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梅原氏からの手紙1998年10月08日

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【引用開始】
 青山 智樹 様
1998・10・7

 前略
 またまた、長文のご返事をありがとうございました。
 ちなみに、北陸も、ずっと曇りか、雨です。

 さて、宮部みゆき氏への日本SF大賞の授与について。
 私は、「故江戸川乱歩先生や、推理作家協会への間接的な恩返しとしての授与」と思ったわけですが、異論反論も当然あるでしょうね。
 で、今年はたぶん瀬名秀明氏や鈴木光司氏あたりに授与でしょうか。
 しかし、   「神林長平、大原まり子、征悟郎」などの、「大衆に嫌われてしまうような作家」にSF大賞を授与してしまった過去は、もう取り消しが効きません。
 私も、日本SF大賞は無意味な賞であり、金の無駄遣いだと思っています。
 梅原克文に授与すると言われても、断ります。
 もう、あんな賞など、どうでもいいのです。議論するに価しませんから。

 さて、貴兄は、こう書いていましたね。
 「SFは、しいたげられたジャンルでした」
 私は、小林よしのり流に、それを「悪平等主義」と呼びます。
 私は、こう思います。
「サイエンス・フィクションは三流扱いされて、当たり前だし、それでいいのだ」と。
「世の中は、不公平と不平等で成り立っている」のです。ですから、未来永劫、三流扱いしかされない文化もあるのです。
 たとえばマジック、手品です。もっとも原始的な手品は「カップとボール」という演目で、何と古代エジプトの壁画にも描かれています。手品は数千年の歴史を持つ文化なのです。
 しかし、歌舞伎やオペラ、バレエなどが国立劇場で上演されて、一流の芸術として扱われているのに対し、手品は依然として三流扱いの文化です。
 なぜでしょうか?
 手品師とは「現実に起こりうるはずがない現象を起こしたと錯覚させて、客からお金をもらう商売」だからです。本質的に、うさんくさい文化です。
 よって、手品が一流の芸術扱いされることは、未来永劫ありません。むしろ、うさんくささを逆手に取って、「ミスター・マリック」のように商売にして、稼がせてもらえば、それでいいのです。

 では、サイエンス・フィクションとは、何でしょうか?
 「現実に起こりうるはずがない物語を作って、客からお金をもらう商売」です。
 つまり、あらゆるジャンルの小説の中で、もっともうさんくさいジャンルなのです。
 手品師と同じです。ですから、手品と同じく、サイエンス・フィクションも未来永劫、三流扱いしかないのです。

 サイエンス・フィクションが三流扱いしかされない理由は、もう一つあります。
 つまり、サイエンス・フィクション作家とは「五〇才を過ぎると使いものにならなくなり、転職するしかないから」です。
 つまり、「文筆業界のアイドル歌手」です。これは「人生をかける仕事ではない」のです。アイドル歌手のように、「人生の一時期だけの仕事」としてやるものです。
 事実、小松左京先生も、半村良先生も、すでにサイエンス・フィクション作家ではありません。科学ドキュメンタリー・ライターであり、歴史小説作家です。
 あの大天才、手塚治虫先生ですらも、五〇才を過ぎたら、サイエンス・フィクションからは遠ざかり、「アドルフに告ぐ」「陽だまりの樹」「ルートヴィッヒ・B」などの歴史サスペンスものに転職しました。
 海外の例を見ても、老齢で未だに現役のサイエンス・フィクション作家というと、アーサー・C・クラークぐらいしか思い浮かびません。
 他にもリチャード・マティスンのように、サイエンス・フィクション作家だった人が、映画のシナリオ・ライターに転職した実例も数多く見受けられます。(マティスンはスピルバーグのデビュー作「激突」のシナリオを書いた人です)
 また、やはりサイエンス・フィクション作家だったフィリップ・ホセ・ファーマーは、現在はコミックの原作者をやっています。
 このように、五〇才を過ぎると、サイエンス・フィクション作家は辞めざるを得なくなり、転職する例がほとんどです。
 「文筆業界のアイドル歌手」です。こんな職業が、一流扱いされるはずがありません。
 青山氏も、そろそろ目を覚ましてください。
 この世は、不平等と不公平で成り立っているのです。サイエンス・フィクションは、ランクの低い三流文化としてしか、見てもらえないのです。それが宿命なのです。
 それなのに、従来のSF関係者ときたら、「SFはしいたげられている」という被害妄想に取りつかれていたのです。
 それでは、マジシャン、手品師たちは、「マジックはしいたげられている」なんて口にしたでしょうか?
 しませんね。彼らは、自分たちは三流扱いしかされない、という宿命を受け入れています。ですから、被害妄想になど陥らず、日々仕事に精を出して、稼いでいるのです。
 マジシャンたちは自分たちが、歌舞伎やオペラや、バレエと同じ一流ランクの芸術として扱われる日など永久に来ない、と悟っているのです。
 しかし、サイエンス・フィクション関係者は、手品師と同じような立場なのに、未だにそれを悟っていないのです。
 青山氏も、そろそろ悟ってください。
 サイエンス・フィクションは、しいたげられてはいません。
 元々、うさんくさい文化だし、五〇才を過ぎたら、辞めざるを得ない仕事だから、未来永劫、三流ランクの文化なのです。それを悟るしかないのです。

