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1999年12月の近況
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1999/12/01 水曜 月が変わった
 信じられない。
 もう、12月である。今年は秋がやけに暑かったので季節感がヘンになっているせいもあるだろうが、ぼくとしてはまだ秋口みたいな感覚である。
 理由は判っている。
 夏ぐらいに脱稿するつもりだった原稿をいまだに抱えているせいである。

 『戦場の空を駆けよ』320枚。

 さて、梅原克文から短い手紙が来ている。ぼくが楽しみにしていた『カムナビ』発行後の情況である。
 例によって転載しよう。

 ■梅原氏からの手紙、11月24日■

 さて、この中に『カムナビ』上下巻併せて六万九千部という数字が出てくる。これがどれぐらいかというと「大ベストセラーではないが、ちょっとした数字」である。書籍というのは最初に製版するときが一番金が掛かり、部数を刷れば刷るほど一冊あたりの制作費は下がってくる。逆に一定部数より少なければ採算割れを起こす。
 この採算分岐点が文庫の場合二万、新書で一万、ハードカバーで八千あたりにある、と言われている。【ただし、この数字は至極大まかなものであると思っていただきたい。厳密な情況は出版社や、その本それぞれによって違う】
 判型を問わず、多くの書籍が初版止まりであるのに対して、六万九千も刷ったら通常の書籍の四倍の利益を上げている計算になる。

 続いて、二通目の手紙が来た。上記のものは大人しかったが、次のものはもうちょっと過激である。
 また、いつもの能書きだが、梅原氏に実名批判されている方について、ぼく自身はケンカを売るつもりはない。無論、公開の手を貸した責から逃れるつもりはない。また、同氏が、あるいは梅原氏に意見したいという方がいれば仲介の労は惜しまない。
 梅原氏の意見に対するぼくの意見は、この後の返信にも記した。

 ■梅原氏からの手紙、11月26日■
 以下が返信。

 ■梅原氏への手紙、12月1日■
1999/12/02 木曜 嫌な事があった
 昨日、保育園に娘(一歳十ヶ月)を迎えに行った。
 送り迎えにはベビーカートを使っている。もう歩けるのだが、勝手に歩かせるとどこに行くか判らないし、歩み自体も遅いので朝夕の忙しい時間にやっていられない。朝、家内が娘を連れて行き、カートは畳んで自転車置き場の隅に立てておく。帰りにはぼくが迎えに行く。カートを起こして、部屋から娘を連れて来る。
 今日いつものようにカートを起こすと、なんか変だ。
 よく見ると、カートの背中から手元に繋がっているはずの部分が途切れている。この部分はずれる構造になっているので不思議には思わなかった。はずしたとしたら家内である。なぜ、はずしたんだ? と考えながら戻そうとしてびっくりした。

 切れているのである。
 切られた線自体は途中で少し斜めになったりしているが、繊維がほつれたりしているわけではない。はさみだか、ナイフのような鋭利な刃物を使った線だ。
 カートをもう一度チェックすると、折り畳まれているひさしも切り裂かれていた。

 考えられる可能性としては、子供のいたずらと言うのがある。
 だが、そうでない恐れだってある。

 さっそく保母さんに報告する。たまたま、娘の担当の保母さんがいた。報告は園長の所までいくだろう。ひょっとしたらその上にも届くかもしれない。だけれど、園としては大した対策はとれないだろう。
 嫌だなぁ。

 もうひとつ、こっちはトホホな話。
 なんとかいう宗教団体がガサいれされた。テレビでニュースを聞きながら「教祖に超能力があるような内容の印刷物を配り……」ついで、教祖の映像が流れた。テロップで名前が出た。
 聞いた名前である。
 著書が、なんと家にある。

