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2002年07月の近況
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2002/07/01 月曜 久々の手紙
 梅原氏から久々に手紙が届いている。
 あんまり論評を加える積もりはないのだけれど、いままで「バカ」と呼んでいた相手を「アホ」と呼び変えても相手の実像に変化はないし、対応する態度を変える必要もない、とぼくは思う。

 梅原氏からの手紙、2002年06月24日

2002/07/03 水曜 ぼぇー(こればっかりやん)
 書庫の整理……四畳半の面積に本棚五本といたるところにバックルボックス(プラ製の箱、中身は本。引越し屋の使う小型ダンボール程度の容量)が45個+ダンボール数箱+ガンロッカー。
 床は本に埋もれて人が立つのもやっと、という場所を整理しようと思い立ち、いつもの陥穽にはまる。

 午前九時から、夕方まで漫画&再読の嵐。
2002/07/04 木曜 洗濯機
 洗濯機洗剤というのを買ってきて久々にかける。
 洗濯機の洗濯槽の裏まで洗浄するという薬剤なのだが、以前、何度か使ったところ……なんというか目立った効果はなかった。

 しかしまあ、なんというか、このところなんとなく洗濯物が臭い。
 湿気のせいもあるが、洗濯機内の雑菌が付いて繁殖するためである。
 気は心、いつもと違う安物を買ってきて使ってみると、ゲゲッ。

 出るわ出るわ、洗濯機の中にカビの膜がボロボロと浮かんでいる。
 なんとなく満足。
2002/07/06 土曜 執行部会と小松研
 午前中、保育園の執行部会。
 昼飯、吉祥菜館で回鍋肉。
 午後、小松研。
 夜、家に帰って掃除。

 つまんねー日記。

 ところで、アメリカの独立記念日が昨日だったはずなのだが、結局何も起こらなかったようだ。
2002/07/07 日曜 狐の嫁入り
 従姉妹(先年なくなったM叔父の娘)の結婚式。
 朝、娘の母親の両親に来てもらって娘を見てもらい、こちらは自動車を走らせる。
 外環に入ったとたん、グァグガガガァ。タイヤが異音を発して、ハンドルが取られる。
 あ、タイヤがやられたな、自動車を止めて確認するといまどきいきなりパンクである。

 いろいろ試した後、ホイールキャップも外れず、交換もならない。あきらめて(嗚呼、ホイール大丈夫だろうか?)近くのインターで降りてスタンドへ飛び込んで応急処置。
 とりあえず走っていると晴天にもかかわらず雨。

 どうにか親族紹介に間に合い、礼服のポケットを探っていると黒ネクタイと数珠が!
 これ着たの、M叔父の一周忌の時以来だ。叔父貴よ、もう二年頑張ればなぁ。

 披露宴最中の親族。主に青山家の発言。
「ブーケ、誰が取る?」
M叔母「あたしよ、あたし。権利あるんだから」←新婦の母。
A従兄弟「それ言ったら俺だって」←×一
A従兄弟の姉「条件さえ整えばあたしだって」←既婚。
新婦の姉「……」←未婚。

 帰路、時間を食ったがオートバックスでタイヤのメンテ。突然のパンクはエアバルブの劣化と判り、どーせ安かったし、他のバルブもアクシデントを起こす可能性がある。溝は残っていたが、前の交換から2年はたっているのでタイヤの全交換(タイヤとブレーキは命に関わる。そうそう、タイヤは消耗品)。
 無事、帰宅。
2002/07/08 月曜 暑い
 暑い。
 暑さに強いこの青山が暑いと感じるのだから、きっと物凄く暑いに違いない。

 午前中、デニーズで仕事。
 昼過ぎ、暑さに負けて思わず泳ぎに行く。素晴らしい。夏のこのシーズン、緑に囲まれた市民プールで泳いでいると、ここは夢の国ではないかと錯覚する。
 もっとも、体力は落ちきっていて二時間で2950泳ぐのがやっと。でも、気分よろしい。

 が、家に帰るとぶっ倒れそうになる。
 考えてみると、朝から何も食っていなかった。

 『陸上戦艦大和2』 242枚
2002/07/09 火曜 裁判記録
 航空土管という言葉を思いついたが、その先が進まない。

 昨日、調子に乗って炎天下で泳ぎまわったもので背中が痛い。
 筋肉だけでなく、この辺の調整も失敗している。うううう。

裁判記録【インターミッション】
2002/07/10 水曜 台風
 台風のはずなのだが、昼のうちは影響を感じず。

 朝、寝過ごす。
 朝のうちに片付けなければならない用事があったのだが、なかなか進まず。
 父母会の作業があったのに、食い込んでしまう。まあ、ぼくなしでどうにかできたらしいのでいいが。

 昼過ぎ、三鷹のデニーズで仕事。が、はかどらず。
 思わず椅子に寄りかかったまま寝てしまう。
 意識を取り戻すと、なぜか原稿が進んでいる。十枚ほどだけれど。
 テーブルの上に緑の小人さんの足跡がある(足跡だけで、なぜ、小人さんの色がわかるかは突っ込まないこと)。

 『陸上戦艦大和2』 255枚

 夕方、仕事場のメンバーで宴会。安く上がる。このメンバーは気が休まる。

 家に帰り着くと急に風雨が強まる。わくわく。
2002/07/11 木曜 台風一過
 朝から、暑い。
 武蔵丸は負けたらしい。悔しいからスポーツニュースは見ない。

 冷房の効いたところ----デニーズへ逃げるかと思ったが、こんな日に洗濯をしない法はない。
 風呂から残り湯を汲んで洗濯機を二度回し、普段の洗濯物、シーツを洗う。

 機械が仕事をしている間、ここ二三ヶ月たまったレシート、領主書を整理。ただ、月別に分けて掘り出すだけなのに結構時間がかかる。
 本当は分類してエクセルに放り込むまでやったほうがいいのだけれど、手が回らない。

 『陸上戦艦大和2』 257枚
2002/07/12〜14日 SF大会
 2002年SF大会「ゆ〜こんレポート」
2002/07/15 月曜 疲れた
 昨日の疲れが溜まっている。
 メール処理もままならない。

 昨日の日記にSF大会レポートをあげた。
 ぼくの真意は……上手く伝わっている自信がないけれど「自分がSFファンだと思っている人はSF大会に来てみてくれ」という部分にある。
 ぼく自身は、もう、とうが立ってしまったし良いSF読みではないけれど、大会は好きだしあとうかぎり参加する。
 一方、SF大会が抱える問題も知っている。
 だからぼくに出来るのは、こう言うだけだ。
「SF大会においで。楽しいから」
2002/07/16日 火曜 台風二過
 台風であるという。
 朝、わくわくして起きるとただ風が強いだけ。娘も、娘の母親も傘もささずに出かけていった。

 こちらはデニーズで仕事。
 帰りがけ、少し雨が降っていたが、面倒なので傘を差さず帰る。
 家で仕事したり、部屋を片付けていたりすると、次第に晴れてくる。

 夕刻。娘を迎えに行くとすっかりいい天気である。

 いいのか? 世の中の動きにこんなに無関心で。

 こないだSF大会レポートをアップした関係で他の人たちはどんな感想を持っているのだろうと(普段はあまり見ない)SF系日記更新時刻のリンクをたどって他の人たちのレポートを読んでみる。
 と、いささか気になる記述にいくつも出会った。
 要するに星雲賞のコミック部門の受賞についてである。
 曰く、
「誰にねじ込めばいいんだ!」
「レギュレーションを捻じ曲げているとしか思えない」
「なぜ、こうなったか、小一時間、問い詰めたい」


 つまり、規定に合致しない作品が受賞したのではないか、という疑問である。
 オーケー。責任の一端はぼくにもある。お答えしよう。

 どこにねじ込むかは日本SFファングループ連合会議である。具体的には議長の牧紀子か、事務局長の今岡正治だろう。連絡先は知っているが、とりあえず省く。

 ま、このぼくにねじ込んでくれて、なおかつ小一時間問い詰めてくれても結構。
 この問題(受賞作が適正かどうか)も含めて、連合会議は毎年SF大会の席上で二時間ぐらい時間を取っているし、この春には臨時総会を開いて徹夜で討議をしているのだ。一時間や二時間がなんだ。

 ファングループ連合会議とは何か、について星雲賞を知っている人は知っているだろう。もし知らなかったら、いつのものでも構わない。SF大会のプログラムブックを読めば必ず書いてある。

 ここを読んでいるのは、SF大会の参加者ばかりではないだろうし、星雲賞を知らない人もいるかもしれない。
 簡単に説明すると星雲賞はSF大会の参加者の投票によって選ばれる賞であり、SF大会とは、まあ、年に一度のSFファンのお祭りである。

 で、星雲賞の票を取りまとめたり、SF大会の開催を承認したりするのが連合会議である。
 任意団体であり、ファングループの代表者か、代議員を別に立てても結構。それで連合会議の発言権が得られる。ぼくは小松左京研究会の代議員として十数年、この席にいる。一番最初に連合会議に参加したのはエゾコン2の発起人としてだから、ちょうど20年前だ。

 承認と言うと大げさだが意見の調整役である。
 調整がないと、元祖SF大会とか、本家SF大会とか、トンカツ屋の家元争いみたいな事態に陥りかねない。事実、20年ほど前、東京でSF大会の開催が決まっているのに大阪でぶつけようとした事態があった。この話も面白いのだが本題からずれるので省く。

 さて、星雲賞は最終的にはノミネート作品の中からSF大会参加者の投票によって選出される。では、ノミネート作品はどうやって選ばれるか? まず、第一は参加グループへのノミネート作品選出依頼である。
 ここ数年はメールで、その前は郵便でノミネート作を選んでくれ、という依頼が来る。
 と、同時に一般向けにSFマガジン誌上で募集がかけられる。
 これで集まった作品を機械的にノミネート作として、参加者に提示され、投票が行われる。

