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2008年07月の近況
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2008/07/01 火曜 寝る。
 布団に入るが、予想通り眠れない。足を洗い、タマネギを切り、羊を56億3000万匹数えても眠れない(どれも、寝付きの良くなるおまじない)。
 やっと寝付いたのが明け方。と言うか、朝。頭を使いすぎて体を動かしていないから、ただでさえ狂い気味の睡眠サイクルがぐちょんぐちょんになっているのだ。
 元に戻すやり方がまだあるのだが、キツイんだよな、これ。でもやるしかない。このまま悪循環が続くと、仕事に影響が出る。
(この項、続く。と思う)

2008/07/02 水曜 寝る。
 朝までやるかと思ったが、午前二時頃撤退。
 どうせ寝られないんだろうなぁ。

 てなわけで眠れず。
 朝方がた、うとうとする。そのまま打ち合わせ……になるわけがない!
 さっさとゴメンして退去。家に帰って、仕事、のつもりが寝てしまう。

 と、携帯に電話。
 青山の親戚(従兄弟)から(T叔父に何かあったのか、とびびった)。
「トモちゃん、カッセイコウセンってなに?」
「どーゆー字を書くんだ?」
「わからねー。なんでも葉緑素の活動を活性化するらしい」
 ……子どもの宿題を見ているらしい。
「だったら、緑色光線だろう。クロロフィル……葉緑素ってのはなぜか緑の光に反応するんだ。なんだったら『緑色成分』でもいいと思うよ」
「ありがと、にーちゃん」
 いまを起こせば十年前、こいつの物理の問題を電話で指導したっけな。

 幸い、この電話で目が覚め、娘の迎え。
「ねむいー」
 よしよし。

 おとーさん、死ぬちょっと前。

2008/07/03 木曜 寝る。
 48時間パターンにすれば復活するかと思ったらダメ。
 昼過ぎまで寝る。

「イカン、事故るぞ」
 と、不安を抱きつつ実家経由ケアセンター。センターで介護師さんとあって無事、契約。この後、契約を元にセンターが市に情報開示を求め、これを元にケアプランを作り、ヘルパーステーションを探すという。
 おい、親父、本当に死んじゃうよ。

 帰宅、外へ出て仕事。零時を回る。

2008/07/04 金曜 寝る。
 と言うわけで、某ファミレスで日が変わるのをみながら仕事。
 帰着。
 寝る、が、眠れん! パターンが崩れたままだ。

 明け方やっと寝付く。寝る。寝る。寝る。ただ、ひたすら寝る。

 デニーズに出勤。
 途中、行きつけの蕎麦屋の前を通るとそば屋のご夫婦が店の前に出て北の空を指している。
 サーチライトのような光が明滅している。
 すわ、宇宙人の襲撃か! インデペンデンスデイだし……と思ったら、稲光であった。

 仕事。どこかでなんとかせんと。

2008/07/05 土曜 そしてまた日が変わる
 デニーズで仕事。
 帰宅。深夜の街は日中と違ったたたずまいを見せる。危険は感じない。ただ、暗がりからお姉さんが「マッサージどうですか」と声をかけてくるのが鬱陶しい。

 寝付いたのが明け方。すでに外は明るい。
 ヤマハへ行った娘に「おとーさん、ジャンボリーの説明会」と言われて焦る。ほぼ、徹夜仕事で伸びていたのだ。
 いまから駆けつけても時間的に間に合わない。寝る。

2008/07/06 日曜 学校説明会
 塾の指導で近くで開かれる模試兼説明会へ。睡眠不足でへろへろ。
 しかし、こんなところにこんな付属中があったとは知らなかった。
 施設はさすが、大規模私学の付属だけあって充実している。
 しかしながら、資料を見るかぎり娘にとっては役不足。説明会を聞いていてもやはり生ぬるい。校長、教頭が強調する「充実した行事」もぬるい。
「何かをしよう」というより「何でも出来る昔ながらの学校である」
「自主性の尊重」というが「自主性がないから、自主性を引き出してやらなければならない」のが現実。中学生の自主性なんてものに全部まかせてみろ。朝から晩までゲームやっているに1000ガバス。

 生徒というものは周囲に引っ張られるから、周囲は同レベル程度よりちょっと上の方が望ましい。もっとも、それは理想論であって、現実は何とも言えないが。滑り止めかな? とは思うが、入学式に日の丸を掲げている私学ってどうよ?

