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 飛行戦艦「武蔵」遣欧大戦〜大西洋燃ゆ

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 2002年12月13日、経済界、リュウノベルスより発売→あとがきを読む


『飛行戦艦「武蔵」遣欧大戦』
「片桐が死んだ? 嘘だ。信じられん」
 飛行戦艦「武蔵」艦橋で、艦長神部光大佐は眉一つ動かさずに断じた。
「遺体は確認したのか?」
「確認したわけではありませんが、片桐艦長は大和ごとホワイトハウスに体当たり攻撃を敢行いたしました。確かに片桐大佐は信念堅固な武人でありますが、とても命があるとは考えられません」
 布施勇少尉は今一度、飛行戦艦『武蔵』の艦橋で、大和と大和の艦長、片桐泰山大佐の身の上に何が起こったのか説明した。
 B29の集合爆弾の集中攻撃を浴びて、ワシントン湾からの脱出が不可能と判断した片桐大佐は必要最低限の人員を残して退艦させると、大和の飛行主翼を切り離し、全幅と喫水をかせいでポトマック川を遡上し始めた。遡上しながら、最大射程四〇キロを誇る主砲で両岸をなぎ払い、ワシントンDCを目指した。遡上がこれ以上不可能という限界に達すると、総員退艦命令を発した。片桐や主砲要員は内火艇で脱出し、大和は飛んだ。
 重油缶を燃焼させるだけであれば、多少人の手が離れてもどうにかなるが、もともと、二分そこそこの飛行時間しか持たない大和ではどうしても飛行制御盤に人が付きっきりになる。
 片桐大佐はそこに自分の死に場所を見つけた。
 片桐大佐がどこを目指したのか、布施は分からなかったが、大和は着水はできても着陸はできない。そもそも、着水衝撃をやわらげる主翼を捨てているのである。おそらく、二次噴射用の燃料すら推進に使用して遠くまで飛んだのだろう。
 ポトマック川の流れのままに河口を目指した布施は何処か遠くで、何かが爆発する音を感じた。腹の底に響くようなとてつもない響きだった。艦橋にいて、大和の主砲の発射音を耳にしてもこのような図太さは感じられない。
 大和が、墜ちたのだ。
 大和の弾薬庫にはまだ多数の弾薬が残っていた。ひょっとしたら飛行燃料も残っていたかもしれない。重油も残っている。飛行燃料たるヒドラジンや酸素はそれだけで猛烈な反応を引き起こす。どちらか一方だけでも、わずかに残っていれば、やはり大爆発に繋がる。
 いかに片桐艦長が頑健であろうとも、鉄をもひしぐ大爆発を生き延びられるとは到底考えられなかった。
 布施たちの乗った内火艇は何の妨害を受けることも無くポトマック川をくだり、ワシントン湾に出た。両岸の都市、軍需施設が大和の主砲、両用法によって徹底的に破壊され住人兵員も逃げ出していたからである。布施たちは上陸して投降するべきではないか、と議論した。特攻直前の片桐大佐の「アメリカ人も血も涙もある」の言葉はあったが、それ以前に「虜囚の辱めを受けず」の精神が骨の髄まで染み付いていた。あるいは投降した所で、捕虜として扱われるならともかく、その前に徹底的なリンチを受ける恐れもあった。最悪の場合、その場でハンギングツリー行きである。
 内火艇はワシントン湾に出た。アメリカの沿岸警備隊に拾い上げられれば、リンチは受けないだろう。それらしい船を見掛けるたびに手を振り、大声をあげたが、あろう事か無視された。沿岸警備隊の方でも自国民の救出のためそれ所ではなかったのである。
 内火艇の燃料が無くなった。続いて食糧もつきた。ただ、内火艇は漂流するだけだった。魚を釣ろうとしたが、竿も糸もなかった。水は雨水をためて飲んだ。漂流開始、二週間たった。晴天が続いた。日干しになりそうになった。
 もうだめだ。海水を飲んでひっくり返るのと、舌かんで死ぬのとどっちが楽だろう。思案し始めた頃、日の丸をつけた偵察機が舞い降りて来た。
 複葉の偵察機は二、三回内火艇の回りを飛び回るとやっと着水した。
「お前、何やってんの?」
 操縦席から顔を出したのは、なんと片桐泰人少尉であった。大和艦長の片桐泰山大佐の実子にして、大和所属の秋風迎撃機の搭乗員であった。