 集まった票はこれまた機械的に開票される。開票とは言っても具体的には今岡氏が数えているだけである。ここに今岡氏や代議員の私情が差し挟まれる余地はない。

 つまり、受賞作がレギュレーションからずれているのではないか、という疑問が生じたとしても、機械的に投票を取りまとめたに過ぎないのである。もし、レギュレーション違反を責めるのであれば投票した参加者の責も問わなければならない。

 じゃあ、連合会議は規定をチェックしないのか、と言われれば、そんなことは無いのだが「していいのか」と言うのと「事実上出来ない」と言う二つの問題が生じてくる。
 後者は簡単だ。
 星雲賞の部門はいくつもに分かれ、それぞれ十作品がノミネートされる。対して、事実上一人で分別している。ある作品が適正かどうか判別するためにはすべての作品に目を通さなければならない。
 今岡氏も読んでいない/見ていない作品については詳しい人に聞く、と言っているが、ある作品がOKかNGかそう簡単に判断は下せない。
 時にはその作品がSFかどうか、の判断すら迫られる。

 次にして良いのかという問題が来る。
 ……何年前だったか「動物のお医者さん」がノミネートされた。
 幸か不幸か強力な対抗馬があったため得票数は二位に留まり、受賞はならなかったが、もし、取っていたら明白な決断を迫られただろう。SFファンが投票して、最多得票を得た作品がSFではない、という判断を。
(まあ、ぼくも「動物のお医者さん」はSFではないと思うが、仮にこれがバラード「太陽の帝国」や筒井康隆「大いなる助走」だったらどうすれば良いだろう)

 が、問題は続いた。
 翌年、翌々年。ノンフィクション部門でホンダの「P3」。ソニーの「AIBO」がノミネートされ、最多得票を得たのである。
 結果、臨時総会が催され徹夜で議論の末、本年度から「自由部門」が新設された。

 つまり、ぼくが言いたいのはこうだ。
「受賞作に文句があるやつは連合会議に出て来い」
「ノミネートに文句があるなら、ちゃんと投票しろ」

 連合会議に参加するのは簡単だ。
 公開なのでSF大会に来れば傍聴はできるし、発言もできる。議決権はないが、欲しければ適当なグループをでっち上げて「参加したい」といえば済む。年会費(ほぼ通信費)が千円ぐらいかかったと思うが、負担はそれだけだ。

 ノミネートと投票については述べた通りだ。

 たぶん、多くの人間がこうしたシステムの存在を知らないのだろう。
 WEBも作ると言っているし、情報公開は進むだろうが、とりあえず代議員の一人として、このページにぼくの判る範囲で説明を載せておく。
2002/07/17日 水曜 SF大会、光と影1 ゲスト
 朝から出勤。
 篠田さんと二人でワープロを叩きまくる。
 買い物をするつもりで仕事場向かいのホームセンターへ出かけると、ゲゲッ、潰れていた。
 流行っていたのに。安かったのに。

 以下、SF大会話。
 あんまり書く気はなかったのだけれど、ついでだからぶちまけよう。
 何年か前から、ぼくは連合会議の規定を変更しようと働きかけている。もっとも、他にも動議があったり、コクラノミコン訴訟(これについては別に頁を設ける)とかでぜんぜん進んでいないのが実情である。
 何かと言うと、前にも少し書いたが「ゲスト」についてである。
 SF大会にはゲストなる人物がやってきて、まあ、このゲストと会ったり話が出来たりするのがSF大会の魅力の一つとなっている。
 ゲストは作家であったり、マンガ家であったり、イラストレイターだったりする。

 が、このゲストがSF大会の会計を圧迫しているのは否定できない。
 都市型大会では大抵はゲストは無料招待である。合宿型では一部負担、と言う例が多い。

 仮に総参加者数一千名、ゲスト百名という大会を考えてみよう。都市型で大会全部負担だったとしたら総予算の十%がゲストのために費やされる。無意味な失費だとは断言できないが、SF大会の収入のほとんどが参加者の参加費によることを考えると、決して少ない額ではない。
 九千円で済む参加費が一万円に跳ね上がるのである。
 四十過ぎた今になってみれば、九千が一万だろうと大差はないが、学生さんとか、新入社員にとっては見過ごせる額ではない。額によっては参加者数にも跳ね返ってくるだろう。
 だから、ぼくはゲスト参加するクリエイターも自分で参加費を支払って一般参加すべきだと主張している。

 自分でも実践しているし、なんかの間違いでゲスト枠に入ってしまった場合は参加費相当の寄付を置いてくるようにしている。

 実はこれはぼくの師匠筋に当たる柴野拓美先生の常日頃の主張であり、ワールドコンでは常識化している。ワールドコンでは大会が費用を受け持つのはゲスト・オブ・オナーと呼ばれる数人だけであり、他の参加者はヒューゴー賞受賞者ですら自費である。

 本来であればすべてゲスト自費参加とすべきなのだろうが、いきなりは難しいところがあるし、連合会議の規定にもゲストのゲの字もない。一切規定されていないのである。連合会議では基本的に大会の運営は実行委員会にすべて任せ、運営に口出しをしないのが原則だからである。

 従って、問題は別のところに生じてくる。
 毎年毎年、ゲストの扱いが違ってくるのである。
 ある年、ゲストとして呼ばれた(仮に作家としよう)作家が、翌年、招待されないという事態が生じてくる。
 これが青山であるとか(勝手に名前出してごめん)伊吹秀明、大森望のようなファン出身の人物なら構わない。なあなあで済む。

 だが、これが宮部みゆきや、篠田節子なんて境界の作家、あるいは本を一冊二冊出した程度の新人だったら、どう受け取るだろうか? 下手をすると不審を招きかねない。
 三、四年ほど前の大会だった。
 ぼくの友人のAさんに聞いた話である。
 Aさんは個人的にマンガ家のBさんと親交がある。Bさんはここ数年、新作はないが大御所と言って構わない大家である。萩尾望都とか、大友克弘のクラスを想像して欲しい。
 BさんからAさんに手紙が届いた。
「来年は余裕がありそうなので、SF大会に参加したいのだけれど、自分なんかを呼んでくれるのだろうか?」

 このエピソードには二つの意味合いがある。
 一つはSF大会に参加したいのなら、自費で来ればいいという最前からの主張である。
 二つ目がそれほどの大家にいままで招待状を送っていなかったと言う事実にびっくりしたのである。

 ゲストが一定しないことはSF大会の対外的なイメージを損ねかねない。
 これは今述べた。

 実はもう一つはより深刻である。
 つまり、実行委員会がゲスト選定を毎年、行う実作業が発生するのである。

 いままで、ぼくは二度、SF大会の発起人に名を連ねている。
 エゾコン2とハマコンである。

 エゾコンの時は事務局長ということで
「ゲストはSF作家クラブ会員に加えて企画などをお願いする方々を招待する」
 と言う提案をしたのだが、他の委員が
「ゲストの選定は大会の見識を問われものであるから、SF作家クラブの会員であってもとらわれることなく独自に行う」
 と主張して対立してしまったのである。

 もう、20年も前のことであり、どのように解決したのだか覚えていないが、いずれにせよ企画が決まらないからゲストが決まらない。ゲストが決まらないから企画が立てられないという悪循環に陥り、大会の準備に多大なる悪影響をもたらした。

 それから十年も経ってハマコンに関係して呆れてしまった。
 エゾコンの時とまったく同じ状態が現出したのである。準備の進行は遅れに遅れ、恥ずかしくてあまり公にできない状態に陥ってしまった。

 だから、何度でも繰り返す。
 ゲストとして招待されるような人でもぜひ自費で、なおかつできるだけ早い時期に参加申込みをして欲しい。

 ことはゲストに限らない。
 SF大会はその時々の実行委員会によってどんな形があっても良いだろうが、40年繰り返してある一定のスタイルが固まってきたように思う。このスタイルを「こんなものだ」と連合会議で成文化しておいてもいいのではなかろうか。

 以下は、嘘か本当か知らない。
 コクラノミコンという大会は二泊三日の大会であった。なぜ、その期間設定を取ったかというと、前年度のハマコンが二泊三日だったからそのまま踏襲したのだという。
 連合会議の規定に、期間設定はない(期日設定はある。夏期というやつだ)。
 日本SF大会で最短は第一回のメグコンで日帰り。あとは一泊二日か、二泊三日である。
 どっちでも構わないのであるが、前年度の……などというと、これはちょっと違うのではないかと思う。

 もちろん、大会を開催しようとする者は大会の歴史を調べるぐらいは当然、という意見もあろうが、プログラムブックに「ゲストの規定」であるとか「期間の設定」が二三行書いてあれば、一定の作業量が低減できる。
 東京や大阪などの大都市圏ならともかく、地方都市では一人の人間がSF大会の運営に関わるなんてのは一生に一度あるか無いか、だろう。
 最低限のノウハウを残しておきたい。

 このことは一応、連合会議で発言して動議として提案できそうなところまで行ったのだが、まだ、できずにいる。

 ゲストについて付記すると、今年度の「ゆ〜こん」ではぼくのところにも招待状は届いた。
 ここには「実行委員会で金銭的負担はできないが、おいでください」ということが書かれていた(ように思う。資料も見ずに書いているので何ともいえないが)。
 ぼく自身はすでに一般参加で申し込んでいたので返事は出さなかったが、今から思うと一般参加するぐらいを伝えておいても良かったように感じる。

 ゲスト・オブ・オナーの豊田さんぐらいには便宜を図っているかもしれないが、少なくともぼくのところには上記の様な案内が届いたのを明記しておく。
2002/07/18日 木曜 SF大会、光と影2 カネ、カネ、カネ
 ……プロジェクトX風に。
 平成14年2月15日。福岡地方裁判所は一つの判決を下した。
「被告Hは原告に請求のあった480万余を支払え」
 いわゆるコクラノミコン裁判の判決である。
 第三五回日本SF大会コクラノミコンにおいて、委員の一人に有償で協力を依頼されたH氏が実行委員会の経費から、不正に金員を受け取ったとして訴えられた。
 この日、判決が下ったのである。
 だが、判決の内容は問題ではない、と青山は言う。
(テロップと映像、青山像)
「問題はSF大会がメシの種になるって部分です。良いか、悪いかは別にして」