 笑点を見て、飯食って、倒れる。

2008/07/08 火曜 父が亡くなりました
 七月八日、虚血性心不全による心室細動から、右心房の停止。午前11:48。享年79歳。

 通夜、七月九日、18:00-19:00(入棺、16:00)
 葬儀、七月十日、12:00-13:00

 東京都小平市上水南町2-11-20、大仙寺本堂にて。
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&scl=25000&grp=all&nl=35/42/28.645&el=139/29/17.066&coco=35/42/28.645,139/29/17.066&icon=home,,,,,

 大仙寺は歩いて20分ほどかかります。JR国分寺駅よりタクシーが推薦です。

 問い合わせは042-347-3330「メモリアルアートの大野屋」まで。

 親族も見ているための公示です。智樹友人、出版関係の方々におかれましては弔電、弔問、お気遣いなきようお願いいたします。


2008/07/08 火曜 別れの日1
 朝四時、電話が鳴った。
「お父様が病院に搬送されました」

 と言うものだった。場所は府中病院ではなく、榊原記念病院。
 循環器専門の病院である。慌てて自動車を走らせる。
 初めての病院とて場所も、駐車場も、救急の受付場所も判らない。とにもかくにもCCUの場所を見つけ入れて貰う。集中治療室と言うことで入室に当たって、マスクをかけ、手を洗う。
 CCUの完備されたベッドで父が横たわっている。
 枕元のディスプレイにはヴァイタルが表示されている。血圧、正常。脈拍、正常。心電図ばかりはイヤな感じではあったが、もともと、何度も心筋梗塞を起こしている。普通でも正常は望めない。
「どう?」
 父に問いかけると、
「ああ。だいぶよくなった」
 はっきりとした答えが返ってくる。
 父は何度も運ばれている。最近多かったのが不整脈による搬送である。ただ「胸が苦しい」で救急車で運ばれる。この場合、大抵安静にしていると治ってしまう。拙いのが「胸が痛い」である。この痛みは血管が破壊される痛みで死に至る可能性がある。
「いまはもう平気だ」
 別室だったか、父と会う前だかその後だか覚えていない。カンファレンスを受けた。
「当初、心筋梗塞の兆候が見られたが収まっている。バルーン術も検討したが、年齢や情況、落ち着いているところを見て、見合わせた。入院して経過観察としたい」
 府中病院と全く同じ判断である。
 心臓に血液を供給する冠状動脈が三本ある。父の場合、一本は完全に詰まっている。もう一本も九割ほどが狭まっている。本来であれば一センチの太さの血管が、一ミリにまでゴミによって縮まっているようなものである。もう一本が七割。
 普通は一本が100%詰まれば死ぬ。別の知り合いのドクターによると「100%でよく生きてますね」。副動脈流とか言うらしいのだが、心臓が自分で勝手にバイパスを作ってしまうことがある。父の場合、少なくとも二ヶ所、このパイパスが出来ている。だから生きているが、バイパスとはいえ、非常に細いものである。高速道路の側道みたいなものであてにはならない。

 従って、府中病院のドクターの判断では
・100%をカテーテル術によって開削する。ただし、成功率はきわめて低い。
・90%部分を広げる。危険性の割には効果は疑問。

 安静現状維持、が取られた。従前通りの診断である。
 正直なところこの時点で心配はしていなかった。
「あーあ、入院か……」
 と、がっくりしていた。入院そのものはどうと言うこともない。飯も出れば、いざというときの治療にも不安がない。だが、ある程度入っていると、日時の感覚がおろそかになり、ボケてくる。
 見舞いというか、衣類を着替えたりすると「あれ? T、また来たのか? 昨日も来なかったか」
「ぼくは智樹だ。あんたの息子だよ」
「ああそうか」

 体力も衰える。運動制限がかかるためである。昨年暮れから、正月にかけての入院で父が実家に戻り、一人暮らしを再開すると目に見えて部屋の掃除、選択がなおざりになった。復帰や食事のためにいささか苦労した。アレをまた繰り返すのか……と思うと、少々疲れた。

 付き添いでもCCUには泊まれない。ましてや、安定している。軽自動車をかり、帰宅。就寝。
 十時頃、再度、電話が鳴った。
「不整脈から心室細動を起こした。電気ショックかけたが予後が判らない」
 どちらも、去年一度はたどった途だ。……同時に危ないのも知っている。去年は府中病院のK先生が「もしもの時は、どうするか? 人工心肺をつけるか……」なども聞かれでいる。