【略】

 最初ラッタルを昇って武蔵の甲板に立ったのは黒い軍服、左腕に赤に鍵十字の腕章を巻いた二人のドイツ人。ナチス・ドイツの武装親衛隊員であった。
 二人のSSがラッタルの両側に立つといよいよ大物が姿を現わした。
 小柄な体にブラウンのドイツ正規軍の軍服、黒い髪に、鼻の下に短めの髭を貯えている。
 しかしながら、その人物の発する存在感、オーラは圧倒的であった。
 アドルフ・ヒトラー。
 ドイツ第三帝国の総統である。
「ハイル・ヒトラー!」
 SS隊員が右手を挙げて絶叫した。ヒトラー総統も右手を上げてそれに応える。待ち構えていた神部大佐が海軍式の敬礼で答えた。
「総統閣下の乗艦を歓迎、光栄に存じます」
 とたん、ヒトラー総統が演説をぶち始めた。
 布施に聞き取れたのは一番最初の
「イッヒ……」
 だけであった。
 一人称単数を示すドイツ語である。第二次大戦中の各国の指導者、ヒトラー、ルーズベルト、チャーチル。スターリンの演説を分析すると「私」を使用する率がもっとも高いのがヒトラーだと言われている。
 ヒトラー総統の言葉はとうとうと、小一時間も話し続けたのではないだろうか。
 大和の甲板はヒトラー総統の足元を中心に、潮風とは別種の液体で濡れ、布施の元にもそれとおぼしき液体が飛び散って来た。ヒトラー総統の唾である。だが、気に掛からなかった。
 度肝を抜かれていたのである。
 ヒトラーについては様々な報道、風評が飛び交っていたが、布施の前にあるのは太陽光の如きオーラを背負ったカリスマであった。何を言っているのだかさっぱり判らない。しかしながら、迫力ばかりは伝わって来る。
 ドイツ語を解さない日本人は唖然として口を開けて突っ立ち、ドイツ人たちは感涙を流さんばかりにして肯いている。
 激しい語調の一言で拳を振り上げるとヒトラー総統の演説は終わった。
 親衛隊将校の一人が進み出た。
 とつとつとした日本語で話し始めた。ヒトラー総統付きの通訳であった。ヘルビッヒ少佐であると名乗った。
 ヘルビッヒは小一時間続いたヒトラー総統の演説を簡単にまとめた。冷静な人物であるらしかった。
「総統閣下は感激なされています」
 ヒトラーの言葉が渦巻いているような頭の隅で「そうだろうなぁ」と布施は納得していた。戦艦が空を飛ぶのを見て、腰を抜かさない人間がいないはずがない。リップサービスだとして、あれほど喋りまくるはずもない。
「この船は人類全体の行く末を変えるほどの大きな鍵となるだろう、ともおっしゃっています」
 続いて、ヒトラー総統は一歩進み出で神部艦長の前に立った。
「君がこの船の艦長か? 素晴らしい船だ」
「私は自分に与えられた任務を全うするだけです」
 驚いた事にヒトラーの威圧感の前にあって神部艦長は一つも臆した所を見せなかった。片桐艦長であれば意気投合して軍人精神旺盛な所を見せるのであろうが、神部大佐は閻魔大王の前にでても平然としているだろう。
「貴君の艦を見せて頂きたい」
 件のSS通訳を通じてヒトラー総統が申し入れて来た。だが、神部艦長は眼で千代場博士と楠本、そして布施を呼寄せた。
「飛行艦の開発者である千代場博士です
 布施は右手を挙げて迎えるのか、敬礼するのか、頭を下げるのか、どう振る舞っていいのか判らなかったが、千代場博士は堂々たるもので西洋風にヒトラー総統に右手を差出した。
 心得があるのか、それとも準備していたのか布施を示してドイツ語でつぶやいた。布施にもかろうじて意味は汲み取れた。
「こちらが布施少尉。私とともに飛行戦艦の開発に携わった技術者でもあります」
「素晴らしい」
 感極まったらしいヒトラー総統は布施の手を強く握り、別方向に振り向いてひとくさり演説をぶって唾の嵐を飛び散らかした。どうせなら千代場博士の白髪に浴びせかけてくれれば良いものを。布施は唾を払う事もできずに困ってしまった。