 疲れたのでいつもの調子に戻す。
 戻したついでに話をいきなりブッ飛ばして、今からおよそ20年前。多分1982年か、83年の一月二日。ぼくは正月だというのに雨の降る札幌を彷徨していた。同行するメンバーは、さいとうよしこや聖性、熊岡守等であった。
 エゾコン2の会場となるホテルにあたりをつけるためであった。
 北海道で日本SF大会を開こうという動きはあったものの具体的には会場は決まっていなかった。さまざまな計画の中に札幌で都市型大会を開くというものも存在した。
 だが、データも何もない。
 千名程度の参加者を一つの建物に入れるられる会場をピックアップするのが目的だった。

 当時、札幌市内とはいえ千名を収容できる宿泊会場は少なかった。23歳(だよな)のぼくは無謀にも札幌中の大ホテルへ飛び込み「すみません。このホテルを全館借り切るとしたら、一晩いくらかかります?」と聞いて回った。
 あるホテルでの対応を覚えている。至極丁寧な答えだった。
「二千万円を申し受けます。個人さまでしたら、予約時点で全額のお支払いをお願いします」

 当然だが、その場に二千万もの大金は持っていない。
 そもそも、札幌行きの費用すらカツカツだったのだ。
 結局、札幌スタッフの調査と、交渉により定山渓ホテルという(一応、札幌郊外の)会場に落ち着いたのだが、カネの問題は残った。
 先のシティホテルのように「個人様でしたら」というのが曲者で、旅行会社を通せば全額前払いの必要などないのである。
 ホテルとの直接交渉を札幌スタッフに任せるとともに、対応してくれる旅行会社も探し始めた。

 今日ではSF大会の宿泊予約に旅行会社が入ってくるのは半ば常識化しているが、猛反対が起こった。

「SF大会はアマチュアの大会である。そこに業者を入れるとは何事か!」

 いかに反対されようと、背に腹は変えられない。
 結局、交通公社にお願いして宿泊のバックアップと、オプショナルツアーの設定までも頼んだ。

 ホテルの側からするとSF大会などという、千人もの団体客のとりまとめを任意団体に任せておいて当日、コケたらどうするんだ? という問題が出てくる。
 ところが旅行社を間に挟めば千人全員分、は無理としてもある程度は客を引っ張ってきてくれる。
 つまり、きちんと金が入ってくるとの安心が得られる。

 問題はカネなのである。
 なんだかんだ言ってSF大会ともなれば、とんでもない額の金が動く。

 それまで、SF大会は子供の遊びであった。言い方が不適当だとすれば、大学生の余技で開催できていた。エゾコン当事のぼくの立場は数学科の聴講生であった。

 だが、そのしばらく前よりSF大会の総予算は膨れ上がり、数千万の金が動くようになった。
 20年前、エゾコン2で二千数百万。
 今ではいくらになるのだろう?
 参加者数×参加費で大会に関して動く金の多寡がわかる。すぐ出せるので興味のある向きはやってみて欲しい。ゆ〜こんで参加費およそ三万円。参加者数700。これに加えて無数のオプショナルツアーの金が動くのである。

 大の大人が目の色を変える。
 エゾコンでは定山渓ホテル一つに絞ることができたが、そのあとのリゾート型の大会で三館に分散することがあった。建増しに建増しを継いだ複雑な宿が三つ。宿の中での移動ばかりでなく。行き来は面倒であった。にもかかわらず、一般客が宿泊しており、スタッフは当日、宿と宿の間を徹夜で確認していた。

 大会としては単一の宿での運営が望ましい。交渉の窓口も絞れるし、参加者の移動も考えなくて済む。宿によって食事内容が違ってくる、サービスが違ってくる、などというクレームからも逃れられる。他の宿泊客が入ってくるのも防げる。
 参加者だって同じだ。

 ダイコン4の時だったか。
 厚生年金会館かなんで、実行委員会が会場の全部を押さえ損ねた。
 会議室、大小のホールは確保したものの一つだけ、結婚式場だけ別の予定が入ってしまったのである。さすがに結婚式は盛り込めなかったようである。
 結果、SF大会のコスチュームバリバリ、芋を洗うような混雑の中、一般の人が花嫁衣裳で通り抜けるのである。
 SFファンは良いよ。
 だけれど、考えるだにサイテーの結婚式である。あの二人、今頃何をやっているのだろう?

 さて、話を戻す。さまざまな顧客の要望にもかかわらず、宿の側は会場を分散したがる。
 理由は簡単。
 カネである。

 ある温泉街で、一つのホテル/旅館にだけ、千人の団体が入ったら、他の宿泊施設が「ウチにも分け前をよこせ」とねじ込んでくる(らしい)。また、間に入る旅行社側のリスク分散の意味合いもあるのかもしれない。他の各旅行社が事前に押さえている部屋もあるだろう。
 エゾコン2も、結局は旅行社を通したとしても、定山渓ホテルと直接交渉した札幌スタッフの努力があって単館開催が実現した。努力は十分に報われただろう。前後泊付き二泊三日を単一のホテルで実施するなど、ある意味、無謀な試みに成功したのであるから。

 そんなことを考えるとゆ〜こんで、宿泊会場をわずか二つに纏め上げたのは褒められこそすれ、文句を付ける筋合いのものではない。

 ただ、今でもこれらの問題をクリアーする方法がある。
 カネである。
 いみじくも札幌のシティホテルがのたまわったように「宿泊費用全額を予約時に用意する」。
 つまり、札びらで横っ面を張り飛ばすのである。

 書こうかどうしようか悩んでいたが、書く。
 H氏に関連して、ハマコンの話である。
 公開されているデータを検分すると、コクラノミコンと同様の論理でH氏はハマコンにも自分を売り込んできた。
 厳密に言うと、だいぶ違う(と思う)。
「SF大会は今のような形ではやっていけない。誰かが報酬を受けて、雇われるような形で専任で運営に当たる必要がある。その誰かとは、青山、あんただ」
 である。

 ぼくはこの時、H氏が何を言わんとしているのかまったく理解できなかった。
 結局、最終的に専従でH氏がハマコンの運営にも関わることとなった。報酬を要求された。かなりの額だったが、実行委員会は承認した。口の悪い人間なら丸めこまれたというかもしれない。

 H氏が求めた最初の判断が「赤字」をどうするか? で、あった。
 もちろん、赤字は出ないように努力するが、出た場合は

1.赤字の原因になった人間が負担する。
2.責任が明確化できない場合、発起人が負担する。

 という合意に落ち着いた。
 最終的に赤字が出たが、ちょうどH氏への支払いの金額であったという(副委員長、山岡氏談)。
この金額の分担はぼくも受け持った。
 ハマコンではこうであった。
 翌年のコクラノミコン。何が起こったかはネットで検索してみるといい。
 前年、i-conでも実行委員長よりもH氏が前面に出ていた。何かあっただろうと推測できるが、推測でしかない。

 もっとも、ぼくは個人的にH氏に恨みもないし、含むところもない。
 ハマコン後も毎年、年賀状を送っている。まあ、返事はないが。
 H氏は仕事はこなした。事務局に泊り込み、家庭を顧みないほどの精力を傾けていたのを知っている。SF好き、SFファンとしては人後に落ちない。そうでなければ息子に雪風などと名をつけたりしない。

 もちろん、大会で(たとえばコクラノミコンのような高額な)報酬を得ようとするのはどうかと思うが、これは方法論の違いであって「旅行社に儲けさせるぐらいならば、自分が報酬を得て何が悪い」という考え方だって成り立つだろう。
 参加費の高騰という欠陥も生じてくるだろうが、その分、参加者の満足度を上げれば/大会のクオリティを上げればよいという考え方もできる。
 事実、今の大会は、結果論として、旅行会社に利益をもらしている。

 さて、ハマコンの前に、大会の運営をイベント会社に委託することも検討した。
 伝手をたどってある会社の人間に前々年度の大会に来て見てもらった。
 サイマルインターナショナルである。会議や学会などの運営を請け負う会社で、最大のものは東京サミットであるという。
 大会の会場に足を運んでもらって質問した。
「もし、このような会議をサイマルに委託するとしたら、いくらかかるか?」
 答えは次のようなものだった。
「一億から、二億の間」

 大会スタッフの皆さん、誰がなんと言おうと、自信を持ってください。
 あなた方は一億円分の作業をこなしているのだ。
2002/07/19日 金曜 SF大会、光と影3 お前なんて大嫌いだ
 ええい、もうここまで書いたのだから書く。
 差しさわりとかもあるかもしれないし、大体長くなるんで面倒なんだ。

 何度かSF大会に関わって学んだことがある。
 それは、一言に集約される。

「SF大会に関わる苦労のすべてが、人間関係に類するものである」

 ぼくが最初に日本SF大会に関わったのは84年のエゾコン2である。
 殺人事件だって15年で時効なのだ。少しぐらい公開したって問題はあるまい。

 トーコンのどれだったかで、熊岡守氏と知り合った。後のエゾコン2副委員長である。
 熊さんは「北海道でSF大会を開きたい」と強く主張していた。ぼくの周りにいた何名かが賛同した。当事、SF大会は東京と大阪が交互に開催しておりさながらキャッチボールの様相を呈していた。
 できるだけ協力する----そう約束して、その冬の北海道の地方コンに出席した。すっごく楽しかった。
「エゾコンが実現できたら、良いね」
 準備にかかった。

 が、準備を進めるにあたって重大な問題が明白になってきた。
 それは「北海道でSF大会を!」という主張が北海道ファンダムの主流ではないという事実だった。
 それまで、地方コンを支えていたメンバーからは熊さんは突出した異分子としてみなされていたらしいのだ。
「これは北海道の人たちと話をする必要があるな」
 別の地方コンの機会を捕らえて札幌に向かった。

 そこでぼくが直面したのは「中央対地方」というとてつもない壁だったのである。言葉で書けば簡単であるが、多分、この感覚はなかなか伝わらないだろう。
 こちらは「現地の人たちと議論して、問題点を洗い出さなければならないな」そんな風に考えていたのに、北海道のメンバーは「東京から偉い人たちが来る」と、びびる? 引く? 敬遠される? そのような反応が帰ってきたのである。

