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2011年12月の近況
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2011/12/10 土曜 復調?
 昨日、娘の三者面談。
 成績、急降下を続けていた娘だが、停止した模様。先生とじっくり対策を練る。
 で、この先生、筋モノだと聞いていたが、本当に筋モノだった。ケータイのストラップは787。娘によると787が日本に始めてきた時、見に行ったという。
 ぼくがデイトンに言った時の話をするとピンとこない様子。
青「X-29が触れるような場所にいるんですよ」
先「翼がこうなっているやつですか?」
青「前進翼のやつです」
先「いえ、私はこういう趣味は最後はカーゴに行き着くと思うんですよ。787を見に行ったとも交信を聞いていて、どこにいるんだろう、と思っていたらあの形からすぐに判りました」
(787はボーイングとは思えない斬新な形をしている)
先「SC9カーゴを後から入れられるかどうかとかね、気になるんですよ」
青「だから787ですか」
2011/12/12 火曜 かと思ったら……
 朝八時覚醒。これは好ましい。ぼくにとって理想的な目覚めの時間だ。
 が、激しい便意と嘔吐感。どちらを先にするかと悩んで先に吐くことにする。何も出ない。苦しいだけ。水を一杯飲むと、今度は苦く酸っぱい水が出る。だいぶ楽になるが、五分おきに便意が襲ってくる。こちらも固形物が出たのは最初だけで、後は水だけ。

 便意が収まると睡魔。浅い眠りにのたうち回りながら、脳みそがはっきりしてきたのは午後四時。
 かろうじて陽が残る中、買い物。

 だいぶ復帰してきたので、飯を少しだけ食い、娘の英語を絞る。絞り甲斐がある。この調子で続けていけば、相当上がるだろう。

 で、あんなに寝たのにあっさり眠れるから不思議だ。
2011/12/15 木曜 星空
 夜明け前に覚醒。
 外へ出てみるとまだ暗い。ただ、月が明るくあたりを照らしている。

 双子座が気になって、見つめているとポルックスの上あたり、左に流れる一等級ぐらいの流れ星が見えた。
 カネカネカネ、と叫ぶ暇もなかった。
2011/12/22 木曜 正常復帰?
 前日、娘の学校へ行ってきた。いや、給食費が引き落とされていなかったので「このままだと一月は食わせんぞ」と言うので支払ってきた。

 ガストで仕事。時間を選ぶとガストも空いているし、安い。が、寝落ちする。もっとも、おかけでこのところ狂っていた生活リズムが元に戻った、気がする。

 娘の終業式。「疲れた」を連発するが、成績表は「てめー、何やってやがる」レベル(例の筋ものの先生との三者面談で判っていたのだが)なので、しばらく休ませた後、理科を絞る。
 娘よ、家に理科と数学と国語と、英語と歴史の先生がいるのに利用しない手はないぞ。
2011/12/26 火曜 まだだめ
 朝通常起動。が、本調子ではない。
 何だっけな? 用事を少し片付け……思い出した。マックで仕事。モノ書きに盆も正月もない。昼頃、混んできたので撤収。

 家で少しへたり、税金を納める。
 頭がふらふらする。風邪の症状である。寒気もする。いかんなあ。
2011/12/31 土曜 総括
 今年が終わるまでまだ何時間かあるが、今から総括したからと言ってバチも当たるまいし、大した変化もあるまい。
 一文字でまとめると「厄」であった。
 前半はまあまあだった。仕事も細かいながらもポツポツと入り、かつかつながら何とか生活を続けられた。
 夏、去年に続き娘のホームステイにつき合い、一ヶ月アメリカの従兄弟の所に世話になった。
 夜は従兄弟とリビングで映画など見て、朝日の出と共に起きだし、仕事をして、娘を迎える。従姉妹の奥さん(アメリカ人)はいたく娘のことを気に行ってくれて、穏やかに生活を送れた。娘がresident campに出かけている一週間を利用してデイトンの国立空軍博物館に遊びに行った。バルキリーの実機がおかれている世界最大の航空博物館である。一泊20ドルの安宿に泊まり、レンタカーで博物館に通いつめた。夢のような一時だった。

 帰国してからが地獄であった。
 一気に体調を崩し、眠れない、起きられない、身体が動かない、という状況が続いた。
 だましだまし仕事を続けたが、気力が続かない。ほとんど、寝たきり老人のような生活である。この状態は今でも断続的に続いている。
 PCに向かえば手は動くが、どうしても稼働時間が足りない。畢竟、枚数も減る。

 続いて先達、友人の死。小松先生も非常に元気だったのにあっさりと大往生を遂げてしまった。なんかその辺をふらふらしているような気がして仕方ないが、予測していなかったのでショックである。
 年若い友人の死。去年の末頃、若年性ガンで加療していると聞いていたが、あっさりと逝ってしまった。若いながらも泰然とした物言い、態度に触れられないのは心痛である。この時も精神的な影響か、葬儀の日にはまったく身体が動かず、薄暗い自室で横になったまま過ごした。

 2011年という年は、世界的にも、日本的にも、そして個人的にも災厄の年として記憶されるだろう。
 来年は何とかしたいものである。


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