 電話の声は告げる。
「先生から聞いているかと思いますが、何かあった場合、どうします? ……人工心肺か……」
「いえ、なにもしないのなんなので、形だけでも心臓マッサージくらいお願いします。胸開は不要です」

 たまたま在宅であった娘の母親に声をかける。
「危ない。来るか?」
 二つ返事で自動車に飛び乗った。

 味の素スタジアムのすぐ側の病院。ちょっと待たされた。
「きっと、処置をしているに違いない。だから時間がかかっているのだ」
 ドクター二人がカンファレンスルームへ現れた。
 府中病院からカルテを取り寄せた、所見の説明。二度、電気ショックをかけた……。ちょっとイライラした。心室細動はどうなった?
 父と対面。心鼓動はゼロ。酸素流量も計測できない。
 側頭部に手を当てる。
「どう、調子は?」
 まだ、暖かいが答えはない。瞳孔の拡大を確認して、死亡確認。午前11:48分。
 もう一度、ドクターと話をする。ドクターとしては「度重なる心筋梗塞と、胃癌、肺癌、前立腺癌というのはかなり特殊な症例である。精査しても、構わないか? 遺族によっては気になさる方がいらっしゃるが……」
 つまり、解剖してもいいか? である。
 府中病院でも似たようなことを聞かれた。答えは用意してあった。
「府中病院でも同じ質問を受けました。あすこでは研修医制度を取っており、若い医師の研鑽に役立つのであれば厭いません。ですが、たかが、年寄りの心筋梗塞の確認が先生方のお邪魔でなければ、ご遠慮いたします」
「まかせていただけると言うことでしょうか」
「はい」
「本院でも、研修医ではありませんが、それに近い形を取っています。よろしいでしょうか」
「もちろんです」
 同意書に署名。

 しばらく待つ。子供の学校に電話を入れ、忌引きの手続きを取る。自動車でランドセルのまま迎えに行き、病院で待つことしばし。

 かなり多数の医師が廻向に現れる。きっと検死解剖に携わったのであろう。
 検死解剖に立ち会った医師の所見。ぼくが問い合わせたものもある。
「冠状動脈が二本つまっていました。大きな所見はここだと思います」
「他の小さな梗塞は見られませんでしたか?」
「そこまでは見ていませんが、あったとも、皆無とも言えません」

「肺はかなり癌が広がっていました」

「前立腺に関しては今後精密検査が必要ですが、骨転移を起こしていた恐れがあります」

 霊安室に移動。
 執刀にかかわったドクターや、朝の四時から付き添ってくれたナースさんが来てくれる。
 葬儀社とのやりとり(病院出入りの葬儀社、寺院出入りの葬儀社の調整)があったが、寺院に一本化出来た。
 夕刻、父を自宅に安置。枕元に線香を置き、顔に白い布をかけているが、時折、寝返りを打つような感触が伝わってくる。
 その横で、電話、メールの嵐。

2008/07/09 水曜 別れの日2
 朝早く、寺へ。
 住職と打ち合わせ。墓の使用許可者名を書き換えたり、個人の人柄、どんな人生を送ったのか、等を書類にする。全く別の友人の坊さんから話を聞いたことがあるのだが、下手に死体や骨をその辺に捨てたりすることは出来ない。寺もまたお役所に提出しなければならない書類がある。

 父の人生にとって……同年代の人なら大抵そうだろうが、戦争体験が大きく影響している。実戦参加はしていないが、従軍経験がある。航空隊所属で、特攻隊に行き損なった。これらは戒名(本当は法名と呼ぶらしい)をつけるのに関係してくるらしい。
 法名をどうするか、若い住職で、お金の話など、突っ込んだ話をしてくれる。
 幸いにして話はまとまり、帰宅、と言うか、実家? へ。
 父の遺体の横たわっているすぐ側で、事務作業。何となく、隣で寝返りを打つような気配が伝わってくる。亡くなったのが、信じられない。
 三時過ぎ、葬儀社の人が来る。名前を出せば知っている人も多いだろう大手で、色々としっかりやってくれる。
 寝台車で寺へ移動。すでに親戚数名が来ていた。入棺作業中に遅れていたR叔母が到着。入棺までに残っている兄弟全員が顔を揃えた。
 場所はお寺の本堂。祭壇もそう盛大なものは作れない。元々の祭壇が隠れてしまうからである。台所事情もあり、背の低い見場のしないものを選んだのだが、本堂の雰囲気と花束がいい雰囲気を作ってくれる。
 通夜の夜。急な呼びかけにもかかわらず、多数が集まっていただける。
 地域、近所の方、戦友。受付は従姉妹と義妹が名乗って出てくれた。