 以前から、なぜか書庫に買った覚えのない「と」な本が転がっている。
 見た目は実用書の体裁の新書である。なんか、修行だけでガンが癒る! みたいな惹句がかかっていた。怪しい本だなぁ、とは思っていても本の形をしているとどうしても処分できない。それで残っていたのである。
 なんでこんなモノがあるのか、思い起こしてみると、どうも駅前で配っていたのを貰って来たらしい。ティッシュかなにかと間違えたのだろうと思う。

 ……と、ここまで書いて現物を確認しようとしたら、見当たらない。
 さらし者にされる危機を感じて逃げ出したのかもしれない。
 (タイトルは最後の天行力である)
1999/12/03 金曜 普通の日
 朝、7時半に起きる。
 嫁がごそごそ起き出し始めるのを感じつつ、娘をたたき起こし(親に似て寝起きが悪い)ご飯を食べさせる。嫁が出勤の準備をしている間、娘を着がえさせる。
 二人が出ていくと、洗濯機を回し、食器洗浄機を動かし、掃除機をかけ(これは今朝、さぼった)、デニーズに歩いていきカウンターに座ってノートパソコンで仕事。お昼近くなって混んでくるとデニーズを出てどこかのお店でお昼を食べ、一旦家に戻って洗濯物を乾燥機に放り込み、バイクに乗って仕事場に出勤。で、これを書いている。

 『戦場の空を駆けよ』→326枚
 でもこれから仕事するのでもっと増える。

 うー、仕事しよ。

1999/12/06 月曜 腐れ縁
 以前から告知のように土曜日はSF関係の宴会。
 日曜も同じくSF関係の宴会。こちらは実はエゾコン2のスタッフ同窓会である。エゾコンはスタッフの系統に東京でやっていた者と札幌で頑張っていたものと二系統あって、双方ともそれなりに元気なのだけれど、こちらは主に東京関係。
 1984年の開催以来、とぎれずにやっていて、15年経った。最初の頃は三〇人近く集まっていたものが、今年は関係者九名。でもまあ、ほのぼのとして楽しかった。
 ……しかし、これでも残っているメンバーって、腐れ縁だよな。

1999/12/07 火曜 靴を買った

『戦場の空を駆けよ』→344枚

 考えてみると靴を買ったのは二年振りである。
 この前買ったのはいわゆるトレッキングシューズである。山歩き用のハードな靴でゴアテックス入りの防水靴である(これは現役である)。こいつを買ったのは二年前、旅行先の香港で連日連夜豪雨にあって非常に苦労したため防水靴の必要性を強く感じたためである。

 その前に買った靴は、上記、香港で苦労した靴であった。様々な事情があって五年前、新婚旅行先のシンガポールで購入したスニーカーである。
 もちろん、当のスニーカー、香港で苦労した後も日本につれ帰って日常的に履いていた。ただ、その内、漏るようになって来た。漏ると言っても水ではない。小石である。歩いているといつのまにか靴に小石が入っている。調べるとどうも穴が開いているらしい。
 これも左足だけであれば我慢しよう。
 だが、その内、右足にも小石が突き刺さるようになって来た。もちろん、歩いていると足は埃だらけになる。で、代替に購入したのが防水靴であったが、この靴、いかにも物々しい。いちいち紐を結ばなければならない。面倒くさいので、安物でいいからスニーカーが欲しかった。
 で、買った。
 たまたま、通りかかった靴屋の前で「セール五百円」の札を見て物色を始めたのである。しばらく山をひっくり返したが、なかなか適当なのがない。定員に聞いて見つけだしのたのだが、隣の山の千円均一であった。五百円のつもりであったのでショックだった(でも、買った)。

1999/12/08 水曜 嫌なことが続いた
 昨日、保育園に娘を迎えに行った。
 で、カートを探す。が。
 カートがない!

 自転車置き場の奥とか、裏とか探すが見あたらない。何しろ、あたりはもう真っ暗で、嫁さんがたまたま変なところに置いたのが見つからないのかも知れない。とりあえず、保母さんに報告し、娘を抱えてバスで帰った(重かった)。

 今日、嫁さんと二人で娘を送る。明るくなってからカートを探すが、やはり見つからない。園庭まで全域探すが無い。園長先生と会って、話して……一日が始まったが……なんか、イヤだなぁ。

 『戦場の空を駆けよ』→351枚。
 いよいよクライマックス。カツブシとの対決!

