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 進撃戦略航空軍2〜比島地獄の占領作戦

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 2001年8月1日、学習研究社、歴史群像新書より発売→あとがきを読む

進撃!戦略航空軍2〜比島地獄の占領作戦 目次
序章  対アメリカ開戦
第一章 鬼子母神部隊
第二章 戦闘機パイロット失格
第三章 四式重爆飛龍
第四章 B29襲来
終章  新型機登場
あとがき

序章  対アメリカ開戦

「墜ちろ、墜ちろ、墜ちろ」
 目の前には巨大なB17の後ろ姿が広がっていた。屏風の様に立った垂直尾翼、テニスコートが取れそうな広い主翼、巨木のようなエンジン。鋲の一つ一つまで数えられる。照準器など使う必要もないほどの近距離だった。
 鍛冶明は隼の発射把柄を引き続けていた。
 一九四二年十一月、フィリピン、ルソン島、北側上空。
 隼はまるで砂利道を突進する様に上下左右に振られている。B17が掻き乱した風に揺られているのだ。それでも、機体上部から発される二条の火線は過たずにB17右翼、内側のエンジンに吸いこまれていく。多少振られたところで敵は大きく距離は近い。B17のエンジンの周囲をささくれださせる。
 戦闘機がエンジンを狙うのにはわけがある。エンジンが止まれば飛行機は落ちる。そうでなくてもガソリンの配管系統が走っており簡単に燃え上がる。
 だが、B17は平然と飛び続けていた。
 B17に対する第一撃は追出軍曹がかけていた。追出は後部銃座を叩いて、B17の反撃を封じていた。続いてエンジンに攻撃をかけたが、すぐに追い越してしまった。今頃、再攻撃の準備を整えているか、他のB17を追うかしているだろう。
 その間に明はB17の糸を読んでいた。
 「糸」と明は呼ぶものの、敵機と自機の飛ぶ経路を読む能力をさす。搭乗員によっては「機眼」と呼ぶ。大抵の搭乗員は激しい訓練と実戦の後に機眼を身に着けるが、稀に生まれつき機眼を持つ者がいた。
 明はその希有な一人だった。
 この点、国民皆兵制によって陸軍に入隊、戦車兵を志願した明を無理矢理、航空隊に編入してしまった訓練部隊の将校は人を見る目を持っていたといえよう。

 一九四二年四月、イギリスが日本に対して宣戦布告した。
 同時に海軍の艦艇がイギリス海軍の空母所属機に攻撃を受け、ここに欧州大戦の戦火がアジアに飛び火したのである。
 日本はイギリスに対して複数方面での戦線維持を余儀なくされた。
 中国大陸、満州における領土の維持。満州は日英米によって分割統治されており、在満日本人の保護が日本陸軍の重要な義務であった。
 次に上海租界における民間人保護。
 同時に、イギリスと同調してアメリカが対日開戦を仕掛けてくる恐れが有ったのでこれにも対応しなければならなかった。これらも洋上からの侵攻が中心になると考えられたので、海軍が警戒に当たった。
「アメリカに対しても積極的攻撃を仕掛けるべきではないか?」
 国内には交戦論が横行したが、時の高橋内閣はこれを許さなかった。
「日本の当面の目的は大東亜共栄圏の設立にある。アメリカに対する開戦は正義の戦いとならない」
 政府の常なる主張であった。内閣は外交手段をもってアメリカ、そしてさらにはソビエトに対して開戦意思はないと伝えようとした。ソビエトとは相互不可侵条約を締結、批准。ドイツ、リッペントロップ外相より申し出の日独伊軍事同盟は拒否した。
 この二つは消極的行動でしかなかったが、何よりも日本には積極的継戦意思はなかった。長期戦になると国内経済が持たない。イギリスに対しても早期に停戦に持ち込みたかった。イギリスの譲歩を引き出すためには大きな得点を稼がなければならなかった。
 日本が計画したのがマレー半島の占領であった。特にマレー半島の突端、シンガポールにはイギリス軍の一大軍事基地が築かれ、これらを占領、開放すればイギリスも交渉の席に着くであろうと考えたのである。しかもマレー半島の開放は日本の一大目標である大東亜共栄圏の設立にも合致する。
 開戦直後、飛行訓練を終了したばかりの明は独立第六三飛行戦隊配属とされ、早々にマレー半島の攻略戦に投入された。
 対イギリス戦の中で、最大の激戦地である。
 この時、明は若干十八歳。
 全陸海軍の中でももっとも若年の搭乗員の一人だった。
 昭和十一年の二二六事件を契機に陸海軍は常設軍備の大幅削減を余儀なくされ、その代わりに実施されたのが陸海軍兵器の徹底した機械化と、国民皆兵制である。
「満一七歳から満四〇歳の国民はすべて兵役に服する義務のあるものとする」とするものが骨子である。日本人である限り、一生のうちどうしても一年は軍務に服さなければならない。
「だとしたら、早い方が良い」
 明の姉、鍛冶操が第一期の兵として海軍に志願した。
 二年経って、姉と入れ代わって明も志願した。

 明は引き続けていた発射把柄を緩めた。
 すでにB17接近しすぎている。このままでは激突しかねない。相手が爆撃機だろうと、戦闘機だろうと後上方からの攻撃が有効であるとされていた。敵味方の速度差が少ないため照準も容易で、優速をもって接近できるため脱出再攻撃も可能だとされているためである。
 だが、明はB17の曳航後流に突っこむほど接近している。やりすぎだ。
 明の背後では三番機が攻撃態勢を整えている。