 一言で言えば「SF大会を開くのに中央の人たちだって苦労しているのだ。北海道なんかでできるわけないよ」

 ぼくは大学こそ神奈川だったが、東京生まれで、東京育ち。
 他の都市を知らない。だから、こうした複合感情が北海道独自のものなのか、他の地方都市(非東京地域)にも存在するのか判断が付かない(まあ、京都には無縁だろうけれど)。
 いずれにせよ、北海道のメンバーの受け取り方は「東京から偉い人たちが来る」だったのである。
 これにはびっくらこいた。こちらは大学を出たかでないかの若造。
 向うは結構いい年のおじさんおばさん。

 世の中の酸いも甘いも噛み分けている年長者がこちらを「東京の偉い人」と持ち上げる。
 こちらが何か話をしても「中央の人間にはわからない問題がある」でちょん切られる。

 鼻で笑われたりもした。
「北海道でSF大会を開く? そう、あんたらは日本中に向けて恥をかこうってのか」
 お話にも何にもなりはしない。

 助け舟を出してくれたのは矢野徹さんと石川英輔さんである。
 二人ともわざわざ東京からおいで頂いて、札幌での話し合いの席にやってきてくれたのである。

「あんた達が喧嘩しているって聞いて、こりゃいかんな、と思って収めに着たんだよ。喧嘩は良くないよ。ぼくの顔を立ててくれないか?」

 ノーと言えるはずがない。
 矢野さんの昔話や、石川さんの印刷業界の話、当事まだ珍しかったワープロの話などを聞いて、楽しい一夜を過ごした。
 おかげで、その場は収まった。表面的には。

 だが、エゾコン2に正式にゴーが出て、スタッフ募集がかけられても、その中には、ただの一人も旧来の北海道メンバーはいなかったのである。
 換言するならば我々が旧北海道スタッフを蹴り出したのである。
 委員会が動き出す前のみならず、後にぼくは別のスタッフと対立して……彼は事実上、動かなくなった。その積もりは無かったのだが、結果的にぼくが蹴りだしたことになる。

 エゾコン2が終わって十年ぐらい「エゾコン3はやらないんですか?」と訊かれた。ぼくも同じ問いを熊さんに投げかけた。
 熊さんはさびしそうにうつむいた。
「ぼくはもうSF大会は良いよ。得た物は大きかったけれど、友達を何人も失った」

 協力の手を差し伸べてくれなかった旧北海道メンバーになにが言いたいわけではない。運営を手伝ってもらえなかったとはいえ、エゾコンに来てくれた。参加してくれた。SF大会に対する最大の協力は「参加」する部分にある。
 ここで言いたいのは、実際の運営とは別にこのような人間的なトラブルの解決がSF大会の運営を困難にしているということである。

 ぼくは二度、SF大会の発起人に名を連ねている。
 一度目はエゾコン2。二度目がハマコンである。

 エゾコンの時はどうだったか覚えていないが、連合会議の規定でハマコンの頃すでに発起人は五名、必要になっていた。
 だが、終わったとき、このうち一人の名前がスタッフ名簿から消えていた。
 降ろされたのである。

 ハマコンの出だしは順調だった、と思う。
 前年のSF大会で参加者を募った。参加者全員に行き渡る数の申込書を用意して、ぼくとAというスタッフが二人で徹夜で自動車を運転して金沢まで走った。Aはエゾコンの時、準スタッフとして入ってきてその日からぼくの手となり足となって働いてくれた人物である。B4の紙を二つ折りにする余裕が無かったので、当日、早めに会場に入って手で二つ折りにした。……裏話としては面白いかもしれないが、余談である。

 いずれにせよ、滑り出しは上々だった。
 が、横槍が入った。いろいろなクレームが付いた。
 ハマコンは当初、ぼくの中では24時間リゾート型大会を都市部で行い、将来的には世界大会の招聘の礎としたいと考えていた大型大会である。
 横槍を入れてきたのはB氏としておこう、某地方コンの主要人物である。大型大会がお気に召さないのか、直接に間接にクレームをつけてきた。どうもぼくはこの人物とは馬が合わないらしく、会う度に喧嘩を売られているように感じられて仕方ない。

 ぼくはあまり敵を作りたくない。我は曲げたくないが、和を持って尊しとしたい。人にはできるだけ正直に接するが、言わなくていい事は言わない。そして、正直に接していれば、大抵の相手は理解してくれる。
 だが、このやり方が通じない人間もいる。
 一人がこのB氏であり、もう一人が後に触れるD氏である。

 話を戻す。B氏の系統の人物が大会の夜にぶつけて別の合宿を当ててくる、との計画が伝わってきた。
 ハマコンでは世界大会をにらみ、日本の全SFファンの協力を得たい、と考えていた。宿泊も全参加者が一丸になれるような形態を目指していた。別にオプションの宿泊が存在しても構わないが、裏合宿は本来の目的と相反する。
 ぼくはAとともに当該企画の立案者と会って意思の摺りあわせを行った。
 膝詰め談判の結果、これは理解してもらえたと思う。

 次は発起人C氏に対する攻撃であった。
 複数の場所から攻撃があった。
「Cが主要スタッフである間はハマコンには協力できないし、参加もしない」
 発信源はB氏かもしれない。攻撃者の何人かがB氏と懇意の仲であったからだ。だが、実情は変わらない。
 これと前後して、印刷関係を任せていた人物が「降りる」と言い始めた。慰留に努めたが、失敗に終わった。それまで作り上げていた印刷物作成の計画はすべて灰燼に帰した。背後にある真意は判らない。

 当事の主要スタッフで話し合いが持たれ、発起人C氏に形だけでも降りてもらうか、という所に落ち着いた。発起人C氏の指揮権はそのまま、名簿から名前を削るだけのつもりであった。しかし、大問題はだれがこれをC氏に伝えるか、だった。

 ぼくがやった。
 ぼくが深夜、C氏の新婚家庭に押しかけて、事情を説明した。C氏は理解してくれた。
 しごく冷静な判断を示した「自分が降りるのはともかく、外圧に負けて、発起人を削るのは委員会の態度としてどうだろうか?」
 ぼくとC氏は数本の電話をかけ、日付が変った頃……C氏の名前は名簿から削られた。

 トラブルは別のところから起こった。

 先の馬の合わないD氏である。
 D氏と、最初どこであったのか覚えていない。ただ、気が着くと知り合いで、不愉快な言葉を投げかけられていた。喧嘩した覚えもない。それどころか、ろくろく口を聞いたこともないにもかかわらず、なぜか嫌われている。

 トーコンの9だったか? 浅草でやったとき、企画が何もなくて、閉会式で「金返せ」の一言が上がった大会である(そんな大会があったんです)。
 その前年、ぼくは実行委員長に会ってスタッフ参加してもよい、と話をして名刺も渡していた。
 が、何一つ、連絡は無かった。
 当該大会の内情はさまざま伝わっているが、ここでは触れない。芳しくない噂が有ったとだけ補足する。
 で、ぼくは「こんなことがあったよ」とD氏に自分の経験を告げた。
 D氏は
「そりゃ、トーコンのスタッフに見識があったんでしょう。こんなやつ、スタッフに入れたらろくでもないことになるって」
 は?
 売られた喧嘩は只でも要らない。
 ぼくは聞き流した。

 D氏はどのようないきさつか、ハマコンのスタッフに名を連ねていた。実行委員長の伝手か、副委員長への義理立てか、顧問へのなんたらか、理由は知らないし、どうでもよい。ぼくは自分とD氏との遺恨が解決したのだろうと手放しで喜んだ。

 だが、C氏が降りるとなったとたん、なぜかぼくのところへ電話があった。
「自分はC氏に恩義がある。そのC氏を放り出すような実行委員会に名を連ねることはできない」

 さて、ここまでの話で理解いただけだろうか?
 これは苦労話であるが、大会運営の苦労は一つも入っていない。
 運営にまつわる人間関係の苦労話だけである。

 大会の準備は停滞したままだった。
 そこへ先のH氏から、売込みがかかった。主要スタッフは承認した。

 H氏の活躍は目覚しかった。大会運営のシュミレーションなど学ぶところも大きかったし、大会が動き出したのが実感できた。
 反面、当然といえば当然なのだが、ハマコンはH氏色に染められた。
 それまで描いていたコンセプトはすべて叩き壊された。ぼくがハマコンでやりたいと思っていたことはすべて反故にされた。一つ残らず。

 同時に副委員長の動きが止まった。
 大会がH氏色に染まったとき、ぼくは副委員長の指示にすべて従うつもりでいた。だが、なぜか、止まった。
 実行委員長は何も言わなかった。H氏にすべてを委託したとの意思表明だと受け取った。
 顧問は御輿の上で態度を変化させなかった。

 ぼくは途方に暮れた。
 大会を自分のやりたい方向に戻そうと努力した。だが、H氏によって修正された。
 かつて、ぼくがエゾコンの某スタッフを蹴りだしたように、今度はぼくが蹴りだされたのである。
 H氏寄りのスタッフが入ってきた。
 D氏まで戻ってきた。それまでのいきさつなど何もなかったかのように。
 大会の陣容が、大幅に変わった。
 Aが蹴りだされた。この時、Aには印刷物関連の作業を任せていた。客観的にみて、Aにも不手際はあった。だが、スタッフを降りる/降ろされるほどではなかった。
 ついで、経理の帳簿をつけていた人物が、降りた。

 前項で述べたようにH氏による「赤字処理判断」が示された。
 発起人C氏の新妻の顔色が変わった。ぼくの知らないところで交渉が交わされた。C氏は完全に姿を消した。

 Aの代わりにサブにいた人間が持ち上がった。だが、編集会議にはD氏が出てきて仕切っていた……これ以上続けると恨み言になる。そろそろ、やめよう。

 H氏について、再度、述べる。
 ぼくは同氏に遺恨も、含むところもない。
 もし、H氏が大会実行委員長とでもして「青さん、手伝ってよ」と言ってきたら、二つ返事で「いいよ」と答える。ぼくとH氏は方法論の違いが有るだけでSFファンという方向性は代わらないと信ずる。