1999/12/10 金曜 昨日はちょっと良いことがあった
 ぼくは猫背である。というか、自分でもある程度意識して俯いて歩くようにしているのだが、そのおかげで、昨日は大変喜しいことがあった。
 なんと、100円拾ったのだ。それだけではない、すぐそばにもう100円と、十円玉が一枚! 総計210円。
 ちょっとした大金である。
 これだけで喜しくなってしまう。
 ……しかし、警察に届けなくて良いのだろうか?

 「戦場の空を駆けよ」→362枚! がんばれ、オレ!

 というわけで「戦場の空を駆けよ」の続きを必死こいてやるつもりできょうは午前中から出勤。
 さ、仕事しよ。

 【午後、記入】
 目鼻付いたぞ! 「戦場の空を駆けよ」←374枚

 あああ、「〓」外しと序章が……。

1999/12/14 火曜 冗談じゃないぞ!
 金曜日(10日)。
 某所の宴会。地元の中華屋(超・おすすめ&本格派&店主は中国残留孤児関係者&ろくに日本語通じない)で宴会。幹事。死ぬほど食う。冬虫夏草のスープは美味しかった。

 土曜日(11日)。
 日中、部屋の掃除。すげー大変。夕方、実家へ戻って親父に孫の顔を見せる。途中、先日、無くなったベビーカートの代替の物を買う。いまさら必要だろうかとは思ったが、カートなしで送り迎えして筋肉痛になったため購入を決意。

 日曜日(12日)。
 某所の宴会。準幹事(関係記事は@Nifty FCOOK2 MES12へ)。軽いティーパーティのはず、だったのだが、死ぬほど食う。これに備えて午前中、市民プールで三千泳いだが、効果のほどは疑問。

 月曜日(13日)。
 午前中、デニーズで仕事。『戦場の空を駆けよ』目鼻つける。ふう。これから推敲。
 で、保育園に娘を迎えに行くが、カートがまたも、ない。
 冗談ではない。
 カート程度、いくらでも我慢するが、こっから先なにが起こるかと思うと気が気ではない。ベテランの保母さんも青ざめている。

 火曜日(14日、今日)。
 午前中に娘を送りがてら保育園の保母さんと話をする。警察に届け出る事も含めて対策が必要だろう。今夕、園長さんともう一度話をする手筈をつける。
 冗談じゃないぞ。

 『戦場の空を駆けよ』、コスモノベル分のダイジェストを付け加えて、425枚。長すぎるかな?
1999/12/15 水曜 届けた
 最近、やけに警察のお世話になっている。電話の時もそうだった。だが、今回、事情はもうちょっと深刻だ。
 昨日帰りがけ、園長さんと話をした。園の方ですでに全職員に「見知らぬ人を見たら声をかけるように」指示を出したそうだ。また、園長先生みずから交番に赴き、事情の説明をしてすでに保育園をパトロールコースに入れてもらったそうだ。

 今日、午前中、一連のベビーカー消失事件を地元の警察に届け出た。刑事課に行って、取調室のごとき場所に案内される。多分本当の取調室だったのだろう。向かいの部屋の扉が開くと、時に罵声が流れ出る。
「盗難、という事かと思いますが……」
 私服の刑事さんが出てくる。前置きして話し始める。最初は片手間、という雰囲気だったが、一連の話を終えると目つきが変わっていた。この人にも子供がいて他人事ではないそうだ。とりあえず、盗難届二通を出す。
 その他、この後どうすればエスカレートしないか、いろいろと対策を教えてもらう。