■あとがき
 はい。『飛行戦艦「武蔵」遣欧大戦』です。
 『飛行戦艦「大和」出撃』と同世界の話ですが、独立して読めるように作ってあります。一応。
 この世界で武蔵は架空戦記的な改造を受けます。このような攻撃システムは他の戦記の著者もやっているかも知れませんし、現実にいま、この世界で実用化して主要兵器として装備している艦もあります。
 まあ、一九四〇年代に実用化可能だったかどうかは別にして。
 いずれにせよ、イラストの浅田隆さんに「重量的に持つの?」と聞かれたので計算してみました。
 結論。持ちます。
 兵器自体の重量は六百トンぐらい。補記類を入れて千トンとしても、全重量の二パーセントぐらい。飛行性能に、そりゃ影響は出るでしょうが飛べないほどじゃありません。それに新兵器使い果たしてから飛べば重量増加は関係ありません。
 こんなものに計算がどれだけ意味があるのか判りませんが、技術的なお話、突っこんじゃだめです。野暮ってもんです。
 ナッテルの開発、ペーネミュンデでやっていない、なんてのも突っこんじゃだめです。それも野暮です。
 それと、中読んでいただければ判りますが、あんな事やこんな事の約束は守っています。誰それが元気とか、もっと酷い目に遭うとか、○○だった××とか……。

 物語の進め方、考え方は例によって水戸黄門です。現実にあったかも知れない兵器を使って、ああだこうだやっています。
 本当だったら思想的な何かとか盛りこんだ方が重みも、奥深さも出せるのでしょうが、水戸黄門にそんなものはありません(と、思う)。
 今でこそこうやって太平洋戦争を舞台にお気楽な話も書けますが、二十年前、三十年前では考えられなかったでしょう。……十年ぐらい前でも、架空戦記の作者に国粋主義、共産主義、双方の方々から抗議の手紙が届けられた、なんて話を聞きます。もうちょっと言うと、ぼく自身も一通だけ抗議の手紙を受け取ったことがあります。
 太平洋戦争の悲劇、というものを忘れちゃいけないし、そうしたテーマの作品も必要です。ぼく自身の著作の中にもありますが、少なくともこれは違います。
 太平洋戦争当時、陸軍海軍の中には藩閥が残っていたそうですが、今では藩の事なんか気に掛ける人はそうそういません。
 水戸黄門ではないですが、時代小説も似たようなものではないのでしょうか? 時代小説、歴史小説の範疇はやはり江戸時代とか、それ以前が主流で大正の頃を書いても受け入れられません。ところが、時が流れて昭和初期が範疇に収まってきたのではないか、ってのはうがちすぎでしょうか。
 まあ、時代小説の人に聞いても幕末から明治はそれほど読者に受け入れられているわけではない、とおっしゃるので間違っているかも知れません。

 ワタクシ事ですが先日、if−conという集まりに参加してきました。東京は本郷の安宿で八〇人ぐらい集まりです。主催者はなぜか昔から知っている人でその縁で声をかけて貰いました。
 内容的には青山や、まあ、この本の類書を書いているような人たちを集めたイベントです。モノ書きというものはつるみたがる癖があって横の連絡は結構緻密なのですが、青山自身はミリタリー系のつながりはなく、同種の集まりに顔を出すのは初めてでした。
 最初、大村芳弘さんと一緒にインタビューというのを受けました。昔の作品の話とか、次の作品とか(つまり、あなたが手にしているこれです)。喋るの苦手なので受けたかどうかが心配です。

 やってきた作家さん、読者の方々の中には、もちろん知っている人もいましたが、そうでない人も沢山いて情報交換に大変役立ちました。その場に来ていない知人の動向とか、あまり表向きに出来ない話などです。表向きにできない話は面白いのですが、もちろんこんな場所には書けません。
 来年もあるということで「また、来てください」と言われました。行けたら行きたいのですが、そんな先のことは判りません。生きているのやら死んでいるのやら。借金取りに追いかけられているかも知れません。まあ、借金はしていないので大丈夫とは思いますが。

 さて、この武蔵。一応、続きも考えています。
 ヨーロッパでああだこうだがあって、酷い目に遭う人は酷い目にあって、ラストシーンまで決まっています。
 そこへ達するまで青山の気力が持つか萎えるか。
 受ければお調子者の青山、乗ってしまうでしょう。受けなければ、落ちこみます。
 はてさて、受ければ嬉しいのですが、皆様の反応はいかがでしょうか……。

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