■あとがき

 というわけで、二巻です。
 お読みいただいた方には、展開にちょっと驚かれたかと思いますが、別に苦し紛れなわけではなく、当初からの予定です。いや、だって***が**てもつまらないじゃないですか。
 え? 何がなんだか判らない? すみません。これ以上やってしまうとあまりにバレバレになるので。

 で、例によって飛行機の話でゴマかすのですが、ぼくにはどうしても不思議でしかたない事があります。
 この本にはぼくには珍しく完全オリジナルの新型機が出て来ます。プッシュ・プル式の四発爆撃機「崑崙」です。
 ところが、いろんな所のいろんな所を調べて見てもプッシュ・プル式の四発機が、試作された、あるいは実験機として作られたと言う話は聞いた事がありません。
 なぜ?
 あの珍奇な、あるいは独創性に満ちた計画機群を保有していたドイツですら、ない。ハインケルHe177だって、あんなことをせずにプッシュ・プルにしていればあれほど無様な失敗作にはならなかったでしょう(ハインケルHe177グライフ、四発機並みの高速性能と、急降下爆撃性能を共に要求されたため、メーカーでは一つのエンジンナセル内に二つのエンジンを装備して連結して使った。熱処理に問題があって、火災を頻発。撃墜された数より、事故で落ちた機体の方が多いといわれる)。
 イギリスあたりの試作機をもっと丹念に調べれば出て来るかもしれないけれど、調べた範囲内では見当たりません。(余談になりますが、世界中で本当に独創性を持っているのはイギリス人だけかも知れません。アングルド・デッキ空母、ジャンプジェット空母、垂直離着陸機いずれもイギリスのものです)

 さて、第二次大戦も終わりに近づいて来ると、連合国、枢軸国どちらも新型機の開発に躍起になります。レシプロ飛行機の限界も見えて来ていて、かなり特殊な機体もつくられて来ます。
 有名所ではプッシャー式の「震電」。アメリカでもカーチスXP55「アセンダー」。ドイツではプッシャー式全翼機ホルテンZ(ま、これは試験機ですが)、なんてものまで登場します。
 プッシャー式がまずいのかと言うと、決してそんな事はなく、第一次大戦ではかなりの数がありましたし、戦後実用化するアメリカの戦略爆撃機B36ピースメーカー。現在でも某落語家さんが乗っているジャイロフルーク、スピードカナード。自作機ベリイージー。そう、いま思い出しました。ぼく自身もスラスターを操縦した経験があります。
 第二次大戦後半から零戦時代、プッシャー式戦闘機が実現しなかったのは、レシプロエンジンが時代遅れになり、ジェット化が促進されたためと考えるべきでしょう。

 じゃ、プッシュ・プル併用そのものがまずかったかというと、こっちもそうでもないようです。冷却や震動の問題を抱えるにしても、ドイツの単座機ドルニエDo335「プファイル」、こいつのコピーですが日本では「景雲」。現在でもセスナのスカイマスターがあります。
 ちなみにスカイマスターはシングルエンジンのライセンスで飛ばせる唯一の双発機だそうで、この点から考えてプッシュ・プルが難しいわけでもなさそうです。
 にもかかわらず、この形式の四発機はない。
 ま、どうせ空想の世界ですから大活躍させます。後々、作中で説明して行きますが、とりあえず性能表は作りました。

 それと結構登場時期が前倒しになって新型機が出て来ますが、一応の基準は設けていて、火星発動機と火星の発展型であるハ一〇四搭載機は出していますが、ハ四五誉を使った機体はまだ出て来ていません。このあたりは年代にあわせています。
 そうそう、それと海軍は一式に続く機体として「泰山」が計画されていますが、例によって双発案と四発機案がぶつかって、すったもんだの末、計画はお流れ。崑崙はこのあたりに位置する機体です。で、結局、海軍がやっと実用化に手をかけた一式よりまともな爆撃機が「連山」(嗚呼、誉搭載機)
 おかげで海軍戦闘機の苦しい事苦しい事。もっとも、誉の実用化のせいで海軍が苦労したのは事実なんで仕方ないんですが。
 また、同じ理由で金星を使った機体はすでに稼動していますし、こちらは次巻ですぐにでも登場します。まったく、なんで日本軍はさっさと金星を使わなかったんだ。

 余談ですが、バターン半島の降伏後の情況を書いた資料がないかと、神田の古本屋へ向かった所、どうもあの手の暗い話題は取り上げられるケースが少ないらしく、どうしても見つからない。
 手ぶらで帰るのも業腹なので思わず「陸軍落語兵」某落語家著(前述の人とは別)なんて本が目に入ったので所望してしまいました。
 以前、自衛隊の護衛艦が間違えてアメリカ軍機を撃墜しちゃった時、
「あたし、戦時中は機関銃撃っていたんですけどね、アメリカの飛行機、いくら撃っても落ちないんですよ。あのニュース聞いた時は……喜しかったですねぇ。え? あたし、いまなにか言いました?」
 とのたまわった方です。
 あの人、教育担当の軍曹だったんだ。知らなかった。

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