 梅原克文から手紙が届いている。
 まだ、返事は書いていないが、内容についての異はないので、公開する。

 ■梅原氏からの手紙12月10日■
1999/12/18 土曜 水ぼうそう
12.15 水曜
 今日の目玉は都内某所で開かれる津原泰水さんを囲む集まり。ちと早めに新宿へ出てコーヒーのペーパーフィルターを買い、集合場所へ。
 オフは楽しかった。なぜか、いつものメンバーがいたり、津原さんの人格を表して(もてる!)女性が多かったりしたが、津原さんを囲む集まりだけあってぼくの回りにはよってこない。ちぇっ。
 一次会で早々帰宅。
 保育園から連絡があって娘が水ぼうそうの疑いがあるとのことで、嫁さんが医者へ連れていったところ、水ぼうそうが確定した。
 これで一週間は動けない。
 もっとも、これでカート切り裂き事件が中断、、だといいなあ。

12.16 木曜
 娘が水ぼうそうで保育園へ行けない。安静が必要なので、外へも出られない。妻は会社である。従って朝から晩までぼくが付きっきりで見ている。食品の買い出しにも行けないので、昨夜作ったカレーと備蓄食糧のそうめんで食いつなぐ。

12.17 金曜
 娘が水ぼうそうで保育園へ行けない。安静が必要なので、外へも出られない。妻は会社である。従って朝から晩までぼくが付きっきりで見ている。食品の買い出しにも行けないので、一昨日作ったカレーと備蓄食糧のそうめんで食いつなぐ。

 ついでに言うと、妻が会議で遅くなるので今日行くつもりだった都響のコンサートもパァである。

12.18 土曜
 昨日一昨日とまったく作業ができなかったので娘を家内に押しつけて出勤。原稿のチェックと、プリントアウト。作業はとりあえず進めたが、これもまた、もう一度チェックして再入力しないとならない。明日は徹夜だなあ。
 それと娘を連れての長時間外出はできない。フロッピーの受け渡しも相談しないと。
1999/12/22 水曜 水ぼうそう終了
 昨日、娘を医者に連れていって無罪放免の証明書をもらってきた。やれやれ。

12.18 土曜日
 続き:仕事場に出勤して「戦場の空を駆けよ」原稿のチェック。プリントアウト。三日ぶりの外出である。
 自宅へ帰って山本正之のライブに行く妻を送り出す。
 子供の相手をしながらプリントアウトに赤を入れて行くが、全然はかどらない。
 ゴーストバスターズをなんとなくつけていると、妻が帰って来る。ライブ会場寒かった、トンコツラーメンが食いたいと叫ぶが、都合よくそんなものはないので、和風だしそば粉入りニシンラーメンを食わせる。

12.19 日曜
 先年無くなったまり子叔母(親父の妹)の三回忌。最近こういう事でもないと親戚同士顔をあわせない。やれやれ。
 家に帰って娘と嫁に晩飯を食べさせる。ダイコンサラダとスパゲティベーコンカルボナーラ、Niftyの料理フォーラムの方に自家製ベーコンをもらったのでこれで作った。ベーコン、美味しかったです。

 この後「戦場の空を駆けよ」のハードコピーを持ってデニーズへ。赤をいれまくる。
 帰り際、自宅に電話すると嫁が「アイスクリーム食べたい」というので途中のコンビニで買って帰る。
 帰ってアイス食って寝る。

12.20 月曜
 赤を入れたハードコピーの訂正部分を入力しなければならない。する。「遊んで」「ちっこ」攻撃を繰り返す娘を撃退しながらなので、結構つらい。変な時間にそれぞれ「和風だしそば粉入りニシンラーメン」と「海南鶏飯モドキ」を作って食べる。おかげでなかなか腹が減らない。
 今日もまた、一歩も家からでられない。
 編集さんから連絡はないが、まあ、いいか。

12.21 火曜
 朝一で娘を医者に連れて行く。発疹ぼつぼつなのだが、おしっこうんち臭くてあまりに可哀想で風呂に入れてやりたい。で、見てもらったら登園証明を出してもらえた。もう一日二日かかると思ったのだが、ラッキー。
 帰り、銀行に寄って金をおろし(いつの間にか入金があってラッキー)紙オムツとお尻拭きを買う。