 ここに至るまで、さまざまな事実(ただし、ぼくから見た事実であって、絶対的客観ではないし、多分、木原や熊倉には見えていなかっただろう。補足すると木原も熊倉もハマコンのスタッフで、木原は後にゼロコンの実行委員長。熊倉は来年のT-CONの実行委員長である)を述べてきたが、すべて「対人関係」をめぐる事象である。
 繰り返す。

「SF大会に関わる苦労のすべてが、人間関係に類するものである」

 聞くところによると(主に連合会議の席上である)コクラノミコンなどでは発起人、代表者が入れ替わり、責任の所在が不明確となり、訴訟にも関連し、連合会議の動議として提出されたりもした。結果、連合会議の本来の決議に影響をもたらしたりもした。

 だが、ぼくが言いたいのは文句ではない。
 未来への展望である。

 何年も経ってハマコン、副委員長を詰問した。
青「なんであの時、止まってしまったんです? ぼくはあなたに従うつもりでした。だが、あなたが止まってしまってはぼくは何もできない」

 答えはこうだった。
「おれは日本のSFファンの意識の低さにあきれたんだよ」

 今では同意見である。
 誰某が噛んでいるから、大会には参加しない。
 自分が望む大会とは違うから妨害する。
 お前なんか嫌いだ、足、引っ張ってやる。


 かようなエゴのいかに多いことか。
 子供の喧嘩ではないのだ。これでは正常な大会の運営の前にスタッフは擦り切れてしまう。

 ハマコンが終わって、ぼくは一つの決意を固めた。

「もう、SF大会に積極的に関わるのはやめよう」

 もし、次にぼくがSF大会のスタッフとして参加するとしたら、下っ端で受付をやりたい。
 受付に何食わぬ顔をして座って、参加者のクレームに対応するのである。
参「え、この大会何やってんだ。このクソ、バカ。死んじまえ」
青「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい(with 土下座)」

 もっとも、柴野先生に諌められた。
「青山君、それはずるいよ。大会で一番楽しいのは下っ端のスタッフなんだよ」

 SF大会は楽しい。輝いている。年に一度のお祭りだ。
 すべての大会が同じだとは言えない。すべて知っているわけではない。
 ただ、忘れないで欲しい。特にこれからSF大会を運営しようとする人たち、そして参加者。
 SF大会が華やかな反面、背後にはカネや人間関係でグチャグチャしたどぶ泥が存在するのを。
2002/07/20日 土曜 プール
 娘を連れて市民プールへ。
 一緒に行こう、と親を無視して約束していたらしいチーちゃんは熱を出し、トンピーは来ていない。まあ、トンピー父さん、昨日中国出張から帰ったばかりだしなぁ。その代わりふーかちゃん父子と会う。
 娘は今日、こないだ買ってお風呂で調整した水中眼鏡デビューである。平気で顔付けでバタバタやっている。
 ふーかちゃん父さんもさっそく購入。
 顔付けができなかったふーかちゃんもメガネをかけると平気で顔つけワニさんをやっている。挙句に二人で水中にらめっこをしている。

 また、しばらく前に転園したななちゃん母子と会う。ななちゃん母さんは過激なビキニで……以下略。

 帰宅後、娘は爆睡。
2002/07/21日 日曜 ジブリ美術館?度
 前回からチケットの取り方が変ったのでインターネット経由でアクセスしてみたら取れたので行く。
 いかにも海外(多分、台湾)からの団体客が入っている。
 団体予約は受け付けていないはずなのでどうやってチケットを取ったのだろう?
 しかし、我が家から歩いて十分。ちょっと前までは草ぼうぼう、セイタカアワダチ草生え放題の空き地だったのが、いつの間にか日本的観光施設になり、いまや世界的観光施設になろうとしている。なんなのだろう。

 食中毒が怖いのでお弁当はやめて「カフェむぎわら帽子」に並ぶ。50席もある巨大なカフェなのに待ち人の列である。
 しかし、ここ、一日にいったい何回転するのだろうか? 世田谷美術館の閑散としたカフェとは大違いである。親子でパスタとカツサンドと、デザートを食べる。パンは全粒粉、どうもここで焼いているらしい。
 パスタも具たっぷりの冷製スパゲティ。プリンも全卵カスタードを焼いたしっかりしたものだった。吉祥寺、三鷹周辺でこんなにしっかりしたプリン食べられるところ、他にないぞ。

 展示も少し変っており、こないだは展示して有った「On your mark」がのセルなくなっている。

 なお、娘は五分交代の猫バスに六回も遊んでおおはしゃぎ。

 帰宅後。爆睡。

 小さな子供にありがちに、これだけ遊ぶと次の日、熱を出したりするのだが……娘は平然としているが、娘の母親が会社を休む。
2002/07/22日 月曜 SF大会、光と影4 補足と未来への展望
 朝から娘の母親が伸びているので娘を送り、そのままデニーズへ。
 仕事をしたり、HPをいじったりする。

 いかんなぁ。
 ウィンドウズマシンだと、どうしてもHPをいじってしまう。

 まあ、そこそこ進んだけれど。

 でSF大会、光と影4 補足と未来への展望
 もうたいして書けることは無いのだけど、補足とこれからどうするか、どうしたいか。
 まあ。昔話も混じるが、お許し願いたい。

 ハマコンのとき「ぼくはもうSF大会に積極的に関わるのはやめよう」と思った。
 誤解を避けるために付け加えるが、嫌気が差したわけではない
 実感したのだ。
「おれはもう年だ」

 結局はどんな体制を作ろうと度重なる議論と行動が待っているのは変らない。もっと若い頃だったら相手を論破し、必要な行動を取れただろう。だが、ハマコンのときは出来なかった。もう、二度と出来ないだろう。

 こんな議論があった。
某.「会場(パシフィコ横浜)はSF大会を開くのにはオーバースペックではないか?」
青.「それは認めよう。ただ、会場が広すぎるのであれば一部を返せばいい。また、代替の施設があるのであれば提示してもらいたい」
某.「なるほど」

 が、次のミーティングで
某.「やはり現会場は大きすぎると思う」
青.「それ、こないだやったでしょう!」

 無論、ぴあのホールマップを使って会場費の根拠を明示したが、すぐには理解してもらえなかった。
 エゾコンの頃だったら、それらしい会場にあたりをつけて見積もりを集めて論破しただろうが、そんな余裕も体力も残っていなかった。結局、会場の変更はなかったが、言い換えれば会場変更に関して交わした議論はすべて無駄だったのだ。

 似たような事象は無数に存在する。
 ゲストの問題。宿泊の形態。参加費の設定。
 特に参加費は重大だ。参加費を上げれば大会の会計は楽になる。だが、その分、参加者が減る恐れが出てくる。

 ぼくなんかは参加者数が予想を下回れば会議室を返して、会場費を下げればよい、と考えるがそう思わない者もいるし、それが出来ない会場もある……議論。
 来年のT-CON。ゆ〜こんで蓋を開けてみたら、去年提示された額より参加費が上がっていた。説明を求める声もあったが、たぶん、背後には一言では説明しきれない不毛論争が山になっているのだろう(ああ、邪推は楽しい)。

 赤字についても同様だ。
 赤字が出たらどうするか、これも議論の対象になる。喧々諤々似たような話題が続き、運営は空転する。

 何年か前、連合会議でも議題に上った。
 つまり、連合会議の立場を明確にしたいという議論である。連合会議は年次日本SF大会の上部組織である。したがって、大会に何らかの不祥事が生じた場合、責任の一端があるのではないか? 有るのだとしたら、その責任範囲を明らかにして欲しい。
 たしか、これは決を取るまでもなく「ない」という判断に収まったと思う。
 たとえば、もし、応分の責任があるとすれば、ある大会が大赤字を出した場合、その損金を連合会議が負担することになりかねない。結果、各参加グループに持ってもらうことになってしまい、中には大学のSF研などもある。そんなところにまで金銭的負担を掛けるのかというと……それは違うだろう、というところに落ち着いた。
 大会の運営は、経理も含めて実行委員会に任されている。その中でまとめるべきだろう。
 ……もっとも、法律的にどう捕らえるかは別らしく、武田康広・前連合会議議長は福岡地裁に呼び出されたらしいが。

 ま、かように揉めることを考えると、H氏の示した「発起人が分担して負担する」というのは一つの見識ではないかと思う。
 もちろん、ぼく個人としては発起人なり実行委員長はとしては「赤字を出さないように身体で払うべき」だと思うが、これでは「赤字をどうする」と議論のための議論を吹っかけてきた人物を説得できない。

 B氏、D氏が横槍を入れてきた、という話をした。
 D氏の真意はわからない。ただ、青山を嫌っているというだけだろう。

 だが、なぜ、B氏はこんな横槍を入れてきたのだろう?
 考えうるのは権勢欲である。SF大会は完全に趣味の世界だ。スタッフをやったからとて、得られるものは自己満足だけである。
 だとしたら、権勢欲というのは大きな行動要因になる。
 自分が「こうこう、こう言ったから、だれそれは自分の言うことを聞いた」口で言うのも、行動で示すのも気分は良かろう。(幸か不幸か、ぼくはあまりかような欲求は感じない。むろん、自己顕示欲がないわけではないが「青山君はもっと自分を目立たせる努力をしたほうが良い」編集さんに説教された)
 多分、こういう人間はいつまでも居座り続けるだろうし、たとえ排除/あるいは味方につけたところで対抗勢力は存在するし、状況を理解しない新人が育ってくる。
 また、ぼくはB氏のSF大会に対する愛情を疑うものではない。そうでなければ、あんなに大会スタッフを繰り返せるはずがない。

