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 進撃戦略航空軍1〜シンガポール攻略戦

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 2001年5月6日、学習研究社、歴史群像新書より発売→あとがきを読む

進撃!戦略航空軍1〜シンガポール攻略戦 目次
序章  二二六事件
第一章 新生陸海軍
第二章 マレー侵攻作戦
第三章 戦略航空軍誕生 第四章 シンガポール攻略
終章  対連合国開戦
あとがき

 序章 二二六事件

 早朝、遠雷のような轟きで、鍛治明(かじあきら)は目を覚ました。梵鐘を突き鳴らすような音。しばらく置いて落雷のような響き。地面も少しは震えていたかもしれない。
 十二歳の明はこの世の終わりがやって来たかのような恐怖を覚えた。
 座敷の中を見廻す。弟、妹たちは折り重なるように眠っているが、父と母の姿だけがない。掛け布団が跳ねのけられているだけで、畳んで仕舞われているわけではない。
 隣室から人の声がする。両親の声ではなかった。先般、家にやってきたばかりのラジオの声だ。襖ごしであり放送手がなにを言っているのかまでは聞き取れなかった。
 再度、爆音。
 ただならぬ気配を感じ取って、明は隣で眠っている姉、操(みさお)を揺すり起こした。
「姉さん、大変だよ。何か起こっているよ」
「うるさいわねぇ」
 明の手を振り払った、三歳上の姉、操であったが、すぐに伝わって来た地鳴りのような音に身を固くした。
「おいで」
 姉に呼ばれて二人は寝乱れた浴衣の上にドテラをはおって茶の間の襖をそっと開けた。二人が入ってきたのに気づいたらしく振り返ったが、両親はラジオの声に耳を傾けつづけた。
「陸軍の一部部隊が叛乱を起こしました。すでに新議事堂は占拠された模様です。東京全市に戒厳令が敷かれました。市民の方は家から出ないでください。また、三宅坂、麹町付近の住民の方は軍の指示に従って、避難してください」
 ただ、
「外へ出ちゃいけないよ」
 母に抱きしめられながらも、雪の降り積もる窓の外に恨めしそうに目をやっただけであった。
 まだ、十二歳の明には何が起ころうとしているのか、何が起きたのか良くわからなかった。
 昭和一一年二月二六日早朝、日本の歴史の大変革点となる一日であった。

第一章『新生陸海軍』
 昭和一二年、四月。
「お父さん、お母さん。あたし、海軍に志願します」
 姉の操がそう言い出した時、両親は驚きを隠そうとはしなかった。
「ちょっと待ちなさい。操、国民皆兵制が決まったからといって、そう慌てる事はないじゃないの」
 高橋新内閣によって決定された新しい兵役法は従来の徴兵制を一新する物であった。条文としては「満一七歳から満四〇歳の男子はすべて兵役に服する義務のあるものとする」とされていた所を「満一七歳から満四〇歳の国民はすべて兵役に服する義務のあるものとする」と二文字変っただけであった。しかしながら、その差は極めて過大であった。
 男子ばかりでなく女子も徴兵対象と含めるようになったからである。しかも、以前は現実的には徴兵検査に合格した一部が陸軍にのみ応酬していたのに対して、新しい法ではすべての国民が一生の間、いつか必ず徴兵される。
「軍隊たって、兵隊になるって決まったわけじゃなし、あたし、看護婦か女工にしてもらうつもりだから」
 弟の明には男勝りの姉の心が手に取るようにわかった。いつか徴兵されるのだったら、早いうちに自分の好きな配置に志願してしまおう、というのだろう。
「昔と違って兵役期限も三年じゃなくて、一年だけだし、嫌になったら一年で帰ってくるわよ」
 旧来は海軍は基本的に志願兵で兵員を確保し、不足する分を徴兵していた。しかも、期限は三年。陸軍は強力な徴兵権を持ち、期限は二年であった。
 しかし、新制度によると陸海軍とも徴兵権をもち、期限も一年に短縮された。兵役期限は希望により延長できるが、下士官にまで進級しないと三年を上限とする。
 これは有事を前提とした軍事態勢である。できるだけ多くの国民に軍事教練、あるいは軍属としての訓練を施す。軍に残った者は下士官、場合によっては士官として指揮の訓練をうける。
 有事の際に、軍の内部に有能な人材を残し、予備役兵を再応酬する。瞬時にして優秀な軍隊が完成する。
 軍と言っても、内部に兵員以外の様々な人員を必要とする。たとえば、衛生兵や、物資の輸送に従事する輜重輸卒、工廠の工員。中には極度に専門的な技術を要求される配属もある。これらも戦争が始まってから準備をしても間に合うものではない。
 また、これらの部署のなかには女性でも可能な物が数多くある。操はここに応酬する、と言っているのである。
「いつかは徴兵される」「看護婦に志願する」
 姉は主張した。
 事実、次の四月で操は女学校を終える。卒業したからとてなにをする予定も立っていない。高校に行けるはずもない。結局、両親は折れた。