 さて、以下は「現代SF」への批判文として、個人的に書いたものです。まだどこにも発表していません。

☆☆「現代SF批判」☆☆
 私は現代SFと称する作品をこう呼ぶ。
「超メタ言語的作品」。
 これこそが問題なのだ。
 だが、その前に、「メタ言語的」とは何か説明しよう。辞書によれば、
 高次言語。metalanguageの訳語。ある言語について言明するのに用いられる一段階異なる言語。たとえば「『この花は白い』は単文である」は高次言語、メタ言語。
 そして、私の言う「超メタ言語的」とは、こんな文章だ。
「南極、それはジャガイモの世界だ」
 この文章は文法的には正しい。だが、「シニフィアン、記号表現」と「シニフィエ、記号内容」との対応関係は破壊されている。言葉が現実との「一対一の対応関係」になっていないのだ。
 そして、今のSFMを読んでいると、この手の「超メタ言語的作品」ばかりが目立つのだ。説得力もリアリティーもない設定や小道具や人物が、何の前置きもなく、いきなり登場してくるではないか。
 そして、大衆読者がこの手の「超メタ言語的作品」を嫌うことは、もう実証済みだ。この手の作品を、現代SFなどと主張しているうちに、いつの間にか大衆読者は、SFの二文字をまったく信用しなくなったのだから。
 では、元祖サイエンス・フィクション作家のヴェルヌとウエルズの作品を検証してみよう。彼らが、このような「超メタ言語的作品」を書いただろうか?
 否だ!
 それどころか、ヴェルヌとウエルズは、荒唐無稽な物語に大衆読者を引きずり込むため、細心の注意を払っているのだ。設定や小道具や人物にリアリティーと説得力を持たせることに、多大なエネルギーを費やしているのだ。そして、個々の文章と現実との「一対一の対応関係」を守り抜いているのだ。
 それゆえ、彼らは安心して読める作家であり、当然、大衆の支持を得て、当時のベストセラー作家となったのである。
 そして、この方法論を今も守り抜き、実践しているのはマイクル・クライトンである。彼こそヴェルヌとウエルズの正しい後継者なのだ。