 今年の連合会議で、来年、再来年(岐阜)と二年先の大会が出揃った。

 何年か前「SF大会の運営はキツすぎる。このままでは何年かしたらSF大会はなくなってしまうのではないか?」
 そんな声が上がった。
 その後、しばらく、立て続けに立候補地が上がった。木原のゼロコン、2001年を記念した大会。準備期間がかかるのでどうしようかと思っていたが、やはりやりたい……。  が、再来年、2004年の大会の立候補がなかった。

 SF大会がなくなるなんて事態は想像したくもないが、危惧を感じる。
 なんとか、もう少し楽に運営できるようにしてやりたい。
(こんな中で、H氏のように「営業的に行う」という発想も出てきたのだろう)

 連合会議などを財団法人だか、社団法人にしたらどうかなんてことも言われている。少なくとも、二十年前から。だが、これは非現実的だ。法人を立ち上げるためにかかる費用はそれこそノーベル賞の賞金でなければまかなえない。

(ついでに言うと、SF作家クラブは法人格は持っていない。推理作家協会は社団法人になっているが会員数四百。入会金五万、年会費二万四千円。出版収入があるが、年三回のパーティは会費一万円かかる。台所は火の車なのだ)

 いっそのこと宗教法人はどうだ! と、半ば冗談で話をしたこともあるが、もちろん前向きの結論など出なかった。実現性より(冗談抜きで)法人化するメリットが見込まれなかったからである。

 コミケのように会社組織化する、とか、ワンフェスのようにどこぞの会社に委託するなんて方法もアリかもしれないが、現状では賛同を得られないだろうし、利益も確保できないだろう。

 そろそろ、項を終わる。
 本当は星雲賞がらみでもっと言いたいことはあるのだが、これはまだヤバいので伏せさせてもらう。
 ちょっと長くなったので、今月末当たりに別項に切り出しておこうと思う。
2002/07/23日 火曜 SF大会、光と影5 補足の補足
 あっちゃこっちゃ覗いてみるとこのページが紹介されていたり、反論されていたり。
 まあ、ホームページは趣味のモンだし、わざと曲解して持論を開陳している人や、あるいは本当に誤解している人もいるみたいだけれど、小一時間問い詰めに来た人もいないし、メールと電話が一本ずつあっただけで補足や反論の必要は無いのかもしれない。

 が、わざと曲解されるのは構わないけれど、誤解されたままってのは不味い。
 で、補足の補足。
 なお、電話とメールは一つは草柳君から「俺は最低の人間だよぅ」と自虐的な電話。メールはハマコン時のH氏の行状に関する関係者から。これはぼくが書くと差し障るのでパス。

 結論から言っちまうと、ぼくができるのはこーやってホームページで意見を言ったり、連合会議で動議を提出する程度。
 動議案としてはこんなもの。

 大会の開催規定に次のような補足事項を付け加えることを提案する。
1.大会の招待者はSF作家クラブ会員に加えて、各大会が前年度の大会のゲストを参考にして決定することを推奨する。
2.ゲスト・オブ・オナー制をとるか否かは各大会実行委員会に一任される。
3.大会の期間は二日、ないしは三日間を推奨するが、決定は各大会実行委員会に一任される。

 ゲストに対する考え方は「ゲストといえども参加費相当は払う」のが原則であると思うが、理想論であるのは認識している。講演費用ウン十万の小松左京先生と、ぽっと出の青山を同列に扱えないのは当然だろう。あるいはハマコンにやってきた京本政樹(字、あってるかな?)に金払えというのも無茶だ。
 参加費の問題はゲスト側の自覚の問題で、まあ、ぼくの言う方向性に進んだとしても、十年や二十年はかかるだろう。現実的には、すでに2002/07/17日 水曜 SF大会、光と影1 ゲストで述べたように「ゲストはSF作家クラブ会員に加えて企画などをお願いする方々を招待する」のが妥当な線だろう。
(SF作家クラブについても個人的には異論があるのだが……ようはSF大会の連続性を維持したい、運営を楽にしたい、ってあたりが本音)
 エゾコン2の時はゲスト受付を一般受付とは全然別のところに作って、来場いただいたゲストには企画をお願いできないか、を説得する係りを専従で置いた。企画数が少なかったので突っ込む隙間はいくらでも有った。
 もっとも、一人だけ、どうしても辞退される方がいた、との報告を受けた。もちろん名前は伏せる。
 それで、こんな提案が現状では妥当だと思う。

 「ゲスト・オブ・オナー制」の項目は要らないかと思ったけれど、どうも「ゲスト」と「ゲスト・オブ・オナー」(以下、GOHと略)の違いを理解していない人がいるらしいのでとりあえずここに書く。
 GOHは少なくともぼくの知る限り海外の習慣で、顎足枕付きで呼ばれる。飛行機は最低でもビジネスクラスだと聞く(GOHで呼ばれたことが無いので知らない)。
 その代わり、というわけなのか、ワールドコンなどでは一週間出づっぱりになる。ハマコンではGOH制を取った。ゆ〜こんでも豊田さんがGOHとなっていたが、実質的にはどうだったのかはやっぱり、知らない(伝聞のみ)。
 ただ、2007年を睨むのならGOH制を推進すべきだろう。もちろん、アメリカに倣え、と言っている訳ではないが、検討は必要だ。

 大会期間規定は2002/07/17日 水曜 SF大会、光と影1でも述べたような話を聞いたから補足しただけで、事実上、一日だけ開催の年次日本SF大会は第一回のメグコンだけであとは二日か三日である。

 口頭で意思表示したところ「こんな程度の内容、成文化してどうするんだ」とか、逆に「大会の開催内容まで縛るのはどうだろう?」正反対の意見を頂いた。
 前者に対しては「この程度のこともわからない実行委員会もあるんだ」という。
 後者に対しては「いずれも推奨であり、規制するものではない」と言っておく。

 もちろん、個人的意見で連合会議にかかったとしても否決されるかもしれない。
2002/07/24日 水曜 危ないなぁ
 自動車を出そうとするとボンネットの上にタバコの吸殻が。
 揉み消したものではなく、フィルターの部分まできっちり燃えている。燃えさしを自動車の上に放り出したのだ。
 危ないなぁ。

 入ってすぐのところなら通行人が適当に放り出したと考えられるけれど(たまに立ち小便している人がいる……)うちの自動車は入って何台目かの所に停めてある。
 ボロ自動車、焼け焦げの一つぐらい気にしないけれど、火事にでもなったらどうするんだ?

2002/07/25日 木曜 なんもする気にならない
 朝から何もする気にならない。
 外へ出ようかと思うと雨まで降ってくる。

 で、色問題の取りざたされているDVDの「千と千尋」をチェックしてみるが、なんも気にならない。

 雨が降って、上がって気温が上がってくると元気が出てくる。

 うーむ。気温が低くて元気がなかっただけ?
2002/07/26日 金曜 父母会
 保育園父母会執行部の臨時会合。
 イタリアワイン赤白各一本、ビール三本。
 メンツは六名で、内一人は先日入院病み上がり、一人は妊娠九ヶ月、一人は夜勤明けで明日も夜勤。
 議題は会費未納者と、お泊り保育と、学童保育。

 もって行ったニラとグリーンピースの卵炒めインド風が好評。

 日中は高気温で体調良し。
2002/07/27日 土曜 続・父母会
 昼過ぎ、近くの小学校で開かれている地区のお祭りに出かける。
 保育園が出店しているので手伝いでである。
 お店はくじ屋さん。商品のシャチのプール用遊に空気を入れて膨らませる。暑い。
 娘が暑がるので、かき氷を食べさせるが、暑い。炎天下の校庭。さすがに暑い。起振車とか、盆踊りの櫓とかあり夕方になるとかなりの盛況になりそうだが、一時間で引き上げる。

 夕。いつもの食事会。食いすぎる。
2002/07/28日 日曜 振り回された一日
 朝、娘(四歳)
「ちーちゃんとこおとまりするやくそくした!!」
 おおだだをこねくり回す。
 ちーちゃんのところへ電話をかけると幸い在宅。公園で遊ぶ。
「もっと遊ぶ、プール」
 騒ぐがゆきちゃんと約束がある。携帯で確認するとやっぱりゆきちゃんは期待している。
 ゆきちゃんと遊び、かえって軽く食事。
 丸井の屋上盆踊りへ出かけて、ちーちゃんと再会。ちーちゃんばかりでなく、あさちゃん、あやちゃんまで来ている。

 ……つ、疲れた。
2002/07/29日 月曜 続々父母会
 真昼間、市の保育課長と保育園で面談。
 武蔵野市はどうも市長の意向で保育園に冷房が入っていない(いなかった)。
 夏の真っ盛り、気温35度を超える時、どうすればいいのだ、いや、風が通れば多少は構いやしない。だが、光化学スモッグ注意報が出ると園の窓は締め切られる。クソ暑い中、子供たちはプールにも入れない。
 何年か働きかけて、一部には冷房を設置してもらったのだが、ほかも入れてもらおうという話。
 ま、結論は大体見えているのだけれど、入れるつもりはないか、あったとしても優先順位は低い。

 理由は簡単で乳幼児は選挙権を持っていないが、お年寄りは持っている。
 で、乳幼児福祉より、老人福祉が優先される。らしい。

 なんだかなぁ。こんなところに政治がらみかい?