 操は近くの保健所で徴兵検査を済ませていた。乙種合格であった。甲種合格に必要な身長一五五センチに満たなかったが、合格は合格である。合格証書を添えて役所に書類を出すと、数日して海軍横須賀鎮守の裏書のある封書が届けられた。数枚の書類を姉は舐めるように何度も読み返していた。
 応酬のその日、男っぽいスラックスと、作業衣、風呂敷包みをぶら下げた姉に明は問いかけた。
「姉さん、本当に看護婦になるの?」
 明には勝ち気な姉が看護婦や、女工で我慢していられるとは思わなかった。それでいて一般の水兵も考え難い。
 姉は肩をすくめた。
 明にとって三歳上の姉は常に頼りになる存在であった。両親に相談できない事も話せたし、困った事も姉に頼めば解決した。
 だが、その日、姉はやけに小さくて、不安がっているように見えた。
「そのつもりだけれど、もっとあたしに向いた配属があるかもしれないし、むこうにも選ぶ権利があるから、わからないよ」
 男っぽい服装に、長い髪を下ろした姉は常になく自信なげであった。
「明も考えときなよ。あと二年したら、あんたも中学を出る。仕事探すか、高校行くかしなけりゃならない。それでいていつかは軍隊に入らなきゃならない。じゃあね」
 初年兵は半年間、外泊が許されない。筆まめな人ではなかったが、手紙も滅多に来なかった。家族から送った手紙に返信が届くだけであった。軍機の関係もあってか、どこで、何をしているか一切書かれていなかった。結びはたいてい同じだった。いつも同じだった。
「元気でやっているから、心配しないで」
 仕送りは少なくない金額が毎月送られてきた。操はこの残りでやって行けるのだろうか、両親は心配した。操からの返事はそっけなかった。
「大丈夫。寝る所と食べる物には困っていない」
 明の下に栄、薫と二人の弟妹がいるため、家計はいつも火の車だった。操からの仕送りは有り難かった。
 初年兵は半年経つと帰休が許される。十月には帰って来るかと思ったが、事情ができて戻れなくなった、そんな手紙がきただけであった。
 一年しても姉は帰って来なかった。変ってもう一年、期限を延長する、という連絡が来た。