 僧侶も住職と、副住職が二人で経を上げてくれる。結構遅くまで、親戚同士の話題に花が咲く。
 タクシーを呼んで乗り切れない人たちはぼくが自動車で駅まで送った。
 帰宅。

2008/07/09 木曜 別れの日3
 本葬。
 肺癌だってのに、最期まで辞めなかった煙草を探している内に時間が迫る。親戚を含め、昨日以上の人数が集まってくれる。
 読経を中断し、戦友会の会長が弔辞を読んでくれる。
 80となると会葬者も減ってくるものだし、出棺の時に人手にも苦労するが、従兄弟や、父の戦友たちで全く苦労しなかった。
 喪主挨拶で常時多数の病気を抱えていたこと、二度の癌を乗り越えていること、氏の前日まで自分ですべての家事をこなしていたこと、オートバイが好きで亡くなる三日前までスクーターを乗り回していたこと。結局は心停止が命取りとなったが、血圧の低下を伴っていたため、意識が失われ苦しみはほとんどなかっであろうことを告げる。

 ……実際、肺癌や、間質性肺炎による死は実質的に緩慢な窒息死であり、癌が神経系統に転移すると、激痛を引き起こす。
 息子としてはもう少しがんばって欲しかった気もするが、本人は60年前に死んでいた積もりだったので、天はかなり長い余命を与えてくれたと考えることにする。

 火葬場へ。
 一礼して炉の中へ。

 待機の間、ここまで来てくれた人たちと話をする。そうこうしているうちに案内の人が「そろそろ時間です」と告げてくる。
 父は骨になっていた。骨を拾う。ここまでやってきてくれた飛行隊の人たちも。父は文字通り、戦友に骨を拾って貰ったことになる。骨の量が非常に多く、一番大きな骨壺を用意して貰ったのだが、入れるのに苦労する。

 寺に戻る。繰り上げ初七日法要。
 献杯の音頭と、挨拶をT叔父に頼む。子供の頃の話を始めて聞く。

 墓……いまは母が眠っている……に、皆を案内し、何となく流れ解散。
 実家に骨壺を奉る段を作り、数ヶ所へ電話。
 やっと降りた要介護認定でお願いしたケアワーカーさんに連絡を取り、本来であれば明日、父を連れて行くはずだったホスピスをキャンセルする。来週に予定されていた府中病院の受診もキャンセルしないと。
 帰宅。

2008/07/11 金曜 さすがに疲れた
 と言うわけで、通夜から葬儀が急だったのは今日が友引で火葬場が閉まっているため。土日はお寺さんも都合がつかず、かといって週をこすとこの暑さで……まあ、色々ある。
 半日延びて暮らす。

 夕方よりデニーズで仕事。あんまり続かず。やはり気力が萎えているのか?
 コミケ用のゲラを受け取る。これも見ないと←冷静そう見えるかもしれませんが、結構色々とキています。

2008/07/12 土曜 ため込んだ
 ため込んだ用事を片付ける……でも、片付かない。
 午前中、塾の親子集会へ。
「夏休み、と考えず『夏学期』と認識して欲しい」
 まあ、気持ちは分かる。

 そのままヤマハに放り込み、自宅でなにしたっけ?
 娘がなかなか帰ってこないので、留守番できるように手配して、実家へ。
 亡父の仏前に線香を上げたいとのこと。子供三人連れて茨城から自動車で来てくれる。

 夕、外へ出て仕事。

2008/07/13 日曜 仕事
 朝からデニーズで仕事。
 仕事と言っても、コミケ用新刊のゲラ読み。でも、これが、ぐふふふふ。

 今月末の仕事も進めるが……日曜でもあり、店がめちゃくちゃ混んでおり追い出される。
 図書館へ。頼んでいた本を受け取りに行くが、ちょうど一週間と言うことで本館に返されてしまっていた。ううむ。ぼくが取りに来た時はいつも閉まっていたくせに。再度リクエストを入れ帰宅。

2008/07/14 月曜 伸びる
 なんか半日延びる。疲れが出たか?