 一旦家に戻って早い昼飯を食べ&食べさせ(担担麺。娘にはパン……をやったのだが、麺を取られる)さっそく風呂に入れ、再度買い物に出る。カートがないのでもちろん歩かせる。
 西友ストアーで店のベビーカーに乗せている間に眠られてしまう。
 買い物は、娘のお菓子、この数日の籠城で切れていた食材、くわえて濃縮麺汁一リットル、豆乳一リットル、スパゲティ900g。この上娘をかつぐと、重い。肉と米も買わなければならなかったが、断念。

 妻が帰って来るのと入れ代わりに都響。
 北原幸男指揮、Vn.独奏ピエール・アモワイヤル
 ショーソン 詩曲.
 ラベル、ツィガーヌ.
 ショスタコビッチ、交響曲第五番.

 詩曲はまあ、そーゆー曲。
 よかったのが、ツィガーヌ。ピエール・アモワイヤルっていままでは「高名なバイオリニストだけれどまあいいや」って当たりだった。だけれど、これは良い。これだけの難曲を軽々と弾いている。んで、アンコールでバッハの無伴奏パルティータ。うん、これもいい。だけれどシゲッティにはまだまだ(←そうだろうなあ)。
 というわけで、アモワイヤル。藤川真弓の次に付けておこう。

 ショスタコの五番。
 うーん。不思議な演奏だった。緻密な演奏なんだけれど、妙に間延びしている。もう一つパンチが足りない。
 よくよく考えると指揮者のビジュアルが良くない。適度に長髪なのだからいっそのことベートーベン並みに伸ばし、ついでだから眼帯でも掛けてもらってももっと病的な演出をしてもらいたい。

 途中、ハーベスターでサラダを買い、家に帰ってハッシュポテト作って食う。これは失敗。
1999/12/23 木曜 天皇誕生日
 タイトルに深い意味はなし。
 昨日(22日)は年賀状に手間かけたりして、娘を保育園に迎えに帰った。平穏。

 今日は例によって娘と嫁を実家に預けて出勤。締切は上がっているのだが、やるべき作業は山をなしている。

 入稿してからチョンボを思い出すが、まあ、いいや。ゲラで直そう。

 仕事場へ来ると、机の上に「週刊朝日」が置いてある。篠田節子『百年の恋』の連載が始まったのである。
 実はあえて黙っていたのだが(自分の予定を公表するのは構わないが、他人のは問題だろう)これには、合作、という執筆協力というか、かなり深く関わっている。何をどうやったかは読んでのお楽しみ。

1999/12/24 金曜 クリスマス
 世はクリスマスで塗り潰されている。
 駅を降りると、サンタの服装のねーちゃんがケーキを売っている。
 クリスマスは好きでも嫌いでもない。取り立てて恩恵にたまわったわけではないが、クリスマスを口実に女の子を誘い出した事もあるし、失敗もある。当たり前だ。

 一年の流れを考えた時、希望が持てる季節と、どうしても過ごしづらい季節がある。
 ぼくにとって、冬は最低の季節である。陽が早く沈み世の中は物理的に暗い。寒いせいで体調も崩れる。反対にその冬が終わり、季節が春に向かって来るとどんなに寒くとも気分が楽になって来る。

 春が終り、夏に向かう前に梅雨がやって来る。ただ座っているだけでも尻の下が汗ばみ、全身に黴が生えそうで気が滅入る。だが、それでも梅雨を耐えられるのはこの後に夏が控えているからだろう。子供の頃、夏を象徴するイベントは夏休みだった。

 もっとも長いのが秋だ。
 それなりに過ごしやすいものの季節は冬に向かい、すべてが沈滞して行く。そして、冬はただ厳しいだけである。

 この冬のとばぐちにあるイベントが「正月」である。もし、正月が夏にあったら(それはそれで楽しいかもしれないが)、冬の希望の一つが減って、過ごすのがつらくなるだろう。
 正月が過ぎれば、陽も長くなり、次第に春が近づいて来る。正月自体もおめでたい雰囲気てんこもりで、おせち料理もあるし、楽しい数日間である。もっとも寒く暗い季節なのだが、明るい面に目を向けられる。

 この大イベントの前にあるクリスマス……っていうのはどうも霞んでしまう、っておもうのはぼくだけだろうか?