■あとがき

 学研では始めましての青山です。
 えーと、この本を学研さんから出していただくにあたって、非常にショックな事がありました。もっとも「ショック」とは言っても大したこっちゃなくて、極めて個人的で、第三者にはひとつっも関係のない内容です。
 というのは、学研さんからは何度か連絡をいただいていたのですね、この数年。
 だけれど、なぜか実家にいただいたり、ぼくが留守で家族しか居ない時だけにあったりでなかなか直接、お話しできない。
 皆さんがこの本を手に取っているように、こーゆー話題だろうと推測はつけても担当さんの名前とか部署が判らないとかけ返しようがない。で、仕事の話ならまたかかってくるだろう、と待っていても、来ない。
 そこで時は流れていよいよかような仕儀となったのでありますが、お会いした時の編集さん(複数)にお話しした所、
「それ、私かもしれません」
「ぼくも電話、かけました」
 数名の方から電話を貰っていたらしい。
「どうしてすぐに電話もっかい貰えなかったんです? 仕事の話なら何も遠慮する必要ないのに……」
「いえ、著書とか拝見していますと、青山さんって気難しそうな方で、おっかなかったんです」
 ガクリと私はその場で膝をつきましたね。
 おっかない? 気難しい?
 一体このぼくのどこをどう叩けばそんな表現が出てくるのだろう? 変人とか、偏屈とかいわれることはあるけれど、近づき難い、ってのは初めて。
 そりゃまあ、そうそう、酒を飲むわけでもないし、カラオケ行ったりしないし、ゲーセンも好きじゃない(騒々しいので)。最近の人からすると付き合いづらいって言われるかもしれないけれど……もっとも、編集さんと談笑五分、疑惑は氷解したようです。めでたしめでたし。

 で、例によって、あとがきからこの本を読み始めている人のために解説。
 第二次大戦当時、日本が相応のまともな判断力を持った国家であったら大東亜戦争はどうなっていただろうか? というのがこの話の骨組みの一つである(あ、文章硬くなった)。
 今現在の日本は独立国家として、軍事的にはかなりおとなしい。ここまでおとなしいのはちょっと特例だとしても、昭和初期、世界的平均的な意識を持っていたらどうなるだろう? ここから先は内容をご覧ください。そんな固い部分ばかりではないですが。

 いつもの、でてくる飛行機なんかの話。
 隼と零戦の性能差は大体、作中に出てくる通り。
 隼の空戦記など見ていても、バッファロー、ハリケーンも敵ではなかった、スピットファイアも「敵機がいるので落して見たらスピットファイア」だったと言うレベルである。
 ただ、もちろん、女性零戦パイロットなどと言うものは存在も、また、想像すらもされなかった。

 空中戦シーンに「糸が見える」という表現をつかったが、実はこれはぼくの実体験でもある。あちこち、何度も書くのはためらわれるが、数年前、アメリカでセスナの飛行訓練を受けた。
 セスナだろうと戦闘機だろうと、飛行場におりる際、一旦、周回経路と呼ばれる規定されたコースを飛ばなければならない。およそ、左側八〇〇メートルの距離を取って滑走路と逆行、四五度後方に自分が着陸すべき地点を見て九〇度旋回。再度九〇度旋回して最終侵入経路(ファイナル)にはいり、滑走路に直進するのである。
 実際これをやってみるとなかなか巧く行かない。二度目の旋回をやって見て大きくむこうに外れていたり、手前過ぎたり、大変な騒ぎである。
 そこで、ぼくが考えたのが「空中にレール」をしく事である。
 空中に仮想のレールを敷き、をその上に自分の機を走らせる。面白いように最終侵入経路へのルートが決まった。
 周囲の訓練生から不思議がられたものである。
「青山さん、どうやれば、ああぴったりとファイナルへのコース決められるのです?」
 口で説明すればできた者もいたし、そうでない人もいた。
 帰国後、坂井三郎氏の著書を再読し「機眼」という言葉を知った。敵機、自機の飛翔ルートを「読む」能力で、生まれつきこれを持つ者はいない、との事である。非常に原始的であるがぼくの見たレールも機眼の一種なのかもしれない。
 空中に敷いたレールを、作中では糸、と表現したが、さて読者はどう捉えられただろう。

 戦地で日本軍はやりたい放題だったように取られがちであるが、実は部内での軍法会議が実は結構、行われていた。あるデータによると昭和一八年だけで二〇八名が戦地略奪、八九名が暴行で会議にかけられている。なにせ、大本営発表なので鵜呑みにはできないが、ゼロではなかっただろう。
 一方、戦況の資料として数年前、シンガポールで買い求めたメディアマスターズ社の「マラヤの崩壊」というパンフレットに大きな所を頼っている。したがって、こちらの数値などはイギリス側のデータである。

 青山智樹
 ホームページURL http://www.din.or.jp/~aoyama/index.html

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