 SF大会話はまた(今月中に終わらせたい……)
2002/07/30日 火曜 SF大会話、初期費用
 あちらこちらに金を払い金を払いしていたらお金が全然無くなってしまった。
 うーん。今月は自動車が壊れたり自動車が壊れたり従姉妹が結婚したり家賃の更新があったりSF大会行ったり、宴会があったり……不意の出費が続いたところに持ってきて、週末に色々あったからなぁ。

 2005年の大会が立っていないのを見た知り合いのページで「頑張ってみようか」などと書いてあったので、ついでなので年寄りの昔話を付け加える。(のだ君、元気?)
 SF大会話、そろそろ終わりにしたいのだけれど、まあ、毒を喰らわばそれまでだ(←誤用)。
 それと、ホームページに関するポリシーは挨拶に書いたのと変っていないので好きなだけ物笑いの種にしてください。無名より悪名さね。

 さて、ぼくはSF大会準備費用に一億は欲しい、と書いたが、まあ、理想論を通り越して、夢物語だ。
 でも、バーチャルの世界の中でぐらい夢を語らせて欲しい。

 例によって昔話から始めるが、エゾコン2の時、答えるのに苦労したのが「SF大会ってなんですか?」という問いで……どうやって答えたか覚えていない。苦労したのは覚えているけれど。
 ハマコンの頃はだいぶ楽で「あ、コンベンションです」ですんだ。相手は何しろ「横浜コンベンションビューロー」である。

 ただ、現実問題としてSF大会が法人ですらない、実体のないわけのわからない団体であるのは間違いない。エゾコンでは交通公社を通したため、ハマコンではサイマルの紹介だったのと先方の料金体系がはっきりしていなかったため「予約金」の類はかからなかったが、札幌の大ホテルのように「二千万円申し受けます」ってのが、世間的な標準だろう。

 理想的には費用全額前払い、札束で横っ面をひっぱたけば、そのあとの交渉が楽になる。
 まあ、都市型で、申し込んできた人を断らないという前提でやるとすると、SF2001で2000人らしいのでこの数字を前提として、会場費一人一万、宿泊一万で考えて費用四千万(こんな安くねーぞって正論は判るけれど、判っている人は自分で計算して)。
 青山的には二泊三日欲しいと思うのでどんぶり勘定で五千万くらいは準備資金が欲しい。もちろん、大会が上手くいけば返ってくる金である。ついでに言うと「赤字が出たらどうする?」の不毛論争を避けるのに絶大な効果を生む。
 さらに法人化を睨むのに、十年前で三千万から四千万といわれた。いまだといくらかかるだろう? ……夢の話は一旦置こう。

 来年のT-CON。MAXで1500名受入れ可能態勢を取っているらしいが(ホームページのデータ)参加費はおよそ四万。この値段はどうかと思うのだが、それは置いといて総予算大きく見積もって六千万。

(なお、ホテルニュー塩原のHPを確認すると、平日の一番安いプランで8800円。表記が見当たらないので何ともいえないが消費税、サービス料を足すと一万何がしになる。二泊で二万。そんな来るかどうかは別にして1500人で、三千万は計上しなければならない。
 「宴会料、別途申し受けます」となっているものの、塩原の料金表が不親切でこの値段が見当たらない。まあ、計算楽にするのに大ホール一千万(たとえば、ホテルで結婚式開くのに幾らかかるかご存知ですよね)。それに大小の宴会場を借りる費用が同程度かかるとして、黙っていても五千万は出て行く計算になる。これに加えて企画の費用と連絡費がかさんでくる(違ってたらごめん)。
 まあ、丼どころか桶で量っているような計算だが、一億という額は決して大風呂敷ではない。

 そんなカネをポンと用意できる身分になってみたいと思いません?
 いや、なりたく無いのならいいけれど。

 閑話休題。
 一億が五千万でも事前準備できればいいのだが、夢物語を通り越して寝言に近い(神戸、シンコンでは筒井さんがスポンサーでこれに近い状態だったらしいが、伝聞である……と、書いたら小松左京マガジンが届いて米朝師匠の噺について小松先生が語っている。単一の企画にいくら出したかは買って読んでください)。
 かような大金は無理としても一年前でも二年前でも、予約金がかかるかもしれない。事務所の開設費用も必要だ。
 エゾコン2では大会が補助を出して、伊吹秀明の部屋を東京事務局にした。伊吹にしたらいい迷惑だったろうが、実作業はさくさくと進んだ。感謝。
 ハマコンでは副委員長が書庫部屋として持っていたマンションを利用させていただいた。感謝。
 エゾコン2にあたって、確かトーコン8の事務局を訪れたら、プロダクションの一室を使っていた。
 いずれにせよ、昔の話で今はそうは行かないだろう。
 ワンルームマンションを借りて、少なくとも一年は維持しなきゃならない。ガス水道光熱費、電話、FAX、PCぐらいは必要だ。機器類は古いものをかき集めてくるとしても、部屋代はかかる。電話代もバンバンかかる。
 会場費の支払いを大会当日までに待ってもらうとしても、事務所だけで百万や二百万は見たい。
 そんな部屋が要るのか? と言われそうだが、要る。

 エゾコン2の時。プログレスレポート発送作業の日、たまたま人が集まらず千人分のレポートをぼくと平片君と二人で封入した。ダイニングキッチン+八畳の部屋にうずたかく封筒が積み上げられ、封入するまで朝からかかって暗くなっても終わらなかった。

 だが、ハマコンのときは部数が膨大でスペースが足りなくなった。別に公民館かなにかを借りて封入作業を行った。直接の発送にも参加した。
 十人がかりで折って、封をして、前の晩にLBPで出した宛名シールを張り、ぼくの自動車に積み込んで翌日、郵便局に運び込んだ。自動車が傾くほどだった。郵便局員が二人も出てきてプログレスレポートを局に運び込んで数えていた。

 いずれにせよ、事前に事務局の維持と打ち合わせの場所の維持、発行物の編集作業の場所が必要となってくる。

 でも、まあ、実はこのあたりの費用はどうにかなる。
 前年度大会で申込みを受け付ければ済む(もちろん、前準備が必要だが)。
 ダイコン4の時、エゾコン2の受付ブースを作ってもらった。全額申込みを受け付けたのだか、予備登録だけだったか覚えていないが、その夜、たこ焼き食いながらカネ計算したのを覚えている。その後、事務局費用とは別に当時の「たくぎん」に定期口座を作って支払日までの300万定期を組んだ。
 ハマコン副委員長に聞いた話で、アシノコンだか、ヒンコンだか。登録受付などせず、封筒だけ用意して宛名を書いて百円玉を放り込んだものを回収。後に申込書を郵送したという。ほのぼのしていたんだなぁ。

 かかる金というと一番大きいのは会場費だろう。
 事実上、SF大会は「実参加者数×2+α」の広さの会場を必要としている。
 +α部分はつまり「ディーラズルーム」である。ディーラズの設置は義務付けられているものではないが、ぼくの知っている限り、ディーラーズのなかった大会はない(リュウコンはどうだったろう)。
 それと別に「一実参加者数分」というのは一つはオープニング、クロージング会場である。これは全参加者が一同に会せる場所/企画である。そんなものは必要ないという議論も有るかもしれないが、ぼくの知っている限り……(以下略)。まあ、ビデオ中継で分割したのはあった気もするが。
 次にオープニングが終わったあと、参加者がさまざまな分科会に散る。

 理想的にも、また事実上、分科会はパラで走らせる必要があるし、一つの時間帯に同様の企画がぶつかるのも拙いだろう。
 SFファンと一口で括ってももちろん一枚岩ではない。
 たとえば、青山を戦記系や、あるいはハード系の企画に放り込んでもらってもぜんぜん構わないけれど、ファンタジーを語る……みたいなところに行っても場違いなだけだ。それぞれの多様なニーズに応える企画を用意しなければならない。
 いつの大会だったろうか、なぜかペリーローダンの人たちと同室宿泊になった。企画を一回りして部屋に戻るとローダン一色である。まあ、ものは試しと会話に耳を傾けてみたが……第一巻、半分読んで止めた人間には新しい世界は開けなかった。

 いずれにせよ、分科会全体で参加者全員を収容するスペースが必要になる。
(上記は理想論、ではある。人があふれる企画もあればがらがらの企画もある。会場にはロビーだってあるし、余った分をディーラーで吸収する手もある。「企画が不毛な大会はディーラーが繁盛する」などの言もある)

 無論、メインホールで大きな企画を開いて有効利用するとか、逆にメインホールを完全に閉じてしまってその分の発生費用を抑えるとか(手間がかかるよ)、手はあるだろうがこの辺りはもちろん、各実行委員会の手腕による。

 あと、目に見えないカネがある。
 ゆ〜こんでも篠田節子がゲストでメッセージを寄せてくれていた。
 こっちは差し障っても良いので書いてしまうがだいぶ前、某出版社主催の篠田節子講演会。謝礼は二十万だったという。直木賞を受賞した今ではもっと上がっているだろう。小松先生はもちろんもっと高い。卑近な話で保育園の父母会で大学の先生をお願いして、お話をうかがったところこちらは五万だった。ゼロコンでは水木一郎(だったっけ)コンサートがあった。別途料金がかかったと思うが、普段、水木一郎コンサート千円や二千円では聴けやしない。

 今年は企画部屋としてあったかどうか覚えていないのだが、ヤネコンの時は「羅門堂病院」があった。遊びに行ったところ某大学病院のW先生がバカ話をしているだけだった。だが、すぐにW先生は往診鞄を抱えて飛び出していった。近くのホテルで怪我人がでたので、ホテルの要請を受けて診察に出かけたのだ。
 SF大会で酒も飲まず、24時間初期医療の体制を整えてもらっている。実費計算したら幾らかかるのか。

 ゲストでもスタッフでもない企画参加者もそうだ。
 自分の例を挙げるのもなんだが、何度か理科実験を行った。見た人は知っているだろうが、液体窒素を使った演示実験である。幸いにして好評でゼロコンでは、かなりの人数を集めた。ゆ〜こんでも何人かに「今年はやらないのですか?」と聞かれた。ある家族連れからは「あれで息子は学校の自由研究を書きました」と言われた。あんなもので子供たちに理科に興味を持ってもらえれば元・理科少年として望外の喜びである。
 別にぼくに限った問題ではない。アマチュアでも下手なプロよりも集客能力のある企画は立てられるのである。

 まだある。
 つまり、人件費である。大会の運営は事実上、素人のボランティアに任される。大会がこの部分の人件費を無視しているのは否定できない。また、スタッフなどの交通費も同様である。札幌に何度、横浜に何度足を運んだだろう?
 自分の分などは良いとしても、若い学生などではかなりの負担だろう。こんなものも大会が持つのが本当だろうし、そうすれば各スタッフの負担も減るだろうが、財政は簡単に破綻してしまう。

 結局SF大会は、さまざまな好意の上に成り立っている。
 好意に甘える、というと言い方は悪いが、好意なくしてはそもそもSF大会は成り立たない。ひっくるめて実費計算したら幾らかかるのか、一億では済まないだろう。