 夕方。デニーズで仕事。さすがにすいている。深夜まで続け帰宅。夜の街は不思議だ。

2008/07/15 火曜 伸びる
 昼頃からデニーズで仕事。
 相当、追い込まれている。夕方には電池切れ。腹も減ったのでマックに移動。バーガー食って仕事。
 塾へ迎えに行く。
 先日の統一テストが返ってくる。ううむ。決して悪くはないのだが、弱点が弱点としてはっきりしてきている。はっきりするのは悪くはないのだが、手当をしているのに効果が上がっていないことを表すからだ。
 先週休んだフォローをお願いする。本来なら総合回なので、適当にお茶を濁すのだが、娘が苦手とする割合とか、面積を集中的にして貰うことにする。

2008/07/16 水曜 打ち合わせ
 午前中、マックでコーヒーを飲みながら仕事。
 昼、何とか都合がつきそうなので、デザイナーさんのところで打ち合わせ。ゲラの最終突き合わせ作業。出張校正は久しぶり。
 ……いや、だからつまっているんだって。
 でも、できがもの凄く良い! デザイナーさんもノリノリ。
 ま、インサイトでやっていた「若きゲーリングの肖像」をまとめて一冊にしたのだが(改題『蒼き鋼鉄』)、おお! という出来。デザイナーさんも「まさか、この本が役に立つとは」とか言いながら、資料写真を見せて貰う。
 ズラリと並んだリヒトホーフェン・サーカスのアルバトロスとか、D7の前で記念撮影をしたウーデットとか、モラン・ソルニエのガローウェッジがはっきりしている映像とか、燃える。
 けど、この頃の飛行機の進歩ってすごいなぁ。フォッカーE1が、1000mまでの上昇時間が五分とか六分かかっているのに、D7では二分を切る。

 もっとも、修正の突き合わせとか馴れない作業もあってえらく疲れる。

2008/07/17 木曜 仕事
 朝からデニーズで仕事。
 平日だというのに、やけに店が混んでいる。
 早めだが、脱出。不動産屋へ行って家賃の話と、ちょっとした相談。ううむ。あと、あれとあれとあれの役所仕事が残っているか。親父の携帯電話も忘れていた。電気と水道とガスも今月中に何とかしないと。

 血圧がどうにもならんので、泳ぎに行く。午後五時。すでに夏仕様で外のプールも使えるが、水温が低そう。
 中のプールでたらたら泳ぐ。
 結構込んでいる。3700。最後の方ではガシガシ飛ばす。

 運動後、血圧を測ってみると、78? 低すぎだよ。頭がふらふらする。

 夜、なんとなくテレビでやっていた映画。「ハッスル」を見て寝る。

2008/07/18 金曜 水晶髑髏
 朝からデニーズで仕事。
 平日だというのに、やけに店が混んでいる。
 ふと思うと夏休みである。副店長さんに話しかけてカウンター席に移る。本当なら席を空けても良いのだが、あとどうしても30分かかる。
 それと、特定のメニューを頼むとドリンク券をくれるというので、それを頼む。バジル風味の冷たいカペリーニ。おいしい。

 帰宅。娘に塾弁を作り送り出す。
 で、今月はぼくの誕生月なので、誕生月割引で「インディ・ジョーンズ、クリスタルスカルの王国」を観に。
 以下、ネタバレ多数。
 いやあ、良いバカ映画でした。

 初っぱなのアメリカングラフィテイごっこはいらないとか、いきなりstrip51って何かと思ったら、そういうオチかとか、ロズウェルとかはいらないのではないかとか、お父ちゃんは死んじゃったのかとか、スカルは盗まれる前は12個揃っていたんで今になってああする必要はないんじゃないか、とか、マリオンは酒を飲まないのかとか、爺さんその年になって殴りあいするんなら、やっぱりムチを使った方がいいんじゃないかとか、あんなもの使って引っ張り出されるんだったら、やっぱりムチ使えよとか、突っ込みどころは満載なんだけれど、こういうバカ映画大好き。
 あんまり売れていない、と言うのもなんとなく判る。1,2,3全部見ていないと、笑えないわけで、1なんて若い人は覚えていないだろうし、2はもともと観ない方が幸せなぐらいの「↓」な映画だけれど、観てないとマット(雑種犬)との関わりは判らないだろう。
 ぼく個人としては式場でなんとしても殴り合いをして欲しかったが、オチはつかなかったなぁ。


 と言うわけで、次はポニョかな?