 もっとも、ぼく自身、日本の歴史の中でもっとも正当な対切支丹政策を取ったのは秀吉だと思っているので偏見入りまくりだが。

1999/12/28 火曜 世は仕事納め
 土曜(25日)、午前中、娘と遊びながら年賀状の宛名シール貼り。
 全部貼るが、家を出る前に忘れてしまう。投函できん!
 途中、アメ横で李さんお薦めの豆板醤を買い、友人の家へ。  今日の主目的はここのマシンの空き容量を作ることである。
 導入したときも設定したのだが、どんな機械だかすっかり忘れていた。
 HDの増設や、買い換えも考えていたらしいが、9821のペンティアム200。9821ってあたり、買い換え時かも知れないが200MHzなら姑息な小細工を弄するだけでもちそう。そもそも、ニフティ専用の通信用マシンと化している。
 容量がない……と言っていたが、2ギガのHDの空きが10メガしかない。

 家へ帰って深夜、とてつもなく気持ちが悪くなり、吐く。

 日曜(26日)
 目を覚ましても、全然起きあがれない。立ち上がると目が回る。はいずりながら娘のオシメを換え(ウンチしていた)、嫁さんにタッチしてこっちは眠る、というか倒れる。とは言っても熟睡はできない。熱に浮かされる状態である。うなされる。あげくに授業をやっている夢を見る。
 午後、38度まで熱が上がる。
 どうも娘の風邪を移されたらしい。もっとも、娘と同じであればすぐ治るだろう。
 もう一晩、うなされる。

 月曜(27日)
 熱下がるがふらふら。ううむ。昼過ぎまで延びて外出。ようやっと年賀状投函。
 銀行に駐車場料金振込みに行くが、混んでいる。座り込んでしまう。この上家賃払うのに並ぶのか……くぅぅ。

 夕方、仕事場の宴会。仕事場のメンバープラスもといたメンバーや、作家さん、つきあいのある編集さん十名余が集まって宴会。
 このころには完全復帰。

 というわけで、たっぷり寝たせいで今日は完全復帰して、午前中から出てきてマシンのメンテやネットをいじって過ごす。でも、これでもやるべき事はまだ山積み。
1999/12/29 水曜 マシンをいじる
 朝の内、嫁さんと手分けして家賃、保育園の保育料を振り込む。2000年問題がらみか銀行がやけに混んでいる。
 家に戻って洗濯物を畳み(二日ほど延びていたせいで比喩でもなんでもなく山になっている)、部屋の半分に丸く掃除機をかける。行きつけのそば屋でそばを食べる。ちなみにこれは年越しそばではない。

 実家に嫁さんと娘を置いて出勤。マシンをいじる。このところ、起動に五分も掛かったり、時には失敗したりしていたのだが、何とか解決の糸口が見つかった。なに、ここもHDの空き容量が足りなかったのだ。3ギガのHDの残りが70メガではねぇ。とりあえず760まで空ける。あとはレジストリをいじらなければならないのだが、さてどうなるか?

 明日、多分、年内最後の出勤になります。
1999/12/30 木曜 大掃除
 仕事場の大掃除である。
 若干遅れて付いたぼくの割り当ては便所掃除であった。

 更新は今年はこれでおしまい、、、ってっても。あと一日しかありませんが。

 次回更新は早ければ二日。遅くとも四日か五日になります。
 では、みなさん良いお年を。

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