 シナリオライターの世界には、こんな言葉がある。
「大きなウソは許されるが、小さなウソは許されない」
 もう少し意訳すると、「大きな不自然さは許されるが、小さな不自然さは許されない」だ。
 つまり、物語全体での、大きなウソや不自然は許されるのだ。「日本列島が今すぐ沈没する」といった、物語全体でつくウソはOKなのだ。それならば、大衆読者も受け入れてくれる。
 だが、個々の場面が不自然だったり、場面から場面へのつながりが不自然だったり、登場人物が超常現象に遭遇した時の反応が不自然だったり、個々の文章が現実との「一対一の対応関係」を守っていない不自然さがあったりすると、どうなるか?
 こうした細部の点で、無用な不自然さがあれば、お客はしらけてしまうのだ。
「大きなウソは許されるが、小さなウソは許されない」とは、そういう意味だ。
 このように見てくると、SFを蝕み、腐敗させたのは、まさに「超メタ言語的作品」という「よそ者」だったことが明白なのだ。
 いったい誰が「よそ者」だったのか? もう皆さんはわかったはずだ。
 だが、私は「よそ者」の罪を追求しない。
 それよりも、元祖ヴェルヌとウエルズの方法論を、「サイファイ」といった新ブランドとして改めて確立したい。
 その方が、今の腐った「SF」を立て直すよりも、ずっと早いからだ。
(以上)

 もう、おわかりでしょうが、私は筒井康隆氏こそが、「超メタ言語的作品」を「SF」に持ち込んだ張本人だと考えています。
 そして、「超メタ言語的作品」をビジネスとして成立させたのは、筒井康隆氏一人です。彼の方法論は、誰も受け継げなかったのです。
 ようするに筒井康隆氏の「超メタ言語的作品」は、誰もが利用できる五七五七七ではないのです。
 あれは筒井康隆氏にしか、書けないのです。ゆえに、あれを真似しても、ビジネスにするのは無理です。

 さて掘晃氏の始めた同人誌「ソリトン」ですが、掘氏に1号から4号を無料でいただきました、そこで一応、私も会費を払って、8号まで、ざっと目を通しました。
 やはり目についたのは、「超メタ言語的作品」です。
 この手のものを書いても、筒井康隆氏以外はビジネスとして成立しないのです。それは、もう実証されたのです。
 なのに、同人誌「ソリトン」も、掲載作の半分ぐらいは「超メタ言語的作品」でした。どうやら、掘晃氏も、この手の「超メタ言語的作品」こそが、サイエンス・フィクションを自滅させたことに、まだ気づいていないようです。
 私の結論は、こうです。
 サイエンス・フィクションを滅ぼしたのは、筒井康隆氏です。
 そして筒井康隆氏がもたらした悪影響に、誰も気づこうとしなかったサイエンス・フィクション関係者の怠慢も、自滅の原因です。

 私が貴兄に書いた手紙を、インターネット上で公開する件はOKです。
 もっとも、それほどの反響は期待していませんが。
 たとえば、今年の星雲賞は「神林長平、大原まり子」でしたね。
 サティアンの内と外との隔絶ぶりは、もう救いようがないところまで、きています。
 つまり、「自称SF読者」と「大衆読者」とが、まったく別々の人種になっている点です。
 そして世の中全体から見れば、ごく少数しかいない「自称SF読者」を相手に書いても、ビジネスとしてのうま味はゼロなのです。

 もう「SF」はダメでしょう。
 これだけ大混乱に陥ってしまったのですから。
 前回も書いたように「サイファイ」と「スペースオペラ」を「SF」から分離・独立させるぐらいしか、手段が残っていないでしょう。
 もちろん私は、何が何でも、そうするべきだ、と言っているのではありません。 自由なビジネス発想のきっかけを作ろうとしているのです。

 近況です。
 角川ホラー文庫から出る「二重螺旋の悪魔」ですが、発売時期は12月上旬にほぼ決定です。
 同じ時期に、「ソリトンの悪魔」も、ソノラマ文庫シニア版で出ます。

 「カムナビ」は、1800枚から1900枚の間になるでしょう。
 現在、第1部の第2稿が終わり、これは844枚になりました。
 今、第2部の約1000枚分の改稿を始めています。
 発売は99年正月明けか、春でしょう。

 では、また。
      草々
【引用終了】


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