2008/07/22 火曜 仕事
 朝からデニーズに出勤。
 夕、久々に泳ぎに行く。
 お、屋外プールが開いている。水温もそんな低くないので、外で動く。日焼けが気になったが、傾いて久しい。

2008/07/23 水曜 前々々日準備
 午前中、地元のいわゆる「カーニバル」の前々々日準備。荷物運び。が、低血圧症状でふらつく。
やくにたたん。
 昼過ぎ、打ち合わせ。

 帰ってくると、頭のシンがふらふらしているのに気づく。風邪の症状である。いかん。少々伸びる。

2008/07/24 木曜 伸びる
 やはり風邪を引いたらしい。午前中、全く起き出せず。前々日準備はパス。
 午後になってお寺さんへ。ふうむ。仏事って本格的にやると、こんなに本格的なんだ。
 帰路、やけに腹が空いているのに気づく。考えてみれば朝からなにも食っていない。そりゃそうだ。ずっと寝ていたんだから。前から気になっていたラーメン屋に飛び込む。トンコツ二段出汁。結構美味い。

 時間が少しあったので医者へ。
 色々とやらなければならないことがあるのだが、伸びる。

2008/07/25 金曜 仕事
 朝から延々デニーズで仕事。

2008/07/26 土曜 カーニバル一日目
 朝、宣伝カー。
 昼、色々飛び回る。
 夕、花火の打ち上げの時、バケツを持って飛び回る。

2008/07/27 日曜 カーニバル二日目
 朝、宣伝カー。
 昼、色々飛び回る。
 夕、花火の打ち上げの時、バケツを持って飛び回る。

 おやじの会。ビール売り上げは良好だったらしい。校長先生とも話が出来る。

2008/07/28 月曜 家が少しずつ死んでいく
 朝からデニーズで仕事をしていると、電話。東京電力から。電気のワット数を下げる工事をお願いしていたのだが、すっかり忘れていたのだ。
 時間調整をして貰い、慌てて電車で駆けつける。
 お互いぴったりぐらいの時刻に着く。

 工事はすぐ終わる。電話会社に電話して、電話を止めて貰う。ガスはすでに止まっている。たまに行くことがあるので、水道は生かして置くべきだろう。郵便局で郵便物転送の手配。二台ある冷蔵庫の内、片方の中身を処分すべきものは処分し、そうでないものはもう一台に移動。コンセントを抜く。
 他にもビデオや、テレビ。待機電力を消費するもののコンセントを抜き、冷蔵庫に接続している以外のブレーカーを落とす。
 別に何ら思い出がある家ではないし、思い入れもないが、少しずつ家が死んでいくような気がする。

 帰路、中央線が大幅に遅れる。総武線で事故があったそうだ。停止した電車の中で仕事を続ける。
 一度戻るかと思ったが、時間が中途半端だったのでドトールで仕事。
 と編集さんからゲラの催促。
 げ。まずい。

2008/07/29 火曜 仕事
 朝からデニーズで仕事。
 えんえん仕事。脳みそが煙を噴く。手が止まる。

2008/07/30 水曜 仕事
 午前中、コミセン打ち合わせ。
 午後はゴメンして家で仕事。娘が塾へ出かけるとデニーズで仕事。
 壁、突破。

2008/07/31 木曜 悲鳴
 午前中、デニーズで仕事。
 編集さんから悲鳴のような電話。
「もう一人の方は、ゲラが上がっているんです!」

 夕、ぼくの誕生日だとのことで外へ飯を食いに行く。

 突然ですが、来年より誕生日を変更させていただきます。
 もー、盆前進行のこのクソ忙しい時期にイベントはもうたくさん。
 仕事も忙しいし、誕生日と言うことで、時には免許証の書き換えとか、何とかの役所の手続きとか、飯を食うのも、寝る間も惜しいし、心臓の調子が悪いのに(こないだ、ぶっ倒れた)にの医者に行く間もないのに、ケーキなど食っている暇はない!

 よって、来年より青山の誕生日は「1960年6月6日」とさせていただきます。
 すでにいろいろなところのプロフィールは書き換えました。著者紹介も次回より変えます。とりあえず役所にも掛け合ってみようと思います。
 そんなことが今更できるかどうか判りませんが、ぼくの出生証明書は亡くなった祖母が書いているので(祖母は産婆でした。ぼくは自宅で産まれています)孫が書き換えるとができるかも知れない。無理か?

2008年06月の近況へ

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