジンと、その読者たち(二万人ぐらいらしい)は、自分たちが自滅に向かっていることに、まったく気がつこうとしなかった。
 こうした自滅の仕方を形容するのにも、やはり『サティアン』という言葉を使うしかない」

 お話、変わって。
 もうすぐブルース・ウィリス主演の映画「アルマゲドン」が公開されます。
 その宣伝用ポスターを見て、私は「ついに、この時が来たか!」と思いました。
 つまり、ポスターのどこにも「SF」とは銘打っていなかったのです!

 映画「アルマゲドン」の内容ですが、映画「ディープ・インパクト」と同工異曲です。巨大隕石が地球に衝突するとわかったので、それを避けようと努力する人々を描いた物語です。
 そして洋画配給会社は、この「アルマゲドン」に「SF」のラベルを張ってはいけない、と決めたようです。何しろポスターのどこにも、この二文字がないのですから。
 また、雑誌の映画紹介コーナーで、「アルマゲドン」の紹介記事があったのを見つけました。それを読むと、紹介記事を書いているライターも「隕石映画」と書いており、「SF」というラベルは一切、使っていませんでした。

 それは、そうでしょう。
 アメリカでは、「アルマゲドン」のような「大衆娯楽サイエンス・フィクション」は、「SCI-FI、サイファイ」というジャンル名に分類するのが常識なのです。
 たとえば、アメリカでレンタル・ビデオ店をのぞくと、「SCI-FI」の棚はあるが、「SF」の棚はないというのも常識です。【70字削除】
 つまり、「未知との遭遇」「ET」「アンドロメダ病原体」「スフィア」「ジュラシック・パーク」「インデペンデンス・ディ」「コンタクト」「ディープ・インパクト」「X−FILES」などのビデオは、アメリカでは「SCI-FI」の棚に並べてあるのです。
 日本の洋画配給会社の社員たちも、「アメリカでは、そうなっている」という事実を知っているはずです。また、日本の大衆も「SF」の二文字を信用しなくなっていることも、わかっているはずです。
 事実、この98年の夏辺りから、こういう例が見られるようになりました。
 旧来の常識に従えば「SF映画」と宣伝するべき作品なのに、ポスターには「ファンタジー・アドベンチャー映画」などと印刷して、宣伝するパターンです。
 そして、ついに「アルマゲドン」も、ポスターに「SF」の文字は使わないことに決まったわけです。だから、雑誌の紹介記事も「隕石映画」になってしまったわけです。
 これらは、「SF」の二文字の信用度がゼロを越えて、マイナスにまで落ち込んだ証拠でしょう。

 つまり、「アルマゲドン」も「SF」で、神林長平や大原まり子も「SF」という、いいかげんな分類法では、世間の一般人には通用しなかったのです。
 こうした「一般人の感覚」が理解できないというのであれば、その人は、「サティアンの中で感覚異常に陥った人々だ」、としか言いようがないのです。
 ですから、感覚異常に陥った方々に、私の「一般人の感覚」を理解してもらおうとは思いません。
 私はアメリカの実例を見習い、「一般人の感覚」に合わせた「SCI-FI、サイファイ」を二〇年後に立ち上げよう、と構想しているわけです。

 こんなに時間をかける必要があるのは、今すぐだと「サイファイ」と「SF」の違いをわかってもらえず、混乱するからです。
 「アルマゲドン」の場合も、洋画配給会社が、日本国内で「サイファイ」を使うのは時期早々と見て、使わないのでしょう。賢明な判断だと思います。
 「サイファイ」は、20年後、西暦2018年頃に立ち上がればいい、と考えています。

 次回作「カムナビ」ですが、第一部が400字原稿用紙で、844枚で、これはゲラ刷りにまわったところです。
 第二部は現在983枚で、改稿中です。たぶん、終わったら1050枚ぐらいに増えるでしょう。それからゲラ刷りにまわるわけです。
 発売は、たぶん99年の春頃でしょう。

 では、また。                                   草々

 PS
 ホームページ「小説家:青山智樹の仕事部屋」のハードコピー、ありがとうございました。
 で、一読して、貴兄の多忙ぶりに驚きました。
 子育て、主夫業、執筆、その上、ホームページ。
 忙しすぎるではありませんか。
 私は独り者で、インターネットもやっていないから、そんな多忙な身ではないのです。よって、小説執筆の合間に、批判論と、事業計画の構築もできるのです。
 しかし、貴兄は、そうはいかないようですね。
 だいぶ、論旨と計画は煮詰まってきたから、手紙の意見交換は、ここで一旦、休止しましょうか?
 今までの、批判論と、事業計画の構築だけでも、充分に建設的な成果をあげたと思います。
 それに、実際に「サイファイ」の立ち上げに動くのは、20年後ですしね。

【引用終了】

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