 ぼくは相変わらずゲストも参加費を払うか、参加費相当の寄付をすべきだと思う。ゲストの参加費は大学生スタッフの好意----電車賃を圧迫しているのだ。
 無論、こうやって声を上げるだけで、強制はできないし、しようとも思わない。

 ついでに言うと、今の運営方法がベストだとも、もちろん思っていない。
 もっと問題なのは「SFファン≠SF大会ファン」だって部分も理解している。

 考えを聞いてもらって、同意を得られた方に実践していただければ嬉しい。
 スタッフや参加者にも実情を理解してもらえれば、運営はもっと楽になるだろう。

 もっとも、毎年SF大会の形式、思想が一定でなければならないという法はない。連合会議規定と、個人的にはこないだ載せた三ヵ条ぐらいを遵守してもらえればと希望する。
 この範囲内でゲスト厳選、絢爛豪華キンキラキンの大会があってもいいし、昔ながらの畳の擦り切れてタバコの焦げ目のついた旅館でやるのもよし。

 どっちにもちゃんと参加費払って参加します。
 あんまり高かったら、別だけれど。

 えーと、もうも止めるつもりだったけれど、次回は「無能な人、有能な人」。
2002/07/31日 水曜 SF大会話、無能な人、有能な人
 編集さんから巻きがかかる。
 枚数は、どうにかなった。

 『陸上戦艦大和2』 350枚

 人間、頭のいい奴もいれば反対の人間もある。有能なのもいれば、反対もいる。
 SF大会の実行委員も一人一人個性があるし、実行委員会全体として有能無能がある。

 以前、リゾート型大会で単館開催と、三館分散の話を書いた。単館開催が参加者にとっても運営サイドにとっても楽だし益も多い。
 だが、単館開催ができなかったのは、押し切られた部分があるのだろう。置かれた情況はさまざまなので一概には括れないが、分散は運営上の失敗と言うことができる。

 また、昔話をしよう。
 SF大会でコンピューターを最初に導入したのは84年の多分、エゾコン2であると思う。エプソンのQC-10という機械で、CP/M(というOSがあったんです)で動く機械である。ワープロにもなる、コンピューターとしても使えるという今では当たり前のことが売りで、ワープロとして使うか、コンピューターとして使うかによって立ち上げディスク(五インチ2D!)が違うというとんでもないマシンである。
 ワープロとして使う場合もIME(という概念はまだなかった)に対して「これから漢字入力を行う」という宣言をしてから入力し、それから変換キーを押す、しかも単文節変換等ですらない。単語変換である。
「反響がある」
 といれる場合でも最初に「漢字入力宣言」をしてから「はんきょう」と入力し変換するのである。しかも辞書がアホで「反響」が入っていないのである。「はんきょう」を変換すると「反共」と出る。そのくせ「拿捕」は入っているという開発に宮崎駿が関わっていたんじゃないかという機械である。
 当事24ドットシリアルプリンタを奢って百万というお値段だった。
 SF大会ともなると無数の印刷物を発行しなければならない。宣伝用のビラ、プログレスレポート、プログラムブック。当事は軽オフが普及し始めた頃で同人誌といっても手書きがほとんどでタイプオフを使えるのはよほどの金持ちだった。
 だが、いくら費用を安く上げようとしても天下の年次日本SF大会で手書きオフってわけには行かない。
 実行委員会の中でPCを買って、完全版下で印刷所に入れてはどうか? という意見が出た。
 無論、新しい試みである。
 延々議論した末、エゾコン全体でどれぐらいの印刷物を作る必要があるか、をはじき出し、東京中の同人誌を印刷しているような印刷所に電話をかけて見積もりを取った。……といっても、20年前のこと、たいした数ではない。
 その結果、価格的にはトントンかPCの方が安い、というのが判って導入に至ったのである。
 が、手間を考えると、大成功であった。伊吹や、決断に加わったスタッフの大英断といえよう。
 ちょっと考えてもらえればわかる。
 今現在、同人誌の印刷で、文章を手書きで書いて印刷所へ入れてタイプで打ってもらって、やっと版下になるという作業が考えられますか? 電算写植の発達でプロ用の原稿ですら自社プリントアウトを使うところがあるぐらいである。大幅な手間の削減となった。
 同様にタックシールの使用が可能になったのも嬉しかった。24ドットシリアルプリンタとなると千人分打ち出すのに一晩かがりであるが、それまでは住所氏名を手書きでやったり、コピーしたのを糊で貼っていたのである。

 逆にぼくの大失敗を白状する。
 ハマコンのときである。ハマコンではあちらこちらの即売会などに宣伝ビラをまいた。某即売会では準備の都合上、深夜12時から設営が始まるというので、その時刻にあわせて会場に自動車を走らせ主催者に了解を得てから各ブースにビラを置かせてもらった。帰ってきたとき、もう、夜が明けていた。そんなことを繰り返した。
 確かワンフェスだったと思うのだが、この時に反応があった。スタッフになりたいというありがたい申し出である。
 が、この時のぼくは無能であった。
 なかなか反応が返せない。そうこうするうちに彼は事務局、つまり副委員長の書庫部屋に乗り込んできた。たまたま泊り込んでいた副委員長をたたき起こし、無事、スタッフに名を連ねた。
 ハマコン以来、サングラスをかけて警棒をもったいい面構えの漢がSF大会の警備に当たっているが、彼がこの時のT君である。
 トーコン9でぼくが名刺を渡しながらなんら連絡がなかったのは背後に同様な事情があったのだろうと推測する。

 さまざまあってハマコンではH氏に運営を委託するが、H氏は有能だった。それまで不毛論争に草臥れていたスタッフに自分の指針を明確にし「大会当日までになにが必要か」を一つ残らずリストアップさせた。
 ぼくなんかはこのあたりは各セクションの判断、と思ってしまうのだが、H氏は現代的であった。
 リストアップをベースに可能、不可能を明確にし、当日と同様の時間をかけてシュミレーションを行った。
 金の使い方はあらく批判の対象になって然るべきではあるが、運営の手腕、マネージメントは見事の一言に尽きた。
 自分の方針を明確にするというやり方も巧かった。
 非常に弁が立ちその場で相手を納得させる能力に長けていた。悪い方に取られそうであるが、なに、世の中、その場限りで済むことのいかにか多いことか。後に会場の利用方法について対立することになり、その時にこちらを丸め込んだ方法について憾みはあるが、逆にぼくのような口下手の人間にとっては羨ましくもある。

 ところでゆ〜こんについて、さすがに終わって二週間で話題はとぎれてきているが、二つの会場で食事の違いが取りざたされている。
 実を言うとぼくらも「悪い」とされた松の湯の宿泊である。確かに前宣伝ほどではなかったし、カニはすかすか、刺身もまあ駅前の回転寿司並み、しゃぶしゃぶだか焼肉だかは途中で固形燃料が切れて生煮え、よっぽど生で食ってやろうかと思ったほどである。
 もっとも、こういうとき、ダイコン4の宿泊の朝飯を思い出すことにしている。
 あれは酷かった。前の晩スタッフと話していて「値切るだけ値切ったから、飯はヒドイだろうな」といっていたら、本当にひどかった。安旅館の朝飯でも卵ぐらいつきそうなのだが、卵なんてあったかなぁ? ともかく、あんまりひどいんで飯に醤油をかけて食っていたのを覚えている(まあ、これは別にいい。宿によっても違うだろうし)。

 逆に食事で良かった思いがあるのがヤネコン。
 ただのバイキングだったが、量は豊富、品数もたっぷし。
 嘘か本当か実行委員会が下見のとき、時間新聞社の中でも最も大喰らいの連中を連れて行って支配人に食べっぷりを見せ「みんな、あれぐらい食べますぜ」と支配人に耳打ちしたとかしないとか。
 余談だけれど、普通の作家関係のパーティで食い物机に喰らいついていると、必ずぶつかる面子が居る。名前は伏せるが、大抵SF関係者である(自分がかぶりついているのは棚に上げる)。

 さて、ゆ〜こん。
 食事は置くとしても宿泊の申込み、前年、幕張で夫婦子供の分の申込み払い込みをしていたが、後になって「他家族と同室希望の場合は代表者の名前で申し込んでくれ」といわれハマコン副委員長に書類を渡し家族申込みをしたものの「子供の分の宿泊費用が別にかかる」といわれ、四歳児用に布団を用意してもらい(四歳児、宿泊のみ、メシ別で七千円かぁ)ってのは我慢するとしても、別に申し込んだオプショナルツアー、案内書にあるのと請求書の額がちょっと違っていて、高い方を払っておいたら、当日、会場で返還すると言われて返してもらった額が五十円。
 実行委員会がどうのというより、農協観光さん、どうしちゃったの?
 無駄な手間がかかるだけじゃないの。これは実行委員会の責任じゃないなぁ。

 実行委員長が交代したりなんだかんだあったらしいけれど……まあ、ご苦労様です。

 さて、いままでぼくは自分の立場をなんとなく運営寄りにして話題を振ってきた。
 だけれど、今日の結論は参加者に寄ったものとする。
 実行委員会の無能を憂うのであれば、自助努力しよう。リゾート型で知らない人と同室になるのが不安であれば、早め早めに仲間を探して、同室希望を出しておく。初参加の人は難しいだろうが、ここを読む環境にある人はBBSでの情報交換も可能だろう。
 ぼくの場合、来年もいつもと同じくハマコン副委員長一家と同室希望を出している。まあ、日本旅行が担当なので不安は残るが……。(8/5追記、たぶんSF大会の宿泊を一番多く手がけているのが日本旅行だろうが、様々な理由からぼくは同社に不審を抱いている)

 企画がつまらなそうだったら、自分でどうにかしよう。企画を持ち込む、実行委員会に掛け合う、なんだったらご自分で大会を運営するのも良いかもしれない。

 ……しかしなぁ。
 旅館の晩飯に手弁当持っていったほうがいいんじゃないかと、思わされるたぁ、さすがに予想外だったぜ。
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